石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

3本の漫才

AKBのリクエストアワーというイベントで、ハマカーンが漫才を披露した。
ブーイング、「殺すぞ!」といわれたという報道にもなった、この漫才を見てみると、そこまでひどい扱いは受けていないものの、「観客はハマカーンを知っているのか?」、知っていたとしても、「THE MANZAI?なんぼのもんじゃい。」「神田うのの弟?尚更、敵じゃねーか!」であろう「ど」のつくアウェイでの漫才は、やっぱり見ていてヒヤヒヤと、そしてニヤニヤが止まらなかった。
ネタはAKBいじりを入れてはいるものの、ベースは彼らの「浜谷はおじさんなんですよ」のネタなのだけれど、まあ、客が重い重い。全盛期の小錦かよって。
それでも、「彼(浜谷)ね、おじさんなんですよ。新橋に行ったらマネージャーが見失うんですよ」という神田のセリフで、ドカンと笑いをとる。いや、おじさんあるあるで受けるって、やっぱ来てるのおじさんじゃねーか!
その後の、THE MANZAIでもハマったフレーズの「わたくし、とんでもないことを
言ってしまったようです。」も、怯えたひよこみたいな顔で貯めて貯めて貯めきった後に
放って、どかん!と取る。観客の多さ、男のほうが大多数ってことを考えると、ここ近年の漫才で一番、重低音が効いた笑い声を浴びた漫才師がハマカーンってことになりますからね。ハマカーンの地肩はんぱねえな!
ストリップ劇場でネタを披露していたというかつての漫才師ってこういう感じだったのだろうと思うと、かっこよさが増した。やっぱりお笑いファンとして、芸人がホームとして受け入れられるのは嬉しいことだけれども、虐げられてなんぼのカウンターカルチャーとしての芸人が、自分の中で一番好きな芸人像だなと改めて認識させられた。
他に最近見た漫才と言えば、1/27日に放送した日曜演芸パレードでダイノジが漫才をしていた。「あの名作を再び!」という煽りだったので、「ダイノジの名作?まさかあのネタ?それとも、モテる同好会?いや、オンバトでやっていたタクシーの運転手が無線で、話し合うやつか?」と思っていたら、やっぱりベテラン風漫才だった。
このネタを初めて見たのがいつだったのか、どこだったのかを覚えていないけれど、ネタ番組の常連ということでもなく、番組に出てきたら「おお、ダイノジ」くらいだったような気がする。ただ、その時はすごくザワザワとした感情になったのを覚えている。
もちろん、自分も笑って、生で見ているブラウン館の向こうにいる観客にもしっかりウけているのだけれど、言いようのない違和感がある。
「揃いのスーツを着て、師匠クラスの設定で、わざと若者に向けたネタをやっているけど、ツッコミが的外れで、ボケも『ピンとこねえよ!!』」というそれは批評そのもので、「ツッコミそのものがボケとなっている」というネタの流れでも早いほうだったと思う。
自意識過剰なのはもちろんだろうけど、この小さな悪意を重ねていく、「悪意の塊魂」みたいな芯に気づいているのは、俺だけじゃないのか?と錯覚させられるほどの凄みを感じられたネタだった。
今考えれば、その時のザワザワは、これは「笑っていいのか?受け入れられていいのか?」とまではいかないけど、「観客が面白いと思っている部分(大地さんのツッコミ、動きのコミカルさ)と、俺が面白いと思っている部分(ベテラン漫才師への批評)にずれがある」というものから来ていたのかもしれない。
大谷さんが、以前にケツメイシの楽曲に対して「サザンオールスターズの『ミス・ブランニューデイ』みたいな悪意のある歌詞をポップソングにして、なおかつ売れちゃうみたいなことを出来る人達だし、してほしい(大意)」といったことを言っていたけど、今思えば、大谷さん自身が「ベテラン風漫才」でやっていたのだなと。
そんなネタを久々に見たら、あの時のようにはザワザワした感じはしないで楽しめて、むしろ「懐かしいなあ」という感じで笑えたし、大地さんのコミカルさをじっくり見ることが出来ていた。
今でこそ、「悪意あるわ!!」な笑いが十分に市民権を得て、こちらも麻痺しているからということもあるのだけれど、ダイノジが、そういうギミックや二重構造をもったあのネタを必要としないと感じたからかもしれない。2011年に見て一番笑った漫才が、ダイノジの新春ヒットパレードでみたものだったって位だしね。
逆にそういうネタを突き詰めてほしいというのがジャルジャル
ABC新人お笑いグランプリ2013でのジャルジャルのネタは、「僕ら高校の同級生同士でコンビ組んでいるんですけど」というお馴染みの掴みで入ると、後藤が「お気づきかもしれないですけど、僕ら愛し合っているんですよ」というと、福徳が「なわけあるかい、お前が言うとリアルやねん」とツッコミ、その後も「後藤が」「後藤が」と言うのだけれど、その後藤のイントネーションが「ご(→)とう(↓)」という一般的なものではなく、「ご(→)とう(↑)」と「ゴトーを待ちながら」の「ゴトー」と同じで、もやもやとさせられる。そのもやもやに対して、後藤が「イントネーションがおかしいねん!」とツッコむのだが、その「イントネーション」のイントネーションもおかしい。こういう風に、普通の漫才なのに、どこかメタをおびていて、なおかつ爆笑できる、すごい漫才だった。
ジャルジャルのネタの変遷の要所要所は追えているつもりではあるのだけれど、その中で、漫才を脱構築して、コントでも言語を解体し、やり過ぎ、少し足りない、を経てたどり着いた良い塩梅のメタさ。
脱臼を一度すると、脱臼グセがつくというけれど、ジャルジャルのネタは、メタに対して脱臼グセがついているようで、見ていてワクワクする。
漫才はまだまだ面白い。