石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

重要な夢の競演のお知らせ。

どうも、こんばんは。
それはともかく、アイドルファンは重要なお知らせという言葉を、お笑いファンは夢の共演という言葉に苦い思い出を持つといいますが、当ブログより重要な夢の競演のお知らせがあります。
「俺だって日藝中退したかった」というブログをしばらく書いていたのですが、特に、コラムの執筆依頼が来ることもなく、売れる気配がないので、本にして売ることにしました。いわゆる、同人誌ですね。

ラインナップは


(1)君は『Qさま!!』での吉木りさを目撃したか。
(2)「2013年のラジオたち、これからすごいことになるぜ」
(3)中国人の罠にひっかかった話と、お金の話。
(4)『泣くな、はらちゃん』は一話が100点
(5)深夜に届いたラブレター
(6)ここは忙しいけど、迎えに行くぜ。
(7)妻の名は希望
(8)『超落語!立川談笑落語全集』は悪書である。
(9)頭をデザインする番組『考えるカラス
(10)伊集院光の「同窓会に行った話」
(11)コサキンが『ウチくる!?』DEワァオ!
(12)3本の漫才
(13)アルピーだって決勝行きたかった。
(14)『ダイノジ大谷のANNR』〜ぼくがブロガーになった理由〜
(15)お笑い界のPerfumeを見に行ったら、ももクロに会えた。
(16)種市死ね
(17)いつも心に加藤浩次を。
(18)ボクらの想像力の時代
(19)テレビを体感する番組『リアル脱出ゲームTV』
(20)政見放送かと思ったら、長井秀和の漫談でした。
(21)僕達は「恋するフォーチュンクッキー」が名曲だということと、指原莉乃のアイドルとしての正しさを混同すべきではない。
(22)くりぃむしちゅー上田の天下取り宣言
(23)『安堂ロイド』は電波豚ブーブくんの夢を見るか
(24)古美門研介の捲土重来を期せよ。
(25)グランジ遠山の、見る前に跳べの精神
(26)深夜ラジオ流行語大賞13&ベストラジオ13
(27)死にたい死にたいって言いながら生きていくからな、ずっと。
(28)異形のコント師日本エレキテル連合
(29)それぞれの「実存のゼロ地点」
(30)小説を応用するために、筒井康隆『創作の極意と掟』を読もう。
(31)JAPANESE PARTYバスツアー日誌『愛の渦』
(32)三四郎の、オルタナ漫才絶対頑張ります!
(33)スポットライトの中に立っていてね。
(34)「愛は愛でいつかどこかにたどり着くさ」


以上の34本です。
全部で10万字くらいあります。元記事は、ブログの中にありますが、かなりの加筆修正を加えました。自分でいうのもなんですが、かなり読み応えはあると思います。ほとんどが、上記のタイトルで、このブログに散らばっているので、気になる方は、読んでみてください。もし面白いと感じてもらえれば、今回の本は満足してもらえると思います。2011年から2014年上半期までのテレビラジオの感想と、年齢分の業を詰め込みました。
よろしくお願いします。


☆『俺だって日藝中退したかった』通信販売の流れ

①BOOTHでの購入

(1)下記サイトをご確認ください。送料の分、直接購入より高くなっています。また、送り主にも住所が分からないようになっております。

memushiri.booth.pm



ツイッターやっています。
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サンプルです。

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自らの加害性に自覚的になる、つまりは差別主義者として生きていかざるを得ないことへの省察

 

 友人から、NHKが公開している動画を教えてもらい見てみた。それは、小学生女子が、エレベーターで、大人の男に襲われるというものであった。啓発のための動画なので、すんでのところで女児は助かったわけだが、一般男性が見てもゾッとする作りになっているだけあって、 

 と同時に、自分の中で、エレベーターで誰かと二人きりになることが恐怖になるという認識が全く欠如してることに気付かされた。夜道はもちろん分かるし、何だったら、目の前を女性等が歩いていたら、立ち止まるなどするようにはしていた。エレベーターでそれをしなかったのは、エレベーターの中は電気がついており、何より、内部には防犯カメラがついているというのは当たり前のものとして思っているので、そこで他者を襲うということは考えがつかなかった。

 だからこそ、夜道で歩いている時に前を歩いていた女性が走り出しても「いや誰が襲うか!」とはならないが、エレベーターに入ろうとした時に閉まるボタンを連打されるという体験をしたら、乗せろよ!とはムカついたと思う。

 つまりは、男であるということだけで発している自らの加害性に気づけていなかったということになる。

 今の仕事ではチーム制で動いており、正規雇用が僕ということもあって、形式上はそこでは上司ということになっているのだけれど、その部下の一人が、なぜか明確に僕のことを敵視しており、確認などを依頼したりすると、割と強めに反論されたりするなどし、嫌だなあと思っているなどしていたが、ここで何かミスったら、パワハラとなって詰むな、と頭を抱えてしまった。

 また、仕事について説明するときに、僕は理屈から説明するようにしている。それは、その作業をすること、そういった運用になっていることの理由を、土台から説明することで、記憶に留めてほしいということが一番にあるし、何より、自分自身が、ただこれをやってくれと言われるのが大嫌いだからだ。ただ言われたまま、そうして仕事をやったときには全く応用力や自発力が育たない。

