石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

おかえり、アンタッチャブル(完全版)

 今よりまだ深夜ラジオを聞いている人が 少なかったであろう10年ほど前に遡るが、間違いなく一番面白いラジオが『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』だった時期は確かにあった。裏番組は『ナインティンナインのオールナイトニッポン』という巨大な存在だったものの、聴取率調査でジャイアントキリングを起こしたこともあった。「リスナーがパーソナリティ」と謡っていたその番組は、アンタッチャブルトークはもちろんのこと、ネタメールも最高で、盛り上がっているコーナーの最後のメールを山崎が読むと「ふざけんなよ、もう終わりかよ」と柴田がよくキレていたのもたまらなかった。そんな番組も、事情を知らされないまま柴田が休業することになり、しばらくは山崎一人でゲストを迎えながらも放送を続けていたが、不完全な形で終了を迎えることになってしまった。
 ちょうどその頃と前後して、山崎はザキヤマとして『ロンドンハーツ』や『アメトーーク』でその存在感を発揮し、どんどん売れていくこととなる。ザキヤマというのは、もともとは、ラジオのノリで決まった、山崎のあだ名だったが、いつしか本当のあだ名として世間に定着していった。その後、柴田は復帰するものの、きちんとした説明がされることはおろか、すぐにアンタッチャブルが復活することはなく、その間もバラエティに出ずっぱりだった山崎との差は広まっていくばかりであった。
 柴田からは、山崎と定期的に会っているという話を聞くことはあっても、山崎からは柴田の名前すらも聞くことはなく、勝手なファン心理として、いつしか山崎を見ることを避けて、その言動で笑うことすらなくなっていた。
 先日、週刊誌のサイトで「アンタッチャブルが復活する」というニュースが流れてきた。この手のニュースに何度も騙されていたので、諦めと防衛反応から、どうせ飛ばしだろうと思うことにして、きちんと読まなかった。ただ、いつもと違うのは、何でこのタイミングでまたこんな記事が出てくるんだ、という心に引っかかったことだった。
今思えば、普段は録画や動画配信で視聴していた『全力!脱力タイムズ』を、その日はきちんとリアルタイムで見たのだから、51%くらいはその記事を信じていたのかもしれない。
 そして、その期待は裏切られなかった。
 いつもの通り、コメンテーターとして座っている柴田を、有田を筆頭に番組サイドが翻弄する。今回は、担当ディレクターがハマっているものがボードやVTRに反映されているので、そのハマっているものは何かというのを柴田にあててもらうというもので、その問題には柴田の好きな動物が答えになっていたりして、柴田を暖める。
 柴田がこの番組に出場すると、ゲストが「アンタッチャブルの漫才を見たい」と言いだすも、一回目のフォーリンラブのバービーから始まり、ハリウッドザコシショウコウメ太夫といった山崎以外の芸人が出てきて、柴田と漫才をするという流れがすでに出来上がっている。もちろん、アンタッチャブルの漫才ではないものの、柴田のツッコミが上手すぎるせいで、きちんと漫才として成立してしまう。そして、散々笑った後に、その反動で、やっぱりアンタッチャブルの漫才を思い出して切なくなってしまう。
この回も同様の流れになったが出てきたのは俳優の小手伸也だった。山崎の衣装のように白シャツに白いネクタイを纏った小手はきちんと山崎に似ていて、その地味な完成度の高さに笑いながらも、だよなあ、と諦めた。
 しかし、漫才を始めた二人だが、どうにも小手の歯切れが悪い。最終的には、小手はネタを飛ばしたあげく、「ドラマの合間で来てて、僕も大変な時期」と不貞腐れてしまう。それから漫才を続けるも、スタジオでも笑いは起らず、業を煮やした有田が「小手さん、もういい、いい。もういいですわ。ドラマの合間に来ました、みたいな中途半端な気持ちでやるんだったらもういいですよ、帰ってくださいよ、やる気ないんだったら」と小手を叱り、小手は帰ってしまう。スタジオは重い空気に包まれるが、「もう一回やります?」「一応最後までやりましょうよ」という柴田の言葉と、全力解説員のフォローもあって、「俺も言いすぎたわ」と反省した有田が小手をスタジオにもう一度呼びに行く。
