石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

キングオブコント2020感想追記

テグス問題について。正直に言えば、何の批評性もない、擁護しようもないコメントだと思っているが、一番は、それを今言われても……と言うような、どうしようもないコメントであり、全くもって「優しくない」ものだった。

フルートがグローブをもって、舞台上からいなくなる時点では、もはやあのコントのバカバカしさは共有されていて、テグスが見えてもその範囲内に収まっている。磁力でも使えば点数は上がっていたというのか。

優しい爆笑問題なら、太田さんは「あのグローブの動きがバカっぽくて良かった」と笑い、田中ウーチャカは「坂本の投球フォームが下手だ」とか「今、河川敷で野球できないんだよ」とか言ってくれたはずである。 

 


ジャルジャルのキャッチコピーは「人間性の欠如と充満」だった。素晴らしいキャッチコピーだと思う。もちろん、ジャルジャルの優勝が遅すぎることは審査員を含めたみんなが思うところである。

本来であれば、キングオブコントで披露した「おばはん」、Mー1グランプリにて中田カウスが露骨に不快感を示した脱構築漫才といった、人間性が欠如した2本でキングオブコントになるべきだったのがあまりに時間がかかりすぎた。

タイトルを得てガッツポーズをしたジャルジャルの足元には、今回のエントリー数の何倍ものネタが転がっている。どこが天才だというのか。ただただ愚直にコントを作り続けてきただけじゃねえか。

そしてさらに昨年に至っては、骨折でネタを変えざるを得なかったという不幸にも見舞われている。ファンにとっては、満身創痍で戦い続けているようにも見えている人もいたのではないか。

今大会の順位は、いみじくも第6世代、第6.5世代、第7世代という順番になった。

ニューヨークは、今でこそ、第7世代ぶって、シンパイ賞で霜降り明星とやりあっているように思えるが、基本的には、実力があるけれどいまいちバラエティで跳ねきれなかった第6.5世代だ。

鬼越トマホークの喧嘩を止めては、賞レースで結果を出せてねえくせによとも言われたりしていた。

全てを追えているわけではないが、ニューヨークも、ジャルジャルと同様にタネを撒き続けていた二人だった。

今年は、アーカイブが勝った年といえるだろう。

 


ニッポンの社長のコント、さらなる飛躍があれば、自分の中でも一位になっていた気がする。さらなる発送の飛躍ってどういうのがあるだろうなと考えていたら、一つだけ思いついた。ミノタウロスケンタウロスが抱き合っている時に、甲冑を着た辻が出てきて、怪物を2体ともでかい聖剣でぶった斬るというオチ。ミノタウロスは実は辻が演じていなかったとかみたいなオチだったら、驚きもあるし、怪物達が死ぬことで今のは何だったんだとなれる。

でも、そうすると、テグスすら認めなかった松本人志に点数を低くされてしまうので、それは単独ライブでやってほしい。

 


松本は、沸点という言葉の意味をピークと思っているような気がした。

 


こればっかりは推測でしかないが、どの

芸人もこれまでの審査の傾向をよんでそこに照準を合わせてネタを作ってきているように思えた。もちろん、コンテストであり、審査員に変更がない可能性が高いのであれば、それは悪いことではない。悪いことではないが面白いことでもない。

どこかまとまったコントが多かったという感想も少しだけ抱いているのは間違いだろうか。

だからなのか、今年は、誰も傷つかない笑いばっかりだった。しかし、常日頃から監視している、誰も傷つけない笑い信者の奴らは、今年はまったくこの大会を話題にしていなかった。こういう時に、褒めたり話題にしたりしないところが、奴らの全く信用できないところである。

人を傷つけない笑いといえば、去年までの僕だったら、「人の金で寿司食ってそうな人しかいないな」と言っていただろう。アップデートが完了しエントロピーが増大していてよかった。

キングオブコント2020感想

 Gorillazの『Feel Good Inc.』の笑い声から始まったときから一味違うなと睨んでいた『キングオブコント2020』めちゃくちゃ良い大会でした。例年通り、誰が誰に何点を入れたかはあまり興味がないので省略します。

 

滝音「ラーメン」
 さすけ演じるラーメンを食べている男と秋定演じる店員のコント。そんなラーメン屋での一幕かと思いきや、ラーメンを食べている男は大食い選手権の出場者で、秋定演じる男はただの店員ではなかったというひっくり返しはコント的で、とても気持ち良く、大会の一本目かつ一発目の笑いどころが、これで本当に良かった。
 ここで観客に気持ち良くなってもらうために、冒頭をトーンを抑えめにされている。男が真剣な顔をしていることや、ラーメンのお代わりなら替え玉だから、普通は一杯まるまる持ってこないよなという、うっすらとした違和感が実はきちんとした伏線となっているところも良い。
そこから男と店員のやりとりが広がっていき、餃子をサービスで提供するという、くだらなくて笑ってしまうところから、二人の間に友情のようなものが芽生え始めているところも好きだ。
 思ったことは、やはり、コントは会話劇として優秀であればあるほど、コントとしての動きが左右のみに留まってしまうということになってしまう。これはものすごく簡略化していえば、観客の視線の動きが左右にしか動かないということだ。これまでの傾向から言っても、そういったコントでは最終決戦まで駒を進めにくい。だからこそ、いかにしてコントを立体的にするかということが肝になってくるのだと思う。だから、面白いけどまだ決勝に行けていないコント師は大抵、左右の動き止まりになっていたりする。演劇でもそうだが、立体的であればあるほど、その気持ちよさは増してくる。
 滝音のキャッチコピーは「パワーワード錬金術師」となっていたが、さすけのツッコミは「ベロの偏差値2ぃぐらいのやつ、おるわけないやろ」「あたしだけ足軽フードファイターと思われてしまうやろ」などなど、いちいち面白かった。
例えツッコミは、コントに入れこむのはとても難しい。コントの中の登場人物は、お笑い芸人ではないからで、例えツッコミをするということ自体が、設定に矛盾が生じてしまう。そういった中で絶妙なバランスの例えが繰り出されていく。そういった制約がない漫才だったらどうなるのか、ものすごく気になってしまう。『M-1グランプリ』で見られる未来も遠くないのかもしれない。
 そんなさすけのツッコミは、霜降り明星粗品コウテイの九条のツッコミを連想させるが、大阪のこの世代の特徴なのだろうか。どこか、大喜利のフリップをめくって回答する時のようなはっきりとして聞きやすいことを意識したような声の出し方と間の置き方に近い。それから考えると、本来のフリがひとつ目のお題として、それにボケとして回答する、さらにそのボケをお題としてまた回答するというコンボになっているという二重の極み的なことになっていて、なるほどそれだと確かに強い笑いが押し出されていくことになる。
 このスタイルは、パクリとかそういうものではもちろんなく、大喜利が根付いたことによって自然と産まれてきたひとつのフォーマットということかもしれない。
 好きなくだりは「おぉーぐい選手権なのよぅ」
 
