石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

R-1グランプリ2022感想「お見送り芸人しんいちのネタと、吉住のバカリズム92点について」

  普段は八時を過ぎてからしか寝ない子供の寝かせつけを巻き、今年はリアルタイムで、「R-1グランプリ」を視聴することが出来ました。

 優勝は、お見送り芸人しんいち。めちゃくちゃ面白かったですね。

 後述するKento fukayaの衝撃もあり、視聴者としても緊張して見ていたことに加えて、歌ネタということで油断してしまうところがあったお見送り芸人しんいちだったけれど、一本目の「ぼくの好きなもの」が最高に好きでした。「アスファルトに咲いている花好き」と「雨上がりの虹好き」というフリからの、「タトゥーだらけの男が一ラウンドで負けてるところ好き」で、ネタのシステムを明かされただけでなく、この一本目の笑いどころで、もしかしたら波長が合うかもしれないと思っているところに、「鬼滅のコスプレいいね伸びないグラビアアイドル好き」がモロに入ってしまって大笑いしました。

 「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる消防士」というネタは「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる」だけだともう全く味のしないフレーズに、「消防士」という言葉を足すだけで、ものすごいネタの奥行きが出る。この場で使われる「消防士」には、火災に立ち向かう仕事への尊敬などではなく、体力もあって金銭的に余裕もあって休みの日は河原でバーベキューをしてオラついているような地元に残っている何となくいけすかない奴が調子に乗って『SASUKE』に出たけど爆速で敗退してるの好きという、芳醇なものへと変質する。もしかしたら、ここには僕の偏見も入っているのかもしれないが概ね間違っていないと思う。

 凡百の芸人は、消防士に到達する前に満足してしまうけれども、ここで消防士を捻り出す。精度が高く、踏み込んでくるあるある。レイザーラモンRGの登場以降、あるあるは、ずらしの視線が主流となったパラダイムシフトが起こったきらいがあるが、あるあるという言葉の源流である、ふかわりょういつもここからや『伊集院光 深夜の馬鹿力」のカルタのコーナーで採用されるネタなどのように、視線は真っ直ぐなんだけれども、嫌なところを見てるなあという拾い方。

「躾しすぎて面白み無くなった犬好き」はまるで自由律俳句のようでとても素晴らしい。一番好きかもしれない。

 かなりセンス良いねえと思うが、やはり、一本の歌ネタだと、悪く言えば平板になってしまい、心に残るのはやっぱり難しい。それを克服したのが、中盤に組み込まれた、ネタの再現だ。後々思い返した時に、とてもじわじわと心に残る良いアクセントになっている。

 2021年の『キングオブコント』のザ・マミィのネタで、後半に唐突に歌い出すという展開があり、それで、芸人側が、唐突に歌い出せば笑いが起きると思っているということ、歌うということに必要性がなくてもそれなりに面白いということになってしまうということに気がついてから、その手法に全く新鮮味を感じなくなってしまったが、ZAZYも取り入れていたように、一定の反応が保証されているのだろう。しかし、お見送り芸人のネタは、歌ネタであるがゆえに、それが自ずと制限されて閉まっている。おそらく、このフックを出すための、再現ネタであると思われるが、これがかなりいい味を出している。お見送り芸人しんいちが、ネタで言ったことを心の底から「好き」「応援している」ということが伝わってくる。

 音楽ネタなので2本目の後半、畳み掛けをBPMを速めるでなく、人物名をガンガン出すということで後半が盛り上がる。しかも、畳み掛けてるなーより、急に人物名言い出したなーという感想の方が勝ることで、盛り上げるための手法と気づかれにくくなっていた。

 この時点で、しんいち優勝してほしいとなっていたけれども、ZAZYのネタも甲乙つけ難い感じで、優勝発表の瞬間はかなりドキドキし、お見送り芸人しんいちの優勝が決まった瞬間は「ええやんええやん、シューシュー!」となりました。 

 優勝直後のコメントで「2017年、ネタめっちゃ飛ばしたブルゾンちえみにありがとうって言いたいです」という藤原史織いじりを入れるという、泣いてもただじゃ転ばない、悪意の肝が据わっている、最後らへんは泣いてなかったんじゃないかという疑念まで持たれる、お見送り芸人しんいち、大好きです、応援してます。

 さて、バカリズムの審査については、もちろん触れなければならない。バラエティ番組への出演だけでなく、ドラマ、映画の脚本に留まらず、単独ライブなどを打ち続ける現役のピン芸人としての矜持を感じる審査でした。頑張ったで賞的に、90点以上をあげることに楔を打ち込むかのようなその点数の付け方には、実際のプレイヤーであるというだけで説得力を持つし、意義があったと思います。

