石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

種市死ね

 
 2012年のAKB総選挙の後に、職場の飲み会で、誰が一番好きかという話になったその時に、脳みそをフル回転させて、「(ここで大島優子というのはベタだし、柏木というと巨乳好きだと思われる、渡辺麻友だと処女崇拝が強い童貞野郎になる。ここでいっそ、元ももクロ早見あかりしか認めないという狂信者のスタンスで行くべきか。いや、まだあかりん単体では早いし、何よりこういう時にここでAKB以外を言うというスカしを使うと、微妙な空気になって正解を出せたためしはない。一番妥当なのは、『いいとも』にも出ていて知名度も増えはじめた指原か。4位という順位もちょうどいい。これだ!)指原とか可愛らしいんじゃないですかね。」と、スルーされろ程度のトーンの小声で答えるも、一人の女子が見逃してくれず、ブーイングを受けました。その後にあの「ファックだってしたのに」事件という玉突き事故まで発生し、一瞬のごまかしと笑いのために自分を偽るとロクなことにはなんえねえなという教訓を得ました。
 アイドルといえば、朝の連続テレビ小説あまちゃん』を見ている。それはもう見ていますとも。一週間分をまとめて土曜の朝に一気に見ていると休日モードに切り替えるくらいに日常に食い込んできている。
 一週ごとだけじゃなく、15分という一回ずつにも起承転結がある。もちろん、翌週への引きも強い。小ネタも満載。昔のアイドルやYMOの映像を使っていて、これは絶対にソフト化してもテレビ版そのままでの完全パッケージは難しいだろうと思い、一話たりとも逃さずにブルーレイに焼いています。
 祖母であるナツが倒れたと騙されて、母親春子と東京から一緒に北三陸の小さな街に天野アキがやってくるところから『あまちゃん』は始まる。そうして海女を始め、潜水士の夢を経て、ここからアイドルを目指していく。東京では、地味で暗くて自尊心も協調性も向上心もないような子だった天野アキが、親友となる足立ユイ、弥生さんやあんべちゃん達といった海女さんや魚協同組合、大吉や吉田といった北三陸鉄道の人々、 菅原や栗原といった北三陸観光協会と、人間味溢れる様々な登場人物が物語を彩る。
 それぞれの視点、思い、過去、未来が交錯するその様子は、これぞ「ドラマ」で、改めて物語がもつ力を感じさせてくれる。脚本の良さは勿論のこと、一番の魅力は、天野アキ演じる能年玲奈の表情は、毎日見たことがない顔が飛び出すほどに豊かで、一瞬一瞬で成長しているその様子を見せてもらっているようで飽きさせないし、面白い顔をすると巻戻して何回も見たりする。驚きを表す方言「じぇ」を組み合わせや回数で、心の機微を演出する巧さ、それを演じる役者の上手さにも関心させられる。
 そしてこれからアイドルを目指す東京編が始まる。褒めちぎって終わればいいのだけれど、このドラマにも許せないところがひとつだけある。それはアキが憧れの先輩に失恋をする「おらの大失恋だぞ!」の週だ。
 アキが編入した潜水土木科の先輩の種市浩一。アキは種市に恋をし、卒業と同時に就職し東京に行ってしまう、種市に告白をするがフラれてしまう。フラレた理由が、ミス北鉄でアキの親友の足立ユイがずっと好きで、少し前にユイに告白して、付き合うことになったからだと知り、親友に裏切られたこととも合わせてアキは塞ぎ込む。 
 このパートは自分の過去の経験も思い出して見ていてつらかった。 
 嫌いなことはいくつもあって、恐らく普通よりも多い人間だと思うのだけれど、なかでも、サッカーが嫌いで、「優しい人が好き」だという女性を信用しないことにしているし、高校生カップルが大嫌いだ。
 高校生の頃に気になる子がいた。同じクラスのその人とは最初はちょっと話をするくらいだったのが、何とかアドレスを聞き出してメールのやりとりを始めるようになった。そんな頃、世間はワールドカップで大盛り上りだった。
