石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

(作成中)M-1グランプリ2022感想「????の??、???を成す。」

  最近のブームは、コロナ禍お礼参りだ。これは、コロナによって抑圧された日々の中で、ささやかな、しかしそれでいて重要な、生きるための活力となっていたものを積極的に利用するというものである。簡単に言えば、名店を再現したインスタントカレーをよく食べていたのであれば、旅行の際に実店舗に足を運ぶみたいなことに、そう名付けている。

 折坂悠太の「トーチ」という曲が、とんでもなく名曲なのだが、ある日、地元でライブをするという情報を得た。折坂悠太は妻も好きな歌手であるのだが、おあつらえ向きに、会場は違うけれども、二日連続でライブをしてくれるということ。子がいるので、二人一緒にライブを見にいくということが出来ない夫婦にとって、これ以上ない救済措置だ。日程については、免許を取得していない妻に近くの会場を譲ることで互いに合意を得ることが出来た。そんな中、ふと、あれ、これM-1グランプリと日程かぶらねえか、ということに気が付き、実際そうなってしまった。その時点で、リアルタイム視聴を諦めることとした。余談だが、折坂悠太のチケットを購入した直後くらいに、バンドのスカートが折坂悠太のライブと同日の日程のライブを発表し、京都のα-stationで放送されている「NICEPOPRADIO」を毎週傾聴している身としては、お礼参りとしてはこっちの方が比重高いかな、東京にも一年半行けてないし、とギリギリまで悩んでいた。これでもし、こっちを選択していたら、録画機器もない東京のカプセルホテルで、肘にコーヒーの粉をふりかけて舐めて過ごすしかなかったから、結果としては良かった。澤部さん、近いうちにライブ行きます。加えて、折坂悠太のライブについて、妻の仕事の都合もついたことなどの理由で、日程を交換してもらえることになった。ただ、これでM-1をリアルタイム視聴することが出来るわけではない。子である。最近は、22時前、コンディションがいいと23時に寝る習慣がついている。そうなると子を起こさないことでリアルタイム視聴することが可能となるが、絶対に集中出来ないし、何より寝かさないという行為が、欧米であれば虐待にカテゴライズされる可能性がある。そうなると、選択肢は一つ。早く寝かせるのみ。と、ただ一言で言っても、これがかなり難しい。この一年の行動から導き出した答えは三つ。いつもより早く起こす。昼寝しない程度の活動に抑える。食事やお風呂を前倒しにする。可愛い我が子を、モグワイとする1日はそうして始まった。
 いつもより早く起こすことは簡単だし、早く起こすことは虐待にはならなそう。食事やお風呂を前倒しにするのも簡単。一番の難問は、活動を昼寝しないように抑えること。少し遊ばせすぎると、昼寝をしてしまうので、こうなってしまうと詰む。かといって、テレビを見させ続けると体力が消費されないので、早く消灯しても寝付かない。まさにポケモンモンスターボールを投げるタイミングとしての、瀕死の状態にさせないように、いかにキワまで体力を削るかということが重要なのである。お出かけも1時間ほどに留め、テレビも適度に消して、ひとり遊びをさせる。その合間に家事をしつつ、いつもより早く食事やお風呂の準備に取り掛かる。その結果、19時14分に寝かせることが出来た。普段は、育児をしていることについて、何ら偉いとも思わないが、この日ばっかりは、めちゃくちゃ偉いなと思った。普段しているからこそ、この絶妙なミッションをクリア出来たわけでもあるから、やっぱり普段も偉いということになる。ただその達成感に浸っている暇はない。そのまま追っかけ再生をして、割とすぐに追いつくことが出来た。ただ、もう来年はこんな状態にはしたくないので、すでに来年の第2週、第3週に「M-1グランプリ?」というスケジュールを即入力した。というわけで、『M-1グランプリ2022』のネタ分析はじまりまーす。来年はホテル取るぞー。


