石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

芽むしり的テン年代ベストネタ10

 もう少しで、テン年代も終わりです。個人的な「テン年代ベストネタ10」を考えてみました。なお年については、ライブなどでの初出の年でなく、基本的にはメディアにて、かけられた、もしくは初めて見たもののとなっています。順は不動です。

 

1.ラブレターズ「野球拳」(2016)
 思えば、その時々の気持ちの大きさの変化はあれど、テン年代に一番応援した若手芸人はラブレターズだったかもしれない。2011年の一月に、オードリー若林の単独のトークライブ「正しいスプレー缶のつぶし方vol.2」を観に行ったことから東京にお笑いを見に行くということが始まった。その時は、一週間以上滞在していたので、様々なライブを詰め込んだのだが、その中で出会ったのがラブレターズだった。はじめは芸能プロダクションASH&Dの事務所ライブ「東京コントメン」で、次が「どうにかなるライブつぶぞろい」というライブだった。「どうにかなるライブつぶぞろい」は、もともと別のライブをやるためにライブ会場を押さえていたが、何らかの事情でそのライブ自体が無くなってしまったのだが、そのまま何もしないのは勿体無いから、どうせなら、「別のライブをやろう」とTwitterでの呼びかけから始まったものだった。出演する芸人もTwitterで募集するという、まさにTwitterSNSのひとつとして定着しはじめた頃という感じがするライブだ。その展開の即時性に興奮したものだった。「東京コントメン」は、ムロツヨシが司会をし、夙川アトムが出ていて、アルコ&ピースがゲストだった。ライブの最後に、その当時は預かり扱いだったラブレターズが正式に事務所に所属することが発表された。
 ライブ会場に着いたはいいものの、そもそもが若手芸人が出るライブというものが初めてで、勝手も分からずうろうろしていたら、お笑いライブに慣れているであろう女性二人が、「Twitterを通してってめんどうくさいよね」的な今では考えられないことを言っていたのをやたらと覚えている。
 この二つのライブで見たのは、「大阪から来た転校生」と「じゃんけん」というネタだった。「大阪から来た転校生」は溜口が関西人に怒られるような変なイントネーションの関西弁を話す大阪から来た転校生を演じ、最後には、塚本と友達になるというハートフルなコントで、どことなく、バナナマンのコントの「バカ青春待ったなし」を彷彿とさせるものだった。「じゃんけん」は、大仰にじゃんけんをやっていた。
ラブレターズのコントに、バナナマンの匂いを感じたのは、それもそのはず、塚本はバナナマンを尊敬し、バナナマンのコントを台本に起こすことからコントづくりを始めた男だったからだ。
 その年に『キングオブコント』の決勝戦に進出、それから『オールナイトニッポン0』も始まった。単独ライブにも何度か足を運んだ。大塚の萬劇場は良い劇場だと思う。萬劇場のことを考えると、客席の真ん中の列の真ん中の位置に、何の変装もしていないピタピタの真っ白いTシャツを着た、アルコ&ピースの平子がいたことを思い出す。そんな彼らの憧れであるバナナマンにもややハマりしているという事実もあって、何度か『バナナムーン』にも出ただけでなく、今では、『日村がゆく!』ではバナナマンの日村と第七世代の架け橋もしている。
 そんなラブレターズが『キングオブコント2016』で披露したのがこの「野球拳」だ。何より、夜空にパッと咲く花火のような華々しいエネルギーを持ったコントで、ラブレターズ二人が隠れもつポップさが炸裂している。野球拳のメロディにのせて高校球児のドラマを描くという、バカバカしい、でも悲哀が詰まっている最高のコント。
 好きなくだりは「溜口のハリがあって伸びのある歌声」 

 

