石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

今年はナツイ・フェスタちゃんみたいにウケたいですね。

 昨年は、ブログを書いていて、よくRTされたというのが、三つほどありまして、それが「邪悪な人間、濱田祐太郎」と「 『オールスター後夜祭’18秋』の「長嶋一茂の家の落書」と「範馬刃牙の家の落書」問題に感動した話。」、 「正しさと了見について、武田砂鉄『日本の気配』を読んで思ったこと。」でした。

 特に、志らく師匠について書いた「『M-1グランプリ2018』で立川志らくは何をどのように審査したのか。」なんて、あんなに地に足ついたバズありますかってくらい、反応がありました。一切魂を吸われていないんですけど、純粋に嬉しかったですね。

 志らく師匠については、本人にも届いたみたいで、飲み会から帰って改めてマジで泣いてしまいました。いいともの最後に小沢健二が出て、テレホンんショッキンぐで歌った時も泣きましたけど、あれは、僕は何もしていないんで、何かしたことで嬉しくて泣いたのって、人生初めてじゃないかなと思いました。

 2008年あたりの東京ポッド許可局でのm1語りから始まって、立川談志を始めとし立川流がずっと好きで、ダイノジ大谷の漫才論の「嘘の共有」とか、10年のフリが効いたバズですよね。

 ずっとブログ書いてきても、あんまり広がらないんだよなと拗ねていたのですが、

これらの共通点が、「vs世の中」というか、世のノイジーマジョリティに向けた文句で、まあ、文体や言っていること、やっていることは一切変わっていないということなんですが、少し意識するだけでこうも変わるんだなあと思いました。

 そういった記事を書くことは、実は、個人的には下品だと思っていたようなところもあるので、ヒラギノ遊ゴを始めとした雑魚が何言ったって知ったこっちゃねえよっていう気持ちがあったのですが、それらがあまりに安易に同意できないものだし、そういった態度だったから、キングコング西野がマネタイズを語っちゃうようなディストピアになったんだな、と思ってからは、もう書くことにしました。

 「ドラゴンボールハラスメント」の記事だって、あのあと、その人が記事を書いて話題になったこともないし、若さからくる愚かさだからそれはいいんですけど、醜悪なのは、ドラゴンボールを読んできた人たちが、「確かになあ、反省しないとなあ」みたいなリアクションしていて、そのことが本当に気持ち悪かったじゃないですか。

 『水曜日のダウンタウン』の「モンスターハウス」企画があんな後味の悪い結末になってしまったのはいいとして、それに対してのまとめが、「見ている人達がモンスターだった」みたいな、星新一ショートショートを500倍薄めたようなコメントでまとめられていて、それが最終の答えになるのって、なんかムカつくので、絶対に記事書きますけど、意図的にでも、ノイジーマイノリティになってでも、やろうと思います。

 僕なりの時事漫才であるというくらいの軽い気持ちで、世間の風潮を積極的に話題にしたことをとりあえず書いていこうと思います。名指しで批判していこうと思ってるからな。ボケが。

 あと、小説を書きたいとは、思っているのですが、書きたいことがまったくなくて、それは社会とか世間に向かい合っていないからじゃないかという、小説家はやっぱり世の空気を一歩先行っていないと駄目なところもあると思うのですが、それをするならやっぱり世のことを書いていないと駄目なはずなので、まあ、そんな感じで、やっていないことを潰していく作業の一環といえば、そうです。

 そんなことに限らず、みんなブログやれば良いと思うんですよね。

 インターネットをやるとどうしても浮き足立ってしまうと思うんですけど、インターネットは現代人はやめられないんで、地に足をついたインターネットをやるためには、ブログをやるしかないと思っています。一つ一つについて、考えて、まとめるという行為は今のご時世やっぱり必要だと思いますよ。

 「インプット」「アウトプット」という呼称も無駄にハードルをあげるのでやめるべきで、日記や、140文字に治らなかったから、ブログにアップしたでいいんですよね。そのくらいの気持ちで、みんなブログやればいいのにと思います。続けなくてもいいし、ブログを持ってタイトルを決めることは、スタンドだとか、念能力だとか、そういう感じです。

