石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

鈴木もぐらの恋は永遠、愛はひとつ。『空気階段の踊り場』「駆け抜けてもぐら」感想。

 2018年最大の深夜ラジオでの事件、『空気階段の踊り場』での「かたまり号泣プロポーズ」から半年ほど経ったが、最近の踊り場は、鈴木もぐらが都営団地の抽選に外れてしまったために実家に帰ることになったり、もぐらが愛する実の妹に縁を切られた疑惑が生じたり、水川かたまりがラジオのブースに手作りのカレーを持ってきて、もぐらにふるまおうとするも拒否されたり、かたまりが筋トレを始めたりと、相変わらず報告の多いドキュメンタリーラジオではあるものの、比較的平穏な放送が続いていた。一番のニュースと言えば、名物コーナー「あんちゃんあそぼ」が、家族バレで終わるというAV女優の引退みたいな理由で終了してしまったことくらいだった。
 ラジオ以外の仕事はどうだったかというと、『有吉のお饅頭が貰える演芸会』に出演してネタを披露し、普通の饅頭六個とピンクの饅頭を貰い、『爆笑オンエアバトル20年SP』のなかで行われた「爆笑オンエアバトル2019」に出演し、過去の出場芸人たちが審査員になったこと以外は当時と全く同じシステムで、541KBという、満点には球一個だけ及ばなかったものの、俗に言う「オーバー500」をという高得点をたたき出し、オンエアを一位で獲得した。また、渋谷にある∞ホールのネタバトルライブでも一位となるという、着々と芸人としてステップアップしていることが手にとって分かるくらい順調で、踊り場リスナーとして、空気階段を追っかけていて本当に楽しい半年でもあった。
 余談だがもぐらがもともと住んでいた家は狭く、親子三人で暮らすには狭いという理由から、まだ妻と子供は妻の実家にいるため、子供には三回しか会っていないという。そのことを踏まえて『爆笑オンエアバトル2019』のネタ前のVTRのもぐらの「奥さーん、息子ー、パパ頑張ったぞー」というコメントは味があり過ぎるし、そのときの陣内智則の「まだ31歳なん、パパ頑張れ」というコメントは味が無さ過ぎた。作家が書いたにしては陣内に寄り過ぎているし、陣内本人のコメントにしては感情がなさすぎたあのコメントは誰の意思だというのか、考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。 
 僕はと言えば、今の空気階段を生で見ておきたいという一心から、ラジフェス2018に参加し、その帰りに新宿の居酒屋で、同行していたリスナー仲間と空気階段の未来を話しあい、『この空気階段がすごい!』というライブを見にいっては空気階段のネタの変遷と、他の芸人に褒められているところを見に行ったりしていた。借金があるもぐらが借金取りをやるのはおかしいという理由で封印されているネタも見ることが出来た。
 そのライブで聞いた最高のエピソードとして、「この芸人が面白い、という噂話の中心には、いつもモダンタイムスのとしみつがいる。少し前から空気階段がめちゃくちゃ面白いという噂も広まっていて、特にとしみつがその噂を広めていたという。そのことを知ったかたまりはいつかお礼をしたいとぼんやりと思っていたのだが、そんなある日、客として入った上野の個室ビデオで、受付の店員のバイトをしているとしみつを見かけた。さすがに今じゃないと思って、声をかけなかった」というのがあった。いつか、この伏線もどこかで回収してほしい。
 そして四月。改編を乗り越えて、番組が継続することを知って安堵していた矢先に、またもや、ドキュメンタリーラジオとしての『空気階段の踊り場』が炸裂した。
 それは『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』に銀杏BOYZ峯田和伸が出演していたところから始まる。体験談をカルタにするという企画「カルタ争奪戦」に出演した峯田は、「さ」のカルタで「再会して感動したぜとあるファン」という読み札を作ってきていた。
そのエピソードはこうだ。
 「10数年前なんですけど、どのライブ会場にも見に来るみたいなお客さん、まあこういう方いらっしゃると思うんですけど。で、そいつまだ高校生で、学校休んで、俺らがツアーとかで東北とか行ってもいるんですよ。泊まるところないっつって。だからじゃあ部屋に泊めてたりしたんですよ。で、しばらくしてから会わなくなって。元気でしてんのかなーと思ったら。ひっさしぶりにメール来まして。去年。『実は吉本で芸人やってます』。で、自分がいっぱしになって、今度単独をやれる感じになったら、それまで峯田さんに連絡しちゃいけないと思って黙ってましたつって。今度単独やるので見にきてくださいつって見に行って来たんですよ。すごく面白くて。芸人が空気階段ってコンビなんですけど。パンパンですっごいびっくりしました、面白かったです。嬉しいです。」
 まず、この峯田の話を聞いた時に、踊り場リスナーは全員こう思っただろう。「もぐら、音楽聴くの!?」と。それくらい、もぐらには音楽のイメージが無い。踊り場で流れた印象的な音楽と言えば、水川かたまりが元彼女に振られて号泣して、プロポーズしてまた振られたという「水川かたまり号泣プロポーズ事件」のテーマソング、Superflyの「愛をこめて花束を」くらいだったからだ。
 このニュースを聞いてから、心待ちにしていた、この週の『空気階段の踊り場』は、その期待を裏切らない、むしろ超えてきた本当に最高な回だった。
 これまで銀杏BOYZのことを話さなかった理由を、もぐらは「俺が中途半端な状態で、銀杏BOYZの峯田さんとすごい仲良くさせてもらってと言うことによって、なんかその銀杏BOYZに迷惑がかかったりだとかもやだし、借金600万のどうしようもねえやつが聞いてる音楽みたいな、ってなるのもやだし、俺らみたいなもんがそういう銀杏BOYZって名前を出して、注目されるみたいなのも、やだというか。それもなんか違うなというか。そういうの関係なしに、いっぱしになってね、共演できたら、嬉しいなっていう思いはあったんですよ、俺の中でね。でも、今回はだから峯田さんがね、もう峯田さんの方から俺の名前出してくれたんで、こちらをお送りしたいと思います。『駆け抜けてもぐら。僕と銀杏の青春時代』。」と話し、自分がどういう青春を送っていたのかを話し始めた。
 そんな、かたまりにすら言っていなかった、十何年も大事に心の奥底に鍵をかけて閉まっていた話が、ひとつひとつ出てきたのだが、それの全てが最高だった。お金にだらしなくて、クズで駄目なもぐらだが、ずっとこの大事な思いをずっと守っていたのだった。
 もぐらは、童貞で卓球部でデブで田舎に住んでいた中学2年の時に、銀杏BOYZの前身バンドであるGOINGSTEADYの『さくらの唄』を始めて聞いて、味方が出来たような気持ちになったという。
GOINGSTEADYの解散を知った時のもぐらの話を聞いた時、恐らく、リスナーみんなの頭の中に、自分が解散を知ったときの風景が思い浮かんだであろう。僕は、高校の売店の前で昼休み時に、生徒がごった返す中、部活の後輩から聞いて驚いたことを覚えている。
 高校生になってバイトしてライブに行くようになったもぐらは、出待ちもしていたりして、次第に銀杏BOYZのメンバーに顔を覚えてもらうようになったという。その中で、もぐらはすでにもぐらだったという、かたまりも知らなかった衝撃の事実も飛び出す。
 もぐらという芸名が、銀杏BOYZのHPのBBSで使用してたハンドルネームに由来していて、それは、朝なかなか起きられなくかったもぐらが、母親に「お前もぐらに似てんな」と言われたからだそうだ。もぐらが、そんな名前を芸名にまでしていたという事実が、もう素晴らしい。
 ある時、横須賀でのライブを観に行った時に時間を潰すためにライブ会場の近くをぶらぶら歩いていたら峯田とドラムの村井守に会った。少し話をした後、「もぐらさぁ、本物のハンバーガー食ったことある?」と誘われて一緒に「本物のハンバーガー」を食べた話をした。「本物のハンバーガー」というのは、ファストフードなどのハンバーガーではなく、お店で食べるようなもののことで、この「本物のハンバーガー」という表現が、峯田の上からではなく、ちょっとカッコつけた先輩のような感じが出ていて凄く良いなと感じた。
 続けて、高校二年生の時の恋を話し出す。
 「俺塾通っていたんだけどさ、そこにいた子が凄い気になってたの。1個上の子なんだけどね。好きなんだけどね、俺も思いを伝えられないみたいな。壊れちゃうんじゃないか、みたいなね。告白したらこの関係が、みたいな。でもこの気持ちを誰にも言えないし、もやもやしてるし、っていうのをもう夜になっても眠れないし、考えて、がちゃってやって外でて、叫びてえけど家団地だから叫んだら怒られるし、どうしたらいいんだ俺はこれはーつってこのもやもやはーつって、あの子に会いたいんだ俺は一緒に手をつないで歩きたいんだ俺はーつって、幻かもしれないけれどそれでもいいんだって言って、ヘッドフォンをつけて聞いていたのがこの曲です、『駆け抜けて性春』」
 綺麗な曲フリで流れた『駆け抜けて性春』を聞いていた間、泣きそうになりながらも笑いが止まらなかった。その後には「弘前のライブに行ったら、峯田が泊まっているホテルの部屋に停まって一緒に寝た話」まで飛び出した。
 それから10年経ってまた運命の歯車は回り出す。
 もぐらは芸人となって、元芸人のひとりと、鬼越トマホークの坂井と居酒屋で飲んでいると、偶然その店に峯田が入ってくる。もぐらは気付くも、声をかけられずにいると、酒井が峯田に気付く。声をかけて写真をとっていると、峯田が「あれ、もぐらじゃない?」ともぐらに気付く。「どうしたお前。何してんだ今。」「実は、吉本で芸人やってて」「そっか。頑張ってんだな」と言葉を交わした後、峯田は「ていうかさあ、いつでも連絡して来いよ、俺のメールアドレスわかるだろぉ。」と言ってくれて別れた。
それから半年して単独ライブが決まり、もぐらは悩んで悩んだその結果、単独ライブの当日、峯田に単独ライブ招待のメールを朝の4時に送る。すると、すぐに峯田から返信がきた。「当日の朝4時に来てほしいつってこうやってメールしてくるお前のことが俺は好きだ、明日予定空けて行きます」というメールには、思わずかたまりも「かっこいい、かっこいいよぉ、かっこいい、うぁー、かっこいい、かっこいい」と語彙力が無くなるくらいに少し泣いてしまう。
 峯田はものすごく記憶力が良いらしいということを噂で聞いたことがあったが、10数年前に交流があったファンの一人を覚えていて、こうやって気にかけてくれるという、これってまさに『漂流教室』の「今まで出会えた全ての人々にもう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう」じゃないか。
 もぐらが話した全てのエピソードの中の峯田が、峯田のまんまだったのも、嬉しかった。
 あの時の僕たちは本気で、「ときめきたいったらありゃしない」と思っていたし、「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」と思っていたし、綾波レイが好きだと言っているだけでその女の子を好きになっていた。何かになれると思っていたし、何にもなれないんだろうなとも分かっていた。
そんなことを、もぐらの話を聞きながらずっと思い出した。
 峯田が、もぐらの話をダウンタウンの前で話したということにも意味はある。
それは、そこから遡ること三年ほど前の2016年5月に、『HEY!HEY!NEO!』という『HEY!HEY!HEY』の後継番組に、峯田は銀杏BOYZ峯田と出演し、ダウンタウンと初めての共演を果たした。そこで峯田は「今38ですけど、僕の全てはお二人のお陰と言いますか、今日ですね、ダウンタウンさんの番組に、あの、初めてお会いしましたけど、僕は会ってましたよ、ずっと。僕はずっと会ってきたんですよ。」「僕は音楽はじめまして20年経ちますけど、辞めたいなと思ったりとか、彼女にいろいろ上手くいかないときとか、なんの映画も見たくないし、音楽も聞きたくないっていう、どうしよっかな山形帰ろうかなって時に、ダウンタウンさんの、僕、ほとんど全番組あるんですよ。山ほどあるんですよ、VHSで。つらい、きついときは、ほんとに二人が、あの、あの僕を、何て言うんですかね、どんなものよりもダウンタウンさんが二人立ってらっしゃって、で、そういうのだけで僕は救われたというか、もうほとんど僕の全部、なので、そういうお二方と実際に会うということは、僕の中であのその、バグってしまうというか。ファンなんですとかあるじゃないですか。あのそういう生易しいものではないんですよ、もう。僕の中にあるんですよ、二人が。いるんですよ二人が。」とつっかかりながら、ダウンタウンの全番組を録画して保存しているという峯田は思いのたけをぶつける。ここをギュッとしたのが、『恋は永遠』の「病んでも詰んでも賢者でもバグっても月面のブランコは揺れる今も」だ。


