石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

俗物ウィキペディア日誌 ♯3

5月5日

推敲。加えて、序文の追記。あまりに風景の描写が下手で嫌になる。「バナナマン設楽統のファミリーヒストリーの記事」をアップする。考えすぎてもしょうがない。小賢しい小手先の技術に頼ってもしょうがない。

結果、フォロワーが増えたし、読者も増えたので良しとしよう。まずは拡散されることが大事。アクセスも3000以上来ていたので、しかし、コメントにもあったように、書き下ろしもあるに越したことはないはずなので、それも考える。基準は書きそびれたもの、そんなに拡散はされなそうなもの。例えば、マキタスポーツの「越境芸人」の感想や、「ペポカボチャの呪い」など。

 


5月6日

いとうせいこうの『今夜、笑いの数について数えましょう』について武田砂鉄が書評を書いていた。「笑いのノウハウがあるとすれば、ノウハウがあると思っているのが一番ヤバいと気付けるか、ではないか。」<笑いとは何か>を探るはずの対談のそれぞれが、たちまち主題から脱線していく様がとにかく笑える」と書いていた。

僕はこの本は、「笑いにはノウハウはある。でもそうじゃないそれを超えたところもある」ということの証明であると思って読んでいたのだが、どうやら別の本を読んでいたらしい。

空気階段の単独があまりにも素晴らしかったようで、不貞寝。


5月7日

gw空けて、初出勤。

5万円くらいのノートパソコンが欲しい。


5月8日

推敲。推敲の遂行の連続により、何が何やらわからなくなったので、新しく、追加する分に取り掛かる。『今夜、〜』のショート版。武田砂鉄はアホ。


5月9日

設楽統ファミリーヒストリーのアクセスは結果、4000ほどであった。10RT50FAVかーっと思っていたが、意外に読まれていた。もぐら銀杏はその十倍のリアクションだがアクセスは同じくらいだったはずなのでよくわからない。

推敲と追記を継続。

 

5月10日

同人誌特に何もせず。

ネタパレをゾフィー目当てで見ていたら、永野の「お味噌汁品評会」でしたたか笑った。悪意とも裏笑いともなんとも評価できない面白さ。素晴らしい、永野の底力を見た。


5月11日

オードリー春日がラジオで入籍発表。

99人の壁で、おぎやはぎがコソ泥のような手口で100万円を獲得する。


5月12日

推敲に飽きてきたので、新作に取り掛かる。いとう『今夜、〜』のショート版をやり終える。いくつかの記事に追記。

DVDでヨーロッパ企画の『ビルのゲーツ』を見る。ラストはなんともいえないが、面白かった。「出てこようとするトロンプルイユ」同様、大喜利一つでここまで飽きさせないのは本当にすごい。上田さんの真骨頂。

『ビルのゲーツ』は『しんぼる』が到達したかったところにあった。

俺は、松っちゃんより『しんぼる』のことを考えている。


5月13日

しくじり先生なかやまきんにくんを見る。何も考えずに、アメリカ留学に行ったきんにくんと何も考えずに大学に行った自分をダブらせ少し泣く。


5月14日

最高に楽しかった。


5月15日

handmade worksも空気階段も見られなかった悲しみにより、気が狂ってしまって気がついたら、劇団かもめんたるを見に東京に来ていました。


5月16日

帰宅。


5月17日

仕事から帰宅し、ふと思い立ち、『IPPON』シリーズと、『we love television?』と『大日本人』を借りてくる。「凡人はバカリズムになれるのか」と「『we love television?』=『大日本人』論」のため。


5月18日

前日に借りた、萩本と大日本人を見る。暗くてじめっとした陰湿で悪質な人を嘲笑する笑い。

そして『IPPON』のバカリズム回答書き起こし。思った以上に面倒くさい。

今更ながら、手数論でタツオさんのデータを剽窃したラリー遠田にムカついてきた。

なるべく考察の方は決めうちにならないように。


5月19日

書くことを箇条書きしてつなげる。

劇団かもめんたるの感想を書く。

 

5月20日

ブログに劇団かもめんたる『宇宙人はクラゲが嫌い』の感想をアップ。

同人誌には、今回の記事を骨子として、劇団かもめんたるについて書くか、かもめんたるについて書くか悩む。

物販で購入したDVD「ピンクスカイ」を見る。エロひど面白い。


5月21日

今年は、新しいラジオも聞こうということで、ノブロック、chelmico霜降り明星のANNを聞く。ノブロックは話している内容や音楽はいいけれども、独り笑いがちょっとしんどいなと思った。イヤホンじゃなくてスピーカーで聞いたら大丈夫だった。霜降り明星は、まあやっぱり普通に面白い。せいやの令和またぎの話は面白かった。いずれもコーナー送りやすそうだった。

chelmicoは、鈴木真海子がゴリゴリのお笑いファンで大学お笑いの芸人の名前を出したり、ママタルトの名前を出して、その濃度は、ラフターナイト以上だった。顔もめちゃくちゃタイプなので、好きになりそうになってしまった。しかも、ラップも上手かった。

その濃度にタイムラインじゃん!となった。特にスカート澤部と、お笑いライブ会場で挨拶するという話はまさにタイムラインだった。レギュラー化したら、鈴木真海子のライブレポのコーナーを希望したい。


5月22日

『we love television?』=『大日本人

論を進める。


5月23日

特になし。

ウッチャンのオールナイト聞く。ゆるやかな近況トーク最高にchill outだった。


5月24日

帰宅して眠い目をこすりながら、IPPONの♯4のバカリズム回答書き起こし。

有吉からのバカリズムをヒールにするアングルや、Aブロックでのバカリズムと有吉のサドンデス、小木との決勝戦と見所たくさんあった。伊藤ナポリタン容疑者あったなー。

全く忘れていたが、「留守電メッセージに3秒入れてください」というお題の小木の優勝を決めた答え「あー、明日の結婚式キャンセルで」には目が開いた。バカリズムのさまざまな角度の攻撃を、小木が小木たる所以の人でなしで一掃する名勝負であった。


5月25日

『we love television?』=『大日本人

論完成(暫定)

空気階段の単独ライブが再演決定。

こんなこと今まで始めて聞いた。嬉しすぎて心臓止まるかと思った。

しかも日程的にも最高。

嬉しい!!!!!!!

 

