石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

いとうせいこう『今夜、笑いの数を数えましょう』の「第三夜 バカリズム」の雑感

 第三章はバカリズム
 いとうとバカリズムの出会いは『ウンナンのほんとこ』で前説をやっていたコンビ時代のバカリズムの空気や雰囲気、体温が低い感じに、いとうが気にいったことから始まるという。そしてそこから、ピンになった後も『虎の門』にねじ込んだりしたことから付き合いが深くなっていったよう。『虎の門』といえば、当時の関東に住んでいたTVウォッチャーの噂やアンタッチャブルカンニング竹山など出演していた芸人のラジオ番組での大変だったけど面白かったという話しか聞いた事なくて、地方にすんで見ることが出来なかった人間からすればある種の幻想がある番組である。
 バカリズムは、同世代が通ったドリフやひょうきん族は見ていたというが、影響を受けたのは吉田戦車など不条理なマンガだと話す。
 この話は何度かしているところを見聞きしているので新しい情報ではないが、ウンナンのコントの形式が美しいと思っていたバカリズムは、ウッチャンナンチャンが卒業した日本映画学校を意識するようになり、結局、同校に入学する。そこではプログラムとして漫才の授業があるのだけれども、バカリズムは「お笑いを目指していないヤツが無理やりやらされる中で、僕みたいにお笑いを目指している人間が本気でやれば圧倒的に才能を見せつけることができる」という作戦を実行し、見事、結果を出し、マセキのライブに出られるようになったという。今でいえば、講談における神田松之丞のようなものですね。園芸界では「師匠選びも藝のうち」という言葉がありますが、早く売れるためには、「いかに空席を見つけられるか」のセンスが絶対に必要なんだと思います。
 ただし、バカリズムにとって、マセキのライブに出ることが決まったということがスタートなので、もちろんそこから「どういうネタを作ろうか」ということになる。そこで升野がとったのは、「それまでなかったことを探さなきゃいけない」という方法。そしてそれは影響を受けたマンガにも似た、「一切ツッコミがないというか、はっきりとしたオチもないところ」で、加えて一番意識したのは「面白いことをやるというより、面白くないことをやらないという考え方」だったと話す。それは「ウケるウケない関係なく、今までなかったパターンを試してみながらウケるものを探していこうというやり方」だったという。
 これは凄く分かる話で、ラフターナイトで若手芸人のネタを聞いていると、使い古されたくだりなどを未だに使っている人がほんとうに結構いるということ。それって、当人たちはウケると思っているから使っているのだろうし、実際ある程度の笑いが起きているのだけど、未だに「発音を無駄に良くする」「さっきからスルーしてたけどそれ何なん」などを今聞かされても別に面白くないし、本当に面白いと思ってそれをいれているのか疑問に思って笑えないので、個人的には無駄な時間だなあとしか思えなかったりする。
 バカリズムはそのことを打率に例えて「いかに打率十割に近づけるか」として「十回打席に立って、七回ヒットを打って三回すべるんだったら、三回だけ打席に立って十割打つ方が良いという考え方です」と続けているが、一つのネタにおける、笑いどころを打席とすると、ネタの時間が同じなら、ボケの数は少なくてもその分エッジを効かせてそれ全てをヒットにするほうがいい考え方だとすると、十の使い古されたくだりをいれたネタよりも、三の「面白い」があるネタのほうが自分はきっと好きになるだろうと思うと、この例えには、合点がいく。東京ポッド許可局での「手数論」よりも前にその考えをもっていたバカリズムは、やはり、「空席を見つけるセンス」が異常だと言わざるを得ない。
 ちなみに、誰かを評する時に天才だというのが凄く嫌なのですが、それはそう呼ぶことで、理解を止めることだと思っているからなので、結果的には評ではなくなってしまうからだと思うのですが、そういった理由から、バカリズムも天才だと言わないようにしています。実際には天才なんだけれど、何かの組み合わせでしかないとも思っているので、その一つが、この「空席を見つけるセンス」だと思っています。
 ネタ作りに取り掛かり始めたコンビ時代のバカリズム。初期に作ったショートコントについて話しはじめる。
 ファミレスを舞台にした「いらっしゃいませ」「ステーキセットをひとつ」「かしこまりました。パンとライスがございますが?」「パンで」「お肉の焼き加減は?」「ミディアムで」「クワガタは?」「オスで」「かしこまりました。少々お待ちください」(しばらくして)「お待たせしました。ステーキです。パンです。クワガタです。ごゆっくりどうぞ」で、客はステーキ食べて、パンちぎって食べて、クワガタ触って「いてーっ!」となって、「メスにすればよかった!」というコントを紹介する。
 続けて升野は「異常な世界があるのに誰もその世界につっこまないというのが最初のスタイルだったと思いますね。」と話す。この言葉を聞くと、やはり初期のラーメンズのコントを思い浮かべる人も少なくないだろう。小林賢太郎本人も「異常な世界での普通の日常を描きたい」というようなことを言っていた覚えがある。