・GAG「フルート奏者の災難」
 宮戸演じる女性が河川敷でフルートを練習していたら、坂本演じる中島美嘉が現れ、驚きながらもフルートを披露していると、中島美嘉に福井演じる草野球をやっている男がぶつかって、中島美嘉と中身が入れ替わるというコント。
 四年連続でキングオブコントの決勝に進出しているさすがのGAGのこのコントは、立体的なコントとなっていた。他のファイナリストと比べても、一貫して、良い意味でバカらしさが溢れるコントをキングオブコントという大舞台で披露し続けていて、でも振り返ると毎年、そのバカバカしさの角度が違う。本当に凄いと思います。特に今年はこれまでで一番バカバカしかった。
 好きなくだりは「(草野球選手がフルートになるところ)」

 

ロングコートダディ「バイトの初日」
 堂前演じるバイト初日の新人に、兎演じる先輩が仕事を教えるコント。冒頭から、ぼそぼそとローテンションで始まり、何かが起きそうな感じの緊張がしばらく続くが、先輩の「ほら、俺、頭が悪いからさ」で、コントがゆっくりと稼働しはじめる。
 舞台上の動きがないのだけれど、脚本で揺さぶられるからそれが全く気にならない。
 脚本のなかで一番凄いのは、コントの途中で「バカだから」というセリフの謎が解けて、さらにオチでこの「バカだから」という意味がさらに深くなるところだ。
 今大会一番、誰もボケていない、誰も悪くない、ただ登場人物の日常を切り取ったらコントになったという好きなタイプのコントでした。
 先輩は新人への気遣いも出来るし、優しそうだし、きちんと場を和ますようなことも言ってくれる、本当にただ頭が悪いだけの人であるというところが素晴らしい。そして、あそこまで筋骨隆々になっているということはこの仕事をずっと続けているという真面目さまで備わっているということで、そこまで描いて初めて、観客はコントにおける彼の扱いを肯定できる。きっと彼の下半身は全く鍛えられていないに違いない。
ツッコミらしいツッコミもなく、コントコントしていないまま進み、その後、綺麗なオチに着地したのは素晴らしかった。新人の「めっちゃ頭悪いんですね」という言葉に全く先輩が怒らないのは、先輩は、ただの事実を言われただけで、文句として受け取っていないからなのかと勝手に考えてしまう。
 悪い人は出ていないのに、本当に頭が悪い人をコントに落とし込んでいることからくる溢れ出る危うさがたまらなくて、baseよしもとの地下で見たらもっと最高な、じめった良いコントでした。段ボールに書かれているラベルも無機質でたまらない。二回目以降の視聴の際は、段ボールを降ろしている時間が、より面白かったです。少しだけ頭を使わされる感じは、バナナマン単独ライブのOPコントのようでもあった。
ロングコートダディのこのネタと、クリストファー・ノーランの『TENET』は二回目からが本番。
 好きなくだりは「段ボール初めてか?」「おい、俺の前で効率の話をするな(笑)」「オチ」。

 

空気階段霊媒師」
 聖者と愚者と呼ばれていた昨年と比べて、今年は「第七世代の狂戦士」と、第七世代に入れてもらったことと引き換えに、二人とも狂人であることがばれてしまったキャッチコピーがつけられていた空気階段。もぐら演じるキングインパクトを名乗る霊媒師に、かたまり演じる男性が祖母の霊を呼び寄せてもらうというコント。
近くに出来たコミュニティFMの電波と、霊の波長が似ているから、調子が悪いとラジオになってしまうという、妙にリアリティを持つという設定は、まさに、街を歩いてい独り事を言っているおじさんは、お腹に電波を受信する機械をぶち込まれていることにしたかたまりらしい世界観の肝だ。
 空気階段の前に披露されたコントが三本とも、弱火でじっくりタイプのコントだったが、このネタで、霊媒師が上下をきって話をしだしたところから、ちょっとこれまでとは違うウケが出たという印象があった。
 特に、スマホからradikoのアプリを起動しているから、放送にラグが生じるというところをネタのギミックにしたところなんかは、愛おしい。そして、そのことで、キングインパクトが本当に霊能力者であるということの証明となり、最後にはキングインパクトが実はヘビーリスナーだったということが明かされるという、整合性の取れた脚本の美しさにうっとりしてしまう。
 後半のリスナーと電話をつなぐというところからは、二人とラジオ番組が繋がっていくという展開に入り、これまでのことを畳みかけてコントが熱を帯びていくところは、たまりませんでした。  
 好きなくだりは「(キングインパクトが、このコミュニティFMの熱心なリスナーというところ)」からの「何これ、呪われそうだー!」

 

ジャルジャル「野次ワクチン」
 後藤演じる新人演歌歌手が競艇場の営業で歌を歌うことになっているが、福徳演じる所属事務所の社長が、客席から野次が飛んでくるだろうから、今から楽屋で野次を受ける練習をしておこうと言いだすというコント。
 後藤が歌う、別に良い曲ではないのに、無駄に耳に残るメロディに、福徳の野次が入ってくる、リズムネタのようなこのネタは、冒頭数十秒でネタの説明をして、そこからまた最速で観客にこのネタのシステムと笑いどころを理解させ、それからは時間いっぱい、しつこーく、でも一直線ではない展開で観客に揺さぶりをかけながら、ガシガシと笑いを刈り取っていくという圧倒的なスタイル。空気階段で暖まった会場の空気がさらに押し上げられているのをビンビンに感じました。
 好きなくだりは「大事な電話、大事な電話」

 

・ザ・ギース「新聞配達所」
 尾関演じる新聞配達を止める年老いた先輩に向けて、高佐演じる同僚が最後に贈り物をするコント。高佐がハープを持ってきて、それをきちんと弾けるというだけで、八割は勝っているコント。とはいえ、ボケの数が少なめであるということと、ジャルジャルの後だったということで、少し点数が伸び悩んでしまった印象を受ける。
 同僚が弾いた中島みゆきの『糸』に触発された先輩が昔やっていた紙切りをやり始め最終的に二人のユニゾンになるのは、感動的でした。
 好きなくだりは「ドンキホーテの曲じゃねえか!」「紙切り!?」

 

うるとらブギーズ「陶芸家」
 八木が演じる陶芸家の師匠と、佐々木演じるその弟子のコント。陶芸家が納得のいかない皿を割るというベタな設定を見ると、ここからどう展開していくのかと構えて見てしまうが、そんなシリアスなところから、ふざけ、そしてバカバカしいいちゃつきに変化していくグラデーションが楽しいネタで、少なくとも今回の倍の尺で見たいと思わせるコントでした。
 一年経ってもそのいぶし銀なコント師っぷりは良い意味で変わっていませんでした。ただ、前回の二人の会話の妙が削られていたのはちょっと残念でした。
 好きなくだりは「いい!」「いい!」「いい!いい!」からの皿割で「なんでなんでなんで」

 

