石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

バナナマン単独ライブ2017「Super heart head market」感想

 バナナマン単独ライブ2017「Super heart head market」見てきました。
 2年ぶり2回目という清水健太郎の出入りみたいな頻度のバナナマン単独ライブの座席はまさかの1列目センターから横3席以内のほぼセンターと最高の席でした。先に席に着いていた隣の人が、座ってすぐの俺に、ヤバイっすねと話しかけてきたので、ヤバイっすねと笑いかけるという一幕があった。
 ライブはというと、単純に、ここ数年で一番のライブだった。「あんなに忙しいのにライブをやっている」ということを差し引いても、いや、差し引けるからこそ、出色の出来栄えだとファンとして誇れます。二時間半近い公演時間を余すことなく楽しんだライブの帰り道は、自分が今一番面白いと思っている人達が、今一番面白いと思っているものを自分がこんなにも楽しめたという幸せの余韻にひったひたに浸かってふわふわしてしまっていた。なので、これから書くことのほとんどは、感想というよりは「何で最高なのか」という自分のための理由付けでしかない。
 一本目のコントで流れてきた蝉の鳴き声と、開場を待っている時に劇場の外で聞いていた蝉の鳴き声が混ざり合って、現実と虚構の壁を溶かしながら始まったライブは、「Super heart head market」といういつもとちょっと違う不思議なライブ名に相応しく、日常からそう離れていないところにいるコントの登場人物たちの心と頭は、ほんのちょっとの非日常の中で困ったり、ぶつかったり、勘違いをしたりする。
 バナナマンのこれまで演じてきたネタを思わせる題材やワードやキャラが出てきながらも、手癖でこなしているわけでも、集大成というのもちょっと違う、まさしく今のバナナマンというべきものを存分に味わうことが出来た。その中でも特に嬉しかったのは、最近はなりを潜めていたブラックな部分が見え隠れしたことだった。バナナマンのブラックさは、バナナのシュガースポットと同じで、それはとても甘い甘い蜜の味だ。
 これはきっと、エンドトークで話していたという設楽統が「なんでライブやんないといけないんだよ!」という怒りモードに入っていたことと、『バナナムーンGOLD』で放送されたラジオコントSPが理由にあるのだろう。来年以降の単独で、もっとブラックなネタが一本でもあれば、ギュッと締まった一味違う単独になるんだろうなと思うととてもわくわくする。
 日村勇紀がこれまでと変わらずにバナナマンの動を担当していたことは言うに及ばず、何といっても、「Super heart head market」は設楽統の魅力が存分に詰まった設楽統祭りだった。設楽統の心と頭が舞台上に散りばめられていた。全員が違うキャラクターで、未だに、あのコントの衣装おしゃれだったなとか、あのコントのビジュアル最高だったな、あのコントでの仕草を真似してえな、あのコントであんなことしてくれたと反芻している。
 全てのネタが本当にどれも良かった。バナナマンの単独ライブは2013年の「Cutie funny」で二周目に入ったと、それで卒論を書けるぐらいに考えている。爆笑だけを目的にしていないコント。それが今回の「Super heart head market」で到達していたように思えた。それはきっと、バナナマンの魅力の一つである「関係性」が昇華されていて、どのネタからもそれが感じられたからだ。赤えんぴつですら、いつもより優しく感じられた。特に、とあるネタでは登場人物二人の何年間もの付き合いが見えて、バカバカしいシーンなのに笑い泣きしてしまいそうになった。
 プレイヤーにキャリアハイがあるように、ファンにもキャリアハイがあるとしたら、バナナマンファンは今がその時なんじゃないだろうかとたまに思う。もちろんそれはプレイヤーのキャリアハイとも合致していることが多いのだろうけれども、好きになりはじめて色々と情報を収集してしばらくして好きの度合いが落ち着いたあとに、また何かをきっかけに好きになるということがいかに達成されがたいことか。
 そのくらい、最近のバナナマンは『乃木坂工事中』での「ヒム子どっきり」や、『日村がゆく!』でのバラエティモンスター増強プログラムを受けている姿だったり、『バナナムーン』では日村勇紀ホールインワンを出したことで生まれたTシャツや帽子を作ったりする流れや、先述したラジオコントだったりと、ファンにとっても最高な状態にある。
 個人的な事をいえば、今年の4月から新しい職場になったのだけれど、明日初出勤だという日曜日の夜に『せっかくグルメ』を見ていたら出てきたアジフライが無性に食べたくなったので、近くの食堂で少し前のバナナムーンを聞きながら、一人でアジフライ定食を食べていた。食べ終わってお金を払い、帰る道すがら信号が変わるのを待っていると、曲対決で設楽統が選曲した奇妙礼太郎がカバーした「悲しくてやりきれない」が流れてきた。その時に、やったるからな、という逆説的な力が湧いてきたのを覚えている。
そんな中でのライブは、期待していながらも、心の隅には「楽しめなかったらどうしよう」という不安があった。そういう意味で、ある種の到達点のようなライブを一列目で見ることが出来て、神様的な何かに「いや、全然好きでいてくれて大丈夫だから」と背中を押されたような気持ちになった。
 だから、まだまだ好きでいられる。
 来年まで、笑顔でさらば出来る。