 その中での松本の「銀杏の中や。めちゃくちゃくっさいやつやんけ。くっさいやつや、うんこみたいな匂いするやつや」という返しは本当に良かった。
 ミュージシャンとして音楽番組に出演し、神に近い存在の人たちとの共演をつかみ取った峯田が、今度はダウンタウンのバラエティに出て、お笑い芸人である、もぐらの話しをした。心の中にくっさいものを持っていた峯田が、ダウンタウンによってそれと向き合うことが出来たのと、恐らく同じように、心の中のくっさいものをGOINGSYEADYや銀杏BOYZによって浄化し昇華し、対峙し退治することが出来たであろうもぐらの話をしてくれたのである。バトンが繋がったとてつもなく美しい瞬間を見ている気がした。
 『ギンナンショック』という本がある。上下二冊に別れたこの本は、銀杏BOYZが出した、写真やインタビューなどが載っているものでかなり濃厚なものとなっていて、銀杏BOYZに熱中していた時期がある人たちが一度は手に取ったことのある本だ。もちろん、僕の本棚では未だに一軍の位置に鎮座している。そんな十年以上前に出版された本に、一人の銀杏BOYZのファンが寄稿したコラムが載っている。「ゴイステは支えであり、味方であり、僕自身」と題されたその文を書いた人物の名は鈴木翔太、のちの鈴木もぐらである。
 GOINGSTEADYとの出会いから、GOINGSTEADYの解散を知って傷つき、解散を受け入れることが出来ないまま、銀杏BOYZのライブを見に行き、そこで初めて銀杏BOYZを受け入れることが出来た話が書かれていた。それは、まさに何かに熱狂している真っ只中で十代特有のどろどろとした自意識に塗れながらもがいている十代にしか書けないような、今にも暴発しそうなくらいギンギンに勃起しきっている文章だった。それから十年以上の時を経て、何者でもなかった鈴木翔太の話を、芸人となった鈴木もぐらが「峯田さんが言ってくれたから全力で乗っかりますよ」と笑いを交えながら、話してくれた。全ては巡るのだ。
 もぐらはこのコラムで、初めて銀杏BOYZのライブを見に行った2004年2月29日日曜日、渋谷O-EASTでのライブのことをこう書いている。
 「ライブが始まった。凄まじかった。僕は客席の真ん中辺りで揉みくちゃにされながら汗だくで僕を叫んだ。銀杏BOYZのライブを観た瞬間、僕は無意識の内に銀杏BOYZに対して僕をぶつけた。純粋なかっこ良さ、とんでもなくデカい、会場全体を覆ってぐるぐる動く狂気、そしてその狂気の中に小さく見える、強く光り輝くとても眩しい愛。」
 2016年7月8日土曜日、名古屋のDAIAMONDHALLで行われた銀杏BOYZの「世界平和祈願ツアー」を見に行って、揉みくちゃにされながら、「夢で逢えたら」を熱唱、いや、絶叫していたあの瞬間の僕も、峯田に向かって僕を叫んでいたのだ。もぐらの文章を読んではじめてそう気付かされた。そういえば、『内村プロデュース』が終ったあとの次に同じ時間帯で始まった、面白いことが分かりきっていたはずの『くりぃむナントカ』をしばらく見ることが出来なかったりもした。
 このコラムを書いた後、ただの銀杏BOYZのひとりのファンというだけで何者でもなかったハンドルネームもぐらは、一浪して大阪の大学に入学して、オチ研に入って、銀杏BOYZのライブに行かなくなって、大学を中退して、風俗の無料案内所で働き、風俗で童貞を捨てて素人童貞になって、風俗嬢に恋をして、偽名を使っている風俗店のオーナーからお金を借りてよしもと興業の養成所に入って、その間も風俗とギャンブルで借金を膨らませながら、慶応大学を二カ月で中退した水川航太と出会って、空気階段の鈴木もぐらとなった。そして、そこで峯田と再会する。そんな空気階段のエピソードゼロは、そのまま、峯田のカルタの話へと戻っていく。
 『空気階段の踊り場』の「駆け抜けてもぐら。僕と銀杏の青春時代」は、ラジオを聞いて20年近く経つが、半年程度の間に2回もこんな人生の全体重が乗っかった回が放送された番組は記憶にないし、これからもなかなか現れないだろうというくらいに、ものすごい回だった。
 僕たちは、今まさに空気階段にときめいているったらありゃしない。ラジフェスの会場で、一日中立ちっぱなしでふくらはぎに乳酸が貯まりきった状態で聞いた、かたまりが「やさおじでしたー!」と叫んだ瞬間の爆発したような大きな笑い声は忘れられない。
 「駆け抜けてもぐら」はこれから「駆け抜けて空気階段」となって、爆売れしてさらに駆け上がっていくだろう。そして、村井守が働いているケイマックスが制作したバラエティで、横須賀に行って「本物のハンバーガー」を食べてお揃いのスカジャンを買いに行くというロケを見られるに決まっている。
 その日まで、もぐらの心の中のブランコはずっと静かに揺れ続けるのだろう。
 ご清聴ありがとうございました!
 あ、オンバト復活SPで、空気階段のネタに唯一、玉を転がさなかったの、カンカラらしいです。

