令和元年のタイタンライブ

 平成も残すところあと一カ月と一日と数時間、明後日には新元号が発表されるという平成31年3月30日、暢気に『ENGEIグランドスラム』を見ていた。見終わったあと、爆笑問題太田光が『ENGEIグランドスラム』の放送中に転倒したという情報を見かけた。ちょうど放送のネットが途切れた時間帯に、太田が生クリームで滑って頭を強打しているような映像が流れてしまったということまではつかめたものの、映像もインターネットにあげられた簡素なものを見てしまったものだから、無事であるという情報が聞けるまで気が気ではなかった。その後、『日曜サンデー』などの翌日の仕事は休むが、『爆笑問題カーボーイ』には復帰できるということを知って本当に安堵した。
 爆笑問題の活動は、平成という元号とともにあったというのは、爆笑問題二人も言っていることであり、平成30年の8月には30周年記念の単独ライブを成功させた。そんな爆笑問題が、平成最後のネタ番組に出てトリを務めたあと、はしゃいで生クリームで頭を強く打って、結果、舞台上で死んでしまったというのであれば、永劫語られる伝説にはなるものの、お笑いよりも爆笑問題が好きな身としては、耐えられなかったので、本当に無事でよかったと思っている。

 復帰一発目の『爆笑問題カーボーイ』は、太田が転倒してから病院に運ばれて入院するまでの顛末のトークが話されていて、それまで緊張していた分、めちゃくちゃ面白い放送となっていてゲラゲラと笑わされ、令和の爆笑問題がさらなる活躍出来ることを本気で祈ったりもした。同じ時間には、ななまがりが『水曜日のダウンタウン』に拉致られて、新元号を予想しているのだから、世界は笑いに満ちている。
 そんな中で、令和初のタイタンライブを見てきました。何と言っても、今回のタイタンライブの目玉は、空気階段、シソンヌに加えて、神田松之丞がゲストを迎えていることで、これらのゲストのお陰で、ライブのほうはもちろんのこと、シネマライブのチケット自体も全国各地でほぼ完売となるという凄い状態になっていた。
 そんな状態で始まった、タイタンシネマライブ。トップバッターを勤めたのは、猿が死んでしまったので、ダニエルズ。宝くじにまつわる人間の愚かさを描いたコントで、今まではあさひだけが望月を攻めるというコントが多かったのだが、このネタは二人のやりとりが生きていてとても良いコントであった。もうひと展開あれば、もっと良いコントになると思った。続く脳みそ夫は、「パスタだってJKするっつーの!」の「ペペロンチー子」コント。
 三番目に登場したのは、ゲストの空気階段エピグラフは、直木三十五の『わが落魄の記』より、『神様から、こゝへ生れて出ろと、云はれたのだから、「仕方がねえや」と、覚悟をしたが、その時から、貧乏には慣れてゐる。』。ネタは、「EXILEのオーディション」。EXILEのオーディションに来たもぐら扮するデブでヒゲの男は、すぐにかたまり演じる審査員に追い出されそうになるが、実はもぐら扮する男は、テレパシーの持ち主で、というコント。このネタは過去に見た事があったけれども、そこからさらにひと展開加わっていて、ブラッシュアップされていました。途中もぐらが変な動きをするところがあり、ネタを書いているかたまりが、もぐらにこうさせたら面白いと思っているというのが感じられてとてもほほえましかった。何より、EDトークに参加できない空気階段のために、爆笑問題カーボーイにゲスト出演していたのだが、その回がめちゃくちゃ面白かった。越崎マジックである。

 続く四組目は、野沢雅子のモノマネを習得することで一時は、野沢の真似をする田島だけでなく、見浦が鳥山明の真似をするために鳥山明の自画像のロボットの手造りマスクをかぶるというところまでアイデンティティを失ってしまったことで、漫才師としてのアイデンティティを獲得した漫才コンビアイデンティティは、事務所ライブで飽きられていると本人たちも言っていたように今日も今日とて野沢雅子漫才だったのだけれども、今回は、『バナナムーンGOLD』にゲスト出演時に、ちらっと話していた、野沢雅子の楽屋に挨拶に行った話をベースにした漫才をしていた。もう一度、挨拶に行ったらというコント漫才で、田島が野沢雅子に失礼なことをして見浦がそれをツッコむというもので、普通に笑っていたのだけれども、後半に、野沢雅子に扮した田島が客席に背中を向け、野沢雅子本人になって、見浦を攻めだして、何だこの叙述トリックみたいな漫才は!と驚かされてしまいました。こんな仕掛けをしているのであれば、安易に一発屋として消費もされず、反社会組織の忘年会に行かずにすむだろうとほっと胸をなでおろしました。