 トップバッターのkento fukayaのネタは「居酒屋での合コン」。フリップというよりも立て看板に近い大きさの紙に書いた絵を使っていくフリップネタの拡張とも言えるこのネタは、思いついても、おそらく誰もやらなかったところに、その革新性があるが、バカリズムがつけた点数は84点。そして審査コメントでは「見せ方もすごい凝ってて面白かったんですけど、やっぱりどうしても、本人以外の、舞台上の本人以外の要素がちょっとあまりにも大きかったかな、というか。どっちかというと音声とかイラストとかが、割合が多かったかな。」と評した。

 元々、フリップネタを、引き算で考え尽くした結果、「トツギーノ」や「地理バカ先生」などの傑作を生み出したバカリズムにとっては全く真逆のアプローチでそこまで評価できなかったのだろう。開示された点数からの、この寸評で、さすがバカリズムとなったのと同時に戦慄が走った。『HUNTER×HUNTER』の天空闘技場編で、ヒソカを倒すために、途轍もない苦労をして覚えた念能力の分身(ダブル)を持って挑むもあっさりと倒されたカストロに、ヒソカが言い放った「キミの敗因は容量(メモリ)の無駄遣い(heart)」と全く同じ戦慄。

 さらに、どんどんファイナリストのネタを見ていくと、「Yes!アキト以外、バカリズムがやっていないかこれ」となって、正気に戻ってしまった。バラエティプログラムのプロデューサーの佐久間宣行は、自身のラジオでもバカリズムの凄さを表現する際に「フォーマットを毎回作ってきて、そしてそれを使い捨てする」という旨のことを言っていて、ただ、具体例が出されてなかったので、ピンと来ていなかったのだけれど、こういうことだったのか、バカリズムピン芸人のネタを審査するという構図になって初めて気付くことが出来た。

 サツマカワRPGの「大会、近いもんな」も、こんなコントもするのかというイメージを一新するような驚きもある良いネタだけれども、同じ言葉を続けるどこかバカリズム的だけれども、ネタの途中で大会が何の大会か言ってしまう。おそらく、バカリズムだったら、何の大会か言わないはずだ。言葉で輪郭だけをなぞるだけに留め、中身をぼやかすことで想像の余地を広くする。

 もちろん、ファイナリストの面々の名誉のために言っておくが、剽窃したという結果ではない。バカリズムが直接、ファイナリストを審査するという構図になって初めて、そのことに気がつかされたことであり、おそらく、あの場では、バカリズムだけが、あれ、これ俺やってるなあとしか思っていなかったのじゃないだろうか。

 そんな、バカリズムからの90点という壁を乗り越えたのは、吉住の91点と、金の国の渡部おにぎりの90点。

 まず、金の国の渡部の「河原でサンドウィッチを食べていたら、トンビに自分ごと攫われた」という、存在しないシチュエーションの中で、起こり得そうなことを積み重ねていくフォーマットは、バカリズムの「アダルトビデオが入っているビデオデッキに男性器を入れたら抜けなくなってしまった」というネタの「ヌケなくて・・・」に近い。そして、今回バカリズムから90点をもらえた二人のうちの一人だが、たとえば、傘のくだりを無くして、もっと悲惨な目に遭わせて落として落としてからの方が、「虹を見つける」というオチの方が映えるなど、もっとブラッシュアップ出来そうという意味でも、やはり、吉住と比べてしまうと見劣りはしてしまう。

 吉住のネタも見事でしたね。 上司のミスにも関わらず、自分のせいにされて怒られていたことを笑って話す社員が、同僚から「聖人ですか?」と言われると、そんなことないよ「だって、わたし、芸能人の不倫とか気が触れるくらいブチギレちゃうもん。」と返し、そこで芸能人が不倫したニュースが流れてくるというコント。正式なタイトルは「正義感暴れ」というらしい。そこから、芸能人の不倫に、気が触れるくらいブチギレちゃう人というコント。これを人力舎所属の吉住がテレビでかける意味よ。そして、そのコントの本質を「ただ馬鹿にしているだけ」と喝破したバカリズムの凄さ。

 芸能人の不倫に気が触れるくらいブチギレちゃう人に、同僚が「不倫は当事者間の問題だから」と嗜めるも、「もしかして、あかりちゃんはあんまりテレビとか見ない人?あーそうなんだ、あたしは結構見るんだよね。だから当事者なんだ」、そしてかつ、不倫に関する、まとめ動画をYouTubeにアップ、その収益で、アフリカに学校を作るということをしていることが分かる。その行為は、善か悪かの判断が容易につかない。