2.アルコ&ピース「忍者になって巻物を取りに行く」(2012)
 ラブレターズを知る少し前、『レッドシアター』で、「バイトの面接」というコントを見て、一目惚れをしたのが、アルコ andピースだ。ハスにかまえてしまうその性格から、なかなか始めてみる芸人がやっているネタにひと目惚れするということはないので、それは『爆笑オンエアバトル』でのアンガールズの「空手」にまで遡る。ネタの舞台はバイトの面接で、バイトの面接を受けている側の酒井が強気で、店長役の平子は終始、平身低頭というネタで、最後に平子がため息をつき「少子化か……」というオチで理由が分かるというものだった。
 ラブレターズが正式に所属となった回のASH&Dの事務所ライブ「東京コントメン」にもゲストとして出演していたアルコ&ピースが、そこでかけたネタは、「客引き」だった。このネタも、風俗店の客引きかと思いきや、実は献血の呼び込みだったというネタで、最後に二人して「この街では、血液が足りていません。皆さんの力を貸してください」と叫ぶものだった。より好きになった。
 その後、アルコ&ピースは、担当した『オールナイトニッポン0』の面白さや特殊性から、一部の深夜ラジオリスナーからカルト的な支持を得ていく。一時は、アルコ&ピースラブレターズが、金曜日の一部と二部に並びギャンブルフライデーなどと呼ばれるなどした。この『オールナイトニッポン0』がレギュラー化する少し前に、2012年の8月に『オールナイトニッポン0』を一度だけ担当していた。その時に平子は、『キングオブコント』で敗退したことで荒んでいて、中島みゆきの『ファイト』を流していた。それから数カ月後、『THE MANZAI』でかけたのが、「忍者になって巻物を取りに行く」だった。
 酒井が「忍者になって巻物取りに行きたいなと思って。俺忍者やるから、平子さん、白の門番やって」と一般的なコント漫才に入ろうとすると、平子が「じゃあ、お笑い辞めろよ」と返す。続けて「今俺らどういう時期だよ。ネタ番組どんどん減って、それに伴って仕事も少なくなって、それでも何くそって石にかじりついででも、この仕事やりぬくんだってそういう努力の時期じゃないのかよ。忍者になって巻物取りに行くって時期じゃないだろ!」と平子の出身地の福島県のなまりで、酒井を責めつづける。その合間合間に「忍者になって巻物を取りに行く」という言葉が挟まれる。
 そこから何度も転回をして見事な着地を成功させる。コントのトリプルアクセル
もともと、先述した「客引き」のネタのように、デッドプールよりも早く第四の壁を超える性質であったアルコ andピースのひとつの到達点のようなネタで、ネタ前に流れた紹介VTRで「学資保険とか払えなくて芸人を辞めようと思っていたところだ」と平子が泣いていたことすらも、フリとなっている。そのため、ネタの尺はそのVTRのぶん、ほかのコンビよりも長くなっているというような効果を生み出している。
 ちなみにこれと同じことをやっていたのがマイナビラフターナイトでの真空ジェシカで、マイナビラフターナイトのネタの前は、伊藤楓アナウンサーの所属事務所と名前を言った後、その芸人のコメント、そこからコンビ名や芸名を言うという流れなのだが、ここで真空ジェシカは、「プロダクション人力舎所属、川北シゲトさん、ガクカワマタさんのコンビです」という呼び込みの後の自己紹介コメントで「あの先日、医者に行ったらあと一回コンビ名を呼ばれたら死ぬって言われたんですよぉ。なんで本当に特別扱いじゃなくて申し訳ないんですけどコンビ名言わないでください。お願いします!」と言い、伊藤アナが「真空ジェシカ」とコンビ名を呼ぶ。本ネタに入ると「うぅ。(倒れる音)」「なんで!?なんでこんなことするんだよ。伊藤アナー!!」と叫ぶという、構造いじりをしていた。
 この、お笑い構造主義の最右翼に位置する真空ジェシカが先日、『マイナビラフターナイト』の2019年度の年間チャンピオンに輝いた。審査は客席投票なので、宮下草薙かが屋などの売れっ子ということを抜きにしてガチで審査して真空ジェシカをチャンピオンにする観客、チケット代を取りつつもそれと同額程度のモバイルバッテリーを来場者全員に配るマイナビというこの出来事は、何らかの社会実験か、単純に三者三様の狂気が生み出した磁場の産物なのだろうか。
 好きなくだりは、「なんでこの年の瀬に俺が城の門番になんねえといけねんだよ。俺は城の門番になるために、福島から上京したわけじゃねんだよ」。