劇団かもめんたるの第7回公演『宇宙人はクラゲが嫌い』感想

 劇団かもめんたるの第7回公演『宇宙人はクラゲが嫌い』を見ました。今回は、いつもと違って、八嶋智人も出演していましたが、いつもと同じくらい面白くて狂っていました。
 八嶋が演じるヒデちゃんは、田舎の海沿いの街で、うどん屋を営んでいる。そのうどん屋は、田舎にもかかわらず、クラゲを粉にしてうどん粉に混ぜて作ったうどんのお陰で繁盛をしている。『宇宙人はクラゲが嫌い』は、その店主のヒデちゃんが雑誌のインタビューを受けている場面から始まる。
 そんなヒデちゃんのうどん屋の常連のマダムとその娘とスピリチュアル系な彼氏、うどん屋の店員、インタビューをしている雑誌のライターの森桃子と、再生回数が一桁代のYouTuberのう大とそれに付き合う小椋、ヒデちゃんからクラゲを粉にするときの臭いを消す技術を使ってローションにしようとしている槙尾とその彼女、謎の元プロレスラーの青年などが登場し、点と点が暴れながらも、徐々につながっていき、最後はとんでもないところに着地する。
 劇団かもめんたるは第2回公演『ゴーヤの門』以来だったのだけれど面白かった。ただ面白いだけじゃなく、あまり他の人が描いていないような、ニヤニヤから爆笑、ぐっちょんぐっちょんにグロテスクな笑いや下品な笑いまであって、これを売れている他の人がやっても嘘になるんですけど、う大は、ずっとやってきている人なので、説得力がありますよね。
 これまでもそう(物販で買った『ピンクスカイ』は最高にサイテーだった)で、明らかに観客を引かせるためにある部分があり、観客もきちんと引いているにも関わらず、あとあとそれで切なくなったりさせるという力業も見せつけられる。例えば、う大がYouTubeにアップする動画として温めている「ゴミを食べる」という案をつぶさに説明するところや、槙尾が登場し、屁に固執していることを分からせるために屁を使った言葉や槙尾の造語を連呼させるシーンなどがあるのだけれど、それが後半で、心動かされることに反転するフリになっていたりする。それでも、今回はちょっと八嶋がいるからポップだなと思ってしまった。
 実は、ヒデちゃんは、もともとは長男なのに東京でお笑い芸人をやっていたりするような放蕩息子だった。う大はその弟で、ヒデちゃんの代わりに親から引き継いでうどん屋をやっていた。ある日、ヒデちゃんは海に溺れてしまい死にかけるが、一命を取り留める。その時からヒデちゃんは、別人になったようになって、うどん屋を始め、クラゲの粉を混ぜたうどんを売り始める。ヒデちゃんに居場所を奪われたように、今度はう大が、ヒデちゃんのようにぶらぶらしてしまうということが徐々に明らかになっていく。
何より、八嶋智人の、喜劇役者としての身体能力のキレの良さ、売れている人が持つ陽のエネルギー、それを一瞬で掻き消してしまうような目の奥の笑ってなさを存分に堪能しました。目の奥が笑ってないって言葉、いったもん勝ち説ってちょっとあると思うのですが、その言葉で、「分かる!」って思わせるのもそれはそれで能力の一つでもあると思います。底抜けのない明るさを見ると、人は、勝手に躁と鬱が一気に入れ替わりそうなあの感じを想起させられる。そんな八嶋の雰囲気は、今回の役ともばっちりハマっていた。
 相方としての信頼からか、基本的にやっぱり槙尾のキャラが劇団かもめんたるの公演で一番狂っていたりすることも多いのですが、今回もそうで、槙尾が演じる先輩は、屁に固執するという田舎の狭いコミュニティを引きずったまま大人になったような人でした。
 う大が先日、「宗教の勧誘に来た人をデタラメな言葉で追い返すみたいな動画が流れて来た。それが面白いみたいな感じだった。本当にサムかった。世の中にバカにしていい人なんていないってわかんないのかな。」とツイートしていたけれども、まさにこのことが劇団かもめんたるの作品の根底に流れていて、そのため、う大の描く脚本には少数派に属する性的嗜好を持った人や汚いものが出てくるのだけれども、根っこには「そういったものを抱えても生きて行かざるを得ない人(おおよそ傷ついている人達)の一所懸命さ」に存在する。それは、博愛というような優しいモノとも違う、もっとフラットな、子供の無邪気さに近い、SF作品のような大局的な視点にたった肯定力と呼ぶべきものだ。なのでそれが狂気に転換したとき、より怖さが増す。
そのような意図的に、目を背けたくなる、存在していないと思いたくなるような汚いもので、いかに、綺麗な(俗にいう)ものを描くかということにもう大は興味があるのだろう。
 ちょうど見た回のアフタートークにて、八嶋とかもめんたる三人で話をしているのを聞けました。八嶋は劇団かもめんたるの『尾も白くなる冬』を見て、是非出演したいと思い、声をかけ、今回の出演が決まったという。
 八嶋はう大の脚本について「寓話的というか、現代に通じるところがたくさんある」、「登場人物それぞれがきちんと成長している」ということを話していました。
槙尾はう大の新たな側面として、「作品に罪はない」「私はあると思う」というやりとりのように時事ネタを取り入れていたことをあげていて、う大は、「議論してもしょうがないという気はある」と話していたのは、先述した、肯定力だ。
 基本的に、劇団かもめんたるについて、公演タイトルから何をやっているのか伝わりづらくて、二の足を踏んでいる人って多いと思うのですが、それこそ、かもめんたるの単独ライブなら行くっていう人が見ていないのであれば、めちゃくちゃもったいないと思います。2時間近い公演で、笑いだけじゃなく、間延びしない脚本とその構成力などもありますし、登場人物全員が、う大感や槇尾感があって、かもめんたるしています。
 