 いとうは、この流れで、「ナンセンスは本当に境界線の引き方が難しいよね」「狂気の線をどこに移動させるか。」と、いとうは言っている。話は変わるかもしれないが、例えば、ランジャタイの漫才「T.N.ゴンの秘密」という最高に笑ってしまうネタがあるが、その中で、国崎が「全部、言っちゃうね」と言う。これはもちろん、清水富美加改め千眼美子の告白本『全部、言っちゃうね。本名・清水富美加、今日、出家しまする。~』より抜粋、なのだけれど、その後、国崎はまともな事を一切言わない。このネタで一番よくよく考えると面白いのは、そんな狂人が、ものすごく安っぽい(便宜上)ことを言っているという事実だったりする。ものすごくキュートな狂人になる。良い人だったのにコカインやってた」じゃなくて、「コカインやってる良い人」という感じ。
一時期、初期のバナナマンのコントを説明する時に、「関係性が見える」と話していたのだけれど、これは、例えば一人がもう一人を責めるんだけど、端々から、「仲が良い」ということが見えるという意味で使っていた。例えば、「secretive person」なんてまさにそうで、大事なことを言わないのは、そいつが嫌いだからではなく、まじで、ただ「言わねえ奴」ということが伝わってくるというもの。こうなっているのは、やっぱりバナナマン直下といっていいくらいに影響を受けている、ラブレターズかが屋だったりする。
 その後に少しこの狂気について話をしているのですがこちらも興味深いので是非本文をどうぞ。
 そして、話はコンビを解消し、ピンになった以降の話になる。
 最初につくったのは、おちんちんがビデオデッキから抜けなくなるコントと、交通事故で死んでしまい幽体離脱するけど何も起こらないというコントで、どちらも「ヌけなくて……」と「イケなくて・・・・・・」という名前でDVD『バカリズムライブ 宇宙時代特大号』に収録されている。この後、話題にももちろんなる「トツギーノ」もこのDVDに収録されていることを考えると、めちゃくちゃ名盤じゃねえかとなる。
 升野は、この「トツギーノ」について、トツギーノと言えば、恐らく一時期のバカリズムの代名詞となったほど有名なネタだと思うのだけれど、色々と試行錯誤をする中で「感覚的というか、お客さんをちょっとおいてけぼりにしてもいいかなっていうコンビ時代の初期の頃の感覚に近い」と振り返る。
 そして、あくまで頭の中でのぼんやりとしたものと補足したうえで、「グループAとグループBがあって、グループAはなんとなく思い付いたネタで、グループBはこういうネタを作っていこうと思って書き始めるネタ」と説明する。ちなみに、トツギーノ都道府県の持ち方はグループAで、単独ライブの長いネタやストーリー性あるネタがグループBで、「会社の会議後に同僚の女性におっぱいをさわらせてほしいと言う」ネタはそこに属しているという。
 大まかに解釈すると、永遠に広がっていくことが出来るネタがグループAで、異常な世界に向かって積み上げていくのがグループBということか。
 他にもネタの作り方のなかの見せ方として、「ピンって立体的だ」とバカリズムは話していた。それはリアルは立体的だからという考えからくるものとのこと。
 ピンで立体的といえば、思い浮かべるのは、ルシファー吉岡とマツモトクラブだろう。どちらもR1ぐらんぷりのファイナリストの常連だけれども、何よりルシファー吉岡が教壇にたつコントは自分がそのクラスの一員であるかのような錯覚に入るほどに「立体的」だ。錯覚といえば、玉田企画という劇団の演劇を見に行った時に、カラオケが舞台なのだけれど、あまりにも上手く溶け込めてしまって手拍子をしそうになったことがある。
 バカリズムは、二人は平面、二人よりは三人のほうがいい、東京03を例に出して三人いる時が立体的だと話す。確かに、二人組が教室コントをする時は絶対的に、横に並ぶ構図だ。先生役は左で、生徒役は右で、先生や生徒がどれだけ他の人がいるような所作をしても、平面的な気がする。逆にルシファー吉岡の様に先生一人だと、一気に立体的な教室へと変貌する。
 その「次元」の話をするならやっぱり、言っておかないといけないのは、ハナコの話で、ハナコは菊田の使い方を極限まで削ることで、次元をより広めている。凄い新しい感覚だと思う。削ることで増えるんですよ。しかも「菊田」を理解していないと出来ない。
 「リアルかリアルじゃないかは一番重要」と話す升野は「そいう感覚が東京の同世代の芸人でバナナマンや東京03、ラーメンズとかおぎやはぎとか、わりとみんな無意識のうちにあるような気がしてます。」「わかりやすいボケ・ツッコミがないっていう共通点があるんです。」と加える。
 先日のオンバト復活SPでおぎやはぎの初期のネタのVTRを流していたが、そこで「結婚式の入場曲がアントニオ猪木の入場曲にして歌ってしまうというボケをおぎが繰り返したさいに、矢作が「どうしても!?」というツッコミをいれていた。これは「リアルかリアルじゃないか」というと、リアルで、かつこれが良いのは、矢作の小木への許容があるからである。つっこんで一蹴して終るのはリアルじゃないというもので、行間があるというものだ。これがゼロ年代初めには強烈なカウンターとして機能したし、今見ても面白かった。これもある種の「空席を見つけた」だろう。
 それからもちろん大喜利の話になるのですが、それについてはいつか「凡人はバカリズムになれるのか」というバカリズム大喜利の回答に関する考察をやろうと思っているのでその時まで保留しておこうと思いますので飛ばそうと思いますが、例題として出された「犬につけてはいけない名前に、猫は消すけど子猫は面白い」とい話はかなり興味深いです。
 この後も、ものすごく興味深い話をしているのですが、一朝一夕でまとめられるものではないので是非ご一読を。
 今回で一番大事なのは、売れるために「空席を見つける」センスが必要不可欠というところでしょうか。

 続けます。RT&お気に入り&リプライお願いします。かまってほしいので。