小学生の頃から、Jリーグ元年とともにいけ好かない奴がサッカー部にこぞって入ったりしたこと、休憩時間や体育時間にサッカーをする時の、デブはディフェンスという名の棒立ちを割り当てられる。窓際に追いやって自己退職を待つ、不当な解雇と同じ手口です。DFはデブ太りすぎの略だしな、という風潮が嫌いだった。なにが「まさお、Jリーグカレーよ」だ。なにが「アルシンドになっちゃうよ」だよ。
そんな理由でもともといい印象をもっていないサッカーに対して、日本を応援しよう!騒ごう!WAになって踊ろう、みたいなムードで、挙げ句の果てには学年毎の朝会が出来るようなスペースで、スライドに代表選を写して観戦しだす始末。別に代表の出身校でもないのに。気でも違っていたんだろうね。生来のパンク過ぎるがゆえに、サッカーがWAをかけて嫌いになった。競技ではなくて概念として嫌いになった。その時を思い出すとあの狂騒に対する気持ち悪さと孤独感を思い出すし、逆もまた同じようになる。
なんだかんだでその人と付き合うことになった。そんな幸せの絶頂の日の三日後。よく小説や映画にある「その日はその年一番の真夏日で」という描写を見ると、逆にリアリティないよなって思っていたけれど、本当にたまたまが重なるっていうのはあることをその時知ることになる。
携帯を見たり、メールをしていてその間に寝てしまうということは、ほとんどなかったのに、その日はたまたまメールを送信したあとに寝てしまった。帰ってきていた返事をみると「やっぱり友達としか思えない」という内容に「ん?」ってなる。やっぱりという意味が分からない。こっちは土曜日に部活終わりにどこか行けないかと聞いたはずじゃないのかと混乱し、プチゲロ吐いちゃうね状態。     
とりあえず後日会って、ぼろぼろと泣きながら話をしました、「カールおじさんの空飛ぶ家」の冒頭よりも泣いていたと思います。結局、そもそも付き合ったと言えるのか曖昧なまま、別れることになった。手も繋いでないし、二回しか一緒に帰っていないですし、筒井康隆いうところの吸茎もされていません。生きてて良かった夜と、死ねば良かった朝を味わった一週間でした。今思えば、あれから猫背が悪化したような気がします。
 数ヶ月ほどまえに、たまたま駅でその人を見かけた。高校を卒業してから会っていないので、10年ほど経っている。嫌な汗は出てきて、思考がぐるぐるとしだすわで、聞いていたアルコ&ピースのANN0の音量を上げ、目線を下に向け、話しかけなかった。どんな顔をして話しかければいいのかが全く見えなかった。見えないっていうのは視力の問題ではなくて、極楽とんぼ加藤浩次が作家の鈴木工務店とファミレスで単独ライブだかのネタを作っていると、相方の山本が来て台本を一読し言い放った「見えねえな」と一緒のそれです。
 よせばいいのに、そのあとにフェイスブックで検索すると見つけてしまい、色々と情報を得てしまった。言いたいことはいくつもあるけど一つだけ。優しい人が好きって言ってたけど、好きだった人と今の彼氏の顔、同じ系統じゃねえかよ。
 どうですか、この見事な三題噺。キングオブ三題噺の「芝浜」でもここまではリストカットしたくはならないですよ。
 あれほど好きだったはずで、いい思い出もいくつかあるはずなのに、時間が経つと、嫌なことしか覚えていない。過去の死にたくなるような記憶を保管している脳の中の海馬のパッキンがゆるゆるでダメになっていつもだらだらとそれらが漏れているような人間なので、高校時代の失恋については大好きなAV女優の竹内あいが正式な発表をせずに引退した悲しさと同じフォルダに入れないと生きていけない。あくまでこの話は一方的な視点からのものですし、あっちからも言いたいこと、許せないことは何個もあるんだろうってのはわかっていますけどね。
 種市とアキのように握手出来ていたら、話しかけられたのかもしれないなあとは思ったけれど、それはそれでくだらねえなとつぶやいて、スマートフォンから、今お気に入りの春原未来のDVD『上司とゴックン飲みニケーション』をAmazonで購入しました。