石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

天下を取っているか、取ったとしたらいつとするか

 ツイッターで、少し前に、「バナナマンが天下を獲る世界線もあり得たと思ってる。」というツイートを見つけて、えっと声を出してしまった。十分に天下を取っていると思ったからである。普通の人なら、そう思うのならそうなのだろうという感じなのだけれど、サブカル評で書籍を出していたりする人なので、考え込んでしまった。
 コントライブのライブビューイングを全国でやって売りきれて、かつ、毎年コンスタントにライブのDVDも出し、企画にも恵まれている状態でテレビにも出ているバナナマンが天下を取っていないという認識は、ちょっと浅くねえかと思ってしまった。そのツイートの前に、千鳥のことを言っていて、個人的には千鳥は天下を取っていないという気はあるので、それはやはり何を見ているかなのだろう。他者の意見を尊重する。これが多様性ですよ。
 天下があまりに多くなりすぎている状況だと思うのだけれど、明確に天下を取ったなとされる瞬間が分かる人たちと、いつの間にか天下を取っていたという人たちに分けられると思う。後者は、バナナマンだったり、気付けば十年以上、フジテレビなどでネタ番組のトリを務め続けている爆笑問題などは漫才で天下を取っていると言ってもいいだろう。バナナマンが天下を取った瞬間というのは、紅白歌合戦の副音声が決まった瞬間とも言えなくもないが、どちらかといえば、いつの間にかタイプだと思う。伊集院光に関していえば、いつのまにか天下を取っていたともいえるし、『とらじおと』が始まった時といえるかもしれない。
 千鳥はまだ天下を取ったというには何か足りないという話については、まだ千鳥はテレビで重宝されているというところのトップという気がする。山田邦子は天下を取ったなどと言われていて、それは正しいと思うが、それはテレビ一強の時代だからこそ成立する尺度だと思う。
 明確に天下を取ったなという瞬間について思い当たるのが有吉広行のことだ。有吉が、天下を取った瞬間は、2019年の秋に『かりそめ天国』が『ミュージックステーション』の枠に移動したときだと思っている。おしゃクソ事変から12年、その間売れまくっていたわけなので、遅いと思われるかもしれないが、個人的な感覚として、この瞬間というのがバチっとハマる。
 そこから逆算していくと、大人を動かすということが、天下を取った瞬間になるのかもしれない。何十年もその位置にある、老舗番組を動かすというのは大人の判断になるが、そこの枠にスライドするに足る人間と大人に判断されたというのは、十分天下を取っている感じがする。もう中学生のブレイクのきっかけを産み出したのも天下人感がある。

 そういう意味では、テレビバラエティで天下を取ったのは、この十年で有吉だったということになる。

 なんかそんなことまで考えてしまった。

大江健三郎『宙返り』を読んで考えはじめたこと。

 新型コロナが出る前、今年こそは愛媛に行こうとしていたのだけれど、ご存じのとおり、この有様。ここ最近は、行けそうで行けないという状況のロミオとジュリエット効果で、ピークに到達しそうになっている。
 一番の目的は、大江健三郎の生家を訪ねることなので、それ以外はホテルとかに籠って、本を読みながら、ウォーキングやレンタサイクルで、一日一か所だけ行って、食事はテイクアウトという感じなので、個人的には行っても良い気はするがなかなか悩んでしまう。本も、大江健三郎を読むうえで重要な、ドストエフスキーの『罪と罰』と決めている。コーヒースタンドとタップルームも目星をつけている。郷土料理はなかなか量も多くて見つけられないが、他人のあげ足を取り続けている泥目線人間なので、揚げ足鳥は食べたい。
 生家を訪ねる前に、少し前から放置していた大江健三郎全集を読み始めた。
 今この瞬間の鬱屈した心情に、バキバキとキマって染みいってくる。一番驚いているのは、笑ってしまう部分が多いということだ。その笑いも、狙っている笑いではなく、大江本人は、大真面目に書いていることから生まれる笑いだ。恐らく、これは大江のヒューマニズムに由来するものであり、ヒューマニズムも突き詰めた転向によるユーモアが産み出す笑いだと睨んでいるが、そのことはもう少し考察が必要なので、今日はこのくらいにしておく。初期の短編「勇敢な兵士の弟」は、大笑いしてしまった。『ごっつええ感じ』のコントを思わせるので是非一読を。
 そんななかで読んだ『宙返り』という長編小説が心に引っかかっている。本当は、出版の年数が古い順に読むつもりであったのだが、大江の後期あたりに所属するこの小説を読んだのは、帯にある「人間ハ、自由デアル方ガイイヨ」という言葉が気になったから。
 それは今が自由じゃないからで、だからこそ自由ということの定義を見直したくて、國分功一郎の『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』なんかを読んでいたりしたから、自分ルールを少しだけ破って読んでみた。
 『宙返り』は、『燃えあがる緑の木』の続編であり、ノーベル賞受賞後の復帰作であり、そして、話もドラマティックなこともほとんど起こらないので退屈で、テーマも新興宗教の信仰が絡み、単体で読むと割と難儀するだろう。でも、読ませるのである。
分厚い文庫本二冊読んだ最後の最後に出てくる「人間ハ、自由デアル方ガイイヨ」という言葉が出て終る。綺麗にここに向けて振られていて、綺麗に落としたとか、そういうものでもないのだけれど、読後一カ月以上経った今でもものすごく心に残っている。
初期の『遅れてきた青年』で、思わずメモした「<<俺は殺すよ、ただ、それがむごいかむごくないかということだけが問題なんだ。おれは戦争にいって、この世界には正義も悪もない、善行も犯罪もおなじだと知ったんだ。ただ人間は他の人間にむごいことをしてはいけないんだよ。>>」というこの一文と、つなげられそうな気がする。これは、昔から、戦争はダメだけれど、戦争が起きたことで発展した科学で救われた人間もいるし、差別はいけないけれど、差別を受けている人々が奮起する話やそのまま潰れてしまうフィクションや過去などに感動するという気持ちが生まれるのは悪いことなのかと思っていたので、その答えに繋がるヒントを貰えたような気がしたからだ。
 ここをつなげるためには、全集を読破し、さらに、戦後民主主義などを勉強しなければならないから今は直感をメモするに留める。ちなみに、大江健三郎全集を、生活で読書に避けるマックスの時間を使うという計算をしてみたところ、読破するのは300日かかることになるので、当面はとても忙しい。ただ、あ、この小説はこれでブログ書けるなと思っていたりするから超楽しい。
 何故、「人間ハ、自由デアル方ガイイヨ」という言葉がこれほどまでに引っかかっているのかというと、単純だというそしりも受けようが、世の中の事柄を、自由か自由でないかで考えると、今までとは明らかに思考の道筋が別ルートを辿っていることが実感できるからである。パラダイムシフトと言っていい。そして、恐らくその基準で、動いたりすると、あらゆる人から怒られる気もしている。
 今の一番のストレスは、旅行に行けないことなのだが、それは、移動する自由が抑圧されているからであるということが考えられるし、じゃあGOTOトラベルは移動する自由を拡張する良い政策かといえば、それは経済的な理由により、移動する自由を抑圧されている人には感染リスクが拡大する恐れだけを押しつけることになるから、やはり良くないということになるわけである。立場によって、髪型を伸ばす自由もない制度はやはりグロテスクだろう。
 『宙返り』の余韻はもう少し続きそう。

