石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

『M-1グランプリ2019』はなぜ、過去最高の大会と言われているのか

 一文なし、参上!
 『M-1グランプリ2019』の感想を言い合う友達がいないので、感想ブログを書きました。
 今年の『M-1』の目玉は何といっても、ファイナリストが一気に入れ替わりを見せたということで、ネタを見た事ないコンビも何組もいて、それだけで、『爆笑オンエアバトル』くらいしか情報がないころの『M-1』初期のように興奮させられ、絶対面白い大会になるし、荒れるぞ!となっていました。
 実際、最高の大会でしたね。それでは感想スタートです。


1.ニューヨーク「ラブソング」
 全く日の目を見ることが出来ない下積み時代というのはもちろん苦しいだろうが、すぐ売れると言われながら、どんどん同期や後輩に先を越されるのも、それはそれでつらいのじゃないだろうか。ニューヨークはそういうイメージがある。もちろん、ネタも面白いし、可愛げもあるように思えるがいまいち世間にそれが伝わらないという感じだったが、ここにきてやっとの賞レースのファイナリストとなることが出来た。
そして、それを一番喜んでいるのは大会のスタッフではないだろうか。「持ち味は毒と皮肉。しかしそれがどこか憎めない、いやどこか痛快なのだ。さあ、一世一代のショーの幕開けだ」という紹介VTRのナレーションからはそう受け取れるし、炎上するようなことを言うかもしれないけれど多めに見てよと言わんばかりの愛のある事前フォローのようでもある。
 ネタは、「ラブソング」。嶋佐が、オリジナルの歌を歌い、それに屋敷がつっこんでいくという比較的オーソドックスなネタ。そんなネタだからこそ、ニューヨークの悪意を存分にまぶしてほしかったのだけれども、残念なのは、「オシャレ好きだけどダサい奴」のようなニューヨークの針の穴を通すようなコントロールを持った悪意がまろやかになっていて、悪いな~というよりは、悪意を拾いに行ってしまうような見方になってしまっていたところで、そこで物足りなく感じてしまった。歌に入るまでも少し長い気がして、いつネタのギアがあるかを待ちすぎてつんのめってしまった。

 ニューヨーク、こんなもんじゃないってところをまた見たい。
ダウンタウンの松本に、「最悪や!」と不貞腐れたところや、敗退することが決まったときの「youtubeやってます!」とかめちゃくちゃ笑いました。
しかも、その後のファイナリストのツッコミのキレ具合が上がったと考えると、このやりとりで、他のネタの熱が増したこともこの大会が最高になった理由の一つなんじゃないかなとも思わずにはいられない。
 好きなくだりは「ちゃんとご飯食べてるの、たまには実家帰ってきなさい」「お母さんでした!」

 

2.かまいたち「言い間違い」
 ニューヨークの紹介VTRと比べると、かまいたち二人の身長について話していて、書くことなかったんかなと思いつつも、逆に言えば、かまいたちが面白いことはもう周知の事実だからなのかもしれない。
 ネタは、山内が「USJ」を「UFJ」と言い間違えるネタ。本来であれば、軽い言い間違えというツカミ程度のボケにもかかわらず、それで4分走りきるという、握力が花山薫くらいあるから胸倉掴まれてそのままブンブン振り回されたみたいな、かまいたちだからこそ体現できるようなすごいネタだった。
 山内が「USJUFJ言い間違えたのが俺なんやとしたら、俺なんで今こんな堂々としてる?」と自ら言うように、どう考えても、逃げ切れない状況を逃げ切って、途中には濱家を困惑させるまで持っていって、最後に最初の話に戻るという美しさ。
 台本上の上手さとして、最初に山内が「UFJ」と言った後に、濱家も「UFJ」ということで、濱家が「UFJ」と発言したというアリバイを作ったことと、「さらせよ」を「サランヘヨ」と言い間違えることで、山内は言い間違えるし、それを人になすりつける人だということをかぶせて印象付けるところであり、やっぱりよくよく練られているのだけれども、それよりも、昨年よりも、システマチックになりすぎておらず、ネタを見ているというよりは、会話を聞いているという気持ちよさが勝って、その点でも昨年より、めちゃくちゃ最高の漫才という感じがしました。
 そして、この漫才に立川志らくの点数は95点と高得点を入れていたのを見て、後出しじゃんけんのようになってしまうが、やっぱりな!と思った。それは昨年の立川志らくかまいたち評を思い出しながら、見ていたので、上手さよりも面白いと感じたからだった。そんな、昨年に出来た志らくかまいたちの因縁を踏まえたうえでの、志らくの「参りました」には不覚にもグッときてしまった。
 そんな志らくは、大会後にこうツイートしていた。「怯えと自信の共存とは。私の持論。自信が10の芸は鼻に付く。怯えが10の芸は見ていられない。自信が怯えを少しだけ上回った芸こそが魅力的な芸。去年のかまいたちは自信8怯え2。今年は自信7怯え3。」と自分が感じていたことを言語化してくれていた。
 好きなくだりは、濱家が舞台を大きく使うところと「もし俺が謝ってこられてきてたとしたら、絶対に認められていたと思うか?」

