石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

『「テレビは見ない」というけれど エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む』感想。

 『「テレビは見ない」というけれど エンタメコンテンツをフェミニズムジェンダーから読む』を読みました。

 この本の情報を見つけた瞬間、即予約。別に早く読みたいということではなく、読みたくねえ〜と思ったからだ。だからこそ、読まなければならないとも思ったためである。

 テレビについて語るということは、物凄く簡単だ。書き起こしにエモや肯定だけを散りばめるか、この本のように、フェミニズムなどの理論をもって、引っかかった点を議論の俎上にあげる。このいずれかをすれば、それなりに読まれるという現状は少なからずある。ただし、この二つの読者は基本的には交わらない。ここが一番にして最大の問題点だ。

 テレビラジオを楽しんでいる人たちからすれば、前者は読んでいて楽しいが後者は叱られているようで楽しくない。フェミニストから見たら、テレビラジオなどは、まだまだ差別が横行する場所であり、そこが批判されているのを見るのはやはり気持ちが良い。だからそれぞれが自分たちの好きな文章を読んで終わる。あくまで、一般的な印象ではあるものの、概ね間違っていないと思う。

 この本は、西森路代が主となって、清田隆之、松岡宗嗣、武田砂鉄、前川直哉、佐藤結、岩根彰子、鈴木みのりが、主に国内のバラエティやドラマが寄稿している。テレビラジオ好きが、Twitterをやっていても、西森と武田くらいしか知らないのではないか、この二人を知っていても、基本的には、テレビバラエティをチェックするような視線をもっている二人なので、特に男性はあまり良い印象を持っていないのではないかとも推測している。このメンバーに、テレビ等を好意的な視点で描く、てれびのスキマや飲用テレビ、ドラマで言えば青春ゾンビなどが入っていないということは、双方にとっての限界にある本だと深読みすることが出来る。本来であれば、この二人が入り、横断されることで、前進しなければならないはずだ。そしてそれが出来ているのは現状、渋谷知美くらいしかいない。

 もちろん、本の性質上、勉強になりこそすれ、バラエティについては楽しいことは書かれていない。槍玉に挙げられているという嫌な気持ちになる可能性の方が高い。だから、この本自体は読みやすくはあるものの、フェミニズムの勉強の入門ということでこの本を手に取ることはあまりお勧めできない。ある程度、考え方としてのフェミニズムにまつわる本を読んでからのほうが望ましい。この本は、フェミニズム批評を用いてエンタメコンテンツを語っているものなので、まずは、フェミニズムがどういうものなのかということを、それなりに理解し、どういった考えがフェミニズム批評のベースとなっているのかということを踏まえないと、いちゃもんをつけられているとなってしまうからである。批評というのは、見たい読みたいというとこにまで持っていかなければならないし、視点を多角的にさせなければならないと思うが、第七世代を傷つけない笑いという視点で見ようとは思わないだろう。

 読んでて全然楽しくなかったわけだけれども、読んで良かったとも思う。

 西森は、バラエティ番組については、「第七世代が浮き彫りにするテレビの問題点」「テレビ史から見える女性芸人というロールモデルと可能性」「わきまえない女たち 女性芸人とフェミニズムとエンパワーメント」、テレビドラマについては、「フェミニズの視点を取り入れた日本のドラマの変遷 二〇一四年から現在まで」、「坂元裕二宮藤官九郎野木亜紀子 三人の作家とフェミニズム」をこの本で書いている。ちなみに、この本では、西森に限らずエンパワーメントという言葉が頻繁に出てくる。権限委譲という意味とのことだが、もしかしたらフェミニズムの文脈ではもう少し違った意味になるのかもしれない。

 これらの文章の判断は、実際に読んでもらってしてもらうものとして、個人的な印象でいえば、バラエテイの章については、ちょっと自らの結論に必要なところだけを拾っていないかなといった感じなど、色々と思うところはあるが、何より、気になっているのはバラエティについて書いているのに、見て楽しんでいるというのが全く伝わってこないということだ。ここが、どうしても個人的には引っかかってしまう。笑いについて書いているのだから、どこで笑ったかということも加えなければ失礼な気がするが、それもある意味でのトーンポリシングになってしまうのだろうか。そこも含めて、自らの差別意識を顕在化させる意味もあるのだろう。

 ドラマの章は、割合、楽しく読めた。坂元裕二の「問題のあるレストラン」は他の人の文章にも取り上げられていたように、おそらく近年のフェミニズム批評的にも、重要な作品であるということが窺えるが、特に、宮藤官九郎の「監獄のお姫さま」が、宮藤官九郎が最近の作品で、女性の叫びを描く契機となっているという旨の指摘などは、あまりこの作品を楽しめなかった者としては膝を打つ指摘であった。

 基本的に、Twitterという文字数が限られた媒体であれば、どうしたって、必要な結論に至るまでの論理や思考が削られてしまうので、殴り合いになってしまうし、印象は悪くなる。ただ、本になることで、西森の考えなどを認識、理解することがそれなりに出来た。全てに同意することは出来ないが、今後、西森の文章を読む素養は出来た気がする。そういう意味でも、バラエティの章も含めて、読んでよかったと思っている。西森のことを好きになることはないが、指摘の必要性ということをより分かった。

 その他にも、岩根彰子の「画面の向こうとこちらをつなぐシスターフッド」は、読み応えがあった。本当にドラマが好きな人であるということが伝わってくるだけでなく、なるほどそういう見方があるのかなと気づきもあった。

 さて、問題は、清田隆之が書いた「人気バラエティー番組でのジェンダーの描かれ方」という文章である。バラエティを語ることは、簡単であるという見本のようなものだった。一見すると、正当な主張のように読めるが、よくよく読むと、疑問点が浮かび上がってくる。

 フェミニズム批評というのは、あくまで批評をフェミニズムの観点からやるものであると認識している。そのため、批評のルールやマナーに則られなければならないものであるが、そういったものが蔑ろになっていたり、意図的かそうで無いか不明だけれども誤読や誤解、自説ありきの切り取りといった、テレビは簡単に批評出来ることの弊害が、清田の「人気バラエティー番組でのジェンダーの描かれ方」という文章は、それらに満ちていて、ちょっとひどいなと思わずにはいられなかった。

 清田は、冒頭から「本書の書名ではないが、筆者自身もほとんどテレビを見ない」と書いているが、その後に、「欠かさず見ている番組は特になく、寝しなにぼんやりバラエティーを眺めるか、SNS(会員制交流サイト)で話題になっているドラマやドキュメンタリー「TVer」「paravi」「Hulu」といった動画配信サービスで後追いするのがもっぱらの視聴スタイルだ。」と続く。

 見てんじゃん。

 その視聴時間は書いていないが少なくとも、ほとんど見ないとは言ってはいけないだろう。テレビで放映されることを前提として作成された番組を、動画配信サービスを通して見た場合、テレビを見たとカウントしないというのは詭弁だ。清田は、テレビの現状にうんざりして見ていないというポジションと、現在のバラエティ番組を批評できる資格を有する程度にはテレビを見ているというポジションの両方を獲得しようとして、こういった矛盾が生じている。このような、意図的な誘導や、誤読が少なくない。リアルタイムで見なくなったが、や、毎週欠かさず見ている番組は無くなったが、で済む話だ。

 ここから、「ロンドンハーツ」「しゃべくり007」「水曜日のダウンタウン」「全力!脱力タイムズ」「月曜から夜更かし」「激レアさんを連れてきた。」を取り上げ、「本章の執筆期間に放送されて回のなかからジェンダー的な視点で違和感を抱いたシーンにフォーカスしながら、そこで描いている構図や提示しているメッセージなどについて考察」していく。

 もう一点、考察として不十分だなと思ったのは、ここで「水曜日のダウンタウン」で取り上げたパートだ。

 「ネタ番組でつけられたキャッチフレーズ、どんなにしんどいものでも渋々受け入れちゃう説」での、3時のヒロインに提案された「男社会に喝!女性差別差別絶対反対!超濃厚フェミニズムトリオ!3時のヒロイン!」「ズバッと鋭く論破論破論破!男社会にタックルだ!令和のトリプル田嶋陽子!3時のひろいん!」の二つだ。