スピ

 コーヒーが好きで苦味にも強く、麦製品が好きなのだから、ビールが嫌いなのはおかしいだろう、と思い始めていたのと、クラフトビールが好きってシティボーイだなというのもあって、何となく調べていたら、行動の範囲内に、良い感じの醸造所があるタップルームを見つけた。その時は、新型コロナの感染状況はとても悪かったこともあり、しばらく行けないなあと思いながら、口コミを読むなどしていた。
 それからしばらくして、宣言が発出されていない状況に入ったある日、仕事を早退し、行ってきた。那覇市にある国際通りから路地に入って少しだけ歩いて、店に到着するも、時短営業のため5時からのオープンという案内が入口に貼られているのを確認する。あと、20分ほどあり、この次に用事があったこともあり、その絶妙な待ち時間に、今度にするかと後回しにしそうになったものの、次に行けるようなタイミングがいつ来るかも予測出来ないことは大きく、幸いにも近くにコンビニがあったので、立ち読みをして時間を潰すことにして、お店に行くことにした。
 コンビニで雑誌を読んでいると、歌手の折坂悠太が、柳田邦男の『遠野物語』をレコメンドしている記事を見つけ、「伊集院光も、音読するくらい好きだと言っていたな、読まないとな」となったりはしながら雑誌を読み終えても、まだオープンまでは時間があり、コンビニを出て、平和通りや市場中央通りを散策していると、古本屋を見つける。商品を見ていると、『遠野物語』が並んでいて、おっ、スピってると嬉しくなり手に取った。「スピってる」とは、TBSラジオで放送されている『東京ポッド許可局』で出てくるワードで、身に起きた偶然のことを、ことさら大袈裟に言うものだ。これは買うとして他にも何かないかな、と本棚を眺めていると、京須偕充圓生の録音室』が目に入り、さすがに驚いてしまった。この本は、三遊亭圓生という昭和の大名人である落語家の音源集『圓生百席』を企画した作者の当時を振り返った著作であり、最近、TBSラジオ伊集院光 深夜の馬鹿力』で、『圓生百席』を聞いている伊集院光が紹介していた本で、読みたいなと思っていたので、『遠野物語』と一緒に見つけたというその事実に興奮しながら、すぐに購入した。
 時計を見ると、すでに目的の時間になっていて、来た道を引き返し、タップルームへ向かう。古本屋で買った本をタップルームで読みながらクラフトビールを嗜む、それはもうシティボーイやという気持ちを胸に、店に入る。このお店、何より、ロゴとカラーリングがとても良い。
オープン直後なので、先客は一人。分かった顔をしながらメニューを開き、一番基本となっていると思われるビールと、イカのフライを頼む。
 すぐにビールが来て、飲むと、美味しい。居酒屋で売られていたり、缶ビールとは確かに違う。本を斜め読みしながら、少しずつ飲む。窓から見える景色は古い沖縄の家屋が多く、お洒落な店内からくつろぎながら外を見ていると、何となく、タイムマシンに乗っていて、昔の沖縄の街を浮遊しているような気もしないでもない。
 滞在自体は30分ほどであったが、ひとり呑みの時間の楽しみ方を掴めたような気がした時間だった。もう一種類くらい、飲みたかったが、次の機会に取っておくことにした。攻めの保留だ。
 タイタンシネマライブが見られる桜坂劇場は、この近くにあり、二カ月に一度、開演までの時間をどうするか悩んでいたので、定期的にこのお店にしようという気持ちにはなっていた。
 お金を支払って店を出ようとすると、店員が駆け寄ってきて、下の名前で声をかけられる。あまりに予想していなかった突然の事柄に驚いていると、店員が一瞬マスクをおろすと、高校の部活の後輩だった。頻繁に会っているわけではないが、定期的に、知人の結婚式をはじめ、何となく顔を合わせていたのでそこに驚きはなかったのだけれど、就職先を知っていたので、だからこの場で店員をしていることに、思考が追いつかなかった。聞けば、ここニ三カ月で退職し、働き始めているという。
あたふたしたまま、そんな話をして店を出た。
 本との出会いから始まり、なんか凄い体験をしてしまった。
 鹿島さん、これってスピですか。