 

3.敗者復活枠・和牛「内見」
 今までの和牛はひとネタで0.7本のネタを2本やっているような感じで、ネタの途中で、お腹減っているからご飯食べたのに箸を動かすのがめんどくさいっていう状況になっていたのですが、今回は、0.5本のネタを2本やったようなシャープさで、とてもすっきりして良かったです。
 川西の「なんか始まってるぅ?」での漫才コントに入るのも、すっきりするための発明だと思います。
 中盤に内見に連れてこられた家に人が住んでいるというボケが4つ続くのだけれど、そこから出る時に言う「おじゃましました」が、「水田のみが言う」、「水田川西二人が言う」「川西が水田に言う」「次の展開への導入になっている」ときちんと4パターンになってるのは美しすぎます。
 好きなくだりは「お前住んでるやろ、ここぉ」からの「この部屋なんですけど、おしっこするとき座ってやらなダメなんですよ」

 

4.すゑひろがりず「合コン」
 『M-1グランプリ』において、博多華丸・大吉の大吉が、とろサーモンに決勝票を投じた理由に一番ツカミが早かったからと答えたことで、ツカミ問題というのが新たに出てきたと思うが、そういう意味では、このツカミを大会史上最速で行ったのは、すゑひろがりずだった。
 舞台上にあがってきて、階段をおりてセンターマイクに向かう、すゑひろがりず。ここまでは普通だが、出囃子のFatboy Slimの『Because We Can』に合わせて、南條が小鼓を叩いていたところで一気に引き込まれてしまった。子供が寝ているので、イヤホンで見ていたのだけれど、あまりに綺麗にマッシュアップされていた。
 作りについての話をすると、パックンマックンオリエンタルラジオ、××CLUBのように全編英語漫才というのは前例があるが、その場合は、観客は英語を翻訳しながら漫才を聞いて笑わなければならないので、英語は中学生レベルでなければ伝わらないし、またやりとりそのものを凝りすぎてしまうと、ネタが渋滞してしまうので、日本語でやる漫才よりは発想をやや抑えなければならない。
 古語漫才と言うべきか、すゑひろがりずの漫才は、それら英語漫才と同様に、合コンという分かりやすい設定に落とすことで、ネタを理解させ、見た目のギャップでも笑わせるという仕組みになっている。
 序盤の「なんぞご用で」「大吟醸をひと樽。ならびに枡四つ」「心得ました。さすらば店の者を呼んでまいります。」「お主は誰そ」「(ぽん)」なんて、現代語に訳したら、ゼロ年代に何万回も見たくだりだけれども笑ってしまうものになっている。
 そして、ネタが進むにつれて、観客がすゑひろがりずのシステムを理解していくことで笑いが増していく。そこに、合コンでのゲームとして、「お菓子の銘柄」で山手線をやり始めるが、ここからは、「故郷の母」が「カントリーマァム」、「寿返し」は「ハッピーターン」というようにクイズが入り、また違った楽しみが入ってくる。そしてさらに転回し、見事に飽きさせない漫才を見せてくれた。
 ファイナリストとして初めてそのビジュアルを見た時から、絶対に面白いと抱いていた幻想に負けないほどの面白さでした。ファイナリストの中で、一番タイタンライブに出てほしいグランプリでは堂々の一位でした。
審査員コメントとしてのサンドウィッチマン冨澤の「どう見たら良いんだっていうのはあるんですけど。僕は正直、漫才は何でも、笑わせればありだと思っているんで、あの、彼らが上位に行って、ちょっと漫才をぶっ壊してもらって、また新しいものを作り出してほしいなって」という言葉は、ある意味、大会後に出るであろう「こんなのは漫才じゃない」という論に対しての牽制でもありとても優しい理解者にもなっていた。このように、今回の審査員は基本的には審査員である前に、理解者、解説者というところもしっかりと前面に出ていて、とても良かった。
 好きなくだりは「それ、中尊寺!(ポン)」