 

シニカル気取りのバカ、あいみょん聞いてセンチメンタルな気持ちになる前に、てめぇを人間にしてくれた方々への感謝の意を伝えるのが先だろ。

あいみょんの「瞬間的シックスセンス」を借りた。泥目線の34歳にあるまじきこの行為には理由があって、youtubeで公式チャンネルで「マリーゴールド」と「今夜このまま」のPVを見ていたらやたら何度も繰り返して聞いていたら、あいみょんの曲がゆずの岩沢厚治に似ているということに気がついた。岩沢の、世の中つまんないくだらない、みんなバカばっか、俺もバカ、ボケが、ラジオ番組でネタ披露しておいて「ラジオなんだから伝わらねえだろ」っていう漫才師は何をやらせても駄目だよとか、「令和」を際立たせないといけないのに後ろに繰り過ぎた名前いれたら主旨がブレるぞとか、あー全てがつまんねえなあ、っていうような気持ちを撒き散らしながらとりあえず存在している感じが、あいみょんの曲から滲み出ていたからだ。あいみょんはラフターナイトを聞いていないだろうけど、「風の強さがちょっと心をゆさぶりすぎて」っていう歌詞に持っていかれた。なぜなら、そういう夜はあるから。そんな夜はコンビニの灯りにとても惹かれるから。めちゃくちゃ良いですね。シングル曲はもちろんのこと、「ら、のはなし」「夢追いベンガル」、フォロワーさんに聞いてほしい!と言われた「from 四階の角部屋」とか良かったです。暗い部屋の中で爆音で聴くよりも、寒い日の深夜のコンビニの帰り道がぴったり合うそんなアルバムだな、と思った。それこそ、ゆずの「方程式2」のような気持ちの時にハマるそんなアルバム。あいみょんを好きになっても何も変わんないけど、何かを変えようという気持ちにはなりました。子供が産まれたという話を職場に報告をしたら、そりゃあ鈴木もぐらも眼の色をかえて奥さんに御祝儀を渡すのを嫌がるわと実感するくらいの御祝儀と、それよりも何よりも、戴いた数々のおめでとうという言葉が本当に染みました。がんばるよー、ほんとだよー。この年度末、自分がお世話になった上司が一気に定年退職していった。新規採用のときに直属の課長で、仕事上での部下ではなくなったものの今年までよく話をしたりした人、つい最近まで直属の課長だった人、新規採用の時の面接官だったというだけで何故か声をかけてもらうことが多かったけれど仕事を一緒にしたことが無かった人。そんな方々が一気に退職してしまうということで、一人でだったり、同僚を集めて一緒にだったりしてプレゼントを買って渡すということをした。沖縄のプレゼントはかりゆしウェアと相場が決まっているので、その通りにしたり、悩みに悩んだ挙句、その自意識が爆発して、やっぱり買うのを辞めようとなったけれどそれを振り払って、少し高めのハリオのティーポットを買ったりした。ありきたりなお酒とおちょこのセットよりも、背伸びした革靴の手入れセットよりも、ニンを出せたと思う。ハリオ好きだしと自分に言い聞かせた。それらをへらへらしながら渡したら、きちんと受け取ってくれた。仕事をしたことない方には、「仕事をご一緒したかったです」とこぼした。それは本心だったと思う。こうやって手塚治虫の『どろろ』のように、定年まで時間をかけて人間になっていくのだろう。その時の飲み会で飲むお酒はさぞかし受けるだろう。そう思った途端に、まあいっかと思ってその日の飲み会を断ったことをゆるく後悔した。