(記録程度)コントライブ「夜衝」感想

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 渋谷のユーロライブでコントライブ「夜衝」を配信で視聴しました。2021年の7月末から8月の頭にかけて上演されたコントライブ
出演者は、玉田企画の玉田真也とテニスコート神谷圭介ラブレターズ溜口祐太郎、
玉田真也(玉田企画)、神谷圭介(テニスコート)、蓮見翔(ダウ90000)、伊藤修子。(下段左から)溜口佑太朗ラブレターズ)、森本華(ロロ)、忽那文香(ダウ90000)、中島百依子(ダウ90000)という布陣。
 一本目の「シネコンのバイト」から始まり、「謎解き」、「地元のスーパーの最終日」、「持ち込み」、「大学での講演」、「定食屋」、「二次会でカラオケ」、「深夜のパーキングエリア」、「ボーリング場」と、計9本のコント。最初は、色んな人がレコメンドしているから見るか、くらいだったけれど、間違いなく、今年見た配信で5本の指には入る面白さでした。
 タイトルの「夜衝」は、台湾の若者言葉で「夜中の衝動」という意味らしく、人間は暗いところでは変なテンションになってしまうという何ともいえない瞬間それぞれの面白さが梱包されていました。
 特に好きだったのは、好きだったのは、「定食屋」と「深夜のパーキングエリア」。
 ご飯を食べながら同僚の愚痴を聞くというだけのコントなのだけれど、これがやたら面白かった。ほんとうにそれだけなんだけれど、間の取り方含めて、しっかりとした演技力が台本を何倍にも面白くしているということが分かって、そのうえで思わず何回も繰り返してみてしまいました。「深夜のパーキングエリア」は、パーキングエリアで車の鍵を無くしてしまって立ち往生しているカップルの会話から始まるのだけれど、そこから、徐々に、登場人物が増えていって10人くらいになって、ぐちゃぐちゃになってから、最終的には丸く収まる。何人出てくるのか分からないからこそ、笑わせてくるパターンもセオリーから外れてくるし、展開も読めないし、深夜のパーキングエリアにいたというだけの共通点を持った人たちの人生がたった一瞬交差しただけなのに、凄いコントになっているという感動すらあった。
 すごく難しいし、語弊がある言い方になってしまいますけれど、「夜衝」にあったものは、今の芸人が作るコントには無いものばっかりだったとちょっと言い切って良いと思う。芸人のコントを見ていると、それなりに笑いへの導線、展開が見えてしまう。何より、コント中に出てくる人数が分からないってこんなに自由なんだと、あまりにお笑い芸人のコントに慣れ過ぎたがゆえに、あまりに「夜衝」は斬新だった。
 また、やっぱり、演技力が段違いに凄いということも、改めて実感した。『俺の家の話』では、フリースクールの優しい教師を演じていた伊藤修子が、「夜衝」のコントでは、不法投棄を繰り返す女性や、薄汚れてしまった大物漫画家にしか見えなくなってしまう。例えツッコミがなくても、一発で場面を展開させなくても、角度の入った設定を用意しなくてもセリフだけで展開させてスタートから遠くに連れて行ってくれるんだという感動の余韻が凄かった。とはいえ、そんな中でも、ラブレターズ溜口が物凄く良くて、あぁ、やっぱタメ、良いなぁ~ともなったからもちろん、芸人のコントも負けてはいないのだけれども。
 蓮見翔率いるダウ90000が、キングオブコントの決勝に進む未来はそう遠くないはずです。

キングオブコント2021感想

 『M-1グランプリ』が、そのタイプの漫才それぞれの現時点でのトップが集まったというように、『キングオブコント2021』も、この系統のコントのなかでのトップが集まったというものに限りなく近くなっていて、大会としてとても楽しくて、満足でした。
 ただ腹ちぎれるくらいに笑ったというのはいつもの大会と同じくらいか、ちょっと少ないくらいで、何となくの印象ですが、加点方式というよりは、減点方式で採点された気がします。そこで様々な要因で点数を落とさなかった、空気階段が優勝したような気がします。
 さて、全組の感想等を書いていきたいと思います。

 

1.蛙亭ホムンクルス
 
 蛙亭の弱点は、中野のアドリブが面白すぎること。なので、ネタをカチッと決めていなくても、設定が決まり走り出せば、ある程度ネタとして成立してしまう。恐らく今大会のファイナリストでアドリブコントをさせたら、蛙亭が優勝するだろう。だが、そんな中野の能力の高さがゆえに、イワクラが持ってくる素晴らしい設定と中野の怪演奇演ががっちり噛み合って震えるような、心に踏み込んでくるような笑いどころが生まれるはずであり、まだまだこんなもんじゃねえだろ、蛙亭、という気持ちです。
正直な事を言えば、それがここ最近の、蛙亭への個人的な評価だ。
 研究所で秘密裏に作りだされていた人造人間であるホムンクルスが脱走、博士と出会い、関係を構築していく。中野が演じる、ぬるぬるのホムンクルスというほぼ勝ちが決まっているビジュアルに加え、妙に気さくで愛らしいというその性格、「僕があなたでもそうしたと思います」とすでに気遣いができるまでに発達した知性や、生まれたばかりなのに製造番号の164を「ヒロシ」と語呂合わせをして、自分の名前にするというくだりは、これこれこういうことだよ、と興奮してしまう。
冒頭で、中野が演じるホムンクルスが緑の液体を吐くということで、最大限に引かせるというギミックが見事で、最初に中野の印象を最低値に持っていくことで、このコントの肝である、博士がホムンクルスと交流をしていくことで母性が目覚め、存在を受けいれるという、感情がマイナスからプラスへ移行していくという動きを、観客は、追体験することが出来る。キモ吊り橋効果。
 難を言えば、台本に矛盾や違和感がまだまだあるところだ。博士が「今日も特に何も変化なし、かぁ」と言っているのに究極生命体が誕生していたり、すぐに政府の舞台がかけつけたりと疑問が生じるストーリー展開だし、セリフも説明が多く、まだまだ映画や漫画あるあるの域を超えられていない。中野の髪型がツーブロックなのも邪魔だし、洋服も白いシャツじゃなくてどうにか出来たような気がして残念でならない。こういったノイズをロジカルに詰めて潰していけば、もっと純度の高く濃密なコントに進化させられる気がするのが惜しい。
 明転板付きの白衣の女性と舞台の小道具で、研究所ということはピンとくるから、「数字がおかしい」みたいに大胆に振ってもいいような気はします。
好きなくだりは、緑の液体を吐き出すところと、「すごい、もう語呂合わせが出来るの」「僕があなたでもそうしたと思います。」

 