石を掴んで潜め的ベストラジオ2016

毎年おなじみ、私的なラジオの年間ベスト10です。
暇つぶしにどうぞ。

【10位  ゲスト:ハライチ/『バナナムーンGOLD (2016.12.24)』】
 2016年10月に、2年間半続いたデブッタンテから、深夜12時からの一時間放送へと昇級し、うしろシティとハライチはそれぞれの単独の番組が始まり、ハライチのラジオは、『ハライチのターン!』として生まれ変わった。何が良いって番組名がいい。
『ハライチのターン!』自体は、実質の放送時間が三倍になっても、間延びすることもなく、ネクヤンこと根暗ヤンキーである岩井のエッジの効いたトークやクレイジーなトーク、澤部の気付かれた話や気付かれたかった話などと毎回面白い放送となっている。その中で、「ションテンガリアー」「メゾネットタイプ圧勝」「お前は俺の木偶なんだからよぉ」というキラーワードも生まれた。
そんなアベレージヒッターがあるからこそというのもあるけれど、とりわけ本放送よりも、バナナムーンGOLDに、ハライチの二人がゲストで出た回が良かった。
 前の週に急性胃腸炎で倒れてしまった設楽を助けられる人をゲストに迎えるということで、テレビ出演本数2位である設楽に次いで3位のハライチ澤部と、その相方である岩井が呼ばれた。
澤部をメインに呼ばれたと思いきや、「ピン仕事決まったかと思ったら、バナナさんなんだよ。」と岩井が言うように、唯一岩井をピンで呼んでくれるコンビであるバナナマンだからか、トークでも終始、岩井がフィーチャーされていた。
 『ハライチのターン』ではリスナーからの同じ質問には頑なに答えなかった、設楽からの「どういう人を見てお笑いになろうと思った?」という質問には「完全に爆笑問題さん見て入りました」と答え、バナナマンについては、「『登龍門F』とかで見てました。日村さんが女のネタやってました。それをめちゃくちゃ見てました。ブラジャーしててTシャツめくったら胸もまれて気持ちよがって。やめろ!みたいに言って。でも設楽さんが最後お前ブスだなって言ってすげえ怒るっていう」とも答えていた。
 最後はバナナマンとハライチで、私物をクリスマスのプレゼント交換。
 岩井のタヌキの柄の手ぬぐいは澤部に、澤部の家族で藤子F不二雄ミュージアムに行った時にとったプリクラは日村に、日村の美顔ローラーは設楽に、設楽の香水とテニスボールは岩井に当たった。岩井が何故手ぬぐいを持っていたのかについては、実は、設楽が手ぬぐいを好きということを知った岩井が、それに憧れて手ぬぐいを集めるようになったという。可愛いね、岩井。
 澤部が「おぎやはぎさんもそうですけど、その世代は好きなんですよ、岩井のこと。」と言う様に、これからも隠れて愛される岩井であってほしい。

【9位 芝浜論/『東京ポッド許可局 (2016.1.10)』】
サンキュータツオが、古典落語の演目である芝浜についての考察を披露した回。「芝浜」といえば、立川談志が得意とした噺のひとつで、酒を飲んで仕事に行かなくなった魚屋の勝という男が、妻に仕事に行くように言われて、ひさしぶりに仕事に行ったら芝の浜で当時としては大金の42両が入った財布を拾ったもんだから、家に帰ってきて友人を呼んで宴会を開いてしまう。しかし、翌日、奥さんからは「お金を拾ったのは夢だ」と言われたことにより、反省し、心を入れ替えてお酒を絶ち、真面目に働くようになる。三年後の大みそか、立派な店も持ち、幸せな年末を過ごしている。そんな時に奥さんから実はお金はあった、こんな大金があったらあんたはもっと駄目になるからと思って隠していたと言われる。そこでひと悶着あったものの旦那は妻を許し、主人は奥さんからお酒を勧められるが断ってしまう。
「よそう、また夢になるといけねえ」
サンキュータツオは、この有名な「芝浜」と言う落語にある違和感を引っかかりに、理屈を重ねて解体していく。
例えば、何故腕もよく、夫婦仲のいい漁師である魚屋の勝がお酒に溺れて仕事に出なくなったのかについては、子供を亡くしたことによる失意からと推理する。
そしてサンキュータツオは「実は言葉にはなってないけど、そういう二人の関係が一番奥底に流れている。ということを考えるとですよ、あると思っていたものがなかった、出来ると思っていたものが出来なかった、これがそのまま財布という形で象徴されているんですよ。」「(芝浜は)お金の執着から脱却する話なんですよ。夫婦にとって子供が出来なかったということの呪縛から解き放たれる話だったんじゃないかな」と解説する。
他には、芝浜が三遊亭圓朝作であると言われている通説に着いても、三遊亭圓朝の全集に入れられていないことなどを根拠に否定していく。理屈に理屈を重ねていくだけでなく、そこから行間を読むというまさに、東京ポッド許可局らしい知的好奇心をビンビンに刺激する放送でした。

【8位 若林のキューバ一人旅/『オードリーのANN(2016.8.7)』】
 オードリーの若林が、一人でクーバに、いや、キューバに一人で旅行に行ってきたトークゾーンは良かった。いつもなら、吉留明宏akaビックスモールンのゴンでも引き連れていくのだけれども、今回は一人で行ってきたという。
 社会主義国家なので道路には広告がなく、あってもチェゲバラの名言などの看板があるだけで暗いというようなキューバの街並みや、人見知りのガイドのマルチネス、闘鶏場とホセ大佐、ビーチで島崎敏郎みたいになってしまった話なの、たっぷりと旅行の話が聞けた。
 若林が「(国営のキューバンジャズで凄い有名な)サックス奏者の演奏を聞きながら」モヒート飲んで葉巻吸って、キューバンジャズ聞いてたら」に春日が「生意気だな、早くホテル帰れよ!」と突っ込んだのは痛快だった。
 雑誌『ダ・ヴィンチ』での「どいてもらっていいですか?」でもキューバ旅行の話を書いていたので、合わせて読んでほしい。