 この後は、タイタンメンバーのまんじゅう大帝国の「ゆるキャラ」と、日本エレキテル連合「朝礼」が続く。まんじゅう大帝国は、軽く二人の関係性が変わってきていて、お!っとなり単独やM-1に向けた作戦かなと思わされた。後半のひっくり返りをもっと早めにやってもよかったかなと思った。そして、日本エレキテル連合。普段から、ボケもツッコミもないコントが好きなのだけれども、今回のエレキテル連合に関しては、登場人物がただ懸命に生きて大声を出しているだけの領域に入っていて、そら恐ろしさを感じてしまった。
 続くゲスト三組目のシソンヌのコントは、『同居人の』というネタで、これは凄いコントだった。ネタ自体の面白さもさることながら、見ている途中で、先日起きてしまった、悲惨な事件とリンクしていることに気付いたからである。このネタ自体は、2017年に行われた単独ライブでかけられたネタなので、それはこちらの勝手な思い込みとなるのだが、どうしても連想せずにはいられなかった。
 じろうが帰宅すると、ソファに座っている忍を見つけると舌打ちをし、「まだいたのかよ」「朝言ったよな、俺帰ってきてまだいたら、もう、ぶん殴るぞ」と強く当たる。そこから数分、じろうが忍を責めていく。その中で、じろうと忍は親友でルームシェアをしていたのだが、忍はじろうに何も言わずに仕事を辞めて、そしてしばらくして全く喋れなくなったという状態にあることが分かってくる。その時のクッションで忍を叩き続けるじろうの「俺たち、こんな関係じゃなかったろ」というセリフは胸にくるものがあった。
 「今日は泊まっていって良いよ。でも明日の朝、俺が起きてきて、お前がまだいたら、もう弁護士に相談するわ」と言って、じろうは自分の部屋へと戻っていく。そして、も度てきたじろうが一言「俺の部屋に、うんこあるんだけど」と言い、怒りだすかと思いきや、「俺が今どういう気持か分かるか。嬉しいんだよ。」と喜びをあらわにする。
 このコントのスイッチに至るまでのじろうの演技が、本当に凄く、だからこそ、このコントのくだらなさが光ってくるわけだ。あとは、ひたすら、手を変え品を変えて、うんこなのだけれども、よくよく考えてみると、このネタは、コントの中の「この一年二カ月、何聞いても返さない、何の感情表現もしない。そんなお前がやっと自分から俺に何か伝えようとしたんだぞ。その手段がたまたまうんこだったってだけだろ。」というセリフの通り、コミュニケーションは言語を解さないでも可能である、という救いに溢れている。
 シソンヌが、タイタンライブでこのネタをかけた真意を知ることはできないが、この日のタイタンライブでかけた意味があるネタとなっていた。
 シソンヌの後にウエストランドの漫才を挟み、いよいよ神田松之丞の出番となる。
 神田松之丞のタイタンライブエピグラフは、南条範夫の『慶安太平記』の、「どこかこの世ならぬ超然として尊貴の風姿である。その精神も肉体も、最も世俗的な野望に取りつかれていたこの男が、その外貌において、全く正反対のものを示し得たのは、彼が常にそれを意識的に習練し、後天的にカリスマ的性格を完成し得ていたからであろう。」という部分だった。
 神田松之丞が袖からのそりのそりと歩いて釈台に向かっている間、どーせマクラにタイタンライブの楽屋の弁当はどーのこーのと愚痴を入れてくるのだろうとかまえていたら、そんな助走もなく、すぐさま講談に入ったのは、とても格好良くて、ずりぃなぁとやられてしまった。
 そんな松之丞がかけたのは『中村仲蔵』。松之丞が上梓した『神田松之丞 講談入門』によると、「家柄もなく、下回りから這い上がって名題に昇進した初代中村仲蔵。『仮名手本忠臣蔵』の晴れ舞台で、当時は端役だった「五段目」の斧定九郎の役を振られる。柳島の妙見様に願をかけ、「これまでに定九郎を作る」と意気込むが、妙案が浮かばない。満願の日、雨宿りに入った蕎麦屋で、濡れそぼった貧乏旗本に出会い、「これだ!」と喜ぶ。さっそく侍の姿を移した衣装で本番の舞台に立つが、なぜか客席から喝采が聞こえてこない……。」というあらすじの講談である。