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第四夜 枡野浩一」の雑感

 第4夜は、歌人枡野浩一がゲスト。
 今回は、「見る」「見られる」、そしてそこから転じた「観客」がテーマになってきます。
 見るといえば、見るのが上手い人という意味の見巧者という言葉があります。 
やや鼻につく嫌な言い方をすると素人の玄人というような感じです。嫌な言い方をするなよ。
 今回のゲストの歌人の枡野は、見巧者だ。というのも、M1グランプリ2016のファイナリスト全8組を予想して当てるということをしているからで、それは多くの芸人を見ているというだけでなく、準決勝までの審査員の視点をもっているということに他ならないからだ。枡野は「見ている人」の傍ら、自らも一時期はお笑い事務所に所属し舞台に立っていたという経歴も持っているので、「見られる」ということも経験している。なので、この章は、お笑いファンとしてはある意味、一番噛み締めないといけなければならない章にもなっていると思います。
 枡野がどのようにしてファイナリスト8組を当てたのかというと、「他と比べた時の珍しさとか、去年と比較して成長があるか」「テレビでの人気度、知名度はあるけど、面白さがそれほどでもなかったものや、自分が個人的に好きなものは外しました。それから『Mー1』は漫才だから、コントっぽいものも外していった」とありここまではまあ何となく分かるという回答なのだけれども、加えて「あとは、ダウンタウンの松本(人志)さんが観た時にバカにしないものっていう基準で選んでいった」と話していた。
 この基準。
 これは松本人志への忖度とかそういうのではなくて、M1にしろ、KOCにしろ、決勝戦の審査員であり、ほぼ事実上、番組の顔の一つとして松本人志である以上、目がけるとまではいかないにしろ、意識していないとダメな基準だろう。
 準決勝までの審査員は松本人志に限らず、全レジェンドたちに見せても恥ずかしくない人を選んでいるはずなので、ただ「面白い」だけでは足りない(個人的にはざっくりと伝統と革新、大衆と知識人というざっくりとした分け方をした場合、2018年のM1グランプリの審査員はものすごくバランスが良かったと思っている。)。
 また、自分たちのネタは「あの松本人志が見ても恥ずかしくない」という視点を持つということは、バカリズムの章で話していた、打率を上げることに必要な客観的視点を養うはずである。それはラジオへの投稿で、パーソナリティーのツボをめがけてネタを書くのとある種似ているような力学が働いているはずである。
 賞金10万円とかでもいいから、爆笑問題1グランプリをやればいいのにと思うが、例えば、僕は深夜の馬鹿力カーボーイにメールを送る時に、これは伊集院さんが言うラインにあるか、爆笑問題の漫才に出てきてもおかしくないか、ということを一応考える。他にも、パーソナリティに脳内で喋らせてみるということをする。
 例えそのレベルだとしても、「審査員に見られても恥ずかしくないか」という自己の基準を持たないといけないというのは重要な指摘だろう。その視点を持っていたら、「発音良いな!」というボケは入れないはずだ。
 いとうと枡野の話は、テレビとライブの違いについて移っていく。
 例えば、「映像になった時に何かが損なわれたネタ」について、ここで言われている何かというのは、「何か」そのものであって、単に生で見ることから感じられるダイナミズムというだけではなく、それはネタそれぞれによって異なるものだと思うが、枡野は具体的に、マツモトクラブのネタは「生身の声と録音の声の掛け合いが面白いのに、映像として見ると、どちらも同じ声になってしまう」、ハリウッドザコシショウはテレビで見ると頭が本当におかしい人にみえて、そこで笑いのブレーキがかかる、というもので、逆にテレビを通したほうが面白いのは、アキラ100%のネタだと話す。アキラ100%は舞台で見ると生々しいらしい。そりゃそうだ。
 お笑い評論で、舞台からテレビに移動するときに「損なわれる(た)何か」について論じているのを見たのは初めてのような気がします。
 テレビで見られるということを前提としたネタを作ったということを話していたのを聞いた記憶で一番古いのは、ふかわりょうだ。ふかわの代表作「小心者克服講座」は、矢継ぎ早にネタを言っていくことでザッピングの手を止めてもらうということを意識したという。もちろん、ふかわりょうが売れたことはそれだけが理由ではないにしろ、その戦略は功を奏したのだろう。事実、それからしばらくしてお笑いはショートブームへと加速していくことになるので、慧眼と言うほかないだろう。他にも、同じように要因なのか、後付けなのか、今となっては全く判断できないが、ハリウッドザコシショウが、白いブリーフから黒ブリーフにしたら、R1ぐらんぷりでそのまま優勝した、という話もあったりする。
 ただ、それが単なる後付け、結果論と一概にはいえないのは、いとうが「笑うってことはある種その場を許容するってことでもあるからね」と話しているが、許容しているから笑うということも逆もまた真なりで、ないことはないはずだからである。
 売れるためにはどうしたってテレビという媒体を通さないといけないが、そのためには、自分たちのネタが、平面な画面に収まることでどう見えるのかということを意識して、その時に何が損なわれるのかということをきちんと把握して、駄目なところを潰し、映えるところを伸ばさないといけない。
 以前、オードリーの若林が、「iPhone(のように簡単に録画出来るもの)があるのに、稽古を録画してそれを見ないという若手がいるのが信じられない」という話をしていたが、このような視点の話だろう。
 枡野はにゃんこスターの『KOC』でのネタを見た時に「テレビ映えするし、テレビでも損をしないネタだ」と思ったと言っているが、こういったネタ作りのセンスについて、先日の『ENGEIグランドスラム』で「お笑い第7世代」をフィーチャーしていたが、霜降り明星ゆりやんレトリィバア、かが屋この世代で抜きんでている人達は恐らく、それが身についている。
 テレビが基本的に「立体感が削がれる」といった特性を理解しているからこそ、脳内で自分達のネタをテレビ画面を通して見た場合をシミュレーションできているのではないか。それはきっと、彼らを育てたのが、ライブではなく、テレビのネタ番組がベースにあるからなのかもしれない。
 さて、笑いとテレビについて、今語らないといけないことの一つとして、誰も傷つけない笑いというキーワードがあり、とくにここ数年よく見聞きする。
 それについて、いとうが話していたことがすごく重要なので全文引用したい。
 いとう「それに気をつけること(※注;誰かを傷つけるのではないかと考えること)自体は悪いことではないと僕は思う派なんですよ。人を傷つけて成立している一方的な笑いは根本的に面白くない。だけど、無色透明な笑いがいいのではない。やっぱり弱い人を攻撃する笑いが卑怯なんですよ。多数とか強い立場とかから弱いやつをからかうのは、単純な下ネタみたいに簡単だし、テクニックもいらいない。ただし、そこで誰が弱者か判定していくのは、テレビのスタジオにしかいない人には体感として無理になってくる。その上、あれもダメこれもダメと手足縛られた場合に笑いに何が残るのか、心配はある。うなぎの稚魚が少ないよ、なのにうな重なんか食うなよみたいなことと似てるよ、これ。」
 「うなぎの稚魚が少ないよ、なのにうな重なんか食うなよみたいなことと似てるよ、これ。」という例え自体が面白いことはさておき、配慮の欠如や問題があるもので炎上するものについてはもちろんのこと、例えば、この章にも出てくる、ゾフィーの「メシ」のネタのように本人たちに非がなくても炎上してしまうということもある。初めてこのネタを見た時、爆笑したのだが、まさか炎上するとは思わなかったので本当に驚いた。そして余談だが、このゾフィーの「メシ」のネタには良い話があって、ライブ界隈では、良いネタがあると噂で広まるらしく、このネタも同様に広まっていき、めぐりめぐってネタを作ったゾフィー上田のところに「最近、メシメシ言うめちゃくちゃ面白いネタがあるけど知ってる?」と言われたらしい。
 めちゃくちゃ面白いし別にこれは誰かを傷つける意図がないものであるということが分かっていたとしても、これ炎上するんじゃないかと思ってしまうこと自体がノイズになってしまうことがある。そして、そういうことを過剰に意識しているつもりでも避けられない時がある。一度、自分でも「妻を論破した」と書いたら、軽く叩かれたことがあった。  
 これまでにこのブログの記事を読んでいる人や、一定の読解力があれば、それが笑いやフリ、前置きのためにあるものだと分かるはずなのだけれど、読む人が増えれば増えるほど書いた人の手を離れてただ単にモラハラをした人になってしまうとそういうことが起きたりする。
 逆に、不特定多数ではなく、特定の誰か(そこには信頼できてシャレが通じ合う関係性が出来ているという大前提がある)に目掛けて言ったことが、そこに属する人たち全体を傷つけるということもあり得る。
 政権批判だって、広い意味で言えば、官僚や政治家本人とその家族を傷つけることになる側面もある。これは詭弁だろうか。
 また、同性愛などを笑いにしない人たちは、単にコスパが悪いからやらないだけで別に差別をしないからではないという可能性もあるし、全くおもしろいと思っていないだけということもあるので、誰々の笑いは傷つけないから好きというのは早計だと思います。

 こんな感じで、この章については、観客として思うことが山の様に出てきて止まらないのですが、最後にひとつだけ、個人的にタイムリーなことも書かれていました。それは枡野が「電気グルーヴの『かっこいいジャンパー』という歌にうまく説明できないセンス」と話していた箇所。この話のあとに、枡野は「企みじゃないくらいまでに見える無作為さが面白い」と続ける。
 電気グルーヴがタイムリーというわけではなく、先日見た『ENGEIグランドスラム』でかが屋がネタをやっていたのだが、ネタの肝となるところに、木野花という女優を用いていた。この木野花というセンスはとても最高だった(※どう最高だったのかは、先日ツイートした文を最後に載せてます)。
 ふかわりょうは以前、「黒沢年男はあるあるでのジョーカーなんですよ」と言っていたがそれに近い。このジョーカーというのがキーワードであり、それこそ上手く説明できないが、今だと、高橋英樹真麻親子とかはこれに近いような気がする。
大喜利の問題を出された時に、3番目までに出た答えでも、20番目に絞り出した回答ではない感じ。この感じに関しては、枡野が俳句の世界での言葉「つきすぎ」を出して色々と話していますがそこは本文で。
 こんな感じでマジでキリがないのでこの章はこの辺で。

 

 

 

 

 


 『ENGEIグランドスラム』でのかが屋のネタが凄かった。コロンブスの卵の様に簡単に言ってしまえば「スマホの画面がくるくる回る」ということを面白いと思うネタなのだけれども、凄かった。スマホのあるあるを持ってくるというそのデジタルネイティブなセンスが、平成育ちということを感じさせるが、実は、このことは、ジャンガジャンガ的な「間の抜け」による笑いなので、スマホを使っている人であれば年代を問わない全員に伝わる笑いとなっている。
 強いて言うなら、恐らくこのネタは舞台よりもテレビで見た方が面白いネタで、それが平成産まれのセンスということになる。
 そして巷に氾濫しているセオリーに沿うのであれば、この笑いどころをネタの頭に持ってきて最後まで引っ張るのだが、かが屋の凄いところは、それをせずに、逆に前半全てを、このことを「何の打ち合わせをしているのか」などの観客に疑問をもたせるなどのフリをカムフラージュしているところだ。この勇気と技術に震える。そしてそのことで、このネタに緊張が産まれ、貯めの状態が作られる。
 そして何よりも巧みなところは、一番最初にスマホ上で木野花の画像がくるっと回ったときは、本当に「よくあるハプニング」だと思わせられたところだ。その後、それが繰り返されることによって、観客はここが笑いどころだと気付き、一気に貯めが開放される。
 そういった構成の妙だけではなく、何より、木野花というチョイスが素晴らしい。バナナマンの名作コント「宮沢さんとメシ」での宮沢さん、『KOC』でのバッファロー吾朗のネタでの市毛芳江を彷彿とさせるチョイス。
 かが屋、すげえ。