 見た時は、腹を抱えて笑ったが、一緒に見ていた妻は椅子から転げ落ちるくらい笑っていたが、もちろん、そういう指摘はあるだろうなともチラついたことは確かだ。

 清田の主張はこうだ。

 「バラエティー番組のなかでイジられるということは、視聴者にとって「からかっていい対象ですよ」というサインになりかねない。例えば『水曜日のダウンタウン』で3時のヒロインにつけられた「男社会に喝!女性差別差別絶対反対!超濃厚フェミニズムトリオ!3時のヒロイン!」というキャッチフレーズは、明確にフェミニズムをちゃかしている。二つ目の「ズバッと鋭く論破論破論破!男社会にタックルだ!令和のトリプル田嶋陽子3時のヒロイン!」にいたっては、「フェミニズムの直接表現に配慮」という注釈をつけたうえで提示されていた。おちょくるようなコピーを勝手に作っておきながら、「フェミニストに怒られちゃうかも(笑)」と言わんばかりの注釈をつけ、さらに田嶋陽子の名前まで持ち出してイジり倒している、誰がどのような意図でやったことかは説明していないが、フェミニズムを「からかっていいもの」として扱っていることは間違いなく、そこに根深いミソジニー女性嫌悪)を感じざるをえない。」

 清田の指摘は一理あるが、一理しかない。すでに書いたように、少なくとも僕は、このくだりを見て腹を抱えて笑った。少なくとも僕は、この清田が指摘しただけの一つの構造でしかなかったら、鼻で笑うくらいだっただろう。能動的に配信でお笑いライブを買って、ほぼ声を出して笑わないまま見終わって、あーあのネタ良かったなと思うくらい、笑うという行為のネジがバカになってる自分が腹抱えて笑うということは、単純な笑いではないということは自分が一番知っている。

 ここには、3時のヒロインのネタが全くそうではないこと、それなのに、大きなものを背負わされそうになって困惑している様、そして、そういったものを背負わせるだけ背負わせて後々勝手に失望していく人たちなど多くのことを連想させるから、爆笑できるのである。たしかにここを考えた作家の人は、めちゃくちゃ筆は乗ったとは否定できないが、やはり単純なものではない。

 繰り返すが清田の指摘は正しいが、それらを踏まえないとフェアな批評とは言えないんじゃないかなと思う。問題は、そんな端々で危うさが見つかってしまうこの章だが、全体を通して見ると、かなりの説得力を持っているように読める。しかし、フェミニズム批評は、批評全体の内側にあるものだ。だから、批評のルールは誠実さを持って守らなければならない。フェミニズムの視点から論じているから多少の乱暴は許されるということは決してない。

 改めていうが、この本は、フェミニズムに興味がある人だけでなく、マスコミ関係に就職したい人、今も働いている人、フェミニズム批評がただ単にバラエティにいちゃもんをつけているようにしか思えない人などなど、あらゆる人が必読な本だろう。

 この本を読むことで、テレビ等がどういう視点でチェックされている時代なのかを把握するという意味でも重要だ。もちろん、ただ単に、炎上防止のためのチェック項目を知ることが出来るということも出来るが、それでは本当の意味での、差別をなくすということには繋がらないので、ここに出た作品をチェックする等をしなければならないし、他のフェミニズムの本も読むなどをしなければならないということは言っておきたい。

 アップデートアップデートと言われるが、アップデートは1から2になるものではない。1.1や1.03のように刻まれていくものだ。人によってその数字は違うが、そのくらい読んで損はないと思う。いやマジでね。

 以上!(厚切りジェイソン

お知らせ

クイックジャパンウェブにて、AUNコンビ大喜利王決定戦というライブのレポを書かせてもらいました。

ご一読、面白ければ配信の購入お願いいたします。

ほんと、3時間近くふざけ倒してて、かつ大喜利は面白くて最高にオススメです。

 

 

 

 

とりあえず一年の記録

一年近く経過して、現在自分が間違えているのか正しいことが出来ているのか分からなくなったのでとりあえずまとめてみます。

最近は仕事が慌ただしく、そのこともあって時々、マスクが煩わしく感じられ、仕事中、喋っていない時は、たまに外すようになっている。人に話しかけられたらきちんとつけるが、トイレに行くときや、歯を磨くときの移動の時は外していたりする。

マスクは不織布マスクを使っていたが、耳が痛くなるので、ユニクロのものを利用している。週末や休みの日は、子供の散歩を担当しているのだけれど、その時や、コンビニなどで小さな買い物をするときはマスクを外している。コンビニなどは、支払いは電子マネーなので、一言程度は発することもある。例えば、昔なら、こういった日記を書くときは、モスバーガーなどにも行っていたが、今はそういうことは全く無くなった。

五輪について、さっさと中止を決定しろとは思うが、もともとスポーツに全くと言っていいほど興味がないので、自分が五輪を中止しろというのはフェアではないと思っていたが、もうそんな段階ではないとも思っている。

一方、文化で言えば、この大型連休に合わせて準備されていたライブ等が壊滅的な状態になったわけだけれど、これに関して言えば、例えば政治はどうするべきだったのかということを考える。事前に、三月くらいに、このまま行けば、大型連休前に、緊急事態宣言を出さざるをえなくなると明確に言えば、ここまでライブ等への打撃は大きくなかったのではないか。こう後手後手に回っている印象などからは、五輪開催ありきで動いていると思われてもしかたのないと思うことは正しいのだろうか。

あくまで自衛のために、マスクや手洗いなどは継続し、外食なども少なくしている。

自民党憎しや他山の石で、東京と大阪の首長があれだからムカつくという感情になっているのかもう判断がつかない。例えば、うちの知事はよくやっていると思うのは何らかのバイアスがかかった認知なのだろうか。

為政者がアホやから遠征がでけへん。

それはそうだが、よくよく考えてみると、それなりの皺寄せなどはあるものの、自分にとって、コロナ禍における不都合というのはそれだけではないのかと思い、もっと苦しい人がいるにも関わらず、ただ怒っているだけなのは欺瞞ではないのか。

六月に東京に行きたいと考えている。

もちろん、日帰りで史上最短史上最悪の遠征にするつもりではあったけれど、どうししても夜の部に行きたい。そうなると一泊しないといけない。

じゃあ、そのあと、PCR検査はどのタイミングでやれば、周りの人に迷惑をかけないですむかなども、まったく分からない。自分のコロナへの知識というものはその程度でしかない。そもそも、県外に行くことを上司に言わないとダメかなーなんて思っているレベルだ。

一年頑張ったから、今の生活と同じように、感染対策をすれば大丈夫だろうと思うのは、気が緩んでいるのだろうか。それもわからない。

本当に、粛々と日々を暮らしているだけだ。

とりあえず、今の思考の記録或いは吐き出しとして留めておく。

 

 

 

 


こういうことを書くと嫌われるんだろうなと思ったので、ついでに書くが、渡辺直美のオリンピッグの件。テレビのコーマシャル作っているやつなんてこんなレベルの発想だし、今もそういうのが普通に放送されてるだろと思っていたら、思いの外、みんなが嫌悪感を露わにしていた。もちろん、つまらないというのは共有しているが、もっと冷めて、怒るほどその連中の発想に期待していないというのがあった。

 


