石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

重要な夢の競演のお知らせ。

どうも、こんばんは。
それはともかく、アイドルファンは重要なお知らせという言葉を、お笑いファンは夢の共演という言葉に苦い思い出を持つといいますが、当ブログより重要な夢の競演のお知らせがあります。
「俺だって日藝中退したかった」というブログをしばらく書いていたのですが、特に、コラムの執筆依頼が来ることもなく、売れる気配がないので、本にして売ることにしました。いわゆる、同人誌ですね。

ラインナップは


(1)君は『Qさま!!』での吉木りさを目撃したか。
(2)「2013年のラジオたち、これからすごいことになるぜ」
(3)中国人の罠にひっかかった話と、お金の話。
(4)『泣くな、はらちゃん』は一話が100点
(5)深夜に届いたラブレター
(6)ここは忙しいけど、迎えに行くぜ。
(7)妻の名は希望
(8)『超落語!立川談笑落語全集』は悪書である。
(9)頭をデザインする番組『考えるカラス
(10)伊集院光の「同窓会に行った話」
(11)コサキンが『ウチくる!?』DEワァオ!
(12)3本の漫才
(13)アルピーだって決勝行きたかった。
(14)『ダイノジ大谷のANNR』〜ぼくがブロガーになった理由〜
(15)お笑い界のPerfumeを見に行ったら、ももクロに会えた。
(16)種市死ね
(17)いつも心に加藤浩次を。
(18)ボクらの想像力の時代
(19)テレビを体感する番組『リアル脱出ゲームTV』
(20)政見放送かと思ったら、長井秀和の漫談でした。
(21)僕達は「恋するフォーチュンクッキー」が名曲だということと、指原莉乃のアイドルとしての正しさを混同すべきではない。
(22)くりぃむしちゅー上田の天下取り宣言
(23)『安堂ロイド』は電波豚ブーブくんの夢を見るか
(24)古美門研介の捲土重来を期せよ。
(25)グランジ遠山の、見る前に跳べの精神
(26)深夜ラジオ流行語大賞13&ベストラジオ13
(27)死にたい死にたいって言いながら生きていくからな、ずっと。
(28)異形のコント師日本エレキテル連合
(29)それぞれの「実存のゼロ地点」
(30)小説を応用するために、筒井康隆『創作の極意と掟』を読もう。
(31)JAPANESE PARTYバスツアー日誌『愛の渦』
(32)三四郎の、オルタナ漫才絶対頑張ります!
(33)スポットライトの中に立っていてね。
(34)「愛は愛でいつかどこかにたどり着くさ」


以上の34本です。
全部で10万字くらいあります。元記事は、ブログの中にありますが、かなりの加筆修正を加えました。自分でいうのもなんですが、かなり読み応えはあると思います。ほとんどが、上記のタイトルで、このブログに散らばっているので、気になる方は、読んでみてください。もし面白いと感じてもらえれば、今回の本は満足してもらえると思います。2011年から2014年上半期までのテレビラジオの感想と、年齢分の業を詰め込みました。
よろしくお願いします。


☆『俺だって日藝中退したかった』通信販売の流れ

①BOOTHでの購入

(1)下記サイトをご確認ください。送料の分、直接購入より高くなっています。また、送り主にも住所が分からないようになっております。

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「櫻井・有吉のTHE夜会」の方言札の再来で即座にキレられなかったことへの省察