 待っている間、柴田は、「そんな番組じゃないんだから。楽しくやってる番組なんだからさ。まじで。汗びっしょりかいてさ。楽しく帰ればいいじゃん」と言いながら、洋服を整えて、有田と小手を待つ。
 スタジオに戻ってきた有田と小手を見て、柴田は、「うわぁーっ」と叫んでサンパチマイクをつかみながら倒れる。それもそのはず、有田が連れてきたのは小手ではなく、本当の相方である山崎だったからだ。
 柴田は「バカ、ダメだってお前。ダメだってお前、まじでー。ダメだって。ダメだ、違う違う、バカ、ダメだって。違うって。マジで!?」と叫び続け、サンパチマイクを持ってスタジオをうろうろしながら、「ちょっと待って、これ本当に!?お前マジで。おいおいおいおい、ちょっと待てよ。こんな出方あるか。」と叫び続けるも、本当にこれからアンタッチャブルとして漫才をやると悟って腹を括った柴田は、「ちょっと本当に、この番組でやんの。おっしゃあ!!」と雄たけびを上げ、サンパチマイクをセンターにセットし、ジャケットを脱ぐ。
 「いや、ありがたいですねぇ~」
 「ありがたいね」
 歳月の重さを感じさせないほどに軽く、よくあるトーンで始まった漫才は、非凡で、圧巻で、迫力があって、誰も太刀打ちできないほどに強い、あの頃の無敵で唯一無二の漫才だった。何度も何度も見たネタなのに、10年の空白があったのに、進化すら感じさせられた。
 「アンタッチャブルの漫才の台本はペライチ」「袖で出番直前まで後輩芸人をいじったりシャドーボクシングしているのに、舞台に出たら爆笑をとっちゃう」、関東芸人の間で語られる都市伝説を思い出すが、いやいや、漫才に集中しなければと、頭を振る。
一分ほどネタを進め、程よく区切れるところで柴田が「いい加減にしろ」と漫才を終わらせようとするも、山崎は「いやいやいやまだまだまだ。まだ終わりませんから。」と、お辞儀をしていた柴田の頭を引き上げ、すぐさま漫才を再開させる。グッと来た。結局3分半ほどネタを披露した。漫才の合間に挟まれる有田の笑顔がまた何よりもたまらなかった。
 小手がスタジオからいなくなりそうな展開になったこと、番組の予告で流れていた本当に驚いている柴田の映像がまだ本編で流れていないことからも、これは本当に山崎が出てくるのかという疑念を完全には払拭できないでいたが、まさに小手の代わりに出てきたのは紛れもなく山崎で、その瞬間にアンタッチャブルが画面に揃ってしまった。
 10年近く止まっていた時計が動き出した。
 漫才でひとしきり泣き笑いしたあとに、「え、まじでアンタッチャブル復活したってことでいいの」「いや、漫才の面白さ変わらなすぎじゃない」「なんでこんなにスイングしあってんだよ。」「有田哲平かっけえよ」「シカマンの最終回、よろしくお願いします!」と様々な感情に心が揺さぶられていると、番組はいつものようにさらっと終わっていった。
 本当にアンタッチャブルは復活したのだ。今この瞬間から、「アンタッチャブルを生で見たことがない」から、「アンタッチャブルをまだ生で見たことがない」になった。
 二人が再結成をするのなら、有田哲平のもとで、と常々思ってはいたけれども、考えうる限り最高の復活劇だった。柴田は「この番組で!?」と言っていたが、この番組しかなかった。
 有田はいつから仕掛けていたのか。 
元号が変わったから。十年経ってしまう前に。この日のために、相方の偽物と三回も漫才をさせたのか。もっといえば、信憑性が低そうな週刊誌から漏れたというところも、有田が本当に待ちわびている人達に向けてのメッセージとして、わざとリークしたではないのかとまで深読みが出来る。
 それだけじゃない。山崎が出てくる直前に流された『犬神家の一族』のパロディ映像にはスケキヨが一瞬映っていたが、スケキヨといえば、青沼静馬との入れ替わりであり、小手と山崎の入れ替わりとかけていた可能性もあるといった、番組内に散りばめられた情報への考察は止まらない。
