石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

フェミニズム関連の本を読んで思ったこと

 とあるラジオにおける事件をきっかけに、前々から勉強しなければらならないと思っていた、フェミニズムについての本を数冊読み、今も何冊か読む予定である。

 読んだのは、北村紗衣「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」、田嶋陽子「愛という名の支配」、栗田隆子「ぼそぼそ声のフェミニズム」、漫画「さよならミニスカート」だ。

 勉強になったことと言えば、例えば、「お砂糖と」などはフェミニズム批評で、この本の中に登場する作品を全て見ていたわけではないので、そこらへんは流し読みになってしまったが、フェミニズム批評、分かりやすくいえば、フェミニストにはこういう視点で見られているということがおぼろげながら把握できた。フェミニズム的な視点を受けて批判をされると、良くないことではあるがあ、こちらとしては唐突に殴られたように思ってしまう。しかし、そういった目ではずっと見られていたわけである。

 一番重要なのは、どう怒っているのか、ではなく、何で怒っているのかということを理解する必要がある。

 これは先日の、キン肉マンレオパルドン事件にも言える。ネタバレそのものではなく、これまでネタ扱いしてきたキャラが再登場したシーンを噛み締めることなく、インターネット上で受けるためだけにスクショを投稿したその情緒のなさ、その安易さに怒っているわけであるということを理解しなければ、ゆで先生が言っていた消費という言葉をそのままネタバレを話すこととのみで受け取ってしまう。

 どうせ読んでいないからここで悪口をいうが、嫌いな人間が、エンタの神様を腐すスクショをツイッターにあげるためだけでに、エンタの神様を見ていて、自分の力で承認欲求を満たせない可哀想な人だなと思ったりもした。

 田嶋陽子の「愛という名の支配」は、その、フェミニストが、どうして怒り、声を上げ始めたのかということが分かる。学術的なものというよりはエッセイに近いので、論理的なところや田島が紹介する他者の体験などは怪しいところもあると感じるが、何に怒っているのかということを理解するとっかかりにはなると思う。

 学術的な本といえば、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」で、これはまだ読んでいる途中なのだが、こちらは100頁を越えたあたりから俄然と面白くなる。  

 とはいえ、上野が正しいかというと、基本的に上野は、笑いのセンスがなく、僕の了見でいえば、下品の領域に踏み込んでいることのほうが多いのだが、一読する価値は十分にあると思うし、この本のなかで紹介されている本は、恐らくガチなので、ガイドとしても活用できる。ホモソーシャルの章などは応用すれば、「ドキュメンタル」批評になるだろう(パクったら殺します)。

 田嶋も上野も、そのほかの人々も、やはり一理はある。ただ、一理しかない場合もあるということであって、人間社会は複雑なので、たかだが一理では何も変えられない。

 ここから先は、僕の友人である女性らにも嫌われたり、根本的に間違っているという指摘を受ける可能性があるため、あまり気が進まないことだが、僕がフェミニストに対しての反論などの答えはどれだけ読んでも見つけられそうにないということだ。

 例えば、社会福祉士の藤田孝典などは、性風俗産業を完全撤廃しろと主張する。女性が性的に搾取されるからという理由はもちろん分かる。その流れから、彼ら彼女らに、持続化給付金を与えないのは当然であるという主張もわかる。ただし、僕が性風俗店の経営者であれば、持続化給付金が貰えなければ、働いている女性からの搾取、例えばお客が減ったからとか何とか言って、割合を減らしたりするなどして、搾取を強めるということをするだろう。北風と太陽のような話だが、それは最終的には、藤田の主張は、女性の性的搾取を助長していることに繋がらないのだろうか。また、風俗嬢の仕事を奪うことになるわけだが、じゃあどうやって働けば良いのかというと、性風俗産業以外の仕事に就く、それが様々な理由で出来ないのであれば、生活保護を受給すればいいと主張する。仮に性的に搾取をされているとして、でもそれを受け入れて風俗嬢をやって月何十万も稼いでいる人が、その仕事を奪われたとしたら、恐らくというか絶対と言っていいほどにその何分の1の手取りになる。それは個人の選択する自由を奪うことにならないのかという疑問が生じる。藤田のツイートを見ていてもその答えは出てこない。

 本屋に行くと、AVのコーナーは無くなっているが、普通にBLの本は、目立つところに陳列されている。AVを撤去するのであれば、こちらも撤去するべきであるはずだが、そういう声はあまり聞かない。聞くとしたら、AVを見る男性側からであって、それは正当な反論のように思えるが、無視されている、または、これまでこちらは我慢してきたんだから許容しろと圧迫を受けているような気がする。

 長々と書いてきたが、やはり、気をつけなければならないのは、これらのことに時間と労力を割けば咲くほど、自分は偉い、意識が高いとなってしまうことである。それだけではなく、それをしない周りはダメだという対になる感情も芽生えてしまうことである。

 さらに、読めば読むほど、考えれば考えるほど、良くない言い方だが、地雷が増えている気持ちになってしまうということである。武器を手にしていっているという感覚には全くならない。

 恐らく、この武器を手にしているという感覚になっているのがヒラギノ游ゴで、僕は個人的には彼のフェミニズムに関する考え方は間違っていると思っている。例えば、AV女優の戸田真琴と対談した時に、彼女の本を見るやいなや、ピンクじゃないことに安堵したり、フェミニズムについて語ったりと、これってマンスプレイニングじゃないのかというムーブをかましていたりする。顔出しすらしていない男性ライターがAV女優にフェミニズムを語るのは滑稽なんじゃないか。

 それよりも僕が彼を嫌いなのは、「岡村隆史はヒーローだったんだよ」とツイートをしていたことである。自分がアップデートしていることにするために、衰退するものへのロマンを感じさせる感じのはつげんには反吐が出る。

だったら、岡村に、フェミニズムが分かる本や長文を送ればいい。僕は、自分であの事件が生まれる空気を醸成してきた深夜ラジオリスナー(岡村隆史ANNこそ聞いていなかったものの)一人であり、めちゃイケが好きだったからこそ、今は積極的に本を読んでいる。恩返しでもあるし、贖罪でもある。

 長々と書いた後にさらに長々と書いてしまったが、ここ最近のことをまとめたかっただけで偉くも何ともないということを肝に命じないといけない。

 ただ、たまにTwitterにアップする食べ物の写真に良いねするくらいでは甘やかしてください。あと、リスナーとして誠実だなとはちょっとだけ思って欲しいです。

 以上!!(厚切りジェイソン