 まあ、やはり、とんでもなく良いモノをみたな、という気持ちでいっぱいになった。当時の芝居は、家柄が絶対であり、血もなく、そして才能も無いのではないかと苦悩しながら、それでも工夫でのし上がっていく仲蔵の生きざまは、現代においてはウェットすぎるほどにブルージーであるが、それだけではなく、講談という伝統芸能の世界に身を投じた神田松之丞はどこかダブって見える。『神田松之丞 講談入門』によれば、本来、「中村仲蔵」は師匠も妻も出てくるが、松之丞は、仲蔵本人の問題とするために、その二人を登場させていないという改変をしているという。
 それは、いわゆる藝柄(ニン)が乗っかっているってやつで、今後もこの神田松之丞の「中村仲蔵」のネタはどんどん進化するんだろう。かつ、逆にそこから放たれた瞬間から神田伯山の物語が始まるのだと思った。
 今回のライブビューイングという形式で松之丞を見て始めて気がついたことだが、松之丞の太った能面みたいな顔が作るその陰影は、怪談におけるロウソクの炎のように不安定で、その揺らぎは登場人物の表情や心情を表すように千変万化し、それは表情を変えるだけでは作れない、凄みや情念などを生み出していた。これは落語でも浪曲でも能でも狂言でも歌舞伎でも、その他の伝統芸能で、効果的に使えるものではないと考えると、顔すらも講談に愛されているのかと思わずにはいられない。
 改めて、本来の時間を10分もオーバーした「中村仲蔵」は、今の松之丞でしか見られないものであったろう、そして、今後、松之丞が白山襲名以降、名人への道をひた走るなかで、あの時見たあれ、と記憶に刻まれるものとなった。基本的に仕掛けるのが下手で、まれにラジオ関係でしくじることが多いけれども、講談でその好感度を取り戻すという、問題を起こしてもギャラクシー賞で取り返す『水曜日のダウンタウン』方式で今後も爆走していくことだろう。
 その後のBOOMER&プリンプリンは「ゆうひが丘の総理大臣(令和ver.)」で、中村雅俊に扮したプリンプリンのうな加藤を筆頭に、お馴染のコントを披露していて、その内容はいつもどおりなので割愛するが、神田松之丞とは違う意味で大仕事を成し遂げていた。
タイタンライブにおけるBOOMER&プリンプリンは爆笑問題の前の空気清浄機でありフリスクであると常々言っていた。それは、タイタンライブは、よほどの大物が出演してくれない限り、基本的には爆笑問題がトリを務めるのだが、ゲストもタイタンメンバーも、お客の懐の深さを信頼してくれているのか、暴れるようなネタをしてくれる。その結果、舞台は混沌としてしまうのだが、爆笑問題の前にネタをやるBOOMER&プリンプリンがベッタベタなコントをしてくれて、場をフラットにしてくれる。そのために、観客は一旦気持ちをリセットして、爆笑問題の漫才を見ることが出来るという、信頼関係が築かれているという前提がある。
 そして、普段よりネタの尺もタイトにしていたお陰で、松之丞がオーバーした時間分を取り戻し、エンディングのトークゾーンを増やすという快挙も成し遂げていた。
先述したとおり、松之丞の「中村仲蔵」によって、観客は緊張感とその前のめりになったことの反動でぐったりしてしまっていたが、その観客の心の隙間に、BOOMER&プリンプリンのコントがじんわりと、冬に飲むモスバーガーのクラムチャウダーくらい染み込んでいくのが分かった。
 そんなBOOMER&プリンプリンの場の空気を暖めたままリセットするという仕事は、この日に限ってはフリスクを超えて、もはや事故物件の直後にひとり住んだ人がいるから、法律的には次に契約する人に、ここで自殺があったということはもう告知する必要はなくなったくらいのものであった。
 さて、爆笑問題である。ここ二カ月で起きた事件のせいか、BOOMER&プリンプリンのおかげか分からないが、南海キャンディーズの山里と蒼井優の結婚、元KAT-TUN田口淳之介の逮捕、丸山穂高議員の「戦争しなきゃ」発言、原田龍二の不倫騒動をネタにした漫才は、とても面白く、間に挟まれる、爆笑問題二人のネタから逸れてこぼれるようにしたやり取りなど含めて最高でした。
駆け足気味のエンディングトークも最高でした!