 文章書くことなんて別に特殊なことでもなんでもないんですから。

 仮に長文として成立しなくても、年末に、適当にゴミ出しとしてブログにアップすりゃ良いんです。年末に書いた「犬も食わない」のことなんて、もう少し綺麗にしたらそこそこ誰かに刺さったんじゃないでしょうか。

 去年、家であまりに何もしていないということに嫌気がして、なんとなく、家でやることのスケジュールを決めるということを何回かしました。

 例えば、19時までに、ご飯を食べて洗い物をする、19時から21時まではブログを書く、21時から22時までは筋トレ、22時からお風呂に入って眠くなるまで読書という感じで。そこまでガッチガチに守っていたかというと怪しいんですけど、それでも、夜寝る前には、自分の好きなこと、しかも普段やっているようなことでも、きちんと守れたりしたら達成感があったんですね。

 これはいいな、と。

 だから、まあ、今年はそれをなるべく毎日やって、とりあえずの達成感を得たいですね。何かしらの結果は後から着いてくるし、着いてこなくても達成感は得られてるわけですから、それだけでお腹いっぱいにはなりますよ。

 ラリー遠田や高橋維新の影響で、お笑い評論って言葉が改めて、馬鹿にされた昨今ですが、僕がブログ書くと、評論とか考察とかコメントつくようになったので、

 もうお笑い評論なんて、みたいな自意識も邪魔です。

 寄席演芸を評論していた人の本を読んで、勉強したいなと思いました。改めて、小林信彦とか読み始めたら、やっぱ面白いと同時に、今は他の人のブログとか見られるレポートもこのくらいの域には普通に達していたりしますから。そりゃ20年以上前とそれを比べるとそうなりますが。

 というのも、たくろうの漫才をもっとちゃんと言語化したいという気持ちになったのがでかいです。

 ある程度、ロマンや幻想、面白さなんて、適度に書き続けていたら、手癖でいくらでも煽ることはできるようになるんですけど、自分でも飽きてきますし、ばれますから。

じゃあ何が足りないかって言ったら、やっぱり基礎で、過去にどのように演芸は評論されていたのかを読むだけでも何か変わるんじゃないかなと思います。

  紅白を楽しく見ていたら、出てきたsuch mosが「臭くて汚いライブハウスから来ました」と言って、歌い出して、それが最初、音声の関係で、何を言ったのか分からなかったんですが、しばらくして、ああ、そういったのか、だせえなって鼻で笑ったのですが、冷静に考えたら、総合司会のウッチャンを始めとして、友人枠で出演していた出川哲朗サンドウィッチマンバナナマン、その日、紅白に出ている人全員がそうだとい思って、てめえらだけが特別だと思ってんじゃねえぞ、ダサい尖り方してんなあとイラついてしまって、その後に、また、ああ、また来年も悪態をついてしまうのか、とげんなりしてしまっていたりしたのですが、その流れで聞いた、『深夜の馬鹿力』で、伊集院さんが、大掃除の話とクイズをしていました。

 倉庫として借りているマンションがあって、そこのゴミステーションにおけるゴミはそのマンションのものだけで、別の場所、ここでいう伊集院さんの居宅から出た、ゴミを置くことはルール上、許されない、でも、このマンションに仕舞うために持って行ったとして、でも、やっぱりいらないなってなって捨てようってなったら、どのくらいの時間、この倉庫としてのマンションにあったら、このマンションのゴミステーションにおけるのか、という話と、朝の番組『とらじおと』で、キーワードを言えば賞金がもらえるというコーナーがあるが、そこでどこまで正解としていいのか、例えば明らかに番組は聞いているのに、キーワードの後半をど忘れしてしてしまった、はダメなのか、電話をしたら応募した人ではなく、その家族が出て、しかもキーワードを答えることができた場合は、正解にして良いのか、「ルールなんで」で断ったら、朝の番組的にダメな気するよねという話をしていて、この人も変わらないなと思って、なんとか、救われた気持ちになった年越し年明け近辺でした。

 あとまあ、同人誌2冊目とラジオの投稿やります。東京に行くのもボチボチあるはずです。何かの縁があれば、その時はよしなに。