 

5.からし蓮根「運転免許」
 昨年の敗者復活戦に出場し、今年ファイナリストになったのは、インディアンスとからし蓮根の二組だが、着実に実力をこの一年で上げてきたということがわかる。まだ20代半ばながら、からし蓮根は、場の空気に飲み込まれることなく、ネタを披露していたのだけれども、その反面、小さくまとまってしまっているような気もしました。漫才がオチに向かって一直線な感じがして、もっとストーリー的に右往左往してほしいなと思ってしまいました。
 漫才の技術やネタの構成でいえば、同年代では最高峰に、霜降り明星にも引けを取らないと思うのだけれども、だからこそ、舞台からいなくなる、教官を轢くところのような、トリッキーな笑いどころを望んでしまいました。
 もっと、熊本弁を出しても良いし、伊織の怖さをもっと出すなどして、予定調和なスカシではないノイズのようなものを入れた方が引っかかりが出来るような気がしました。
 好きなくだりは、教官を轢くところ。

 

6.見取り図「褒め合い」
 お互いを褒め合うという流れから、ラップのフリースタイルバトルを漫才に落とし込んだような漫才。ぱっぱぱっぱと掛け合い、それでもきちんと笑いをしっかりとる重めのワードをハメて行く。リリーでも盛山でも笑うという気持ちいい漫才でした。ただ、要は見た目大喜利なので、もっと内面をえぐるような、ゆさぶりが欲しかったです。

 ナイツ塙が盛山に、凄い細かいことなんですけどと前置きをしたうえで「手の動きが気になっちゃて。手が凄い動くんですよ、漫才中。髪の毛かきあげるのはしょうがないんですけど、鼻を凄いいじっちゃったりとか」と指摘していたのを聞いて、確か、オール巨人とかレベルの師匠が、博多華丸・大吉に漫才の間、「足の動き見とけよ」という指導をしたことを思い出しました。
 視覚的な情報として、意識の中に入らないとしても、観客の集中を散らしてしまうということでしょうか。
 好きなくだり「マラドーナのはとこ」「激弱のバチェラー」

 

