石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

大江健三郎逝去を受けて

 大江健三郎が逝去した。

 ずっと「芽むしり」という言葉を剽窃しているのだから何かを言わなければいけないのだろう。

 なんかずっとそんな気がしていた。そもそも、小説家というのは小説を書いていない沈黙の小説家というのは、一読者からしてみれば、いないのも同然である。と同時に、ことあるごとに自らの体がその影響下にあることに気が付き、その雄弁さを思い知る。

 ともあれ、存命の間に、愛媛県内子町を訪ねることが出来たのは良かったし、『芽むしり仔撃ち』は、疫病と村に隔離されるということから、コロナ禍におけるロックダウンや抑圧の文学として再読の価値があるものになったのだが、令和5年の3月13日という、コロナ禍の象徴たるマスクの着脱が個人の自由意志に委ねられることが政府によって公認された日に、亡くなっていたことが発表されるみたいな偶然のような話は、そんなに少なくはない。

 いくつかのニュースを見たが、ねっとりしたお菓子っぽい名前の野球選手の話でかき消されていった。

 大江健三郎は、よく難解な文章と言われるが、それはちょっと違う。

 中期以降、モチーフが基本的には愛媛の森という異常に限られたものになっていること、登場人物の説明がどんどん少なくなっていくこと、古典文学の引用が多用されること、大江健三郎の実際の人間関係を把握していなければならないことが必要な、一文に見たこともない装飾語が出てきたり、推敲のしすぎのせいで普通だったらこの並びで文章を書かないだろうと思ってしまうようなただただ読みにくい悪文なだけだ。血肉となっているという位置にすら立てていないが、少なくとも、悪文ということでは影響下にある。

 今後、大江健三郎のような作家は日本では1000年は顕れないだろう。

 というのも、そもそも、不世出の天才であるということに加えて、敗戦を思春期の前後で迎えて、これまでの価値観が全てひっくり返っただけでなく、長男が脳に障害を持って生まれ、義兄が不幸な形で亡くなってしまう、他には反核をはじめとした知識人としての責務である極めて政治的な運動や、裁判に出たりと、おおよそ小説家として一個で良いであろう人生の苦難がいくつも降りかかったことで、人生の深淵と立ち向かうために書かざるを得なかったが故に、書くことの地平を目指さざるを得なかったからだ。が故に、大江健三郎の小説は、不幸にいる人間が読むべきものだといえる以上、あと1000年は読まれる小説家であり、粛々と生涯をかけて読むだけのことである。だから、大江健三郎の逝去という報せは、大江の魂が、愛媛の森に帰っていっただけであり、何も悲しいことではないのである。これからは大江のユーモアセンスや、大江文学はそもそもエンタメ作品として極上であるということを語っていくというライフワークが出来た僕は、こう叫ぶだけだ。

 Rejoice,in peace‼︎(平和の中で喜びを抱け!!)