1 カベポスター「大声コンテスト」

 まず初めに、今年のファイナリストの面々を見た時の第一印象は、敗者復活戦との相性が悪そうな面々、というものだ。それは、発想及びテキストに比重が置かれているネタをする人たち。照明も強くない、狭くて酸欠になりそうなライブハウスで見たいネタ。寒いビル風に吹き飛ばされてしまうようなネタ。お笑いファンであれば集中しているので聞き逃すまいとするが、そうでない層には伝わらないという意味となる。そういうコンビが多く挙げられていたことで、ここ数年の敗者復活戦で敗れてきた出演者が報われたような気にすらなった。
 カベポスターについては、台本が先行してやりたいことがごちゃごちゃしているという印象があったのだが、ここ1、2年でそれがスッキリしてとても入ってくるようになっている。まるで、今年一年、仕事で会議の資料を作るときに、これまでの駄々らに長い文章を書くということをしていた癖が出て、上司にボロカスに修正を喰らいまくったことで、体言止めとかを使って、端的に伝えるということを覚えた僕のようだ。その反動で、こういうときにさらに長くなってしまっている。こういうことをこの場で書いているように。
 大声コンテストが待ち遠しいという話から、大声コンテストの思い出の話を永見が始める。
 改めて見返すと、綺麗に笑いどころを組み合わせていて、めちゃくちゃ美しい。大声コンテストで3パート、実は一個の物語がそれを貫いていたというネタバレのパートという、4パート構成になっている。けれども、入り組んでいるという印象を全く受けない。引き算が出来る人間は強い。
 ツカミは、立川志らく審査員が誉めたので割愛、1回目の大声コンテストのパートで笑いをとりつつこのネタのチュートリアルとなっている。小学生あるあるで振っておいて、そこから実は、「ん」で終わる、大声コンテストに向かないワードを叫んでいく。
 ここ、単語の羅列で笑いをとっているというところが恐ろしい。面白いことを言っているわけではないにも関わらず、笑いが途切れなかったのは、観客の勘所もあるだろうが、主に、漫才師としての表現力によるものだろう。永見の顔や体が面白かった。出てくるワードもどれも繋がりがなく、脳の片隅にあって日常的にあまり使わないというところから引っ張ってくるというチョイスも絶妙であった。
 「お前以外言葉選びミスりすぎてるやろ。なんでおっきな声出さなあかん大会で最後『ん』でおわんの」というところで笑うというネタのシステムを理解させた後は、応用編としての2回目の大声コンテスト。ここでは、速度をあげて、さらに笑いを重ねていく。
 続く3パート目ではお題が変わる。お題が変わるということは、笑いどころが変わるということである。1、2回目のコンテストのお題は「大好きなもの」「欲しいもの」、3回目は「しりとり」。この「しりとり」ということに対して、浜田が「最後が『ん』で終わらんように、大会側がテコ入れしてきてるやん。可愛いだけのトップバッターが優勝して盛り下げるから、運営動いてるやん」と突っ込んでいるが、実はこれも物凄い機能を有している。「大好きなもの」で笑いを取り続けることを2パートで終える判断は分かるとして、そこから「しりとり」に移ることに対して、正当性を保ちつつ、一個の山場ともなるくらいの笑いどころにしているのが凄い。2パート目と3パート目のジョイントのノイズの無さが滑走路として上手くいきすぎている。ここがあるから、4パート目のネタバラシでのフライトが気持ちい。サゲの「そこ口すぼめろや」も巧みすぎて、そこはもう引いてしまうくらいだ。
 永見に「人の人生なんやと思ってるんですか」と言われそうだが、大会のトップバッターとして相応しいネタだった。
 確かに、永見が叫ぶとおり、軍服って字面は怖いけど、大声で言いにくいんだね。

 好きなくだりは「金運」「言葉選べよ」「酒池肉林」「マジで言葉選べよ」、大会側のテコ入れ、「くからじゃなくて、ぐからでも良いですか」「なんか頼もしい人おんねんけど」からの「軍服」。

 

4 ロングコートダディ「マラソン世界大会」

 4番目という出順だからなのか、敗者復活戦から這い上がってきたオズワルドの出番が終わったからなのか、ひととおり客席があったまったからなのかは分からないが、見ている側の緊張が解けたような状態にスッと入ってくる、とにかく軽やかでファニーな漫才だったが、実際は、とんでもない発明に支えられた漫才でもあった。

