石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

愛媛知るまでは死ねない芽むしりなのだ

 

 愛媛に行ってきました。一人旅なので、燥いだなー、とかではなく、ああ、来てよかった、というじんわりとした良さが胸に満ちていく、そんな旅だった。愛媛の温度が、ここ一、二年の、喜びや楽しいといったプラスの感情への脳と心の回路が接触不良を起こしているような、鬱でもウツでも、陰でも、陰コース低めでもなく、よっぽどのことじゃないと興奮しなくなっていて、エモーショナルな方向からそっぽを向いているような状態という方がしっくりくるそんな低いテンションにびったしハマったのでした。絶対に鬱ではない。カツ丼食べるし、職場のカウンセリングも5分で終わりましたし。コロナ禍が疲れたとかではなく、たとえば、自分の好きなものの原点が一点で弾けて混ざった「三遊亭円楽 伊集院光 二人会」の爆笑問題がゲスト出演した夜の部を見て、ゴンがネフェルピトーを倒した後に念が使えなくなったような状態になっていたことだったり、あと二十年もしたらただ「アメトーーク」で座って、なんだったら古今亭志ん生以来の寝てるだけで笑いが取れるであろうと思っていた上島竜兵があっさりと死んだことであったり、三遊亭円楽が思いがけず死んでしまったことであったり、爆笑問題の太田が炎上を重ねたことであったり、おおよその理由はたくさんあるので、どれが、とかではなく、シガテラのように、色々なものを飲み込めなくなり嘔吐していた。そんな期間は、「ああ、良かった」としか思わない。「ああ、良かった」というのは事後的な感想であり、苦労して調整を重ねた仕事が上手くいきましたとなったようなことがあっても、唐突に跛行しなければ歩けないくらいに背中が痛くなって、整形外科でレントゲンを撮っても原因が不明、MRIを使って調べた結果、前の週に飲んだ咳止め薬の副作用で便秘になっていて、宿便が背中を圧迫していたということが分かった時も、結果三万くらい払ったけど大病とかでは無かったという結末になった時も、マイナスがゼロになっただけであり、ミスが起こらなくて良かったねというだけの言葉なわけである。

 厳密病が加速したという気がするのも大きい。厳密病とは、Aという問いを投げかけるニュースが起こった時に、賛成派や反対派どっちにも、それは「厳密に言えば、違うんじゃないか」と思考が止まらなくなる逆アウフヘーベンのような状態に陥ってしまう症状に名前をつけたもので、そしてそれを突き詰めると基本的には、全てが虚無にたどり着いてしまう。そういうことが続くと、ローソンで売っている飴くらい、味がない日々になる。

 そんな中で、心が震えたのは、「水曜日のダウンタウン」でのパンサー尾形のドッキリ免許の説と、大江佑の説、あとは、ワクチン3回目を摂取した後にツイッターを開いたら、仲良くしている人と完全なタイミングで終えていた事がわかったこと、町田康の「私の文学史」を読んでいたら、「今は文体の時代ではないと思います」みたいな話から、それでも文体にこだわるという旨の話をしていたくらいだ。だから、愛媛に行くタイミングが遅くなったのも、仕事に忙殺されていたこともあるけれど、楽しめないんじゃないかという恐怖がないわけではなかったからというのが本音の部分でもある。この表現も、厳密病の症状の一つ。

 市電が走っている街は、落ち着いていて、佇まいがよいという市電理論いう持論を持っているのだけれど、その理論の検証も出来ました。愛媛県松山市の栄えているところは、城下町ということもあって、どこかトータル五年は住んでいた熊本の市街にも似ていて、懐かしさもあったのも、通電した豆電球がゆっくりと灯り始めるように、電子カイロが少しずつ温まっていくように、脳と心の間を通る道筋に何かが流れ込んでいくようであった。今後、あまりにも芸人仲間とのプライベートでの交流が無さすぎて、ネプチューンの名倉夫妻とくりぃむしちゅー上田夫妻と食事した話を「あれは楽しかったね」と数年言い続ける爆笑問題の太田のように、「あれは良かったね」と今回の愛媛旅行を振り返るであろう。