 

3.神田松之丞「中村仲蔵」(2019)
 講釈師の神田松之丞は2020年には真打に昇進するとともに、六代目・神田伯山を襲名するので、神田松之丞としてはギリギリ滑り込む形でタイタンライブに出演したが、その時にかけたのがこの「中村仲蔵」だった。ライブビューイングという形で見ることが出来たことも、テン年代だ。
 以下は、当時のタイタンライブを見た後に書いたレポ。残しておくと便利ですね。
神田松之丞のタイタンライブエピグラフは、南条範夫の『慶安太平記』の、「どこかこの世ならぬ超然として尊貴の風姿である。その精神も肉体も、最も世俗的な野望に取りつかれていたこの男が、その外貌において、全く正反対のものを示し得たのは、彼が常にそれを意識的に習練し、後天的にカリスマ的性格を完成し得ていたからであろう。」という部分だった。
 神田松之丞が袖からのそりのそりと歩いて釈台に向かっている間、どーせマクラにタイタンライブの楽屋の弁当はどーのこーのと愚痴を入れてくるのだろうとかまえていたら、そんな助走もなく、すぐさま講談に入ったのは、とても格好良くて、ずりぃなぁとやられてしまった。
 そんな松之丞がかけたのは『中村仲蔵』。松之丞が上梓した『神田松之丞 講談入門』によると、「家柄もなく、下回りから這い上がって名題に昇進した初代中村仲蔵。『仮名手本忠臣蔵』の晴れ舞台で、当時は端役だった「五段目」の斧定九郎の役を振られる。柳島の妙見様に願をかけ、「これまでに定九郎を作る」と意気込むが、妙案が浮かばない。満願の日、雨宿りに入った蕎麦屋で、濡れそぼった貧乏旗本に出会い、「これだ!」と喜ぶ。さっそく侍の姿を移した衣装で本番の舞台に立つが、なぜか客席から喝采が聞こえてこない……。」というあらすじの講談である。
 とんでもなく良いモノをみたな、という気持ちでいっぱいになった。当時の芝居は、家柄が絶対であり、血もなく、そして才能も無いのではないかと苦悩しながら、それでも工夫でのし上がっていく仲蔵の生きざまは、現代においてはウェットすぎるほどにブルージーであるが、それだけではなく、講談という伝統芸能の世界に身を投じた神田松之丞はどこかダブって見える。『神田松之丞 講談入門』によれば、本来、「中村仲蔵」は師匠も妻も出てくるが、松之丞は、仲蔵本人の問題とするために、その二人を登場させていないという改変をしているという。
 それは、いわゆる藝柄(ニン)が乗っかっているってやつで、今後もこの神田松之丞の「中村仲蔵」のネタはどんどん変化、進化、深化していくのだろう。かつ、そこから放たれた瞬間からまた、神田伯山の物語が始まるのだとも思った。
ライブビューイングという形式で松之丞を見て始めて気がついたことだが、松之丞の太った能面みたいな顔が作るその陰影は、怪談におけるロウソクの炎のように不安定で、その揺らぎは登場人物の表情や心情を表すように千変万化し、それは表情を変えるだけでは作れない、凄みや情念などを生み出していた。これは落語でも浪曲でも能でも狂言でも歌舞伎でも、その他の伝統芸能で、効果的に使えるものではないと考えると、顔すらも講談に愛されているのかと思わずにはいられない。
 改めて、本来の時間を10分もオーバーしてもなお、密度が濃かった「中村仲蔵」は、今の松之丞でしか見られないものであったろう、そして、今後、松之丞が伯山襲名以降、名人への道をひた走るなかで、あの時見たあれ、と記憶に刻まれるものとなった。
好きなくだりは、松之丞の顔。

 