こういったズレを忘れないようにしたいと思う。

伊集院光 深夜の馬鹿力(2021.4.6)放送分感想

 2021年4月5日放送の『伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きました。かなりのベスト回でした。
 新しい前の席の笑い声担当が埼京パンダースの河野和夫という、一時的かもしれないけれども、長年のリスナーからしたら座りが良い形に収まったというトークから始まり、この回は帝王と呼ばれ始めたことの弊害として、フワにイジられたことへのリアクションから始まり、Uber eatsで「四川風のモツのピリ辛炒め」を頼んだら猫に食べられて、しかもそのことで妻に怒られた話、『おしん』を見ていたけど内容がつらすぎて落ち込んでいたところに脚本家である橋田壽賀子が亡くなって、いつかは『とらじおと』にゲストとして来てもらって『おしん』の話をしたかったけど、叶わぬ夢になってしまう。そして、三遊亭円楽と寿司を食べに行った話へと入っていく。軍艦島にロケに行った話もとても良かった。
 フワからいじられて思ったことへのトークは、朝から爆笑して聞いきながら脳が滾り、総毛立つほどに興奮して、それは、エヴァンゲリオンを最近見た影響で脊椎に電極を指していたというのもあるけれど、その日は1日、余韻に浸っていたが、それはその内容の痛快さもさることながら、「やっぱり伊集院さんムカついていたんだ」ということも乗っかっている。他にも、「稼げるところまで稼いだらコロナ終りで留学しようくらいのプランが・・・・・・」というくだりで、元ブルゾンちえみこと藤原史織までさり気なく斬りつけているあたりなんて惚れ惚れしてしまう。
 誤解されているのと、お前は長年のリスナーだからそんなこと言ってるんだろうと言われるのも嫌ではあるが、伊集院光は配慮の人だ。例えば、伊集院が落語家ということを隠してラジオパーソナリティとして活動をしていた頃に、立川談春立川志らくらに、そのことを番組中にばらされそうになるという話は、そこだけを聞くと、この二人は、ひどい奴らだなとなるが、これから売れようとしている当時の若手同士、さらには落語という伝統芸能を背負っているということへの思いというのは、そこだけでは測れないものであるという説明をさらりと挟んでいたりする。そういった心遣いというか、誰かに何かを言われない、怒られないことへの細やかなフリについて、人一倍気を使う人だということはリスナーならば理解しており、だからこそ、冒頭でいきなりフワについて話したことが面白すぎるのである。余談だが、深夜番組の中では相当の長寿番組となっているこの番組だが、恐らく、一番と言っていいほど、その週初めて聞いた人に優しい番組となっている。その位、説明などを入れてくれるし、それが嫌みったらしくないのが、伊集院光という男の話芸なのだ。
 フワや神田伯山からの、下からのツッツキに反応したというトークゾーンをだけを切り取って、伊集院大人気ねえだとか、いや、伊集院さんは身に振る火の粉を払っただけだとか、伊集院の行為の正しさを問うことは簡単だ。むしろ、そこに陥っている人は、SNSに毒されているとすら僕は思う。長年のリスナーは、伊集院光という存在の全て正しさを求めていない。少なくとも僕はそうだ。勘違いされては困るが、番組でのトークに引いている時は引いている。子供の頃の写真をヤギに食べさせていた話なんて、ドン引きだ。 
 あくまで、フワに関するトークは、師匠である三遊亭圓楽と寿司を食べに行った話への照れ隠しであり、自分でその話を低い水準に持っていくという行為だと受け取った。その目論見のとおり、この話をしたことで、この回は、ウェットな神回になり損ね、問題回またはベスト回となった。
 2時間を通しで聴き終わったあと、とても満たされた気持ちになっていて、その理由と、「わ」から始まる単語でどうやって芸能人の悪口を言うかを考えていたけれど、ある瞬間、その答えに気がついた。
 この日の放送は、生きていくということそのものじゃないかと。 
 皆がなぁなぁにしていることに大人気なくムカついたりして余計なことを言ったり、予想外な失敗が降りかかって間抜けなことになった被害者は自分のはずなのに何故か怒られたり、やれたら良いなと思っていたことに間に合わなかったことに気がついて後悔したり残念な気持ちになったり、自分だけが正しいと思って誰かと競い合ったり、そのことを振り返って自分の若さと過ちに気付いてを反省したり、余計なことを言いすぎたと反省したり、身勝手な行動の後始末を知らない間に誰かにしてもらって助けられていたり、生きていくということは、それらの積み重ねで総じてみっともないけれども、寄りかかれる人がいるだけで、捨てたもんじゃないと思えて、また明日から頑張れる。
 例えば、伊集院は、自身と圓楽のことを「神と信徒みたいなものだから」と例えていたが、それこそ、先代の三遊亭圓楽と今の三遊亭圓楽伊集院光とリスナーがそれに当たる。それだけじゃない。伊集院が話していた『おしん』のあらすじや、軍艦島にまつわるエピソードの数々もまた、生きていくということを感じさせるもので、入子構造のようになっている。トークは過去と現在が行ったり来たりし、時間軸が混沌と、しかし秩序を保ったまま存在する。これこそが伊集院光トークの真髄だ。どのエピソードも、一ヶ月に一回出れば嬉しいかなというレベルのものだが、それが一週間に一気に聞けたのだから、そりゃあ満足するし、興奮する。本人も最後に「なんかー、6時間くらい喋ったような気がすんなぁ、今日は。遠ぉーい昔のようだよ、オープニングが。」と、こぼすはずだ。
 伊集院光、ここにあり、という放送だったと思います。

思ヱヴァ遠くへ来たもんだ

先日、『シンエヴァンゲリオン』を見てきました。

初見の感想は、「上手くまとめてはいるけれども、上げようとして作られているところで上がりきれず、個人的には不完全燃焼ではあるけれども、大団円を迎えることが出来たのではないでしょうか」というものでした。もちろん、ミサトが髪をかきあげるところなどは流石に上がりましたが。

何より、TVシリーズから振り返っても、アスカが一番頑張っているなと改めて思わされて、アスカの最後の戦闘シーンは一番込み上げてくるものがあり、そこは泣けました。やっぱり、アスカだよ。

なのに、上がりきれなかったのは、Qを復習していなかったことと思われます。もうすでに、何をしているのか分からなくなっていたという自らの不徳の致すところです。

 あと、一番の要因は、要所要所で「90年代だなー」と思ってしまったところ。「逃げちゃダメだ」というテーマは最初からのものであるものの、「逃げるは恥だが役に立つ」と言われるように、あまりに時代から離れてしまっているなあと思ってしまいました。結局は、父殺しの物語になってしまうんかいというのもある。

 あと、5年、いや3年早く完結していれば、素直に感動出来たのかもしれないはいられなかった。大きく言って、この二つが感情にブレーキをかけてしまっていました。

 帰宅して数日経った後、気が進まないけれど、一応、見返してみようかな、という気持ちを持っていたある日、一度、眠りにつくも、1時間ほどで起きてしまい、すぐには寝られそうにないという状態のなか、まあ、見てみるかという気持ちで、部屋の電気を全て消し、ヘッドホンをつけて、見ると、これがめちゃくちゃ良い。

 あんなに、退屈だった、シンジとカヲル君のピアノの連弾のシーンの意図が分かり、心にじんわりと沁みてくるし、あんなにムカついていた、ミサトを始めとする周囲の大人のシンジへの説明のしなさの意図がおおよそではあるが理解できる。

 シンジは、コミュニケーションが言語でしか出来ないと思っているけれども、そうではないという希望が描かれており、

 説明をしないではなく、シンジがああなることが想定つくから、説明をすることが出来ないのだと理解できる。もちろん、細かい設定などはほぼ調べていないけれども、情報の取捨選択のスキルが少しは上がっているから、これは雰囲気のワードだなと捨てることが出来る。

 そして、シンを見ていることで、この物語がどこに向かっているのか、そしてQがどういう位置付けにあるのかということが分かっているので、そこも正誤はさておき、ついていけてる。それらがクリアになった時、この作品の立ち位置を理解することが少しは出来ました。

 真っ暗な部屋でヘッドホンをつけて見るというエヴァとの最初の出会いと同じ視聴方法が正しいのではないのかと思うようになっている。リアルタイムではなく、かつVHSではあったものの、大学受験中という鬱屈した心境で見た時と同じように。

