それぞれの「実存のゼロ地点」

 送迎会から帰ってきて見たテレフォンショッキングの小沢健二の弾き語りは、二次会のカラオケで「僕らが旅に出る理由」を歌ったことや、三次会で行ったカラベーラが沢山飾られているメキシコ料理屋で初めて食べたブルーチーズは意外と大丈夫だったり、聞いたことのないスパイスが絡んだチキンが美味しすぎてご飯が欲しくなったり、「メキシコとかみたいな熱帯気候のビールって、水分補給も兼ねているからぐびぐびと飲めるように薄いんですよ。日本のビールは濃すぎて飲みたくないんですけど、これは良いですね。シャンディガフ好きですし。」と小説めいた会話をしたりして、後に解散しタクシーで帰ったのだけれど、降車し、タクシーが小さくなるのを何となく見ていたら、はっと財布を車内に置いていたことを思い出して追いかけるも、当然追いつけず、実家に入れるためと諸々含めた数万円が・・・・・と途方に暮れながら、走った道を引き返すと、その財布にすぐ気づいてくれたのか、見えなくなったころにUターンをしてくれたのか、戻ってきた運転手さんに声をかけられたこととかそういうことを差し引いても、嗚咽を漏らして泣いてしまうほどに、魔法は生きていた。
安倍首相がゲストに来た際に、体調を崩して入院していた時に「ボキャブラ天国」を見ていたというエピソードを話しているものだから、画面下の「第96代内閣総理大臣 安倍晋三」の「第96代内閣総理大臣」が、「電光石火の三重殺」や「遅れてきたルーキー」、「邪悪なお兄さん」みたいなキャッチフレーズに見えたことも、ずっと覚えていてしまいそうだし、ビートたけしからタモリに送られた表彰状は永久にインターネットの海を漂い続けるだろう。
 「テレビっ子の星」ことてれびのスキマさん改め、戸部田誠の「タモリ学」を読んだ。
 「タモリにとって『いいとも』とは何か」を序文とし、偽善、アドリブ、意味、言葉、家族、他者、エロス、仕事、希望と、タモリ自身や周囲の人の発言を重ねていき、最後の「タモリ」とは何かへとつなげていく。知らなかったことは勿論、有名な話も、そこへと至る話が初耳だったりと、平易な文章でありながらも、読み応えは十分だった。時たま、あ、これはあれとつながると色々と思い始めて、一旦読むのを止めて、反芻をしたり考えさせられたりした。
 個人的に一番引き込まれたのは、「タモリにとって言葉とはなにか?」の章だ。片言で「アマツサエ」「ナカンヅク」といった耳慣れない言葉を使いながら話す、牧師に興味を示して毎日教会に通っていた中学時代、<福岡の地理的条件によりより容易に受信できた米軍放送や北京放送>を好んで聞いていた小学生時代の話からは、容易に、いいとも特大号での牧師や四か国語麻雀を思い出すことができる。そこから始まり、タモリの<言葉を壊し言葉と戯れることによって、言葉を意味や権威から解放し、自由な現実の世界とした>という言葉に対する<ラジカル>な態度を浮かび上がらせる。特に、ハナモゲラとは何だったのかと部分では、知的好奇心が狂喜した。
これはあくまで、自分の中にそういった言葉に対する破壊願望があるからであって、読む人によって、もっといえば読んだ日によって、見え方が違うものであるはずだ。だからこそ、多くの人に読んでほしいものとなっている。
 じゃあ、何故自分がこの章に感動したかということを考えると、「ボキャブラ天国」に辿りついた。ボキャブり、つまりダジャレを難しく言えば「正しく使用されている言語の位置に、それに音韻が類似する言語を置き換え、意味の解体及び再構築を図り、それによって生じた意味の差異の幅を楽しむもの」と定義できる。どのような経緯で、企画が立ち、放送開始に至ったのかは不明だが、先述したタモリの言語への向き合い方がベースにあったことになるのだろう。そんな番組を小学校六年生から見始め、中学二年生ごろまで見ていた。思春期という人格形成期にどっぷりと、言葉との戯れ方を学んだことになる。
 何のことはない、とはいえ、タモリの影響を受けてはいないんだよなあと思っていたらハナモゲラから連なる笑いの嗜好であって、釈迦の掌の上を飛び回っていただけの斉天大聖と同じであるということを「タモリ学」に気づかされたことになる。
 
 そして、その「ボキャブラ天国」で大きなものと出会う。不発の核弾頭、爆笑問題だ。
タモリの言葉に対する思想がなければ、爆笑問題は再復活することはなかったかもしれないし、爆笑問題がいなければどうしたって性犯罪での収監、社会からの抹殺を食らっていただろう。