 2.ジェラードン「転校生」

 放課後残って提出する書類を書いている転校生が、王子様な言動をするクラスメイトの二階堂シュウジに話しかけられ、少し引いているところに、その幼馴染である角狩りの女子エリナが来て、安いラブを見せつけられるというコント。
 すでに出来上がっている関係に新しい人が入ってきてそのズレを指摘するだけの構図だと、三人の関係が発展しないのでコントに奥行きが生まれにくい。そのため、ストーリーが一方向にしか進まず、笑い以外の感情が生まれず、視点が横スクロールゲームのように、ストーリーをなぞるだけで終わってしまう。こういった平面的なコントは基本的に楽しいけれど、うねりはやっぱり生まれにくい。
 素晴らしいコントは、やっぱりこのストーリーの流れに加えて、場面転換や時間の経過など、キャラの心情や舞台上にない舞台を想像させるなどの別の面を必要とする。それらが重なりシナジーが生まれることで立体的なコントとなる。視点が縦横左右と動かされると、満足度は一気に高くなる。
 ツッコミを担当する転校生が、幼馴染同士のやりとりにあまり絡んでいないということについては、小峠が審査コメントで、「ツッコミの海野が、そこまでがーっとツッコまないのが良いかもしんないですね。あれでごちゃごちゃしてて、二人がごちゃごちゃしててツッコミまでわーと喚き散らしたら、ちょっとうるさいのかなと。そこまで入らないところが、上手いなと思いました」とその先のことを話すことでクリアにしていたが、それでも、やっぱり、転校生には意義のある絡み方をしてほしかった。
例えば、この二人と転校生も幼馴染だったけれども、小さい頃に転校し、それから十数年経ってまた二人と同じ学校になったということにしたら、西本が舞台袖から顔を出して名前が分かったところから、「え、あんなに可愛かったのに、この10年で何があったの」というように、いくらでも転がっていく。
 海野もこの二人の世界に入ったほうが、人生が豊になるというような方向のオチを希望してしまう。
 エリナを可愛くないと思っている自分が間違っているのかと思ってしまうくらいに、常識を揺さぶられたかった。ただやっぱり最後の「ただ叩く」というオチの雑さに笑ってしまったということは、やっぱりこの二人にムカついていたんだなと、安心しました。
 好きなくだりは、二階堂が髪をほどくところ。

 

3.男性ブランコボトルメール

 ボトルメールという特殊なきっかけで知り合った一組の男女が、一年間の文通でのやりとりを経て、初めての出会うこととなった日のことを描いたコント。白のワンピースを着て、麦わら帽子をかぶっているという清楚なイメージを纏った女性が、酒やけした声でこてこての関西弁を喋る、性格も関西のおばちゃん的というギャップ。にも関わらず、男性が戸惑わないというギャップが心地よく、基本的に裏切りのみで構成されているのに優しい。
 舞台上で、二人が会話するだけでこんなに引き込ませるって、台本がそうとう巧みってことで、一回目は流してしまうけど、年齢を問われて「35になります。」と佐藤くんが返してからの、「うち、21やねんけど」への食い気味の「21!なんですか。え、14コ下」の間も最高だし、それから、「そんな14コ下」「そんな言い方はしてないですけど」からの「伸びたつもりはないんですけど」はめちゃくちゃ面白い。佐藤くんの人の良さが出てる。
 照明が落ちてからの佐藤くんの心のセリフの「いやぁ~好きだな~」で、ディスコミュニケーションだと思われていたのが、実はコミュニケーションが成立していたというこの展開がハマれば、もう大丈夫です。
 最後の、実は空想だったということが分かったとき、とてもがっかりしてしまった。『ハイスクール奇面組』のループエンドみたいにしなくていいじゃねえか、最悪だよ、とブチギレそうになってしまったけれども、そう思うことそのものが、すでにこの世界の取りこであり、男性ブランコの手玉に取られていたということだろう。
 男性ブランコのコントは、優しすぎると常々思っていて、腐った根性の持ち主の自分としては、いささか物足りないところがあったのだけれど、めちゃくちゃ面白いですし、審査員の松本に、「二本目を見せてよ」って言われるって相当です。
 好きなくだりは「上手いこと言うて」「ぼくいってないですよ」と、「そんな伸びたつもりはないんですけど」。

 

 4.うるとらブギーズ「迷子センター」
 
 デパートで子供とはぐれたお父さんが、迷子センターに駆け込み、呼び込みをしてもらうために職員に子供の見た目の説明をするけれども、その説明があまりに突飛で、職員はこらえ切れず笑ってしまうというコント。初見では今大会で一番笑ったのがこのコントでした。この「迷子センター」、ファンの間では、代名詞になっているようなコントで、そりゃそうかという感じですが、男性ブランコと並ぶくらい、テクニックに満ちている。
 いぶし銀を通り越して、カッコいいメタルカラーG-SHOCKのようなカラーリングになっていたうるとらブギーズコント師としてカッコいいです。強いです。
しゃがんでいるスーツを着た男性が、「もうお母さんからはぐれないようにね」と言ってから、子供の頭をぐしゃぐしゃっとしながら「迷子になっちゃだめだぞ~。じゃあね、ばいばい!」と話しかけながら立ちあがり、帰り際、お母さんに一礼、その瞬間、男が走って「すいませんすいません、あのあのあの、息子が迷子になっちゃったみたいで、探してほしいんですけど」と頼み込んでくる。この間、十数秒。流れるような美しさで、何かが始まるぞと思わせてくれる。
 お父さんのテンパリがピークに達してからの、「てぃびしのB、Cね。」というセリフからは、子への愛を物凄く感じる。お父さんが定菱のためにアップリケを買ってきて、アップリケを付けてあげて、「おい、てぃびしのBCだな」と笑って言っている、そんな存在しない情景が頭の中で描かれる。
 そして、面白いけど、これ一本では逃げ切れないんじゃないかと思いだしたあたりから、実はこのコントのB面ともいえる、職員が迷子のアナウンスをしようとするけれど、子供の見た目が変わっていることを改めて受け止めることで笑いが起きてしまうけど、それを必死でこらえる男のゾーンに展開に入る。この、笑いどころの切り替えのが美しい。シームレスってこういう時に使うらしい。八木の、笑いをこらえるという演技が上手すぎて、最初ちょっとB面に入ったことに気がつけないんですよね。そこも痺れます。
 好きなくだりは「てぃびしのB、Cね。」、「トヨタの靴なの」からの「トヨタ靴出してるんですか」

 

