鈴木もぐらの恋は永遠、愛はひとつ。『空気階段の踊り場』「駆け抜けてもぐら」感想。

 2018年最大の深夜ラジオでの事件、『空気階段の踊り場』での「かたまり号泣プロポーズ」から半年ほど経ったが、最近の踊り場は、鈴木もぐらが都営団地の抽選に外れてしまったために実家に帰ることになったり、もぐらが愛する実の妹に縁を切られた疑惑が生じたり、水川かたまりがラジオのブースに手作りのカレーを持ってきて、もぐらにふるまおうとするも拒否されたり、かたまりが筋トレを始めたりと、相変わらず報告の多いドキュメンタリーラジオではあるものの、比較的平穏な放送が続いていた。一番のニュースと言えば、名物コーナー「あんちゃんあそぼ」が、家族バレで終わるというAV女優の引退みたいな理由で終了してしまったことくらいだった。
 ラジオ以外の仕事はどうだったかというと、『有吉のお饅頭が貰える演芸会』に出演してネタを披露し、普通の饅頭六個とピンクの饅頭を貰い、『爆笑オンエアバトル20年SP』のなかで行われた「爆笑オンエアバトル2019」に出演し、過去の出場芸人たちが審査員になったこと以外は当時と全く同じシステムで、541KBという、満点には球一個だけ及ばなかったものの、俗に言う「オーバー500」をという高得点をたたき出し、オンエアを一位で獲得した。また、渋谷にある∞ホールのネタバトルライブでも一位となるという、着々と芸人としてステップアップしていることが手にとって分かるくらい順調で、踊り場リスナーとして、空気階段を追っかけていて本当に楽しい半年でもあった。
 余談だがもぐらがもともと住んでいた家は狭く、親子三人で暮らすには狭いという理由から、まだ妻と子供は妻の実家にいるため、子供には三回しか会っていないという。そのことを踏まえて『爆笑オンエアバトル2019』のネタ前のVTRのもぐらの「奥さーん、息子ー、パパ頑張ったぞー」というコメントは味があり過ぎるし、そのときの陣内智則の「まだ31歳なん、パパ頑張れ」というコメントは味が無さ過ぎた。作家が書いたにしては陣内に寄り過ぎているし、陣内本人のコメントにしては感情がなさすぎたあのコメントは誰の意思だというのか、考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。 
 僕はと言えば、今の空気階段を生で見ておきたいという一心から、ラジフェス2018に参加し、その帰りに新宿の居酒屋で、同行していたリスナー仲間と空気階段の未来を話しあい、『この空気階段がすごい!』というライブを見にいっては空気階段のネタの変遷と、他の芸人に褒められているところを見に行ったりしていた。借金があるもぐらが借金取りをやるのはおかしいという理由で封印されているネタも見ることが出来た。
 そのライブで聞いた最高のエピソードとして、「この芸人が面白い、という噂話の中心には、いつもモダンタイムスのとしみつがいる。少し前から空気階段がめちゃくちゃ面白いという噂も広まっていて、特にとしみつがその噂を広めていたという。そのことを知ったかたまりはいつかお礼をしたいとぼんやりと思っていたのだが、そんなある日、客として入った上野の個室ビデオで、受付の店員のバイトをしているとしみつを見かけた。さすがに今じゃないと思って、声をかけなかった」というのがあった。いつか、この伏線もどこかで回収してほしい。
 そして四月。改編を乗り越えて、番組が継続することを知って安堵していた矢先に、またもや、ドキュメンタリーラジオとしての『空気階段の踊り場』が炸裂した。
 それは『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』に銀杏BOYZ峯田和伸が出演していたところから始まる。体験談をカルタにするという企画「カルタ争奪戦」に出演した峯田は、「さ」のカルタで「再会して感動したぜとあるファン」という読み札を作ってきていた。
そのエピソードはこうだ。
 「10数年前なんですけど、どのライブ会場にも見に来るみたいなお客さん、まあこういう方いらっしゃると思うんですけど。で、そいつまだ高校生で、学校休んで、俺らがツアーとかで東北とか行ってもいるんですよ。泊まるところないっつって。だからじゃあ部屋に泊めてたりしたんですよ。で、しばらくしてから会わなくなって。元気でしてんのかなーと思ったら。ひっさしぶりにメール来まして。去年。『実は吉本で芸人やってます』。で、自分がいっぱしになって、今度単独をやれる感じになったら、それまで峯田さんに連絡しちゃいけないと思って黙ってましたつって。今度単独やるので見にきてくださいつって見に行って来たんですよ。すごく面白くて。芸人が空気階段ってコンビなんですけど。パンパンですっごいびっくりしました、面白かったです。嬉しいです。」