 

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第三夜 バカリズム」の雑感

 第三章はバカリズム
 いとうとバカリズムの出会いは『ウンナンのほんとこ』で前説をやっていたコンビ時代のバカリズムの空気や雰囲気、体温が低い感じに、いとうが気にいったことから始まるという。そしてそこから、ピンになった後も『虎の門』にねじ込んだりしたことから付き合いが深くなっていったよう。『虎の門』といえば、当時の関東に住んでいたTVウォッチャーの噂やアンタッチャブルカンニング竹山など出演していた芸人のラジオ番組での大変だったけど面白かったという話しか聞いた事なくて、地方にすんで見ることが出来なかった人間からすればある種の幻想がある番組である。
 バカリズムは、同世代が通ったドリフやひょうきん族は見ていたというが、影響を受けたのは吉田戦車など不条理なマンガだと話す。
 この話は何度かしているところを見聞きしているので新しい情報ではないが、ウンナンのコントの形式が美しいと思っていたバカリズムは、ウッチャンナンチャンが卒業した日本映画学校を意識するようになり、結局、同校に入学する。そこではプログラムとして漫才の授業があるのだけれども、バカリズムは「お笑いを目指していないヤツが無理やりやらされる中で、僕みたいにお笑いを目指している人間が本気でやれば圧倒的に才能を見せつけることができる」という作戦を実行し、見事、結果を出し、マセキのライブに出られるようになったという。今でいえば、講談における神田松之丞のようなものですね。園芸界では「師匠選びも藝のうち」という言葉がありますが、早く売れるためには、「いかに空席を見つけられるか」のセンスが絶対に必要なんだと思います。
 ただし、バカリズムにとって、マセキのライブに出ることが決まったということがスタートなので、もちろんそこから「どういうネタを作ろうか」ということになる。そこで升野がとったのは、「それまでなかったことを探さなきゃいけない」という方法。そしてそれは影響を受けたマンガにも似た、「一切ツッコミがないというか、はっきりとしたオチもないところ」で、加えて一番意識したのは「面白いことをやるというより、面白くないことをやらないという考え方」だったと話す。それは「ウケるウケない関係なく、今までなかったパターンを試してみながらウケるものを探していこうというやり方」だったという。
 これは凄く分かる話で、ラフターナイトで若手芸人のネタを聞いていると、使い古されたくだりなどを未だに使っている人がほんとうに結構いるということ。それって、当人たちはウケると思っているから使っているのだろうし、実際ある程度の笑いが起きているのだけど、未だに「発音を無駄に良くする」「さっきからスルーしてたけどそれ何なん」などを今聞かされても別に面白くないし、本当に面白いと思ってそれをいれているのか疑問に思って笑えないので、個人的には無駄な時間だなあとしか思えなかったりする。
 バカリズムはそのことを打率に例えて「いかに打率十割に近づけるか」として「十回打席に立って、七回ヒットを打って三回すべるんだったら、三回だけ打席に立って十割打つ方が良いという考え方です」と続けているが、一つのネタにおける、笑いどころを打席とすると、ネタの時間が同じなら、ボケの数は少なくてもその分エッジを効かせてそれ全てをヒットにするほうがいい考え方だとすると、十の使い古されたくだりをいれたネタよりも、三の「面白い」があるネタのほうが自分はきっと好きになるだろうと思うと、この例えには、合点がいく。東京ポッド許可局での「手数論」よりも前にその考えをもっていたバカリズムは、やはり、「空席を見つけるセンス」が異常だと言わざるを得ない。
 ちなみに、誰かを評する時に天才だというのが凄く嫌なのですが、それはそう呼ぶことで、理解を止めることだと思っているからなので、結果的には評ではなくなってしまうからだと思うのですが、そういった理由から、バカリズムも天才だと言わないようにしています。実際には天才なんだけれど、何かの組み合わせでしかないとも思っているので、その一つが、この「空席を見つけるセンス」だと思っています。
 ネタ作りに取り掛かり始めたコンビ時代のバカリズム。初期に作ったショートコントについて話しはじめる。
 ファミレスを舞台にした「いらっしゃいませ」「ステーキセットをひとつ」「かしこまりました。パンとライスがございますが?」「パンで」「お肉の焼き加減は?」「ミディアムで」「クワガタは?」「オスで」「かしこまりました。少々お待ちください」(しばらくして)「お待たせしました。ステーキです。パンです。クワガタです。ごゆっくりどうぞ」で、客はステーキ食べて、パンちぎって食べて、クワガタ触って「いてーっ!」となって、「メスにすればよかった!」というコントを紹介する。
 続けて升野は「異常な世界があるのに誰もその世界につっこまないというのが最初のスタイルだったと思いますね。」と話す。この言葉を聞くと、やはり初期のラーメンズのコントを思い浮かべる人も少なくないだろう。小林賢太郎本人も「異常な世界での普通の日常を描きたい」というようなことを言っていた覚えがある。
 いとうは、この流れで、「ナンセンスは本当に境界線の引き方が難しいよね」「狂気の線をどこに移動させるか。」と、いとうは言っている。話は変わるかもしれないが、例えば、ランジャタイの漫才「T.N.ゴンの秘密」という最高に笑ってしまうネタがあるが、その中で、国崎が「全部、言っちゃうね」と言う。これはもちろん、清水富美加改め千眼美子の告白本『全部、言っちゃうね。本名・清水富美加、今日、出家しまする。~』より抜粋、なのだけれど、その後、国崎はまともな事を一切言わない。このネタで一番よくよく考えると面白いのは、そんな狂人が、ものすごく安っぽい(便宜上)ことを言っているという事実だったりする。ものすごくキュートな狂人になる。良い人だったのにコカインやってた」じゃなくて、「コカインやってる良い人」という感じ。
一時期、初期のバナナマンのコントを説明する時に、「関係性が見える」と話していたのだけれど、これは、例えば一人がもう一人を責めるんだけど、端々から、「仲が良い」ということが見えるという意味で使っていた。例えば、「secretive person」なんてまさにそうで、大事なことを言わないのは、そいつが嫌いだからではなく、まじで、ただ「言わねえ奴」ということが伝わってくるというもの。こうなっているのは、やっぱりバナナマン直下といっていいくらいに影響を受けている、ラブレターズかが屋だったりする。
 その後に少しこの狂気について話をしているのですがこちらも興味深いので是非本文をどうぞ。
 そして、話はコンビを解消し、ピンになった以降の話になる。
 最初につくったのは、おちんちんがビデオデッキから抜けなくなるコントと、交通事故で死んでしまい幽体離脱するけど何も起こらないというコントで、どちらも「ヌけなくて……」と「イケなくて・・・・・・」という名前でDVD『バカリズムライブ 宇宙時代特大号』に収録されている。この後、話題にももちろんなる「トツギーノ」もこのDVDに収録されていることを考えると、めちゃくちゃ名盤じゃねえかとなる。
 升野は、この「トツギーノ」について、トツギーノと言えば、恐らく一時期のバカリズムの代名詞となったほど有名なネタだと思うのだけれど、色々と試行錯誤をする中で「感覚的というか、お客さんをちょっとおいてけぼりにしてもいいかなっていうコンビ時代の初期の頃の感覚に近い」と振り返る。
 そして、あくまで頭の中でのぼんやりとしたものと補足したうえで、「グループAとグループBがあって、グループAはなんとなく思い付いたネタで、グループBはこういうネタを作っていこうと思って書き始めるネタ」と説明する。ちなみに、トツギーノ都道府県の持ち方はグループAで、単独ライブの長いネタやストーリー性あるネタがグループBで、「会社の会議後に同僚の女性におっぱいをさわらせてほしいと言う」ネタはそこに属しているという。
 大まかに解釈すると、永遠に広がっていくことが出来るネタがグループAで、異常な世界に向かって積み上げていくのがグループBということか。
 他にもネタの作り方のなかの見せ方として、「ピンって立体的だ」とバカリズムは話していた。それはリアルは立体的だからという考えからくるものとのこと。
 ピンで立体的といえば、思い浮かべるのは、ルシファー吉岡とマツモトクラブだろう。どちらもR1ぐらんぷりのファイナリストの常連だけれども、何よりルシファー吉岡が教壇にたつコントは自分がそのクラスの一員であるかのような錯覚に入るほどに「立体的」だ。錯覚といえば、玉田企画という劇団の演劇を見に行った時に、カラオケが舞台なのだけれど、あまりにも上手く溶け込めてしまって手拍子をしそうになったことがある。
 バカリズムは、二人は平面、二人よりは三人のほうがいい、東京03を例に出して三人いる時が立体的だと話す。確かに、二人組が教室コントをする時は絶対的に、横に並ぶ構図だ。先生役は左で、生徒役は右で、先生や生徒がどれだけ他の人がいるような所作をしても、平面的な気がする。逆にルシファー吉岡の様に先生一人だと、一気に立体的な教室へと変貌する。
 その「次元」の話をするならやっぱり、言っておかないといけないのは、ハナコの話で、ハナコは菊田の使い方を極限まで削ることで、次元をより広めている。凄い新しい感覚だと思う。削ることで増えるんですよ。しかも「菊田」を理解していないと出来ない。
 「リアルかリアルじゃないかは一番重要」と話す升野は「そいう感覚が東京の同世代の芸人でバナナマンや東京03、ラーメンズとかおぎやはぎとか、わりとみんな無意識のうちにあるような気がしてます。」「わかりやすいボケ・ツッコミがないっていう共通点があるんです。」と加える。
 先日のオンバト復活SPでおぎやはぎの初期のネタのVTRを流していたが、そこで「結婚式の入場曲がアントニオ猪木の入場曲にして歌ってしまうというボケをおぎが繰り返したさいに、矢作が「どうしても!?」というツッコミをいれていた。これは「リアルかリアルじゃないか」というと、リアルで、かつこれが良いのは、矢作の小木への許容があるからである。つっこんで一蹴して終るのはリアルじゃないというもので、行間があるというものだ。これがゼロ年代初めには強烈なカウンターとして機能したし、今見ても面白かった。これもある種の「空席を見つけた」だろう。
 それからもちろん大喜利の話になるのですが、それについてはいつか「凡人はバカリズムになれるのか」というバカリズム大喜利の回答に関する考察をやろうと思っているのでその時まで保留しておこうと思いますので飛ばそうと思いますが、例題として出された「犬につけてはいけない名前に、猫は消すけど子猫は面白い」とい話はかなり興味深いです。
 この後も、ものすごく興味深い話をしているのですが、一朝一夕でまとめられるものではないので是非ご一読を。
 今回で一番大事なのは、売れるために「空席を見つける」センスが必要不可欠というところでしょうか。

