石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

タイタンライブ100回記念の感想

「タイタンは太陽系でもっとも圧倒的な美観、すなわち土星の環の比類ない眺めを誇っている。その目もあやな三つの帯は四万マイルの幅があるのに、カミソリの刃に毛の生えたほどの厚みしかない。」
カードヴォネガットの小説「タイタンの妖女」の一節であり、同小説は爆笑問題が所属する芸能事務所「タイタン」の名前の元ネタでもある。
タイタンは他の事務所同様に事務所ライブを定期的に開催しているのだが、他事務所のそれらと異なるのは、芸人の登場を彩る出囃子が音楽ではなく、小説の一文を引用しエピグラフとしていることだ。先の一文は、ライブが始まり、「タイタンライブ」のエピグラフとしてスクリーンに映し出された。
1995年から2ヶ月に一回行われてきたタイタンライブが、今年2012年に第100回を迎えることになり、その記念ライブが二夜に分けて赤坂ACTシアターで開かれた。この知らせを聞いてから、この日のためだけに生きようと思えるほど、僕にとってのタイタンライブは憧れの場所だった。
会場ロビーには、第一回からの参加したメンバーの一覧が書かれたパネルと、写真が展示されていた。例えば、ボキャブラ軍団のくりぃむしちゅー(ex.海砂利水魚)、ネプチューンX-GUN、BOOMER、プリンプリン。頭角を表し、テレビでも躍進を続ける実力派のバナナマンバカリズム、オードリー、東京03。関西からの刺客、FUJIWARA雨上がり決死隊千原兄弟。大御所で言えば、立川談志立川志らく笑福亭鶴瓶、コロッケ、B&B
もはやタイタンライブの歴史ではなく、お笑い界の歴史と言ってもいい、写真展となっていた。それはもう写真を眺めて思いを馳せているだけでも二時間は楽しめたのだけれど、開演時間が迫るので、席に着く。
場内が暗くなり、スクリーンには会場ロビーに展示されていた写真が、時代に沿って映されていく。正直、この時点で軽く泣いていた。
100回記念のトップバッターを務めたのは、THE MANZAIでも認定漫才師にも選ばれたウエストランド。彼らの漫才は独特で、河本のボケに対して、井口がツッコミをするのだが、このツッコミがとにかく長い。一つのボケに対して、ツッコミをどんどん重ねていく。
またそのツッコミも、上手さやキレを感じさせるものではないのだが、テンポが異様に心地よい。いうなれば「下手ウマで味のある逆ハライチ」だ。
二夜通して見た中で、圧巻だったのは、キャイ〜ン、ナイツの漫才、テツandトモ「なんでだろう」だった。キャイ〜ンは、天野がニヤニヤと笑いながらウドに振り、そのボケを綺麗に打ち返す。一見すると、ネタの構成はぐちゃぐちゃなんだけれども、基礎がしっかりしているからこそ見ていて不協和音を感じることはない。その様を評すると、「台本が見えない」「練習をしている様子が思い浮かばない」という、上手さよりも面白さが先に来る漫才で素晴らしかった。言ってみれば、お笑いに対するイデオロギーも芸の上手さも、ウドの言動で霞んでしまう、そんな漫才。ビートたけしに「キュビズムの様だ」と評されたオードリーの漫才は、キャイ〜ンの風格は一つのゴールかもしれないと何となく思った。
ナイツは、「吉田沙保里選手って国民栄誉賞を受賞するのが遅すぎたって思うんですよね。何でかって考えたんですけど、吉田選手って美人すぎるじゃないですか。」とあの棒読み口調で早々に悪意を撒き散らす。こんな導入のネタで少しでも笑ってしまったら、観客は全員ナイツの共犯者とならざるを得ないよ。
テツandトモも、赤いジャージと青いジャージを着たおっさんが、舞台狭しに歌って踊る姿はネタとかじゃなくてそれだけでも面白いし、「ああ、テツトモ強えなあ」って思いながらゲラゲラと笑っていた。
ピン芸人では長井秀和古坂大魔王、ホリ、つぶやきシロースマイリーキクチパペットマペット。それぞれがパントマイム、一人コント、モノマネ、漫談、牛とカエルのショートコントと多種多様。