 まず、この峯田の話を聞いた時に、踊り場リスナーは全員こう思っただろう。「もぐら、音楽聴くの!?」と。それくらい、もぐらには音楽のイメージが無い。踊り場で流れた印象的な音楽と言えば、水川かたまりが元彼女に振られて号泣して、プロポーズしてまた振られたという「水川かたまり号泣プロポーズ事件」のテーマソング、Superflyの「愛をこめて花束を」くらいだったからだ。
 このニュースを聞いてから、心待ちにしていた、この週の『空気階段の踊り場』は、その期待を裏切らない、むしろ超えてきた本当に最高な回だった。
 これまで銀杏BOYZのことを話さなかった理由を、もぐらは「俺が中途半端な状態で、銀杏BOYZの峯田さんとすごい仲良くさせてもらってと言うことによって、なんかその銀杏BOYZに迷惑がかかったりだとかもやだし、借金600万のどうしようもねえやつが聞いてる音楽みたいな、ってなるのもやだし、俺らみたいなもんがそういう銀杏BOYZって名前を出して、注目されるみたいなのも、やだというか。それもなんか違うなというか。そういうの関係なしに、いっぱしになってね、共演できたら、嬉しいなっていう思いはあったんですよ、俺の中でね。でも、今回はだから峯田さんがね、もう峯田さんの方から俺の名前出してくれたんで、こちらをお送りしたいと思います。『駆け抜けてもぐら。僕と銀杏の青春時代』。」と話し、自分がどういう青春を送っていたのかを話し始めた。
 そんな、かたまりにすら言っていなかった、十何年も大事に心の奥底に鍵をかけて閉まっていた話が、ひとつひとつ出てきたのだが、それの全てが最高だった。お金にだらしなくて、クズで駄目なもぐらだが、ずっとこの大事な思いをずっと守っていたのだった。
 もぐらは、童貞で卓球部でデブで田舎に住んでいた中学2年の時に、銀杏BOYZの前身バンドであるGOINGSTEADYの『さくらの唄』を始めて聞いて、味方が出来たような気持ちになったという。
GOINGSTEADYの解散を知った時のもぐらの話を聞いた時、恐らく、リスナーみんなの頭の中に、自分が解散を知ったときの風景が思い浮かんだであろう。僕は、高校の売店の前で昼休み時に、生徒がごった返す中、部活の後輩から聞いて驚いたことを覚えている。
 高校生になってバイトしてライブに行くようになったもぐらは、出待ちもしていたりして、次第に銀杏BOYZのメンバーに顔を覚えてもらうようになったという。その中で、もぐらはすでにもぐらだったという、かたまりも知らなかった衝撃の事実も飛び出す。
 もぐらという芸名が、銀杏BOYZのHPのBBSで使用してたハンドルネームに由来していて、それは、朝なかなか起きられなくかったもぐらが、母親に「お前もぐらに似てんな」と言われたからだそうだ。もぐらが、そんな名前を芸名にまでしていたという事実が、もう素晴らしい。
 ある時、横須賀でのライブを観に行った時に時間を潰すためにライブ会場の近くをぶらぶら歩いていたら峯田とドラムの村井守に会った。少し話をした後、「もぐらさぁ、本物のハンバーガー食ったことある?」と誘われて一緒に「本物のハンバーガー」を食べた話をした。「本物のハンバーガー」というのは、ファストフードなどのハンバーガーではなく、お店で食べるようなもののことで、この「本物のハンバーガー」という表現が、峯田の上からではなく、ちょっとカッコつけた先輩のような感じが出ていて凄く良いなと感じた。
 続けて、高校二年生の時の恋を話し出す。
 「俺塾通っていたんだけどさ、そこにいた子が凄い気になってたの。1個上の子なんだけどね。好きなんだけどね、俺も思いを伝えられないみたいな。壊れちゃうんじゃないか、みたいなね。告白したらこの関係が、みたいな。でもこの気持ちを誰にも言えないし、もやもやしてるし、っていうのをもう夜になっても眠れないし、考えて、がちゃってやって外でて、叫びてえけど家団地だから叫んだら怒られるし、どうしたらいいんだ俺はこれはーつってこのもやもやはーつって、あの子に会いたいんだ俺は一緒に手をつないで歩きたいんだ俺はーつって、幻かもしれないけれどそれでもいいんだって言って、ヘッドフォンをつけて聞いていたのがこの曲です、『駆け抜けて性春』」