 続けます。RT&お気に入り&リプライお願いします。かまってほしいので。

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』「第二章 ケラリーノ・サンドロヴィッチ」の雑感。

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第一夜 倉本美津留」の雑感 - 石をつかんで潜め(Nip the Buds) http://memushiri.hatenablog.com/entry/2019/03/22/233655

 

 続きです。

 いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の第二夜のゲストはケラリーノ・サンドロヴィッチということで、主に、「演劇での笑い」と「ツッコミ」について語っていました。
 ケラは、「最も好きな笑いの嗜好は、整理されているものじゃなく、混沌としたものやグロテスクなもの、ちょっとワケのわからないものにこそあるんだ」と話し、まさにそういう笑いが好きな自分としてはやっぱり一気に前のめりになりました。
 まず最初に出たのは「自覚」と「無自覚」ということの話で、ケラは、第一夜での倉本の「袖が長いと笑ってしまう」という発言を持ってきて、『当事者に自覚はない。だからこそ面白い。そういう日常の無自覚なものと、無自覚になれない創作者は戦っていかなきゃいけないわけですよ。例えば、おもしろい顔には思わず笑っちゃうでしょ?「面白い顔をする人」じゃなくて「無自覚な、元々面白い顔」。なかなか手強いですよ。こうした無自覚に打ち勝つ、自覚的な笑いを作り続けるのは。』と話す。
 例えば、お笑い芸人にもそういうタイプに二分できるとは思うのですが、第三夜のゲストバカリズムはそこに入るだろうし、ここからは少しずれるかもしれないけれど、東京ポッド許可局ではマキタスポーツが「単独前はものすごく意地悪になっていた」、ダイノジの大谷は「ネタを量産するときは、電柱のポスターにすらいらつくようになった」と言っていたように、他にも芸人のフリートークで「何かに怒った話」が頻出するのは、その位、自覚的に笑いを作るということは違和感(≒笑い)へのアンテナの感度が上げないとできない、もしくは自ずと敏感になってしまうということだろう。
 そこから、いとうが「絶対にセリフをおもしろくしちゃう何かがある」という、シティーボーイズのきたろう論になるが、これがおもしろかったので是非、きたろうの顔を思い浮かべながら読んでほしい。本文のなかにも例としてあげられているが、「よくわかりました」というセリフで、きたろうのセリフなのか、いとうのセリフなのかで、イメージが違ってくるという話は、確かに、となりました。
 ここからは恐らく、舞台に立ったことがある人でないと分からない領域の話になってくるのですが、この章で一番、掘り下げて聞きたいと思った個所を、引用すると「若いお笑い芸人を演劇で潰しちゃうのは簡単なんですよ。役者よりも幅が狭いから、勘所が限定されている。」「なにしろ、お笑いの人はお客の反応がすべてなんですよね。受けるものだけが正解という世界ですから。そこが演劇の人との一番の違い。良し悪しは別として、笑わせてなんぼの人特有の価値観が染みついている」というところになる。
 確かに印象論として、演劇での笑いは、ものすごくフリが長いなと思うこともあるし、逆に、4~5分のネタの長さのコントで一分以上笑いを出してこない手法をやるお笑い芸人のコントは、「演劇的」と評されるというのがある。しかもその場合は、「おいおい勇気あるな~」「実力あるからそれができるんだな」という意味合いであって、それこそ演劇での半ば無自覚とは違って、自覚的にフリを長くしているという様子がある。また、演者の生理や価値観ということもあるだろうが、恐らく客側の「それを待つという意識」の土壌があるかどうか、の問題もあるだろう。
 ついこないだ、演劇ユニットのテニスコートの単独ライブ『パリドライビングスクール』を観たのだけれど(youtubeにいくつかコントあります。単独自体はオフビートなコントの数々でものすごく良かった。)、フリ長いなと思ってしまったことがある、ネタを舞台で見ることに慣れている僕でさえ、その感覚を切り替えるのにやや時間がかかった。
 やはり演劇と芸人には、同じ「フリ」でも何か決定的な価値観の違いが横たわっているようにも思える。で、ネタの尺を30分もたせて初めて実力派と言われる芸人をやる以上は、そのフリの違いに自覚的にならない限り、長時間の鑑賞に耐えうる芸とはいえないのかもしれない。オードリーの武道館での漫才も30分以上だったが、くだりとしてクドイ部分に、「長いなあ」となるか、「しつこいな~(笑)」となるかが芸の分かれ目なのだろう。
 話がずれたので元に戻すが、ケラは『演劇の演出でそんなに笑いに慣れてない人に巻くが開いてから言うダメ出しで多いのは、「あそこもうちょっと待って」ですかね』と話、小池栄子にツッコミのことで演出した話をする。そこは本文を読んでほしいが、間の取り方でセリフに含まれてくる情報が変わってくるという話をしている。自分がテレビツッコミに毒されているということを凄く自覚出来るエピソードである。
 そしてここからはツッコミの話へと入っていく。ケラによるダウンタウンの「クイズ」のネタでの浜田のツッコミの話が聞けたりするのだが、いとうはツッコミに対して『基本的に今の人たちはツッコミを笑わせるタイミングだと思ってるけれど、ホントは主になんの機能があるかというと、そこまでの状態のまとめなんですよね。「そんなわけないだろ!」というのも、それは現実的ではないっていうまとめなんです。このまとめてしまうことが、芝居の中で現実的な日常をやりたい時に、人は現実をまとめないでしょってことで。』と話す。ここに関してはやや、小説家としてのいとうの視点も入っているように思えるが、ツッコミはまとめっていう認識は、テレビツッコミに毒されていると持てないような気がする。
 ツッコミといえば、『爆笑オンエアバトル』の復活SPで、東京03が結成四日目でネタを披露してオンエアとなっていたVTRを観ることが出来たが、今でこそ東京03が大好きだが、アルファルファが好きではなかった。というのも、アルファルファのコントは、飯塚が、全てのコントでキレすぎてて、「そないキレんでもええやん」となっていたというのが理由なのだけれども、角田が加わったことで、そのキレに自分の中で理由が出来て好きになった。これは、角田が、きたろうのように無自覚の人寄りで、そんな人がアルファルファに加入したことで、飯塚が小ボケに対しても大ツッコミをしていたのが、小ボケ、大ボケ、大ツッコミというホップステップジャンプのような段階を踏めるようになったという構成の変化ももちろんそうなのだけれど、角田の容子には観客に「こいつには怒鳴ってもいい」という説得力があったからというのは少なくない、と思う。
 ツッコミの話のなかで、スルーするという手法の話になり、現在の漫才師でもそれを使っているということが出てきた。確かに「わざとスルーする」という手法は散見されるけれども、これはあくまで、「さっきからスルーしていたけど何なん」というためだけのものであるのが大半で、演劇的な「スルー」とは違う気がします。なので、スルーしているな、ということがばれると、中盤で「さっきからスルーしていたけど何なん」が来るんだなと思ってしまうので、その手法を使いたいなら、隠す努力が必要になってくる。
 大きな意味でツッコミになると思うのですが、ケラは一時期「なんで俺をみるんですか」ってセリフを多用していたということで、このセリフは確かに面白い。「みる」という無言の行動に対して、「俺を巻き込むなよ」という情報が入っているところが良いということか。
 セリフでいえば、「○○は△△が嫌いだからな」というのが凄く面白い、と思っています。自分が人をすぐに嫌ってしまうというどうしようもない人間であること、さして周りから好かれているわけではないという自覚をもっているからとかそういうのの発露だと思うのですが、だからこそ面白いんですよね。受けるとは思っていないんだけれども、面白い。ある種、嫌われ者という存在への偏愛に近いのかもしれない。それはかっこつけたかもしれませんが。
 こんな感じで、この章をまとめるとしたら、「ツッコミは笑いを産むタイミングではなくて、それまでのまとめであったり、リズムをつけるものであったりするので、一度そういった本質的な機能に立ちかえってみる」「面白いセリフを探してそれをどう活かすのか考えてみる」ですかね。
 