【7位 放送1,000回記念/『爆笑問題カーボーイ(2016.6.15)』】
 1997年の4月に始まった爆笑問題カーボーイが20年目に突入した今年、ついに放送1,000回を迎えた記念すべき回。リスナー歴としては2000年に聞き始めたので、16年になる。オープニングトークはたっぷりするのかと思いきや、これまでの放送の振り返りをあっさりと終える。
 太田が「振り返るほどの歴史じゃないと思うよ」といったように、振り返りも20分ほどで終えて、その後はゲストに来た南海キャンディーズの山里相手に『テラスハウス』の話を延々とするところが太田らしい。
 第一回のオープニングトークの音源も流されたその後に、田中が「今日で放送1,000回!火曜JUNK!!爆笑問題カーボーイ」と言った後に、過去の音源を使った特別なOPが流れた。
 『太田「初めて出るからまだピカピカなんだよ」「(田中)バカじゃねえの、お前は!」「(太田)プーライ!」「(太田)実は今日、田中がいません。金玉腫れちゃいまして」「(田中)98ガール!」「(太田)みんなそれで謝ってよ。ディレクターの小塙も。」「(小塙)もうしわけありませんでした。」「(太田)あれ〜、みょーに変だな〜」「(田中)メロンはだって美味しいじゃないか!」「(太田)美味しくない!メロンは他人の評価によってお前は好きなだけなの!」「(田中)でですね、4月8日の火曜日深夜から、爆笑問題Upsがスタートー!やっほー!!」』 
爆笑問題カーボーイが素敵なところは、毎回、最後の最後にサザンオールスターズの「素敵な夢を叶えましょう」をバックに太田のショートコントがあって、それでブースの中が笑って、歌が流れて終わるところだ。毎回笑い声のあとに少しだけしんみりして終わるラジオはまだまだ続く。

【6位 ゲスト:古館伊知郎/『ラジオビバリー昼ズ(2016.6.13)』】 
 2016年に一番注目した人といえば古館伊知郎なのだけれど、その進撃の狼煙となったような放送。ある意味、さながら韓国映画の『オールドボーイ』のように十二年間監禁されていた男と、70歳に近付いてもなおマシンガンのように喋る男の殴り合いのようなトークの応酬は講談のようで、油断すると振り落とされて、音を聞いているだけになってしまう。
2016年3月末に、古舘伊知郎は十二年勤めた『報道ステーション』を降板し、その最後に、八分ほどの一人語りをしていた。
後任の富川アナへ期待する言葉や、キャスターを勤めることとそのなかで抱えていたであろう葛藤について、淀みなく話していた。例えばそこには本音しかなかったのかどうかを知る術はない。ただ十二年の代償が八分ぽっちだったとも言えるのじゃないかと思うと、テレビという器の有り様について色々と考えてしまう。
古舘伊知郎は最後に、細川たかしの『浪花節だよ人生は』の一節「人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ」を引用し、「死んでまた再生します」と言った。我がに対しては「死ぬための資格を取れ、話はそれからだ。」と思った。
それから古館のテレビ進出は、『すべらない話』の出演を筆頭に、楽しくもある反面、どこかでその他の出演者に対してかかってこい、「殺してみろ」と言っているようにも思える。  
月に一回ではあるものの、古館伊知郎のANNGOLDも始まっているので、2017年はテレビと合わせて、楽しんでいきたい。

【5位 ゲスト:ウーマンラッシュアワー中川、バイきんぐ西村瑞樹『オードリーのANN(2016.4.24)』】
 春日が、ウーマンラッシュアワー中川とバイきんぐ西村でキャンプに行ったら、中川の左手が燃えた話(2016.4.3)を経て、その二人がゲストとして登場した回。
中川は何度もゲストとして来ていたので、そのやばさはリスナーも周知のところではあったのだけれども、西村がブースに来るのは初めてとなる
どうにか西村から何かを引き出そうとする若林のジャブに、西村は「ぼく、誕生日にシビアなんですよ」「わたくしもチャンピオンの一味ですよ」と答えるなどして、登場してからずっと、空ぶかしとフルスロットルのきわをナチュラルに繰りだす。その攻防はたまらないかった。中川の「チャンピオンと言われたら嬉しいけど、チャンピオンじゃないと言われても別に悔しくは無いですよね」もたいがいだけれども。
 番組中、西村の彼女から突然メールが来て、「風呂上がりに血行をよくするためにバレリーナのようにつま先立ちをしている」「ローションを食糧庫に保存している」などが暴露され、西村の彼女に電話までかけるも、彼女の「(西村の好きなところは)まっすぐな性格」で安定のガチャ切りで終了。
 若林の落ち込むことはないですかという質問への「熱めの風呂入って、ちょっとストレッチして、血の巡りをよくしたらすぐ寝れる」という西村の答えは2017年の指針としたい。
 2016年の後半から、ネタ番組だけでなく、バラエティでも、ジョーカー的に出てきてはその底知れなさがピックアップされつつあるので来年も楽しみです。
 おまけとして最後に、瑞樹さん関係で一番はっとした『ダウンタウンなう』でのダウンタウン松本の言葉を紹介します。
「(西村はポンコツだけど)ただあいつは噛まない。噛んだりネタが飛んだりってのがない」。
 
【4位「アルコ&ピースの友達の、ピースとハイライトです。」/『爆笑問題カーボーイ (2016.9.28) 』】
 アルコ&ピースの『アルコ&ピース D.C.GARAGE』の初回放送が終った直後の、『爆笑問題カーボーイ』は番組名物、50分超のOPトークだった。とあることを受けて、太田は、様々なこと、だけれども一点に集約する話をした回。過去にやっていた「太田はこう思う」というスペシャルウィークの企画を彷彿させられた。
はじめは、古館伊知郎と京都へとロケに行った話から始まり、仏教の話へと移る。
 「(仏様が)悟りを開いたときに、あ、この境地を弟子に伝えないといけないってときに、どうしても言葉っていうものが必要になってくる。仏像であったり。でもそれって、どんどん真実から、真理から離れていくんだけど、でも人間ってのは不器用なもんで、言葉ってものを使わないと、それを伝えることができない。それって自己矛盾じゃないですか、言ってみれば。」と太田は言い、それはアインシュタイン相対性理論を思い付いた時のような学問も一緒だと話す。
 そしてそれは、人間は一生かけて赤ん坊にもどるようなもんだと続ける。
 「赤ん坊の時にあー!!って泣いて、出てきたときに、あー!!って泣いて、あれ、苦しくて泣いてるんですか。全部ですよ。あれが全部なんです。苦しみも悲しみも恐ろしさも喜びも、何もかも人間が誕生する生命が生まれたってことを表現しているのが赤ん坊なんです。おぎゃあって泣くのが、あれが全てなんです。でも、あれをそのまま伝えることができないから、人間は言葉を学ぶ。実は俺達がこうやって喋っているのはあの赤ん坊の泣き声なんです。泣き声を分割して、悲しみです、喜びです、苦しみです、ちびです、かたたまです!あらゆるところを遠回りして、おぎゃあに戻ろうとしてるんです。」
 そして、柳田國男の体験を受けての小林秀雄が講演で話した「学問をする人は、こういう感受性がないとやれないんです。民俗学なんてものはこういう感受性を持っている人じゃないと、学問なんてもんは出来ないんです」という言葉を引用してこう続ける。
 「よく勘違いしがちなのは、表現っていうのは、表現の豊かさ、表現のみが大切って思うけど、そうじゃないんです。本当に大切なのは、受け取る側の感受性なんです。受け取る側の感受性を持つ人がどれだけその人の周りにいるかっていうことなんです。だから、どんだけ自分の話を面白いと思って聞いてくれるぐらいに、魅力的な人間であるかっていうことが、コミュニケーションが達者な人なんです。つまり、受け取ろうとする人が多い人、赤ん坊なんです。」
 そこから、爆笑問題の漫才とネタ作り、女の子同士の話、立川談志の「肉体と精神」、三遊亭圓朝の落語作成、『ENGEIグランドスラム - フジテレビ』での三遊亭円楽の「猫の皿」の話になっていった。それは、偶然かもしれないけれど、サザンオールスターズの『ピースとハイライト』にも通じるものだった。
 CMも流さずに太田が話し続けた後に、田中が言ったのは「おしっこしたくてしょうがない」。落語か!!
 