ニッポンの社長
 男子高校生がケンタウロスというコント。ケツ演じるケンタウロスの男子高校生が、ケントという本名なのに、ケンタウロスに引っ張られて先生にケンタと呼ばれているという、男子高校生ケンタウロスあるあるで突っ切るコントなのかと思いきや、辻が演じる、ミノタウロスの女性と出会うことでコントは一変する。男子高校生ケンタウロスが、顔だけミノタウロス女性に一目ぼれして恋に落ち、HYの「AM11:00」を歌い出したところで、わざわざ積み上げてきたリアリティが一気に瓦解していく。同じく、恋が芽生える瞬間をテーマとしたコントと言えば、昨年のビスケットブラザーズのネタを思い出すが、あちらは筋が通っていたことでグルーヴが産まれていくことで爆発したことに対して、ニッポンの社長のこのネタは、そういった理屈をすっ飛ばすことで爆発力を得て、その推進力で逃げ切っていた。この逃げ切る態度や潔しとするか、さらなる展開の飛躍を求めて完全に破滅してもらうのを望むかは好みで、でもここが意外と点数が上がるか下がるかの微妙な分岐点になったと思います。
 男子高校生ケンタウロスがマイクを譲った後、ミノタウロスに吠えさせるという発想は狂いが過ぎている。さらに、そこからケンタウロスが、ケンタウロスとしての声を取り戻すという展開は、物語の破綻の末に神話性を取得していた。
今大会で一番、ブレーキがぶっ壊れていたコントは間違いなくこのコントだった。
 好きなくだりは「ミノタウロスが吠えるところ」

 

・ニューヨーク「結婚式の余興」

 屋敷が演じる新郎のために、嶋佐演じるまさおが、結婚式の余興をするというコント。
 まず、ニューヨークのキャッチコピーは、「隠れ悪意のファンタジスタ」だったが、隠れというところに、考えた人のニューヨークへの愛情を感じてしまった。
ネタは、初めにピアノを弾きながら、ハーモニカを吹いて、鼻でリコーダーを吹いて、タップダンスをするという明らかに練習しすぎな余興が披露されてから、そこから余興を超えていく演目は何かという大喜利の問いへの見事な回答の積み重ねと、画ヅラのくだらなさは最高で、そして最後に千羽鶴という、三部構成となっていて、かつきちんと尻上がり的に笑いが加速していくという理想的な構成になっていて、隠れ悪意であるところの、新婦の友人の『ハッピーサマーウェンディング』いじりが不要なほどに、気持ち良く笑い転げました。
 好きなくだりは「(頭にドリルを当てるところ)」

 

ジャングルポケット「脅迫」
 斎藤演じる企業秘密を握っている男から、おたけと太田が演じる男達が脅迫して情報を得ようとするコント。小気味よく交互から斎藤に仕掛け、斎藤が決めていくという、明らかに優勝を狙いに来ているジャングルポケットだったが今一歩届かなかった。
斎藤を脅すために娘の情報を掴み過ぎているというところから、近所のゴシップにいつのまにか移行し、ホワイトボードをひっくり返して相関図にまでもっていくという流れは、徐々に盛り上がっていくようなきちんとした構成になっていると思うが、どうしても最初からテンションが高いので、後半に向けて上がっていくというカタルシスが得にくくなってしまうのと、基本的に余韻も少ないので、面白かったなーとはなっても、良いコントをみたなあ~となりにくいというのが本音だ。
 好きなくだりは「もう資格の情報じゃねーか!」

 

 決勝戦です。

 

空気階段定時制高校の教室にて」
 恐らくこのコントの元ネタは、『空気階段の踊り場』でも盛り上がった桂正和『I"s』の「きみに・・・」の回。にしても、これを賞レースの二本目でかけるという胆力、サイコゥサイコウでした。
かたまりの女装の完璧さと、もぐら演じるおじさんとその声では、笑いどころがないのに、何でこんなに笑えるというのか。理屈ではまったく説明できない。踊り場リスナー以外にもばしばしと刺さっているのは本当に不思議だ。
 かたまりは「ほんと、恋の尊さみたいなのが伝わればいいなと思って」と言っていたが、思えば、空気階段は『踊り場』を通じて、恋とエモと、嫌なことがあったら帰って良いということを伝え続けていた 
 空気階段について。昨年のやりたいこと詰め込みすぎてしまっていて、イメージとしては、改造しすぎたミニ四駆コーナリングで曲がり切れずにそのままコースを飛び出してしまったような印象があったのだけれど、今年は二本とも、ボケなどの余白を味わえるような時間も取れるくらいにはゆったりしているという体感的に尺がぴったりだったから、笑い以外の感情も得ることが出来る素晴らしいコントだった。「やさおじ」「クローゼット」と一昨年前なら優勝してもおかしくなったコント二つを別の形で上回っていて、二本目のネタをこの場でかける胆力含めて、空気階段の二人が賞レースを掴んでいる!!と興奮してしまいました。
 空気階段らしさを持って、ストレートに三位というのは大健闘です。
 好きなくだり「全部」
 
・ニューヨーク「組の事務所にて」
 ここにきて、じっくり見せるコントを持ってきたニューヨークはやっぱりコント師だった。屋敷演じる弟分が帽子をかぶっていることに、嶋佐演じる兄貴分が興味を示したことから始まるも、どんなに粘っても頑なに帽子を取らないというアウトレイジなのに自意識過剰な屋敷が可笑しいコント。
 良いコント師は全員、最終的にコントの中で人を殺したい願望があるのかもしれない。 
 好きなくだりは「俺の墓参りはよぉ、帽子とって来いよ」

 

ジャルジャル「強盗」
 後藤と福徳演じる二人が会社に強盗に入ったら、福徳はタンバリンを持ってきているわ、金庫からはタンバリンしか出ないわという、福徳のタンバリンの扱いと、後藤の慌てふためく姿がただただ面白い、リアリティも整合性もシステムも仕組みもほとんどないただただ動きの笑いに満ちたコント。
 それ以外、何も言えません。 
 好きなくだりは「音かき消します!ピーーー!!」

 

 総評
 「ほぼ無観客の審査の結果、テキストのみの面白さの比重が増えて、下手したら、コアなコントが優勝する可能性がある」と思っていて、それは滝音ロングコートダディといった大阪の若手がその波に乗っかることが出来た気はしますが、やはり、ジャルジャルがこれまでに積み上げてきた壁はあまりに高すぎました。そして二位のニューヨークも、意外と苦労人で持っているものは多かったわけですから、これもそうなるべくしてなった結果のように思えます。
 やはり、このご時世、劇場がある吉本興業が強いということは記録しておかないといけない気がします。
 審査員のさまぁ~ず三村については、点数にそこまでの違和感はないし、仮に点数が低くてもそれは問題なく、むしろ何故点数が低いのかということを知りたいので、これは単純に司会の浜田が、何で点数が低いのかを掘り下げられてなかったりするからではないだろうか。浜田が安易に三村いじりに流れていたようにも思えますし、全体的に、今回の浜田の司会はひどかった気がします。