 その深読みと考察の余地こそが、有田が『有田と週刊プロレスと』で熱く語っていたようなプロレス観そのものだろう。
 何より嬉しいのは、柴田に悲壮感がないことだった。
 柴田にも色々なことがあったが、そのために世間的には評価が地に落ちたことは否定できない。それでも、正式に復帰して以降、一つ一つの仕事で結果を出してきた。事実、この番組でも、山崎が出る直前まで、柴田はひとりでガンガンに笑いを取っていた。そもそもこういうことになってしまったのも、柴田自身が蒔いた種のせいかもしれないが、それでも腐らずに笑いを取ってきたということをファンは知っているからこそ、みんなは素直に嬉しさを爆発させることが出来た。それは、奇しくも、漫才が始まる直前の柴田が言った「汗びっしょりかいてさ。楽しく帰ればいいじゃん」という言葉が表すものそのものだった。
 その日の夜、三時過ぎまで眠ることが出来なかったので、いったん起きて、ブログの記事を一気に書き、「おかえり、アンタッチャブル」とタイトルをつけてアップした。そのリンクを、ツイートすると、同じように信頼している深夜ラジオリスナーが少し前に「おかえりアンタッチャブル」という記事を更新していた。そりゃあ、この言葉しかないんだから、そんな偶然もあるよな、と思いながら、その文章を、うんうんと頷きながら読み、とりあえずの気持ちを吐き出した安心感からかすぐに眠りに就くことが出来た。
 翌朝起きると、高校の同級生から、「脱力タイムズ見た!?」というLINEが入ってきたことで、昨日のことが夢じゃないことを確認した。友人は、「記事も知らなかった」、「Twitterもやってない」、「番組の後のニュースも見てない」、ただ、毎週のルーティンとして起きてすぐ土曜日の朝に録画を見たら、アンタッチャブルが復活したという、羨ましいほどに最高のコンディションで見ることが出来たようだった。
 日曜日の『THE MANZAI』までに何度も何度も番組の録画を再生しながら、ラジオ聞きとして、このニュースへの芸人仲間の反応を見聞きしたが、何より、伊集院光の『深夜の馬鹿力』と爆笑問題の『爆笑問題カーボーイ』は、やっぱり良かった。いつだって重要なニュースについて「月曜日はさらっと、でも深く、火曜はじっくり笑いを交えて話してくれる」という持論があるが、まさに、その通りで、伊集院は事前に知っていたという話をしながら笑いを交えつつ、この件について短いながらも触れてくれたが、そのなかで何より嬉しかったのは、伊集院の口から「俺がアンタッチャブルに望むことは、シカゴマンゴの最終回やったほうが良くない?っていう。多分。ふわって終ってる気がするんだよね」と『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』の本当の最終回を放送することに言及してくれたことだった。『爆笑問題カーボーイ』は、『THE MANZAI』の楽屋話をたっぷりとしてくれた。柴田に出会ったときのことを太田は、「『おい、お前なんだよ、この間よぉ、ふざけんなよ馬鹿野郎』『いや、もう勘弁してくださいよぉ』って言ってんだけどさあ、もう嬉しそうなんだよ、柴田がとにかく。とにかく嬉しそう」と振り返ったが、それを話す太田の声も嬉しそうだった。
 そこから、そのことはさておいて、『全力!脱力タイムズ』で柴田は山崎が登場することを知っていたのかどうかで爆笑問題の二人でケンカが始まるところや、ほかの芸人たちに、アンタッチャブルの楽屋に連れていかれたら、アンタッチャブルに向かって「お前らなあ、ふざけんなよ、こうやってちやほやされるの今だけだからな!」と言ったら、サンドウィッチマンを始めとしてその場にいた芸人たちに、「なんでそんなこと言うんですか!」と総スカンを食らったというのは太田らしくて最高だった。