 11月の最終週にも第8回公演が決まっているとのことなので是非皆さんには足を運んでほしいですね。

バナナマン設楽統の「伝えなくちゃ伝わんないんだよな。」の系譜

 NHKで放送されている『ファミリーヒストリー』という番組は、有名人をゲストに迎え、ゲストの父母、祖父母といった家族をさかのぼるという番組で、市井の人にも当たり前にあるダイナミズムさ溢れる「生」を浮き彫りにする。
 2016年12月21日に放送された『ファミリーヒストリー』は、ビートたけしをゲストに迎えていた。
 ビートたけしの幼少期、たけしの実家には両親と兄弟の他に、父方の祖母である北野うしも同居していた。うしは当時、義太夫の師匠をしていたのだが、家が狭かったこともあり、たけしや兄弟はうしが義太夫を教えている同じ部屋で勉強をせざるをえなかったため、それはそれはとてもうるさかったという。そして、実は、うしは、父の叔母にあたり、養母であったということが明かされる。
 たけしのルーツをさかのぼるために、番組で牛についての調査をすすめていくなかで、うしについての資料が東京大学の明治新聞雑誌倉庫で見つかる。花柳界などについての雑誌『別世界』の明治29年1月号には、当時の人気娘義太夫の武元八重子を特集している記事が載っている。その八重子こそが、北野うしの芸名であった。その記事によると、北野うしは阿波、現在の徳島県の、うどん粉を扱う問屋の娘として産まれ、幼少のころから義太夫にのめり込んでいき、頭角をあらわしていたという。うしの父であり、武の父方の曽祖父にあたる北野鶴蔵がやっていた商売は上々だったのだが、明治23年恐慌により、商売が傾きだしてしまう。そんな実家を助けるためにうしは上京し、義太夫として売れて、寄席に積極的に出演していたという。北野うしこそが、グレート義太夫だったのだ。
 このことを証明する資料として、明治26年9月6日の都新聞の「寄席の案内」という記事が番組で紹介されていた。それは木原店にあった木原亭という寄席にその日に出演する芸人が羅列されたもので、主役である八重子の文字とは別に、談志の文字を見つけ、思わず一時再生ボタンを押してしまった。
 談志といえば、立川談志のはずなのだが、もちろんあの立川談志ではない。ここに書かれてある談志は、おそらく、あの立川談志から二代遡る、のちに柳家太夫となる立川談志のことであろう。『古今東西 落語家事典』によると、この談志は、明治23年頃に師匠である先代の立川談志の名を継いだものの、その後、ほとんど高座にあがらなかったばかりか、何度か引退もしていたような人物で、あまり目立った活躍はしていなかったようだ。
 他の立川談志、例えば、「鎌堀りの談志」と呼ばれた談志などは、その二つ名の由来となった「郭巨の釜堀り」という所作事(マイム)を考案したことから、珍芸四天王として有名になるなどして、名跡たることをなしている。そのため、この資料に載っている談志は、立川談志という名跡のなかでは、格が落ちるような存在なのだが、例えそうだとしても、芸人ビートたけしとして関係性が深いあの立川談志に繋がっていく歴史の一つであり、そんな談志が、ビートたけしの戸籍上のルーツが百年以上も前の資料の上で重なり合ったことには、運命めいたものを感じずにはいられない。落語家が襲名というシステムを導入しているから感じることができた、いわゆる、歴史のロマンというやつだ。
 何より、当時の談志が高座にほとんど上がっていなかったという事実が確かならば、この八重子と談志が寄席で同じ日に出るということは滅多になかったことであったはずなので、そんな貴重な一日が番組の資料として現代にて紹介されたということを踏まえると、より味わい深い。
 名跡としての立川談志を調べていて笑ってしまったのが、三代目の「花咲爺の立川談志」に関してのことで、『古今東西 落語家事典』には「俳諧狂歌をよく詠み、洒落がうまく、そのおかしさは無理がなく、また談志特有のものがあったから、これを皆が談志流といった。」と書かれている反面、同じ時代を生きた柳亭小燕枝の『燕枝日記』には「このとき、談志、真打となりて、市中を打ちまわす。その権威、甚だしく、人を使うこと奴隷のごとし」という記録されているくらいに、仲間内から嫌われていたようで、この二つのエピソードいずれもが、まさに、あの立川談志を彷彿とさせるものだったことだ。
 また、同じく資料にはブラックという文字も載っている。これは快楽亭ブラックというオーストラリア生まれの外国人の落語家のことであり、初代にあたるのだが、その二代目はあの立川談志の弟子となった後、破門されたが、現在も落語家として活動している。
 そして、この木原亭というのは、時代はまた少しずれるが夏目漱石の『三四郎』で、三四郎が与次郎に連れて行ってもらった寄席であり、あの有名な「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。」という文章はこの帰りに、与二郎が三四郎に向けたセリフである。しかし、改めて読んでみても、小さんという名前を入れ替えればいつの時代でもパロディで活用できるほどの名文であり、むしろ、僕が今こうして文章を書いているのは、この仕合せを分解するような作業でしかないという気持ちにさせられる。
 『ファミリーヒストリー』は、ときたま、ビートたけしの祖母が、たけしと同じく芸能で名を成していたというような、出演者とその先祖の人生やパブリックイメージが重なるようなエピソードが出てくることが多い。その時に、「血は争えない」という感想が思い浮かんだりするのだが、特に、2015年9月18日に放送された、バナナマン設楽統をゲストに迎えた同番組はそう感じさせられた。その中で出てきたひとつのエピソードが、まさに設楽統過ぎたのだ。
 「秩父・織物の絆 100年前の出会い」というサブタイトルがついたその回は、設楽統の祖父の代まで遡る。設楽は、自身の祖父が、織物か何かで成功した人物だということまでは家族から聞いたことはあったものの、詳しいことは知らないと話す。
設楽の出身地である埼玉県秩父市は、明治から昭和初期にかけて織物で栄えた街であった。そんな秩父の伝統工芸品のひとつである秩父銘仙という絹織物は、大正から昭和初期にかけてブームを起こし、日本全国の女性に手軽な普段着として愛されたという。その秩父銘仙に革新をもたらせたのが、設楽の祖父にあたる設楽逸三郎だったのだということが番組の調査によって発覚した。
 小さな織物屋に産まれた逸三郎は、小学校を卒業後、埼玉県入間郡にあった染織講習所に一期生として入所する。当時は、産業界に西洋化の波が押し寄せていて、日本にも化学染料が大量に輸入されるようになっていたが、業者自体がそれらの使い方を把握していないという問題が生じていたという。逸三郎が入所した染織講習所は、新技術を使いこなすために必要な、最低限の科学的、専門的知識を学ぶために建てられた学校であった。
 化学染料の導入によって、秩父銘仙はより鮮やかな色を表現することが可能となる。逸三郎は販路拡大を目指して、それらを携え全国行脚を始める。目算のとおり、逸三郎の秩父銘仙は全国へと広がっていくことになるのだが、そんな折、第一次世界大戦が勃発したことで、事態は一変してしまう。化学染料の大半の輸入元であるドイツが、日本の敵国となってしまったがために、化学染料の入手が困難となってしまったのだ。特に不足したのは、黒い染料であったという。
 そんな時、逸三郎の脳裏に、奄美大島の伝統工芸品である大島紬のことがよぎる。逸三郎は、秩父銘仙を持って全国を周っている間、各地の織物の勉強をしていたのだが、その時に知った大島紬がこのピンチを打破できるのではないかと閃き、黒の染料を求めて、奄美大島へと渡る。
 大島紬特有の光沢のある黒は、奄美大島に自生するシャリンバイという木から煮出した染料で糸を染め、その糸と奄美大島の泥に合わせることで産まれる。シャリンバイという木の幹に多く含まれるタンニンと呼ばれる成分が、泥に含まれる鉄分と反応するからだという。それは奄美大島に伝わる伝統的な方法であり、その土地に訪ねてきたばかりの逸三郎が、島の人たちにとって大事な木を簡単に譲ってもらえるわけはない。