フェミニズム関連の本を読んで思ったこと

 とあるラジオにおける事件をきっかけに、前々から勉強しなければらならないと思っていた、フェミニズムについての本を数冊読み、今も何冊か読む予定である。

 読んだのは、北村紗衣「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」、田嶋陽子「愛という名の支配」、栗田隆子「ぼそぼそ声のフェミニズム」、漫画「さよならミニスカート」だ。

 勉強になったことと言えば、例えば、「お砂糖と」などはフェミニズム批評で、この本の中に登場する作品を全て見ていたわけではないので、そこらへんは流し読みになってしまったが、フェミニズム批評、分かりやすくいえば、フェミニストにはこういう視点で見られているということがおぼろげながら把握できた。フェミニズム的な視点を受けて批判をされると、良くないことではあるがあ、こちらとしては唐突に殴られたように思ってしまう。しかし、そういった目ではずっと見られていたわけである。

 一番重要なのは、どう怒っているのか、ではなく、何で怒っているのかということを理解する必要がある。

 これは先日の、キン肉マンレオパルドン事件にも言える。ネタバレそのものではなく、これまでネタ扱いしてきたキャラが再登場したシーンを噛み締めることなく、インターネット上で受けるためだけにスクショを投稿したその情緒のなさ、その安易さに怒っているわけであるということを理解しなければ、ゆで先生が言っていた消費という言葉をそのままネタバレを話すこととのみで受け取ってしまう。

 どうせ読んでいないからここで悪口をいうが、嫌いな人間が、エンタの神様を腐すスクショをツイッターにあげるためだけでに、エンタの神様を見ていて、自分の力で承認欲求を満たせない可哀想な人だなと思ったりもした。

 田嶋陽子の「愛という名の支配」は、その、フェミニストが、どうして怒り、声を上げ始めたのかということが分かる。学術的なものというよりはエッセイに近いので、論理的なところや田島が紹介する他者の体験などは怪しいところもあると感じるが、何に怒っているのかということを理解するとっかかりにはなると思う。

 学術的な本といえば、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」で、これはまだ読んでいる途中なのだが、こちらは100頁を越えたあたりから俄然と面白くなる。  

 とはいえ、上野が正しいかというと、基本的に上野は、笑いのセンスがなく、僕の了見でいえば、下品の領域に踏み込んでいることのほうが多いのだが、一読する価値は十分にあると思うし、この本のなかで紹介されている本は、恐らくガチなので、ガイドとしても活用できる。ホモソーシャルの章などは応用すれば、「ドキュメンタル」批評になるだろう(パクったら殺します)。

 田嶋も上野も、そのほかの人々も、やはり一理はある。ただ、一理しかない場合もあるということであって、人間社会は複雑なので、たかだが一理では何も変えられない。

 ここから先は、僕の友人である女性らにも嫌われたり、根本的に間違っているという指摘を受ける可能性があるため、あまり気が進まないことだが、僕がフェミニストに対しての反論などの答えはどれだけ読んでも見つけられそうにないということだ。

 例えば、社会福祉士の藤田孝典などは、性風俗産業を完全撤廃しろと主張する。女性が性的に搾取されるからという理由はもちろん分かる。その流れから、彼ら彼女らに、持続化給付金を与えないのは当然であるという主張もわかる。ただし、僕が性風俗店の経営者であれば、持続化給付金が貰えなければ、働いている女性からの搾取、例えばお客が減ったからとか何とか言って、割合を減らしたりするなどして、搾取を強めるということをするだろう。北風と太陽のような話だが、それは最終的には、藤田の主張は、女性の性的搾取を助長していることに繋がらないのだろうか。また、風俗嬢の仕事を奪うことになるわけだが、じゃあどうやって働けば良いのかというと、性風俗産業以外の仕事に就く、それが様々な理由で出来ないのであれば、生活保護を受給すればいいと主張する。仮に性的に搾取をされているとして、でもそれを受け入れて風俗嬢をやって月何十万も稼いでいる人が、その仕事を奪われたとしたら、恐らくというか絶対と言っていいほどにその何分の1の手取りになる。それは個人の選択する自由を奪うことにならないのかという疑問が生じる。藤田のツイートを見ていてもその答えは出てこない。

 本屋に行くと、AVのコーナーは無くなっているが、普通にBLの本は、目立つところに陳列されている。AVを撤去するのであれば、こちらも撤去するべきであるはずだが、そういう声はあまり聞かない。聞くとしたら、AVを見る男性側からであって、それは正当な反論のように思えるが、無視されている、または、これまでこちらは我慢してきたんだから許容しろと圧迫を受けているような気がする。

 長々と書いてきたが、やはり、気をつけなければならないのは、これらのことに時間と労力を割けば咲くほど、自分は偉い、意識が高いとなってしまうことである。それだけではなく、それをしない周りはダメだという対になる感情も芽生えてしまうことである。

 さらに、読めば読むほど、考えれば考えるほど、良くない言い方だが、地雷が増えている気持ちになってしまうということである。武器を手にしていっているという感覚には全くならない。

 恐らく、この武器を手にしているという感覚になっているのがヒラギノ游ゴで、僕は個人的には彼のフェミニズムに関する考え方は間違っていると思っている。例えば、AV女優の戸田真琴と対談した時に、彼女の本を見るやいなや、ピンクじゃないことに安堵したり、フェミニズムについて語ったりと、これってマンスプレイニングじゃないのかというムーブをかましていたりする。顔出しすらしていない男性ライターがAV女優にフェミニズムを語るのは滑稽なんじゃないか。

 それよりも僕が彼を嫌いなのは、「岡村隆史はヒーローだったんだよ」とツイートをしていたことである。自分がアップデートしていることにするために、衰退するものへのロマンを感じさせる感じのはつげんには反吐が出る。

だったら、岡村に、フェミニズムが分かる本や長文を送ればいい。僕は、自分であの事件が生まれる空気を醸成してきた深夜ラジオリスナー(岡村隆史ANNこそ聞いていなかったものの)一人であり、めちゃイケが好きだったからこそ、今は積極的に本を読んでいる。恩返しでもあるし、贖罪でもある。

 長々と書いた後にさらに長々と書いてしまったが、ここ最近のことをまとめたかっただけで偉くも何ともないということを肝に命じないといけない。

 ただ、たまにTwitterにアップする食べ物の写真に良いねするくらいでは甘やかしてください。あと、リスナーとして誠実だなとはちょっとだけ思って欲しいです。

 以上!!(厚切りジェイソン

 

ベストラジオ20のための備忘録

 年末にやるベストラジオ20のための備忘録です。昨年何の気なしにやったら、ベストラジオのときにめちゃくちゃ役に立って、満足いくものになったので、今年もやります。まじでメモ程度です。

「東京ポッド許可局」

 印象深いのは、「この志村けんが好き 論」、「そうだったのか!パソコン論」あたりは面白かったです。

 


 ただ一番は「おじさんアップデート論」で、その直近でのオードリーのANNでの若林のトークともすこしだけリンクしているのもスピってました。

 

