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読書会やってみた。ドラマ『赤めだか』を100倍楽しむための記事(1)

読書会をご存知でしょうか。大まかに言えば、一冊の本を決めて当日までに読み、それについて感想を言い合うという会です。そうすることにより、他の人の意見を聞けたり、発表することにより自分の考えがまとまったりすることなどが特徴としてあげられます。
また、感想だけでなく、一文や一節が、「過去にインタビューを受けていた時の発言」などと照らし合わせるなどもするので、ただ「面白い」というだけではない理解を得られたりすることもあるものです。実際、読書会を体験してみて、そのように感じました。    
twitter(@memushiri)で相互フォローの関係にある、みよしさん(@scd_nom)という方がいます。その方はピース又吉のファンで、『火花』の読書会をやったということを聞いていました。それで、そのことについて、タイミングが合えば参加してみたいです、という感じで話していたのですが、なんだかんだで今回の東京に行く機会に合わせてしようか、ということになりました。そうなると、題材の話になるのですが、それとは別に、みよしさんが落語について全く分からないということを話していたので、では、落語についての勉強も兼ねることができるので、「立川談春の『赤めだか』での読書会をしよう」ということになりました。
『赤めだか』という本は、立川流の落語家である立川談春立川流に入門してから、前座、二つ目、真打になるまでの青春、また師匠である立川流の家元立川談志も描かれているエッセイで、平成27年度にTBSでドラマ化(日程は未定)されることが決まっています。発売当初、ちょうど立川談志の著作を色々と読んでいた時だったのでちょうどいいと思い読んでみたら、これがとても面白かったという記憶があります。
星野源の武道館ライブ、初めて見たバナナマン単独ライブ、立川志らく師匠の30周年記念ライブにゲストとして出演した爆笑問題の長尺の漫才を連続で見て、後は東京駅の釜たけうどんを食べて帰るだけという、脳みそがドーパミンでひったひたの状態の東京最終日に読書会をしてきました。
読書会自体は初めてなのでしたが、大学時代のゼミで同じようなことをしていたので、何となくイメージできていたので、レジュメだけ作成し、「何を話そうかなー、他の人頑張ってくれるといいなー」というテンションで挑みました。とはいえ、こちらはゴリゴリのコミュニケーション能力障害。主催という立場である以上、メインで話さないといけないわけですからすごく不安だったのですが、コミュニケーション障害の特徴である、好きなことなら、他人のことなんか知ったこっちゃねえとばかりに、早口で吃音になりながらもベラベラ喋るということが功を奏して、気付けば最初から設定していた、予定していた三時間は割とすぐに過ぎ、一応、読書会としての体をなしていた気がします。もちろん、帰りの高速バスの中で、独り相撲だったんじゃないか、と後悔することしきりでしたが。
 そのことを振り返るとともに、話したことをベースにまとめておきたいと思います。あくまで私的な解釈や見たてであることは重々承知です。むしろ間違っていることを指摘してもらいたいです。俺は叩かれて伸びるタイプですから。能町みね子みたいに逆ギレしない!!ごめんなさいと謝る!ようにしている!!!!
 さて話は戻りまして、今回読書会に参加してもらったのは、僕を含めて四人でした。『火花』の読書会では、倍近くいたと聞いてます。ひとえに僕がtwitterで狂ったことばっかり呟いているから故の避けられ、また人望の無さが窺えます。今度東京に行った時は神保町のホテルを利用しようと思います。
今回のコンセプトとしては、「ドラマを100倍楽しむための前準備」というものでした。ちなみに四人の落語に関しての知識としては、二人は僕よりも見聞きしていて、もう一人(みよしさん)は全く知らないという状態でした。そのみよしさんは『赤めだか』は一気に読んでしまうくらいに面白かったと話していました。基本的に、立川流の落語家は読ませる文章を書きます。
 最初に話したのが、そもそも、立川談志は何故こんなに絶対なのか、畏怖の対象となっているのかということです。師匠と弟子という関係はそういうものだということでも説明はつくのだけれど、もう少しスタートの話をしようと思います。
 そもそも、立川流とは何だ、立川談志とは何だという前提を知ることから始めなければなりません。ここから知っている人は流して、まったく知らない人も「そういうものなんだ」と流し読みしてもらっていい説明をしていきます。
 落語家というものは徒弟制度ですから、師匠から弟子に落語を伝えていく、落語家によって同じ噺でも全然違うものになったりします。その違いは落語家の数だけあると考えてください。立川流とは、その中での立川談志を頂点とした落語家の一門のことです。
他には落語協会円楽一門会で検索してみてください。
数ある中から、立川談志を選ぶということは、その潮流の中で骨をうずめるという覚悟のもとでのわけですから、絶対の存在になるのは当然です。といってもこれは立川流に限りません。師匠が怖いという話は落語家の鉄板ネタの一つでもあります。
なので、立川談志は偉そうというよりは偉いです。落語という面から考えても偉いのですが、それは落語を聞いたり、「立川談志がいなかったら、落語という滅ぶか形骸化していた」とも言われるような評価を集めていくことでも分かってくるのですが、少なくとも、弟子にとっての立川談志は絶対なのです。
ここでドラマの話になると、談志を演じるのはビートたけしなのですが、このキャスティングは、視聴者へ無条件に立川談志は偉いというスタートに立たせるという点だけでも100点の大喜利なんですね。ドラマに没入できるかは、どれだけ談志に恐怖するかというところも鍵の一つだと思います。談春の二宮は大喜利としては、実は0点に近いんですが、はたしてそれがひっくりかえせるかも見どころだと思います。
視聴者は、ビートたけしの偉さをそのまま談志にスライドさせて、談春に感情移入する。ビートたけしに怒られたら怖いということは日本人だったら想像できるはずですから。
また、ビートたけしは、後述しますが、立川流に入門して、立川錦之助という高座名をもらっているのでお笑いの系譜的にも外していないですし、もっと言えば爆笑問題太田光は、立川談志ビートたけしに影響を受けているので、爆笑問題のファンという個人的な文脈的にも沿っています。
もっと言えば、僕が初めて立川談志という存在を知ったのは、太田光の口からであり、太田光というフィルターを通しての解釈となります。『笑う超人』というDVDはマストです。
とまあ、こんなことを話していった読書会。続きます。