4.ジャルジャル 「おばはん絡み」(2010)
 バナナマンの「secretive person」やタカアンドトシの「欧米か」など、ゼロ年代にいくつかの名作が産まれて以降、テン年代にひとつの技術として確立した感のある、ひとつのワードで走り切るワンプッシュ形のネタの嚆矢のひとつであり、その後のジャルジャル脱構築という芸風の快進撃の狼煙ともいえるネタ「おばはん絡み」。
言ってしまえば、バスを待っているおばさんに、男子高校生が「おばはん」と言い続けて絡むという、ひとつのお題に対して様々な解答を重ねていくという構造は単純だけれども、だからこそ、そのシンプルなお題ゆえにグルーヴ感を産み出すのは容易ではない。
 タクシーを止めて、運転手に「おっさん」というというコントの奥行きを出すボケも忘れない。
 今見ても面白く、記念碑となるような一作。
 好きなくだりは「どういうジャンルの出来事やこれは」と、後藤の最後の一言。

 

5.日本エレキテル連合「未亡人朱美ちゃん3号」(2014)
 まずもってなんで売れたのかが全く分からないところから考えないといけない。本来であれば、日本エレキテル連合の「未亡人朱美ちゃん3号」は、売れるはずがないコントなのだから。
 中野演じる細貝さんが、橋本演じる未亡人朱美ちゃんを口説いている様子を見せられ続けるこのコントは、語弊がある言い方をしてしまえば、セリフをテキストにおこしてもその面白さはおそらくほとんど伝わらないし、ムーブとしての動きも展開としての動きも少ないし、リズムネタにしてはミニマルすぎるものだが、繰り返される「いいじゃあないの」「だめよ、だめだめ」には、しっかりと存在するグルーヴが何とも心地よく、終始にやにやと笑ってしまう。女性コント師二人が演じる生々しい性の駆け引きには、間違いなく狂気とエロスがベースに流れているが、そんなコントが、大衆に受け入れられているという事実こそが、俯瞰で見ると一番グロテスクでもある。
 「未亡人朱美ちゃん3号」はどうやってできたのかというと、志村けんへの憧れから志村の出身地である東村山市に住んでいた日本エレキテル連合の二人が、市内のファミレスでネタ作りをしている時に、ばばあを口説いているじじぃを見かける。じじぃの口説きに対して「そうねぇ。うーん。」と言っているサマがまるで人形の様に映った中野は、ダッチワイフにするという着想からだと以前話していたが、憧れの人と同じ街に住んだことで運命が転がり出すという、ネタに似つかわしくないほどに綺麗なエピソードもある。
 タイタンシネマライブで二カ月に一度、彼女たちのネタを見ているが、毎回外すことなく面白い。そしてもれなく狂っている。だからこそ、もはやそのレベルではないということは分かっていても、賞レースで戦う日本エレキテル連合を見てみたいということだけがテン年代に叶わなかったくらいである。
 朱美ちゃんはダッチワイフだが、人形と言えば語らなければならないのが、ゾフィーの「ふくちゃん」だ。『キングオブコント2019』でかけられた「腹話術師の不倫謝罪会見」というこのネタの本質は、記者会見という皮をかぶった公開処刑に潜む大衆のグロテスクさを浮き彫りにして茶化すというおぞましいものなのだが、それが、可愛らしい腹話術の人形がコントに出てきただけで、視聴者は誤魔化されている
 ちなみにテン年代に新しく創設された炎上賞もゾフィーの「母が出て行った」です。
このコントを見たふくちゃんならこう言ってくれるんじゃないだろうか。
 「コントって、面白いと思うことをやるものだよね。お母さんの存在価値をご飯作るだけの存在としてるってことがメインなら、お腹が好きすぎてそうなっちゃってる男の子が異常で、おもしろおかしく描いてるってことだよね。それって、常識がないと出来ないよね。じゃーぁ、問題ないんじゃない??」
 ゾフィーの上田は同い年なのだが、コント師が食えない状況を嘆いており、コント村というライブを開き、コントを盛り上げようとしている。『日村がゆく』では、「コントはこのままでは伝統芸能になる」とはからずも、落語は伝統芸能となるという立川談志と同じことを言っていたので、その熱量は推して知るべしだろう。20年代は、どうにかコント師が食えるような時代になってほしいと心からそう思う。