 ネタを敢えて乱暴にいえば、「マラソンの世界大会に出場。どんなやつに抜かされた」大喜利になる。その答えは「走り方めちゃくちゃ変なやつ」「他のランナーを人混みやと思っているやつ」「まだ何の大会かよく分かってないやつ」「お味噌汁持ってるやつ」「結び方分からんから、靴紐持ちながら走ってるやつ」「まだ靴履けてないやつ」「青春」「大奥」「主催者」「太ってるやつ」。大喜利漫才とはいえ、これらの答えはやっぱり動きがないと面白くない。何より、「太ってるやつ」という、マラソン選手は痩せているものであるが、漫才でそれを再現するときに、勝手に脳内で兎を痩せさせるという、観客が漫才に乗っかるために必要な作業を暴くという、叙述トリック的なボケにはめちゃくちゃ笑った。

 兎と堂前がボケる、いわゆるWボケ漫才となるが、この漫才にはどうしたって笑い飯が立ちはだかる。設定が上手く機能し、Wボケをしているという圧があまり無いWボケ漫才となっていた。

 笑い飯の「奈良歴史民俗博物館」でいうと、「ツッコミが展示物となる→ナレーション風にボケる→ツッコんで交代する」を持って1ターンとする。ロングコートダディのネタは、「走っている→抜かされる→フェードアウトしていく」が1ターンとなる。このターンの繋ぎ目に関してのみ言えば、笑い飯の「代われ!」よりも、次のターンへの移行がシームレスな印象を受ける。これは、マラソンという設定も強く影響しているのであろう。抜かされたランナーがフェードアウトしていく間に、抜いた奴のセリフを持ってくることで、視線がそちらに向けられるので間も繋がれるし、余韻の笑いが楽しい。「奈良時代の人々の暮らし」という導入も不要となっている。

 噂によると、偶発的に生まれたネタらしいが、上手く言語化出来ないが、とにかくスッキリして特に無駄なくだりがないというか、ネタの引き算に関する発明を見たような気がしてならない。

 とんでもない、細マッチョな漫才でした。

 好きなくだりは、「Are you japanese?」と問われた兎が「舐めんなよ」とばりにアップをかましながら「はい」と答えるという兎のマウント取りというニンが出ていたところ、「太った人に抜かされた」という叙述トリック的ボケ。

 

5 さや香「老化」

 雌伏の5年を経て、決勝の舞台に戻ってきたさや香

 昨年の敗者復活戦での「からあげ」のネタは、我が家で大顰蹙を買っていたので、全く期待していなかったのだけれど、一本目のネタには度肝を抜かれた。さや香が凄いという噂すらなく、よく潜んでいたと舌をまく。とんでもない伏兵。寄席で見るよりも単独を見たい漫才師。一言で言うのであれば、あまりに強度が凄い。台本、表現力、そして演芸として、硬度がとんでもなく、ネタを聞いている中で、ただでさえ猫背にも関わらず、どんどん前のめりになっていた。歴代に、『M-1グランプリ』でかけられたどのネタよりも、強度でいえば一番だと言っていいと思う。これまでに優勝した関西勢コンビのネタのエッセンスを感じさせつつ、漫才のそもそもの楽しみの原点である、知らない人たちの会話が聞こえてきて笑ってしまうということに忠実で、かつ、寸分の狂いもない。さらに、そんな原理の漫才としての喜びに、口喧嘩におけるリアリティも兼ね備えている。何度も言うが、強度がすごい。

 面白くなっているというだけでなく、どっちがボケでどっちがツッコミか知られていないということがとても強みになっていた。

 「いつまでも若くないですよ」というツカミからの「30代になっての身体の衰え」という、ここまで聞いたら、面白くなるとは思えないようなテーマからの、石井の「僕はあの、免許の返納をしました」と、ギリッギリまで油断させてからの急展開には完全にやられてしまった。この間、流れるような30秒弱。素晴らしい。

 「29歳で免許を取ったけど、身体の衰えを感じてきたから、34歳で免許を返納した」「事故起こしてしまう前に返納してしまわなあかんねやないか」という石井の行動は当人の勝手なのだが、一般常識に基づいて石井に違和感を抱き、異を唱える新山。石井は自らの免許返納の正当性を伝えるも「俺今一番好きな食べ物、お漬物やで」「それ言われて、あ免許返納やなってならんよ別に」「だってこの前、漬物だけでご飯三杯食ったからな」「ご飯三杯食えてるやん」という設定の開示後というやり取りで、一瞬の考えオチをハメてくる感じも、定石を外された感じで気持ち良い。