 総評すると、少年は神話にならずに神木になったのだ!というラストにこそ、物凄い意味を読み解けられそうな気もする。

とりあえずなるはやでおかわりしようと思います。

『俺の家の話』最終話及び全体のザッとした感想

『俺の家の話』面白かったですね。

さすがに最終回はリアルタイムで見ました。第一回を見た時は、介護の話メインで進んでいくのかと思いきや、プロレスラーとしてもカムバックし、そこのストーリーも並走する。

それと同じように、能の話とドラマの話、ドラマという虚と長瀬智也の表舞台からの引退という実、能という伝統芸能とどさ回りをして日銭を稼ぐ潤沢という大衆芸能、神へ奉納すると芸能ということに由来する幻想と認知症から来る幻覚、家という共同体における女性が蔑ろにされてきたということと「仕事で代わりはいるけど、夫としての代わりはいない」と言い切ることに対して「分かるけど無理」と否定するというジェンダー問題にいたるまで、あらゆる対極に位置するものが境目をあやふやにしたまま混在し、正しさ真実は明らかにされない。

血の繋がりによって保証されている家族が解体されたあとに、認知症ということで繋がるグループホーム認知症対応型共同生活介護)に入所する展開とか、テーマに即していますし、最終話の一個前で、寿一が寿三郎の亡霊と喋っていると思ったら、徘徊で帰ってきた寿三郎で、でもその会話自体は亡霊とだったというくだりに見ていて気づいて震えたのだけれど、そこも本当は、会話はしているけれど、あそこまでハキハキと喋っていないだけかもしれないし、正解はわからない。

加えて、一話に一回は踏み込んでくるエピソードが入っている物凄いドラマでした。

笑いの面でも、「思い出で補正するやつなんだっけ」「思い出補正?」「それ!」っていうくだりは、絶対に誰にも書けない書かれない切られてしまうくだりがあったりと楽しかったです。

 


最終回を思い返せば、やっぱり浮上するのは、「なぜ、寿一は死ななければいけなかったのか問題」だと思います。

長瀬が表舞台から去るということにリンクしたメタ的なエモ要素を抜き取って台本のテキストだけを取り出し、単純に考えると、寿一という、一度共同体からはみ出した人間は、戻ってきたとしても、その共同体から結局弾かれてしまうのか。それは、寿三郎のいう、そういうもんなんだよの勝利ということではないのかという、共同体の強度を証明するというある意味で、家父長制度の残酷さを提示していることにならないのか。もちろん、寿一が帰ってきて努力をしたことで、29世が秀生になるというラインが復活するため、家は継続するという一応の救いはある。

すると、寿一はただ家を継続させるためだけに死んだということにならないのか。

ここはある意味で、鬼滅の刃の、死ぬことよりも継続が絶たれることにも通じている気はして、個人から見ると恐怖感を抱きはする。

ちなみに、秀生に寿という名前が入っていないのは、家にある連綿と続く命名のルールからの分断を意味している。

 


ぱっと思いつく感想はこれくらいでしょうか。

シンエヴァと一緒で、あまりにも意味が付与している作品であるため、後数年は寝かせないと、冷静なことは考えられないような気がします。

ベストラジオ2020(不完全版)

 ベストラジオ2020、いつまでたっても完成しなくて、もう三月になってしまいました。自分の中でリミットを設けて、それが来たので途中ですがUPします。ランキングのご紹介だけという感じで読んでいただけたら。つっても13,000字あるにはあるんですけど。同人誌等などに載せるさいにはきちんとリライトします。2018年にUP出来なかったというのが未だに心残りだったので、何とかしてもやりたいという感じなので、お付き合いください。お恥ずかしいやら、楽しみにしてくれていた人が一人でもいたと思うと、心苦しい限りです。いや、10人はいるけどね!絶対!!!
 

 2019年から2020年にかけての年越しは、TBSラジオ カウントダウン特別番組「あるある年またぎ 〜令和に残したい108つのあるある〜」を聞いて最高に盛り上がった。夢のような放送の後、寒々とした一年になるとは夢にも思わなかったが、ラジオはやっぱり面白かった。以下、独断と偏見にまみれた2020年のラジオのランキングです。

 

第20位 『ゴールデンアワー

 今年は仕事でお昼過ぎに車に乗ることが多く、そうすると、子供の頃からの習慣で、自然とカーラジオはFMOKINAWAにチューニングを合わせる。お盆の日、お盆といっても、旧暦のお盆のうち、ナカビだったかウークイだったかは、詳しくは覚えていないけれど、その時聞いた、地元のローカル番組である『ゴールデンアワー』が、聞いていた時間込みで最高な体験だった。
 「新型コロナのせいで、お盆で親戚が集まれない、まあでも、おじぃおばぁのためだから仕方ないさぁねぇ」と滅入っているメールなどを読み上げながら、パーソナリティの西向幸三とエリナが、なんてことないローカルトークを方言交じりでしているのを、寒いくらいにエアコンを効かせている車の中で聞いていると、バッキバキにラジオが入ってきた。
 ミキトニーこと糸数美樹が番組を卒業した後に、エリナが代わりに加入、最初は、全然噛み合っていない感じだったけれども、いつのまにかスイングするようになっていた。この日以外にも、番組の放送時間に車に乗ることになると、ちょっとツイているなと思うくらいには一息つく時間であり、別に毎日追わなくてもいいくらいの面白さとの距離感もちょうど良い。
 『ハッピーアイランド』で決める領域にはまだ到達出来ていないですが、街で、首にかけたラジオから音を流しながら歩いている老人を見かけると思うのですが、あれ、未来の僕です。
  
第19位 「#8 パーソナルな話(2020.5.22)」『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』
 
 2020年の4月から、『空気階段の踊り場』の放送時間の異動になったことに伴って始まった、『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』。真空ジェシカは、2019年に『マイナビ Laughter Night 第5回チャンピオン大会』で優勝、その特典の同名の二時間特番を経て、晴れてレギュラー番組となった『ラジオ父ちゃん』、通称「ラジ父」。放送開始から聞いて、もちろん面白かったが、放送二カ月目にして、二人のパーソナルな部分について取り上げたこの回を経たことで、もっと、真空ジェシカの可愛げを掴むことが出来た回。
 リスナーからの送られた「もっと二人のトークが聞きたい。二人の結成した話、二人の他の芸人との繋がりの話」というメールから、結成にまつわる話などを始める。
 戦争の次にリズムネタが嫌いな川北だが、当時、リズムネタをしていて評価されていたガクに対して、「リズムネタみたいのをやってて、俺、すごい嫌いなんだけど、ある程度の支持をされてたから。あ、これ俺の嫌いなやつだけど、俺の嫌いなことやってて支持されてる奴と組んだ方が良いなって思ったの」という、川北のクレバーさをうかがわせるエピソードが聞けた。
 「ギリギリ出来る熱い話」では、川北はガクの良いところを「エモくならないところ」と答え、「熱いぃのを出さない。出さないっていう。もう、みんな今さ、すぐさ、いろんなSNSでさ、なんか、もう、あつぅーくなってんじゃん。いい、いい。」と続ける。
 この、エモくならないところが良いというところにエモくなってしまうとのが、このブログのダサいところだが、それはしょうがない。
 その後も、トークもコーナーも面白く、安定して番組を楽しんでいるが、自分と同じように真空ジェシカの受け取り方が分かってきた人が増えたからか、『M-1グランプリ2020』や配信ライブなどの様々な媒体で楽しむことが出来た。2021年における真空ジェシカの躍進を期待しています。

 