 綺麗な曲フリで流れた『駆け抜けて性春』を聞いていた間、泣きそうになりながらも笑いが止まらなかった。その後には「弘前のライブに行ったら、峯田が泊まっているホテルの部屋に停まって一緒に寝た話」まで飛び出した。
 それから10年経ってまた運命の歯車は回り出す。
 もぐらは芸人となって、元芸人のひとりと、鬼越トマホークの坂井と居酒屋で飲んでいると、偶然その店に峯田が入ってくる。もぐらは気付くも、声をかけられずにいると、酒井が峯田に気付く。声をかけて写真をとっていると、峯田が「あれ、もぐらじゃない?」ともぐらに気付く。「どうしたお前。何してんだ今。」「実は、吉本で芸人やってて」「そっか。頑張ってんだな」と言葉を交わした後、峯田は「ていうかさあ、いつでも連絡して来いよ、俺のメールアドレスわかるだろぉ。」と言ってくれて別れた。
それから半年して単独ライブが決まり、もぐらは悩んで悩んだその結果、単独ライブの当日、峯田に単独ライブ招待のメールを朝の4時に送る。すると、すぐに峯田から返信がきた。「当日の朝4時に来てほしいつってこうやってメールしてくるお前のことが俺は好きだ、明日予定空けて行きます」というメールには、思わずかたまりも「かっこいい、かっこいいよぉ、かっこいい、うぁー、かっこいい、かっこいい」と語彙力が無くなるくらいに少し泣いてしまう。
 峯田はものすごく記憶力が良いらしいということを噂で聞いたことがあったが、10数年前に交流があったファンの一人を覚えていて、こうやって気にかけてくれるという、これってまさに『漂流教室』の「今まで出会えた全ての人々にもう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう」じゃないか。
 もぐらが話した全てのエピソードの中の峯田が、峯田のまんまだったのも、嬉しかった。
 あの時の僕たちは本気で、「ときめきたいったらありゃしない」と思っていたし、「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」と思っていたし、綾波レイが好きだと言っているだけでその女の子を好きになっていた。何かになれると思っていたし、何にもなれないんだろうなとも分かっていた。
そんなことを、もぐらの話を聞きながらずっと思い出した。
 峯田が、もぐらの話をダウンタウンの前で話したということにも意味はある。
それは、そこから遡ること三年ほど前の2016年5月に、『HEY!HEY!NEO!』という『HEY!HEY!HEY』の後継番組に、峯田は銀杏BOYZ峯田と出演し、ダウンタウンと初めての共演を果たした。そこで峯田は「今38ですけど、僕の全てはお二人のお陰と言いますか、今日ですね、ダウンタウンさんの番組に、あの、初めてお会いしましたけど、僕は会ってましたよ、ずっと。僕はずっと会ってきたんですよ。」「僕は音楽はじめまして20年経ちますけど、辞めたいなと思ったりとか、彼女にいろいろ上手くいかないときとか、なんの映画も見たくないし、音楽も聞きたくないっていう、どうしよっかな山形帰ろうかなって時に、ダウンタウンさんの、僕、ほとんど全番組あるんですよ。山ほどあるんですよ、VHSで。つらい、きついときは、ほんとに二人が、あの、あの僕を、何て言うんですかね、どんなものよりもダウンタウンさんが二人立ってらっしゃって、で、そういうのだけで僕は救われたというか、もうほとんど僕の全部、なので、そういうお二方と実際に会うということは、僕の中であのその、バグってしまうというか。ファンなんですとかあるじゃないですか。あのそういう生易しいものではないんですよ、もう。僕の中にあるんですよ、二人が。いるんですよ二人が。」とつっかかりながら、ダウンタウンの全番組を録画して保存しているという峯田は思いのたけをぶつける。ここをギュッとしたのが、『恋は永遠』の「病んでも詰んでも賢者でもバグっても月面のブランコは揺れる今も」だ。


 その中での松本の「銀杏の中や。めちゃくちゃくっさいやつやんけ。くっさいやつや、うんこみたいな匂いするやつや」という返しは本当に良かった。
 ミュージシャンとして音楽番組に出演し、神に近い存在の人たちとの共演をつかみ取った峯田が、今度はダウンタウンのバラエティに出て、お笑い芸人である、もぐらの話しをした。心の中にくっさいものを持っていた峯田が、ダウンタウンによってそれと向き合うことが出来たのと、恐らく同じように、心の中のくっさいものをGOINGSYEADYや銀杏BOYZによって浄化し昇華し、対峙し退治することが出来たであろうもぐらの話をしてくれたのである。バトンが繋がったとてつもなく美しい瞬間を見ている気がした。
