爆笑問題が時事ネタを作る意味。

爆笑問題は今、円熟期を迎えている漫才師といえる。
爆笑問題のツーショット」という漫才を収めたDVDも年一回のペースで世に出し、年末年始にはテレビで新作漫才をおろすことができ、ライブも精力的に行っている。
そのなかで、爆笑問題が定期的に刊行している「日本原論」というシリーズがある。これは、太田光爆笑問題名義で連載している、いわゆる活字漫才である。 シリーズ第一弾の「爆笑問題の日本原論」が刊行されたのが1997年。2012年現在から遡ると、15年の時が経過したことになるが、その間に6冊の単行本が出ている。
「日本原論」はボキャブラ天国以降の爆笑問題の快進撃を予見させるかのようにベストセラーとなった。タレントとして知名度を上げていく中でも、2か月に一回のライブで新作の漫才を発表し、「日本原論」シリーズも雑誌を変えながらも連載を続けてきた。


太田光は、様々な媒体で「時事ネタを扱うのは、単にネタが尽きないからで、社会に対して何にも言いたいことはない。ただウケればそれでいい。」といった旨の発言をしている。確かに日々ニュースは生まれては、脳の片隅に追いやられては、忘却の彼方に消えていく。
この15年間は、どんな時代だったのか。
シリーズ一冊一冊の目次を見れば、さまざまなニュースが生まれては脳の片隅に消えていったことがわかる。
十年後、二十年後に、子供たちに「昔はレッサーパンダが立ったことが日本中のニュースになったんだよ。」と言っても信用してもらえるだろうか。
忘れられない事件、忘れられた事故の影響を受けながら世界は変わった。日本も変わった。爆笑問題も。読者も。


ネタは毎日生まれてくるにも関わらず、なぜニュースネタを扱う漫才師はほとんどいないのか。正確に言えば、ニュースを扱うネタをする芸人は今もいるだろう。
ただ、こと時事ネタにおいては、爆笑問題は他の追随を許さない。


ツービートの漫才で、こんなネタがある。「スポーツやれば心が晴れるなんてウソですよ。金属バットの事件のあいつなんて野球やってるから、おとっつぁんとおっかつぁんの頭にジャストミートしたんじゃないか。野球知らなかったらチップですんだ。」
時事ネタにおいて不可欠なもの。それは、時代に対する批評性である。
強い毒性を帯びている秀逸な時事ネタは、痛快な気持ちにさせ、ふいにそんな社会を一瞬でも許せてしまうのである。
そこには時代を貫くひとつの真理があることは少なくない。
世の中の事象に対して、カウンターパンチを叩き込み、価値観を変化させる。タイムリーでありながら、タイムレスなものそれが時事ネタだ。


日本原論シリーズが数年に一冊というペースで新刊を出していく中で、「漫才」を取り巻く環境は大きく変化した。爆笑オンエアバトル、レッドカーペット、M1という大きな潮流のなかで「漫才」は進化しつづけた。
そのような文脈の中でも、爆笑問題は変わらずに、ただ黙々とニュースをネタに漫才を続けた。
ネタを構成するのは、ダジャレと、すぐ分かるウソと、下ネタがほとんどだ。日本原論はずっとくだらなかった。
そこにはちゃんと理由がある。
連載が始まる前に提出したエッセイ風の文章を見た編集者の「誰にでもわかりやすい文章にしてほしい。一日仕事をして疲れたサラリーマンが、帰りの電車の中で頭を使わずに読んで笑えるような文章です。」という言葉に頭を抱えていた太田に、編集者はこうも言った。
「爆笑さんがステージでやってる漫才がそういうタイプのものだと思います。」
その言葉以降、太田の頭の中には、一人の疲れたサラリーマンがいて、日本原論は、かれを笑わせることだけを考えて書かれるようになったという。
疲れたサラリーマンに、漫才の進化はいらない。日本原論は、くだらないもので笑うという、帰路の中の一つのオアシスのようなものであり続けた。


しかし、日本原論シリーズは変わらないままであろうとしたが、爆笑問題を取り巻く環境は変化していった。9月11日以降は、日本は世界とコミットしていることを意識せざるをえなくなった。日本原論三冊目には、「世界激動編」とサブタイトルがついた。
太田はラジオ「爆笑問題カーボーイ」で二時間、政治や様々なことについて語る「太田はこう思う」を定期的にスペシャルウィークの企画として2003年から始め、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」のレギュラー放送が2006年から始まった。
それにより、爆笑問題が時事漫才をすることに「意味」が付与した。
その環境と心境の変化については、太田光名義のエッセイ「パラレルな世紀への跳躍」「トリックスターから、空へ」に詳しいが、シリーズのあとがきを通して読むのも興味深い。


2003年から2005年という小泉政権後半の時代についての漫才をまとめた「日本原論 偽装狂時代」のあとがきに太田はこう述べている。
「この本の漫才の項目を見て、自分がこの時代に笑いにしたことを知るのと同時に、いくつか、笑いにできなかった事柄が存在することに思い当たる。確かに、私たちが口をつぐんだ事柄が、どうしても消化しきれなかった事柄、この時代には存在する。そういった事柄が存在するということが、爆笑問題の変化なんだと思う。」
一介の若手芸人の時事漫才と、世間的に「政治発言もアリ」と認められた中堅芸人のそれでは、受け取られ方もまったく異なるだろう。
それでも、爆笑問題は時事漫才を続ける。疲れたサラリーマンを笑わせるために。