 二週間以上前に感染症拡大対策のガイドラインに沿った飲み会をした際に、その場を見ていた人に、笑い話っぽく、嫌味ぽかったと言われ、ふむ、となった。

 その時に説明した業務は、今後も出てくる概念であり、説明するに越したことはないと考えていたから行ったのだけれど、これはチームのうち、僕とは別の専門的な業務を行う人であり、かつ新人だから許容範囲だけれど、そうではなければ、ここまでやる必要はないのかもしれないと思いを改めた。単純な業務を依頼するときには、端的にすることを伝えるのみでいいのかもしれない。その人が自身の成長を望んでいないし、もっと言えば、僕も単純な業務を原則として依頼する立場であるのであれば、僕からの説明を聞いている時間は苦痛でしかないからだ。

 良かれと思っていることこそが、他者への害悪となる例の一つだけれども、これはもう生きていくうえで避けられないことでもある。何をしても、誰かの害である。生きていくということは、撒き散らすことだと定義しても良いのかも知れない。

 例えば、セクシービデオを妻に隠れてコソコソと見たり、非公開リストにセクシー女優をまとめたりしているが、ツイッターなどでセクシービデオのネタを言わないようにしているのも、AV女優をセクシービデオと書いているのは、そうすることによる加害性を自覚するようになったからだ。いまだに、何がセクシービデオだ、欺瞞の言葉じゃねえかとも思っていたりもする。

 僕だけに言えることではなく、例えば、ツイッターなどで、こんな馬鹿なことを言っている奴がいるなどと拡散すること自体が他者にそれらを知らせる行為という意味では加害性を持っているし、正論を述べるアップデーター軍団が正しさを持ってのみ他者を糾弾することで、正しさがもつある種の加害性に無自覚と言えるし、だから僕はアップデーターを信用していない。

 人間は、生きているそれだけで肛門が馬鹿になった動物が糞尿を撒き散らすように、他者に自らの加害性を撒き散らす。絶対、自分より小さな存在を差別する。

 問題はこの撒き散らしを、いかにして抑えるかということを強く意識しなければならない。自らの加害性にどこまで自覚的になれるかというのが、レイシストであり、セクシストであり、ミソジニストであり、ルッキズムに染まっているなどを自覚するということが今後のテーマだなと思っている。

 

 

 

 

来年の今頃、僕はでっかいラジオのねじになる旅へ出ることでしょう(SONYの変なイヤホンことLink Budsを使用した感想)

 

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 信頼しているラジオ聴きが、SONYのLinkBudsというイヤホンを購入し、クソラジオ聴き推奨ガジェットとして、レコメンドしているのを見かけた。存在自体は知っていたので気になっていたが、骨伝導イヤホンや、ノイズキャンセリング機能があるほうが良いかなと保留していたが、そのツイートと、1月から残業が続いていること、2月の残業代が61,293円あったこと、3月もほぼ同じくらいあったこと、今月が誕生日であることを理由に、気付けば、即購入してしまっていた。ちなみに、ラジオ聞きとして信頼する条件は、以下のいずれか一つに該当していなければならない。深夜の馬鹿力を2000年より前から聞いている、深夜ラジオを10年以上聞いていることに加えて深夜ラジオ以外に聞いているラジオが一つ以上ある、週に聞いているラジオが10本以上あってそのうち1つ以上はお笑い芸人がパーソナリティではない、バナナマンの火曜WANTEDを聴いていた、だ。信頼できない語り手の対義語が、信頼出来る聞き手になることが発覚。

 先週は本格的に風邪をひいてしまった。PCR検査も行い、陰性であったので、シンプル風邪ではあったのだが、この年度末に三日も休んでしまうわで散々だった。そのせいで、今週は、ほぼ毎日残業をしていた。それを耐えられたのは、この週末に、Link Budsが届くという一点のみを持ってだった。

 そして、先ほど予定より二日も早く届き、使用してみた。これはとんでもないガジェットです。

 バナナムーンを聴きながら、普通に妻と会話が出来る。そして、カナル式イヤホンより、音が優しくなるので、耳がキンキンしない。この2点だけでもう、ラジオ聴き専用ガジェットです。厳密には同居人いる系のファッキンラジオ聴き専用ガジェット。

 ちなみに、うちは、妻と3歳になる子がいまして、妻は僕がラジオを流すことに比較的寛容なので、家にいる時でも普通にスピーカーを、家事をするときはネックスピーカーとAVIOTのカナル式イヤホンで聞いているという具合です。一応、それらで事足りてはいるのだけれども、それぞれ都合が悪いことがある。スピーカーは持ち運ばないといけないので家事をしながらだと向いていない、ネックスピーカーは持ち運ばないで良いけれども、スピーカーと同様に、子がテレビを見ていると音がかき消されてしまう、カナル式イヤホンはこれらの不都合はないけれどもやっぱり耳からの情報を完全に遮断してしまうので話しかけられた時に外したりするのは煩わしいし何時間も聞き続けると耳が疲れてくる。週に十何本もラジオを聞いていると、週末の自由な時間にどれだけ聴けるかが鍵となってくる。加えて、最近は子も言葉を覚えるようになっているので、そうなると、大陰唇だとか恥骨だとか、歯医者に行きたくないだとか、個室ビデオが実家だとか、女の人はおしっこがどこから出ているのかわからないらしいとか、そういうトークをするラジオなんて、家ではどんどん流せなくなってくる。また、平日は、朝起きたら、すぐにradikoを起動しラジオを聴くけれども、起きたばかりの耳に、カナル式から流れる音は結構つらかったりするという悩みもあった。

 Link Budsは、これら全ての問題を潰してくれる最高の機械です。

 僕と同じような境遇にいるファッキンラジオ聴きにこそ買ってほしい。そういう人は、外でも家でもかなり重宝するし、外は外で使うイヤホンと分けても良い。

 ちなみに音質は悪いみたいなことを色々なところで書かれていますが、ほんとラジオを聴く分には全く問題ないです。重ねて言いますが、長時間聞くという点ではむしろこのくらいの方が良い。

 あと、スピーク・トゥ・チャットという、話しかけると、音楽が止まるという機能もついているので、話しかけられたら自動で会話に移行出来るのもいい。

 SONYはラランドのサーヤを公式の広告に起用して、意識高い系マルチタスカーにオススメの商品としてプッシュしているけれども、とんでもない、真逆の、たまたま家族が出来たくせに、それを、家族に聞かせられないようなひっどい話をするラジオを聴き続けたいという意識の低いナードな、ラランドのサーヤのCMしゃらくせえな、言うて賞レースで結果出してねえじゃんって思ってしまう気抜け連中にこそリーチしてほしいガジェットですよ。ほんと、そういうこと思わない方がいいですよ!

