石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

古泉智浩と<郊外>という空間

漫画家の古泉智浩先生が新作「FAKE」を出版した。この作品は「cool trans」という雑誌で連載されていた「僕はセックスがうまい」が主に収録されていて、他には「限りなく童貞に近いブルー」という短編も収められている。
このどちらかがタイトルじゃない理由は先生のブログに書いてあったのだけれど、「童貞」という単語が入っていると作品が売れない、というデータがあるらしく、だったら「セックス」もアウトだろうという理由で、「FAKE」というタイトルになって出版されたという経緯からである。



古泉智浩先生は、新潟在住でたまに上京するというスタイルの漫画家であり、漫画の舞台が、新潟の田舎のほうを思い浮かばせられるようなものが多く、登場人物もそんな空間でくさっているような若者がほとんどで、僕自身、似たような境遇だった大学生のころに「チェリーボーイズ」という漫画に出あって以降のファンだ。(GOING STEADYの「童貞ソーヤング」のジャケットを書いた人といえば分かる人もいるかも)

「FAKE」も同様に、郊外を舞台にし、悶々としている高校生が主人公だ。
主人公の長沢は、部活に入らず、教室でファッション雑誌を読み、「オシャレでかっこいい」なおかつ「空気もよめる」高校生を一所懸命に演じ、そしてそれがバレることにおびえながら日々を過ごしている。
誰しもが経験がある、日常だと思う。
古泉先生はそんな日常を書かせたら、めちゃくちゃ上手い。

 

花沢健吾先生、福満しげゆき先生が好きな人には是非読んでもらいたい漫画家である。




古泉先生を語るうえで、「郊外」というテーマは外せない。
90年代までは田舎と郊外には、ある種の壁が存在していた。コンビニや都会でおなじみのチェーン店ですら、ブラウン管のなかだけの情報でしかなかった。時代がすすむにつれ、それらは郊外にまで浸出してきた。
郊外では売られていないニッチなものもamazonで簡単に手に入るようになった。
そんな変化は、郊外から<何もない>というアイデンティティを取り除かれていくことになる。良くも悪くも。
新潟の高校生の放課後と、千葉の高校生の放課後では共通項が多くなっていった。


郊外については「思想地図β」に宇野常寛が「郊外文学論―東京から遠く離れて」でこう書いている。

■この数十年間、国内の文化は都市とともに在り、そして都市間を移動することで時代に対応してきた。銀座から新宿へ、新宿から渋谷へ、渋谷から秋葉原または下北沢へ―しかし現代は特定の都市の固有名が時代を象徴するものとして機能しているとは言えないだろう。ニコニコ動画ケータイ小説ソーシャルゲーム・・・・・・そのいずれもネットワークなどの無場所的な空間に根ざしている。この無場所性を現実の地図に置き換えたとき、まさしくそこはロードサイドにショッピングセンターが立ち並ぶ「郊外」が相応しいだろう。現代の文化を象徴する空間は、固有名をもった特定の都市ではなく、名もなき「郊外」なのだ。


■鉄道網と連動し老舗のデパートと昔ながらの商店街の支える地方「都市」から、ロードサイドの大型ショッピングセンターを中心に形成された地方「郊外」へ―日本の地方(田舎)の風景は大きく「郊外」のそれに傾き、その結果どこへ行っても、いやどこまで走っても「同じ」風景がならんでいる。もはや私たちはオートバイや車を手に入れても容易に<ここではない、どこか>へは行けないのだ。どこまで走っても<いま、ここ>と同じなのだから。


「郊外」的空間は[ここではない、どこか]を喪失し、[いま、ここ]だけが存在する空間となる。
郊外で暮らすのならば、そういった、自己がふわふわとした日常が、学生のころの関係性を延長したまま、死ぬまで続くことになる。
もし中学高校といけてないグループに所属していたのなら、地獄である。



古泉先生の作品に話をもどすと、先生の漫画にはそんな、ふわふわとした生き方(や空間、そしてアイデンティティ)に対しての苛立ちや諦念が漂っている。
「ライフイズデッド」はセックスをしたらゾンビになるというウィルスに犯されたニートが主人公だし、「ワイルドナイツ」は30過ぎのパチスロ店員が、ヤンキーを闇討ちにするために空手を習う話で、駄セックスと、カタルシスのない暴力(それはまるで義務感でやってるオナニーのよう)に明け暮れる。
伊集院光が帯を書いている「チェリーボーイズ」は、25歳の田舎の童貞三人が何とか童貞を喪失しようとする日常を描いた傑作である。

「転校生―オレのあそこがあいつのアレで」は、男子高校生が転校生の女子と、神社の階段でセックスをしていると階段から転がり落ちて、チ■コが女に、マ■コが男に、性器が入れ変るといった漫画(個人的に2006年度の最高傑作)である。



他にもいろいろとあるが、主人公はだいたいどん詰まっているか、ただただ漫然と日常を過ごしている。
何より可愛い女の子はほとんど出てこない。
クラスに何人かいた、「きもいよねー」とか普通に言ってくるようなぶん殴りたくなる女しか出てこない。
主人公は、暴力やセックスにあけくれるものの、一時的なものであり、喪失した何かの代わりとはならず、今後も<いま、ここ>は続いていく。・・・・・・地獄かもしれないし、天国かもしれない。