5.ニッポンの社長「バッティングセンター」
 バッティングセンターでバッティングをしている男子高校生に、おっちゃんが話しかけて、アドバイスをしてくる。その最中におっちゃんの体にピッチングマシンから投げられたボールが体に当たっても、呻くだけで、そのままアドバイスを続ける。
前回とは打って変わって、静かな狂気が漂うコント。神話の構造を持つ破綻寸前の世界観のネタだけでなく、うっすらと死の匂いがするコントもまた、ニッポンの社長の真髄でしょう。笑いどころとネタの仕組みが分かったあたりから、笑い続けてしまうようなところはジャルジャルに似ており、言うなれば、鬱のジャルジャル。ボールが頭に当たるというのはやりすぎて生々しいけど、絶対に必要。
 実はこのおっちゃんが本当にバッティングが上手かったというオチを知った後に、体にボールを当てるという行為を見返すと、これは、おっちゃんにはおっちゃんなりの理屈に従った行為なの、か、と思わずにいられない。常識に依拠しているから笑っていられるのに、その常識を疑いはじめてしまい、脳がくらくらしてくるような感覚がたまらない。
 そして、「おっちゃん、昔野球教えとったんやぁ」の意味が変わってくる。今は教えていないという事実から、過去に何があったのかと、奥に控えている物凄いドラマを想像せずにはいられない。
 ただ、不思議と、ラストに悲壮感はなく、むしろ少し希望に満ちている。あのおっちゃんは、これからもバッティングセンターをうろうろする。そして、いつか、おっちゃんのアドバイスをちゃんと聞く高校生が現れたら。さらに極上なコントが生まれそうだ。今大会で一番、ライフイズビューティフルな輝きを秘めているコントだと思います。
 好きなくだりは、自分からカードを入れてボールを体にあてると、オチ。


6. そいつどいつ「彼女のパック」
 
彼氏が夜遅く帰宅したら、彼女がパックをしており、その彼女の言動がホラー映画のようなことを繰りひろげていくというコント。
 設定も珍しく、そこから重ねられるボケもバカバカしくて好きなのですが、それだけでなく、こぼしたワインを拭く動きを筆頭に刺身の気持ち悪い動きや、パックが暗闇で光り空へと飛んでいくという目で見ても楽しい仕掛けも散りばめられていて盛り沢山でめちゃくちゃ面白いし、生で見たらこの倍は面白いし、楽しいだろう。
 ただ、彼氏がただ遅く帰るのが多いというだけで、あんなに凝ったことをするということがどうしてもつながらず腑に落ちなかったという意味では、彼女の動機づけが弱かった。冒頭の彼氏の登場から、彼氏は浮気をしていて復讐しているのかなということが引っかかってしまった。せめて、最後のセリフを「やりすぎちゃったみたい」にするなどしたほう良い気がした。やりすぎなので。
 好きなくだりは、こぼれたワインを拭く刺身の動きからの「拭けてるかそれ、拭けてるか?」、包丁を研ぐ音がホラー映画の効果音になるところ。

 

 7.ニューヨーク「結婚式の打ち合わせ」

 結婚式の前日、最後の打ち合わせ、その担当が全て間違っているも「おっけーぃです!」と間違いを認めないコント。
 登場人物に会話をしてほしい欲が勝ってしまっていたので、もっと先の順番なら何も考えずにゲラゲラ笑えたかもしれません。担当が話を出来ない理由が、「ギャンブルのしすぎ」というのはちょっと弱くて納得できない。ただ、そこから先の、スライドショーに出てくる写真が関係のない外国人カップルだったり、ドリルで式場を破壊するところは、破綻しきっていて、そこらへんの力強さは見事で笑いました。でも順位に納得してしまったのはやっぱり、前半がどうしても違和感があった。
 審査員席の松本を映して、柱が倒れるボケを視聴者に届けられていなかったっていう痛恨のミス、あれ何。
 好きなくだりはモンブランケーキを持ってきてから「消費、賞味、どっち」「消費と賞味、どうでもええねん!」までと、「食器ある?」とのところで嶋佐がはっきりと正面を向いた時のテープで作られた小さい目

 

 8.ザ・マミィ「道を尋ねる」
 道行く人に、大声でわめきたてている男性、そんな男性に道を尋ね続ける青年が現れて、明らかに街の異質な存在でありコントではボケとして描かれてきた、大声でわめいている男性がツッコミに回らざるをえなくなるという逆転のコント。
 正直な事を言うと、そんなに好きなネタではありません。設定は、これまでに存在したコントへの批評を志しているという意味でも悪くはないと思いますし、酒井演じる男性に、しつこく道を尋ねる林田演じる青年に「おまえすごいねえ!!」と返すところは笑ったんですが、そこから展開されるストーリーは、アラが多く、ひとつひとつで気になってしまい、入りこめない。青年が男性に固執するが見つからない。
 例えば「俺、2~30年ぶりだぞ、人と話したのぉ」と男性が叫ぶけれども、まあ、それはないだろうなと思っちゃったりした。仮にこの男性が、普段から街中で大声を出している人として、こういう人って意外と人と会話していますからね。青年がカバンを渡してその場からいなくなるのはまだ分かるとして、財布を渡していなくなり、おじさんがお金を盗るのをやめたら、青年が戻ってきて、「今の全部見てました」というのは、おじさんを試していたみたいで、あまり楽しくない。こういう風に、わらいどころとしたいところが出来て、そこへの導線がまだまだ雑。
 一見すると、交流が出来たような感じになるので、それまでのコント群でその価値観が提示されていたので、そう言う意味では、点数が伸びたのは順番に救われた面もあると思います。
 好きなくだりは、しつこく道を尋ねる林田演じる青年に「おまえすごいねえ!!」と返すところと、「春に」の合唱が始まるところ。

 

 9.空気階段「火事現場」

 完璧でしょう。コントが始まって即、設定を理解させ、そこから怒涛の展開を見せていく。かつ、ビジュアルとしての面白さにも。キングオブコントの歴史の中でも、五本の指に入る完璧さでしょう。ストーリーの動きそのものも読めないし、さらに表の顔も出てくるという、奥行きもばっちり。特に、コントの中で、窓を開けて外を見たり話しかけるって好きなんですよね。一気に、脳内でのコントの舞台が一気に広くなる。バナナマンの『思い出の価値』の影響です。    
 火事という状況の発覚から別のフロアに行くというシーン、社交ダンスの教室のシーン、消防車が到着してからのシーンと、三層にまたがっていて、ひとつひとつのお題に対して掘り下げすぎていないのですっきりしており、過去の「キングオブコント」でかけた「タクシー」のネタのような詰め込んでいる感じはない。
 もぐら演じるサキヤマが消防士であるということが分かったあと、かたまり演じるオカモトがロープを外してもらい、避難する。その時、本来であればオカモトがこの状況にうろたえてもおかしくないにも関わらず、精悍な顔をして「問題ないです、Mですから」と燃え盛るビルの中を駆け抜けるシーン、その顔つきと勇気の理由が「Mであり、実は警察であったから」というのも見事。消防士がぶよぶよの体型なわけないだろ、と思い書けるんだけど、駆けつけてきた消防隊員たちへの支持から管理職に近く、だから現場にあまり出ていないから太っているみたいな、勝手にリアリティを脳内で補完する。こうなる状態に持っていかれたら、コントとして勝ちであり、存在する世界になる。
 これまでテキストに重点が置かれていた空気階段のコント、アイマスクロープ縛られ白ブリーフ一丁M男の明転板付きからの、デブパンスト白ブリーフM男の飛び込み、パンストへの意識が薄くなりかけたところに、顔引っ張りなどなど、視覚的にも面白かった。
 好きなくだりは「火事です!」からのアイマスク外されて「誰―!?」、「私は警察官だ!」と「おい、おまえらぁ、私はサキヤマだぁ、いや、ヤマサキだ!」からの、パンストひっぱり。

