「入門」はすべからくTUTAYAで済ませるべし

多くの著作で折にふれ、落語の話題を出してきた小谷野敦先生が、満を持して落語についての、しかも「入門」のための新書を出版すると聞いて高まった。小谷野敦先生と言えば、博覧強記、歯に衣着せぬ物言いと、芯喰った作家であり、好きな作家の一人だ。何より、僕の宮台真司嫌いを加速させた人でもある。
そんな先生が「21世紀の落語入門」が面白くない訳がない。
「私の言いたいことは何かと言えば、落語って聞いたことがない、という人は寄席へ行くより、まず、昔の名人の録音を聞くところから始めよ、ということである」と述べられている。落語に関わらずその他の舞台評論に見られる「現場主義批判」をかつての著書でもなさっていた先生ならばこその、回答だ。都市圏に住み、現場主義どころか、現場原理主義の人はここが気に入らいないのだろう。


確か、小谷野先生の著作で知ったような覚えがあるが、昔は本を買う際は配達してもらう制度だったと。今は手にとって本を買うことを良しとし、amazonなどのネットを通じた購入はあまり好まれない言説で書かれたりする。価値観の変化というのは得てしてそういうものであるといういい見本のような話だが、同様に落語が大衆に広まったのは寄席ではなく、ラジオ、つまり音源のみである。だから、別に入門する以上は音源のみでいい、と思う。
「落語」に関しては、お笑いライブや、演劇と異なり、「現場主義」と「TV派」の横の軸だけでなく、「昭和の名人」と「現代の落語家」と縦の軸も絡んでくる以上、「入門」の定義は個人的なものだとしても掲げなければならない。
「入門」という言葉を定義するとしたら、「なるべくお金を使わずに、良さを知る」だ。寄席に行ったり、名前を知っているという位の落語家の音源を聞くためにCDを買うというのはあまりにもハードルが高すぎる。まず、「すべからく『入門』は、TUTAYAに向かわせるべし」であろう。この定義付けの段階で相容れない人は、この本を楽しめることはできないと思う。

そして、小谷野先生は、最も良いのは「主要な落語のテキストが全部載っている」「興津要(おきつ かなめ)の『古典落語』を読むことである」と述べている。
本屋に行くと、落語家ごとの所謂速記本を目にする。それらは口語体であり、初心者には読みにくいとしている。事実、読みづらい。本人の声色や、抑揚、そういった話藝を脳内再生出来るほどに聞き込んでいるのであればいざしらず、初心者にはオススメできないというのは分かる。ただ、文字で見ると、聞き流していたところが美文だったりするので、発見がないわけではない。
つまり、テキストで小説のように読み、ある程度話が分かってから落語を聞くと、演者ごとの演出の違い等も分かるようになってくる。そうやって、聞く楽しみを知っていく。


寄席に行くのはそれからでも遅くはない。
第六章「ネタに突っ込みを入れる」では様々な大ネタを消化している。あらすじも書かれているので、興味をもったネタを借りるのもアリだろう。
特に、太田光立川談志の「笑う超人」に収録されている「らくだ」「黄金餅」「鼠穴」について書かれているのは有難い。ここを読んで、「笑う超人」を借りることもオススメだ。

ここまで純粋にこの本を楽しく読めたのは、自分が初心者に毛が生えたレベルだからだろう。実際、i-tunesのなかには志ん朝志ん生、談志がほとんどだ。それでも、乗っける指南書としては最適だと感じた。落語の話からずれた話が聞けるのも、面白い講義を聞いているようで気持ちいい。
是非、「21世紀の落語入門」を読んで、TUTAYAに行って欲しい。