【3位(最終回)春歌アーティストの乱『アルコ&ピースANN0(2016.3.25)』】
 単発放送が2012年なので、足掛け五年に亘って放送したことになるアルコ&ピースのANNシリーズの最終回。放送前の『おぎやはぎのメガネびいき』では、番組のADが、出待ちに備えている有楽町のジョナサンで放送前から待機しているアルコ&ピースのリスナーをレポートしてそれを放送するなど、否が応でも高まっていく。
深夜三時になって始まった最後の放送では、「春歌アーティストの乱」という、アーティスト同士が喧嘩をするという、季節ごとに行われるお決まりの企画が始まる。お決まりだからこそ、常連のリスナーだけで振り切った放送が行われた。
アーティストの乱という企画自体もともと混沌とした生もののメールテーマなのだけれど、最終回というふわついた気持ちの中行われたものだからなのか、「喧嘩したくなったから」という一番やばい理由で復活したゆずの岩沢というカードが飛び出すという最高の出だしを切りながらも、番組のOPの曲名にひっかけたにステレオマン、そこから派生したモノラルマン、CDマン、お味噌汁ごくごくマンが登場し、アルコ&ピース二人が声をそろえて「最後だっつってんのに」と頭を抱える。
結局、優勝は剛腕でねじ伏せるようにキマグレンとなったのだけれど、その時の酒井の「キマグレンだああああ」という咆哮は忘れられない。
最終回が、粘土くらい跳ねなかったという事実は、アルコ&ピースANNシリーズの最終回に相応しく、すがすがしく爆散したと胸を張って言いきれる。
 その前の週の総括スペシャルで終われば有終の美を飾れた気もしないでもないけれど、そんなことは関係ない、そう、僕らはもう、一人じゃないのだから!
 実際、そのまま半年後の10月に、TBSで『アルコ&ピースのD.C.GARAGE』が始まるのだから、たまらない。同番組ではまだまだなりを潜めているけれども、イベントではコロッケの早食いをやるなど、静かに狂っているのでまだまだアルコ&ピースのラジオに夢中になる日が続きそうだ。

【2位 「えー、ドナルド・トランプです」/『爆笑問題カーボーイ(2016.11.16)』】
 太田の母親の告別式の話をOPトークでした回。
 喪主の挨拶で「えー、ドナルド・トランプです」と言ったのが評判悪かったという話から始まったのだけれども、終始ブースは笑いに包まれていた。
 ああ、太田の母っぽいなと笑ってしまったのは、田中は太田の母の印象は煙草を吸っていた姿を振り返ったところだ。
「ほんとに煙草吸ってたわー。お前のお袋の一番のイメージはコタツで老眼鏡かけて咥え煙草で小説読んでる」「細くて長い煙草(モア)をこう吸ってね、灰皿が火鉢みたいになってる。どんだけ、吸うんだよ、お前ら家族っていうさ。」
 太田は、今にも母が亡くなりそうだという時に、そばにいることが出来たという。
「うちのお袋ね、若い頃、越路吹雪さんのLPレコードそれこそ聞いてて、一回でいいからコンサートに行ってみたい。ただ、越路さんのチケットって取れなかったんです、当時。結局越路さんも早くに亡くなっちゃったもんですから。あーでも、好きだったなーって思って、俺確かi-podに入れてたけどどうかなって探したら出てきたんですよ。慌てて耳に入れて、お袋の。でー、『愛の讃歌』。俺もかたっぽで聞きながら、段々数字下がってきて、『愛の讃歌』終って、『バラ色の人生』始まって、ちょっとずつちょっとずつ下がっていって、『バラ色の人生』終わると同時にぴーって息が、こと切れました。これはもうね、息子として見ててもね、立派な女だなと思いました。」
 全く湿っぽくなかったこの放送を聞いている間、太田の優しさをずっと感じていた。そして、優しさというのは、例えば人種や国境だけじゃなくて時間やあの世とこの世の壁を無くすのだと思った。
 感受性の話も、今回の放送も、一貫して爆笑問題らしさが出ていて、そしてそれが1,000回目よりも後のものであるということは、嬉しかった。
 あとは、何度か会って仲良くさせてもらっている方がまさかの『爆笑問題カーボーイ』のメールNo1グランプリで、優勝するということが驚きでは一番でした。プーライ!!