 

6.東京03「小芝居」(2017)
 『ゴッドタン』でくらいでしか見ることがなかった東京03が今や『アメトーーク』で飯塚悟志をフィーチャーした企画を放送、そして『ゴッドタン』にて角田と豊本をフィーチャーするという、カップリング企画まで放送できるまでになり、何らかの蓋が開いたように、東京03への世間とお笑いファンの評価の差が埋まってきた。テン年代の終りとか、やっぱりそういうの意識してんすかね。
そんな東京03のネタ「小芝居」は、単独ライブ「自己泥酔」にて披露されたコントだ。
 会社の同僚であり親友の飯塚に恋愛相談に乗ってもらっていた角田が、上司であるトヨ美と結婚することになったのでその報告会とお祝いを兼ねた飲み会で、角田は結婚の敬意まで知っている飯塚に「初めて聞いたっていう芝居をしてほしい」とお願いをする。
 この依頼を受けた飯塚は「何がヤだって、芝居するってことがヤなのに、それを全部知ってるお前に冷静に見られてるのがヤだわ。」とさらりとこれからの笑いどころを説明している所にテクニックを感じる。
 そこからは、飯塚が小芝居をしていたということがいじられるのだが、一気にオチでひっくり返る。
東京03のコントは、演劇的だと言われることもあるが、それを逆手に取ったような設定で、小芝居をやっているという芝居、小芝居をやっているということを褒められて恥ずかしくなってしまうという芝居、と、そして最後に素に戻るというこの切り替えが重なり、東京03自身への幾ばくかの批評性を与えた、メタ寄りなネタになっている。
 余談だが、『自己泥酔』に入っている「トヨモトのアレ」も絶品です。
 好きなくだりは「俺の芝居をサカナに酒を飲むな」

 

 7.爆笑問題「時事漫才」(2015)
 大分県高崎山自然動物園の猿山で産まれた猿に、英国の女王にちなんだシャーロットと名付けたところ、抗議が殺到したというニュースがあった。このことをネタにした漫才での「日本人は失礼だって言っているけど、イギリス人は怒ってない」という「猿が猿に何したって気にしない」というくだりです。前に住んでいたアパートで見ていて、笑いすぎてソファーから転げ落ちてしまいました。
 テン年代は、まさに爆笑問題が拡張した10年だった。
 タイタンライブを生で初めてみることが出来ただけでなく、新婚旅行に組み込んだりもした。その間にも、タイタンライブの100回記念、20周年記念、30周年記念の単独ライブと、それらを縦軸とした東京遠征を重ねることで、年に一回程度は生で爆笑問題を生で見ることが出来た。ライブだけでなく、ラジオはもちろん、テレビでも、語り尽くせないほどの様々な出来事もあった。
 タイタンライブのライブビューイング「タイタンシネマライブ」も地元で始まるニュースを聞いた時は飛び上がるほどに喜んだし、それが北は北海道から南は沖縄までほぼ日本全国を網羅している広がりだ。そうは言っても、行かなくなったりしてしまうのではないか、などと思ったこともあったけれど、始まってからほぼやむをえない事情を除いて、全て見に行けている。
 もう大ベテランの域なのに、霜降り明星を始めとしたお笑い第7世代という20代の若手芸人とがっぷりよつを組み喧嘩をして、負けたり勝ったりする。
ここ最近の「総理と反社とは写真を撮らないほうがいい」も負けず劣らず痺れました。令和の爆笑問題も、面白い!
 ちなみに、指原梨乃が「さしこ」と名付けた同山の猿は、その半年後に、不審な死を遂げていました。
 好きなくだりは「日本人は失礼だって言っているけど、イギリス人は怒ってない」からの「猿が猿に何したって気にしない」。

 