7.ミルクボーイ「コーンフレーク」

 何よりこの漫才が面白くて興奮させられたのは、漫才の一番の醍醐味であると言っても過言ではない、知らない人の面白い会話を盗み聞きしているという気持ちよさに溢れていたからで、そしてそれは『M-1グランプリ』においては、ブラックマヨネーズにまで遡らなければならないほど、長いこと空位となっていた。そんな凝り固まってしまっていた部分を、ぐりぐりと推されたら、一気に血のめぐりがよくなったというわけだ。
 「オカンが好きな朝ごはんの名前を忘れた駒場のために、内海が一緒に考えるから、駒場からその特徴を聞き出す」という設定で始まった漫才は、駒場が特徴を「甘くてカリカリして牛乳とかかけるやつ」と伝えると、内海が「コーンフレークや」と答える。観客もその認識があるので、それだそれだとストレスなくネタを聞き続けることが出来る。内海の答えを聞いた駒場が「オカンが言うには、死ぬ前の最後のご飯はそれで良い」と言っていたという情報を伝えると、「ほな、コーンフレークとちがうかぁ。人生の最後がコーンフレークでええわけないもんね。コーンフレークはね、まだ寿命に余裕があるから食べてられんのよ」と否定する。そこからシステムを理解した観客は、右、左、右、左と視線を動かし、二人の会話に聞き惚れる。
 国民のほとんどが認識しているけれども、詳しくは知らないという存在であるコーンフレークに漠然と抱いている違和感や偏見、二人の悪意によってどんどん言語化されて暴かれていくのは、新たな快楽すらあった。
 この漫才の一番すごいところは、後半で「コーンフレークではない」と駒場が完全に否定するというところで、少し間違えれば「じゃあ、今までのやりとりは何だったんだ」と思ってしまいそうだが、これまでにミルクボーイが作り上げた空気は壊れなかった。その後の「申し訳ないな」というのもとても良い。「何言うてんのやろ」じゃなくて「情報出すの遅くて申し訳ない」ってことだと思うのですが、会話のリアリティがここにある。リアリティで言えば、駒場の、オカンから聞いた情報を思い出し思い出し喋っているぼそぼそとした話し方もそうで、それは、どこか、バナナマンの名作コント「seicretive person」での設楽統の演技のようでもあった。
 点数は、681点と、大会史上最高得点を獲得。
 大会史上最高得点といえば、アンタッチャブルの673点であり、アンタッチャブルが散々ネタにしていた点数でもあるが、そんなアンタッチャブルが復活した年に、点数が塗り替えられたというのは、いくらなんでも出来過ぎている。
好きなくだりは「あれは、自分の得意な項目だけで勝負しているからやと睨んでいる」と「コーンフレークは生産者さんの顔が浮かばへん」

 

8.オズワルド「先輩との付き合い方」

 おぎやはぎポイズンガールバンドを彷彿させずにはいられないオズワルドの漫才は、理論上は伊藤と畠中がきちんと会話できているはずなのに、畠中が会話からはみ出たときに伊藤が優しく本筋に戻すなかで幾つも生じる細かなずれが積み重なって、いつのまにか知らないうちに遠くまで連れてこられてしまう。そんな、先輩に可愛がられるための話を聞いていたはずなのに、いつのまにか、バッティングセンターで寿司を打っているという話になっていたという最高なローテンポな漫才。オズワルドは何本かネタをマイナビラフターナイトで聞いていたのですが、今回が一番笑った気がします。何度聞いてもじんわり面白い。
 中川家の礼二が「しっとりした感じって結構そのままハマらんパターンって多いんですけど、後半に尻あがりにウケテいったんで、これがやっぱ凄いな」と評していたように、伊藤が大きな声を出すのを後半まで溜めていたのも好きなところだ。
大声といえば、畠中が「え!」と大声を出して、話の流れを変えるのは、時間も省略出来るし面白いのでこちらも発明ですね。
 何より嬉しいのは、オズワルドが入る余地が『M-1グランプリ』に出来たということです。やはり、こういうイリュージョンを体現している漫才師はどうしても、テンポが遅くなってしまうので、これまでの『M-1グランプリ』では、どうにも厳しい状況に立たされていたと思うのですが、そういう意味では、オズワルドが決勝に上がれるのであれば、タイタン所属のキュウやまんじゅう大帝国もネタ次第ではファイナリストになる可能性も出てくると思えて興奮してしまいます。事実、オズワルドは、まんじゅう大帝国を見て、スタイルを変えたという情報を見かけました。
 好きなくだりは「板前ってどこを見て板前かどうか判断してるの」「昨日いたかどうかだろ」と、「回転寿司なってんな」「なってねーよ」からの「それは分かってるんだってさー」

 

9.インディアンス「おっさん女子」
 去年ファイナリストになってもよかったインディアンス。最初からギアがマックスでインディアンス爆発していたんですけど、大爆発とまでは思えなかったのは、面白さが知られているからこそなのかもしれません。
語り過ぎるのも野暮なので、こんな感じで。
 好きなくだりは「すいませーん」「いや思てたんとちゃう」

 

