石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

ギャルの軽さは江戸の風

 ぼくが嫌いなライターの吉田豪が「サブカル男子は40歳を超えると鬱になる」ということ言っていたが、二年ほど前に唐突に脳内に散逸している点と点が結びつき始めて、線となって、弾けて混ざり、最終的には「文系カルチャー青年は30過ぎたらギャル好きになる」という言葉となった。
 妻子のいる身でなければ、ギャルと濃厚接触をしてみたいほどに、ギャルに憧れを抱いている。
 神田松之丞が、神田伯山の襲名に合わせて、youtubeのチャンネル「伯山ティービー」を始めて、そのチャンネルは毎日動画がアップされ、襲名披露公演の様子などが見られるのだが、何より、寄席の楽屋での映像が何よりも面白い。落語家がカメラを回しているからか、緊張感はなく、ホームビデオのようなのだが、こんな映像を見たことがない。それをずっと見ていると、やっぱり、落語家というのは、軽い人たちだな、と思わずにはいられない。伝統芸能という重しがあるからここまで軽くなれるのかとおもうほどに、他愛無い会話の中でも、シャレを言い合ったりする軽妙洒脱な姿は、同じ言語を使っているけれども、やはり芸人というのは職業ではなく、別の世界にいる人種の事だと思わされてしまう。
 ギャルも同じである。
 ギャルは、マイノリティに所属しつつも悲壮感がなく、我を通していながらも確かにある軽やかさ、友達は少なかったとしてもしっかり繋がっている、けれどもベタついていない、本来あるべき慈愛に満ち距離感を保った多様性を担保し、そして、メディアに出てきた時に需要に合わせて踊れるところも素晴らしい。そして、爽やかでありながらも少しはやっぱり湿っているエロさを持っている。まさに別世界にいる人たちである。幻想かもしれないが、少なくとも、ギャルはそのように見えることが多い。
 そしてそれら全ては、文系カルチャー青年が持ちえていないもの、というか、持ち得ていないからこそ文系カルチャー青年になってしまうのだが、そんな僕たちがギャルに対して憧れの視線を隠しきれなくなるのが、ハスりの時代を過ぎた30歳ということではないだろうか。