石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

異形のコント師、日本エレキテル連合

2014年1月14日放送の東京ポッド許可局の「身体性論」で、マキタスポーツが、笑いと身体の関係性について「何度見てもおもしろいものってあるじゃないですか」と話し始めた。
そこから「俺は自分の言葉で『企画性に優れたネタ』っていうのがあるんですよ。そういうのって、一回見たらもういいんですよね。特に俺はコントにおいては、身体性に優れたものの方が強度が高いと思っている。」「頭とかセンスとかでやったものっていうのは、お笑いとしては、鮮度勝負になっちゃうから、一回見たら、スパッと切ってもらったら、その切り口だけで十分なんですよ。」「それよりも先にあるものは、『何度見ても面白い』。これは身体性が結びついたものじゃないとなかなか味わえない」と、続ける。
ここでマキタスポーツが提示する強度とは、お笑いの最大の敵ともいえる「時代」と「再見」へ抗う力のことということが分かる。
この話を聞いた時に、日本エレキテル連合のコントを思い出した。
日本エレキテル連合、通称エレキテル、日エ連は、お笑い事務所タイタンに所属するコンビで、メンバーは中野聡子橋本小雪、名前の字面の格好良さだけあれば若手随一だが、そんな二人が、先日「シリアル電気」というDVDをリリースした。
収録内容は、「田所先生〜愛人vs本妻編〜」から始まり、過剰にデフォルメされた関西人カップルの逃避行「ナニワシンドローム」、OLの友情を悪意たっぷりに描いた「都美子と比呂美〜オフィス編〜」、年末年始のネタ番組でも何度か披露された「だめよ〜、だめだめ。」という真似したくなるフレーズが出てくることでお馴染みの「未亡人朱美ちゃん3号」、それに続く「仮出所妻さゆりちゃん」、「???〜草津温泉編〜」、男尊女卑への逆説をたっぷりと含んだ「田所先生〜激論・男と女編〜」、狂っているという言葉をもってしても狂いすぎている「ニジマスの精霊」の、8本。収録時間は49分と短いが、相当に濃い作品となっていて、満足度は高かった。
エレキテルのネタの特徴として、確かに発想の気持ち悪さもとても良いけれど、一軒家を借りるほど大量にある小道具の数々で彩られたビジュアルと、言葉の言い方で、笑いへとつなげていくところにある。おそらく台本を読んだり、人から説明されても面白さを完全に伝えられることができない、演じられて初めて面白くなるというものであり、それらのネタの一つ一つは、他の芸人のネタと比べても異質で、目立つ存在にもなっている。
先日、またウーマンラッシュアワーが悪口言われていないかな、とわくわくしながら志村けんのラジオ「夜の虫」を聞いていると、エレキテルの二人がゲスト出演していた。
「未亡人朱美ちゃん3号」のネタを志村けん、上島竜平、TBSアナウンサー桝田の前で披露したあとにトークに入る。
今回ゲストに呼ばれたのは、志村けんがエレキテルのネタをテレビで見かけて気になったからということなのだが、最初から「光栄至極でもう・・・・・・」と緊張感を隠せないほどに声は震えていて、恐縮しているのが伝わってくる。
それもそのはずで、橋本と中野は、志村けんを尊敬し、かなりの影響を受けていると公言していて、あまりにも好きすぎて、志村の出身地東村山に今も住んでいるという。
「未亡人朱美ちゃん3号」のネタはどうやってできたのかという話になると、中野が「東村山の某ファミレス店にこういうじじいとばばあがいまして。ずっとじじいが、ばばあを口説いていて、それに対して『そうねぇ。うーん。』と言っているサマがまるで人形の様にみえて、その気もないのにジラしているサマから、ダッチワイフにしました。」と答える。デーモン小暮でさえも蝋人形で許すというのに、中野はダッチワイフにしてしまったわけだが、それについて志村は、「結構そうやって街中なんかで見てると、ヒントになるんだよな。ちょっとオーバーにするとそう(ネタに)なる」とうなずく。
「未来はいつも面白い」というのは事務所の先輩である爆笑問題太田光の言葉だが、憧れの人の出身地に住んでいて、そこでの出来事を題材にしたネタを作って、テレビでかけたら、それがその人に届いて、ラジオのゲストに呼ばれるというのは、なかなかの「未来はいつも面白い」物件に、ぐっと来てしまった。
他にも二人から、志村けんへの愛が溢れ出す。
「自分たちがお笑いをやった時に、気がついたら、こういうこと(小道具や衣装、メイクにこだわるスタイル)になっていて、私たちは志村さんのことが勝手に教科書になっている、真似しているだけでだなっていうのがありまして・・・・・・。」と話している途中で感極まってしまったのか、「志村さんの代で、志村さんの芸を絶やしてはいけないと思うんです。なので、私達に継がせていただけないでしょうか。」と唐突にお願いをしてしまう。
この追悼番組のような空気に、志村けん死亡説を思い出しながらも、志村けん世代の末っ子としても、その宣言は加藤茶の嫁のブログを読んでいる時よりも胸に迫るものがあった。もしこれが公開収録だったら、客席にいた子供が「志村ー!イズム、イズムー!」や「志村―!うしろ、うしろー!お前が作ってきた道を歩いてきている人は、ちゃんといるぞー!」と叫んだことだろう。
「考えてきたもののオチとか、タライが落ちるとか堂々とパクらせていただけないでしょうか」という言葉に志村は優しく笑った後に「でも、模倣は大事なんだよ。まず真似してみて、自分たちがやってるうちに、段々自分たちの演出が出てきて違うものになるからな。」と話し、それに続けて「扮装して成りきるってのは結構好きだよ。メイクするだけでちょっと自分が変わってくるじゃん。普段の自分よりも、ちょっとオーバーに出来るし、成りきるってのは大事だと思うよ。」と、助言をする。
日本エレキテル連合の二人はこの言葉を何度も噛みしめるだろう。そしてそれは、自分達の笑いが主流から外れているとしても、間違ってはいないという自信へとなる。
マキタスポーツいうところの「企画性に優れたネタ」という、発想の笑いの偏重の功罪の一つとして、身体性の高さの評価基準が相対的に下がってしまったことがあり、自分もその思想に毒されている時があると思うことがあるが、日本エレキテル連合のネタと許可局の「身体性論」は、笑いを表現するということは、肉体性も含めてのことであり、発想と身体、どちらも等しく大事だという、そんな当たり前で大事なことを思い出させてくれた。
日本エレキテル連合のコントが異形に思えるのは、狂っているからというだけではなく、志村けんの世界観という、血肉となりすぎているが故に正統に受け継がれずに、長らく空いてしまっていた席に、彼女達がすっと座ったからだ。
エレキテル連合の快進撃が楽しみであり、エレちゃんラーメンの新発売が待ち遠しい限りである。