10.ぺこぱ「タクシー」

 割合オーソドックスな、タクシー運転手とお客という設定なのだけれども、二人のキャラとしての魅力がそれを上回る漫才だった。立川志らくの「最初見た時はね、私の大嫌いなタイプの漫才だと思っていたんだけど、どんどん好きになっていった」というコメントのように、見た目からその実力を低く見積もられそうな二人だけれども、タクシーに轢かれたあとの松陰寺の「二回もぶつかるってことは、俺が車道側に立っていたのかもしれない」あたりから、観客が二人を受け入れ、「キャラ芸人に、なるしか、なかったんだ!」で好きになっていたという、これはもうキャラ芸人として最強ということではないでしょうか。
 しゅうぺいのボケも、めちゃくちゃ面白すぎるというわけではないのだけれども、紹介VTRの通りトリッキーで、特に、何の脈略もない「急に正面が変わったのか」には、ひっくり返されました。漫才の断面図を初めて見た。
 上沼恵美子が「10組も見てくると疲れてくるですが、また活性化されました」、ダウンタウンの松本が「ノリつっこまないボケっていうかね、だから、新しいとこ突いてきましたよね」とコメントしていたように、大会の中で、オズワルドからインディアンスという流れで、漫才のジャンルを一周したかに思えたような状況で、まだこれがあったかという新しいものを見ている楽しさに溢れていて、そういう意味では、最後にぺこぱが登場したというのも効果的だった。この出順でなければ、和牛へのジャイアントキリングを成し遂げた一因ではないだろうか。
 加えて、狙ってか狙っていないのか、ノリつっこまないことで既存の漫才への批評になっているばかりか、「働き方改革って法律でどうこう出来る問題なのか」と風刺もしている。
 ネタ後の「エムワン、はじまるよー」、面白すぎませんかね。しゅうぺいは稀にみる「0点。だから100点!」という逸材ではないでしょうか。
 好きなくだりは「激しいヘタも付いている」からの「うるせえ、キャラ芸人!」「キャラ芸人に、なるしか、なかったんだ!」

 

最終決戦1組目・ぺこぱ「電車でのお年寄りへの対応」

高齢化社会」が題材であったり、「漫画みてーなボケしてんじゃねーよ。っていうけど、その漫画ってなんですか。もう適当なツッコミをいうのはやめにしよう」とやはり、風刺であり批評的というエッジを、二人がまろやかにした漫才。優しい気持ちで漫才を見ていました。
好きなくだりは「漫画みてーなボケしてんじゃねーよ。っていうけど、その漫画ってなんですか。もう適当なツッコミをいうのはやめにしよう」

 

最終決戦2組目・かまいたち「人に自慢できること」
 人に自慢できることとして、産まれてから一度も『となりのトトロ』を見た事ないということをあげる山内が、濱家の否定をことごとく交わしていく。辛くも優勝こそ逃してしまったものの、昨年の面白さだけでは説明できない何かの殻を破ったかまいたち凄すぎましたね。
 好きなくだりは「俺のトトロ見た事ないは、今からじゃどうにもなれへんよ」

 

最終決戦3組目・ミルクボーイ「最中」

 すでに観客はミルクボーイの漫才のシステムを知っているので、22秒という短時間で、オカンが分からないものを一緒に考えてあげる時間に入った。ミルクボーイのこの漫才のシステムは、仕組みを知られていたとしてもそこまで不利になるものではない。逆に、一本目よりも内海と駒場のやり取りが多く、かつ、「最中の家系図」など想像を発展させた遊びのような笑いも織り込まれているものが増えて、まさに、一本目をミルクボーイの基礎とするなら、応用編として、さらにがっつり笑える漫才になっていた。また、一本目は、コーンフレークに対する悪意と偏見というクリティカルなものに対して、二本目は、おかしの家の施工や、家系図という全くのウソの話になっていたのも細かい変化だった。
 実際に、そのやり取りの回数を数えてみたところ、一本目は、特徴を聞き出すまでが35秒、「コーンフレークやないか」「コーンフレークちゃうやないか」のやりとりは10回だったが、「モナカやないか」と「ほな、モナカとちゃうやないか」のやりとりは13回だった。
 ネタで最中を何度も何度も聞かされているなか、「こうやって喋ってたら食べたなってくる」「ほな最中とちゃうやないか。だーれも今、最中の口なってない」というくだり瞬間、頭殴られたかと思うほどに衝撃を受けました。
好きなくだりは「最中のほうがテレビ出てるか」と「だーれも今、最中の口なってない」

