石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

『俺の家の話』第一話感想 「そういうもんなんだよ」に「そういうもんだからだよ」で立ち向かう

 「ロープに飛ばされている最中だが、今から俺の家の話をする」というセリフから始まった『俺の家の話』、第一話からとんでもなかったですね。
 まず、ストーリー展開が凄かった。
 長瀬智也演じる観山寿一が、プロレスラーを引退し、西田敏行演じる能楽師であり人げ国宝の父の観山寿三郎の介護をするというあらすじだが、一話では、じっくりと、家出をしてから25年間、実家を離れていた長男が、介護をすることになる経緯を描く。
 ドラマを立ち上げる企画の段階で、「介護を描こう」となっていたかとは思うが、ドラマの中では、「介護をせざるをえなくなった」という状況になっている。つまりは、「介護を描こう」ではなくて、「介護が描かれていく」ということになる。この微妙だが重要な違いこそが、物語のリアリティ及び問題の切実さを担保していく。ここで思い出すのは、先日放送された『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャル版だ。あの放送が失敗だったのは、
出てくるそれぞれの問題が切実であったとしても、そこに気付く経緯が、あまりにも短すぎたせいで、問題と模範解答の羅列になってしまっていたために、ある程度、いわゆる価値観のアップデートについて勉強している身であっても、ドラマを見ていて説教されているような気持ちになっていった。模範解答に向けて、登場人物が動いてしまっていた。放送される時間やドラマとしての立ち位置は全く異なるものなので、スペシャルドラマと連続ドラマの一話を比べて良し悪しをつけることは乱暴ではあるものの、小谷野敦言うところの「なんとなくリベラル」止まりになってしまっていた。
 『俺の家の話』は、バラバラのように思える、登場人物それぞれの設定も見事だ。寿一がプロレスラーという立派な体躯の持ち主であることが、そんな力を持っていても在宅介護での力仕事は単純ではないというシーンが活きていたし、何より、絶対的な父権制度が敷かれている家を抜けだし、プロレスの道場に入門し、血のつながりがない疑似家族の中でワンオブゼムとして生き、さらに、そこから実家に戻ってくるという構造は、物語の作り方として王道だ。
 そして、寿三郎が能楽師であり人間国宝であるということにも意味を見出せる。例えば、単純に、これが能楽師でも人間国宝でもない、一般的な家庭であったなら、寿一が介護をすることに視聴者は納得できただろうか。「毒親からは逃げればいい」というツッコミが成立してしまう現代では、能の人間国宝であるという伝統と権威に依拠した存在でなければ、対峙する家父長制の象徴として成立しないということであり、それくらい家父長制に対する幻想が弱まっていることでもある。加えて、プロレスラーだった男が父親の病気をきっかけに能を継ぎますだけでも弱く、そこに戸田恵梨香演じる、志田さくらによる後妻業の問題が絡んでくることで、寿一が逃げられない状況が出来あがってしまっている。
 寿一が逃げられない状況に追い込まれてしまったからこそ、一話の後半寿三郎が寿一の身体を洗うシーンが見せ場となる。「あんた俺がガキの頃一度も風呂に入れてくれなかったんだってなおふくろが言ってたよ。一回もおむつ交換してくれなかったって。」と言う寿一に「お能というのはな、神様に奉納する神聖な芸能なんだよ。おむつ替えた手で舞えるか?」と答える。さらに寿一は「俺がやるよ。あんたが俺にやってくれなかったことを全部やってやるよ。何でか分かるか?そういうもんだからだよ。」と宣言する。寿一は、寿三郎から向けられていた自らを縛りつけていた「そういうもんなんだよ」に、「そういうもんだからだよ」で立ち向かっていくことになる。これがこのドラマの最大のテーゼになっていくのだろう。
 そこを経て、一話は、父を中心とした構図で朝食を取るという、いかにもホームドラマ的な構図の画面で終わるが、登場人物のそれぞれがそこにいる事情が分かっているため、単純な家父長制度を象徴する「茶の間」ではなくなっている。
 介護保険制度にまつわる情報がシームレスに入ってくるだけじゃなく、他にも後妻業については、B太こと永山絢斗が演じる踊介の弁護士という設定が、発達障害の問題には江口のり子が演じる舞の塾講師という設定が自然と絡んでくるのだろうかという予想が立ってくる。もちろん、クドカンなので、二元論的で、単純な解決を描くことはしないだろうから、それもまたどう転がるかが楽しみだ。
 さらに、どうしたって切り取れないのが、主演の長瀬智也が、このドラマを最後に裏方に所属している事務所を辞め、裏方に回るということ。そのため、それが二つ目の凄いのが、このドラマは、どうしてもエモくなってしまう、エモらざるをえないところだ。
 長瀬が役者をやめると言うだけで、ドラマに出てくるあらゆることが感傷的に見えてしまう。プロレスラーとして引退という分かりやすいところから、寿一がガラケーを使っているという小ネタでは『池袋ウエストゲートパーク』でマコトがPHSを使っていたこと、単音の着メロの『Bone to be Wild』を思い出してしまうこと、『タイガー&ドラゴン』を経由して、落語、立川談志と連想し、寿三郎が認知症に関するテストをしたあと、その結果に落ち込み、一人で、能のセリフを繰っているシーンが、談志も亡くなる前はこうだったのかな、と考えて切なくなってしまうまで、とにかく、ドラマ自体に情報が多いのに、そういうことまで考えが飛んでいってしまう。
 二話が楽しみですね。