【1位 ♯160/『くりぃむしちゅーANN(2016.6.17)』】
 2008年12月末に、惜しまれつつという言葉では足りないほどに愛されていたにも関わらず終了した番組『くりぃむしちゅーのANN』が、7年半ぶりに復活した。
 長い間待たされていたことによる不安は期待と安心と同じくらいあったのだけれど、
そんなものは、開始から数分で飛び出した「タマキンの中で熟成させていた」「カチコミにいく」「勘で食後二錠よ」という今後二十年は味がするパワーワードによって吹き飛ばされた。そして、リスナーは一日たりとも忘れていない「ガネック」や「例えてガッテン」などを綺麗さっぱり忘れていた上田にリスナーはカリカリさせられたものの、この七年半間、くりぃむANNは続いていて毎週聞いていたような気持にすらなった。
 パネェ質問を上田にやって、コーナー「例えてガッテン」をやって、最後の最後に、有田が歌う銀杏BOYZの「夢で逢えたら」を歌っている間に、あっという間に二時間の放送は終わってしまった。
 「ちょうどこのラジオを聞いている期間はちょど人生のなかでも底だったな」という自分のしょうもない思い出に浸る暇もないほどに、くだらないだけの二時間だった。
 それからしばらく余韻に浸っていたのもつかの間、半年後には♯161(2016.12.6)が放送された。その回では、直前に有田が結婚を発表していたというサプライズもあったり、裏番組の爆笑問題カーボーイでは、麻生久美子verの「夢で逢えたら」も流されるという粋なこともあった。
 ニッポン放送よ〜、またやってくれるわけにはいかないか。

【総評】
今年は、何といってもラジオ業界的にはラジコのタイムフリーとシェアラジオが始まるなどしたという革命的な出来事がありました。
 個人的には、時間を取れなかったことだけでなく、ラジオの音源を聞いているプレイヤーをi-pod touchからウォークマンに変えたことや、実験的にi-pod shuffleに変えてみるなどしたけれどもその変更があまりしっくりせずに、聞く時間が少なくなってしまったことというのが大きかったです。そのため、新しく始まったラジオなどもあまり聞けずに単発の特番をチェックする程度でした。ニューヨーク、三四郎星野源を聞けていないですし。
 エル・カブキについては、マイナビラフターナイトでの優勝を逃してしまったために、特番をするチャンスが手に入らなかったということにがっかりしていたら、「お笑い有楽城」で優勝して、ANNRのパーソナリティー権をゲットして、これから放送される予定であるということが嬉しかったです。
 僕から以上!

エル・カブキ 単独ライブ「年刊実話」感想(アンケートに変えて。敬称略なのは自意識が過剰だから)

 エル・カブキの単独ライブ「年刊実話」を見てきました。
 今年一年一番楽しませてもらった漫才師の久々の単独ライブ、平日開催とか知ったこっちゃねえ、行かなきゃハドソンだろ!ということで行ってきました。
 ライブが始まり、エル・上田が大仁田厚に、デロリアン林が昔のビートたけしに扮していることに気付いた時は、やばい、ビタ一文分からないぞと焦りはしたものの、エル上田が電車での痴漢への護身術としてチキンウイング・アームロックを伝授するという漫才が始まると、不安は一気に消えて恍惚だけが残り、90分間ずっと笑っていた。
 「年刊実話」というだけあって2016年というネタの宝庫の年を、90年代後期から少し前までの芸能界のアラや、インターネット上にスペースデブリの如く漂う一行を添えながら、縦横無尽に駆け巡った90分一本勝負な漫才は、これが空中殺法を超えた四次元殺法というやつかと思わせるもので、一気にこの一年を振り返ることが出来た。
その他のネタは、解散報道から大麻、不倫といったものから、御馴染み、芸能人を掘り下げるものであったりとTBSラジオのラフターナイトで聴いていたものから、単独ライブならではの少し崩したネタまで見られて大満足だった。でたらめな手話を披露したタマサンカ・ジャンティのことを「シュワちゃん」という最高のネタが見られなかったのだけが心残りだった。
 エル・カブキはネタのマニアックさと、毒っけに焦点をあてられることが多いけれど、漫才のテンポもとても心地良い。これは漫才が上手いということもあるけれど、根っこにある爆笑問題が大好きという小さな共通点が共鳴しているような気がして、嬉しくなる。
漫才の合間に流れる幕間映像もよかった。プロレスネタだけでなく、90年代のセンスが爆発している「マネーの虎」のアイキャッチのパロディの幕間映像もよかったのだけれど、特に、水が流れ落ちている滝の映像が流れて、何だと思っていたら、最高のタイミングで「これまでの情報量が多すぎたため、癒しの映像を流しています」というテロップが流れたのは最高だと思ったと同時に、爆笑問題が単独ライブを終えたあとに、見に来ていた糸井重里が楽屋で爆笑問題の二人に「もう少し抑えてくれないと、疲れるよ」と言ったというエピソードを思い出した。
間の緩急で笑いを取る漫才は何千本と見てきたけれど、情報量の緩急で笑いを取る漫才は始めてみた。
実際笑い疲れてしまって、不意に時計を見てみた時に、一時間しか経っていなかったのには得も言われない興奮を覚えた。
 エル・カブキの漫才で、「そんなわけねえだろ!」とか、「バカなこと言うなよ!」という類のツッコミが出ないのは、デロリアン林が本当のことと、言わないでもいいことしか言ってないからで、エル上田はそんな林のことを否定しない。誰にも伝わらないだろ、という点でのみ、咎めている。彼らの嘘のない漫才は、つい先日も職場で隣の席の女性に「土人って言葉を放送している時点で、言っていいってことになりますよね」と言って苦笑いされた自分にとってはとても優しく、職場で冗談を言った後に、すぐに「や、嘘ですけどね」と間を極度に恐れる前座の落語家のような早さで保険を打つ自分にとってはとても格好良く見える。
 終演後は、普段は書かないアンケートに内容のない感想を書きなぐった。 
 その後は友人と合流し、居酒屋で、ビートたけしがタイタンライブで演じた「人情八百屋」の深読みから、バナナマンの単独ライブ「Pepokabocha」、爆笑問題の「歳時記」とかの話を、エル・カブキの漫才に当てられたこともあって、たかだかレモンサワーを二杯飲んだだけのくせに野弧禅の如くに一方的にまくしたてるように話した。
 そんな二時間ほど飲んで、西武新宿線の駅の近くに取っていたホテルへと向かっている帰りに、すれ違った集団を見ると、エル・カブキの二人と、若手と思われる人達だった。
迷ったけれども、この偶然を逃すよりはと、声をかけて、単独ライブが最高だったこと、また来年もやってほしいことを伝えた。
すいません嘘吐きました、緊張して挙動不審になって言いたいことを全く伝えられなかったです。ANNR楽しみにしています、とくらい言えば良かったな。

春が来た!俺はオードリーが爆笑問題の太田さんにスーパーボウルの帽子をプレゼントしていたという情報だけで、新年度を晴れやかに迎えられたぞ!!