 同じボケ、同じツッコミを繰り返すというのはよくあるけれど、このように、同じことを肯定と否定でひっくり返し続けるというのは他にないのではないだろうか。

 

 『M-1グランプリ2019』は、こうしてミルクボーイの優勝で幕を閉じたわけだが、インターネットで感想を見てみると、今までの大会で最高だったという感想を多く見かけた。個人的には2004年が不動の一位なのだけれども、確かにそう言われても何の異論もないほどに素晴らしい大会になっていた。
 ではどうして今大会が、ここまで満足度が高いものになったのか。
もちろん、ネタが全組面白かったことだけでなく、出順が芸風に即した流れを作っていたなど様々な要因があると思うのですが、一番大きな理由は、ネタの幅が広かったということではないだろうか。明らかに、準決勝までの審査員他、スタッフから、手数重視からの脱却という明確な裏テーマがあったんじゃないかなとも思えてしまうほどに、昨年までの大会であれば、ファイナリストにはいなかったような漫才が多いように感じた。
 例えば、すゑひろがりず、オズワルド、ぺこぱがそうであり、よしんばファイナリストに残っていたとしてもよくて一組なんじゃないかと、勝手に判断してしまうほどに、『M-1グランプリ』を見る脳が、ともすれば競技的とも揶揄されるような、ボケとツッコミの応酬がギッチギチに詰め込まれた漫才が勝ち上がるという固定観念に縛られていた。
 しかし、実際には、それを覆すほどの多種多様な漫才が出てきた。
 だからこそ、それが満足度の高さに繋がったんだと思います。
 また、あまり気が進まないのですが、ペコパやミルクボーイが上位になったことで生じた「誰も傷つけない笑い」にまつわる話がまたむしかえされていたことにも一応触れておかないといけないと思います。
 この話は、賞レース後に起るトピックの一つで、風物詩みたいなものなのですが、逆を言えばそれのみを判断基準としてお笑いをチェックする人たちが、そう言い始めるのですが、それは賞レース直後にしか起らない。ということは、彼ら彼女らは、賞レースしか見ておらず、お笑いにお金も労力も時間もかけていないわけです。
 これはまさに「お笑いのない世界に住んでる人が、たまにお笑いのある世界に降りてきては傷付けない笑いを拾ってありがたがっては、またお笑いのない世界へと帰っていく。」状態なので、彼ら彼女らは、どこか他人を傷つける笑いで笑っている人達、またはそういうネタを作る人たちのことを利用して、自分達の考えが新しいモノであると確認したいだけなんです。自分達の視点が正しさという一点しかもっていないにも関わらず。
 「イッキ」を取りこんだネタが全く問題視されていないところを見ると、本当にバカなので、答えは沈黙に限るんですけど、そんな彼らよりも、他人を傷つける笑いでも笑える人たちは基本的には優しいし、そんな我々よりも、人を楽しませたいという業を背負った芸人は一番優しい人種なので、少しずつ世間の空気を取り込んではいきますので、確かに、差別的、暴力的な笑いというのはライブであっても受けにくくなっているのは現状ではあるものの、それは新しい考えでは決してないし、あいつらから啓蒙されたものではないということは強く言っておきます。まあ、どうせ、ここまで読んでねえだろうけど。
 だから、別にニューヨークや、見取り図で爆笑して、これからお笑いにハマるような中高生は何も間違っていないということを強く言っておきたいです。
だから、誰も傷つけない笑いがそれがために上位に食い込んだのではなく、正しくは、結果的に誰も傷つけなかったと推定できるようなほのぼのとしたネタが入ってくるように、多様性がある大会で、そのネタがその日の出来が良くて面白かったから上位に食い込んだ、なんです。
 ちなみに、大林素子、今年はいないのかーとお嘆きのみなさん、実は観客席にいましたので、探してみてください。
 それでは、よいお年を!(ポン!)

 

 

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