 人生の伏線を回収したのは、アンタッチャブルの二人だけではなかった。東京03の飯塚もそのひとりだった。『ゴッドタン』で過去に番組の企画の中で「アンタッチャブルは俺の夢だったんだよ」と柴田にキレていたことがあった飯塚は、たまたま復活直後に『佐久間宣行のANN0』にゲストで出演することが決まっており、その回では当然、佐久間と飯塚でアンタッチャブルの話が始まった。飯塚は『全力!脱力タイムズ』放送時は、東京03の単独ライブで大阪にいたので、リアルタイムで試聴することが出来なかったため、次の日の朝にTVerで番組を見始めたら、「山崎出てきて、フリスクのボケやってる一発目、あのボケ見たらぼろぼろぼろって涙出てきちゃって、あ、駄目だ俺もう今これ見終わったら、自分達の単独どこじゃないと思って、一回辞めたんです」と話してくれた。そこから、養成所時代からアンタッチャブルを見てきているが、すべっているところを見たことがない、絶対売れると思っていたので、「アンタッチャブルは俺の夢だったんだよってのは、ほんとに全然大袈裟でも何でもなく、ほんとの思いなの。だから柴田なにやってんだよって思いが強かったの」と話す。
 飯塚はそう言うが、そもそも、おぎやはぎから始まった、アンタッチャブルキングオブコメディドランクドラゴン、もちろん東京03を含んだ人力舎勢のゼロ年代における躍進こそが、カウンターカルチャーと言ってもいいくらい血沸き肉躍るほどの熱狂に値するほどのお笑いファンの夢だったはずだった。
 柴田がレギュラーとして出演している文化放送の『なな→きゅう』では、『全力!脱力タイムズ』での思考の流れや心境をしっかりと語ってくれた。
 例えば、漫才を始める前に、山崎に向かって「ありがとうございます!」と一礼したことについては、「ありがとうございますは、あんま記憶にないけど。何で言ったのか。VTRで、自分で見て確認したけど、いや、本当にありがたいと思ったんじゃない、多分。ここを選んでくれたこと、そして俺に言わないでこう、それをやろうと、本人のほうが大変じゃん、俺はもう番組あたまから出ててさ、アイドリングも出来てるけどさ、本人緊張するでしょ、さすがにあそこから出てきて笑わせますみたいな感じ。まあそういうの含めてじゃない。あとは、その関係各位に。ご迷惑をかけた人たちにだよね。のありがとうございますだよね、それは」と語る。
 そして、小手の代わりに出てきた山崎を見た瞬間については、「何をやらされるんだろうなみたいな感じだったけど、瞬時に気付いたけどね、山崎出てきて、ここで漫才を一回やって、これから復活してくのかしら、俺たちは、みたいな。俺も半信半疑だからね。」と考えたという。
 この復活劇については、番組の構成作家が自分たちも知らなかったという旨のツイートをしていたように、人力舎の社長とマネージャー、番組スタッフの中でも数名、そして有田哲平しか知らなかったという証言も得ることが出来た。
 そして、『THE MANZAI』である。二時間ほど引っ張られはしたものの、こっちは10年近く待っていたわけなので、そんな時間はロスタイムみたいなものでなんともない。
 ネタは「神対応」。『全力!脱力タイムズ』のネタとは違って、どこまでも会話が噛み合わない柴田と山崎、でもやっぱり強くて面白くてスイングしていて歯車がガッチリ噛み合った漫才だった。
 復活して以降、ずっとアンタッチャブルのことを考えていたのだけれど、記憶の扉を一番こじあけてきたのは、この漫才に出てきた『M-1グランプリ2004』に優勝したときのアンタッチャブルが獲得した点数「673点」というワードが出てきた瞬間だった。この点数は、『シカゴマンゴ』でも散々こすられてきたもので、一気に他のラジオでのネタが脳の中で繋がっていった。「柴田谷繁」「磯山さやか」「いいじゃな~い」「まあまあまあ柴田さん!」「ピンクたけし!」「二回こく」「ネツリーグ!」「粋な噂をたてられた~」「腕折れてもうたやないか!」・・・・・・。
 10年待ったのだから我がままくらい言っても良いと思うが、『シカゴマンゴ』の最終回を聞いて、山崎のボケに柴田がこらえきれず倒れ込んで床を叩いてつっこむのを見た時が、本当の本当の意味での「おかえり、アンタッチャブル」を言うことにしたいと思う。その時に、また少し泣くだろう。
 これらの復活劇をテレビで見ているであろうあの人はきっとこうツッコミを入れたことだろう。「どんだけ待たされたんだよ。俺はあみんか!」