 仕事帰りに寄ったコンビニでアイスを選んでいたら、中学生もアイスを買うために横に来た。それを見たその女子の友達が「冬なのにアイス買うの?」と聞いて、「うん、まあ」みたいに明確に答えなかったその女子に対して「わかるよ、冬でもアイスは美味いよな」と思ったのと同時に友達の方には「世の中には一年中アイスを食べないと生きていけない人種がいる」ということを強く訴えたかったけれども、そうすると意味が分からないし、その友達のほうもセックスを覚える季節に自ずと知ることだろうと思い、バニラ系のアイスクリームを手に取った。
そんな冬を乗り越えて、4月が来た。
新年度はバナナムーンのエンディング曲でかけられた松任谷由美の「春よ、来い」を聞いて、今更ながらその天才性に震えてしまったことと、新しいグループへの移動から始まった。仕事自体は変わらないのでそこに問題は無いけれど、移動したグループの女性陣が、挙動や声がエロすぎる人妻、真面目な人妻、非正規雇用なのに仕切っている女、かわいこちゃん後輩、未知数の新規採用という多牌な状態に今から戦々恐々としている。男性陣は、移動に当たってその同期から評判を聞いたら出世欲が強い人と、いないことが多い班長、俺は俺でやはり頭がおかしいので、始まる前から終っている逆キッズリターン状態。
 ツイッターを見ていたら、相互フォローの方が行ったライブの話をしていた。「中MCで上田さんが『最近ラジオリスナーがファンになってくれる。先日も沖縄から来てタイタンライブを観た次の日にエル・カブキを観にインディーズライブに来た人が出待ちをしてくれた』という話をしていて、それが完全に芽むしりさんの事で興奮しました。」ということに、路上アンケートを受けたときほどにこちらも興奮してしまった。実際に自分のことですし。恐らくその方がそのライブに行っていなかったら、千川という土地の風の文学となっていたことでしょう。
 エル上田さんといえば、こちらもツイッターで「全部敵で全部味方という謎の感覚が身に付いた最近だからこれで良いような気もした。」と言っていた。
 俺も「ロンドンとパリを見ているから」というワードが受ける飲み会に助けられながらもその関係性に甘えることはしないようにしようと思った。
新年度スタートです!

小説を某新人賞へと応募した

先日、ここ半年くらい手をつけていた小説を某新人賞へと応募した。
普段思っているようなことやツイッターの再放送みたいなことを文章にして、それだけではなんだからと誤魔化し気味に完全な創作を加えて、無理やりにジョイントさせてみたオリジナルの小説。どうなるかは分からないし発表も忘れた頃に出るという位に遠いので、手応えあり、ぶぱぱぶぱぱぶっぱー!という感じでもないので、何ともいえないふわっとした気持ちになっている。
今まで小説を書いてみようという気持ちはあっても何を書けばいいのか全く思い付かない、書きあぐねているという状況で年齢を重ねてきたわけだけれども、あれ、これをこうすればそのまま小説のていを成させることが出来るんじゃないかと思い立って書き出してみた。
ブログとは全く違う筋力を使うような作業を経て少しだけ書いたものは、粗筋のようなただの文章で度肝を抜くくらいつまらないもので驚いた。
そこからは、自分で大喜利の問題を出してはそれを解くという作業をずっと続けるという日々だった。仮に才能の片鱗があるとしたら、仕事から帰宅して寝るまでの数時間取りかかることが全く苦じゃなかったというところだろうか、なんて自分を鼓舞しながらだったので、楽しかった。楽しかったと言えば報われなかったとしても良しという保険になってしまうのでこれくらいにしておくけれど。
途中途中で詰まった時に、「あれ、他の小説ってどんなやって書かれているんだっけ」と本棚の本を取り出して読んでみると、これがまあ新鮮な気持ちで本を読めたりして、それも小説を書いてみて気付けた。
何にせよ、好きなジャンルのオリジナル作品を作るということで単純にオススメな娯楽の一つだなと思った。