 これで僕は、家にいる間=ラジオを聴く時間となるので、来年あたりは銀河鉄道に乗って、でっかいラジオのねじになる旅に出ていることでしょう。  

 

R-1グランプリ2022感想「お見送り芸人しんいちのネタと、吉住のバカリズム92点について」

  普段は八時を過ぎてからしか寝ない子供の寝かせつけを巻き、今年はリアルタイムで、「R-1グランプリ」を視聴することが出来ました。

 優勝は、お見送り芸人しんいち。めちゃくちゃ面白かったですね。

 後述するKento fukayaの衝撃もあり、視聴者としても緊張して見ていたことに加えて、歌ネタということで油断してしまうところがあったお見送り芸人しんいちだったけれど、一本目の「ぼくの好きなもの」が最高に好きでした。「アスファルトに咲いている花好き」と「雨上がりの虹好き」というフリからの、「タトゥーだらけの男が一ラウンドで負けてるところ好き」で、ネタのシステムを明かされただけでなく、この一本目の笑いどころで、もしかしたら波長が合うかもしれないと思っているところに、「鬼滅のコスプレいいね伸びないグラビアアイドル好き」がモロに入ってしまって大笑いしました。

 「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる消防士」というネタは「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる」だけだともう全く味のしないフレーズに、「消防士」という言葉を足すだけで、ものすごいネタの奥行きが出る。この場で使われる「消防士」には、火災に立ち向かう仕事への尊敬などではなく、体力もあって金銭的に余裕もあって休みの日は河原でバーベキューをしてオラついているような地元に残っている何となくいけすかない奴が調子に乗って『SASUKE』に出たけど爆速で敗退してるの好きという、芳醇なものへと変質する。もしかしたら、ここには僕の偏見も入っているのかもしれないが概ね間違っていないと思う。

 凡百の芸人は、消防士に到達する前に満足してしまうけれども、ここで消防士を捻り出す。精度が高く、踏み込んでくるあるある。レイザーラモンRGの登場以降、あるあるは、ずらしの視線が主流となったパラダイムシフトが起こったきらいがあるが、あるあるという言葉の源流である、ふかわりょういつもここからや『伊集院光 深夜の馬鹿力」のカルタのコーナーで採用されるネタなどのように、視線は真っ直ぐなんだけれども、嫌なところを見てるなあという拾い方。

「躾しすぎて面白み無くなった犬好き」はまるで自由律俳句のようでとても素晴らしい。一番好きかもしれない。

 かなりセンス良いねえと思うが、やはり、一本の歌ネタだと、悪く言えば平板になってしまい、心に残るのはやっぱり難しい。それを克服したのが、中盤に組み込まれた、ネタの再現だ。後々思い返した時に、とてもじわじわと心に残る良いアクセントになっている。

 2021年の『キングオブコント』のザ・マミィのネタで、後半に唐突に歌い出すという展開があり、それで、芸人側が、唐突に歌い出せば笑いが起きると思っているということ、歌うということに必要性がなくてもそれなりに面白いということになってしまうということに気がついてから、その手法に全く新鮮味を感じなくなってしまったが、ZAZYも取り入れていたように、一定の反応が保証されているのだろう。しかし、お見送り芸人のネタは、歌ネタであるがゆえに、それが自ずと制限されて閉まっている。おそらく、このフックを出すための、再現ネタであると思われるが、これがかなりいい味を出している。お見送り芸人しんいちが、ネタで言ったことを心の底から「好き」「応援している」ということが伝わってくる。

 音楽ネタなので2本目の後半、畳み掛けをBPMを速めるでなく、人物名をガンガン出すということで後半が盛り上がる。しかも、畳み掛けてるなーより、急に人物名言い出したなーという感想の方が勝ることで、盛り上げるための手法と気づかれにくくなっていた。

 この時点で、しんいち優勝してほしいとなっていたけれども、ZAZYのネタも甲乙つけ難い感じで、優勝発表の瞬間はかなりドキドキし、お見送り芸人しんいちの優勝が決まった瞬間は「ええやんええやん、シューシュー!」となりました。 

 優勝直後のコメントで「2017年、ネタめっちゃ飛ばしたブルゾンちえみにありがとうって言いたいです」という藤原史織いじりを入れるという、泣いてもただじゃ転ばない、悪意の肝が据わっている、最後らへんは泣いてなかったんじゃないかという疑念まで持たれる、お見送り芸人しんいち、大好きです、応援してます。

 さて、バカリズムの審査については、もちろん触れなければならない。バラエティ番組への出演だけでなく、ドラマ、映画の脚本に留まらず、単独ライブなどを打ち続ける現役のピン芸人としての矜持を感じる審査でした。頑張ったで賞的に、90点以上をあげることに楔を打ち込むかのようなその点数の付け方には、実際のプレイヤーであるというだけで説得力を持つし、意義があったと思います。