 旅のメインの目的は、大江健三郎の生家を見にいくことであった。

 この数年は、大江健三郎の時代といっていい。今なら幸いにも、と言えるが、日本ではまだ発出されていない、新型感染症拡大対策のためのロックダウンを始めとした色々な事柄が、「芽むしり仔撃ち」とリンクするという指摘は散見されるが、読者からすれば、結果として政治的なテロとなってしまった元首相への銃撃、旧統一教会だけとは言わせない日本における信仰のあり方、これまでに国防の問題であるにも関わらずそれを語るときは一地方の問題となっていた沖縄の問題、唐突に死んだ人を悼むという行為、それらについて考えるため小説を大江健三郎は書いてきた。ゾロが縄で縛られ棒に磔になっていたところから始まってそのクルーや出会う人々を解放してきた「ONE PIECE」において、ルフィがギア5に覚醒したことで、この壮大な物語は、紛う事なき自由論であり、その結末に向かっているという気付きよりも、ずっとずっと前から、抑圧からの脱出または解放、そしてその共存としての自由こそが、その大江文学のテーマであるのだが、全集を刊行して以降、大江の言葉は無い。

 子が保育園に通うようになって昼寝をするようになったのと、成長しているから体力も増えているからであろう、平均して夜の10時に眠るようになった。こうなると、なるべく定時で帰宅するようにしていたとしても、そこから夕方は自分と子の食事、そこから歯磨きなどのルーティーンをこなし、一緒にお風呂に入る。風呂場で遊ぶのが好きな子のために、なるべく烏の行水とならないように、付き合うと決めている。それ自身は、とても貴重な時間であるとは分かっているのだが、そこから子が眠るまで、自由な時間はない。少し早めに寝てくれたとしても、疲れているから、難しい本なんかは頭に入ってこない。沖縄についての本ということで、岸正彦の『マンゴーと手榴弾』の「鉤括弧を外すこと――ポスト構造主義社会学方法」」の章なんてめちゃくちゃ重要なことを書いているのに、3割くらい飛ばし読みして、やっと読み終えた。その繰り返しで自己嫌悪に陥りつつ、就寝するのだが、それは後数年のこと、だと辛抱している。だがやはり、テレビも見れない、本も読めない、ラジオはめっちゃ聴いているっていうのだと、好きなものを見失っていっている気がして、心に澱が溜まっていくのがわかる。このままではラジオを首からかけて地元FMの昼間のラジオを流しながら、街を徘徊する老人になってしまう。そうならないために、余暇が出来たらいつでも、好きを手元に手繰り寄せることが出来るようにしておくために、指一本でも引っ掛けてしがみつくように、ほとんど意地のように、エンタメを摂取する。

 COVID19に罹患することもそうだが、差別について考えていたら、差別される側に所属することは偶然であるのだから、つまりは、被差別する側もたまたま、比喩としての安住の地に配属されたに過ぎないのではないかと考えるようになって、ひいては、偶然ということを受け入れることは真の多様性や寛容につながるのではないかということで、そして年齢を重ねるにつれてこの偶然という概念を受け入れられなくなっているのではないか、それならまずは偶然とは何なのかを考えるためにと九鬼周造の「偶然性の問題」を読みながら、お笑いを合間に見る。いや最近は見ていない。「鎌倉殿の十三人」を一気に観て、嫌な気持ちになったりしている。

 好きの迷子であり、迷子センターへと迎えにいくために、古い本棚を処分し、新しい本棚を購入することに決めた。元の本棚の収納力は十分ではあるものの、それが故に、奥に置いている本は、持っているという事実が死んでしまっていた。自室にある本は、読み終わった後、表紙が目に入るような状態にあるというだけでその存在を認識できる。この存在を認識しているという行為は、捨ておけない重要さを持っている。そしてこの、本棚の新調こそが、そういう意味における、部屋のリビルドであるが、それは部屋だけではなく、好きの再構築だ。