第18位 『赤もみじのオールナイトニッポン0(2020.1.25)』
 アルピーANN的なノリが生まれてて面白かった。
 
第17位 「第162回 『I"s』をキミに...(2020. 5.30)」『空気階段の踊り場』

 2020年の4月より、土曜の深夜三時という時間帯へとお引っ越しした『空気階段の踊り場』だが特に大きな変化もなく、相変わらず面白い放送を続けている。鈴木もぐらが愛する恋愛漫画の金字塔、桂正和『I"s』を特集し、まだ読んでいない水川かたまりにその魅力を伝える回。
 もぐら曰く、『I"s』も読んでおらず、母の推薦図書である絵本の『いやいやえん』というしか読んでいないので偏った、こじらせた人間になってしまった水川かたまりのために、ラジオドラマを流す。今回のタイトルになった「きみに・・・」の回や、王様ゲームのエピソードなどを、もぐらが一人で男女を演じるラジオドラマは、『I"s』直撃世代にとっては最高に笑えて、懐かしくて、エモくなれるものだった。
 かたまりは最後に「今回の企画を通して思ったのはぁ、なんか、もしかして俺好きかもしれないっていう。要素要素を聞いてて」と話していたが、恐らく、この回及び『I"s』は『キングオブコント2020』の二本目の最高のコント「定時制高校の恋」に繋がっている。
 いつだって、踊り場は恋の素晴らしさを教えてくれる番組だということを改めて実感しました。

 

第16位 『鬼越トマホークのANN0(2020.5.24)』
 
 面白いことはわかりきっていた『鬼越トマホークのANN0』。鬼越トマホークの二人は、オープニングトークもそこそこに切り上げ、早々に爆笑問題をいじりだす。爆笑問題と鬼越は、坂井が太田の首を絞めて喉仏をへこませて以降、縁が深くなった。あの暴行がなければ、鬼越トマホークの二人は『爆笑問題カーボーイ』への出演は無く、それがなければ、ここまでラジオリスナーから好かれていたかは怪しいところだ。
 「太田さん、給料と言うか、小遣いもらってないんだから。嫁から。小遣い貰ってないのに、政治とか話しちゃってんだから。」「嫁に頭上がらないストレスで、芸能、政治斬って」「それストレス発散になってるだけで、ほんとはすごくちっさい人間だから。」「だってあれ、三食カシューナッツなんでしょ。」「三食カシューナッツで、あと、童貞だから。結婚してんのに童貞だから。」
関係性が無かったら、完全にヤフーコメントレベルの発言で、さらにそこから、他の芸人にもフリートークとは名ばかりの悪口を散々言っていたが、ここで書き起こすのも野暮なので、ここあたりで終わりたいと思います。
ラジオ文化を知らないという二人だったが、これまでの経験から来ているであろう、線を超え過ぎないバランス感覚から始まり、トークも込めてきた悪口の銃弾も豊富で、冒頭の爆笑問題いじりからテンションをそのままに二時間駆け抜けていった。二人の声のトーンも違うのでものすごく聞きやすく、めちゃくちゃラジオに向いていたことにも驚いた。
 ただ、二人には、根城を持たず、色々なラジオに出て、ガスを抜いて帰っていくという殺し屋稼業をこれからも続けてほしいと思うのは勝手な願いだろうか。

 

第15位 「ポケひみ回(2020.6.20)」『霜降り明星のANN0』

 ZOOMで局部を他者に見せたことが報じられた後の一発目の放送で「ポケひみ」こと「ポケットいっぱいの秘密」のコーナーを二時間ぶっ通しで行った回。「ポケットいっぱいの秘密」のイントロが始まり、コーナーが始まる。
 「川沿いに桜が多い理由は、桜の根が土手の地盤を固めるから。」という雑学から「じばんばばんばんば~ん、じばんばばんばんば~ん」と「いい湯だな」を歌い出し、「以上、デューク・エイセスでした。ええ、ドリフじゃなくて原曲の人!?」という風に、せいやが持っている情報がDJのようにどんどんつなげられていく。
ちょっとくどくなってきたなと思った頃に、 「立川談志の名前が出て、粗品が『談志師匠!?』と反応したら、せいやが『歯が痛いおじさんです』と返す」という脳が涎を垂らして喜ぶくだりが指し込まれる。ネタがバウンドしまくって、遠くまで行ったと思ったら、いつのまにか同じところに戻ってくる。
あ、これ二時間やるのか、とリスナーが怖くなり始めた頃、せいや織部金次郎のモノマネを始めたところから、さらにギアが上がる。「ちょっと一回黙ってくれ。財前直美さん。織金、ゴルフ頑張ればいいじゃない」「織金って呼んでるの財前直美さん」「財前直美さん」「あ、ごめんなさい、なんか言ったら最初から」「財前直美さん」「織金って呼んでるの」「財前直美さん」と粗品が何かしゃべると最初からやるというくだりからの、財津和夫の『サボテンの花』の替え歌を挟んで、織部金次郎が「ゴルフを舐めるな!」と激昂するくだりは最高だった。鎮座ドープネスなど知らないネタではもちろん、ハマれないが、自分が知っている、寅さんの口上に、ぬ~べ~の「南無 大慈大悲救苦救難 広大霊感 白衣観世音」が入っているという自分にしか分からないんじゃないかと思うネタが入ってくると、海馬がうねる。
 そして、いいとものグランドフィナーレの再現に入る。
後半三十分に入る頃に、漫才を繰り出したと思ったら、粗品が「もうええわ、お前。なぁ、俺らの処女作やないかい、そんなもん。長々お前」とツッコミ、せいやが「これでオーディション受かったんですわ、よしもとの。これで僕ら漫才師になりました、ピース!」で感動。処女作から、すでに粗品構造主義が見え隠れしたことに興味を持つ間もなく、続いて繰られた漫才は、「水が無くなったらどうする」という「一番やばかった時のネタ」に入っていくのは、ちょっと色々思わずにはいられなかった。
 この放送で芸能人生終わるかもしれないせいやは全てを出しきるという、『HUNTER×HUNTER』で、ピトーを倒した時のゴンみたいな、今日で爆散してもやむなしという覚悟があった。
 せいやが知っているのかは不明だが、ほぼ、『談志・円鏡歌謡合戦』であり、爆笑問題の太田とこれが出来るんじゃないかと感動してしまった。
 誰もぐうの音も出ない一手でありながら、何回も聞きなおすと、スキャンダルなどの意味が剥奪されて、ただの凄い放送になる。
例年であれば、1位でもおかしくないほどの放送だけれども、上が詰まりすぎていること、放送のきっかけとなった騒動自体は決して褒められたことではないという理由による罰符として5ランクダウンとしたため、この順位となりました。
別の放送での、「原曲キーで歌わせて」も良かった。あれは、人間だった。人間くさいという意味と、銀杏BOYZの『人間』という二つの意味での、人間。

第14位 「東ブクロの嫁決定戦」『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』
 現在、胸やけしてリスナー休止中ですが、嫁決定戦は激アツな展開でした。

 

第13位 「平子家のツイスター」『アルコ&ピース D.C.GAREGE』
 ステイホーム期間で平子家で行われたツイスター。そこから、平子っちの奥様の学生時代のサークルの話になり、キムタク意識した奴が出てくる展開まで発生したのはたまらなかった。
なぜかハライチ澤部宅でも、ツイスターすけべが起こるという偶然もありました。いや、必然か。

 