8.かが屋「母親へのサプライズ」(2019)
 2018年の11月ごろに、友人より、「バナナマン好きなら、好きだと思う」と紹介されたかが屋は、この一年足らずで一気に何段階もギアをあげて進んでいった。
 『キングオブコント2019』でかけた、「プロポーズ」のネタも、かが屋らしくてとても良いコントなのだけれども、襟を正して向き合うことを決めたのはその半年ほどまえに『ENGEIグランドスラム』で見た「母親へのサプライズ」というネタだった。
笑いすぎて生後一か月の赤子が起きて、妻に怒られてしまうくらい、とにかく凄かった。コロンブスの卵の様に簡単に言ってしまえば「スマホの画面がくるくる回る」ということを面白いと思うネタなのだけれども、凄かった。スマホのあるあるを持ってくるというそのデジタルネイティブなセンスが、平成育ちということを感じさせるが、この笑いの本質は、ジャンガジャンガ的な「間の抜け」による笑いなので、スマホを使っている人であれば年代を問わない全員に伝わる笑いとなっている。ちなみに、「ジャンガジャンガ的」な笑いは、ゼロ年代アンガールズの発明であり、かが屋は結成の経緯から、お笑い第七世代のバナナマンと言われることもあるが、そういう意味では、他のネタも含めてアンガールズに近い。
 ネタのセオリーに沿うのであれば、この笑いどころをネタの頭に持ってきて最後まで引っ張るのだが、かが屋の凄いところは、それをせずに、逆に前半全てを、このことを「何の打ち合わせをしているのか」などの観客に疑問をもたせるなどのフリをカムフラージュしているところだ。この勇気と技術に震える。そしてそのことで、このネタに緊張が産まれ、貯めの状態が作られる。
 そして何よりも巧みなところは、最初にスマホ上で木野花の画像がくるっと回ったときは、本当に「よくあるハプニング」だと思わせられたところだ。その後、それが繰り返されることによって、観客はここが笑いどころだと気付き、一気に貯めが開放される。
 そういった構成の妙だけではなく、何より、木野花というチョイスが素晴らしい。バナナマンの名作コント「宮沢さんとメシ」での宮沢さん、『KOC』でのバッファロー吾朗のネタでの市毛芳江を彷彿とさせる大喜利の答え。
 好きなくだりは、ネタのシステム。 

 

9.まんじゅう大帝国「来客」(2016)
 かが屋と同じく、お笑い第7世代にくくられるまんじゅう大帝国。その始まりは、アルコ&ピースのラジオ『アルコ&ピース D.C.GAREGE』でのアマチュアなのに、震えるほどウケていたというトークで、まず、ラジオリスナーに、幻想を持ったかたちで認知をされた。それから、高田文夫からの裏口入学で、爆笑問題の事務所のタイタンに所属が決まり、今にいたるわけだが、そのきっかけになった、ネタ「来客」。
 竹内の「朝家で寝てたらね、ピンポンピンポンピンポーンっていうからさぁ、おれ全問正解したんじゃないかなって思ってさ。ただねえ、全問正解のピンポンともちょっと違うかなーって感じだったんだよね」という入りに、田中は「全問正解ではなかったってこと。じゃあ、どっかで一問落としたってこと」と返す。すでにおかしいが、竹内は「どこに落としたかなーって部屋中探してたの。そしたらどんどんどんどんどんって何かを叩く音が聞こえたの。そこでね今日は祭りだーって思ったわけよ。しょうがないから閉まってあったハッピを引っ張り出してね、ハチマキを巻いてね、直足袋をどこへやったかな」と続けると、田中が「ちょっと待って待って待って、なんかおかしくない」と竹内を止める。ここでやっとツッコミがはいるのかなと思ったら、「祭りがあったの?呼べよ、誘ってくれよ!」と話しは正しい道筋にもどることなく、さらに逸脱していく。
 まんじゅう大帝国はコンビ名からして最高だ。まんじゅう大帝国という名前は、どことなく古今亭志ん生の著書『なめくじ艦隊』にも似ているし、まんじゅうといえば古典落語の「まんじゅう怖い」を連想する。
彼らの漫才のやりとりは、古典落語の「やかん」や「天災」のようで、聞いていてとても心地よい。出てきた当初からリズムと間がすでに同期と比べて高い位置にあり、そして最近はまた上手くなってきている。
 好きなくだりは「祭りがあったの?呼べよ、誘ってくれよ!」。
 
