石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第一夜 倉本美津留」の雑感

 いとうせいこうが笑いについて対談をした『今夜、笑いの数を数えましょう』という本が、異常に面白くて示唆に富んでいて、それがどのくらいかというと、これを読みながら真剣に笑いに取り組んだら、芸歴に関係なく、2年か3年で賞レースのファイナリストになれるんじゃないか、と思ったくらいなのですが、ご多分にもれず、その面白さを話す友人もいないので、色々と考えながら感想などを書いていきたいと思います。これ以降、唸った、などの表現が多く出てきますが、そのくらいの本だと思っていただけると幸いです。また、意図的に話の流れを省略して結論や定義などを書きますが、それはこの本を手にとってほしいということからであって技術不足ではないといことをご理解ください。 
 まず一人目のゲスト、倉本美津留について、あんまりその功績が実感できていないということもあり、軽い気持ちで読み始めたのですが、「フリップを使った大喜利」を考えたのは倉本美津留とのことで、しかもそれはルネ・マグリットの『イメージの裏切り(※「これはパイプではない」のやつ)から着想を得たものだったという話が出てきたところから、背筋を伸ばして読み進めました。
 例えば、話に出てきたギャップは笑いを産むというのは、何となくイメージがつく定義だと思いますが、それだと範囲が広すぎるということで、「ノーマークは笑いをうむ」というものを一つの定義とする。
 個人的に、芸能人の本名は何が来ても面白いと思っていて、それは「ギャップはおもしろい」というフォルダに入るからだろう。笑福亭鶴瓶駿河学きゃりーぱみゅぱみゅの竹村桐子まで、どう転んでも、80点の笑いにつながる。
話を戻すと、「ノーマークは笑いをうむ」から、いとうは「コントを作る時に、つい間違えてしまうのは、おもしろい人いセリフを集中させちゃうこと。あれはよくない。」と話していた。
 いとうのこのセリフは、大人数でのコントにおけることを話していると思うのですが、例えば、二人か三人でのすると、ボケツッコミを固定しないコントをやるコンビは、すごく理に適っているということになる。実際に、バナナマン、東京03などのネタを見る時は、誰が最初にボケるのかわからない状態で始まるので、その初手を見逃したくないという気持ちで、緊張感が生まれることになる。そしてその緊張感は、笑いを増幅させる効果を持っている。
 倉本は、「袖が長いのがオモロかったりするのを、思いっきり伸ばしてやったのが赤塚(不二夫)さんの絵だったりする」といい、「異常なラインを超えてもらう」ことも笑いの定義だと話す。それは箸の長さという物理的なものであったり、間だったりと様々なのだが、例えば、この「異常なラインを超えてもらう」という言葉で思い浮かんだのが、かもめんたるの「冗談どんぶり」のコント。KOCでも披露しているのですが、その中でう大が槇尾にねちねちと絡むシーンがあって、そこが単独ライブバージョンでは、客席もうんざりし始めるくらい長いという噂を聞いたことがあって、とても見たいと思っているのですが、まさにこれだな、と。

 倉本ゲストの章ではスリムクラブのネタの話があって、そこはぜひとも本文を読んでいただきたいです。いとうが「わかりにくさの全部がある」と話すスリムクラブについて、二人がどう話しているのかは、結構必読だと思います。
 いとうは「つかず離れずをどう作るかっていうのはナンセンスにとって超難しい問題だよね」と話すが、この「つかず離れず」はかなり重要なヒントだと思います。
 例えば、この本の中で、グル―チョ・マルクスというアメリカのコメディアンの話が出て、恥ずかしながら不勉強なもので全く知らなかったのだが、グルーチョといえば、RN笑福亭グルーチョという方がいらっしゃるのですが、そのラジオネームに対して何となくグルーチョって響きがいいな、と思っていたのと、『爆笑問題カーボーイ』の「思っちゃったんだからしょうがない」のコーナーで、「しみけんの結婚式って、多分「初めての共同作業」で、新郎新婦によるチンコ入刀が行われ、チャペルから退場の際は新郎新婦をAV女優が囲み、大量の潮吹きシャワーを浴びせ、その時新婦がブーケの代わりに、TENGAを空高く放り投げる演出があると思う。」というメールが採用されていたスーパーにたまんないお方なのだけれど、このことを知ると、より、素晴らしいラジオネームに聞こえてくる。グルーチョ、笑福亭なのかよ、上方なのかよっていう。三遊亭にも古今亭にもしないセンス。二重にも三重にもフックがあって、何となくここに「つかずはなれず」のヒントがありそうな気がする。

 『笑う犬』シリーズは、初回から楽しく見ていたが、一番印象に残っているコントは、元・ビビるの大内がメインの一本だ。手術室の前で、自分が遊びに誘ったか何かで間接的な事故にあう原因を作ってしまったと、大内が自分を責める。集まってきた友人たちは、そんなことはない、と否定する。最後には、少し帰った方がいいと促されて大内は、わかった、と言って、キックボードに乗って帰っていく。その中の一人が、「てめえこのやろう!」と追いかけて終了。

 「撮ってはみたものの」というようなエクスキューズも込みで放送されていたものだと記憶しているが、このコントがやたらと心に残っている。振り返れば、真剣に落ち込んでいる人間と、そのキックボードに乗っている姿のどことなく間の抜けた感じのギャップであろう。

 当時、キックボードが流行っている時期、もしくはそこよりも少し後だと思うが、「キックボードって間抜けだよね」という、斜に構えたツッコミがあって、それを、一番映えさせるシチュエーションを用意したというもので、どことなく『じみへん』などでやっていそうだけれど、当時、そのようなギャグ漫画を知らなかった身に、そのコントはやたらと染み込んだ。

 今でいえば、『水曜日のダウンタウン』の「水タバコ吸ってる時に説教食らったら以降は豪快に煙吐けない説」や「サムギョプサル食ってる時に説教食らったら以降はサンチュ巻けない説」などの「説教後に○○できない説」シリーズに近い面白さがある。

  最後に、今回出た「ギャップ」でコントの設定を考えてみたいと思います。
 例えば、はしゃいでいる人がマジで怒られるというのは、おもしろの基本の形の一つなので、そこにそうと、例えば楽しんで参加しているということが前提でそれをみんなが共有している「ハロウィンで仮装をして出かけている二人」がいるとする。そこにギャップを生じさせるには、そんな二人が、悲しみや戸惑いといった負の感情に落とすことなので、そのためには、どんなことが起ったらいいかという逆算をすればいいことになる。
 例えば、一人はメデューサに会ってすでに身体の半分がすでに石化しかかっていて、そこにもう一人が来てなんやかんやラリーがあるというのはどうか。これで現状と感情のギャップがある設定は出来あがる。
 そして後半あたりに「(メデューサが)本物だと思わないじゃん!」というセリフを持ってくると、有効そうだし、そうなると、そこに向けて積み上げていけばいい。この「モてない二人が勇気を出してハロウィンの仮装をして渋谷に出たら、一人はめちゃくちゃ成功してはしゃいでいて、もう一人は本物のメデューサに会って石化しかかっている」というコントの設定をアンガールズに渡したら、一本出来あがりそうではあります。
 書いていて自分でも驚いているのですが、この20年、どうやってコントの設定って思い付くんだよって思っていたのですが、多分初めて、よくある設定ではないコントを思い付きました。そのくらい、ヒントになっている本だと思います。
 そのくらい凄い本ですよってことです。
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