第12位 「IAIBOY(2020.8.19)」『アルコ&ピース D.C.GAREGE』
 たまに、聞いているラジオが貯まってくると、番組を絞ろうかなと思ったりするけれども、この回みたいに、誰も話題にしていないような、自分にしか刺さっていないような気にさせる平場の放送があると、どんなに滞っても、聞くのやめたくねえな、とさせる放送が、一年に一回ある。2020年は『アルコ&ピース D.C.GAREGE』だった。
オープニングコーナーの「今日のゴシップ」での「アメリカ人、ハーレーでエリア51に突入し、宇宙人の存在を確認するイベントにSNSで募集を募ったところ、20万人が参加表明」というメールから乗るならどんなバイクかという話になり、続く「現役僧侶Youtuber寿源。瑛人の『香水』をお経風に読む動画が、一週間で800万再生を記録」というメールでは、お経風に『香水』を酒井が歌い、平子が寿源の解説を平子る。それから、オープニングトークで、うしろシティ阿諏訪の結婚の話題から、阿諏訪の結婚式を妄想し、勝手に二人でムカついて笑いあう。
 その余興で、平子が居合い切りを披露するとしたらとトークは転がる。
「受けると思うよ。オゴソカァ・・・・・・」「琴みたいなさぁ、音楽、BGM流して、緊迫感あるやつ。デンデンデン、デンデンデンデンデンデンデン・・・・・・、すぅーっ、あーーーーーーい!!!ぷっしゅー。ウワァ、オゴソカァ。」と平子がイメージする。
ただ阿諏訪の結婚式は通過点でしかないという。
 「阿諏訪の結婚式を経由して、ついに酒井の結婚式、披露宴で俺の居合いは完成する。」と話すと、「で、息子の結婚式で突き抜けるの?」と聞くと、「斬らぬという境地!」「無刀」と平子は返す。
 「畳は立てるけど、無刀でお辞儀して、ただその場をすーってただ去るだけ。」
そこからさらに、流れ星の瀧上がTAKIUEに改名した話から、酒井が「IAIBOY」に改名したらどうかという話になる。
 なぜか居合いをするのは平子なのに、酒井が「IAIBOY」に改名しなよという。
「平子さんが居合いをやる人。俺はやらない人。」「やらないけど、IAIBOY」「何で?IAIBOY、平子さんじゃん。」「俺は行かないよ、俺は日本で活動するけど。」「じゃ、IAIBOYSではあるんですか?」「いや、全然違う。俺はアルコ&ピース平子祐希、お前だけIAIBOY。アルコ&ピースのIAIBOYです。俺、平子祐希です。」「居合いをやってるじゃないですか」「実際にやるのは俺」「IAIBOYは何してんの」「いや、それは芸名。」「だからその、平子さんが活動してる間は何してんの。」「いや、何もしてない。居合いは居合いだから」「さぁ、それではご覧くださいみたいなこと言うの」「も、俺やらしたくないなー。俺、居合いはちゃんとやりたいから。芸名として、単純に。別に芸人の活動として、芸名がIAIBOYなだけ。」「何それ!」「いや、それは自分で考えてくれよ」
 このやりとりがやたらと、おかしみに溢れていた。
 フリートークゾーンでは、酒井が一人でラーメンを食べたというミニマムな話を挟み、最終的に、また居合い切りに戻る。
 一時間フルで、意味が全くなく、だからこそ、幸せぇ~なラジオ体験でした。

 

第11位 「パンサー向井のゆず語り(2020.5.26)」『ACTION』
 TBSラジオで放送されていた『ACTION』の「GUEST ACTION」というコーナーに、パンサー向井が出演し、アーティストのゆずについて語った回。パーソナリティの尾崎世界観も、ゆずが大好きということもあって、トークもかなり盛り上がった放送となっていた。
 向井が選曲し、最初に流れたのが「方程式2」。向井はこの曲について、「この方程式2も、まさにふられた男が、こう、多分、家で電話してて、ふられて、うわーっと思って、ちょっと耐えられなくなって、外にふらっと夜の街を歩いてるって歌なんですけど、なんかこう、やることなすこと意味が無いように思えてきたとか、一体何やってんだろうと急に空しくなってとか、なんか、そんな夜ってめっちゃあるじゃないですか。で、なんか、この曲調で、そんな暗い歌じゃない感じ、で、これを歌ってくれると、なんか、うわっ、自分一番不幸だなって思う夜に、これ聞くとすげー助けられるんですよ。」「めちゃくちゃ自分が不幸な時って、誰かにこの不幸な様子、知っててほしいって気持ち無いすか。その時にこの歌が、俺もその夜知ってるよっていう寄り添い方をしてくれてたような気がして、その夜に、ぜったい、この歌聞いてました」と語る。
まさに、自分もずっとそういう聞き方をしていた。世界で一番好きなこの歌は、本来であれば、初夏の平日昼間にラジオでかかるような歌じゃない。肌寒くなって、パーカーを着るようになった季節、何もしたくないけれど、何かしていないと不安やその日あった嫌なことに押しつぶされそうになるからという理由だけで、夜中にコンビニに行く道中でイヤホンで聞くような曲だ。何百回も聞いたイントロが流れた瞬間、ぶわっと新たな感動が押し寄せた。この向井の語りで、自分がこの曲に助けられたいくつもの孤独な夜たちは、実は孤独じゃなかったということが十年、二十年の時を経て知ることが出来た。「この先誰かもしかしたら、向井と同じ夜に、別々の理由で聞いていたかもしれない。
 向井は、続いて「なにもない」という歌を紹介、思い入れを語っている中で感極まって少し泣き、それに釣られて尾崎も泣いてしまうという一幕もあった。思わず、向井は「青春のねぇ、全てなんすよねぇーっ」と叫ぶ。最後は「嗚呼、青春の日々」を紹介し、幼稚園からの幼馴染であり元相方とのエピソードを話す。元相方とは、友情とビジネスの兼ね合いが上手くいかず、数年して結局解散、それからしばらくしてその元相方と久しぶりに会って、一緒にゆずのライブに行き、ゆずが弾き語りで歌ったこの曲を聞きながら、必死で涙をこらえていたというトークも良かった。
自分と生まれ年が同じな向井が選んだこの三曲はあまりにもガチすぎたし、学年が一緒の尾崎の「踏切」も最高なチョイスだった。何より、「方程式2」という、20年以上、ポケットに入れっぱなしでくしゃくしゃになっている、でも大事な曲を、公共の電波で流してくれた向井には感謝しかない。
 特に2020年の向井は、あちこちオードリーの配信『祝!あちこちオードリー開店1周年パーティー~春日の店、今夜は完全予約制ですよ!~』での大立ち回りと、『有吉の壁』での数々の奮闘が忘れられず、今さらながら、その泥臭さに気付かされた。今年の私的なMVP芸人の一人だ。

 

第10位 「野田とアルピー、時々、村上(2020.9.22)」『マヂカルラブリーのANN0』

 『M-1グランプリ2020』で優勝したことで、漫才のイデアを拡張したコンビ、マヂカルラブリーが担当したANN0の二回目。冒頭から、野田が魔法のiらんどの話をするなど、昔話が飛び出る土壌が準備されていたが、野田が番組の中盤くらいから、アルコ&ピースの話を始める。
 野田が「当時、役満ってコンビ組んでて、解散してピンでしばらくやってたのね」と振り返る。「同時に、あのぉ、セクシーチョコレート。平子さん。セクシーチョコレート解散したと。まじかと。インディーズ界、騒然としましたよ。100パー売れるとされてたのに、まさかの解散。どうするんだと。そして、ホトトギス。酒井さんが組んでたトリオ。天才と言われてました。酒井さんって天才なんすよ。」と野田が言うと、村上が「酒井さんが天才と言われてたんですか」と訝しむが、野田は「全芸人が認める天才」と断言する。
 村上は納得していない様子が満々で、「みんなが分かる感じでいうと、誰くらい天才ってことになるの」と問うも、野田はまっすぐ「ラーメンズさんぐらい」と答える。
実は、野田は、もともと平子と酒井のどちらかと組みたいと思っていたなかで、どちらかと言えば年齢が近い酒井かなと思い声をかけるも断られる。そんな中、平子と酒井がコンビを結成。「インディーズ界が揺れましたよ、あの瞬間。まじで。twlが揺れたんすよ。中野twlが。靴履いてはいけない。天才と天才が組んだぞ、どうなっちまうんだ!」と野田は当時の興奮そのままに語っていた。
 続けて、野田はもう一つの酒井との因縁を語る。
「酒井さんが、過去にロリィタ族と付き合ってたんですね。で、ロリィタ族と付き合う前、まだ僕も二十歳くらいかなぁ。で、ロリィタ族と、あのぅ、僕はですね、同い年なんですね。で、僕15からお笑いやってるんで、同世代がいなかったんです、ずっと。それで、初めて、同世代の芸人が現れたんで。女性で。話しかけたいなと思って、チラチラチラチラ見てたんですね。中野twlの楽屋で。ロリィタ族側から、俺の方来てね、『ごめんなさい、私、年上の人が好きなんです』。俺、ロリィタ族に振られたの。その後に、付き合いだしたの。俺を振って酒井さんと付き合う、俺を振って平子さんとコンビを組む。酒井さんとの因縁の人生」
 そんな話を聞いたリスナーからの「すみません、野田さんが天才って言っている酒井さんって本当にアルピー酒井で、合ってますよね。あの、ラジオで暴れるのに、バラエティでは置物になっているっていじりされても、え、ちょちょ待ってくださいよ~だけで三年くらいテレビを凌いでいるあの酒井さんですよね。普通に嘘吐いてませんか」という、リアクションメールが届く。
 野田の思い出トークに、ちょいちょい登場していたモダンタイムスが、四か月後に伝説となる配信ライブ『マヂカルラブリーno寄席』への布石となっていること含めて、エモ面白い話になっていた。
 野田から具体的な天才エピソードが出てこないこと、その一か月前に、IAIBOYの話をアルコ&ピースがしていたこと含めて、全てが愛おしい。