 トップバッターのkento fukayaのネタは「居酒屋での合コン」。フリップというよりも立て看板に近い大きさの紙に書いた絵を使っていくフリップネタの拡張とも言えるこのネタは、思いついても、おそらく誰もやらなかったところに、その革新性があるが、バカリズムがつけた点数は84点。そして審査コメントでは「見せ方もすごい凝ってて面白かったんですけど、やっぱりどうしても、本人以外の、舞台上の本人以外の要素がちょっとあまりにも大きかったかな、というか。どっちかというと音声とかイラストとかが、割合が多かったかな。」と評した。

 元々、フリップネタを、引き算で考え尽くした結果、「トツギーノ」や「地理バカ先生」などの傑作を生み出したバカリズムにとっては全く真逆のアプローチでそこまで評価できなかったのだろう。開示された点数からの、この寸評で、さすがバカリズムとなったのと同時に戦慄が走った。『HUNTER×HUNTER』の天空闘技場編で、ヒソカを倒すために、途轍もない苦労をして覚えた念能力の分身(ダブル)を持って挑むもあっさりと倒されたカストロに、ヒソカが言い放った「キミの敗因は容量(メモリ)の無駄遣い(heart)」と全く同じ戦慄。

 さらに、どんどんファイナリストのネタを見ていくと、「Yes!アキト以外、バカリズムがやっていないかこれ」となって、正気に戻ってしまった。バラエティプログラムのプロデューサーの佐久間宣行は、自身のラジオでもバカリズムの凄さを表現する際に「フォーマットを毎回作ってきて、そしてそれを使い捨てする」という旨のことを言っていて、ただ、具体例が出されてなかったので、ピンと来ていなかったのだけれど、こういうことだったのか、バカリズムピン芸人のネタを審査するという構図になって初めて気付くことが出来た。

 サツマカワRPGの「大会、近いもんな」も、こんなコントもするのかというイメージを一新するような驚きもある良いネタだけれども、同じ言葉を続けるどこかバカリズム的だけれども、ネタの途中で大会が何の大会か言ってしまう。おそらく、バカリズムだったら、何の大会か言わないはずだ。言葉で輪郭だけをなぞるだけに留め、中身をぼやかすことで想像の余地を広くする。

 もちろん、ファイナリストの面々の名誉のために言っておくが、剽窃したという結果ではない。バカリズムが直接、ファイナリストを審査するという構図になって初めて、そのことに気がつかされたことであり、おそらく、あの場では、バカリズムだけが、あれ、これ俺やってるなあとしか思っていなかったのじゃないだろうか。

 そんな、バカリズムからの90点という壁を乗り越えたのは、吉住の91点と、金の国の渡部おにぎりの90点。

 まず、金の国の渡部の「河原でサンドウィッチを食べていたら、トンビに自分ごと攫われた」という、存在しないシチュエーションの中で、起こり得そうなことを積み重ねていくフォーマットは、バカリズムの「アダルトビデオが入っているビデオデッキに男性器を入れたら抜けなくなってしまった」というネタの「ヌケなくて・・・」に近い。そして、今回バカリズムから90点をもらえた二人のうちの一人だが、たとえば、傘のくだりを無くして、もっと悲惨な目に遭わせて落として落としてからの方が、「虹を見つける」というオチの方が映えるなど、もっとブラッシュアップ出来そうという意味でも、やはり、吉住と比べてしまうと見劣りはしてしまう。

 吉住のネタも見事でしたね。 上司のミスにも関わらず、自分のせいにされて怒られていたことを笑って話す社員が、同僚から「聖人ですか?」と言われると、そんなことないよ「だって、わたし、芸能人の不倫とか気が触れるくらいブチギレちゃうもん。」と返し、そこで芸能人が不倫したニュースが流れてくるというコント。正式なタイトルは「正義感暴れ」というらしい。そこから、芸能人の不倫に、気が触れるくらいブチギレちゃう人というコント。これを人力舎所属の吉住がテレビでかける意味よ。そして、そのコントの本質を「ただ馬鹿にしているだけ」と喝破したバカリズムの凄さ。

 芸能人の不倫に気が触れるくらいブチギレちゃう人に、同僚が「不倫は当事者間の問題だから」と嗜めるも、「もしかして、あかりちゃんはあんまりテレビとか見ない人?あーそうなんだ、あたしは結構見るんだよね。だから当事者なんだ」、そしてかつ、不倫に関する、まとめ動画をYouTubeにアップ、その収益で、アフリカに学校を作るということをしていることが分かる。その行為は、善か悪かの判断が容易につかない。

 まるで、スピノザの「自然界にはそれ自体に善いものとか、それ自体で悪いものは存在しない。すべては組み合わせ次第である」という言葉を想起させる。このコントの一番いいところは、そのただ在るということを肯定しているところにある。

 これを、個人的に「他者の合理性が描かれているコント」と呼んでいる。「他者の合理性」とは、『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』にて岸正彦は、不良少年が反抗的文化に染まっていくことで学校を辞めることなどに繋がるといった「自分の意志で不利になるような道に進んでしまう」ことを調査したP.ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を紹介し、「私たちにはあまり縁のない人びとの、一見すると不合理な行為選択の背後にある合理性やもっともな理由」のことを表現したという言葉である。そして、岸は「完全に合理的な行為などというものはありません。他者の合理性をどれだけうまく理解し記述したとしても、おそらくそこには必ず不合理なものや理解できないものが残るにちがいありません。」と述べる。この残った、不合理なものや理解できないものこそが、コントにおいては大きくて強く、そして心に踏み込んでくる笑いに転換される。

