石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

空気階段第三回単独ライブ「baby」感想

 とあるライブで、空気階段の水川かたまりが好きなコントのひとつに、かもめんたるの「敬虔な経験」をあげ、衝撃を受けすぎて見返せていないほどだと言っていたという情報を目にした。
 「敬虔な経験」とは、かもめんたるが『キングオブコント2013』で優勝する直前の夏に開かれた単独ライブ『メマトイとユスリカ』のラストを飾るネタで、そのオチは、コントではなかなか味わえないような壮大なものとなっているのだが、これを単体で見ても、かたまりが何故そこまで衝撃を受けたのかということは分からない。というのも、『メマトイとユスリカ』で披露されたネタは、ひとつひとつがつながっており、帰結する先がこのコントであるため、単独ライブ全体を通してからでないとその凄さが分からない仕組みとなっているからだ。
 「最後につながる」という甘美な響きを持つその言葉は芸人の単独ライブを評する言葉として稀に出てくるが、それらの多くは、実は、最後のネタでそれまでに出てきた事柄を出してくるだけというような、小ネタや余技的な側面が強く、本質的な意味でつながっているとは言い難いところがある。かといって、あまりに緻密なパズルのように組み立てられてしまうと、それもまた技術のひけらかしとなっていやらしくなるばかりか、登場人物がそのストーリーのために動いているように見えてしまうためにリアリティが損なわれてしまうから、その塩梅はとても難しい。
 しかし、『メマトイとユスリカ』は、連作小説のように、一つのコントで登場人物の自然な言動が原因となって、また別のコントで結果として登場するというような因果関係を成立させていることで、ネタのそれぞれが有機的に接続し、文学性を帯びる域にまで到達している。
 もちろん、その年に実際に優勝する『キングオブコント』でかけられた「言葉売り」がネタのひとつにあるように、笑いの質の高さを保ったままにこのことを成し遂げているから凄いのである。
 オープニングコントから、ラストコントの『敬虔な経験』までを突き進むことによって得られる物語としての強度は、『スローターハウス5』や『タイタンの妖女』といったカート・ヴォネガットSF小説を想起せずにはいられない*1ほどのものとなっている。
 この単独ライブが、それほどまでの高みに到達しているのは、岩崎う大と槙尾ユウスケ二人のコント師としての力量が、岩崎の作家性*2を担保し、日本のコントでは珍しいほどに陰湿な空気をまとわせる*3ことに成功させているからこそであって、『メマトイとユスリカ』の完成度に比肩することは容易ではない。
 そう、思っていた。
 先日見てきた空気階段の第3回単独ライブ『baby』は、もともとは2019年の5月6日に一回だけの公演として開催されたものであったが、内容が好評だったことで同年10月14日に再演されることが決定、その再演のほうを見てきました。単独ライブを再演するということ自体がほとんど聞いたことのないほどに珍しいことなのでそれほどに完成度が高いのだろうということは予想出来たが、まさしく最高な単独ライブ*4だった。
 オープニングコントの舞台は分娩室。上手に立っている水川かたまり演じる男が出産に立ち会っているシーンから始まる。そして、下手に照明が当たって表れたのは、薄いピンク色の全身タイツに身を包んで胎児に扮した鈴木もぐら。
 出産に立ち会っている男のあたふたとした様子と、子宮からの出方が分からないけれどもどこか緊張感のない胎児との対照的な様子を描いたコントは、真ん中に置かれた子宮をモチーフにしたスリットから胎児が出てきて、男が女の子のお父さんになることで終わる。そこで一度暗転し、舞台上のスクリーンに映し出されたオープニング映像は、赤ちゃんの両手が画面の下側にあるそのカメラの視点は、赤ちゃんが部屋の中をハイハイしているよう様子を思わせるように移動する。その家の中で、かたまりは植物に水をやり、もぐらはベッドで寝ているというそれぞれの生活をしているところで、名前が画面にクレジットされるというそれは『夢で逢えたら』のOP映像を彷彿とさせる「日常」っぽいとても最高なもので、本格的に、「単独が始まったぞ!」とより高ぶる。
 単独ライブといえば、ネタとネタをつなぐ幕間映像もお楽しみの一つだが、それらは、コントに関係するものでも、関係ない独立したコーナーや企画の映像でも、それ自体がきちんと面白いものになっていれば嬉しいものだ。しかし、空気階段の単独ライブ『baby』には、そんな幕間映像がなかった。
 では空気階段の二人が舞台上からはけて着替えている間や、セットチェンジの時間はどうやって間を持たせていたのかと、もぐらの仮面を着けた人たちが黒子となって、終わったコントの小道具で遊ぶというくすくすと笑える寸劇をしながら、舞台を片付けていたのである。
 初単独ライブ『mosaique』からやっているこの演出は、世界観を全く壊すことのないままに、観客を楽しませるもので、爆笑問題が所属する事務所であるタイタンの事務所ライブ「タイタンライブ」での、ネタの前にこれから出てくる芸人のイメージにそった小説の一節をスクリーンに映すエピグラフに匹敵するほどの発明ともいえる。
 二本目のコント「みどり屋」は、駄菓子屋のベンチに座り、駄菓子を買いに来た子供と駄菓子屋のおじさんの「代金は30万円ね」「はい、おつりの70万円」といった昔なつかしいやり取りを見ている男。遠藤というその男は、西武ライオンズに入団するも一軍のマウンドに立つことがないまま、肘を壊して引退してしまった元プロ野球選手であり、何もすることのない今、地元に帰ってきているのであった。遠藤が子供の頃から通っていたこのみどり屋もそろそろ店じまいをするという。遠藤は、駄菓子屋のおじさんに、店をつがせてくれよとお願いし、おじさんは了承する。
 夢に破れた若者の新たなスタートを描いたいい話かと思いきや、店主は契約書を出してサインをさせたり、遠藤がこれまでのように気軽に話しかけると、「口のきき方に気をつけろよ」と低いトーンで返したりと、明らかにさっきまでとは様子が変わっている。そんな店主から、驚きの駄菓子屋にまつわる真実が明かされる。
 全国にある駄菓子屋は、1962年に開催されることが決まった東京オリンピックで日本の選手を活躍させるために、子供の頃から運動能力を飛躍させるための薬を駄菓子に塗って摂取させるための国の機関であったという、ブラックな展開になっていく。