 

10.マヂカルラブリーこっくりさん
 霊的な存在を信じない友人とこっくりさんをするために、「深夜の4時44分めがけて心霊トンネルのど真ん中に、机を持ってきて、合わせ鏡をしてこっくりさんをやったら、強いこっくりさんを呼び出した」という設定は、めちゃくちゃ良い。ただやっぱり、座っていた野田が吹っ飛んだあたりがピークで、その後は展開が尻すぼみになってしまった。マヂラブの良さを知っていることが裏目に出てしまった感はありますね。
 松本の審査員コメントの「やってることは『吊革』と変わらない」ではないですけど、あまりにマヂラブのネタすぎて、コントとしてというよりは、マヂラブのネタとして面白いかどうかという視点になっているなと後から思って
 好きなくだりは設定と、「明日も学校だし」「俺もだし」

 

 ファイナルステージ 一本目 男性ブランコ「レジ袋」

 お菓子を手一杯にかかげた男性が案の定お菓子を落としたので、手伝おうとしたことから始まるコント。
 「お察しのとおり、レジ袋をケチった男の哀れな末路です」も面白いし、それに対しての、「何ですか?」って返しは、本当に「何ですか?」なので良いですよね。そこからの「せわしなくさせてしまった。ランチタイムの様な」からの「何!?」の食い気味ツッコミも面白い。浦井の食い気味つっこみ、テンションもその瞬間だけあがって、またさっと冷める、静と動を体現していて凄いですよね。
 実はこの二人が子供のころに同級生だったことが分かりかけるところの「相変わらず、お菓子が好きなんだね、松田くん」「え、どうして僕の名前」「そのポーチのストラップ」「あぁ、このストラップはあの僕が小さい頃」「ほら」というくだり、「僕が小さい頃」で「ほら」と入るなど、セリフの省略も巧みで、そこはかが屋ばりにもっとフィーチャーされても良いでしょう。
 二つのコントを何度も見て、優勝に近いコンビの一組じゃないかと思わされた。みんな、男性ブランコの見方が分かったと思うので。
 しかし、男性ブランコのコントのキャラは全員に対して、こういう文章でも、くんづけをしたくなるし、何度も繰り返し見られる強度がある。
 重ね重ね、お見逸れしました、男性ブランコ
好きなくだりは「せわしなくさせてしまった。ランチタイムの様な」からの「何!?」と、松田くんが泣いてお菓子を落としそうになってそれを阻止しようと森くんが近付いて転ぶところ、「三円は最後の砦じゃない。」からの「何も守れないよ」


 ファイナルステージ ニ本目 ザ・マミィ(二本目)

 酒井演じる社長が、部下の林田を呼びとめ「なんかさぁ、今のドラマみたいじゃなかったぁ?」と言い、そこからドラマっぽい展開が繰り広げられては、それが茶化されるというコント。
 「ドラマみたい」というワンプッシュ型のコントなので、新しさはあまり感じられないけれど、ドラマだけでなく、韓国ドラマを連想させるワードを入れたりと飽きさせないような工夫が随所に見られる。
 好きなくだりは、社長から社員に話があるといってセルフBGMを流しながら自分の過去を話してからの「韓国ドラマ~」

 

 ファイナルステージ 三本目 空気階段「メガトンパンチマンカフェ」
 
 雨宿りのために喫茶店に入ったらそこは、マスターが小学生の頃に書いた漫画のコンセプトカフェだったというコント。
第4回単独ライブ「anna」より「メガトンパンチマンカフェ」。このコントを賞レースでかけたこと、そして、何より、その事実こそが嬉しい。本来のコントは、もっとだらだらしていて、それが良いのですが、そんな中でもコントの面白いところを抽出してきちんと賞レース用にブラッシュアップされている。なにより、両替のくだりが残っていることが嬉しかった。
 好きなくだりは、「火星の土、土星のわっか、ごめんなさい、これコーヒーってどれになるんですか」からの「だから、こんなものこのスペースシップには存在しない。のだが、このブラックホールの湧水というのがそれに近いであろう。」、ガロンからコロニ―への両替の説明から千円をもらってそのまま一兆コロニ―を渡してしまうくだり。


