石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

早稲田文学会『「笑い」はどこから来るのか?』での渋谷知美さんの文章が良かった件

 早稲田文学会が発行している『「笑い」はどこから来るのか?』を読んだが、そのなかで、社会学者の渋谷知美が書いた「お笑いとジェンダーについての覚え書き」という文章が、感動を覚えるほどに良かった。まず、『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコント「実業団選手権大会」の説明から入る。ここで、筆者が最近見たネタではなく、若かりし頃にリアルタイムで見たコントについて書かれていることで、これから書かれることは血が通った考えであるということが分かる。
 渋谷は、この3分にも満たないコントから、<当事者間で「常識」「当たり前のこと」として通用するルールも、部外者からすれば意味を成さないのであり、ひるがえって、私たちが生きるこの社会に「常識」「当たり前のこと」として存在する諸々のルールも実はナンセンスなんじゃないの、ということ>を学び、そこから<フェミニズムもお笑いもこの社会を俯瞰する視点を授けてくれるものという認識には変わりがない>と、大方が、フェミニズムとお笑いは相性が悪いものと認識しているであろうなか、<お笑いとフェミニズムジェンダー研究を架橋すべく>とも述べているように、敵対しあうとされている両者の接続を試みる。
渋谷は、ジェンダーおよびフェミニズムの話と、お笑いの話をシームレスに行き来するが、その美しさはまるで『ドリームマッチ2020』で披露された千鳥大悟とハライチ澤部による千鳥とハライチのマッシュアップ漫才のようだ。ちなみに、南海キャンディース山里とオードリー春日の漫才はミックスが想像を超えず、マッチングの時に山里が春日に二回振られたところがピークであった。
 そこから、渋谷はネタを書き起こし批評に入る。対象となったのは、コロナ禍のなかで、チェコの大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルが反政府活動をしていたころのサミズダード(地下出版)のごとき配信「もう二度と松竹を辞める人間を出さないでおこうTV」をしている松竹芸能におけるディシデントである元ピーマンズスタンダードのみなみかわと、女性ピン芸人ヒコロヒーが、即席のコンビを組んで『M-1グランプリ2019』で披露したネタだ。
ネタの書き起こしといわれると、数々の炎上によるトラウマから、かまえてしまうかもしれないが、ヒコロヒーのセリフの、関西でも一部のエリアか、ダイアンのユースケしか使わないような濃い方言である「我(わ)が」という表現をそのまま用いていることから分かるように、ネタのニュアンスを損なわないようにするという渋谷の配慮が存分に窺える。
 渋谷は、みなみかわとヒコロヒーのネタにおける<「男芸人の生態」を浮かび上がらせる見事な構成>と、<男女を反転させて「女の経験」を描くことで「男の生態」の異様さが浮かび上がる仕組み>を取り上げ、さらにはAマッソの「進路指導室」のネタの解説へと続く。今や取り上げ方に寄ってそのスタンスがバレてしまうリトマス試験紙のようになっててしまった「進路指導室」のネタへも他とは異なる厚みのある解釈を提示する。
 これだけでも満足していたのだが渋谷はさらにここから、女性芸人がしがちとされる「恋愛/結婚ネタ」についてアカデミックなアプローチをもって取り組む。それは、若手女性コンビ燗々のお祭りに来たカップルのネタを見て、やっぱり女性コンビは恋愛をテーマにしたネタをするのかと思っていたら、繰り返し100回以上は見たと豪語する『M-1グランプリ2016』での和牛のネタも、同じシチュエーションであることに気がついて、フェミニストでありながらそのネタを恋愛ネタと思わなかったことに自身が愕然としたことがきっかけとなっているのだが、そこから渋谷は、当時GYAOにて配信されていた『M-1グランプリ2019』の全296組の三回戦のネタを確認して、本当に「女性芸人は恋愛/結婚ネタをしがち」なのかどうかの検証に取りかかる。やっていることは、悪意のない『水曜日のダウンタウン』だ。
 渋谷が作成した、コンビ名、そのコンビを構成する性別、ネタのタイトルがまとめられたこの一覧表は圧巻である。余談だが、タイタン所属のまんじゅう大帝国の「登山に行った」、キュウの「カリーが好き」は羅列されている様々なタイトルのなかでも異質で、それは誇らしくもあり、タイタンの漫才師の未来は明るいと思わされたりもした。
 そして、渋谷が出した結論はというと、やはり「女芸人は男芸人より恋愛や結婚を扱ったネタをしがち」というものになった。そもそも女性芸人のサンプルが少ないことが瑕疵であることは認めつつも、渋谷と読者が心の奥底で望んでいたような、実は女性芸人は、恋愛/結婚をネタにしていなかったというような結果は得られなかったわけで、渋谷も少し残念がってはいたが、とても興味深かった。
 渋谷の文章の締め方も最高だったのでぜひ一読してほしい。