石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

空気階段を見に行ったら、土俗的なコントを見てしまった話。

 よしもと沖縄花月空気階段が来るということで、見てきました。

 よしもと沖縄花月の通常の公演は、1時間で終焉するのが三本あって、その合間に1時間空いているというもので、せっかく空気階段が来るのだから、2ステは見ておこうと思ってチケットを買っていましたが、結局3ステ見て、しかも全部違うネタだったので大満足でした。

 地元で聞く、空気階段の出囃子のじゃがたらの「タンゴ」は格別でした。

一本目はショートコント三本と「隣人」、二本目は「ねずみ」、三本目は「聖クワガタの集い」で、空気階段らしいコントでした。「ねずみ」には「借金が五百万を超えている奴は、消費者金融から出てくるときに胸を張っている」という踊り場で聞いたようなフレーズが入っていたりして、ニヤリとさせられる一瞬もありました。

 よしもと沖縄花月は、港にあるビルの一角にあってロビーが狭いので、外で開演を待つことが多いのですが、その入り口はひとつしかないようで、その構造上、頻繁に出演者も通って、結果的に出待ち入り待ちになってしまうので、空気階段の2人に会えれば良いな、写真撮れたら良いなと少し、下心が湧きでていたりしたのですが、まさにたまたま、かたまりが外に出てきて、その時に、かたまりさん!とだけ声をかけることが出来ました。そこでは、それだけだったのですが、まあ良いかとなっていたら、少し離れた喫煙スペースでかたまりがいるのが見えて、勇気を出して声をかけようかなと思って近づいたら、そこでもぐらもタバコを吸っていた。

 吸い殻入れがそれぞれのベンチの横に置かれていて、そこで別々のベンチに座って、港をぼんやりと眺めている二人。かたまりは白いシャツで、もぐらは黒いパーカーで、なんともいえない絶妙な距離をとった二人の対照的な姿はまさに、峯田が空気階段を評した聖者と愚者のようだったし、あの「baby」の導入部分のようでもあった。この構図自体が単独ライブのポスターのようで、思わず隠し撮りしたくなってしまいました。

 邪魔をしていることは承知のうえで、声をかけ、「anna」を見に行くことを伝えることが出来、写真を撮ってもらいました。

 空気階段に満足したことはもちろんのこと、お笑いファンとして、すごい発見をしました。それは、ありんくりんと大屋あゆみという2人の芸人のコントです。

 ちなみに僕は、基本的に沖縄で活動しているお笑い芸人が大嫌いで、どのくらい嫌いかというと、落語家が二つ目にならないと落語家を名乗れないというほぼ同じ意味合いで、沖縄で活動している芸人はいない、と思っているくらいに嫌いです。それにはいくつか理由があって、今も活動している沖縄芸人の1人に5000円を貸したら8年くらい返さず、返すときには全く利子もつけなかったということがあるということが一番大きいのですが、基本的に彼らのネタは、テレビで見る漫才のパターンを模倣して擦られまくったくだりをつなぎあげただけで何のオリジナリティも無く、あるとすれば、方言を多用すればウケると思っているようなもので、本当に見なくても良いネタしかないというのがあります。

 加えて、地元への鬱屈した感情もあるので、基本的に、沖縄花月に、好きな芸人を目当てに通常公演を観に行くと、砂かぶりに座っているくせに、沖縄芸人を見ても全く笑わないし、ネタを見ながらフリから先の展開を予想して、当てて、だろうなと思ったり、何がダメなのかとか考えたりしてほぼ無表情というバチバチ尖り最低客でMー1でのジャルジャル に対して「顔で笑ってはいないけど心で爆笑している」と評した立川志らくの最悪バージョンになってしまうのですが、この日に見た、ありんくりんと大屋めぐみは、ちょっと違いました。

 まず、ピン芸人の大屋あゆみは、3公演とも同じネタで(こう書くと大屋あゆみが悪いみたいに取られる可能性ありますが、基本的には3公演見ている僕が悪いですし、なんだったら、てにをはの違いのような言い回しなどの細かい違いを総合して見た結果、二本目が頭抜けて良かったと言っている僕がおかしいということは分かっています。)、気象台のコールセンターの電話担当を、掃除のおばちゃんが対応するという1人コントで、そのおばちゃんが、沖縄のおばちゃんなので、原稿をただ読み上げれば良い仕事なのに、それが出来ないというネタでした。

 そのなかで、「前の職場でも言われたわけよ、下地さんが来たら忙しくなるねぇって。招き猫みたいだねぇって。それが今ではこんな太って豚になって。ええ、誰が豚よ、叩かれるよ」というくだりは、まさに、アルバイト先にいる沖縄の陽気なおばちゃんで、特に、ただ読み上げるだけで良いと言われている明日の天気予報の「降水確率は10%です」を一旦読み上げたあと、「あしたの降水確率ねぇ、60%くらいよ。だから傘持っていきなさいね。なんでかって言ったらね、私偏頭痛してるわけさ。今日頭が痛くてよ。だから、明日は雨降るよ。よく言われよったよ、下地さんは占い師より当たるねぇって。はい、仕事頑張ってね。」と予報を否定する。