 
伊集院光の馬鹿力」
良い意味で番組自体は変わらないのですが、一番は、リスナーとして、心を改めようと思ったことがありました。それは、妻も馬鹿力リスナーなのですが、子供が産まれてから聞けていなかったようで、でも、最近、その時からを順を追って聴いているという聴き方を始めて、そういった大事にして聞くという聴き方もまた、あるべきリスナーの姿のひとつだなとやけに感動したということがありました。
自分はラジオを貯めちゃうと、適当な順番で聴いたりするようになっていたのですが妻の姿を見て、考えを改めて、馬鹿力に限らず、とりあえず放送順に聞くようになったのがこの上半期でも一番自分のなかでの小さな変化です。でもそれを実践したら、聴いている全てのラジオでそれが出来て、きちんと追いついたので、心に余裕が出来てラジオを前よりも楽しめております。
 あと、馬鹿力カードを収納出来るファイルをずっと探していたんだけど、いい感じのケースが無印良品で売っているのを発見、購入し、ファイリングしたところ、興奮するくらいに良い感じに収まり、また投稿しようかな、という気持ちになっています。
 伊集院さん関連で言えば、『とらじおと』での「三遊亭円楽」ゲスト回での、やたらと甘えているような伊集院さんの姿と、その流れで円楽と落語をやるという流れになったことに驚きました。ちなみに、その場かぎりでの話かと思いきや、みむこじラジオにゲストに出た時、最後に告知することはありますかと尋ねられた伊集院さんが照れくさそうに、「落語やることになっちゃいました」と言っていて、他の番組でそういったことで俄然現実味を帯びました。
 あと、そのなかでひとつ思ったのは、伊集院が伯山との対談で機嫌を損ねたのはここにあるんじゃないかとピンときました。当時の松之丞から、落語はやらないのかという旨を聞かれたことが一番の原因だったのじゃないだろうかということです。伊集院としては落語をやりたいけれども、落語家を廃業した身であり、自分から落語を出来ないし、師匠にも落語をやっていいですかとは、師弟関係からしてそれは出来ない。となると、師匠から、お前落語やれよと言われるしかなくて、そのために、伊集院としては数年のスパンをかけて外堀を埋めている真っ最中だった時に、松之丞に落語をやるやらないの話を振られておかんむりになったんじゃないかということです。
そこら辺の機微を松之丞が分からないはずはないんですが、かかっていたのか何なのか、でもそう考えると全てが腑に落ちる気はします。何にせよ、落語会楽しみです。
あとは、金子Dが、バナナムーンのADジャニオタと結婚したことで、月と金がうっすらとつながったことは、何となくうれしかったです。


宮下草薙の15分」
 馬鹿力の裏で15分だけひっそりと放送されてているこの番組。実質10分弱のラジオ、短いからというわけではなく、トークも関係性も面白いので、聴いています。詳しくは、ブログの「宮下草薙、知れば知るほど、分かんねえよ!」をご覧ください。

「アルコ&ピースのDCG」
 平子っちが家族でツイスターゲームをやったことからの、平子っち奥さんの学生時代の様々な疑惑が飛び出したあたりはめちゃくちゃ面白かったですね。ハバケン。
 「江戸の凧揚げ漫才」を月笑で大外ししたトークなんかもありました。その他だと、「がんばり山」など。
 「母親がスマホに変える」や「おばあちゃん」の話など、酒井ちゃんのトークの上達っぷりもめざましいのだが、その反面、コーナーが削られまくっているのが寂しい。
 アルピーファンにとっての一番の事件は、としまえんの閉園が決まったことでしょうか。


爆笑問題カーボーイ
 今年のカーボーイは凄いですね。鬼越ゲスト、神田伯山ゲスト、CD田中殿堂入りSPとイベント時の面白さはもちろんのこと、平場でのトークが面白かったり、大事なことしか話していなかったりフォークダンス桶田のことを話したり。岡村隆史の舌禍騒動におけるトークや、タイタンライブ前のネタ作り奮闘記だったり。
 まさかコロナの影響で、CD田中がストップするとは思いもよらなかったのですが、

 

 



「ハライチのターン!」
 あるある年またぎから始まったハライチの快進撃、今年は特に凄かったですね。
 ブタメンおやつカンパニーやCASIOによるキギョックスフレンド、ダブルチーズバーガー論争、坂下千里子生誕祭、おかえりクソ寅さん、DCGと共鳴する澤部家のツイスター、ドリームマッチをきっかけに勃発しオードリーにまで飛び火した「ネタ書いているやつ書いていないやつ」論争、めちゃくちゃ盛り上がったサンリオキャラクター大賞からのケロッピDTMソング発表、ランク王国のラルフモノマネの盛り上がりからのまさかの声優がゲスト出演、ふぅざけんなよぉー。
地味なやつで言うと181回目のターンでの「【今週の澤部さん】セクシーなDVDが大好きな澤部さん。売れる前からDVDを借り、小金を持ち始めると自分へのご褒美としてラーメン花月でラーメンを楽しんでからアダルトショップへ行くゴールデンコースを楽しんでいた澤部さん。」のトークは良かったです。
でも、一番は、伯山ゲストのカーボーイを見学しに行っていた回です。

 

「ナインティンナインのANN」
舌禍騒動より聴き始めて、今に至りますが、めちゃくちゃ面白い。知らなかったナインティンナインで、ラジオと言うよりは、ナイナイのゆる深夜番組が始まったような気持ちで楽しんでいます。SPWでのゲストなどが楽しみです。

 


「スカート澤部のNICEPOPRADIO」
相変わらず、音楽に明るくないけれど地味に聞いています。シティポップ特集の回は良かった。シティポップは明確な基準がないみたいで、それはまるでお笑いで言うとシティ派コントであり、立川談志がいう江戸の風であり、アンジャッシュ渡部がいうヒューマンステージであり、僕が言う土着コントだということも初めて知りました。

 

「問わず語りの神田松之丞改メ神田伯山」
2月に神田松之丞が伯山となり番組名も変わった問わず語り。
印象深いのは、猪木との対談のトークでの、猪木の描き方がまさに講談でした。テレビではありますが、NHKでのファミリーヒストリーも面白かったです。まさか格闘家の血が流れていたとは。
あと、忘れてはいけない春日事変では、他人のコンディションを見抜くことの重要性を学びました。そもそも伯山は心のディスタンスがコロナ以前よりずっと測れてないのよ。

 