石をつかんで潜め

タイタンライブを見終わった後、同行してもらっていた方と、サイゼリヤに寄ることにした。普二人とも、「たけし見れてよかったですねえ」としか言えないようにぼーっとしたままだった。それから別れて、翌日は新宿で「ココからコレからvol8」見てきました。
去年はバナナマンの単独ライブを見ることが出来たし、爆笑問題の漫才もオードリーの漫才も見てきたし、ビートたけしの落語を見たんだったらこれ以上お笑いって見るものなくないか、と思いながら、「俺はお笑いファンとして余生に入った・・・・・・」とぶつぶつ言いながら見た余生で最初のお笑いは、小島よしおが二体のマリオネットを駆使したネタ「小島リオネット」で、最高のスタートを切れた気がした。
 「ココからコレから」はエル・カブキがゲストに出るということで見に行ったライブだった。エル・カブキはTBSラジオのラフターナイトによく出ていてそれはもう美しい漫才をしているのだけれども、やっぱり最高だった。
どこが最高だったかというと、デロリアン林は、バレンタインではバイト先の子からサラミをもらうという話をした後に「サム・ライミじゃないですよ」と言ったり、企画の時に舞台上がる時に、MCがツイッターと言ってるのを聞いて、「ちょっと〜、古いよ?まだ山路さんの話してるの?」と言ったりと、返す返すも最高だった。
漫才はXJAPANの面白いやつ「運命共同体」や、東京フレンドパークの面白いやつ「来園者」などが飛び出していた。
 ライブが終ったあと、品のない行為だということは知りつつも、共産党議員を刺殺した極右の青年(沢木耕太郎『テロルのすべて』より)の気持ちでエル上田さんを出待ちした。先に綺麗な女性からチョコを貰ってるのを見たので「すいません、チョコないんですが」と俺がつまんないことを言ったら「じゃあダメだよ」と優しく返してくれた。
 東京に住んでいないので、「ラフターナイトでしか漫才は聞けていないけど、大好きだ」ということを伝えたり、そのほか個人的に胸が熱くなる話を聞けたりして、最後に写真を撮ってもらった。俺は鈴村あいりと同じくパブ解禁していないし、自分でも見た事ないくらい気持ち悪い顔して笑っていたのでアップは出来ないけれど、良い思い出になった。
話している間は終始恥ずべき対応だったが、エル上田さんに「大学生?」と言われて、「え?そんな若く見えます?」としょうもない返しをしたのは、俺の中のカキタレ根性が出てしまったのかもしれないと思って、小諸そばであじ天そばを食べながら、悔いた。
家に帰って改めて、写真を見返すと本当に尖りの欠片もない顔をしている自分がそこにいたので、ちょうどいい機会だと思って30過ぎて「俺だって日藝中退したかった」もないだろ、と思って、ブログのタイトルを「石をつかんで潜め」に変えた。
これも『芽むしり仔撃ち』からの引用のようなものなので、結局は何かを纏ってお笑いを見ていくだろうな、と思った。
 