 そんな窮地から脱出できたのは、染織講習所で得た化学知識のお陰であった。逸三郎は調査の結果、シャリンバイと同じように奄美大島に自生し、かつ、タンニンを多く含んでいながらも、雑木のような扱いであったチンギという木を見つけ、それらを貰い受けることに成功する。チンギからどのようにして黒の染料を産みだしたのかの詳細は残っていないとのことだが、逸三郎が黒の染料を探したということが記載された資料は、奄美市奄美博物館に保管されている。
 それから逸三郎は、奄美大島で黒の染料を作る工場を建て、それによって莫大な利益を得る。その後は、秩父に戻って織物工場を建て、そこでもまた成功を収める。しかし、その後、太平洋戦争が起きたことで、工場は軍需工場にされてしまう。その後、織物工場を再開することは叶わなかったという。
 ここまで、設楽家の男性は、全員、面長で唇がぼってりしているんだな、設楽のオシャレ好きは、こういった血から来ているのかなどと、暢気に思いながら番組を見ていたのだが、番組の最後で紹介された設楽の両親に関するエピソードと、設楽統のことが繋がったことで一気に感情がひっくり返った。
 設楽の父もまた、秩父の出身だったのだが、母親は福岡県久留米市だという。そんな遠く離れた地の二人がどのようにして出会い、結婚まで至ったのかということは、設楽も詳しくは知らなかったという。そして番組の調査で、この結婚もまた、織物がつないだ縁だったということが発覚する。
 設楽の母方の曽祖父の江頭良蔵は、佐賀県長崎街道沿いで染物屋を営んでいた。長崎街道とは、福岡県の小倉と、長崎県を結ぶ街道であり、明治時代はとても賑わっていたという。そのため、この道沿いは当時の一等地であり、そこに店舗をかまえているということは一種のステータスであり、商売が成功している証しでもあった。そんな江頭家の三男として産まれた江頭金一郎は、旧制中学校を卒業後に上京し、職工を指導する人材を排出する役割をもった蔵前工業学園とよばれた、東京工業大学の前身である学校へと入学する。そこで最先端の染織技術を身につけ、卒業後はその普及に努めることになる。  
 技術の指導者として最初に赴任されたのは、埼玉県の入間郡立染織講習所の初代所長兼講師となる。なんと、設楽の母方の祖父と、父方の祖父がここで繋がることになる。設楽の母方の曽祖父と父方の祖父は、染織講習所の所長と講師の教師と生徒という間柄だったのだ。
 そして、逸三郎が成功するためのヒントとなった大島紬を見つけたのは、全国を行商していたからだということは先述したが、その全国行脚をやってみるように勧めたのは、誰あろう金一郎だった。
 時は進み、金一郎は亡くなるのだが、逸三郎は遠方で行われたその葬儀に参加できなかったことを悔やんでいたという。それを気にかけて、金一郎の自宅があった福岡県久留米市までの旅行に誘ったのは、設楽の父であった。そこで出会った、金一郎の孫である一人の女の子が、設楽の母となる。その後も家族同士の付き合いは続き、そこから二人は結婚し、設楽統が誕生する。
 番組の最後に、設楽の兄が、設楽の父から母に宛てられた結婚までの二年間に送った50通以上の手紙を持ってくる。それは、今回番組で特集されることが決まって初めて、設楽の母親が大事に持っていたことが分かったもので、設楽の兄もこのような手紙があることを知らなかったという。
 その手紙には「ああ、一日も早く逢いたい。そしてまた手をつないで色々と話がしたいと思います。」「週末の夜や日曜日などデイトが出来ないのがちょっと淋しく思われますが、淋しいのは貴女も同じことと思い、我慢しています。」などと、ストレートに愛を伝える文章が綴られていた。
 結婚後も誕生日にはプレゼントと短い手紙を送り、それは病に倒れてから亡くなるまで続いたという。その頃に渡した手紙も「毎年この日を変わらぬ明るさと美しさと健康で迎えるあなたは素晴らしい女性だと思う。あなたに対する僕の気持は36年たった今も少しも変わらない。これからも仲良く倖せに過ごそうナ。」というもの。設楽の父親は、筆まめならぬラブレターまめだったのだ。
 設楽統とラブレターといえば、コアなファンは、設楽が奥さんと付き合っていた頃に、二人で交換日記をしていたというエピソードを思い出すだろう。そこには、父と同じように彼女へのストレートな愛と、当時設楽が付き人をしていたコント赤信号渡辺正行の悪口などが書かれていたのだが、さすがに、この程度の繋がりだけで驚いたわけではない。
 百年も遡る織物が紡いだ縁が、バナナマンの、しかも一、二を争うほどに好きなコントにまで繋がったことに驚いたのだ。
 それはどういうことか。
 バナナマンが毎年行っている単独ライブにはひとつのお約束がある。それは、最後のコントは、30分ほどの長尺のものだということだ。その多くは恋心を題材に用いており、笑いを重ねながらも最後には少し良い話だったりしんみりとしたオチに向かったりするもので、まさに、単独ライブが開かれる夏の終りのあの感じを思わせるものとなっている。
 大学一年生のころ、初めてバナナマンの『pepokabocha』という単独ライブのDVDを見た時、散々笑わせられた後に、笑い以外の感情でライブを閉めるというこの構成に度肝を抜かれ、一撃で虜になった。大袈裟ではなく、これはお笑いを見た感情なのか、という余韻が凄まじかった。それはちょうど、バナナマンがテレビに進出する少し前で、だからこそ、それから始まる快進撃を、その前夜から見ることが出来たというのも今もなお、追いかけているほどに思い入れが深いコンビとなった理由だ。そして、異常に「リアルなコント」と「コントにおけるリアリティ」を気にしてしまうという呪いをかけられた。このいささか厄介な呪いを、こっそりと「ペポカボチャ」の呪いと呼んでいる。
 『pepokabocha』に収録されている「思い出の価値」はいわずもがな、二人で四役を演じる「恋人岬(『monkey time』所収)」、「Fraud in Phuket(『Elephant pure』所収)」も、初めて見た時、相当衝撃を受けた。
 2006年の単独ライブ『kurukuru bird』の最後のコント『LAZY』はバナナマン爆売れ前夜の時期にあたる初期のコント群の中で、一、二を争うくらいに好きなコントだ。
 コントのタイトルになっている「LAZY」は、「怠けている」「無精な」という意味で、コントの中では、ずるずるに引き延ばす「ずるっずる」という意味で使われている。
 段ボールが散乱している部屋に男が二人。会話をしばらく聞いていると、設楽と日村の二人は友達でありルームメイトなのだが、設楽は、日村の妹と結婚するので引っ越しをしなければならないという状況が分かってくる。その設定を分からせるまでにおよそ6分半という時間をかける丁寧さにも舌を巻いてしまうが、それからも、リアルな会話のやりとりで笑いを重ねて行く。そして、設楽は日村に日村の妹と結婚することも直前に報告したというくらい生活面でずるっずるで、前半はこのタイトルは設楽にかかっているのかとおもわせておいて、コントが進むにつれ、日村は恋愛に対してずるっずるだということが分かっていく構成になっている。
 日村は、二年前によく設楽と自分の妹と四人で一緒に遊んでいたひとりの女性のことが好きだったのだが、それと同時に、その女性は、設楽のことが好きだと勘違いをしていた。そのために気持ちをずっと押し殺していた。勘違いが解けてもなお、今さら連絡は出来ないとずるずるの日村に、設楽は「言いたいことは言うの。伝えたいことがあったら伝えるの。人間な。ちゃんと言葉で伝えなかったら、伝わんねえことなんて山ほどあんだよ。だからこうやって思ってることなんてくみ取ってくれねえことなんてあんだぜ。本当のことを知りたかったら、自分で電話して聞け。」と発破をかける。そこからまたコントは展開を見せ、ハッピーエンドへと向かう。
 日村は最後に、設楽に向かって「自分の気持ちってのはちゃんとこう伝えなくちゃ伝わんないんだよな。」と言う。
 この「伝えなくちゃ伝わんない」こそが、バナナマンの初期のコント群には確実に流れているテーマであることは知っていたのだが、それがまさか、設楽の両親の結婚と繋がるとは夢にも思わなかった。
 伝えることで話が転回し、大団円へと向かっていくこのコントと、両親の間で交わされていたラブレターを結び付けるのは、ファンの欲目であり、深読みなのかもしれないが、やはり、世代をまたいだテーマとして浮かび上がってきたという事実をどうしたって無視できず、感動してしまったのである。