特につぶやきシローの「あるある」の視点の細かさは郡を抜いている。戦場で手榴弾を投げまくっているかのように、狙ったところでドカンドカンと笑いを取るそのコントロールの良さには舌を巻かされる。そうかと思えば、「オシャレ感を出そうとしすぎて、机が木すぎるお店があるよね」というネタでは「木すぎる」というワードを使い、ボール球を投げてくる。そのボールから、ストライクへ寄せてくる感じも絶妙で、つぶやきシローが「木すぎる」を連呼するたびに、観客の認識が「きすぎる?」から「あ、木すぎるね」となり、ざわざわと笑いが広がっていく感じに感動した。
東京03インスタントジョンソンは、流石の一言。大きな会場でも臆さずに、きっちりと笑いをとっていく姿はまさにコント職人。
他には、昨年に亡くなった立川流家元の立川談志が2010年8月にゲスト出演したときのVTRが流れた。
その頃の家元は、声もガラガラで声量もなく、一席を打つ余力もない状態だったのだろう。高座に上がると、ぼそぼそとギャグと小噺を話しはじめた。
「落語に飽きちゃった」というギャグも悲しく聞こえる。ただ、爆笑問題のファンが集まるライブで、家元の暴力性と優しさが共存したあの声を、爆音で聞くということは一生の宝だし、自分は行こうと思えば行けた、生で談志を見られたという行為を慢心で逃したという十字架は一生背負わなければならないとも思った。
「おまんこー!」「きちがい」と言っていた家元はもういないのだけれど、美学や意思といったイデオロギーは受け継がれていくのだろう。
ちなみに家元のエピグラフは「談志全集」の中の「粗忽長屋」の『「分からないのを何で見てんの?」「そのうちに分かるかも知れないからネ……」「そのうちに分かるって、分からなけりゃァどうする……」「そりゃァ、仕様がない」「仕様がないものを、何で見てるの?」』。また、展示された写真の中に、BOOMER伊勢が家元の真似をして、家元と直面している写真があったのだけれど、それもまた「粗忽長屋」とリンクして、それはとても良い写真だった。
受け継がれるといえば、爆笑問題は、渋谷のラ・ママの新人コント大会でデビューした。そのライブを主催しているのが、リーダーの相性で親しまれている渡辺正行。そのリーダー率いるコント赤信号が二日目にネタをすることになった。しかも新ネタを。
初日のEDトークで「絶対すべるよな!」「『待たせたな!』だったらお約束で笑ってくれるのに、なんでそんなとこでトガるんだよ」と、爆笑問題古坂大魔王X-GUNといったラ・ママで育った芸人達がいじり倒していたことに、凄く愛を感じた。愛だよ愛!
家元の高座を見られなかったことを十字架とするなら、爆笑問題の生の漫才を見たことは、一生忘れることのできない宝になった。
舞台袖から飛び出した瞬間から、一挙手一投足を見逃さないよう必死だった。視力1.5でよかったよ!ずっと笑っていた。都知事の辞職を表明した石原慎太郎に、「ライブ前に、ニュースを作らないで欲しい」という愚痴か面白くて、気持ちのいい漫才が始まった。ただただ笑って、多幸感で脳みそから変なのがドバドバ出ているのを感じた。生きてて良かったんだって、お笑いが好きで良かったんだってずっと思っていた。
ネットで見かけた「爆笑問題は誠実な芸人だよ」って言葉は、今年見たどんなものよりも輝いていたんだけど、思い返せば、俺が小学校六年生の時にボキャブラ天国爆笑問題に出会ってから、中学三年の塾の帰りに本屋で「日本原論」を読んで本格的にファンになってから、生きててもしょうがない夜に聞いてた「爆笑問題カーボーイ」でも、ずっとずっと、爆笑問題は誠実であり続けてくれたんだよ。人間は正しくなくていいってことを、月曜火曜の深夜に習っていたけど、人間は誠実じゃなきゃ駄目なんだよ、絶対に。
二夜とも違うネタを爆笑問題には一生ついて行こうと思った。
そういえば、爆笑問題エピグラフも「タイタンの妖女」の一節だ。
「ウインストン・ナイルス・ラムファードはゆっくりと消失をはじめた。消失は指先からはじまって、にやにや笑いで終わった。にやにや笑いは、全身が消えたあとも、しばらくあとに残っていた。『では、タイタンで会おう』と、そのにやにや笑いがいった。やがて、それも消えていった。」