 

第9位 「チャンサカ、喪主デビュー(2020.2.19)」『アルコ&ピース D.C.GAREGE』
 アルコ&ピースの酒井の祖母が亡くなり、その喪主を務めたというセンシティブな話題にも関わらず、酒井がからっとしたトークと平子の絶妙に邪魔しない相槌によって、笑えるトークに仕上がっていた。両親が共働きだったためにおばあちゃんっ子だったこともあり、幼少期に目立ちたい一心でおばあちゃんに側転をさせた思い出話から始まった酒井のトークは、おばあちゃん愛に溢れていた。
酒井を喪主を務めることになった経緯は酒井が直系だから。父が亡くなり、母を始めその他の家族は嫁いできたり、姉は嫁いでいったりということで、「ピュアな酒井は私だけ。直系!吉村家直系杉田家みたいなもん。家系ラーメン。」と、絶妙な例えツッコミを織り交ぜる。 
 極めつけは、最後の告別式の日、「棺の中に花いっぱい入れて、手紙をみんなが書いてきてくれて。で、俺もでっかい画用紙に『ありがとう』って書いて、酒井健太って書いて、折って、誰にも見られないように、恥ずかしいから入れて。色んな手紙いっぱいあって。で、もう棺閉まって、おばあちゃん、これで最後になりますって。まじで俺ももうぼろぼろ泣いて、もう皆が泣いてて、なかで、誰が書いたか分かんない、子供の字の手紙が入ってたの。ぼろんぼろん泣いて、最後閉まるってところで、その手紙がぱっと目に入ったの。『天国に行ってもガンバ!』って、いや、おばあちゃん、ワタクシ立いくわけじゃねえから!」で落としたところで、大笑いした。
おばあちゃん、おばあちゃんの健太は、こんな話題でも笑いを取れる立派な芸人のチャンサカになりましたよ。どうにか、この良さがもっとテレビで出せるように見守ってあげてください。

 

 第8位 「ダブルチーズバーガー論争(2020.1.31)」『ハライチのターン!』
  『ハライチのターン!』におけるオートマ・マニュアル論争に続く、ダブルチーズバーガー論争が生まれた回。マクドナルドのニュースを紹介したところから、何が一番好きなメニューかというトークになり、澤部が、てりやきマックバーガーから、フィレオフィッシュを通り、「今はもうダブルチーズバーガーですね」と答えると、即座に、岩井は「意味分かんない」と否定する。
 「意味分かんない。頭おかしいんじゃない。どうかしてるよ、お前。ダブルチーズバーガー、って何。チーズバーガーが二段になってるやつ?バカなんじゃないの」「チーズバーガー二段重ねしてるだけじゃん」と岩井は大笑いする。
 翌週(2020.2.7)には、リスナーからのメールが届く。
「チーズバーガー二個と、ダブルチーズバーガーの違いを調べてみました。まず、値段ですが、チーズバーガーは一個140円、ダブルチーズバーガーは一個340円。チーズバーガーを二個買ったほうが60円お得です」
このチーズバーガーを二個買った方がお得だということが発覚した瞬間、腹が爆発した。

 

第7位 「日村スイカチャレンジ(2020.5.9)」『バナナマンバナナムーンGOLD
 スイカが食べられない日村が、その前の週に、日村の「スイカは色々考えたらもしかしたらもういけんのかな」という発言により突如始まった企画「スイカチャレンジ」。
 レベル1のスイカシャーベットから始まるも、日村はもそもそと食べながら「まっじぃ。めちゃくちゃ果肉入ってる、これ。無理です無理です。めちゃくちゃ食えない。もろスイカ。これ、レベル1ですか」と、最悪な反応を見せる。
 レベル1でこの失態だったので、レベル2のスイカジュースも、日村は飲み干すことが出来なかったし、レベル3の「スイカのサイダー漬け」もギリギリ食べることが出来ず、その他の「スイカのコンデンスミルクかけ」などとレベルを上げて挑戦する。
 チャレンジの中で、間抜けなBGM、「スイカは色々考えたらもしかしたらもういけんのかな」という発言が何度も放送されるところがたまらなく面白かった。
 結局、日村は全然、スイカを克服できていない、ただのカッコつけの発言だったということが発覚して終わった。
 2020年の上半期という日本が落ち込み始めた中、『バナナムーンGOLD』は様々な企画を放送していた。そんな、アクリル板があることすら感じさせないようなバカバカしいドタバタとした深夜のノリ、でも、そんなに特別な感じもない放送に、『バナナムーンGOLD』を聞いている間だけは、陰鬱とした気持ちを忘れることが出来た。
深夜の馬鹿力』での伊集院光トークのように、「滅入ってる」「暇」など良くない感情を吐露してくれることで自分もそうだと思うというのも、もちろんそれはそれで救いになるが、『バナナムーンGOLD』の毎週、イベントを準備し、そのおかげでコロナ禍における憂鬱さを忘れさせてくれたのは、本当にありがたかった。
日村の、ベランダにプールを買ったということも覚えておきたい。楽しいことがないなら、出来る限りで楽しいことをやるというこのバナナマンのノリは、ベランダプール理論と名付けたい。


第6位 「銀杏BOYZ峯田ゲスト回(2020.10.24)」『空気階段の踊り場』
 もぐらの原点であるダウンタウンとの仕事である『ダウンタウンDX』の収録を終えた日に、同じくもぐらの初期衝動である銀杏BOYZ峯田和伸がゲスト出演した、「もぐらの祭日」みたいな回。ダウンタウンとの共演トークもそこそこに、同じくダウンタウンを原点とする銀杏BOYZの峯田が登場。ブースに入った峯田ともぐらは、かたまりを間に挟んでしか会話しようとしなかったり、会話もぶった切るようにもぐらが峯田にタバコをいつ変えたのかという質問をしたりと、二人が距離感を掴めていない感じがこそばゆい。峯田が『キングオブコント2020』での空気階段に「お礼言いたいくらいですよ。」と話し、二本目のネタに対しては「教室が見えたっていうか、あれはなんか、汗かいちゃったなー、見てて。よかったですねぇ。」と褒め、「峯田ともぐらの合わせまショー」という、質問に対して二人で合わせるという笑っちゃうくらい、ぬるーい企画も、ぬるいからこそ、峯田ともぐらの関係性が映えていた。ラジオクラウドで聞ける放送されなかった部分の部室感もたまらなかった。
 ひとしきりふざけた後、峯田はこんな話をして帰っていった。
 「大学ん時なんですよ、初めてギターで曲作ったの。千葉市若葉区セブンイレブンのね、裏にある駐車場でね、ロックの神様にぼく会ったんですよ。これね、こういう小説があるっていう感じで聞いてください。僕の体験というか。こういう小説があったって話。で、そのロックの神様と会ったね、18歳の少年がいてね、でね、その、『ラブソングを書きたいんだけど』って言ったらね、そのロックの神様ね、『誰も書いてない、とんでもない極上のラブソングを、じゃあ、お前に捧げる』って言ってくれたんですけど、『そのかわり、お前は、一生恋愛出来ない、それでも良いか』って、俺は、その少年は迷うんですけどね、ラブソングを選ぶんですよ。で、そのまんまね、なんか上手いこといかないまんまね、リアルではね、でもね、ラブソングをね、何曲かね、書けるようになってきたっていう男がいてね、そいつがね、どうやらね、あの、なんとか六年ぶりに、うん、っていう小説があるみたいですよ」
 新型コロナが収束しても峯田ともぐらが永遠に、密にならない絶妙な距離感であり続けますように。新型コロナが収束して、踊り場リスナーのみんなで、高円寺の山形料理屋「まら」に行けますように。
 