俗物ウィキペディア日誌 #2

4月26日
飲み会のため何もせず。
いつものように歩いて帰っていたら、飲み会の帰り、■■のことで泣いてしまったことだとか、革靴だったから普段より疲れてしまい、コインランドリーで休憩していたらいつのまにか眠ってしまっていて、起きたら三時間ほど経っていた。帰宅したのは四時頃だった。

 

4月27日
連休初日。朝起きたら、イヤホンの片方が無くなっていることに気付いた、コインランドリーに行ったらあった。ジュンク堂で「おぼっちゃまくん」の文庫版全巻を購入。店内で古本を売っており、何となく眺めていたら『大衆と反逆』を見つける。『100分de名著』以降気になっていたので購入。装丁がカッコ良かったのも良かった。
帰宅し『ファミリーヒストリー』のマクラを完成させる。気付いたのだけれど、これまでブログを書けば、その後にアップ出来るからある程度我慢できたけど、同人誌には新作を入れた方がいいというアドバイスを受けたことから、今回新作としてこのことを書いているのだけれど、これって承認欲求の権化こと俺には、他人にすぐに見せることのない文章を書いてそれで終わりと言う行為がとてもつらいことに気がついた。
「劇団かもめんたる」の日程を選びあぐねていたら、追加公演が決まっていた。ええいままよ、として、この日を購入。合わせて、飛行機のチケットも購入。内村文化祭も当選していたので、その飛行機のチケットも購入。とりあえず、夏の電柱を確保……。
何でみんな劇団かもめんたるを見に行かないのか、食指が動かない、何となく怖いという気持ちは分かるものの、不思議だ。第二回公演の『ゴーヤの門』しか見ていないが、めちゃくちゃオススメなのに。

あー、夏の終り、東京で誰か暑気払い誘ってくれないかな~~~。

 

4月28日
起床して、すぐにオードリーのANNを聴取。名言続出の回だった。
設楽さんの『ファミリーヒストリー』を見る。
昔見た時よりも色々な気付きがあった。今見ることで、書けることがあるなら、寝かせても良かったなとも思わないでもない。それは、バナナマンが、ネタは出来たけど今この哀愁は出せないということで寝かせていた、「rain」というコントのように。
で、文章にもとりかかる。
途中、東京ポッド許可局のナイスコーヒーグッズが届くので、ナイスコーヒーマグカップでチルアウトする。
寝る前に『ドキュメンタル』のシーズン7を見る。初めてみたのだけど、めちゃくちゃ面白い。続きは明日見よう。
夕食に今年初のゴーヤーチャンプルー。うまし。

 

4月29日
起床して『ドキュメンタル』のシーズン7を昨日の夜の続きを見る。爆笑した。番組の性質上、感想がぼやかされるのが残念でならない。『ドキュメンタル』で思い出したが、以前小藪論をやってみたいと思ったが、どう考えても難しい。面白いし大好きだけど、語れない。同人誌のラインナップを見てみるとどうしても偏りがあるので、幅を出すためにも『ドキュメンタル』についてもいれようかな、と思った。まあ、よくあるくだらない問題ではない視点が見つかればやるかも。
『大衆と反逆』を読み進める。難しいのだけれど、めちゃくちゃ、現代を切り取っているようなことが書かれている。少しずつ丁寧に読む。
ファミリーヒストリー』続き。『からくりサーカス』ばりに壮大な話の先にコント論っていう構成になるのちょっと面白いな。というかここ最近書いている文章で、一切ボケていない。
文学フリマコミティアについて調べる。どっちも評論のオリジナルは出していいみたいだ。日程も同じかなんかで、どっちでもいいのかな、と思わないでもない。今年の11月を目安に頑張る。でも通販だけでもいいのかな、とも思った。
東京ポッド許可局の「おかわりズルイ論」を聞く。やよい軒のおかわり有料化の問題について。必聴。船場必聴。この人、○○されないのはズルイ!って思って怒っているんだなという見極めは大事。そういうのは無視できるので。
BGMはずっと、くるりの『remember me』


4月30日
完全に体調を崩した。オードリーANN武道館ライブの本を読む。若林最後のコラムが凄い。おすすめしてもらった『ドキュメンタル』のシーズン3を3エピソードほど見る。神田松之丞の『問わず語り』を聞く。お好み焼屋の話が凄い。
令和元年のカウントダウンを爆笑問題のNHKとアルコ&ピースのDCGを流しながら迎える。カーボーイを20分ほど聞いて就寝。

 

5月1日
令和元年初日。ずっと雨。微熱と腹痛。一日の半分近く寝ていた。
朝起きて、爆笑問題カーボーイの続きを聞く。生放送にしてくれて、しかも、ウエストランドアルコ&ピースうしろシティ金子、ハライチ、まんじゅう大帝国が来るという新年会のような放送で最高だった。令和も爆笑問題で決まりだね。
設楽統の「ファミリーヒストリー」の文章完成。こんな面白い文章、ブログにアップできないんですか?
明日からは、いとうせいこうのまとめをしようと思う。
そしてきっかり令和五年に売れます。

 

5月2日
体調回復。微熱程度になり、食欲も出てくる。お店に行けるくらいの体調になったので、本屋に行き、ロッキンオンジャパンメロン牧場を立ち読みしようとしたが見つからなかった。テレビブロスを立ち読み。うどんを買ってきて食べる。
おすすめされた『ドキュメンタル』シーズン3を一気に見る。なるほど、春日春日っていうのはこれか!めちゃくちゃ面白かった。明日からオススメされたシーズン5を見る。
昼は妻が美術館に行くということで、一人で子供を見ていた。
いとうせいこう『今夜、笑いの数をかぞえましょう』に取りかかる。
10万字突破。


5月3日
ウシーミーという沖縄特有のお墓参りに朝起きて両親と行く。神田松之丞が、清明祭とラジオで言っていたが、それで、ただ沖縄のお盆みたいなものであり、こっちではシーミー、またはウシーミーと呼んでいる。ウはおであり、ウを着けないのは、お盆のことを盆というものであり、ウシーミーと呼ぶのが一般的だったのだが、最近はシーミーと呼んでいる人も多い。お墓参りをすると、昆虫キッズの「楽しい時間」という曲を思い出す。
また、お墓参りのさいに、ウチカビといって天国で使うためのお金に見立てた紙を燃やすのだが、それは枚数が決まっているらしい。ただ、今回、余ったので母親が多めに燃やしたのだが、その時に「地獄の沙汰も、っていうからね」と言っていた。先祖、地獄にいることになるだろ、と思った。
両親もこれからお隠れになるだろうから、こういうの俺が率先しておぼえないといけないんだろうな、となった。帰りに大戸屋で食事をする。体調不良のために適当なご飯だけを食べていたので、久しぶりに食事をしたという気持ちになった。
帰宅後昼寝をする。起きたら、妻が好きなフリースタイルダンジョンを見ていたのだが、とあるラッパーに「この人下手じゃない?」と言ったら、「私もそんなに好きじゃない」と。どうにもラップが単調だと思ったから言ったのだけれど、僕は一切ラップを知らないけど、そういうのが分かる。なぜなら昭和の名人の落語家のフロウを知っているからな。
夜にタイタンシネマライブを見に行く。
以上のことより、同人誌は何も手をつけず。

 

5月4日
朝起きたら、同人誌が購入されていたので、即日郵送する。ありがとうございます。在庫を数えると58冊。
いとうせいこうの本をあれから3~4000文字にまとめなおすのってめちゃくちゃ難しいことに気がついたので一切手をつけられず。
書き下ろしの記事について、そんな小賢しいことをしてもなあという気持ちにもなり、これもアップしようかな、という気持ちにもなってきた。
どうしたらいいですかね。コメントに何かあればよろしくお願いします。これはあくまで日誌なのでご意見お待ちしております。
いとう本について、全く進まないので、とりあえず推敲する。いくらでも直せる。大甲橋について書くことがあったのでウィキペディアで調べる。誰だよ、大甲橋の関連項目に上田晋也って入れたの。

俗物ウィキペディア日誌

4月19日
重い腰を上げて、二冊目の同人誌に取りかかることにした。タイトルは『俗物ウィキペディア』。まず、これまでにブログにアップしてきたものから入れたいものを選択してワードにコピペしてみたら、80,000文字を超えていた。前回はどれくらいだっけと調べてみると、34記事100,000文字だった。加えて、書き下ろすものも書き出してみた。まずは、あるものの推敲からやる。