 戸惑いを隠せない遠藤に淡々と引き継ぎをしているおじさんのところに、たまたま厚生労働省から電話がかかってくる。ぺこぺことした対応で厚生省の役人と話しているおじさんの受話器を奪い、遠藤は、こんな子供達にドーピングをさせていることは許せない、このことを世間にばらしてやると受話器に向かって叫び、電話を切る。おじさんは驚き焦りながらも、子供の頃から見てきた遠藤のことを思ってか、今すぐにでも逃げるようにうながす。結局遠藤は、駄菓子屋を飛びだしていく。そして遠藤が遠くに言ったのを見計らって、厚生省に電話をかけたおじさんは、遠藤の行く先を伝えるという、ぞわっとするオチになっていた。
 「特急うみかぜ 東京行19:55発」は、ミュージシャンになるために高校卒業と同時に上京するアキラという男と、そのことを知らされていなかったので怒っている同級生の女性の今井さんとの駅のホームで繰り広げられる淡い恋物語を、今井さんに一目ぼれしてしまった駅員が、執拗にかつリズミカルに二人の恋の始まる瞬間を邪魔するという軽快なコントだ。このコントでの、男が今井さんに告白するシーンは、『空気階段の踊り場』リスナーなら、かたまり演じる男が女性に向かって告白する姿からは「かたまり号泣プロポーズ事件」を連想しただろう。
 常識の埒外にいる存在を演じることに説得力があり巧みなのがもぐらなら、かたまりは常軌を逸する存在を演らせたら上手くて味があってたまらないのだが、その良さを存分に味わえるのが続く「14才」だ。
 いつもテストで満点を取るような優等生のかたまり演じる中学生男子が、怒った様子で、職員室に入ってきて、なんでこの解答がバツなのかと教師を問い詰める。教師がとあるコンクールで見かけた詩に感銘を受けて作った問題で、中学生男子は不正回となってしまったのだが、実はこの詩の作者は自分であり、表現者になれていないから国語教師になった凡人が勝手に解釈してあまつさえ作者の自分の答えを不正解にすることは、この詩に対しての愚弄であるということで怒っているわけである。
 国語教師が感動するほどに綺麗な詩が、実は勃起を表現していたというような純然たる下ネタを連発するコントだった。かたまりは相変わらず、下ネタのブレーキがぶっ壊れている。
 「みえーる君・改β」は、宅急便の配達員が荷物の届け先のチャイム音を何度鳴らしても家主が出てこない。おそるおそるドアを開けて中を確かめてみると、家主らしき男が鉄球を回転させている機械の前で、家主が叫んでは気絶を繰り返している。そして舞台上のスクリーンには、誰かが万馬券を当てた瞬間の映像が映し出される。
 家主に話を聞くと、この機械は、自分が開発したもので、回転している機械に頭を近付けたら、一歩間違えると死んでしまうのでどうしても死を意識してしまう、そんな恐怖から、走馬灯を見ることができるものだという。「なんでそんなものを作ったのか」「生きてても楽しくねえからだよ」というやり取りは地味だがたまらない。
 コントのシステムが明かされてからは、大喜利的に笑いを積み重ねていく。最初は万馬券を当てたときのような当たりの走馬灯を見ることが出来ていたものの、一輪車に乗った男が転んだ姿や、万馬券を当てた時の走馬灯とスタートは同じでもうんこを漏らしてしまった時のものだったなどの外れの走馬灯ばかり見てしまう。当たりを引こうと何度も機械の前に頭を近付けるも、やたらと一輪車のおじさんのあらゆる場面を見てしまう始末。オチは、機械を使った配達員の走馬灯にも、一輪車のおじさんが出てきたというもの。
 「関健〜夏祭乱舞編〜」は、『mosaique』から登場しているキャラクター関健(せき けん)のコントだ。かたまり演じる夏祭りで友達とはぐれてしまった男の子が、現代社会のことをあまり知らないソルジャーの関と出会ってから育まれた友情と騒動を描いたハートフルなコントだ。
 「ハッピー」は、もぐらのモノマネのレパートリーのひとつである渡辺篤史が出てくるコント。もぐらが演じる渡辺篤史は『建もの探訪』で立派な建物を見続ける中で感覚が麻痺してきてしまったので、フラットな気持ちに戻すために、夜な夜なカメラを回さず完全プライベートでボロい家に忍び込んでは『建もの探訪』をしているという設定だ。
 空気階段は、もぐらが渡辺篤史のモノマネが出来ることを良いことに、渡辺篤史をひどいキャラクターに仕立て上げるコントを作り続けているので、いつか裁判になった時は、面白いので許してくださいということで情状酌量を訴えるために証人台に立とうと思います。その時は、みーちゃんステッカーをください。
 ラストのコント「baby」は、海でタバコを吸いながらぼーっとしている青年が、落ちている貝殻を拾って耳に当てては、「クズか」とがっかりして投げ捨てたり、喜んでは拾っているおじさんに出会うところから始まる。
 おじさんと目が合い、タバコをせがまれるも、青年は、「きらしてて」と断る。そんな話の流れから、青年は、おじさんに、さっきから何をしているのかと尋ねると、ここの浜辺に打ち上がる貝殻の中には、声を録音する性質のものがあり、それを集めているという。そう言われて、青年が貝殻を耳に当てると確かに、様々な音声が聞こえてくる。じゃあ、何で集めているのかとまた尋ねてみると、これは厚労省管轄の公務で、クズだと捨てていた貝は会話が中途半端に途切れているもの、最後まで会話が収まっているものだけが厚労省に引き取ってもらうんだ、厚労省の仕事をしているから、俺は公務員だな、と話す。
 そんなやり取りや、本当は持っていたタバコを渡したりしたことで、青年はおじさんに気を許したのか、自分が浜辺に来ている理由を打ち明ける。これから妻が出産を控えていて、人の親になる予定なのだけれど、両親ともに子供の頃に亡くなっているので、親から受けた愛情というものがわからない、そんな自分がこれから先産まれてくる子供の親をやれるのか、愛を与えることが出来るのか自信がないので、昔からよく来ていたここで色々と考えていたのだ、とそう話す。そんな青年を励ますために、おじさんは、笑えるやりとりが録音されているというお気に入りの貝を貸す。
 青年が渡された貝を耳に当ててみると、そこから流れてきた音声は、夫婦が浜辺で赤ちゃんに話しかけているところに、一輪車を持ったおじさんがやってきて、その秋田犬の赤ちゃんだと間違われるというものだった。それは、青年が配達員の仕事をしている時に、走馬灯が見える機械で見た、記憶に残っていなかった体験としてみた走馬灯の映像と同じものだった。
「今日のお昼はステーキ食べようか」
「まだ歯が生えてないから食べられないよ」
 青年は、そんな他愛もないやりとりだけではなく、「どんな子になるんだろうね」といった自分の未来に希望を抱いてくれていることが分かる両親からのいくつかの言葉を、20年以上の時を経て自分も親になるというその前に、貝殻を通して初めて耳にすることで、親にまつわる記憶が全く無い自分も、赤ちゃんのころに親からの愛を一身に受けていたことを知る。
 おじさんは青年が遠くに投げたタバコを取りに行ったので、舞台上には体育座りをして貝殻を耳にあてている青年だけ。青年が貝殻を耳にあてたところから照明は暗くなり、舞台の真ん中でひとり貝に耳を当てている青年を演じるかたまり。 