 石井は中盤までトーンをそこまで変えずに反論しており、お父さんの元気さをいじられたあたりからキレ始めているのも自然だし、面白い。以降も、論点が動きまくっているから、ネタに集中する。そして、集中して見るということと抜群に相性がいい。

 互いに論破しきれないという会話が笑いを気持ちよく重ねていくことも含めて、間違いなく、大会一つ目の爆発となった漫才でもあった。 

 最後の、「俺はもう神様に誓ったから。二度と運転しませんって神社の賽銭箱に返納したから」ということで、石井が言っていたのが、正式な免許返納ではないことが判明してからの「免許奉納」は、全く予想できないところからの二段ジャンプ、痺れました。

 改めて、とんでもなくいい設定だなあと思います。社会問題として世間が共有しているからこそ、若くして免許返納するということはおかしいけど、石井の理が通る余地がある、これが肝で、それがなければ、喧嘩漫才となる理由がなくなってしまう。

 好きなくだりは、ツカミからの「免許の返納をしました」、「お前、家族で遠出するときどうすんの」「そんときはうちのオトンに車出してもらう」「どういうつもりで乗ってんの」からの「返納せいや!」。

 

6 男性ブランコ「音符運び」

 「ダブルメガネを侮るな」という、とんでもないルッキズムで始まった、男性ブランコのネタは、「音符運び」。

 この手のネタは、どうしたって、バカリズムの「都道府県の持ち方」を連想してしまい、それをどうやって打ち消すかということが一つの勝負ともなる。男性ブランコは、二つの意外性を持って、自分達の世界観に落とし込んでいた。

 まず、パブリックイメージの裏切り。男性ブランコといえば、『キングオブコント』でのネタからも、柔和なネタをするというイメージを持たれている。その他の受賞歴が、「エモネタ王決定戦」を第2回、第3回の連覇、『SDGs-1グランプリ2022』優勝と、見るからに柔らかい。SDGsといえば、ポカリの瓶ってどうなったんだ。それはさておき、音符運びの最中の事故で浦井が死んでしまうというダークなネタとなっているのが一つの裏切りだ。全て不可抗力というところは男性ブランコっぽくはあるものの、ネタ初見後の感想として、嫌さが全く残らない。じわじわと、めちゃくちゃ人が傷ついていると思い返していく。過去に、立川志らくが和牛を評して、「ゾンビネタをしても客がひかないのは、その品の良さから」という旨をコメントしていたが、それに近いだろう。男性ブランコが纏っている品の良さが、浦井が100均の便利グッズみたいなキレ方になるグロテスクさを完全に脱臭している。浦井が倒れてしまう時に、断末魔を叫んだのは、システムを理解させるための最初だけで、他はミニマムに死んだことを表現しているのも、理由の一つだろう。「音符をどう持つか」ではなく、「音符を運ぶという仕事の中での事故でどう浦井が死ぬか」になっている。

 もう一つが、今大会で一番、身体性に依拠した漫才だったということ。ダブルメガネのくせに、二人ともパントマイムが上手すぎる。特に、平井のパントマイムは見事で、音符の重さが伝わってくる。つながった音符のくだりのパントマイムは何回見ても、無音でも面白い。

 フォルテッシモがブーメランのように戻ってきて、浦井の首を掻っ切った描写は見事で、村上龍の『半島を出よ』で、ブーメラン使いのタテノが、ブーメランを投げて犬の首を切り落としたシーンを思い出した。

 この2点で、いつもとは違う男性ブランコを堪能できた。ダブルメガネを侮っていました。

 最後に、平井の腕時計は、ゴツすぎるし、ダブルメガネが、浅間山荘の話をしていたら、もう男性ブランコ連合赤軍メンバーにしか見えなくなってくる。

 好きなくだりは、つながった音符の重さに耐えきれずモーニングスターのようになってしまった時の平井の回転の動き及び平井の倒れ方、「フォルフォルフォルフォルフォル」からの「おまぇ」、「何が一番ダメってね、その事故が起きてから、なんにもしてないのよ」。

 