 

4月20日
毎日、どんだけ少なくても取りかかる時間を作ることを決める。
遂行がてら、2014年までの自分の文章を読んで見ると、フルパワーズ福永の記事など、隔世の感がある。何より、坂口杏里のことを、優秀な軍師でもついているのかとか書いていたこと。構成作家すらついていない、無策だった。「生き方はロックなのに歌声はロックじゃない」とツイートしていたが、ロックはロックでも落石だろ。
ブログは、自分の文章の拙さに驚愕するが、それは成長したから言えることだということにする。何より、あの時は2,000文字を目安にしていたくらいだから。今は、マクラでその半分に達してしまう。
とりあえず、孤独で楽しい作業が始まる。

 

4月21日
目次に、日付をつけてみたらどうにもごちゃごちゃしてしまったので、年表でも作ろうかな。
やはり、新しく書き下ろすやつ(新作と書こうとして恥ずかしくなってやめた)も手をつけようと思う。まずは、『ファミリーヒストリー』の設楽さんのやつあたりから。いとうせいこうの『今夜、笑いの数を数えましょう』も4,000文字くらいにまとめていれたいけど、どうしようかな。
劇団かもめんたる、やっぱ行こうかな~。

 

4月22日
設楽統の『ファミリーヒストリー』の話を考える。マクラからとりかかる。ずっと頭の中にあった構成で問題なさそう。設楽さんの『ファミリーヒストリー』、2015年9月なので、3年半放置していたことになるのか。
赤ちゃんを太ももにのせながら、パソコンを睨む。そうすると赤ちゃんはいつのまにか寝ていることが多い。

 

4月23日
帰宅してだらだらしてしまったので、既存の章を適当に推敲することに。
通して読むと、やっぱりお馴染の表現が目立つのでちゃんと変える必要がある。手くせで書くのはいけない。バレる。
1時間ほどやって赤ちゃんをお風呂に入れたりして就寝。
明日、ウィキペディアで見つけて気になった本が県立図書館にあるみたいなので仕事帰りにでも行こうと思う。
相沢直さんのnote『医学部平凡日記』を読み始める。面白い。

 

4月24日
ツイッターがうるさい。ツイッターでのみインプットしてアウトプットしているからそうなるのかもしれない。自家中毒。みんなブログやって、そっちで殴り殴られればいいんだ。そのほうが健全だよ。東京ポッド許可局の『ナイスコーヒー論』と『チルアウト論』を千回聞け。
仕事帰りに県立図書館に行ってきた。最近新設したばっかりでめちゃくちゃ綺麗。目当ての『古今東西落語家辞典』を見つけて必要な個所を確認する。この本、めちゃくちゃ資料として最高で、普通に欲しくなった。「古今コント東西辞典」という本のタイトルを思い付く。得られた情報はウィキペディアと変わらず、結果は「『古今東西 落語家事典』によれば、」という文字を付け加えるためだけなのだけれど、こういうのを大事にしないといけない。
帰宅後、記事にとりかかる。文章を書いていたら、とんでもないことに気がついた。たまんない。これが歴史のロマンか。2冊目は、前回と比べると、取り扱っている材料が限られているので、より深くしていきたい。でも、2,000文字に満たない文章もさくっと入れても良いかなとも思う。まあ、なるようになる。
本文を粗く書きなぐって『俗物ウィキペディア日誌』を今日の分まで日記から引っ張ってきて書き始める。それにて今日はおしまい。ほうれん草のおひたしをつくらないといけないので。
1冊目を買ってくださった方には分かると思いますが、エピグラフをそのままにするか、別のものを使うか、もっといえば、『俗物ウィキペディア』でいいのか悩む。
BGMはカネコアヤノと折坂悠太。
子供が生まれて、ずっと風間やんわり先生の書く顔みたいだと思っていたが、最近やっと素直に可愛いと口に出すことが出来るようになった。
行きたいなあと思う日程で見られるライブを色々と教えてもらった。ありがとうございます。

 

4月25日
帰路につきながら、『爆笑問題カーボーイ』を聞く。太田さん転倒からの復帰の回。リアルタイムでも聞いていたが、面白かったので飛ばさずに聞く。一カ月たった今聞くと、より面白い。
記事にとりかかろうとしたら、『アンビリーバボー』が面白くて見入ってしまった。『科学の教室』という雑誌についての『プロジェクトX』みたいな内容。
粗く書いたものの簡単な清書。明日は飲み会なので、何も出来ないかも。
BGMは引き続き、カネコアヤノと折坂悠太、宇多田ヒカル
表紙の案が思い浮かばない。誰か書いてくれないかな。褒め言葉としてのごちゃごちゃっとした絵を書いてほしい。風見さんとか良いな。もちろん、『俗物ウィキペディア』は筒井康隆の『俗物図鑑』のパロなのだが、あの表紙に似た絵を描いてもらえるならぴったりだ。
こういう場合、お金とかってどうなるのでしょうかね。
また書いている記事がマクラで2000文字超えてしまう。
「俗物ウィキペディア日誌」をブログにアップして終り。狙いは、頑張っているアピールです。あと、退路を断つため。見る前に跳べ。跳ぶ前に退路を断て。
今日は終り。

 

思ったこと
空気を読むということが、芸人、ひいてはタレントの悪癖のように言われるが、例えば、りゅうちぇるなどが言う新しい風と褒めそやされる言葉なども、ある程度、新しい風の空気を読んでこその発言だと思う。揚げ足取りと言われるかもしれないが、基本的には、空気を読むことが良い悪いというのもそのレベルだと思っている。
空気を読む読まないうことは、美徳でも悪癖だとも善行だとも思わない。それ以上でも以下でもない行為だと思う。