 これらで笑いを生み出すためには、単に不合理で理解出来ないものではダメで、少しの説得力や理解の糸口がなければならない。ここで言えば、確かに、視聴者として娯楽を享受しているという意味では当事者ではあるという理屈は分からないことはないけれども、かといって、スキャンダルをそこまで憎むということは全く分からないという流れが必要になる。

 そして、吉住は、いつしか、『THEW』でかけた「銀行強盗」のネタで言えば、勤めている銀行に強盗が入っている最中に支店長への想いに気がついた銀行員が今すぐに告白しようとしているくだりで、同僚のさとみに「銀行強盗に入られているから」と止められてからの「落ち着きなよ、さとみ。私たちには生きて帰れる保証なんてどこにもないんだよ。悔い残して死んじゃやじゃん」だ。このセリフで、銀行強盗に入られている途中に告白をしようとするという、一見、全く理解出来ないような行為に、説得力が生まれてしまい、価値観がぐるっとひっくり返ってしまう。コントの設定で突飛なものを用いることは出来るが、こういう生きたセリフ、当人にとってはボケようとしているわけではないセリフを使った笑いどころを挟めるコント師は少ない。まさに『呪術廻戦』でいうところの黒閃。威力は平均で通常の2.5乗であり、黒閃を経験した者とそうでない者とでは呪力の核心との距離に天と地ほどの差があるで、お馴染みの黒閃。吉住はすでにコント師として成っている。

 理屈として分かってしまう分、かえって、分かり合えないことが際立つというパラドックスが生まれる。そしてそこに狂気を感じる。逆に、バカリズムのネタを見ていて、「狂ってるなー」とは思わない。たとえば、女性に裸を見せてもらうために理屈を重ねていくという「見よ、勇者は帰りぬ」というネタがあるが、このネタは分かるロジックが積み立てられるので、いつの間にか、遠くに来てしまっているとは感じるが、狂気のスイッチが入った音を感じない。「バカだなー」やナンセンスさなどの方を感じる。もちろん、どっちが良いとか悪いとかではなく、好みの問題である。特に「見よ、勇者は帰りぬ」が狂気の方に傾いてしまうと、下ネタである分、生々しくて笑えなくなってしまうからである。全ては組み合わせだ。

 吉住のネタにあって、バカリズムにはないものは、この狂気と題材の時事ネタ性だと思う。この二つを持って、吉住はバカリズムからの最高得点をもぎ取ったと思う。

 単純な勘なので、余談でしかないけれど、バカリズムから一人コントで94点以上を最初にもぎ取るのは、さらに狂った吉住か、土屋だと思う。自転車のレース中、田原俊彦になってしまうというネタを、2021年のR-1グランプリで披露していたが、あのコントの醍醐味こそが、バカリズムのコントに通じるものがあるんじゃないかと思っているからである。

 来年以降も、審査員バカリズムは鎮座してほしい。そうすることで、R-1グランプリは、親殺しならぬ、バカリズム殺し期という新たな時代が到来するはずだ。

 

 

 

 今月は誕生月だけれども、体調は崩してシンプル風邪をひくし(PCR検査結果は陰性)、一月からめちゃくちゃ忙しかったし、その仕事でもボツを喰らいまくるなど、かなり自己肯定感が低くなっているので、誕生月プレゼントとして、リツイート、お気に入りよろしくお願いします。

まードキュ後夜祭、あるいは。

 まードキュこと、「まーごめ180キロ」の配信が終わり、一週間が経とうとしている。期間中はいつでも見られるように、MacBook Airのネットのタブに残しておいたがもう見られない。心なしか、ビッグマック一個分くらい、MacBook Airが軽くなった気がする。

 SNS上でも好評であった反面、いくつかの場面を重く感じてしまうこともあるという感想も散見されたことで、見るのをためらった人もいるように思える。実際、家族のシーンは、もちろん笑いを持って対処されていたが、少なからず、自分が大鶴肥満であれば、恥部と感じてしまうだろうし、いじめられていたことを話すシーンも、同じような境遇にいた人は見なくても良いだろうと思う。実際、大鶴肥満はまだまだあいつらに勝てているとは言えないからだ。

 配信の延長が決まったことの告知の画像には「一番恐れるのはこの食欲が風化してしまうことだ」というキャプションがついていた。これは、まードキュの要所要所で出てくる「HUNTER×HUNTER」で、クラピカという、キャラクターの「一番恐れるのはこの怒りが風化してしまうことだ」のパロディである。クラピカは、クルタ族という部族の出だが、クルタ族は、クラピカを除き全員が虐殺されていて、その犯人たちを追うために、ハンターを目指している。つまりは、怒りを原動力にしているという意味では、大鶴肥満と同じであり、ここを引用するというセンスは、本質を外していないという意味であまりにも的確すぎて、本当に凄い。

 「まーごめ180キロ」を振り返っていて、好きを言語化するのは、余り好きではないが、しかし案外、いや、やはりというべきか、自分を掴むカギはそこにあった。怒りである。大鶴肥満の、学生時代の話や、特に家族の話を聞いて、自分はもっと怒れば良かったのか、と気づくことができた。ストレスが全て食欲に向かう粕谷明弘が、怒りを原動力に進み続けた結果、大鶴肥満となり、まーごめを得て、相方の檜原や仲間たちと出会っていくという話に、デトックスをしたような気持ちよさと、途轍もない憧れを感じてしまう。