 爆笑問題霜降り明星がMCを勤めていた「シンパイ賞」の初期に、60歳を超えてからマジシャンとなり、90歳を超えてなお現役、つまりは爆笑問題の芸歴近くマジシャンをやっているという方が出演していて、それを見た時に、やたらと感動したのを覚えているのと同時に、一個の指針ともなっている。このことと同じように、大江健三郎の小説は、生涯をかけて読むであろうと確信していて、そのために、認知症にならないように脳に溜まったタンパク質の汚れを脳汁で流し出せるように12時前には寝てApple Watchで測定した深い睡眠が3時間近くなるようにしたり、デンタルフロス歯垢をこそぎ取ったりしている。これまでは大江健三郎の小説を時系列を無視して散逸的に読んでいたが、これからは、体系的であったり、作品にまつわる論文にまで広げて読んでいくためには、まずは、モチーフを超えてその根幹となる、愛媛県内子町の森という風景を体験するという、全ては大江文学に取り掛かるためのリスタートであるというのが、今回の旅の目的である。

 思えば、観光が目的の旅というのは、東京にお笑いライブなどを見にいくようになってから、新婚旅行以外では、初めてかもしれない。事前に調べたところ、松山市から内子町大瀬までは、かなりの距離があり、これ一旦、タイムスケジュールを整理しないと成功しねえな、となったので書いていたら、なんとなく、旅のしおりを作ってみようかなと思いついた。仕事で資料を作るようになったこともあって、その中で得たくだらない小手先のテクニックを駆使して、作成した。その中で、伊集院光みたいにバイクをレンタルすることも思いついたのだけれど、後述するが、これも、偶然性を生み出し、大成功だった。

 さて、Apple Watchへの航空券のチケット登録と前提の共有を終えたところで、保安検査場へと向かおう。

 初日は便の都合上、3時過ぎという微妙な時間だったので、松山城といくつかの目星のお店をぶらぶらするだけだった。ホテルにチェックインし、荷物をおろし、松山城へと向かう。松山城は小高い山にあり、正門の裏の傾斜が急な山道を登って、城にたどり着く。時間的に、本丸には入れなかったものの、松山市街を見下ろせるその景色は圧巻であると同時に、町のどこにいても見上げると城が鎮座しているという事実は、まるで巨大なパノプティコンのような構図は、人格形成に何かしらの影響すら与えそうだとも思わずにはいられないほどだった。

 敷地内に、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で松山城について書いている文章を紹介した看板があった。

「城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて三万。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は、四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。」

 松山城がタイタンライブに出るならエピグラフはこれになるなあと思いながら散策を終え、お目当てのブルワリーへと向かう。アパレルとクラフトビールを売っているという珍しい形態のそのお店は、Instagramで見つけて、絶対行こうと決めていた場所であった。

 シャンクスが白ひげに酒を差し入れた際の「世界中の酒を回ったが・・・肌にしみた水から作った酒を超えるものはない。」というセリフに影響を受けているし、映画の「RED」は映画としてというよりもONE PIECEとして駄作であり、あれを正史とは到底認められるものではないが、肌にしみた水から作ったものをこそ飲めば、その土地が分かるはずだ、という理論を後付けの言い訳とし、ビールビールと足早に向かっているところに、陰コース低めの球が放たれた。

 めちゃくちゃマスクとか感染拡大防止対策をシカトするタイプの店だったらどうしよう。

 実は、ずっと気になっていたことで、色々とお店を調べている間、そのことがずっと頭よぎっていた。個人的に飲食店の従業員におけるマスク及び感染拡大防止対策についての、見解は次のとおりだ。まず、感染症対策のプロではない以上、マスクが有効であるとされているという原則に即して動くしかなく、飲食店という特に、マスクを外す機会が多い場所に常にいるということは、一般的な事務職などよりも感染率は上がってしまう以上、少しでも意味があることはすべきである、また、仮にその対策を怠り、COVID19に罹患してしまった場合、店を閉めなければならず、そうすればその分の売上は落ちるし、また、客からしてもあの店に行って罹患してしまったと紐付けられたら、一定の割合で常連客やリピーターを失ってしまうので、経営上の観点からも損失でしかないからそこが判断出来ていないのは問題あると思ってしまうので、やっぱり、しないに越したことはないわけだし、加えて、衛生的にその程度の認識しか持ち得ていないこと、客に感染症を移しても良いと考えていると捉えられてもしょうがない行為である以上、客を軽んじているとみなしてしまう、よって、やっぱり、マスク及びその他の感染拡大防止対策をしていない飲食店に積極的に行きたいとは思わない、ただし、料理人などに限って言えば、慢性鼻炎には計り知ることの出来ない領域で、嗅覚という身体性も重要な仕事道具の一つであるということも理解できるので、そこに関しては、ぎゅっと目をつぶると決めている。 