マイナビラフターナイト&真空ジェシカのラジオ父ちゃん」
 マイナビラフターナイトは、コロナの影響で、収録ライブが中止になってしまっていたので、その対応策として、ラフターナイトに出ていた芸人同士の対談を行っていて、地味ですがそれらは聴いていて楽しかったです。なにより、カミナリのたくみ君が言っていた、ラフターナイトは有難かったという言葉を聞けたのは嬉しかったです。若手芸人たちはあんまり何とも思っていないのかなと思っていたので。
 真空ジェシカのラジオ父ちゃんもきちんと聴いています。ドキュメンタリー性では空気階段の踊り場に負けるかもしれませんが、平場の面白さは勝るとも劣らないかもしれないくらい面白かったです。現実屋劣る。
 最近のラジオ、地味にコーナー群雄割拠時代なのですが、一番好きなのが、ラジ父でのぷよぷよ連鎖ボイスかもしれません。
 面白かった回はエロ漫画あるあるカルタと、#8のパーソナルな話の回。真空ジェシカへは、尖ったまま売れてほしいという気持ちと、売れるにはもっと可愛くならないといけないのではないかという気持ちがせめぎあってしまいます。
 オススメラジオですので是非聴いてほしいです。応援しています。
 

 

 

バナナムーンGOLD

 深夜ラジオは、ストックが切れて総集編が続いてから演者間の距離を開けての収録が再開するといったテレビより、コロナ禍の影響によるパーソナリティの心情のグラデーションが明確に出ていたと思います。とくに馬鹿力での伊集院フリートークなどはそれで、それももちろん重要な記録にもなるわけだし寄りそう形にもなるのですが、でもそんな中、バナナムーンは、一切、それらを感じさせず、リスナーにはむしろ忘れさせるような放送で、この数カ月はとても楽しかった。これで救われたリスナーは相当多いと思います。スイカチャレンジ回は最高でした。さらにそこに来てのADジャニオタの結婚回は、その盛り上がりの一つのピークでしたね。
 破局したにゃんこスターを始め様々なゲストが来たりしましたが、オークラが放送中に歯を抜いたのも無意味で楽しかったです。隠れ飯もまだ盛り上がってます。
日村クエストも大事なイベントでした。

 

 

 

霜降り明星のANN0
 騒動以降の二周しか聴いていませんが聴き始めようと思います。二時間ぶっ続けのポケひみは凄かったです。
 ナイナイもそうですが、お笑いの凄さはやはり、正しさだけでは辿りつけないアクロバティックな着地を見せてくれるところです。
 転ぶ姿で笑って、立ちあがる姿で感動したいです。エモくなりすぎずに。
 霜降りといえば、爆笑問題とのラインが太いのが熱い。

 

藤岡みなみのおささらナイト
 ナイポレ同様、音楽を摂取するために聞いてます。

 

オードリーのANN

 SPWの「TAIGA&ぺこぱ」ゲストの回、春日がお父さんになった回、アメリカからの綾部ゲスト回は印象深いですね。あとは若林の家庭トークなど。オードリーもコロナ禍でのイライラを忘れさせてくれるほどに、楽しいラジオです。

 

空気階段の踊り場

 ラフターナイトとの併設の枠から移動して二カ月。コーナー盛りだくさんで、まだまだ面白いです。
印象深いのは、第144回「もぐら幼少期の思い出」とそこから膨らんだ北野映画っぽい話と空気階段の踊り場 第149回「泊まりもぐら(加賀編)」、第162回「I”sをキミに…」ですね。

 

さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ
勝ち抜き!東ブクロの嫁決定戦の噂を聞いて聴き始めた番組。そこからの数週間がひどすぎたのですが、流れで今も聞いています。みんなが愛の不時着と騒いでいたのはこの番組のことかもしれません。
AV女優のツイッターをリスト化してチェックしてたりするのですが、急に怖くなってリストから外すことがよくあるのですが、そんな感じで聴かなくなる可能性もある番組。

 

落語DEデート
落語を聴くために落語パートだけ聞いてます。最近は漫才も流しているのでそれは嬉しいです。


通常聴いてるラジオのメモはこれくらいですかね。
 続きまして、単発等のラジオのメモです。

 ACTIONでの、パンサー向井のゆず語りは良かったです。僕が世界で一番好きな方程式2を出してくれてありがとう。好きな物語りでいうと松岡まゆのマチネの前にでのピクミン話も良かった。ANN単発関連で言うと鬼越、赤もみじは良かったですね。まあ、なんといってもシカマンの真の最終回はもう間違いないでしょう。

 

 

 