 小学校6年生の頃に、教室にワープロが置かれていた。それで友人と、当時ハマっていたドラクエか何かのライトノベル的な文章を書いて笑い合っていたら、のちにアムウェイをする知念とかにいじられたことがある。中学校も、大宜見とか、平安山とかに、一度小学生の時に、言われすぎて泣いたあだ名をずっと言われたりしていた。ほんと、人の顔色とかうかがって生きていたと思う。なんか、名前が沖縄丸出しなのがすごくブレるな。同じ中学校まで通っていた人は、三人くらい以外、全員死んでも別に何とも思わないくらいには、中学生以前が嫌いだ。

 加えて、家族である。今は付き合いが普通にあるのだが、祖母がユタということもあり、母親は、ものすごく大雑把に言えば、土着の信仰を持っており、さらに雑に言えば、ジョジョの奇妙な冒険の第六部のケンゾーのドラゴンズ・ドリームくらいに方向を重視し、高校を選ばれるくらいには行動に制限を受けていた。大学に入ることになり、新しい家を借りるときに、不動産屋がいる中で、コンパスを取り出されたときの恥ずかしさたるや、という感じだ。かつ、子供の頃から、大人なったら墓を守る的なこと、つまりは地元に帰ってこなければならないという話を聞かされ続けてきた。これもどこまで正しいのか分からないのは、母親はそのことの理由などを話さない、父親は無口という未曾有のバイオハザードレベルの組み合わせだからだ。

 今思えば、なのか、今思っているからなのかは分からないが、基本的に何をやっても意味がないという人間になっていた。実際、大学を卒業した後は、就職もしなかったわけだし。

 これは毒親なのだろうか。大鶴肥満も、毒親ではなくて、ただ性格が合わないだけみたいなことを文章にしていたので、その気持ちは分かるのだが、これこそが、バイアスがかかっている認知なのだろうか。そればっかりは分からない。

 ただ、細かいニュアンスすら覚えていないが、大学を卒業した後も東京や本土に残っても良かったという話を母親がした時の、筆舌に尽くし難い感情は、今も信頼関係の大きな溝となっていることは間違いない。

 ラジオにメールを送るようになって採用されたり、ネットにアップした文章が面白いと言われたりすると、なんだ、俺才能あったんじゃんと思ってしまうが、幾許かの虚しさがたまに押し寄せてくる。

 他者からのストレスが、俺は何をしても無駄、馬鹿にされる、拒否される、という内に向かってしまい自己肯定感を萎縮し続けた自分には、俺はお前らとは違うんだ、何者かになってやるという気持ちとなって外に向かうということが足りなかったがために、一歩を踏み出せなかったんだなと思っている。

 もちろん怒りは虚無だが、そんな虚無からの一歩ですらも、眩い未来につながる可能性があるということを示したという意味では、やはり、まードキュは名作ドキュメンタリーと言える。

 一つだけ言うけど、全然、今幸せですからね。伊集院さんに、面白いって言われたことありますし。

「酒の席で永野を論破したら10万円」感想。あくまで、感想。

 「酒の席で永野を論破したら10万円」を配信で見ました。

 ライブの情報を得てすぐに、これはどんなメンツが出ても、永野、酒、論破という、未曾有のバイオハザードの予感しかない、最悪な三大噺みたいな企画ライブ、買うしかないと思って、心待ちにしていました。ここ最近の残業続きで疲れが溜まっていたため、リアルタイムでは見ずに体力を回復させてから見たのですが、やっぱり、ぶっ飛びました。酒を飲んだ永野とゲストが、用意されたディベートをするというシンプルな企画なだけに、永野が際立っていた。

 最初の相手のザ・ギース尾関への、テーマを話すときに芸人口調になったことをいじり、尾関を飲み込む。やっていることは、刃牙の本部以蔵のジャックハンマー戦。ちなみに、内容が言えるのはここまで。

 他の対戦も同様に、永野は、テーマに対してのYESかNOかなどの答えを選べないというハンディを背負いながらも、関係のない悪口、老害な意見、とんでもない偏見を相手に浴びせ、さらには論点をずらし、でも他者の論点のずれは許さないという悪辣なスタイルで、毎秒炎上のリスクにぶち当たりながら正しさをへしおり、出てきた論客たちを泣く寸前まで追い込む。

 ほとんど、ディベート魔改造だった。

 そんな手法を見抜いたライスの関町が、指摘し攻勢に出るも、ただただルールを破って、場の空気を掌握するという卑怯な手口で、これまでで一番ボコボコにする。

 最後に登場したのは、ウエストランドの井口。井口が最後に出てくるのは知っていたけど、真打ち登場感が凄まじく、妙な感動まであったが、その井口戦は、最高にスイングしていた。多分だけど、登場前にタップダンスしてたと思う。

 そんなこんなで、大満足の配信ライブでした。

 ライブのエンディングでは、心なしか永野も見たことのない穏やかな顔をしていたような気がする。

 何より、ティモンディの前田にも拍手を送りたい。前田の仕切りは、暴れまくる永野にツッコんだり、乗せてから困惑したりと、見事な立ち回りを披露し、全く邪魔にならず、引き立てるところをより引き立てていた。ライブの最後に、配信とそのアーカイブがあることを告知したときに、「一週間あります、長いなぁ」と言っていたのは、そのあとのSNS上での拡散の一助になっている。でも、この配信が広まれば、永野と共に炎上して燃えカスとなってしまうのが残念でならない。そして、永野と井口に「俺は前田を評価しているよみたいなお笑い評論家、ああいうのが一番うるせえからな。いや、みんなに評価されているから世に出てるんだからね」とか言われそうだ。