 優勝したのは空気階段。今年優勝してくれるということを期待しすぎないようにしていましたが、一夜明けてから以降、じわじわと嬉しさが込み上げてきています。空気階段が優勝した時、ラジオの名場面はもちろん、やさおじ、定時高校生の二人、ラジオネーム・ヤマザキ春のパンスト祭り、チャールズ宮城、聖・くわがた教の信者、亜空間に漂い浮気を罰する男、ソフトバンクおじさんと言った好きなキャラクターのことを思い浮かべた。彼らがいたからこその優勝だよ。
 『爆笑問題カーボーイ』で、太田光トークで、『空気階段の踊り場』で、鈴木もぐらが「素人童貞という言葉は無いと言っていて、あいつら面白いんだよ」という話を笑いながらしていたことをきっかけに聞いてみたら、「じゃない人の声のコーナー」が面白く、さらに、そのロケの音源に対してキャッキャキャキャキャと性格の悪い笑い方で大笑いしているかたまりに興味を持って聞き続けていたら、いつの間にか、素人童貞だったもぐらに彼女が出来ただ、プロポーズだ、結婚だとなってから、かたまりも含めて、どんどん二人の人生が転がっていった。ただラジオを聞いて楽しんでいるだけだったのに、とんでもないところに連れてきてもらった気分だ。後々、実は、かたまりは爆笑問題がきっかけで芸人になったこともラジオで知り、勝手に嬉しくなったのも良い思い出だ。
 大会で優勝したその翌日に、仕事で爆笑問題に優勝を報告しているというだけでも凄いドラマなのに、急遽、お祝い生放送を敢行した『空気階段の踊り場』では、これまたもぐらが敬愛する銀杏BOYZの峯田がサプライズ出演するという越崎マジックで、「エンジェルベイビー」を弾き語りをした。これほどのウイニングランは無い。草葉の陰で、ゆりありくのりく(先代)も喜んでくれているはずだ。
 鈴木、水川、夢を、そして未来はいつも面白いを体現してくれてありがとうな。もう東京ではチケットは取れないかもしれないけれど、少なくとも北海道や岡山、山形で単独ライブを打ってくれるだろうから、それだけが楽しみです。
 さて、『キングオブコント2021』は「人生の肯定」がテーマとなっていた。ここ数年の展開主義や、細工主義などを経た、コントの通過点だ。笑いが起きたところは、厳密に言えばボケではないところというものが多く、それはきっと観客が何かしらの要因で明らかな嘘では笑わなくなったということが大きく影響しているのかもしれない。もともと、そういう、登場人物がボケないコントが好きと言っていた身としては、この方向が豊かになることは嬉しい。
 ただ、今大会でかけられたコント群は、アップデートした結果であるという安易なものではなく、ウケるためのノイズを削っていったためということだけかもしれない。もうひと展開や、一つのセリフでひっくりかえすような細工を仕掛けるなどのトレンドの産物を避けただけの結果なのかもしれない。そういったことを抜きにして、現象の理由を一つに絞るのであればそれは矮小化であり、何より芸人のウケることへの嗅覚を舐めすぎだ。
 とはいえ、「人生の肯定」がテーマになっていたということ、もしくはそう思わせられたことは間違いない。ここでの肯定は、否定の対義語であり存在を認めるという意味ではなく、在るものは在る!という、もっと先の境地を指す。難しいのは、そこに完全に立脚すると、差異をあげつらうという笑いにおける絶対に逃れられない原則である暴力性が無に帰してしまい、説法となってしまう。現代の日本において常識とされているところから外れてはいるものの存在を存在するものとしつつ、そこから、笑いを派生させるために、そのズレを指摘し、最終的には全てを包み込む。
これまでのネタでも、そこに向かって突っ走ってきて、さらには、自分たちの人生すらも肯定させられ続けてきた空気階段が、今大会で優勝したのは、そんな積み重ねのアドバンテージのお陰でもあるだろう。
 他者が他者を認めることは、烏滸がましくて、おぞましい行為だ。今回はたまたま結果が上手くいったからいいものの、東京03飯塚の審査員待望論も、飯塚のコント好きを値踏みするグロテスクさがあり、そこに自覚を持っている人間がどれだけいるのか。
 見る目が無い、ライブを見ていないだとけと言われればそれまでだが、今年の大会のファイナリストの初出場組の蛙亭、そいつどいつ、ジェラードン男性ブランコを見たときに、ネタを見て笑いはするものの決勝に行くには何かが足りないと思っていたメンバーだった。それは、いつしかこびりついていた、細工や手数、展開などに重きを置いてしまっていたからであり、今大会で見て好きになったコントにはコントの自由とさらなるコントの再構築及び再解釈の萌芽があった。
 このノリでさらにコントが前進し、かつ大笑い出来るようなコントが一本でも多く誕生することを期待します。
 

改めて前提を共有しなければならないという話

 仕事で業務を引き継ぐ時や説明する時に心がけているのが、何故これをしているのかという前提を話すことからするということである。だから、そうされないとめちゃくちゃイラついてしまうという点もあるが、間違ってはいないと思う。そうしなければ、業務が、穴を掘ってその穴を埋めさせるということを繰り返す拷問と一緒で、前提を理解することで、業務の効率も上がるし、仕事を終えた時に出る脳汁が、パズルを解いた時のものに近いものが出るようになるんじゃないかと信じている。

 新型コロナの感染拡大防止対策についても、同じなんじゃないかと最近考えているのは、いまだにウレタンマスクや布マスクをしていたりする人を見かけるのって、単純に、これらが感染拡大防止対策に効果的ではないという前提が抜けているからなんじゃないか。

 SNSをやっていれば、そんなバカなと思う人もいるかもしれないが、これらの情報を知ったのは、SNS以外で、この情報を見た記憶があまりない。そうなると、SNSをしていないと、最低でも不織布マスク以上であるほうが、大変望ましいというその前提を共有できていないということになり、感染拡大防止対策の足並みが揃わないわけである。そう思うと、職場や周りにいるウレタンマスク及び布マスクをしている人は単純に、その知識にリーチしていないというだけに過ぎないのであって、決してバカにしたりすべき対象ではないということが見えてくる。

 ワクチンの接種についても同様に、ワクチンというものがどういうものか、副反応というのは原則として避けられないものであるという前提がないから、陰謀論などが跋扈するのではないか。

 マスクに関してだけ言うと、日本は最初に布マスクを2枚配ったことはそういう意味でも失策だったと思う。結果として、マスクをしていれば良いというアリバイのための金科玉条を作ってしまった。もちろん、変なマスクに留まらず、そもそもマスクをしていない姿をこの二年間放送し続けていたメディアの存在も大きいと思うし、ウレタンマスクが花粉症対策として普及されたものであるならば、そういう意味では、ほぼ日本特有の事象であるが、きっぱりとウレタンマスクは不織布マスクと比べて新型コロナの感染拡大防止対策には効果が薄くなるということを徹底して広めなければいけないはずである。

 そういった前提に立つと、やはり政府等がすべきことは、いったん、「マスクは不織布以上」ということを盛大に言い続けるべきだと思う。東日本大震災の時のぽぽぽぽーんくらい、周知し続ける。正直、現金の給付よりも不織布マスクを一世帯に二ヶ月分配るということが、実は効果的なんじゃないのかとも少し思っている。国民レベルでは国が、生活圏レベルでは課長などの上司を通すことでしか、これは変わらない。本当に、しつこいくらいに周知すべきだと思うけれどどうだろうか。どれだけTwitterでRTされても、届かない人には届かない。全員がTwitterをしているという前提に立ってはいけないものだ。

 ワクチンについても、ここには、他者の合理性というものが大きく横たわっているうえに、そもそもが自由意志である以上、強制すべきものではないことはわかるが、ちょっと本当にワクチンという存在の前提ってきちんと共有されているとは思えない。

 政府は、ワクチンを打っても休めないから打てないという相談に乗るべきであり、そういう会社を公表すべきだったり、Twitterで政治批評をしている弁護士は、そういうのは全然余裕で裁判で勝てますよみたいなことを言うべきではないのか。

 正しい知識を持っておらず過剰にワクチンに対して恐怖し忌避していたこと、ウレタンマスクや布マスクをしていたこと自体は、別に恥ずかしいことではないということのケアも合わせてやるということが本当に必要なのではないのかということを思ったりしている。

 これ、どうすりゃ良いんだ?