 観客は、このラストコントの途中から、コントの中に散りばめられた情報で、貝を拾っているおじさんが西武ライオンズに入団するも二軍のまま肘を壊して引退してしまった遠藤であり、浜辺でタバコを吸っていた青年がアキラであるということに気付き始める。そして見終わることで、これまでに見てきた全てのコントがひとつの物語となる。
 海辺で妻の出産を控えて物思いにふけっていたアキラという名の青年は、赤ちゃんのころに両親と一緒に来ていた海で関健と初めて出会う。その後に両親を事故で亡くしてしまったために児童養護施設で生活をするようになった小学生のときに友達と行った夏祭りで、関健と再会を果たす。高校を卒業すると同時にミュージシャンになるために上京するその日に、駅のホームで告白した同級生の今井さんと付き合うこととなって、一緒に東京に出る。東京で夢を追いながら配達員のバイトをするも夢に破れて地元に戻ってくる。そして、今井さんに浜辺でプロポーズをして結婚。そして、女の子の父親になる。
 かもめんたるの『メマトイとユスリカ』は、最終的には、一匹の犬が、宇宙人に翻弄される数奇な運命を辿る物語であることが分かる。
飼い主と楽しく平和に暮らしていた一匹の犬が、散歩の途中で宇宙人にさらわれ、人間の形に改造され、タイムトラベラーにさらわれて三十年前に飛ばされ、飼い犬だったころの記憶にもとづく癖を残しながらも、一人の男の子を小説家に、一人の女性を億万長者にさせながら、最終的には一本の木になる。
そして、喋ることが出来なくなってしまう最後の最後に、「誰のことも恨んでいないのか」と尋ねられるも「俺は誰にも経験できないことを経験したんだ」と、自らの運命に起きた全てを受け入れる。
 水川かたまりが、『キングオブコント2019』でかけた「タクシー」のように緻密な構造を持つコントを書けることは知らないわけではなかったが、自身の「ラジオでの号泣プロポーズ事件」と、もぐらが結婚し子供が産まれたという、空気階段における二大事件をコントというフォーマットにきちんと落とし込み、ひとりの男性の人生を組み立てたその作家としての手腕は見事というほかない。
 好きなコントの条件の一つに、ある人たちの人生の一瞬を切り取ったらコントになったと言うものがある。フィクションの中の登場人物たちにもそれぞれの人生があり、必ずしも作者のために彼ら彼女らの生活があるわけではないという、やや潔癖症めいたコント感であるということを自覚はしているものの、それでもそんなコントを贔屓せずにはいられない。
 「baby」で演じられた8本のコントは、まさに、アキラと遠藤の人生の一部を切り取ったらコントになったという、一番好きなやつでした。