 このライブ自体は第二回もやってほしいのは山々なのですが、もうすでに、目をつけられていそうな気もするので、次は、「永野とパンケーキを食べながら、あなたがしているSDGs」でお願いします。もちろん、内容は今回と全く一緒で。

とにかく喰らうドキュメント『まーごめ180キロ』

 「劇場版 まーごめ劇場版まーごめドキュメンタリー『まーごめ180キロ』を見ました。結論から言うと、今年一年、また配信ライブを見てはゲラゲラ笑ったりすることはあれど、一番、余韻に浸るというか、考えてしまうのは、もしかしたらこのライブかもしれないっていうくらいにぶっ刺さって、とにかく喰らった。

 元々、何をやるのか分からなかったので、買うかどうか保留としていたのだが、ママタルトの大鶴肥満が新型コロナに感染し、ライブに出られなくなったことで、その代役に、スカートの澤部渡が立てられたということを知って、これは見ないと駄目だなやつだな、となって見たのだけれど、これがなかなかどうして凄い傑作ライブだった。大鶴肥満が主にマックを喰らいながら、まーごめを、大鶴肥満を、そして、中の人である柏谷明弘を、なぞっていく。

 「まーごめ180キロ」は、大鶴肥満がスタッフにかけた一本の電話から始まる。一本の電話をくれたわけだ。

 「今度、まーごめを撮ってほしくてですね。まーごめを撮ってほしくて。まーごめのドキュメンタリーを撮ってほしいんですよ。はい、いや、このへんでね、すべて、もう、まーごめのすべてについて、お話しできたらなぁと思いまして。伝えたいんですよ、僕はもう。たまたままーごめがあるんじゃなくて、まーごめしか無かったんだっていうことを、伝えたいんですよ。だから、ドキュメンタリーを撮りたいんですよ。」

 そんな大鶴肥満からの電話から始まったドキュメンタリー映像は、2021年の夏から始まる。

 そういって、大鶴肥満は撮影スタッフを連れて、母校である明治大学へと向かう。そしてキャンパスにあるベンチに腰かけ、お笑いサークルに入った当時のことを振り返る。

 「まあね、明治大学入って、僕大学一年生のときはお笑いサークル入ってなかったんですよ。草野球サークル、レッドピジョンに入ってたんですよね。レッピですよ、レッピ。で、ですね。なんでお笑いサークルに入らなかったかっていうと、当時mixiが流行ってたんですよ。mixiで高校時代俺をいじめてた奴から、メッセージが来たんすよ。ていうのも、僕がつぶやきで、うわーお笑いサークル入ろうか野球サークル入ろうか、迷うなーみたいなつぶやきをしたんですよね。そしたらそのいじめてた奴からわざわざメッセージ来て、オメェみてえなつまんねぇ奴はお笑いサークル入ったって無駄だからお前は一生どこのサークルにも入らず、一人でいじけてろみたいなDM来て、野球サークル、レッドピジョンに入っちゃったんですよ。で、入ったらですね、まぁ飲みサーで、グラウンド取るんですけども、ほとんど飲み行こうみたいなサークルでしたし、挙句の果てになんか送別会、3年生を送る会みたいなところで、チェックのシャツをズボン履いて、メタボ部長って書かれたタスキつけて、ヘリウムガス吸うっていうのやらされて、その後に出てきたちょっとカッコいい子が、戦場カメラマンの渡部陽一です、のモノマネが一番ウケて、戦場カメラマンの渡部洋一が一番ウケるんだって思って、辞めました。」

 ここらあたりまでが、YouTubeにて無料で公開された部分だが、このなんとも切なくて悲しいエピソードを話しているあたりから、柏谷明弘が大鶴肥満となり、まーごめを得て、檜原と出会い、ママタルトの大鶴肥満になっていくまでの足跡を辿るガチガチのドキュメンタリーとなっていく。

 ライブでは、大鶴肥満が通っていた小学校、中学校、高校、大学を訪ねては、思い出を語っていくというVTRが流されるのだが、そこで出てくるのは、給食に食べたら吐いてしまうほどに嫌いなきゅうりが出た時に、先生に食べるように言われて、昼休みを過ぎて、授業が始まってもなお、きゅうりと睨めっこをして、頑張って食べたけれども吐いてしまった話、中学生になって告白をしたらそのことが広まった話と基本的には、嫌な話だ。特に高校生では、粕谷を執拗にいじめていた非友達である奴らから受けた嫌がらせの数々を話していく。大学に入り、お笑いサークルに入るも、そこでも、学生お笑いとしてテレビに出られる人たちと、そうでない自分との差にコンプレックスを覚える。家族との話では同居していた祖母のことが嫌いだった話まで飛び出す。

 そんな過去の話と並行して、現在である、マッチングアプリで出会った子との恋愛についての話や家族との話が進行する。

 そして後半に檜原との出会いが話され、ママタルトが始動し、粕谷明弘と、大鶴肥満と、まーごめが融合する。

 肥満から語られる、粕谷明弘の過去などは、かなり嫌なものでそれに対して、恨みつらみを述べている大鶴肥満を見ていると、お笑い芸人仲間とルームシェアをして、ピザを焼く陽気な人というパブリックイメージが、どんどん解体されていくのだが、最終的に融合することで、大鶴肥満が再構築されて「まーごめ180キロ」は終わる。この解体から再構築という流れが、なんとも言えない感情を呼び起こしているのだろう。