7 ダイヤモンド「変な言い方」

 「男女兼用車両の電車に乗ってさ」「いや、男女兼用車両って。普通の電車やろ。変な言い方すんなよ。」「で、その居酒屋でさ、有銭飲食したんだけどさ」「有銭飲食って何なの。」「お金払って飲み食いすること」「や、全部そうやろ。お前、あの有銭飲食って言うことによって、普段から無銭飲食してんのかなって思われるよ」と掛け合い始めていると、小野が野澤の言い回しに突っ込んでいると、野澤が「いちいち、うるせえな」とキレる。小野は「いちいち、うるせえのお前な」と返すが、野澤は「じゃあ、全身浴ってなんだぁ。全身浴。そんな言葉無かったのに、半身浴が流行ったから全身浴なんて言葉が生まれたんだ。裸眼もね」と自身の正当性を主張し、俺が新しい日本語を作るんだと宣言する。

 お屠蘇気分で見返してみると、ゲラゲラ笑ってしまった。実際は、単純で小野のリアクション含めてバカバカしい漫才なのだけれど、初見時は、なんとなく、言葉いじりの漫才が複雑なことをしているように思えてしまったというか、スッとその良さが入ってこなかった。言葉の変換に時間がかかるくらいには脳が疲労してたあたりに出てきたという出順も、客席の返りの悪さの要因に少なからず影響している気がします。

 ダイヤモンドの漫才はいくつも見たことがありますが、いろんなシステムの漫才があって最高なので、今後に期待いたします。

 好きなくだりは、「お前、めちゃくちゃ食べるなー」、「ギター無し漫才頑張ってこうな」。

 

8 ヨネダ2000「イギリスで餅つき」

 稀代のなにわ小吉イラストルックの誠と、漫画太郎イラストルックの愛という、90年代後半ジャンプの後半掲載漫画テイストの二人が織りなす漫才は、それに対して、今大会で一番、何を言っても野暮となるものだ。脱力的であるものの、圧倒的に華があって、音楽的。M-1グランプリという大きな文脈からの自由さに、うっとりしてしまう。ということは、漫才の定義を拡張したということでもある。

 そもそもの設定の「イギリスでお餅をついたら、一儲け出来るっていう計算が出たのね。だから、イギリスでぺったんこー、ぺったんこーって言いながらお餅をつく」という楽しすぎるものに加えて、DAPUMPの「if… 」という選曲も、もはやネタに組み込まれる音源で言えば、手垢がつき過ぎて冷めてしまうものになっていたと思われていたが、それを剛腕でねじ伏せる「もしも」を「餅も」とするこのセンスも馬鹿馬鹿しさを突き通して素晴らしい。

 もちろん、ノイズの部分はあって、この漫才のキモである餅つきに入るまでは、まだまだぎこちなかったり、テクノ的なミュージックだったら、イギリスよりもドイツの方が良いんじゃないかとか後々ぼんやりと思ったりする。ドイツ人の方が、餅まき好きそうだし。こういった些細すぎる違和感を潰していけば、もっとその世界にどっぷりダイブできるはず。サビに入るまでの序盤すらも、どこかリズミカルであるという状態に持っていければ、中盤から後半にかけてもっとグルーヴィーになり、なんで笑っているのか分からないけれども腹が爆発し続けるという状態に持っていけるはず。徹底して無意味に向かうのであれば、徹底してロジカルにノイズを潰していき、意味を剥奪していかなければならない。

 今年の夏に受けたMRI検査で、その装置で聞いた音は、単音の電子音と、ドラム缶を転がすようなゴウンゴウンという音が徐々に折り重なっていく様子は、ミニマルテクノから始まって、中盤からノイズミュージックになり、最後にそのノイズが畳み掛ける中という構成がめちゃくちゃちゃんとしたものだった。ヨネダ2000のネタを見た時に、このことを思い出したし、ここに何かヒントが隠されている気もする。是非、体に不調がある人は、確認してみてほしい。