*1:一度、ライブの後にう大さんと話せる機会があり、勇気を出してこのことについて聞いてみたところ、『タイタンの妖女』を読んだくらいでそこまでの影響下にはないような話をしてくれた。う大さんの書くものについては、運命のメタファーのような人知を超えたものの存在がよく出てくるがそれは壮大な感じが出るからということらしい。

*2:う大さんが面白いネタを書けるというだけでなく、90分から120分という演劇を何本も書いて成立させているという長距離の筋肉もあることからもそれは分かる。それはアルコ&ピースの平子にコントカルト教の長と言われるゆえんでもある。ちなみに、コントカルト教の他のメンバーには日本エレキテル連合などがいると思われる。

*3:日本人はいじめなどが大好きで陰湿なはずなのに、陰湿な笑いのまま天下を取ったのコント55号まで遡るんじゃないかという仮説。そのフォロワーが初期の爆笑問題の「進路指導」などのコントで、そこから完全に途絶えていたところに、かもめんたるが登場したのではないか。かもめんたるの「冗談どんぶり」や「蛇」などは陰湿そのものである。

*4:演目は、オープニングコント、みどり屋、特急うみかぜ 東京行19:55発、14歳、みえーる君・改β、関健~夏祭乱舞編~、ハッピー、baby。初演とはやや順番の変更があったようだ。