 ところどころ、よくある、やりたいボケが先行してしまっているがゆえに脚本に穴が生じているみたいな現象も起きてはいたものの、こういったフックのあるセリフが入れ込まれてて、笑った、とまではいかないんですけど、ああ、よく出来てるしきちんと演じられているなあとニヤッとしました。

 ちなみにここでいう脚本の穴というのは、休憩に入った人が担当する電話が鳴るというところで、休憩に入るなら電話は切るだろとなってしまうようなもので、基本的にこういうことばっかりネタを見ながらチェックしている。お笑い見るの辞めろ、もう。

次はありんくりんアメリカと日本のミックスのクリスと、ひがりゅうた(各学年に二人いる、沖縄での無課金ネーム)で、テレビでも見るような売れている人達です。

 今回の3公演のうちで2本のネタを見ました。

 一本目は、三線の名人のところに、アメリカ人が弟子入りに来るというコントで、二本目はたんちゃめーのコンテストに2人で出ようとしていたら、その相棒の1人が急遽出られなくなったので、その人が用意した代わりに出てくれる人がアメリカ人だったというコント。

 たんちゃめーとはWikipediaによると(文献に当たることもしない怠惰な人間がよく使う言葉で、唾棄すべき最も嫌いな言葉の一つだけど、忙しいので許してください。でもWikipediaに寄付はしません。)、『「谷茶前節」(タンチャメーブシ)は、沖縄本島の代表的な民謡と踊りである。踊りは男女で対になって打組みで踊るもので、雑踊り(ぞうおどり)の一種であるが、その代表的なものとなっている。衣装は男女とも芭蕉布の着物で男役は櫂(エーク)を、女役はざる(バーキ)を手に持ち踊る。谷茶(たんちゃ)は沖縄県本島の恩納村の地名で、谷茶の海岸を舞台にしている。』とのことです。ちなみにヤリマンのことを方言でバーキーと言うのですが、これはザルのことをばーきと呼ぶことから来ているのでしょうか。ちなみに、この方言は僕の友人しか言っていなかったので、この方言が本当にあるかどうかの信憑性は、ヤリマンの貞操観念くらい薄いです。そしてこの友人は安室奈美恵と同じ校区だったので、安室ちゃんに確認してください。

 一本目は、完全なアメリカ人が弟子入りを望むも、名人は人見知りだから、その頼みを断って、練習を続ける。その練習しているサンシンの音色に合わせて、アメリカ人が勝手にセッションしてくるというネタで、三板カスタネットみたいな三枚の板)で返事をするところや、台車に乗せた太鼓を舞台に運んできて叩きだす展開は予想できなくて笑ってしまいました。

 サンシンや太鼓、踊りなど、素人目に見ても上手すぎて笑ってしまうという領域に到達するわけではないものの、少なくともコントの邪魔をしない程度の技術はあって、そこも良かったです。

 二本目も、助っ人出来たアメリカ人は練習の段階では全く踊れず、いらいらしている沖縄県民だったけれど、大会本番にアメリカ人が、実はちゃんと踊れて結果優勝するのですが、その失敗が、ギャグ漫画的なつなげ方でテンポが良くて、面白かった。

 最後に「辺野古をくれ」って言って終わるオチなのですが、その最後のツッコミが「べー!(沖縄県民の子供がやる、あっかんべーのような否定のニュアンスをもったアクション)」で終わるのって、ちょっと吹っ切れていて気持ちよさすらありました。

 どことなく、二つとも、どこか島袋光年の世界観のようで楽しかったです。

 ありんくりんのネタは、沖縄県民とほぼアメリカ人のコンビという見た目の性質上、沖縄県民の日常にアメリカ人が介入するというネタのため、これは沖縄の現代を強く反映していて、茂木健一郎も思わずストレートパーマになって確定申告で経費の控除をし忘れてしまうほどに批評性を帯びている、というのは考えすぎかもしれないが、少なくともタイタンライブで固まっていないネタをやってややウケのパックンマックンよりはきちんとしていました。東京や大阪にいる、日本人と外国人コンビのどのネタと比べても、ちょっとちゃんとそのことが機能している。

 以前、同じように沖縄芸人のコントで目を引いたボケが、どこの地域にも似たような風習はあると思うんですけど、赤ちゃんの前にそろばんや本を置いて、どれを選ぶかでその子の将来を見通すもので、そこに、電球とバットを置いて、「沖縄電力の野球部になってほしいから」というネタがあって、この面白さは、絶対に他県には伝わらないですよね。

 電力会社というインフラ産業に入ってほしいというのはともかく、このバットの野球部というのがミソで、沖縄県民の異常な高校野球好きが反映されていて、それが二つ合わさるから笑えたという、ある意味ハイコンテクストな笑いで、そのことで琉球の風が吹くまでにいたっている。

 空気階段が描く都会の片隅の風の匂いがするコントとの対比でこんなことを考えてしまったというのは否定できないものの、沖縄県民にのみ特化した笑いを客が大体10人前後の劇場で作り続けられた結果、沖縄芸人の何人かのネタがじゃりン子チエくらい土俗性を持ちつつあるというガラパゴス的な進化の状況を見て少し興奮してしまったのと同時に、少し襟を正そうと思った次第です。