 この程度には考えているにも関わらず、マスクをしていることを、空気を読んでいるだ、思考停止だと言われる。挙句の果てには、タレントのフワって、よくよく聞いてたらバラエティでのVTR明けのコメントをかなりの確率で外しているし、結局は、有吉をラジオに呼べるみたいな政治力が凄いだけなんじゃねえの、ラジオ始める時に伊集院みたいになったらどうしようとか言ってたくせに早々にファーストサマーウィカ蹴落として降格してまで、しがみ付いてんじゃんって思ってはいるものの、そういうことを口に出してもいいことは無いからとおくびにも出さずに、それを口にしたところでまだその評価にいんのかよって言われるのが関の山なんだけど、それを踏まえて政治力とか気に入らねえなつってんのてのを呑み込んで、ヘラヘラしてフワ評価の流れという周りの空気に乗る(Ride on)から転じて生まれた言葉であるところの、自分にしっかりとした考えがなく、むやみに他人の意見に同調するという意味の四字熟語の付和雷同だとまで言われる。とても心外である。そんなことを言われたら、こっちとしては、反マスク派は、自分の口臭がマスク内でこもることに耐えられないとかそういう偏見で対抗するしかないのだけれど、そういうふうに、他者が何も考えていないとみなすことはあまりにも簡単なのでもう止めることにした。結果を言うと、最終日に立ち寄ったコーヒースタンドの店員がノーマスクだった。判断に迷う。こっちが訪れている身だしなあとも思うし、先述したことと思いっきり矛盾している。ただ、どこから来たのか伝えると、愛媛料理を食べれるお店ありますよ、とかコーヒー屋を教えてくれた。パウンドケーキも美味かった。

 マスクにおける口腔と鼻腔へのウィルスの侵入のための防具としての有用性は、この3年間で身をもって立証されているわけだし、そうなると剥き出しになっている粘膜は眼球だけになるので、それはこっちがメガネをかければ良いわけだしなと、普段とは違う考えに至る。それは誤用の方の意味の穿った見方をすれば、都合よく旅を楽しんでいる自分を守るための逃げとなるのだが、地元でもそう思うようになれば良いかなとも思う。とはいえ、これを寛容であり、多様性を尊重しているとか安易に捉えられたくないという思いもある。他者に寛容であることは容易ではないが、自らの手で、万難を排することによって、他者に寛容であると思わせることは出来るなということに気付かされた。

 ここで明転、舞台はブルワリーに戻る。ヨーロッパを思わせるようなめちゃくちゃおしゃれな外観の店内に恐る恐る入ると、マスクをしている店員さん。良かったーと安堵し、席に案内してもらう。席の目の前にはガラス越しではあるものの、醸造所ではお馴染みの銀色のでかいタンクが並んでいるの雰囲気がある。

 愛媛産の柑橘類を使用したビールは残念ながら売り切れで、最初に選んだのは、瀬戸内海のシークヮーサーを使用したものもあって、まあそれは別にいいかとなり選ばなかったのだけれど、今思えば、どうシークヮーサーが自分に逆輸入されるのかは気になったので、勿体無いことをした。すぐに、黄金色のビールがこれまたおしゃれなグラスに入れられて運ばれてきた。手元のメニューに書かれている味を説明するテキストを読みながらグラスを口に運ぶ。「お菓子のように少し甘く口当たりはシルキー。瀬戸内レモンのフレッシュで爽やかなアロマ、三種類のホップ(Sabro、Citra、Idaho7)によるジューシ」。うま。え、美味っ。ノイズなく脳直で美味しいと感じたのは衝撃だった。うめぇうめぇと、ちびちびと飲みながら、何も分かりゃしないのに、ぼーっと銀色のタンクを眺めたり、店員さんと少しだけ話したりしながら、もう一杯頼み、お店を出た。その後は、教えてもらった、居酒屋に行って、ブリの刺身の甘さに度肝を抜かれたりして、また柄にもなく、そのお店でも色々と話したりした。ホテルへの帰り道、思わず、知らない町のその生業に触れて泣きそうになり、慌てて、あいみょんの「愛を知るまでは」を聞いたりして少し泣いた。