 しかし、「まーごめ180キロ」がただの切実なカウンセリングで終わらないのは、随所に笑いが挟まれているところだ。

 冒頭のスタッフとの待ち合わせでは、表参道グラウンドというワタナベプロダクションが所有するライブ会場で、マルシアを出待ちしている設定であったり、マクドナルドを見つけたらMr.都市伝説の関暁夫の口調になって陰謀論を唱えたりする。肥満の天然なところが出て、それをスタッフや、舞台にいる真空ジェシカとママタルトの檜原がツッコむ。真空ジェシカは、「ラヴィット」初出演時にこのくらいリラックスしていれば、批判されなかったのでは、と思うが、真空ジェシカが異物でなかったことなど無いし、「ラジオ父ちゃん」でしっかり反省していたところまで含めて、真空ジェシカの好きなところなので、もう少しみんな優しくなってほしいと思う。

 それはさておき、VTRの演出も見事だった。

 カラフルな遊具で遊びながら過去を語らせるという画は、可笑しみに溢れていて、どんどん大鶴肥満を好きになっていく。

 そして、マックを食べているシーンが多く使われているが、マックに行くという映像が、冒頭に一度出てきただけで、いつの間にか、大鶴肥満はマックの商品を手にしているというくだりが何回も出てきて、その度に、めちゃくちゃ笑ってしまった。大鶴肥満がマックのハンバーガーを買っているところは別に面白くはなく、いつの間にか持っているということが面白いということだと思うが、これは、ビートたけしが「誰かが銃で殺されることを表現するときに、発砲シーンをカットして、銃を持った男の後に、倒れている人を映せば、それで良い」という、ビーえいと一緒だ。ビートたけしの数学的な省略方法によるカット割りを用いた映画作り。いや、もしかしたら、黒アンかもしれない。黒澤さんのアングル。

 何より、個人的に興奮したのは、『HUNTER×HUNTER』との親和性の高さだった。

 「制約と誓約」などの小ネタから始まり、話に出てきた従兄弟の名前がコムギだということを受けてスタッフが「HUNTER×HUNTERのですか?」と聞くと嬉しそうに、「HUNTER×HUNTER」の方のコムギの情報を出してツッコむ。 

 こうなると、大鶴肥満がドキュメンタリーの冒頭で、「僕、結局、所詮、僕は、大鶴肥満っていうのは、まーごめの器でしかないんですよ。私は空っぽなんですよ。私は空っぽなんですよ。そこにまーごめというものを注ぎ込むことによって、私が完成するわけなんですよ。私を紹介したって何の意味もない。まーごめを全て紹介すること。一旦ここらで、まーごめとは何なのかというのを、ここで一つはっきり白黒つけようと。まーごめっていうのはこういうことですよっていうのを、分かっていただければなと思います。」と早口で捲し立てるシーンは、『HUNTER×HUNTER』で、ゴンに、「なぜ自分と関わりのない人達を殺せるの?」と問われた幻影旅団の団長が、「なぜだろうな、関係ないからじゃないか?あらためて問われると答え難いものだな。動機の言語化か・・・・・・余り好きじゃないしな。しかし案外・・・やはりというべきか。自分を掴むカギはそこにあるか・・・・・・」と、独りごちるシーンになってくる。しかし、肥満が言っていることは、よくよく聞けば、ある種、哲学的というか、まーごめに限らずギャグの本質にリーチしている。主体がどこにあるのかといった実存の話だ。

 確かに、「まーごめ180キロ」を見ると、大鶴肥満のお笑い芸人としてのアイデンティティが全くないことに気が付く。どの芸人に憧れてとか、そういったところが出てこない。基本的に、粕谷の心には、ずっと、自分はカーストの下位にいる、いつか見返してやるという気持ちがあることしかわからない。もしかしたら、肥満が自身について、「私は空っぽなんですよ」と言っている子との真意はここにあるのかもしれない。

 そんな大鶴肥満と檜原が出会う。檜原については、「刃牙道」での本部以蔵の活躍を見て、タバコをピース缶に変えたというエピソードしか知らなかったが、VTRに出てきた、ママタルトと近しい芸人のインタビューだけで、めちゃくちゃ愛されている陽の人だということが窺える。そして、大学お笑いでもその実力を発揮していた檜原が、大鶴肥満とライブで出会い、その時から、「一緒に帰ろうや」などとぐいぐい来たという。

 ママタルトとして、やっと世に出始めたという現状を知っているので、これまで肥満の暗い話をずっと聞かされていたところに、光が当たり始めたとい、安堵の気持ちが湧いてくる。

 最後のVTRで、肥満は、檜原への思いを語る。

大鶴肥満にとって檜原は本当に光、光ですね。檜原がいるから俺は突き進むことができるんだって思ってます。時々眩しくてね、見ることが出来ないこともあるけれども、ずっと俺の前で輝き続けてほしいなって思ってます。ごめんなさい俺キルアみたいなこと言っちゃいましたね。キルアがゴンに対してみたいな。まあけど、本当にそうですね。」

 「HUNTER×HUNTER」が好きな人間として、ここは、笑うとかじゃなくて、本当に感動してしまうくらいに良かった。

 もう一つ、パロディが本家を凌駕していたのが、配信が延長したことが決まったときの告知ツイートでのコピー「泣きながらビックマックセット食べたことある人は生きていけます」だ。

これは坂元裕二脚本の「カルテット」の「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」のパロディなのだが、この場面においては、あの時に坂本が描きたかったことの本質にかなり肉薄している。

 とにかく、パロディとサンプリングが多用されている「まードキュ」をみて色々と喰らったわけだが、なんでこんなに喰らっているのか自分でも分からない。分からないのだが、ママタルトにの二人に、M-1のファイナリストになって、優勝して、「サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ」で優勝して飛び跳ねた時の3倍以上飛び跳ねてほしいと思わずにはいられなくなっている。