 『ギンナンショック』という本がある。上下二冊に別れたこの本は、銀杏BOYZが出した、写真やインタビューなどが載っているものでかなり濃厚なものとなっていて、銀杏BOYZに熱中していた時期がある人たちが一度は手に取ったことのある本だ。もちろん、僕の本棚では未だに一軍の位置に鎮座している。そんな十年以上前に出版された本に、一人の銀杏BOYZのファンが寄稿したコラムが載っている。「ゴイステは支えであり、味方であり、僕自身」と題されたその文を書いた人物の名は鈴木翔太、のちの鈴木もぐらである。
 GOINGSTEADYとの出会いから、GOINGSTEADYの解散を知って傷つき、解散を受け入れることが出来ないまま、銀杏BOYZのライブを見に行き、そこで初めて銀杏BOYZを受け入れることが出来た話が書かれていた。それは、まさに何かに熱狂している真っ只中で十代特有のどろどろとした自意識に塗れながらもがいている十代にしか書けないような、今にも暴発しそうなくらいギンギンに勃起しきっている文章だった。それから十年以上の時を経て、何者でもなかった鈴木翔太の話を、芸人となった鈴木もぐらが「峯田さんが言ってくれたから全力で乗っかりますよ」と笑いを交えながら、話してくれた。全ては巡るのだ。
 もぐらはこのコラムで、初めて銀杏BOYZのライブを見に行った2004年2月29日日曜日、渋谷O-EASTでのライブのことをこう書いている。
 「ライブが始まった。凄まじかった。僕は客席の真ん中辺りで揉みくちゃにされながら汗だくで僕を叫んだ。銀杏BOYZのライブを観た瞬間、僕は無意識の内に銀杏BOYZに対して僕をぶつけた。純粋なかっこ良さ、とんでもなくデカい、会場全体を覆ってぐるぐる動く狂気、そしてその狂気の中に小さく見える、強く光り輝くとても眩しい愛。」
 2016年7月8日土曜日、名古屋のDAIAMONDHALLで行われた銀杏BOYZの「世界平和祈願ツアー」を見に行って、揉みくちゃにされながら、「夢で逢えたら」を熱唱、いや、絶叫していたあの瞬間の僕も、峯田に向かって僕を叫んでいたのだ。もぐらの文章を読んではじめてそう気付かされた。そういえば、『内村プロデュース』が終ったあとの次に同じ時間帯で始まった、面白いことが分かりきっていたはずの『くりぃむナントカ』をしばらく見ることが出来なかったりもした。
 このコラムを書いた後、ただの銀杏BOYZのひとりのファンというだけで何者でもなかったハンドルネームもぐらは、一浪して大阪の大学に入学して、オチ研に入って、銀杏BOYZのライブに行かなくなって、大学を中退して、風俗の無料案内所で働き、風俗で童貞を捨てて素人童貞になって、風俗嬢に恋をして、偽名を使っている風俗店のオーナーからお金を借りてよしもと興業の養成所に入って、その間も風俗とギャンブルで借金を膨らませながら、慶応大学を二カ月で中退した水川航太と出会って、空気階段の鈴木もぐらとなった。そして、そこで峯田と再会する。そんな空気階段のエピソードゼロは、そのまま、峯田のカルタの話へと戻っていく。
 『空気階段の踊り場』の「駆け抜けてもぐら。僕と銀杏の青春時代」は、ラジオを聞いて20年近く経つが、半年程度の間に2回もこんな人生の全体重が乗っかった回が放送された番組は記憶にないし、これからもなかなか現れないだろうというくらいに、ものすごい回だった。
 僕たちは、今まさに空気階段にときめいているったらありゃしない。ラジフェスの会場で、一日中立ちっぱなしでふくらはぎに乳酸が貯まりきった状態で聞いた、かたまりが「やさおじでしたー!」と叫んだ瞬間の爆発したような大きな笑い声は忘れられない。
 「駆け抜けてもぐら」はこれから「駆け抜けて空気階段」となって、爆売れしてさらに駆け上がっていくだろう。そして、村井守が働いているケイマックスが制作したバラエティで、横須賀に行って「本物のハンバーガー」を食べてお揃いのスカジャンを買いに行くというロケを見られるに決まっている。
 その日まで、もぐらの心の中のブランコはずっと静かに揺れ続けるのだろう。
 ご清聴ありがとうございました!
 あ、オンバト復活SPで、空気階段のネタに唯一、玉を転がさなかったの、カンカラらしいです。