以上ですさようなら。

岡村による舌禍事件を受けた爆笑問題カーボーイを聞いて思っちゃったこと。

 『爆笑問題カーボーイ(2020.5.5)』では、オープニングから45分をかけて、ナインティンナインの岡村の舌禍事件を受けてのトークが繰り広げられた。太田がメインとなったそのトークは、全方位に配慮しつつも要点をきちんと抑え、そしてそれに笑いも交えるというもので、何でこんなに論理的な思考が出来る人が、割り算出来ないんだ、あと、お小遣い0円ってどういうことだよと思わずにはいられないほどに、聞き入る放送となっていた。
 「いやあ、やっぱり何かあったときの『爆笑問題カーボーイ』は神回だなあ。太田さんは優しいなあ」
 いつまでもそれで終わっては駄目だということに、いい加減気がつかなければならない。今の日本で、まともなことを大多数の人に向けて発信出来ているのが爆笑問題太田光と、伊集院光くらいしかいないという世の中はなかなか狂っているなという認識はずっとあって、この二人に代弁してもらったように思い、全てを終わらせた気になるのは甘えであり、そろそろきちんと自分で考えるということをしていかないといけない。岡村による問題の発言以降、要点を掴めず右往左往してしまい、全てにおいて受け手となるしか出来なかった我々のような有り余るほどに深夜ラジオへの思い入れがあるリスナーは、ここから、思考することを始めなければならない。
 『HUNTER×HUNTER』での一幕に由来する、正しくは「沈黙!!それが正しい答えなんだ」がいつの間にか「答えは沈黙」へと変容してしまったインターネットスラングがあるが、黙るにしても、思考の末に黙るのか、ただ黙らざるを得ないから黙っているのかでは、ストレスの度合いが違う。
 つまりは、喋るにしても、黙るにしても、思考しなければならない。
本来であれば、太田のように、何故それが問題発言となるのか真の意味で理解したうえで、岡村の発言を批判しつつ、岡村さんの人間性と深夜ラジオの特性を擁護するなど出来なければいけなかったのだが、まず、批判と擁護という言葉について最近思っていることから説明したい。
 いつからか、この二つの言葉は、敵か仲間かを判断するための言葉に成り下がった。それはまるで、陣地のパーセンテージを増やせば勝ちという『スプラトゥーン』のようだ。飽きるまで終わらない、でも忘れられないその無料のゲームは、分断を産みつづける。
 そういうことからも、自分も含めて、批判しつつ擁護をするということが出来る人がいなくなっている現状はとても危険であり愚かであるので、まずは、「批判する」と「擁護する」という行為について改めて向き合い、取り戻さなければならないと考えている。でなければ、万が一、太田光が問題を起こした時、誰も守れなくなる。
 そのためにも、太田がこの件について、どのように語ったかについて、確認することから始めたいと思う。なお、深夜ラジオの書き起こしというのは、てにをはから始まり、言葉の詰まり方、呼吸の取り方を句読点で表現するなどして、細部に気を配らなければいけないし、そこまでしなければ絶妙なニュアンスは再現出来ないという不文律があるが、今回は敢えてそれを破る。そのようにしても、太田が語ったことの強度と柔軟性は損なわれることはないということもあるが、語り口で誘導するのではなく、批判と擁護のためにすべきことを抑えたいからであるということをご理解いただきたい。
 今回の件は大まかに「貧困」「女性差別」「深夜ラジオ」という三つの要素が絡み合っているが、太田はまず貧困についての説明から入る。若者の貧困が問題になっているのは、ずっと前からであり、新型コロナはあくまできっかけではなく、そこに追い打ちをかけるように現れた問題であり、若者の貧困それ自体は、住む家そのものがないということから、ただでさえ少ない給料から奨学金を返さなければならないといった程度の差こそあって、全く関係ない人もいるかもしれないがそれは恵まれた一部の人だけで、ほとんどの若者に無関係の話ではないことであり、さらにはそれを改善させるための運動をしている代弁者がいるという背景とその切実さを説明する。
 それから太田は、続けてフェミニズムの問題について話す。若者の貧困と同様に、性産業ひとつをとっても、例えば、セックスワークをすることは男性からの性の搾取であるから無くすべきだという考えもあれば、性を売りにすることも女性の自由であるから働くことは自由であるといった考えがあるように、性風俗産業だけでも、見解にはグラデーションがあるが、政治的な、構造的な理由によって、性風俗に限らず望まない仕事、ブラック企業への就職などをせざるをえなくなるということへの反対意思であり、憲法第22条で定められている「職業選択の自由」が守られていない、権利が阻害されていることであるということはどの立場からでも一致しているところだろう。仮に性風俗産業に流れ着いたとしてもそんなに儲けられるわけではないという事実もあり、だからこそ、もちろんそれは貧困の問題と大きく重なる部分が存在する。
 最後は深夜ラジオという場についてだ。爆笑問題が話していたように、深夜ラジオというのは、もともとは人気者が一時的にするものだった。それをいつまでも続けていいものに変えたのが、他ならぬ伊集院光爆笑問題、そしてナインティンナインであることは間違いないと思うが、だからこそ長く続けてきたことによるパーソナリティーとしての葛藤や、リスナーとの連帯から、それらがあるゆえに生じた一種の油断のようなものまで、発言にいたったことまでの背景を太田は話す。
 深夜ラジオに限らず、ラジオというのは、時間こそ限りはあれど、面白ければハチミツを買いに行ったみたいな話を延々と出来るというのが一番の魅力だろう。それを端的に表すエピソードがその日に生まれた。それは、『伊集院光とらじおと(2020.5.5)』にて、伊集院光の師匠である、三遊亭円楽がゲストに出演して、話しの流れから、伊集院と円楽が二人会をやるということになった。そのネットニュースの見出しは『伊集院光が師匠・円楽との“二人会”挑戦へ「僕、落語やります」ラジオで語る』だったが『深夜の馬鹿力』を二十年近く聞いている身からすれば、そんな簡単な話ではない。かなり前から、伊集院は、落語を一人で散歩がてらさらっていたりするというトークをしたり、『とらじおと』が始まった頃に円楽にゲスト出演してもらったり、正月に挨拶に行った話をしたりと、徐々に徐々に伊集院としてはかなりデリケートに外堀を埋めてきたはずである。そして、今回の放送でやっと、円楽のほうから、「二人会をやろう」と言いださせたという経緯がある。師匠と弟子という付き合いは続いていたとしても、伊集院は落語を止めた身であり、伝統芸能の世界では、そんな伊集院からは、いくら落語をやりたいと思っていたとしても、師匠に対して二人会をやりましょうというのは言いだせることは絶対に出来ないことであり、だからこそ、円楽から強制的に開かれるという方向に持っていかないと行けなくて、それまでの伊集院の作戦は、十何年前に『Qさま!!』で共演したところから始まっていたとも思えるし、この日の放送での、いつもよりも甘えているような伊集院の円楽への対応は決めに行っていたとも深読みが出来るわけだが、そのくらい余白がある案件でも、ネットニュースに上がってしまうと「タレントが落語をやる」くらいの味になってしまうんだなあ、とそのざっくりさに複雑な思いを抱いたばかりであったが、それくらい、ラジオでの話しは、よく言えば繊細、悪く言えば、聞き流してくれよ、放っておいてくれよという思いに成り立っていることは、否定できない。
 本当に今回の岡村による舌禍事件は、様々な問題がバッティングしたことによることであると思うので、だからこそ、岡村一人を糾弾すれば良いというものではない。しかし、その分、考える責務をリスナーも負うべきだろうと考える。
 太田は終始、重なるという言葉を使っていた。それは、分かりあえないはずはないという希望であり、それをリスナーに伝えるために使っていたはずだ。
 『ONEPIECE』には光月おでんによる「異形を恐れるは己の無知ゆえ!!」というセリフがあったが、我々は、フェミニストに限らず、深夜ラジオやバラエティ番組を批判する人を異形だと思ってしまうのだが、それは主張を芯から理解しようとしていないからであり、せめてベースとなる知識くらいは得るべきだ。
 太田は、あくまで、岡村の知識の無さからくる配慮のいたらなさをやんわりと指摘した。矢部が30年越しに返した「性格変えろ」はすぐには難しいかもしれないが、知識を得ることは案外簡単だ。もちろん、難しいのは自分と他者を接続するための批判と擁護が出来るようになることのほうだ。でも、知識を得ることでしかスタートラインに立てない。