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第6夜 きたろう」の雑感とまとめ

 最終章は、いとうが勝手に師匠と仰ぐ、きたろうがゲスト。ただ、この章は、きたろうが「セックスを語るみたいなもんだよ、笑いなんて語るもんじゃないよ」とうそぶくように、理屈の先にあるものの話をしていて、舞台に立ったことのない人間としては、分解することが出来ない。ある意味、これまでこねてきた理屈をちゃぶ台をひっくり返すような、とはいってもやっぱりそうだよなと妙に納得させてしまいまた迷路に入り込まされてしまうような章だった。なので、これからここで話すことは基本的に、笑いって何?ということになってしまう。また、僕が全くシティーボーイズを知らないという不勉強なので、その点でもきたろうの立ち位置を説明できないというのもあります。ちゃんとDVDとか買います、すいません。
 そもそも、シティーボーイズ三人が三人、フラを持っている存在なので、その一人をゲストに迎えるという時点で、理屈を超越した話になるのはまあ想定の範囲内であっただろう。なので、この章は、いとうがきたろうとイチャイチャしながら、きたろうという存在から笑いの理屈を抽出していくというこれまでとはやや異なったアプローチとなってもいる。
 きたろうの凄いところは、「セックスを語るみたいなもんだよ、笑いなんてかたるもんじゃないよ」と言葉だけ引けば、カッコいい名言となるのだが、いとうにすぐに「セックスのことなんてわかってないじゃない」とつっこまれて成立してしまうところだ。
 それだけでなく、いとうは、きたろうのそういった理屈から外れたところ、例えば、「きたろう、それは笑いにならないぞ」とか「あそこ面白くないですよ」と言われてもギャグをやめなかったりという、「(いとう曰く)客が引くことに対する異様な執着」についても話が出てくる。たしかに、客を引かせることは笑いのセオリーから外れているわけだが、引かせたいという気持ちになるのも分からないでもない。いとうもそうだと思うので、異様な執着というのだからよっぽどだろう。
 いとうは「精神分析フロイトがユーモアのセンスは生まれつきだって言ってるんです。これは変えられないって。」と話し、そこから古今亭志ん生へと移る。古今亭志ん生というのは、昭和の名人の筆頭とも言われる伝説のような落語家なのだけども、この人も、理屈を超えたところで「面白い」を体現している人で、フラといえばこの人という芸人でもある。ここ最近、『いだてん』の影響で、志ん生関連の本を読んでいた。なので『いだてん』を貯めてしまっているという本末転倒な状況に陥ってしまっているのだけれども、志ん生は、実は昔はものすごく写実的な落語をしていたという記録があるらしいということ、そしてものすごく勉強熱心であったということを知った。聞いてみたら分かると思うが、よたよたと走っているような落語で技巧派とは言えないようなものなのだけれども何故か何度も聞くと、ものすごくハマってしまうというその志ん生の落語がもともと「上手い」芸をやっていたということを知って、少なからず驚いた。ピカソがすでに15歳ごろには、写実的な絵を完成させていたが最終的にはゲルニカのような絵に到達していたみたいなことだったのだ。
 それでも話が進むと、技術の話も出てくる。きたろうは、転ぶのが上手いという話から、前の章にも出てきた「笑いの人って忘れる能力がすごく必要」「本気で『あれ?』って顔ができるかどうか」が重要だと話、「きたろうさんは前にのめって転ぶのもできるし、後ろもいけるし、ヒジを外すズッコケや、頭ぶつけたりすることもできるでよ。日本でこれを全部できる人は堺正章さんときたろうさんだけだと思う。」といとうは言う。
 たまにネタを見てても、ほんとうに「突っ込んでいるだけ」の人がいて、それって「知っちゃってんじゃん」って冷めてしまうので、この忘れる能力というのは技術としてもっと知られるべきだと思います。
 とまあ、ここにきて尻すぼみ感が以上に出てしまうくらいに、きたろうゲストの回は、面白かったけどあまりにも不勉強で話せることがないという体たらくになってしまいました。
 なので、最後にこの本のまとめをやりたいと思います。
 エピローグとして、宮沢章夫が再度登場しているのですが、こっちは逆にめちゃくちゃ深いことを話しているのですが、それはもう買って読んでください。
 この本をいつもみたいにひとつの記事にしようとしたんですが、大事なことが書かれすぎていてこんなもん3~4千文字でまとめられるわけねぇじゃねえかとなって、一章ずつやろう、でもまた途中で飽きるかなとか思っていたら、全然飽きませんでなんとか完走できました。リプライで褒めてほしいです。
 恐らく僕よりも年下で今のお笑いを見ている人って、このラインナップって正直そんなにピンと来ていないんですけど、将来お笑いやテレビ制作などに関わりたいって人は必読だと思います。これは本当に。もちろん、お笑いの面白いところは、これを読まないでも面白い人、超えてくる人はいっぱいいるだろうけど、自分にはそういう才能がないという人(その才能という言葉を僕は疑っていますが)にこそ読んで考えてほしいです。
 多分、これを読んで実践していったら、まじで売れると思いますもん。
 そしてファンのひいき目かもしれませんが、この本を読んでいると、本当にバナナマンのコントを持ってくることが出来て、さすがに多いんで、バナナマンのあのコントのあれだっていうのは書かないように自重していたくらいなんですけれど、やっぱバナナマンって本当にすげえんだなって思いました。思えば、「宮沢さんとメシ」って、シティーボーイズの「宮沢君シリーズ」のタイトルオマージュなのかなと。
 まあ、そんな感じで終りでーす。
 オランダ行ってきまーす(かぶせの笑い、通称天丼)。

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第5夜 宮沢章夫」の雑感

 第5夜は宮沢章夫。宮沢と言えば、NHK風間俊介とやっていた『ニッポン戦後サブカルチャー史』。放送当時、熱心に見ていました。
 余談から入らせてもらうけれど、この章で大江健三郎の『河馬に噛まれる』という小説のタイトルを、宮沢が素晴らしいよね、と話していたが、僕のツイッターのアカウント名は、大江健三郎の小説から拝借しているのだけれど、最近、どうせなら「河馬に噛まれる」にすれば良かったな、などと思っていたので何となく嬉しかった。
 河馬に噛まれるというのは恐らく、大事故なのだけれども、カバから連想される、バカという言葉やあの間の抜けたビジュアルなどが、その重要性をかき消していて、そしてそれが生み出すギャップが面白いのではないかと思われる。「河馬に噛まれる」、大喜利の答えとしても有効そうだ。
 話を本題に戻します。
 始まってすぐに、演劇での笑いとコントの笑いの違いにおいて、盲点というか本質を突くような話題に入る。渋谷ユーロライブで行われている「渋谷コントセンター」という、大体四組ほどのお笑いコンビや劇団が出て、30分ほどの時間を貰って、コントをするというライブがあるのだけれど、そのキュレーションを任されているいとうは「驚いたのは、演劇の人は平気で人数を増やすんですよね。」と話す。対して宮沢は爆笑し、「舞台にはそういったワクがないんだな。何かやりたいことがあって、そのために八人必要だったら集めれば良い。演劇の発想だと、そうなるよね。」と返す。
 想像してほしいが、たしかに、コントやりますって来た人が、八人くらいがぞろぞろと来たらそれだけで面白い。倉本美津留の回に話に出てきた「数が多いと笑う」と同じだ。
 いとうは、あくまで一つの定義になるのだが、「笑いを作る側の事情と何を作るかの問題のどっちを優先するかってことじゃないですか」と話し、「演劇の人たちは、最初の十分間、笑わせなくても平気だもんね」と続ける。
 よく、フリを長めにとると、お笑い芸人は演劇っぽいと評されることがあるという話はケラリーノの回でちらっと言及したけれども、この話でよりなるほど、と思わされた。上手く言語化できないので、考えるべきこと、として保留しておきたいと思うのだけど、『HUNTER×HUNTER』にあった「入口が違うから到達できた」みたいなことだと思う。そしてコントの質を一段あげるための大事な何かがあるような気がする。
 ただ、舞台に出て一秒でも早く笑いをとるということこそが、芸人としての業(カルマ)でもあるような気がする(事実、『M-1グランプリ』で審査員を勤めた博多大吉はツカミの速さも評価軸にしたと話している)ので、必ずしもじっくり立ち上がるコントがすべていいのかというと、もちろんそんなことはない。
 演劇と芸人の笑いを話していたが、徐々に素人の笑いの話へと移っていく。素人の笑い、というよりは、素人を使った笑い。話はもちろん、それを作り上げた萩本欽一の話へとなっていく。

