「泣くな、はらちゃん」の一話が完璧だった。

ドラマの一話というのはとても大事だ。ストーリーが面白いというだけじゃなく、登場人物のキャラクターの紹介、世界観、テーマ、ルールを提示しつつ、謎を秘めさせ、それらの全てを50分ほどに詰め込ませなければいけない。そのためにセリフが説明臭くなってしまったりすることもある。視聴者それぞれの及第点を超えて初めて、二話を見てもらえる。
一話だけで評価するという意味でいえば「泣くな、はらちゃん」の一話は百点だった。
もちろん、それ以降の話も連続ドラマである必要性に満ちた素晴らしい作品になっている。
ゼロ年代で散々こすられてきた郊外よりももっと田舎の、去年一番の町のイベントが、ラッシャー板前が土曜の朝に中継で来たことのような、冷たい潮風が吹きすさぶ港町のかまぼこ工場で越前さんは働いている。仕事は単調で、人間関係も円滑ではない。
そんな越前さんの唯一であろう憂さ晴らしは、漫画を書き、登場人物のセリフを借りて愚痴をこぼすこと。明らかに自分が悪くないということで謝らせられるという理不尽なことを飲み込まないといけなくなった日も、帰るなり、漫画を書きなぐる。
一方、漫画の中の世界の、はらちゃんを初めとした登場人物達も同じようなやりとりをしていることに「大丈夫なんですかねえ、この世界は」と、漠然とした不安を抱いている。そしてその世界がよくなるためには、神様がしっかりしてくれる必要があるという。
なんやかんやあって、はらちゃんは、自分が住んでいる世界から神様である越前さんがいる世界に飛び出し、アンジャッシュばりのすれ違いを経て、はらちゃんは越前さんを神様として認識する。
その時の出会いは、越前さんにとっては最低の出会いとなるのだけれど、それをきっかけに、はらちゃんは歌を手にする。そして、漫画の中の世界が少しだけ明るくなって一話は終わる。
漫画の世界の住人なので、猫や海や車に驚き、かまぼこの美味しさに感動し涙を流し、越前さんへの一途な思いを表現しつづけるはらちゃんを演じるのは長瀬智也じゃなきゃダメだ。そしてその「神様に片思いをする」ということが、ドラマではコミカルな表現として演出されていたけど、越前さんの場合にあたる矢東薫子の漫画のような、例えば、それが一つでも欠けていたら今の自分ではないと言える、自分にとっての神様になる深夜ラジオやお笑いを、例えばそれを仕事にしていたとしても、ただの一ファンでいたとしても、それを追い続けているということは、神様に片思いをしている状態と言えるし、はらちゃんの様に、神様と両思いになる瞬間を目指しているってことで、それこそが、生きてて良かった夜なのだけれど。
泣くな、はらちゃん」は「世界との向き合い方」を教えてくれる。
90年代、世界というのは終わらない日常だった。それは新進気鋭の社会学者が他人を出し抜くための賢い作戦の一つでしかなかったのだけれども。その後のゼロ年代は、世界はどうやっても変わらないというニヒリスト的な風潮、自虐的なロマンティシズムが蔓延していた。今の10年代に入ってからは、世界を変えるのは俺達だといった感じになってきている。例えば、閉塞感を打破するための劇的な変化を求めるために、例えば選挙に行くということから始めようとして、行動を起こすようになる。それは勿論大事なことだとは思うのだけれど、蓋を開けてみれば、投票した候補者がボロ負けするような、世界との壁に気付いて、苛立つという。打たれ弱さが露呈しちゃっただけっていうことになって。そんなもん当たり前じゃねえか。既得権益既得権益になるために、どれだけの努力をしたと思っているんだって話ですよ。
はらちゃんの行動は、神様の越前さんの世界を変えて、そのことが自分の世界も変えることになるという。ひとつの行動がひとつの世界を変えるというのではなくて、それぞれの世界が共鳴していく。この30年間の日本の空気よりも、真摯に世界と向き合っているというところが、このドラマのすごいところだと思う。
薬師丸ひろこ演じる矢口が「自分が変わらないと世界は変わらないわよ」と言うのだけれども、一つのルールがあるために、はらちゃんは直接自分がいる世界を変えることはできない。外に出ることも偶然を待つしかない。けれども、自分の行動が展開して自分の世界が変わることになる。
真実がコメディで、人生が喜劇というのであれば、オチをつけつづけるためには、フリ続けなければならない。
歌人枡野浩一マキタスポーツ(槙田雄司名義)の本「一億総ツッコミ時代」を評した際に、「むろん優れた文章はおうおうにして、『言葉にされてみて初めて気づいたけれど、
その前から自分も同じことを考えていた気がする』と、読者に錯覚させる文章です。」と言っていたが、名作というのもまた「時代の空気に対しての違和感への回答」になり、「泣くな、はらちゃん」はそういうドラマでもある。
そんな新進気鋭の社会学者がポップカルチャーで時代を語っちゃうみたいなことをしてしまうくらいには素晴らしく、結末が楽しみなドラマです。