 きっと何度か失敗はするかとも思うが、いつかは出来るようになるはずだ。我々はそれを、誰あろう岡村隆史から学んだはずだろう。

早稲田文学会『「笑い」はどこから来るのか?』での渋谷知美さんの文章が良かった件

 早稲田文学会が発行している『「笑い」はどこから来るのか?』を読んだが、そのなかで、社会学者の渋谷知美が書いた「お笑いとジェンダーについての覚え書き」という文章が、感動を覚えるほどに良かった。まず、『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコント「実業団選手権大会」の説明から入る。ここで、筆者が最近見たネタではなく、若かりし頃にリアルタイムで見たコントについて書かれていることで、これから書かれることは血が通った考えであるということが分かる。
 渋谷は、この3分にも満たないコントから、<当事者間で「常識」「当たり前のこと」として通用するルールも、部外者からすれば意味を成さないのであり、ひるがえって、私たちが生きるこの社会に「常識」「当たり前のこと」として存在する諸々のルールも実はナンセンスなんじゃないの、ということ>を学び、そこから<フェミニズムもお笑いもこの社会を俯瞰する視点を授けてくれるものという認識には変わりがない>と、大方が、フェミニズムとお笑いは相性が悪いものと認識しているであろうなか、<お笑いとフェミニズムジェンダー研究を架橋すべく>とも述べているように、敵対しあうとされている両者の接続を試みる。
渋谷は、ジェンダーおよびフェミニズムの話と、お笑いの話をシームレスに行き来するが、その美しさはまるで『ドリームマッチ2020』で披露された千鳥大悟とハライチ澤部による千鳥とハライチのマッシュアップ漫才のようだ。ちなみに、南海キャンディース山里とオードリー春日の漫才はミックスが想像を超えず、マッチングの時に山里が春日に二回振られたところがピークであった。
 そこから、渋谷はネタを書き起こし批評に入る。対象となったのは、コロナ禍のなかで、チェコの大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルが反政府活動をしていたころのサミズダード(地下出版)のごとき配信「もう二度と松竹を辞める人間を出さないでおこうTV」をしている松竹芸能におけるディシデントである元ピーマンズスタンダードのみなみかわと、女性ピン芸人ヒコロヒーが、即席のコンビを組んで『M-1グランプリ2019』で披露したネタだ。
ネタの書き起こしといわれると、数々の炎上によるトラウマから、かまえてしまうかもしれないが、ヒコロヒーのセリフの、関西でも一部のエリアか、ダイアンのユースケしか使わないような濃い方言である「我(わ)が」という表現をそのまま用いていることから分かるように、ネタのニュアンスを損なわないようにするという渋谷の配慮が存分に窺える。
 渋谷は、みなみかわとヒコロヒーのネタにおける<「男芸人の生態」を浮かび上がらせる見事な構成>と、<男女を反転させて「女の経験」を描くことで「男の生態」の異様さが浮かび上がる仕組み>を取り上げ、さらにはAマッソの「進路指導室」のネタの解説へと続く。今や取り上げ方に寄ってそのスタンスがバレてしまうリトマス試験紙のようになっててしまった「進路指導室」のネタへも他とは異なる厚みのある解釈を提示する。
 これだけでも満足していたのだが渋谷はさらにここから、女性芸人がしがちとされる「恋愛/結婚ネタ」についてアカデミックなアプローチをもって取り組む。それは、若手女性コンビ燗々のお祭りに来たカップルのネタを見て、やっぱり女性コンビは恋愛をテーマにしたネタをするのかと思っていたら、繰り返し100回以上は見たと豪語する『M-1グランプリ2016』での和牛のネタも、同じシチュエーションであることに気がついて、フェミニストでありながらそのネタを恋愛ネタと思わなかったことに自身が愕然としたことがきっかけとなっているのだが、そこから渋谷は、当時GYAOにて配信されていた『M-1グランプリ2019』の全296組の三回戦のネタを確認して、本当に「女性芸人は恋愛/結婚ネタをしがち」なのかどうかの検証に取りかかる。やっていることは、悪意のない『水曜日のダウンタウン』だ。
 渋谷が作成した、コンビ名、そのコンビを構成する性別、ネタのタイトルがまとめられたこの一覧表は圧巻である。余談だが、タイタン所属のまんじゅう大帝国の「登山に行った」、キュウの「カリーが好き」は羅列されている様々なタイトルのなかでも異質で、それは誇らしくもあり、タイタンの漫才師の未来は明るいと思わされたりもした。
 そして、渋谷が出した結論はというと、やはり「女芸人は男芸人より恋愛や結婚を扱ったネタをしがち」というものになった。そもそも女性芸人のサンプルが少ないことが瑕疵であることは認めつつも、渋谷と読者が心の奥底で望んでいたような、実は女性芸人は、恋愛/結婚をネタにしていなかったというような結果は得られなかったわけで、渋谷も少し残念がってはいたが、とても興味深かった。
 渋谷の文章の締め方も最高だったのでぜひ一読してほしい。

今、ONEPIECE本編めちゃくちゃ良いです。

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 いつものように、『ONEPIECE』のコミックスの最新刊を買いに本屋へと行ったら、思わず、『ONEPIECE』の販売促進用のポスターを見て写真を撮ってしまった。96巻のためのそのポスターは、ロジャー海賊団のイラストに、「あの日おれ達は世界の全てを知った―――。」という文字が書かれているものだった。『ONEPIECE』の96巻は、ポスターの通り、ゴール・D・ロジャー率いるロジャー海賊団が、最後の島に辿りつき、ひとつなぎの財宝を見つけるという過去が描かれているという、重要な巻なのだけれども、『週刊少年ジャンプ』の本誌を読んでぐっと来た、光月おでんが、ロジャーの処刑と、大海賊時代の幕開けを知って、ワノ国の浜辺を泣き笑いしながら、駆けるシーンも収録されている。物語上では、あまりに有名な一話の冒頭に連なるシーンであり、ここにきてさらに物語に厚みが増したわけだが、加えてこのシーンを本誌で初めて読んだ小学校高学年のころまで思い出した。
 現在のジャンプ本誌での『ONEPIECE』は、このワノ国の大名であり、ひとつなぎの財宝に到達するために必要な能力を持っている重要な人物である光月おでんの過去が描かれたあとに、現代に戻り、ワノ国の侍らが、ルフィらと力を合わせて、四皇の一人であるカイドウとワノ国の将軍である黒炭オロチをいざ討たん、そしてワノ国を開国せよ、というところであり、尾田栄一郎がずっと書きたかったというワノ国編は佳境を迎えようとしている。1000話、100巻に向けて、さらなる盛り上がりを見せるであろう。   
 決して新型コロナの感染拡大防止のための自粛による暇が出来たというわけではなく、あくまで本誌をさらに楽しむためにであると自分に言い聞かせつつ、『ONEPIECE』を、パンクハザード編から読みなおすことにした。パンクハザード編は、ワノ国の侍である、狐火の錦えもんが初登場するだけでなく、なぜ今カイドウと戦うことになったのかということが始まっていく重要なシリーズなのだけれど、そこからワノ国編までまた読みなおしたが、これまでは流し読みしていたんだなというくらいに、読みなおしてみると、その重要な秘密に対して丁寧にフっていたりということに気付かされて、めちゃくちゃ面白かった。
 ルフィたちと共闘している、錦えもんを始めとするワノ国の侍の主要メンバーである赤鞘九人男はとてつもなく強い面々なのだけれども、最近全員が集まり。パンクハザード編からドレスローザ編、ゾウ編を通して、適度に重要な秘密をフリ続けていたことが分かって
 実は、この赤鞘九人男のうち、錦えもんを含む数人は、トキトキの実という、未来に行くことが出来るという悪魔の実の能力者によって、過去から現在に飛んできていて、物語上では20年経過しているものの、錦えもんらからしてみれば数ヶ月前の話となっている。他の侍は、20年、ワノ国で、トキトキの実の能力を疑ったり信じたりしながら、過ごしていたのだが、全員がバラバラになっていて、なかでも一人の、傳ジローというキャラを一気に好きになってしまった。ネタバレになってしまうが、傳ジローは、二十年間、独りで、しかもオロチの下で正体を隠しながら、20年を待ち続けていたということが発覚し、それがめっぽう、胸にくるものがあった。
 数か月前のことだけれども様々なことがあった錦えもんら時空を飛び越えた者と、待っていた者、半ば疑い自由に生きていた者と、赤鞘九人男、熱すぎるので、読んでみては、読みなおしてみてはという話でした。