 13年ぶりの女性コンビファイナリストということもあってか、特筆すべきことがネタの外で、2点あった。

 まず一つ目が、山田邦子が、ネタを終えたヨネダ2000に、ネタ作りについて話している瞬間は、単純に、美しいなとすら思えた。

 子供と一緒に沖縄そばを食べに行った、国際通りから入る商店街の奥の奥の方にあるその店は、周りできつねダンスを集団で踊ったら一気に崩壊するくらいにはボロくなっていて、店内もお世辞にも綺麗とは言い難いことに加え、「酔っている人お断り」「注文は人数分お願いします」「五千円、一万円はお断りです」「人数分の注文をお願いします」と毛筆でしたためられた貼り紙が所狭しと貼られていた。圧を感じのか、まだ文字を読めないにも関わらず、子が張り紙の一つを指差し、こちらを見て何かを訴えようとしていた。子が少しでもうるさくしたら怒られそうだなと怯みながらも、一杯のてびちそばを注文すると、何も言わず、真っ先に子の取り分け皿を差し出してくれた。無害な客には最高の店だった。冷静に考えれば、何十年も観光地の真ん中でお店をやってきており、酔客にはかなりの迷惑をかけられてきたのだろうし、小さい店なので数人で押しかけられて一杯のそばをシェアされたのでは回転率も悪くなる。店主も高齢で、キャッシュレスを導入する必要性をあまり感じてないのだろう。そうか、これは自治なんだ、と独立軍のV6みたいな気付きを得て、泣きそうになった。そんなことがあるくらいには、ここ最近は、情緒がおかしくなっているということを差し置いても、邦ちゃんヨネちゃんの邂逅は美しかった。

 テレビという世界で、という留保をつけるが、いわゆる女芸人として天下を取った、山田邦子が、ヨネダ2000にアルカイックスマイルをもって話しかけるというのは、近年のM-1グランプリの中でも名シーンだし、それだけで、行間から滲み出ていた何かが凄かった。個人的にはマジで点数の推移とかはどうでも良いので、邦ちゃんにはもうしばらく審査員を続けてほしい。切にそう願う。

 もう一つは、立川志らくの「女の武器を使ってなかった」発言。一つ目がこの場で交差したということ、そして、その言葉が割合、批判を呼んだということは、後々、重要なことになりそうな気がするので、記録しておきたい。

 まず、この発言については、そういう言い方をすなよ、とはなったものの、本当に、そういう言い方をすなよ案件なのかはきちんと精査しなければならない。なぜなら、立川志らく一門には女性の弟子がいるからである。女性落語家という言葉が、まだある以上、そして、直の弟子にその女性落語家がいる以上、志らくにとって、男性が主流の演芸における「女の武器」というのは何なのかということは、今もなお、向き合っている問題であろうとすることが自然だからである。女の武器を使うこと、または捨てることが、芸事に限らず、ホモソーシャル社会に組み込まれることなのか、妥協することなのか、反発することなのかは、簡単には出ない問題のはずだ。ただ、大前提として、あのコメントだけでは、その真意は判断できないということだけは確かであるので、パターンで考えてみたいと思う。

 志らく師が正しい場合。これは、女の武器というのが、「彼氏が欲しい」というようなネタをするということを指している時。現代において、男が、いつまでも女は色恋のことばっか考えてんだよなあと喜ぶためだけにしか存在しなくなったシチュエーションのネタである以上、そして、昨年の「THEW」でそういったネタがかけられていることも踏まえると、そういう安易な場所から出来る限り遠い場所に連れていったヨネダ2000は間違いなく、女の武器を捨てている。

 次に志らく師が間違っている場合。これは女の武器が、女性の身体的特徴を指している時。ヨネダ2000のネタは、一般的に男性の声よりも高い女性の声だから映えることや、イギリスで路上で餅つきをして人気者になるという世界観にファニーさが増すことは間違いない。男性の声だと、愛のパートが重くなり過ぎてしまう。あくまでこのネタはどこまでも軽やかな方がいい。だから、厳密に言えば、「女であることがネタの補強材料になっている」ということになるので、ざっくり言うと「女であることの武器を活用している」となる。

 ちなみに、巷で取り沙汰されている、抜群のリズム感については、愛と誠それぞれの資質となるので、それらは女の武器という言葉に回収されないことは付け加えておく。 

 少なくとも真意を確認するまでは、いずれにも傾ける以上、「女の武器」という言葉に対して、これからも都度都度、因数分解した上で、現代的な再定義が今後も必要であるが故に、「志らく、そういう言い方すなよ」に対しても急ぎの答えを出してはいけないのである。

 好きなくだりは、「そっぽを向いていたイギリス人が、片手で、アイ!アイ!と始めるところ」「もちも君が一人なら」。

 

9 キュウ「全然違うもの」

 「やっぱりさ、世の中、全然違うものってたくさんあるよな」「ん、全然違うもの?」「例えば、リンゴとズボンとか全然違うよな」「まあ、全然違うよなあ、そりゃ」「あと、東京とマグロとかも全然違うよな」「まあ、全然違うよなあ、そりゃ。そんなん言い出したらキリがないだろ」「あと、死神とピザとかも全然違うよな。」「いや、全然違うだろ、そりゃ。そんなん言い出したら、大抵のものが、いや、お前、死神とピザは、どちらも『かま』を使うでしょ~」。

