石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

怒りはすぐに濁るから、その涙だけを覚えておく


星野源がインスタグラムにアップした、「うちで踊ろう」という歌は、自由にコラボ、つまりは二次創作に利用していいと、自粛をする中でも楽しみを見出すという、桃を買いに行くだけでもトークを出来ると評されたオードリーの若林みたいな、2014年にバスに乗っただけであんなに面白いトークをしたハライチ岩井のような、あ、いいや、勝手に調べてください。とにかく、そのムーブメントに安倍晋三が乗っかったという事実がある。そのことを、強制された自粛のために仕事の勤務が変わったことで、日曜日にいったん出勤しないといけなくなっていた仕事場で知った。その文字を見ただけで臓腑が煮えくりかえるほどの怒りが湧いたと同時に、まさかそんなことがあるはずはないと信じられなかった。でも、それは紛うことなき事実であり、動画を見て、涙が出るほどに悔しくなり、蹂躙されたような気持ちで胸が張り裂けそうになった。結果的には、三十五万いいね付きました、みたいな、私の戦闘力は五万ですみたいなこと言われたところで、だったら、『100日後に死ぬワニ』の100日目の6分の1の価値じゃねえかとしか思わないけれども、まず何故、この動画を作成した意図を考えなければいけない。ひとつ目が、まじで好感度を狙いにいったという可能性。こんな『めざましテレビ』のキャスターがエグザイルの流星ダンス踊ってみたみたいな価値観で国民が安心すると思ってやられているとしたら、もうほんとうに舐めている。もしくは、裏の裏含めて、新型コロナ対策の議論ではなく、星野源が政争の具にされたことに対してに議論させ、あわよくば怒らせるみたいな意図を持っている可能性。だとすれば、SNSの特性を把握しており、かなり巧妙であり、まんまと術中にはまっている。しかしそれは『王様はロバ』で縄文人の村に、なまこみたいな宇宙人がやってきて、村人たちがこの生命体は友好生物か、敵対生物かで決を取って、敵対生物が多かったのだけれど、友好生物派が、じゃあ、この生物はビームを出すか出さないかという質問を与えて、友好生物派(原典では友好生物党)が二組に分かれて、敵対生物派が多くなるみたいな話なので、しっかりと事実のみを見極めなければならない。どっちにしろ、文化を舐め腐っているという点である。このことは星野源に限らない。今まで、現政権は、文化の上澄みだけをすすってきており、その地続きなわけである。嫌いな作品には、いちゃもんをつけて補助金を打ち切り、政府は補償をするべきかしなくてもいいのかという議論を、自粛に協力しないアーティストは是か非かということにスライドさせる。その反面、アイドルやポップスターという政治的な対応から漂泊せざるを得ないところの人気という果実だけをもぎ取る。特に星野源の「うちで踊ろう」は配慮に配慮を重ねられたムーブである。そこには、医療の最前線に立っている人、そうでない医療従事者、応援される仕事の人、嫌われている仕事の人、昼に働いている人、夜に働いている人、夜の世界で働いている人、働いてない人という全員に開かれていて、それは『Dr.スランプ 』の、『Dr.スランプ アラレちゃん』じゃなくてそれはアニメだから、で、その則巻アラレの「おはこんばんちは」みたいなものなんだけれど、だからこそ明確な主語が無く、でも、それこそが限りなく政治的だし、反政治的だし、反政治的なことをするという政治的なメッセージで、そのギリギリのラインを星野源という強度を武器にしたことに、のっぺりとした、それでいて邪悪なただ乗りの仕方を現政権はしたわけである。ぼくは高校三年生の時の文化祭でダンスをクラスでやることになって、その練習で踊ってみたら、女子に爆笑されたくらいに致命的に音感がないのだけれども、それでも、星野源の武道館のライブで、踊ったわけである。その思い出にすら唾を吐かれたような気持ちになった。そんなことと誰かにお金を貸していた気がすることはどうでもよくて、さらに、星野源の反応に煮え切らないと怒る人たちも出始めて、すでに指摘があるとおり、セカンドレイプのような構図となっている。反吐が出る。なんでみんなそんなに冷静に、星野源の動向に議論が出来るんだ。お前らはあれか、コンサート行って、後ろにもたれて、ワンドリンク片手に、関係者でござい、みたいなツラして読者モデル抱いているしょうもない業界人か。砂かぶりでみっともない体幹がないことが分かるダンスをしろ。怒れ。悔しがれよ。悲しめよ。