電柱理論よりベランダプール理論、論破思考より擁護思考

 ふと思い立ち、コロナ禍になって全く行けなくなった好きなステーキ屋で、テイクアウト等をしているのかを調べてみたら、通販を始めて、今月末まで送料無料キャンペーンをやっていることを知って、注文した。
 先日、職場でシークヮーサーを貰った。シークヮーサーは、それ単体ではすっぱすぎるので、どうしたもんかなと思ったが、そういえば、とレモンサワーで有名な居酒屋の店長が、家で作るレモンサワーの作り方について紹介したサイトをブックマークしていたのを思い出し、やってみることにした。
 その土曜日の夕方、サラダや、フライドポテトなどを準備したうえで、ステーキを付属の紙に書かれていた焼き方通りに焼いて食べた。口に入れた瞬間に溶けるなどといった和牛信仰というのはなかなか根強いし好きなのだが、このオージービーフ特有の肉々しい赤身のほうがどっちかといえば好きで、かつ、こんなご時世、食べているとどんどん生きていくパワーがみなぎっていくような気持ちになった。
 それから、子供をお風呂に入れて寝かせつけた。この日は、早く寝るように、昼間に、いつもより長めにベランダでプール遊びをした。子供用のプールとしては大きく、自分も入れるようなサイズなので、一緒に入るのだが、これがバカにできないくらいに気持ちよかったりする。それが功を奏したのか、いつもより早めに寝てくれた。
 そこから、急いでテレビをつけて『99人の壁』を見る。この日は、【芸人99人が集結!秘蔵映像公開!お笑いSP】で、お笑いだけでなく、ラジオのクイズもするということだった。
 ラジオのクイズパートが始まるのを確認しながら、冷凍庫に入れいてたグラスを取り出し、サイトに書いていたとおり、氷をたっぷり入れ、それに当てて溶かさないように、焼酎と炭酸を入れる。それからシークヮーサーを絞って果汁を入れる。出来た色からしてグラデーションになっていて、良い感じで、間違いないやんけと思いながら飲み、間違いないことを確認する。
 「99人の壁」のラジオに関するクイズのパートは、恥ずかしさを感じつつ、ツイッターを見ながら見ていて、それがもうめちゃくちゃ楽しかった。ウエストランド井口がきちんと発言してて、アルピーもいて、永野もいて、ザコシもいて、アンタッチャブル柴田もいて、伊集院さんもいて、最高だったんだよ。
 日常に新しい何かを取り入れ、制限のなかでもハレを作りだし、全力で楽しむことを、バナナマンの日村がベランダにプールを買って、自宅で色々と楽しんでいるという出来事から、勝手にベランダプール理論と名付けている。それが炸裂した一日だった。なんかもう、久々に幸せな土曜の夜だった。

 最近、論破という行為や言葉が論破されている。
 それ自体は自然の流れだなと思っていたけれど、いや、これちょっとあまりに無意識に、論破的な思考になりすぎていないかという気持ちになってきた。
例えば、ワクチンの接種券が届いているけれども、ワクチンを打たない人に対して、直接言わないまでも、これこれこうだから打った方が良いに決まっていますよねと、説得したくなるように、SNSを長く続けることでその思考の道筋がめちゃくちゃ補強されてんじゃなさないかと。話せば分かるじゃなくて、論破すれば分かるみたいなのは染み付いているようなことに気がついて、これちょっとまずいんじゃないかと思っている。
今現在、ウレタンマスクをしている人は、ちょっと情報を取らなすぎじゃないかとは思うけれども、それは自分がネットにべったり貼りついているから当たり前に分かることで、そういった情報は探そうと思っていなかったりする人にリーチするところにないのじゃないのか。もちろん、それは政府の仕事であり、そういうことを言ってこなかったというのもある。
 具体的には、総括して、緊急事態宣言だなんだに合わせて、いやもう、これこれこういった理由だから不織布マスク以上のマスクをしてくれとか、自粛というのは自衛のためのものであるという前提の話をすべきなんじゃないか。
 それは表現の問題で、これまで論破思考でやってきたって側面が政府だけに限らず、少しは、国民全てに責任はあるんじゃないかと反省している。もちろん、そういったことをせずに、国民に伝えるということから完全に逃げている、全く対話しない前に出ない首相を筆頭とした政府の、皆さんが自粛してコロナが収まるまで何年かかりましたみたいな校長の朝礼スタイルが一番悪いのだけれども。
 ワクチンを接種しない人、ウレタンマスクをしている人を論破するのは多分、めちゃくちゃ簡単だろうけれども、という疑念は残る。
 先日仕事で対応した人が、濃厚接触者だったことが分かったのだけれど、ワクチンを打っていたことで、ものすごく心が楽だった。全裸と機動隊の装備しているくらい違う。
 市民が出来ることというのは、ネガティブなものではなく、もっとポジティブな発信をすべきじゃないかとも思っている。家でも楽しめるんだから無理して外出る必要ないよというベランダプール理論的な感じで発信することなんじゃないかなと思っている。
 今は電柱理論よりベランダプール理論、論破思考より擁護思考を意識することが大事なんじゃないかと。もちろん、次の選挙が楽しみで仕方ありませんし、オリンピックが第五波の要因である可能性はかなり高いという事実を忘れずに、表現を反転させるべきなんじゃないかとか考えています。
 とりあえず次のベランダプールは、コウケンテツのルーロー飯を作ること。あのチャンネル、自分にも作れるのでは、と思わせるのが本当凄いすよね。