タイタンライブ20th記念公演行ってきた。

タイタンライブ20周年記念講演に行ってきました。二日にわたったその公演は建国記念日から始まるという最高にオシャレなジョークだった。
出演者はタイタンからは長井秀和瞬間メタルウエストランド日本エレキテル連合、ゆりありく、ネコニスズ、ミヤシタガク脳みそ夫が、ゲストは、厚切りジェイソンメイプル超合金、シソンヌ、ハライチ、博多華丸・大吉アンジャッシュ、ナイツ、サンドウィッチマン、BOOMER&プリンプリン、村崎太郎パックンマックンアンガールズインスタントジョンソン東京03つぶやきシロー、流れ星、パペットマペットだった。目玉は爆笑問題の同期であり盟友の松村邦洋の出演、そして、期待の新人O2T1と、登場間際までシークレットだったスペシャルゲストだった。
 ライブのオープニングは、タイタンライブが始動した1996年からの流行語と当時のライブの写真が交互に流れるというものだった。その最後の最後に、タイタン所属のエレキテル連合の「ダメよ〜ダメダメ」が出るという、これ以上のないオープニングで、思わずエンディングかと勘違いして帰りそうになってしまった。
 手コキもののAVしか見ないというニッチな性的志向を持っている人間なのに何でこんなにあるあるの精度が高いんだと思わせるつぶやきシロー、900人ほどの観客の前でも地下ライブのような怪しい雰囲気を醸し出すコントをやるシソンヌと日本エレキテル連合、M1で惜敗した後に「ポップになりたい」と言っていた割には女将が庭に吊るされているというネタを披露したハライチを始めとした一流漫才師の面々の値千金の漫才、端々から性格の悪さが滲み出ていた村崎太郎、それに負けていないタイタンメンバーとどのネタも素晴らしかった。
タイタンライブでは、登場する芸人には出囃子の代わりにエピグラフが用いられる。それは全く関わりのない小説の一節が、その芸人のために存在しているかのように思えるほどに、イメージや芸風に合致する。例えば、博多華丸・大吉エピグラフは、吉田絃二郎の『八月の霧島』の「博多は夜の町である。夕焼けの空の色と雲の色がこの上もなく美しい。すべての建物も人の言葉も人の姿も、一つの柔かなリズムの中に律動してゐる。」というものだ。
爆笑問題とは太田プロ時代からの付き合いである松村邦洋エピグラフは、フランツ・カフカの『変身』の「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目覚めたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。」だった。古典の名作の名文をあてられるところに、爆笑問題と松村の関係性の深さが物語られている。
松村はビートたけし小日向文世西田敏行の「1人アウトレイジ」を始め、阿部寛の「下町ロケット」、津川雅彦木村拓哉堺雅人中尾彬とモノマネの対象が朝起きたグレゴール・ザムザのように切り替わっていくその藝はキチガイじみていて最高だった。特に伝家の宝刀「織田信長オールナイトニッポン」と、ビートたけしとの「顔面麻痺のたけしを真似していたら楽屋に呼ばれて、さすがに怒られるかと思ったら、『(麻痺しているところが)左右逆だよ』と怒られた」という最高のエピソードを見られたのは嬉しかった。予習していなかったことを後悔していた「真田丸ネタ」はまだ練習中ということで全く仕上がっていないのには大笑いした。
多幸感のまま迎えた二日目の目玉は、期待の新人「O2T1」とスペシャルゲストだった。スペシャルゲストについては、あの人だという予想は出来ていたもののそれが外れた時のショックが大きかったのでコント赤信号か解散したキリングセンスの復活だろうということにまでハードルを下げていた。
O2T1にしてもスペシャルゲストにしても、O2T1は、爆笑問題と社長であり太田の妻・光代が漫才をやるんじゃないかとか、往年の名作「進路指導室」をやるんじゃないかとか、予想は錯綜していた。そして実際は、O2T1は「進路指導室」ではなく新作コントで、スペシャルゲストはビートたけし改め立川梅春だった。それはまさに爆笑問題の誠実さだった。 
O2T1のコントは、舞台が明るくなると、上下グレーのスウェットでそろえた田中が椅子に無表情で座っているところから始まる。そこに、同じ衣装の太田が水筒を持ちながら登場してくる。太田は陽気に田中に話しかけるけれども、田中は仏頂面のまま無視を決め込む。同じような状況がしばらく続いた後、突然田中が「どうして起こしたんだ!!」と太田を怒鳴りつける。
そこから、二人がいるのは宇宙船の中で冷凍睡眠中だった田中は太田に起こされて怒っていること、田中と太田は核廃棄物を地球から宇宙船で遠い惑星へと捨てにいくという任務の途中だったことが明かされていく。
その星へは、片道百年かかるので冷凍睡眠装置に入っていたのだけれども、手違いで途中で起きてしまった太田は、田中を起こしたという。それから太田は絶叫する。「寂しかったんだよおおお」「寂しかったの!!」。ここまでの長いフリを経て飛び出た、地団駄を踏みながら発せられたその台詞で会場ではどかんと笑いが起こるも、やっぱり、日本大学藝術学部の受験で一人で騒いでいたという三十年以上前の太田のエピソードがよぎってしまい、泣けてしょうがなかった。
そこからまた話は二転三転していくが、その中でもナンセンスな動きをしてはしゃぎつづけても、コントを全く邪魔しない時事ネタの使い方に笑いながらうっとりしていた。30分近く演じていたSFコント「冷凍睡眠」は、人間の間抜けさをどこまでも愛するという太田の優しさが詰まったものだった。
そういえば、爆笑問題はそもそもコント師だった。『ボキャブラ天国』もコントだし、『爆チュー問題』なんて最高のシットコムだ。田中が台詞を覚えられないから、ということで漫才師に転向したのであって、そのままコントを続けていたら、もしかしたら同じく超一流のコント師バナナマンが漫才師としてラママの舞台に立ち始めたんじゃないかという別のお笑い史を妄想させるくらいの磁場を持つほどに一、超一流の漫才師でありながら一流のコント師だったということをすっかり忘れていた。
爆笑問題の漫才が終わったあとに、太田光が好きな作家・司馬遼太郎の『新史太閤記』の一節がエピグラフとしてスクリーンに映し出されて、その右下の「立川梅春」の文字に会場はどよめく。立川梅春は、ビートたけしが今落語をやる時の口座名だ。出囃子の「梅は咲いたか」が鳴り、着物姿のビートたけしこと立川梅春が舞台上に設置された口座に向かって歩いている。 
予想は出来ていたものの本当に現れたビートたけしを見て、「たけしってまじでいるんだな」という思いを抱きながら、舞台を凝視した。ぼそぼそと亡母さきの思い出を話し始めて、「家出して住み始めたアパートの家賃をずっと払ってくれていた」「暴力事件を起こした時に『あんなやつ死刑にしてください』と言った」「無心していたお金は実は全部たけしの名義で貯金していたという」全部聞いたことある話だったのだけれども、声のトーンや、「おい、たけし見てるぞ」という感情で涙が溢れた。
その亡き母の話をマクラに「人情八百屋」を演じ始める。「人情八百屋」は、両親が自殺してしまった二人の子供を人の良い八百屋が引き取るという噺だ。それは立川談志が演じていたものでもある。笑える話も出来るけど、談志師匠もタイタンライブで人情噺をやったから、とこの噺を選んだという。
梅春の声だけを聞いていたいという思いで目をつぶったり、一挙手一投足を見逃したくないので舞台を凝視したりと色々な感情が綯い交ぜになっている中で、ずっと感じていたのは切なさだった。梅春の「人情八百屋」は客席に向けられているというよりは、落語を繰りながら亡母であるさきさんとの思い出をなぞる独り言のようだった。
落語を終えたたけしが口座の上で足が痺れていると、爆笑問題が飛び出してきて、「これは事件ですよ、フライデー事件以来の!」と叫んだ。
 そこからエンディングとなった。タイタンライブの構成は、全出演者通してネタを見せた後に、エンディングの告知コーナーで爆笑問題と出演者が話すというとてもシンプルなものになっている。
太田に股間を触られ続けても動じず、「縁起ものですからね」と返すメイプル超合金カズレーザーにテレビスターとしての底知れない資質を見たり、「小保方だろ」「清原だろ」「野々村だろ」と渦中の人の名前で太田に雑に「児嶋だよ!」を振られると困惑しながらせめて「せめて大嶋から始めろよ、後は何でもいいから」と言っていたアンジャッシュ児嶋や、楽屋では「今日もすれ違うんだろ?」と爆笑問題の二人にいじられるわ、グルメ本の出版の告知をしたら客席が変な空気になるわで散々だったアンジャッシュ渡部を鼻と腹で笑ったりした。
ビートたけしに「紳助さんに怒られた東京03です」と太田に紹介された東京03飯塚は飯塚で、突然前に出てきて「TBSに一般の人向けの感謝祭のセットがあって『感謝祭を体験してみよう!!』と書いてあるんですけど、『もう体験したいわけないだろ!!』・・・・・・って思いました。」と披露しようと準備していたという漫談を披露した。
同じように時事漫才をするので最近ネタ番組で一緒になるとネタを確かめ合うというナイツとは、「今日は清原を譲りました」というやりとりを聞けたと思ったら田中から「明日はベッキーをやります」というよくわからないネタばれも飛び出たりもした。時事ネタといえば、博多華丸・大吉は、漫才の頭に今回のために作られたであろう華丸が「時事ネタをやりたい」と言いだして結局失敗するというパートをやってくれて、それは漫才師にしか出来ない敬意の表し方だった。 
特に印象深かったのは、エンディングでは、脳みそ夫はタコ口で「たけしさん、こんちわーす。たけしさんにお会いするのが目標だったので、めちゃくちゃうれしいーす」と、インスタントジョンソンゆうぞうは「落語おつかれちゃ〜ん」と思い思いボケる中、日本エレキテル連合のクレイジーな方、中野はすでに泣いていて「舞台袖でたけしさんと爆笑問題の三人が話している姿を見て、なんて平和なんだ」と感動を露わにして、一斉につっこまれていた。その時会場は笑いに包まれていたけれども、「笑うところじゃねえ!」と荒ぶってしまった。あと相変わらず相方の橋本のTシャツ姿はむちむちしていてエロかった。
そうして、二日に亘った祝祭は幕を閉じた。
あまりに幸せで、夢になってしまえなんて思って帰りのサイゼリヤでお酒を飲んだりした。