 そう始まったキュウの漫才は、要は謎かけであり、その種明かし以降も、どうにも笑いきれなかった。

 ダイヤモンド同様、ハマっていないこと、ハマらなかったことにびっくりしてしまったのだけれど、冷静に考えれば、笑いの回路というか、漫才の構造、ネタでやろうとしていることを理解するための脳の部位がこれら二つの漫才は、割と近いところにあるという感じもするので、やむなしかという感じもしないでもない。

 ちょっと、残念すぎた。次こそは。

 好きなくだりは、「青じそと大葉は全く一緒でしょ~」。

 

10 ウエストランド「あるなしクイズ」

 ネタ順が、前回の出場時と同じ10番目と決まった時には、もう笑ってしまったと同時に、ウエストランドっぽいなぁと半ば諦めつつ、その、らしさを楽しんでしまっていた。タイタンシネマライブ仲間は、「タイタンライブのじかんでーす」と、ツイートしていた。無いのは、エピグラフだけ。正直、見ている方として肩の力はだいぶ抜けていたと思う。ただ、この順番こそが、振り返るだにあまりに出来すぎている、優勝への道のりのためのフラグになる。那須川天心さん、ありがとうございます。当方、格闘技に全くもって疎いのですが、強いということは伺っております。ますますのご活躍をお祈りいたします。小倉優香さんとお付き合いされていた方ではないですよね。

 ネタは「あるなしクイズ」。河本が出した、あるなしクイズに、井口が答えるネタ。

 前回のネタは、どうかしていること井口に対して、河本がツッコミとして機能しきれていなかったが、クイズという構図に、二人のやりとりが落とし込まれることによって、「正解と言わない=井口否定」という図式が成り立ち、そうなることで、井口がおかしなことを言っているということが、くっきりと浮かび上がっていく。

 「アクション映画にはあるけど、恋愛映画にはない」という問題に対して、あるなしクイズにはあるまじき、一つ目のお題から答え始める。「正解はパターン。アクション映画はいろんなパターンあるけど、恋愛映画は全部一緒だから、正解は、パターン。」と井口は答え、河本に違うと否定をされるも「恋愛映画、全部一緒だよ。冴えない女の子が、ひょんなことから王子様系の男子と知り合い、いい感じになるもイケイケの女子の恋敵が現れ、そっちに取られそうになるが、結局自分が選ばれた。やったー。こればっかりだろうが!」と食い下がる。

 そこから、「YouTuberにはあるけど、タレントにはない」「スポーツ観戦にはあるけど、お笑い観覧にはない」、「路上ミュージシャンにはあって」という、あるとされたお題に対して悪口を垂れ流す。ここで井口が喧伝している悪口は、それぞれのカルチャーの内側からなされたものではなく、知識を得ることで多種多様なパターンを見出すことを放棄しているので偏見に凝り固まっているが故に自らが正しいと思い込んでいる視野狭窄な人間の口から発せられる、程度の低い悪口が模されている。井口が持たざる者であるということから来る、やっかみも含まれている。それは、あるあるよりも劣っていて、批評性が全くなく、だからこそ、笑いに転じているわけである。もっと精度が高い悪口になっていくと、がなられると、笑えなくなってくる可能性が出てくるのだから、これでいいのである。ちなみに、それをナチュラルにやっていたのが、爆笑問題の田中が言った「声優は毎日結婚している」である。絶対にそんなことはないのに。

 アクション映画を見ない人にとっては、アクション映画なんて、車の運転を荒くして、銃を乱射して、ビルを爆発させるというパターンしかないし、そもそもタレントの方が捕まり続けているし、スポーツ観戦になされる分析だって、スポーツ選手からしてみればウザいはずである。

 だから、井口は5分近くずっと間違えたことを捲し立て続けているわけだが、間違えているということは嘘を吐いていないということであり、よって、井口はボケないボケになっている。漫才というのは、嘘を言っていないという幻想を纏うに越したことはない。クイズの出題者と回答者という設定も、発話する比率が一方に偏ってもおかしくはない。そういう意味でも、よく出来ている。漫才中の河本の、小さい声で否定する感じは、東京フレンドパークでの「ボディ&ブレイン」の関口宏のような落ち着きようであった。