 第一章の記事はややウケでしたが、続けます。
 

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第一夜 倉本美津留」の雑感

 いとうせいこうが笑いについて対談をした『今夜、笑いの数を数えましょう』という本が、異常に面白くて示唆に富んでいて、それがどのくらいかというと、これを読みながら真剣に笑いに取り組んだら、芸歴に関係なく、2年か3年で賞レースのファイナリストになれるんじゃないか、と思ったくらいなのですが、ご多分にもれず、その面白さを話す友人もいないので、色々と考えながら感想などを書いていきたいと思います。これ以降、唸った、などの表現が多く出てきますが、そのくらいの本だと思っていただけると幸いです。また、意図的に話の流れを省略して結論や定義などを書きますが、それはこの本を手にとってほしいということからであって技術不足ではないといことをご理解ください。 
 まず一人目のゲスト、倉本美津留について、あんまりその功績が実感できていないということもあり、軽い気持ちで読み始めたのですが、「フリップを使った大喜利」を考えたのは倉本美津留とのことで、しかもそれはルネ・マグリットの『イメージの裏切り(※「これはパイプではない」のやつ)から着想を得たものだったという話が出てきたところから、背筋を伸ばして読み進めました。
 例えば、話に出てきたギャップは笑いを産むというのは、何となくイメージがつく定義だと思いますが、それだと範囲が広すぎるということで、「ノーマークは笑いをうむ」というものを一つの定義とする。
 個人的に、芸能人の本名は何が来ても面白いと思っていて、それは「ギャップはおもしろい」というフォルダに入るからだろう。笑福亭鶴瓶駿河学きゃりーぱみゅぱみゅの竹村桐子まで、どう転んでも、80点の笑いにつながる。
話を戻すと、「ノーマークは笑いをうむ」から、いとうは「コントを作る時に、つい間違えてしまうのは、おもしろい人いセリフを集中させちゃうこと。あれはよくない。」と話していた。
 いとうのこのセリフは、大人数でのコントにおけることを話していると思うのですが、例えば、二人か三人でのすると、ボケツッコミを固定しないコントをやるコンビは、すごく理に適っているということになる。実際に、バナナマン、東京03などのネタを見る時は、誰が最初にボケるのかわからない状態で始まるので、その初手を見逃したくないという気持ちで、緊張感が生まれることになる。そしてその緊張感は、笑いを増幅させる効果を持っている。
 倉本は、「袖が長いのがオモロかったりするのを、思いっきり伸ばしてやったのが赤塚(不二夫)さんの絵だったりする」といい、「異常なラインを超えてもらう」ことも笑いの定義だと話す。それは箸の長さという物理的なものであったり、間だったりと様々なのだが、例えば、この「異常なラインを超えてもらう」という言葉で思い浮かんだのが、かもめんたるの「冗談どんぶり」のコント。KOCでも披露しているのですが、その中でう大が槇尾にねちねちと絡むシーンがあって、そこが単独ライブバージョンでは、客席もうんざりし始めるくらい長いという噂を聞いたことがあって、とても見たいと思っているのですが、まさにこれだな、と。

 倉本ゲストの章ではスリムクラブのネタの話があって、そこはぜひとも本文を読んでいただきたいです。いとうが「わかりにくさの全部がある」と話すスリムクラブについて、二人がどう話しているのかは、結構必読だと思います。
 いとうは「つかず離れずをどう作るかっていうのはナンセンスにとって超難しい問題だよね」と話すが、この「つかず離れず」はかなり重要なヒントだと思います。
 例えば、この本の中で、グル―チョ・マルクスというアメリカのコメディアンの話が出て、恥ずかしながら不勉強なもので全く知らなかったのだが、グルーチョといえば、RN笑福亭グルーチョという方がいらっしゃるのですが、そのラジオネームに対して何となくグルーチョって響きがいいな、と思っていたのと、『爆笑問題カーボーイ』の「思っちゃったんだからしょうがない」のコーナーで、「しみけんの結婚式って、多分「初めての共同作業」で、新郎新婦によるチンコ入刀が行われ、チャペルから退場の際は新郎新婦をAV女優が囲み、大量の潮吹きシャワーを浴びせ、その時新婦がブーケの代わりに、TENGAを空高く放り投げる演出があると思う。」というメールが採用されていたスーパーにたまんないお方なのだけれど、このことを知ると、より、素晴らしいラジオネームに聞こえてくる。グルーチョ、笑福亭なのかよ、上方なのかよっていう。三遊亭にも古今亭にもしないセンス。二重にも三重にもフックがあって、何となくここに「つかずはなれず」のヒントがありそうな気がする。

 『笑う犬』シリーズは、初回から楽しく見ていたが、一番印象に残っているコントは、元・ビビるの大内がメインの一本だ。手術室の前で、自分が遊びに誘ったか何かで間接的な事故にあう原因を作ってしまったと、大内が自分を責める。集まってきた友人たちは、そんなことはない、と否定する。最後には、少し帰った方がいいと促されて大内は、わかった、と言って、キックボードに乗って帰っていく。その中の一人が、「てめえこのやろう!」と追いかけて終了。