 二日目、起床し、出発前に目星をつけていたお店に向かい、コーヒーと、無花果のタルトを食べる。無花果を食べたことは多分初めてなのだけれど、その優しくほんのりとした甘みと、苦すぎないコーヒーが、二日酔いの体に染みる。何よりも良かったのは、ハナレグミをBGMに流れていたところだった。流れてきたのは「うららかSUN」。HIGHWAYをスッとばせと歌う旅の前に聞くには、あまりにおあつらえ向きすぎて、これがスピかと一人でニヤつく。

 昼過ぎにレンタルバイクを借り、40キロ以上先の内子町大瀬へと向かう。松山市から少し走らせると、砥部焼で有名な砥部町に入る。砥部焼の販売所を寄りながら、さらに進み、そうして町を抜けて、田畑がある風景となる辺りで、ちょうど目的地までは半分くらい。さらにその先の山道をバイクで延々と走らせていたのが大変だった。

 山に囲まれた道を進んでいくうちに、外気も冷たくなっていき、それに伴って徐々に体感気温も下がっていく。トンネルに入ると、さらに、ずんと寒くなる。道は合っているのかとも心配にもなる。目に見える景色は単調ではあるものの山道はカーブも多いので、ぼーっとすることはないので油断せずにすむ。先へ先へと進む中で、対向車線を走る車とすれ違うことはあったけれど、後方から走ってくる車はほとんどない。そういう状況なので、頭の中は自ずと、ここ最近の気になっていることを洗い出し始める。そういえば、毎年書いていた「キングオブコント」の感想、今年は書いていないな。もう別にいいか。言いたいことはめちゃくちゃあるんだけどな。でも見返すこともしてないし。今年のキングオブコントは、一言で言えば、やっと、やっと、コントがフィクションとして認知されたって感じだな。ニッポンの社長は暗転云々よりも普通に今エヴァンゲリオンのパロっていうのが気になった。かが屋は音楽を流すとかそういう決勝に上がりやすい技法を排除して自分達のコントを卸し続けて偉い。コットン、素晴らしい!浮気の証拠隠しなんて、自分で出来るだろというツッコミを、プロの仕事を見せることでこれはお金出せるわと暗に理解させていくという構成も美しい。コットンの西村は、コントの中で、つまらない奴がつまらないことを言う演技が上手すぎる。最高の人間、岡野のネタから始まって、吉住のネタになり、二つが融合する。完成度は一番高いけど点数伸びなかったけど最高だったなあ。「あんま伝わらないと思うけど、最高の人間に限らず、コント中に『マジで何かを食っている』っていうのが好きすぎる。」っていうツイートが一番反応があったのなんだったんだ。猫って砂漠の出なのに何で魚が好きなんだ。太田光の炎上や名前を出したくもないあいつの発言にしてもその発言ではなく、その人論になってしまう傾向に言説が傾くのは良くないんじゃないか例えば太田光というのは対話に重きを置いている人なのでという展開は、理解しているアピールで終わってしまう恐れがあるのではないか。子、可愛い。さっき鍋焼きうどん食べながら見たヒルナンデス、虚無だったなあ。柿ってパーシモンっていうんだ。自分のことを頭がいいと思っていて、人にも考えていかないとダメですよ的なことを詭弁メインで話しているやつが、「正しい文法」だったり「辞書に書いている」であったり、言っていることが幻想に依拠し自分で考えることを放棄した人間が陥る権威主義になっているの興味深いよな、いや必然か。金の国のエレベーターのネタ、良いネタだったなー。パーシモンホールって無かったっけ。ダウ90000を演劇のカテゴリーにどうしても入れたい人ってなんなんだろう、蓮見の反対ってことは、地方の公立大学出身のサークル入る勇気もなく、大学時代に友達が一人も出来なかった人なのかな。