 悪口を重ねるという行為が、自然なグルーヴを生み出しやすくさせているが、積み重ねていくというよりも、幼児が強弱をつけておもちゃの太鼓を叩いているような、歪なリズムとなっている。さや香らと比べるとどうしても、導入のぎこちなさであったり、拙さが見えてしまう感じも、出されたお題にその場で悪口を言っているという幻想を固めてくれる。ウエストランドの漫才は、上手く見えなければ見えないほど、良いのである。かつ、的外れな悪口であればあるほど、悪口を言っているけれどもコンプラに引っかからないというのも魅力的だ。

 さて、ヒラギノ游ゴ氏のツイート「ほうぼうに噛みついてヘイト撒き散らす系のネタ」「傷つける傷つけないの話は個人的には論点じゃなくて、あの程度の視座のやっかみやつっかかりは何ら真新しさがないし、ああいう他人への執着のあり方に気持ち悪ってなったことない? おもしろいか? みたいな所感」というツイートについて、ウエストランドと名指しはしていないものの、投稿された時間帯的に、ウエストランドのことであると断定してもなんら無理はないでしょう。

 ヒラギノ氏は、知識を得ることで多種多様なパターンを見出すということを放棄しているので、偏見に凝り固まっているが故に自らが正しいと思い込んでいる視野狭窄になっているようで、ウエストランドの漫才がなぜ、少なくとも決勝に進出するほどに大衆に受け入れられた問いを設けることなく、ヘイトという危ういものと一緒くたにしている。これは、差別に対しての解像度が低く、自らの暴力性に無自覚過ぎないでしょうか。

 この刃は、ウエストランドだけでなく、自らをも突き刺すものとなる可能性がある。今後、ヒラギノ氏が、誰かをヘイト扱いするときに、それが全くもって正当なものであるとしても、漫才に対してヘイトと認定に近いことをしたという二重の意味での乱暴さの前科があることで、誰かに受け入れてもらえる可能性が一気に減るということを自覚しているのか。あくまで、これは伝えるという行為の話である。そのことを背負うことが出来るのか。あの人の解釈は雑なものだから、今回もその程度なんだろうという、伝わらなさに、立ち向かうことが出来るのか。

 批評というのは、補助輪という側面を持っていなければならない。表現者、受け手の橋渡しをすることこそが役目である。なぜ、それがウケるのか、ウケないのか、ダメなのか、良いのか。ここについて注力しなければならない。

 ウエストランドの漫才のネタは、あるあるとしては何周も遅れている。これを言っても良いのは、この漫才では、あるあるの精度が低ければ低ければ良いからである。そこは特に求められていない。もっと複雑な要素によって、ウエストランドの漫才がウケているということが成り立っている。

 逆を言えば、このくらいの粗い悪口こそがウケるということは、世がアップデートしたという証左であるという理屈立ても可能となる。少なくとも、自分は笑えなかったからという否定ではなく、なぜ、これがウケたのかということを考えることが、お笑い分析の最低限のマナーだと思っております。それが出来ないのであれば、パターンを崩す恋愛映画の紹介をしてみてはいかがでしょうか。余談ではございますが、ワンピースに関するコラムも、ウエストランドの漫才と同じくらいの理解度やイメージで任侠を語っていて、任侠映画見たことあるのかな、と思ったような気がします。

 ヒラギノ氏の主張に、「皆目見当違い」と揶揄することは、とてつもなく簡単なのでやらないし、届く、ちなみに、ヒラギノ氏からはTwitterでフォローされているので、外されているなどのアクションが起これば、読んでいただけたと思い、感謝いたします。

 それはさておき、ヒラギノ氏の単著を、心の底からお待ちいたしております。

  

 好きなくだりは、YouTuberへの悪口として「数年経って、これはこれで認めなきゃいけないけどなあという風潮あるけど」をかましたところからの「警察に捕まり始めている、あっ、警察に捕まり始めているっ」、「佐久間さーん」を入れた決断、路上ミュージシャンのパートでの「警察に捕まり始めている」という史上稀に見る嫌なワード回収、「正解なんてどうでもいいんだよ、もっとワードくれよワード」。

 最後に、悪口論を言うときは、誰かの悪口になっている。哲学的~。