石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

今年の汚れ今年のうちに2018

(1)ボヘミアン・ラプソディ見てきました。

 僕とQueenといえば、高校生のころ、友人から教えてもらって、JOJOの元ネタだし、と思ってMDを作ってもらってそれを聞いてみたら、思いのほか良くて、しばらくハマって聞いていたくらいのレベルです。
あと、苅部誠の『地獄戦士魔王』にフレデイ・マーキュリーの絵が描かれていたぐらい。
 とはいいつつも、最近は、たまに「ボヘミアン・ラプソディ」を聴くくらいで、最近はそんなに聞いていなかったのですが、フレディが蘇った!というような感動を感じるベースがなかったものの、映画は結構楽しめました。
各所で指摘されているとおり、たしかに映画の構成は、Queenの知られざる裏側(とはいえ、ファンには全部知られていた話なんじゃないかなと思うけど)をくっつけているという『ビーバップハイヒール』なつくりになっていて、そういった意味では映画としてはやっぱり雑な気がしないでもない(知人とこの映画の話になると、したり顔でそんなことを言いつつも、Queen聴きまくっているのだから、静かに感動しているわけだけれども。)


 とはいえ、そもそものQueenの楽曲が、映画の強度をあげていて、曲が流れるたびにワクワクした気持ちになった。
 「英語だしあんまよく分かんないや」という理由でHi-STANDARDを聞いてもピンとこなかったような、歌詞至上主義の童貞高校生を一発でキャッチーでカッコいい!!と震え立たせたほどなのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。
特に「ボヘミアン・ラプソディ」を製作するというパートは楽しそうで青臭くて青春で、こういう風に永遠に何かに取り組めたらどんなに幸せだろうな、と思わされた。

やはり、後半20分のライブは、フレディをはじめとした、Queenのメンバーがステージにあがるシーンは圧巻で、何より、あんな凄い光景を追体験させてくれた。
そして、フレディが如何に魅力的な人間であるのか、ほっとけないような人だったということ思った。
 破滅型で、生き方に憧れるかといえば、もうそういう年ではないのだけれども、
もう映画の肝はそこで、いってみれば、そこまではフリといえばフリになってしまうのだけれど、それくらい最後は、中島らも言うところの「生きていて良かった夜」を感じさせるものだった。
映画を見ている間は、ずっと銀杏BOYZと峯田や、立川談志のこと、いわゆる破滅型という言葉についてが頭の中を駆け巡っていた。

 共同体というのは、Queenのように四人以上から、その形を維持していくことが異常に難しくなってくるのだろう。特にフロントマンが強烈に魅力的な人間で、一人が突出して巨大な才能を持っていると、パワーバランスも偏ってしまう。銀杏BOYZも峯田だけになってしまったし、談志は落語協会を飛び出してしまった。

 これまで様々なものを見てきて、裏側を知らなくても、表だけを見てきても、なんとなくそう感じる。
 一回の飲み会の幹事だって、めちゃくちゃにストレスが生まれるのだから、制作活動なんてその連続だろう。
 先日も幹事をしたのだけれど、一人が「参加出来ないです」からの、「やっぱり参加していいですか」を経ての「やっぱり参加しません」を、しかも、当人から僕にではなく、別の人からの伝言という形で聞かされたということをされて、ハラワタが煮えくりかえった。結局は、急遽誘った人が来てくれてお金的には事なきを得たのだけれども、ぜっていに許さねえからな、ぜっていに、という遺恨が残ってしまった。

 あと、もう今個人的には、いかに丁寧な生活をするのかということに興味が向いているので、いわゆる破滅型(結果として、とはいえ)にあまり感情移入ができなくなっている。とはいえ、あの、舞台にあがって、何万人もの観客と対峙する瞬間は何者にも変えがたいだろう。

 

(2)『ヴェノム』を見てきた。
 アメコミの映画は、たまに観に行くが、単体だとどうしても、アベンジャーズへのフリという気持ちになって足が遠のいていた。「スーサイドスクワット」も全然はまらなかった。
 デッドプールは相応に面白かったが、おなじみの「第四の壁の突破」についても、そうはいっても、デッドプールがやっているのは、ゼロ年代コント師オンエアバトルですでにやり尽くしちゃっているという持論を持っているものだから、発想としては新しいとは思えないなあなんて思っていた。
 ただ、ヴェノムは、かなり面白かった。
 面白くなるまでが少し長いんだけれど、そこを超えると、ずっと面白かった。
映画の長さは90分代で、この前半の長さは、ヴェノムと、出会うための、 寄生獣だと、宇宙から飛来してすぐに出会うので、
 それだと、リアリティを追求するためにフリが長くなってしまっているという点に尽きるんだけど、それ以降はサクサク進む。

 実はヴェノムはデザインが昔から好きだった。るろうに剣心和月伸宏が、外印でパクっていったときから好きで、めちゃくちゃ評判が悪い、スパイダーマン3も敵がヴェノムだからという理由で見に行って、結構好きなぐらいですし。
亜人もそうだが、ああいった「形なき異形の者」のデザインが好きなのかもしれない。おそらく、飲み会のときに孤独を感じたときに心の中に出てくるものもそうなんだろう。

 で、ヴェノム、どこか日本人が一番感情移入出来るキャラクターになっているんじゃないかと思った。
寄生獣ということもあるけれど、バイクに乗ってのカーチェイスシーンは、仮面ライダーぽさもあったりしたのだけれど、なんといってもヴェノムは、どことなく藤子作品の風が吹いている。

 子供も見ることができるように、血を画面に出てこないようにしたということで、宇多丸がそのことを指摘していたのだけれども、その弱さも「いや、シンビオートは、全身が消化器官だから、血の一滴まで逃さず捕食することが出来るんだよ。」と多少強引な理論で、反論したくなる程度には好きなキャラでした。

 

(3)つぶやくのを辞めたやつ
 

 オリラジ中田の本を立ち読みしたら、難しい横文字を使うなって話をしてて、2007年の笑いをやっていたんだけど、要はこのレベルの話にハッとする人達に向けた商売やってるんだから、わざわざ目くじらをたてる必要無しだと思う。キングコング西野の本には、他の人たちがやっていなかった漫才をやったから自分達は早くに売れたみたいなことが毎回書いている気がする。それは別に良いし、事実なんだろうけど、問題は今もそこから一切進化していないことだろう。

 

 ルールや規則が何のためにあるのか考えない人が本当に嫌い。熊田曜子は自分が悪いけど、みたいな感じを出してたけど、本当に悪いと思ってるならブログに書くわけがないので、一切、自分は悪いとは思ってない。所詮はペニオカー。

 

 不倫をした人を叩くと、乳繰り合ってることが羨ましいから叩いてるんだ、というやつがいるけれども、飲酒運転で捕まった人を叩いている人に「本当はお酒を飲んで車運転して羨ましいから叩くんだろ」とは言わないんだよな。

 

 「オードリーのことを叩けない文脈がある」みたいなツイートを見たけど、それを言うなら「風潮」であって、「文脈」ではないよなあ、って一番そこが気になった。あと、叩けない風潮は、金属バットやAマッソを始めとしてどの芸人にもあるなあと感じるから、それはただの被害妄想か、自分がいけすかない人への攻撃にしかならないと思います。個人的には、逆に叩きやすいところを叩いているほうがダサい気はしますけどね。