10.にゃんこスター「リズム縄跳び」(2017)
 にゃんこスターが『キングオブコント2017』でかけた、「リズム縄跳び」。
 お笑いについて、知っていれば知っているほど、考えていれば考えているほど、カウンターが綺麗に入って、死ぬほど笑ってしまう神でもあり悪魔でもあるネタ。
きちんとした構成を、スーパー3助の裏返りそうで裏返らない、ぎりぎりノイズになっていない、おぎやはぎ矢作以来の面白い叫び声と、アンゴラ村長の目を細めた顔で肉付けしていくところ。これはもうプリミティブな笑いで、だからこそ脳に直撃して笑ってしまう。突き詰めると、赤ちゃんがいないいないばあ、で何故笑うのかとかそういう類の話しになってくるので、文化人類学を勉強するか、『たけしの万物創世記』で扱うものだ。
 ハートフルなネタと見せかけておいて、縄跳びやフラフープを床に叩きつけるという音が意外に響くという暴力性もあるところもまた最高だった。
他にも、スーパー3助が全然アンゴラ村長を見ていない時があるとか、昨年のラブレターズの野球拳の流れもあったとか、または、それらが渾然一体となったからあの爆発が生まれたとか、「堂本剛の正直しんどい」よろしく、VTRを停止しながら一つ一つツッコミを入れることが出来る。ということは、お笑いの理屈から離れていないということなので、因数分解的に解説することは可能といえば可能なのですが、これはもう、このコンビが持っている要素や場、文脈全てがびたーっとはまって共鳴して笑いを増幅させているということになる。説明出来るのに、説明出来ないところに到達してしまっていた。物理学者が研究すればするほどに、神の存在を認めざるを得なくなるといった話と同じ。
 これがWikipediaの説明文を百回読んでもピンとこなかったポリリズムのことかと理解出来ましたし、あと、ここ最近鬱々としていたのだけれども、このネタを見て完全に脱出しました。
 何が面白いか分からないと怯えてる皆さん、不安を怒りに変えて自我を保つ必要はありません。僕らも何が面白いのか分かってないんですから。
そう書きなぐって、あれから二年。
 『バラエティ向上バラエティ 日村がゆく』で、ゾフィーの上田の「2019年のにゃんこスターは面白い」という発言から産まれた企画として、「にゃんこスターのここで縄跳び!?選手権」というのが開かれた。にゃんこスターが舞台に出てきて、知らない設定でコントを始め、新ネタかな、と思わせておいてからの、縄跳びが出てきて、結局リズム縄跳びを始めるというネタのその導入部分を競うその大会は、腹抱えて笑った。優しくて面白くて最高で、これだから、お笑いは素晴らしいと思った。


 以上です。
 もちろん、このほかにも好きなネタは山ほどあります。永野の「浜辺でひとり九州を守る人」や、空気階段、駆け込んできたミルクボーイや、ぺこぱなどなど。そういったものを泣く泣く削り、テン年代に産まれた意義があるものや個人的に思い入れが強い、これだという無理やり絞った10本は、やはり、メタ要素の強いネタが多く文脈に依存している傾向にあるのだけれども、でもやっぱり、その突飛な発想を表現しきるための演芸的な上手さが土台としてしっかりあるというものが好きなようです。
 炎上の件や、フェイクお笑い評論が広まったりするのを見聞きしたりすると「ネタ」を取り巻く環境はさらに難しいものになっていくという暗い見通しを立ててしまうのですが、Youtubeなどでの公式チャンネルやお笑い第七世代によるさらなるネタの活性化と良いニュースのほうも多く、いっぱしのファンとしては良いことを広めながら、お金を落としていきたいと思います。