 そうこう走行しているうちに、内子町という標識を見つける。そこからすぐに人里という感じになり、町で一番分かりやすく、かつその近くに目的地があるということで暫定の停留地点として定めていた内子町大瀬自治センターに到着。センターも人がいるのかいないのか分からないような状態。もちろん、看板とかがあるわけではないことは何となく思っていたので、散策しながら、出会った人に聞いてみるかと、ぶらつき始める。

 周りは森で、町は静かである。近くの小学校では、子供達と先生が、校庭の掃除をしている。校舎は数年前に建て替えてしまったらしい。今から八十年前となると、日が沈めば集落は完全な暗闇に包まれたはずだ。その恐怖への意味づけとしての神話などがいくつも産み出されてきたのだろう。

 大江健三郎が、偉大な小説家であるという評価は揺るぎない事実であり、少なくとも日本においては数百年は出てこないであろう存在であることは想像に難くなく、その発言の極々一部の切れっ端を摘み上げ、いかにも鬼の首をとったように振る舞うのは、自らの分かる範囲でしか動かない愚の骨頂としか言いようがない。当時の日本人が敗戦を受け、まるで念による攻撃を受けたことで地道な修練を積むことを飛ばして念能力が使えるようになるように、その精神的な衝撃は表現にあまりに多大な影響を受けたわけだが、大江健三郎も同様であったのだろう。ただ、大江健三郎は、そこからさらに、その人生において思考すべきことが都度起こり、まるで祈りのように続けてきた本を読むという行為の二つが、小説に化学変化をもたらし続けてきた。大江文学は決して古臭いものではなく、ずっとオルタナティブであった。技能などが大江健三郎に並ぶ小説家が出てこないとはもちろん限らないわけだが、くるりの比じゃないくらいの変遷を見せながら、その魂の在りようを書くということに肉薄し続ける小説家は、今後数百年は出てこないだろう。

 そのゼロ地点に立っている。

 否が応でも、魂が震えてくる。

 沸騰するとまではいかないが、確かに、火にかけた鍋の底からぷつぷつと水泡が出来、浮かんでくるような感覚。巡礼という行為が持つその意味の一端を感じることが出来た。まだ感動できるのか。

 ここに来ないと一生知ることがなかっただろうな、ということの一つに、内子町までの道中では柿を育てている人がとても多く、無人販売所もいくつも見かけた。生い茂る緑の中に、灯火のようにポツポツと見えるオレンジ色はとても印象的であった。思わず、100円一袋で丸々とした柿が五個も入っているのを購入した。実質0円だ。無人販売所で買ったものを実質0円って言っちゃうと、誤解が生じるんだけど。今は自宅の冷蔵庫の隣で、熟するのを待っている。死んで久しく、その思い出がほとんど無くなった祖父と同じく、ぐっちゅぐちゅの柿にべっちょべちょにむしゃぶりつくのが好きなのだ。その妻である祖母は、認知症対応型共同生活介護事業所に入ったと聞いている。伝聞なのは、こういう重要な話を、母はしてこないからだし、詳細を聞かないのは、極力会話を減らすためである。ラジオに救われたとかいうことは言いたくはないが、伊集院光が実家と疎遠であるという事実は、確かな寄る辺となっている。

 生活とは、調整と事務である。

 人間臭さとは、自分と他者が擦り合ったことで生じる澱の匂いである。

 生きていくということは、汚穢を撒き散らすことである。 

 ここ最近は、ずっとそういうことを考えている。

 寒さと同じ体勢を続けたことでバッキバキになった体を、ギアセカンドみたいな体勢で肩のあたりを伸ばしながら、ちゃんと小説とか書くかー、と思ったりした。

 新型コロナ、第二部完。