 第5位「岡村隆史結婚報告回 (2020.10.23)」『ナインティナインのオールナイトニッポン

社会福祉士の倫理綱領」の原理のⅠ(人間の尊厳)に「社会福祉士は、すべての人々を、出自、人種、民族、国籍、性別、性自認性的指向、年齢、身体的精神的状況、宗教的文化的背景、社会的地位、経済状況などの違いにかかわらず、かけがえのない存在として尊重する。」とあるとおり、いかなる理由であっても新しいスタートを切った『ナインティナインのANN』を尊重しなければならないが、そんなことを気負わずとも、「ナイナイのANN」は面白い番組だ。岡村の舌禍事件以降から聞き始めたベビーリスナーだが、桑田ヤベスケ、鼻王などの矢部いじりもたまらないが、何より、ナイナイの絶妙な距離感がたまらない。復活した当初は30年以上コンビを組んでいるとは思えないほどに高校生カップルのようだったが、数回で丁々発止のやりとりとなっていった。
 そんななか、「岡村が結婚」。番組開始40分、矢部の初体験という、ニュースの後ではどーでも良い企画を、あっさりと結婚発表。
 aikoと三人で歌った「ボーイフレンド」は、最高が過ぎました。
  
第4位 「ジャニオタ結婚SP(2020.6.20)」『バナナマンのバナナムーンGOLD』
 バナナムーンGOLDのADのジャニオタが、一粒万倍日と天赦日が重なった日に結婚したことを報告、みんなでお祝いした回。お相手は、なんと、月曜JUNKの『伊集院光 深夜の馬鹿力』の金子D。
 二人の直属の上司である宮嵜Pをびっくりさせた以外は、斜めに構えることもなく、ただただ、二人の結婚をストレートにお祝いしていて、聴いていてずっと幸せな放送だった。放送中に二人が婚姻届を出しに行っている間には、二人を泣かせるスピーチを考える。替え歌のコーナー「ヒムペキ兄さん」では、ジャニオタからのリクエストだったというサプライズも飛び出す。

 最後は、日村から二人へお祝いのメッセージを送る。 
 笑いと幸せがいっぱい詰まった最高の放送でした。

 

第3位 「JUNKアンタッチャブルのシカゴマンゴ 最終回スペシャル(2020.5.25)」『JUNKアンタッチャブルのシカゴマンゴ』

 

 記憶というのは不思議なもので、「シカマンが帰ってきた!」と泣きそうになるくらいに懐かしくなったのは、ラジオを振り返る時に出てきた数々の懐かしいワードではなく、サウンドステッカーというCMに入る前の音楽だった。それらを聞いた瞬間、一気に、懐かしいという感情が押し寄せてきた。もともと、アンタッチャブルの休止に衝撃を受けすぎて、記憶に蓋をしまくっていたということもあるが、音楽の力は偉大だなと思ってしまった。やっと過去のシカマンを聞けるようになったのも嬉しい。
 BOOMERが第七世代のネタを再現しようとして失敗するというネタメールは最高でした。
 あとは、アンタッチャブルを生で見るだけです。


第2位 「伊集院光ゲスト回(2020.9.8)」『爆笑問題カーボーイ

 爆笑問題の田中が欠席になることになって、花束の様なゲストが数多く助っ人を務めてくれたなかでの一番のゲスト、伊集院光。シャレとマジを行き来しながら、ぼこぼこに殴り合う放送は凄まじく面白く、そんな中で、お互いに「あんた」呼びをするのが何とも艶っぽい
 ラジフェスに伊集院が出なかった理由などは、めちゃくちゃ理に適っていてさすがだった。

 

第1位 「岩井の神田伯山ゲストの『爆笑問題カーボーイ』見学(2020.3.2)」『ハライチのターン!』
 ハライチの岩井が、神田伯山がゲスト出演した爆笑問題のラジオ『爆笑問題カーボーイ(2020.2.18)』に見学に行った裏話をトークした回が2020年のベストラジオです。
岩井が、爆笑問題と伯山との番組内でのバチバチなやり合いを振り返りながら、爆笑問題への思いと愛や、伯山への羨望を吐露しながらも、笑い話になっていたこの十数分のトークは、相方である澤部の相槌も含めて極上な時間で、聞いていて、たまらなく最高で幸せな気持ちになった。
「厄介そうなゲストというか、あのー、呼んだ時の爆笑問題さんの立ち回りを、俺はすっごい見たいからさ」
岩井は番組の見学に駆けつけた理由をそう話す。
放送中の三人を、真剣で斬りかかる伯山、それに対して模造刀で、かつ片手で捌く太田、伯山の頭に銃口を向けている田中に例え、振り返る。その中で、「でも、太田さんが模造刀を両手で構えるようなシーンもあったよーな気がしたっ。握って、でもそれは太田さんが攻められているというよりは、伯山先生が、こー、言ったことを、あのぅ、俺だけは笑いに変えてやるんだという、この本気に、こうね、これやばいな、やってやんなきゃという時に、くっと本気になった感じに、そういうのが見えた。」からの、「俺らは、両手を使わせたことはねぇなぁ」と思ったことを、少しだけ悔しさをこぼす岩井は新鮮だった。
話は少し遡り、『ENGEIグランドスラム』にハライチが、神田松之丞、爆笑問題らと出演した時の裏話を始める。岩井は、神田松之丞がやっている講談を廊下のモニターで見ている太田を見かける。
「いや、ちょっと、どんな反応すんのかなって見たくてぇ。隣にぃ、ビタづけして、見てたの、一緒に。そしたらすっげぇ真剣な顔しててさ、うん、太田さんにさ、いつも太田さんに挨拶したら、おお!とか、帰りも挨拶したら、またなー!とかすごい元気よく挨拶してくれるじゃん。うん、そこで太田さんと俺と見てて、あのー本当に芸さ、ネタ終って、でー、帰る芸人がさ、横通った時に、お疲れさまでしたーって太田さんにね、挨拶したら、そしたらさ、モニター、こう見ながら太田さんが、手だけこう上げて、そっち見ずに、おおとも言わずに、はいっみたいな感じで、集中してんの、めちゃくちゃ。それ見た時に、うわ、神田松之丞さんってすごいんだって俺は思ったんだよね」と岩井は話す。
 そんな楽屋裏での一幕を切り取ったシーンの描き方こそが、まさに伯山の講談のようだった。
爆笑問題が天下を取って久しいが、爆笑問題への憧れを公言する芸人はほとんどいなかったが、岩井はそんな時流に逆らうかの如く、ずっと爆笑問題への愛を惜しみなく話してきてくれていた。


以上です、今年はランキング入りしそうなラジオがあれば、ちゃんと速やかに書いて残しておきます。総合優勝はもちろん、爆笑問題カーボーイです。
ワーストラジオも多かったですね。笑えないやつは岡村ANNの舌禍の回で、スイングしなかった放送でいえば霜降りANN0に三時のヒロインが来た回などなどありましたね。
伊集院さんを呼んだ不毛な議論は聞いていないです