 坂上二郎が面白い人と大衆に認知されるようになって、萩本は次の大ボケとして、素人を選んだという流れは
 坂上二郎が普通の人から面白い人へと転換してしまったように、今、天才的なツッコミとまで評されている萩本欽一は大ボケになっている。それがよくわかるのが、『電波少年』シリーズの土屋が萩本を撮ったドキュメンタリー映画『We Love Television?』で、これは萩本が30%の視聴率をとるために奮闘するというものなのだけれど、これがものすごくて、ずっとボケていてツッコミがないドキュメンタリーになっていた。是非見てほしい。僕は、松本人志監督作品の『大日本人』は傑作だと思っているのだけれど、萩本欽一は素でこれをやっている。精神と肉体が乖離した人間のペーソスが存分に描かれているこのドキュメンタリーはそういう意味で一件の価値があると思う。そこにビンビンに勃起出来る人間は、最後に爆笑できると思う。
 当時のコント55号萩本欽一と、坂上二郎のコンビ。今気付いたけど、555になっていますね。)の新しさとして、これはよく言われていることでもあるけれど、宮沢はこう説明する。「それまでの笑いは普通の人がボケの失敗を指摘して笑う。つまり大家と与太郎の構造。コント55号は違ったよね。二郎さんはいたって普通の人物として登場する。そおに得体のしれない世界からやってきた萩本欽一が登場する。」と、つまりは、普通の人を追い込むというものすごく陰湿な笑いで、それはとても新しかったのだという。そして、その陰湿さが、ほぼそのままの形で大衆に受けていくというのは、大衆の本質を穿つような話である。いじめはいけないといっても、人はいじめるものなのだ。だからこそ、よく言われるのは、いじめをなくそう、ではなく、いじめはあるものとした対策をしなければならないといわれるのだけれど、それは別の話なので、置いておくとして、爆笑問題が初期にコントをやっていたのは有名だが、そのネタの「進路指導」と「不動産」は、それをさらに陰湿にしたもので、強い影響下にあるということが想定できる。
 ただ、その萩本にいちゃもんをつけられる坂上という構図が、人気絶頂のころに崩れたという。それは二郎自体が面白いと思われはじめたことに起因する。そこで、萩本は素人いじりに向かっていったというこういう流れがあったわけだ。で、様々なカウンター要素を含みつつも、その素人いじりは「ひょうきん族」を経て「とんねるずのみなさんのおかげです」の内輪ネタに帰結するような気がしないでもない。そして、この内輪ネタ的なSNSで撮影現場の動画をアップしたり、共演者同士で楽しんでお笑いをやっていますというある種のクラスの一軍の学芸会的なノリが、福田雄一監督作品なんじゃないかと睨んでいます。この見立て、盗んだら殺します。見立てら理紗。
 宮沢は「天才的なツッコミとしての萩本欽一を前提としないまま素人を使うことで作り手が満足する。笑いの本質が分かってないんだよね。」と言っている。この笑いの本質が分かっていない作り手というのは、現代でもいる。例えば、サンドウィッチマン冨澤のフレーズに「ちょっと何言ってるか分かんない」というのがあるが、あれは、何を言っているか分かるはずなのにそういうから面白いのだが、よく見るのは、本当にちょっと何を言っているのか分からないときに、それをいう人やCMがあるということだ。これこそ、そのおもしろの構造を理解していない人が作っているからこういうことになる。伊集院光もそんな話をしていたが、「ゼロカロリー理論」は詭弁だから面白いのであって、詭弁を言わせずに「カロリーはゼロ」というオチだけを持ってきているものを見ると、何も分かってねえんだな、と思う。
 少しずれるが、この素人と天才的なツッコミという構図は、現代でも使えると思う。もちろんそのままではないが、というか、そう解体することが出来る人気番組が多い。
最近は素人を出すテレビも多く受けているが、例えば、どういった素人をフィーチャーするのかがあるとして、その受け手(ツッコミ)を誰にするかということで番組は決まっていくと思う。例えば、「家着いてっていいですか」だと、どんなヘビーな話でもやんわりと受け流すおぎやはぎの矢作だったり、たとえば「病院ラジオ」のサンドウィッチマンというのは的確だ。どこかこの器用には説得力がある。だからこそ番組が面白い一因となっている気がしないでもない。関係ないが、バナナマンの「youは何しに日本へ」は、日本人を揶揄する言葉のバナナマンがMCをやっているのは皮肉めいていて良い。
 本に戻ります。これから先は、シティーボーイズとかスネークマンショーの話とかをしてますので、あまり雑感は書けないのではしょりますが、やっぱり面白いこと言っています。
 小林信彦の『日本の喜劇人』という本の話がでてきて、宮沢は「小林信彦の青春と挫折の記録である。乾いた笑いを志向していた小林信彦さんが、日本の湿った風土に絶望する話」と語っているところは、本の内容含めて必読です。そして、ツイッターで調べたら、僕は6年前に図書館で借りて読んでいて、その当時の僕は面白がっていました。全く内容覚えていないですが。で、一万円するので買っていなかった模様。その流れで、伊集院光オススメの『怪物が目覚める夜』も読んで面白がっていた。
 最後に、いとうのこの言葉を引用したい。
 いとう「コントで重要な要素の一つは笑える構造が長続きしてくれるってことじゃないですか。『チャンチャン』ですぐ終わらない。だから、さっき言ったみたいないつまでも果実が採れる状態のシチュエーションを考えなきゃいけない。ウェルメイドのコントは、人間の関係性がよくできているから何度でも笑いが産めるけど、宮沢さんの方はナンセンスですもんね」
 この言葉もものすごく示唆的で、ここ最近の「果実が沢山」の例として、これはあくまでマジで根拠のないゴシップの一つとして受け止めてほしいものがあるのですが、先日、復活した『爆笑オンエアバトル』で空気階段が541KBでオンエアとなった。541KBといえば、玉ひとつだけ転がっていないというほぼ満点で、祝祭のような雰囲気のなかで披露された鉄板ネタといえども、なかなか凄い点数で、空気階段が純粋にコント師として面白いということが証明された結果となった。でも、泥目線で見てみると「じゃあ、誰だよ。玉転がさなかったの」となるが、確かめる術ももたないまま、インターネットを散策していると、「空気階段のネタに唯一玉転がさなかったの、カンカラらしいです。」という文字を見つけた。こんなに心躍る言葉はなかなかない。これが、ここ最近、一番果実が取れた木です。
 まず、「真偽は不明だが、本当っぽい」「『誰も傷つけない笑い』の筆頭ぽいのに、めちゃくちゃ厳しい」「祝祭に近いバトルなのに、玉を転がしていない」「カンカラはゴリゴリの本衣装を着て来ていて笑わせに来ているのに、他人をオフエアにしようとしている」「カンカラは空気階段のネタをお茶の間に届けたいと思っていない」「カンカラは、萩本欽一の笑いは勘からって言葉に由来しているけど、鈍感じゃねえか、てか、萩本にもどってる!」と、いろんな角度から果実がとれる。
 こんな感じで、『激レアさんがやってきた』で特集していた、鉄の棒を叩いて叩いて叩きまくってそれでトライアングルを作る激レアさんがいたが、その人が作るトライアングルは音が共鳴しまってとても不思議な音色を生み出していた。そんなように、お笑いも小さな果実が共鳴すると、不思議な爆笑を生み出す。
 ただ、難しいのは、この果実が採れるというのは、単に大喜利に答えを重ねるようなコントでもそれは出来るがそれだと一本調子になってしまうということが多いというところだろう。どうやって、様々な笑いを共鳴させるかが、肝になるのだろう。
 最後の最後に、この本の中で一番、気になったことを紹介して終りたいと思います。
宮沢「これは僕の意見じゃなくて、人から聞いた話として聞いてもらいたいんですが、蛭子(能収)さんの漫画ってマリファナ吸って読むとめちゃめちゃ面白いんだよ。」
めちゃくちゃ気になりますね。オランダ行ってきまーす。