 「撮ってはみたものの」というようなエクスキューズも込みで放送されていたものだと記憶しているが、このコントがやたらと心に残っている。振り返れば、真剣に落ち込んでいる人間と、そのキックボードに乗っている姿のどことなく間の抜けた感じのギャップであろう。

 当時、キックボードが流行っている時期、もしくはそこよりも少し後だと思うが、「キックボードって間抜けだよね」という、斜に構えたツッコミがあって、それを、一番映えさせるシチュエーションを用意したというもので、どことなく『じみへん』などでやっていそうだけれど、当時、そのようなギャグ漫画を知らなかった身に、そのコントはやたらと染み込んだ。

 今でいえば、『水曜日のダウンタウン』の「水タバコ吸ってる時に説教食らったら以降は豪快に煙吐けない説」や「サムギョプサル食ってる時に説教食らったら以降はサンチュ巻けない説」などの「説教後に○○できない説」シリーズに近い面白さがある。

  最後に、今回出た「ギャップ」でコントの設定を考えてみたいと思います。
 例えば、はしゃいでいる人がマジで怒られるというのは、おもしろの基本の形の一つなので、そこにそうと、例えば楽しんで参加しているということが前提でそれをみんなが共有している「ハロウィンで仮装をして出かけている二人」がいるとする。そこにギャップを生じさせるには、そんな二人が、悲しみや戸惑いといった負の感情に落とすことなので、そのためには、どんなことが起ったらいいかという逆算をすればいいことになる。
 例えば、一人はメデューサに会ってすでに身体の半分がすでに石化しかかっていて、そこにもう一人が来てなんやかんやラリーがあるというのはどうか。これで現状と感情のギャップがある設定は出来あがる。
 そして後半あたりに「(メデューサが)本物だと思わないじゃん!」というセリフを持ってくると、有効そうだし、そうなると、そこに向けて積み上げていけばいい。この「モてない二人が勇気を出してハロウィンの仮装をして渋谷に出たら、一人はめちゃくちゃ成功してはしゃいでいて、もう一人は本物のメデューサに会って石化しかかっている」というコントの設定をアンガールズに渡したら、一本出来あがりそうではあります。
 書いていて自分でも驚いているのですが、この20年、どうやってコントの設定って思い付くんだよって思っていたのですが、多分初めて、よくある設定ではないコントを思い付きました。そのくらい、ヒントになっている本だと思います。
 そのくらい凄い本ですよってことです。
 ウけたら全員分やりますので、拡散やふぁぼお願いします。

産まれてきただけでステッカー

子供が生まれました。神田松之丞の奥さんが言っていたように、「性別は本人が決めるものだから」ということなので、性別は娘が生きていくなかで決めてもらいたいので公表はしないでおこうと思います。遡れば、妊娠が発覚しての8カ月強は、よくある表現ですが、長いような短いような、体感的には、みちょぱの後釜を狙っているタメ口系ハーフモデルがさんま御殿に出て、そのあと踊るヒット賞をたまたま貰ったもんだから、他のバラエティにも出はじめてるんだけど、その地肩の無さからすぐに失速してしまうっていう時間でした。よく出産まで十月十日だなんて言いますが、あれは正確ではないらしいですね。だから、ツイッターで芸能人の出産が報じられたときに、その日数を逆算する人っているじゃないですか、それ間違えていますよと教えてあげたいですね。あと、単純に、それつまんねえってことも。40週を過ぎたあたりから、担当してくれていた医師から、予定日を超えてもあまり良いことはないらしいという話を聞かされて、自宅からやや遠いところの病院に通っていたことなどから、夫婦二人で話して『アンタッチャブルのマキマキでやってみよう!!』以来のマキで産ませることにしました。陣痛が来る前に入院し、翌日には促進剤を投与するということになりました。結果として最後は落ち着いて出産に望むことが出来たので、良かったです。入院した日、妻から、明日の午後から促進剤を投与するということ、そうすると、夕方から陣痛が来るだろう、そこから先、どのくらいの時間をかけて出産するのかは人によるらしいという話を聞いたので、半休をとって午後二時過ぎごろに病院に着きました。その時にはすでに投与が始まっていたけれど、当初の話のとおり、夕方までかかるであろうという見通しを改めて看護師さんから聞いたので、長丁場になることを予想して昼寝をしました。しばらくして、起きてまた妻がいる待機室のような部屋に行って、背中や腰をさすっていたら、「診察に行っておきましょうか」ということになったので、外の廊下にでてソファに座っていました。すると、妻と思しき女性の叫ぶ声が聞こえてきて、え?これ奥さんの声か、いやでも診察っていってたから他の人か?と不安になっていたら、産声が聞こえてきて、廊下に看護師が来て、産まれましたよといってくるという、いつの間にか産まれていましたパターンで父親になっていました。後から聞けば、待機室から移動するあいだに破水してしまい、そのまま産むことになったということです。妻はあまりの痛さに、夫を立ち合わせるかと聞かれたけれども断った、というのが顛末だったようです。タランティーノ作品じゃねえんだから。それにしても、妻が大変だったものの、先に入院しておくという判断があながち間違えていなくて、良かったです。子供が産まれた事を知った時に、感動よりも、憂鬱さが一気に込み上げてきました。だって、安倍政権下ですよ。ついこないだも高校の同級生とプロレスを観た帰り道、駐車場で「metooパワハラが露呈してるのは、ただのブームなのか、世の中全然変わってねえなの表れなのか、良くなる前の膿が一斉に噴出してるのかそれは分からないな」みたいな話をしたんですけど、安倍政権下でなくたって、生きるってことなんて、つらいことしかないじゃないですか。伊集院さんいうところの、手を替え品を替えずっと居心地悪い人生だった、そして多分これからもずっとそうっていう僕が親になるんですし、女の子なら、中島みゆきが「力ずくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ、あたし男にうまれればよかったわ」って言っていたように、女性なりの理不尽に立ち向かっていかなければならない。それは、僕が、お笑いの論争をふっかけられたら、最終的には腹にパンチして黙らせることが出来るというイメージを持つために筋トレをしているというものとはわけが違うんですよ。そんな陰鬱とした気持ちは、母子ともに無事退院して、友人知人からおめでとうの言葉と、オムツを替えた直後にウンチをされたりして、嬉しいという気持ちが大きくなってくるのと合わせて親になったという実感が何となく湧いてきました。親になったっていう表現すら、おこがましいっていうことはさておき。そんな僕から親として伝えられることって、出来る限り勉強に付き合って、教科書は大事だし大事じゃないこともあるし、日本史でたった一行しか書いてないこの由井正雪の乱ってのは、そこに至るまでの顛末が面白くていろんな作品の題材になってんだよ、とか、二次方程式とか何で習うのって聞かれたら、「二次方程式を使わない人生にならないためにだよ」というジョークを教えたり、今でこそやくみつるは文化人ぶってるけど、芸能人が使ったストローとかシケモクを集めてはそれをコレクションと称してはテレビに出てたんだよとか、お父さんは読モくずれの悪口を言って伊集院光さんにウケたことがあるんだよ、とか、「これはお父さんが考えたんだけど、落語ってのは業の肯定なんだよ」とか言うくらいしか出来ないじゃないですか。あとは、名前くらいしかつけてあげられないじゃないですか。極限のことをいえば、優しくて聡明で、可愛げがあって、皮肉屋でトリックスターで、余計なこと言っちゃう、シャイなあの人みたいになってほしいなと思ってその名前を貰ってつけてあげるしか出来ないんですよ。そんな希望をこめて、お察しのとおり、ホラン千秋って名前にしたんですけど。佐藤栞里と悩んだんですけどね。でもまあ、爆笑問題の太田さんも未来はいつも面白いと言ってますし、オードリーオールナイト20周年には一緒に参加できるかと思うと、それをでっかい電柱にして日々、誠実に頑張るしかないですよね。どうせ面白い未来ならいっそのこと、その頃真打になって名前も変わって弟子もいるであろう神田松之丞に入門させるのもいいですよね。でも、それよりは、ミックスの僕の甥っ子をどうにか誘導して落語家の快楽亭一門に入門させた方が面白いとは、思ってるんですけど。何が言いたいのかわかんなくなっちゃった。絶対、がんばります!!!(三四郎のなかで流行っていないやつ)