 思えば「笑っていいとも」が自分の中で風景からバラエティになったのは、爆笑問題がレギュラーとして参加し始めた2000年からだ。ちょうどその時くらいから、彼らのラジオ番組爆笑問題カーボーイを聞き始め、前日の放送で「明日はいいともだ」という話をしていたのを覚えている。幸か不幸か、高校浪人だったので、一年間はリアルタイムで毎週見ることができた。 そのカーボーイで「いいとも」の話は度々出ていたし、鉄板を超えたプラチナ板と言ってもいいくらいに外さない特大号での物まねは本当に楽しみだった。
もっと言えば、例え見ていなくても水曜日の昼は、太田さんがいいともに出ていて楽しんでいるんだろうな、と思うだけで幸せな気持ちになれた。
 最後のいいとも水曜日は、太田さんとタモリが漫才をやるということで、録画して見たのだけれど、全く意味のない漫才で最高だった。
コーナーからコーナーに移る間のCMが終わる時、いわゆる提供バックで太田さんがカラオケを歌っているのが放送されるというのが恒例になっていたのだけれど、最後のいいとも出演のその回で歌った歌は佐野元春『グッドバイからはじめよう』。「ちょうど波のようにさよならが来ました。言葉は何もいらない。ただ見送るだけ。どうしてあなたは遠くに去って行くのだろう。僕の手はポケットの中なのに。」という歌詞だけで、気持ちを想像するのには十分だろう。
 そのことを噛みしめながら、いいとものグランドフィナーレを見た。明石家さんまが、タモリとしゃべる中、「長いわ」と言って飛び出してくるダウンタウンと、ウッチャンナンチャンダウンタウン松本の「ネットが荒れるって」という発言を受けての、とんねるずの登場。そして、爆笑問題が飛び出す。思わず笑ってしまい、「ネットが荒れるって!」とさっきよりも大きな声で言うと、「燃やせ、燃やせ」と叫ぶ太田さん。最後に出てくるナインティナイン
 思うことしか無さ過ぎて、この放送でなければ有り得ないこの光景を鬼のような顔をして見ていた。さまざまなラジオ放送で当事者たちの話を聞いても、お笑いよりも爆笑問題
が好きなので、飲み込めずに「ちょっといったん無かったことにしよう!」という気持ちでいた。何度か見直してその思いはいくらか緩和したものの、しばらくは美談にも奇跡にも落とし込めそうにない。
 「タモリ学」で「実存のゼロ地点」というタモリの言葉を紹介している。孫引きになるがこれは<現時点での自分自身の”状況”を横軸とし、自分の周囲の人間が持つ”事実”を縦軸>
とすると、この二つが交差したものが「自分」であり、<そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」でり、それを切り離した状態>のことをさす言葉だ。グランドフィナーレで一堂に会したあの場面は、32年間同じ場所に立ち続けたタモリという直線と、それぞれの芸人の物語という直線、それぞれのファンである視聴者の思いという直線が交差した、ゼロ地点だったのだと思わされる。今はこれ以上のことは言えないのだけれど。太田さん、勝ってたぜとくらいは言っていいですかね。
 「いいとも」ラスト一か月の中で、辞典のように語釈を考えるコーナーで「笑っていいとも」というお題が出たときに、タモリは「観たことがないのでわからない。」と答えた。
中島らもは「あなたにとって○○とは」という問いには「愛である」と答えておけば十分であると話していたという有名な話も性格が出ていて最高なのだけれど、タモリのこの答えは言ってみれば、大喜利の回答を書いたフリップを、32年かけて客席に見せるようなものであって、手塚治虫の「火の鳥」での、鹿威しから垂れる水滴で石を穿って、動物の石像を作っていたお坊さんのエピソードを髣髴とさせた。
 何かを語る人にたいして、その人に対して好意的な印象を持っているのであれば、「あの人は愛がある」という言葉が送られる。その言葉が紋切型になってしまうと、疑い出してしまうという面倒な性格を持っているのだけれど、それを、サンキュータツオが自身のtwitterでこの勝手な問題に、「ずっとなにかを探求している人にとっては『線』だが、興味本位の人は『点』しか見ないでものを言う。愛のある人は『線』(なんなら面)、愛のない人は『点』。無関心はゼロ。点を線にする作業のいかに崇高なことか。そしてそこにしか真実はない。」と知っている限りでは初めて明確に言語化してくれていた。
このtweetは「あかんやつら」「天才 勝新太郎」の著者で時代劇評論家の春日太一
Twitterアカウントのお気に入りから見つけたのだけれど、それもまたつながっている感があって良い話になる。内田理央というかわい子ちゃんの自撮りもがんがん登録していることは何かとつながりはしませんでしたが。
 てれびのスキマさんこと、戸部田誠は、膨大な『点』を集めて、『線』にし、「タモリ学」を書き上げた。これを『面』、ひいては『立体』にしていくのは、お笑いを愛する人達の仕事だと思います。