 まるで、スピノザの「自然界にはそれ自体に善いものとか、それ自体で悪いものは存在しない。すべては組み合わせ次第である」という言葉を想起させる。このコントの一番いいところは、そのただ在るということを肯定しているところにある。

 これを、個人的に「他者の合理性が描かれているコント」と呼んでいる。「他者の合理性」とは、『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』にて岸正彦は、不良少年が反抗的文化に染まっていくことで学校を辞めることなどに繋がるといった「自分の意志で不利になるような道に進んでしまう」ことを調査したP.ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を紹介し、「私たちにはあまり縁のない人びとの、一見すると不合理な行為選択の背後にある合理性やもっともな理由」のことを表現したという言葉である。そして、岸は「完全に合理的な行為などというものはありません。他者の合理性をどれだけうまく理解し記述したとしても、おそらくそこには必ず不合理なものや理解できないものが残るにちがいありません。」と述べる。この残った、不合理なものや理解できないものこそが、コントにおいては大きくて強く、そして心に踏み込んでくる笑いに転換される。

 これらで笑いを生み出すためには、単に不合理で理解出来ないものではダメで、少しの説得力や理解の糸口がなければならない。ここで言えば、確かに、視聴者として娯楽を享受しているという意味では当事者ではあるという理屈は分からないことはないけれども、かといって、スキャンダルをそこまで憎むということは全く分からないという流れが必要になる。

 そして、吉住は、いつしか、『THEW』でかけた「銀行強盗」のネタで言えば、勤めている銀行に強盗が入っている最中に支店長への想いに気がついた銀行員が今すぐに告白しようとしているくだりで、同僚のさとみに「銀行強盗に入られているから」と止められてからの「落ち着きなよ、さとみ。私たちには生きて帰れる保証なんてどこにもないんだよ。悔い残して死んじゃやじゃん」だ。このセリフで、銀行強盗に入られている途中に告白をしようとするという、一見、全く理解出来ないような行為に、説得力が生まれてしまい、価値観がぐるっとひっくり返ってしまう。コントの設定で突飛なものを用いることは出来るが、こういう生きたセリフ、当人にとってはボケようとしているわけではないセリフを使った笑いどころを挟めるコント師は少ない。まさに『呪術廻戦』でいうところの黒閃。威力は平均で通常の2.5乗であり、黒閃を経験した者とそうでない者とでは呪力の核心との距離に天と地ほどの差があるで、お馴染みの黒閃。吉住はすでにコント師として成っている。

 理屈として分かってしまう分、かえって、分かり合えないことが際立つというパラドックスが生まれる。そしてそこに狂気を感じる。逆に、バカリズムのネタを見ていて、「狂ってるなー」とは思わない。たとえば、女性に裸を見せてもらうために理屈を重ねていくという「見よ、勇者は帰りぬ」というネタがあるが、このネタは分かるロジックが積み立てられるので、いつの間にか、遠くに来てしまっているとは感じるが、狂気のスイッチが入った音を感じない。「バカだなー」やナンセンスさなどの方を感じる。もちろん、どっちが良いとか悪いとかではなく、好みの問題である。特に「見よ、勇者は帰りぬ」が狂気の方に傾いてしまうと、下ネタである分、生々しくて笑えなくなってしまうからである。全ては組み合わせだ。

 吉住のネタにあって、バカリズムにはないものは、この狂気と題材の時事ネタ性だと思う。この二つを持って、吉住はバカリズムからの最高得点をもぎ取ったと思う。

 単純な勘なので、余談でしかないけれど、バカリズムから一人コントで94点以上を最初にもぎ取るのは、さらに狂った吉住か、土屋だと思う。自転車のレース中、田原俊彦になってしまうというネタを、2021年のR-1グランプリで披露していたが、あのコントの醍醐味こそが、バカリズムのコントに通じるものがあるんじゃないかと思っているからである。

 来年以降も、審査員バカリズムは鎮座してほしい。そうすることで、R-1グランプリは、親殺しならぬ、バカリズム殺し期という新たな時代が到来するはずだ。

 

 

 

 今月は誕生月だけれども、体調は崩してシンプル風邪をひくし(PCR検査結果は陰性)、一月からめちゃくちゃ忙しかったし、その仕事でもボツを喰らいまくるなど、かなり自己肯定感が低くなっているので、誕生月プレゼントとして、リツイート、お気に入りよろしくお願いします。