石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

第サンの男タツオ局員、ビーバップハイヒールに降り立つ。

ビーバップハイヒール」という番組をご存知だろうか。朝日放送制作で、漫才師のハイヒールをメインMCと迎えた、「カシコと凡人たちが集まって、世の中の森羅万象、ありとあらゆるものにハテナをつけて考えていく」知的教養バラエティの番組は、毎週ひとつのキーワードを取り上げ、掘り下げていく番組で、その情報が面白いだけでなく、関西ローカルならではのゆったりとした雰囲気や、構成におもしろをまぶすのを忘れずに「分かりやすさ」にも重きをおいて作られているところに物凄くシビれる大好きなバラエティだ。
凡人メンバーにはたむらけんじ、隔週で交代するチュートリアルブラックマヨネーズ、カシコレギュラーに筒井康隆御大、江川達也(豪邸)がパネリストになっていて、キーワードに合わせてカシコブレーンが登場する。
「カシコ」というのは大阪弁で「賢い人」を意味する。そのカシコブレーンとして、我らがサンキュータツオが満を持して出演した。
 サンキュータツオはオフィス北野に所属する漫才コンビ米粒写経で活動する傍ら、一橋大学で教鞭を振るっている異色の学者芸人であり、今年の春からTBSラジオで深夜ひっそりと始まった「東京ポッド許可局」のタツオ局員としてのほうが馴染み深い。
 そんなサンキュータツオをカシコブレーンに迎えて掘り下げるテーマは「辞書」。
サンキュータツオは、辞書とはどれも似たようなものというイメージは間違いで、それこそ朝日新聞産経新聞などに掲載されている社説の論旨が異なるように、出版社ごとに内容や書き方、方針が異なるもので、読み方さえ分かれば漫画や小説、映画よりも面白くなるものだと言う。 
それぞれの辞書を擬人化して「朝まで生テレビ」のパロディのVTRで、特長を紹介して行くのだが、ここで焦点を当てられたのが、新明解国語辞典
この辞書にある「政界」の項目では「不合理と金権がものをいう政治会の社会」、「公約」では「政府政党など、公の立場にある者が選挙などの際に世間一般の人に約束すること。またその約束。[実行に必要な裏付けを伴わないことも多い。]」、有名な例での「公僕」には「権力を行使するのではなく、国民に奉仕する者としての公務員の称。[実情は、理想とは程遠い。]」と、シニカルな一言が加えられている。
語句の説明には無駄がなく明確、日本で一番標準的と自負する岩波国語辞典、そんな保守的な岩波国語辞典に対しての、若者言葉を初めとした現代語の採用に積極的な「明鏡国語辞典」。「ガチ」も載っているこの辞書は、まさに言葉が生き物であることを映す鏡のような存在だ。他にも、過去の小説や詩から引用し用法や用例に重きを置いた新潮現代用語辞典。この紹介だけでも辞書の多彩さがわかる。
そもそも辞書が出来たのは、いつからかというと、国という概念が出来た頃、つまり明治の初期に遡るとサンキュータツオは解説する。そしてこれら様々なバリエーションが出るに至るその大元となった辞書、漫画でいうところの手塚治虫のような存在は、大槻文彦
手がけた「言海」だ。
1875年、文部省に務める大槻が一人で辞書を作ることになる。町行く人の会話を収集して言葉を探すなどして、十年をかけて作成した「言海」。それを提出するも、待てど暮らせど出版に対しての音沙汰がない。最終的には「国からの予算が取れない」とのことで自費出版になる。費やした時間を無駄にはできないということと、妻に「あなたがしたことはきっと役に立つ」と言われたことを思い出し、再度の加筆や修正を行うことになった。その間に妻と子も亡くなってしまう。そのような苦労もありながらも、17年の歳月をかけて、大槻は言葉の海を泳ぎ切った。
 サンキュータツオの単著「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」は、この放送がより深く細かく補足されていて、読み応えがあった。
 サンキュータツオの魅力に気づいたのは、ポッドキャスト時代の「数学論(#94)」で数学とキリスト教の歴史を話しているのを聞いた時で、それからポッドキャストをダウンロードするようになった。東京ポッド許可局には、「タツオ無双の回」というのが、極まれにある。普段は、マキタスポーツプチ鹿島を回して、末っ子のように控えめに話していたり、ツッコミを担っているが、自身のフィールドの話題になった時に火が付いたように話し出すタツオは止められない。
立川志ら乃と『談志最後の落語論』(#114)」では一時間以上、立川談志立川流について文脈の縦と横を抑えながら熱く語ったかと思えば、「降りてくる論(#128)」では「降りてくるという言葉を使うやつは信用できない。」と言い出し「その裏に潜む厚顔無恥な感じ。無自覚な意識。自分が選ばれている人間であるというアピール。自分はそれほどクリエィティブで神秘的なことをしているというニュアンスを感じる。」と憤る。「お笑い批評論(#154)」では、盗作事件を踏まえて、世に出ていない芸人が、売れている芸人を語るということに対してのどういう気概でやっているのかということや、お笑い批評ではなく、批評というものが何たるかということを説明する。
 普段は一人っ子気質がにじみ出ている都会のお坊ちゃんのようなサンキュータツオが、ロジカルかつエモーショナルになる瞬間はたまらない。