CMを見た瞬間に、方言札じゃねえかとツッコんだは良いものの、ギリギリ、スルーされるかと思っていたけど、反して各所から指摘をされていますね。正直なことをいうと、まあ止むを得ないミスかなと、ことを荒立てることをせずに、インスタの親しい友人ストーリーに放流しただけなんだけれど、しばらく経つうちに、これはきちんとキレるべきだったなと反省している。バラエティが好きで、沖縄出身の自分が思考の一端を残さないと誰がやるんだっていう、龍拳爆発!悟空がやらねば誰がやるって感じですし、昨年見た「福田村事件」を思い返しても、まさに言語の違いから来る惨殺の話なので、その映画がを観た以上、即座にキレるべきだった。ただ、このことで、誰かを批判しようとする意図は特にはないです。そもそもなんで、これが差別だと指摘されているのかというと、琉球王国が日本になった時とかに、ウチナーグチを使ったら、方言札を首から下げさせて晒し者にするという負の歴史があったということがまず、前提となる。同じルーツを持つ人たちに対して、差別と被差別の構図を作り出し、分断を生むという邪悪な制度だ。この歴史を持つルーツの人に、方言札を想起させる企画をするということは、そこに悪意の有無は、実は問われずに、差別の反復となるので、すべき企画ではなかったということになる。このような理屈なので、他の方言を禁止しても問題ないことになるが、どこかの県とどこかの県という組み合わせ次第では、今回同様に差別となる可能性がある。ちなみに、あまりに考えずに使用しているから忘れられがちだが、言語というのは思考の根幹であるので、その言語を奪うということについては、思考を鈍らせるだけでなく、思考からなる精神への抑圧の一つと言える。言語について不見識だが、健常者であるが故に全く想像しなかったが、手話についてもいろいろな論争が生じているくらい、コミュニティにおいての言語というのは、実はデリケートなテーマとなっている。なので、台湾や韓国に日本語を勉強させたからといって、それが必ずしも良いはなシーサーではないという指摘もできる。ちなみに、番組を実はきちんと見ていたが、二階堂ふみは、どこまで演技なのかは分からないが、きちんと辿々しく話していて、方言札の時はこれよりもっとひどくなっていたのかという気づきを得た。また、こういう理由だから差別にはならないという、自分は加害なんてしないという思い込みと、自分が加害をしてしまうことへの恐怖からくるであろう反論を潰していくと、過去のバラエティの企画でも今はダメになる可能性はあるし、方言札なんて知らないというのであれば、だったらナチズムを知らんかったらいいんかということになるし、なんでもかんでも差別っていうのは良くないっていうなら何も改善されず世の中は悪くなっていく一方だし、そもそも差別かどうかを判断するのはあなたたちではない。史上最もシビアな差別判定の時代にはどんどんなっていくわけです。ただし、僕自身も反省しているように、即座にキレなかったこと、問題提起できなかったくらいには、方言札事態が、風化している歴史でもあるので、そういう意味では、やむをないミスではあるものの、だからこそやっぱりキレないといけないなと思った。あと、最近、辺野古の看板が盗まれた事件があって、それに対して、座り込みしているのになんで盗まれたんですかねという、天才チンパンジーの脳みそに刺した電極を経由したコメントが散見されて、記事の引用リツイートが黒の章の初級版みたいになっていたが、あの看板には、連続何日と書いてあって、連続何時間とは書いていないので、そりゃあ誰か不在の瞬間があるだろう。それって、皆勤賞を取った同級生がいて、なんか気に食わないから靴を盗んで、皆勤賞なのになんで靴盗まれてるんだーっていっているような幼さ稚拙さを感じる。Whataboutism的に、「じゃあ、英語禁止もダメなのか」などと言っている人がいるが、方言札という差別を受けた歴史があるルーツの人にさせることがダメなのであるがそういうことを言う人に限って、それは差別だわという例えを出してこないことに気がつく。「じゃあ、英語禁止もダメなのか」とは言うけれど、「特定の人種を集めて罰ゲームをさせて失敗した人に炭酸ガスを吹きかけるのはダメなのか」、「あそこの県とあそこの県の出身者を集めて、チクタクバンバンをやらせたらダメなのか」、「地雷で足を失った人達にマインスイーパーをやらせたらダメなのか」みたいなことは避けてくる。なぜなら、それは差別だわ、と自らの主張の分が悪くなることを理解しているから。だから、そこには絶対的に、沖縄への差別意識はあるわけである。そういえば黙るだろう、という、狡猾な抑圧。この理屈で言えば、ちなみに英語禁止も、一定の条件を満たせば、差別にはなります。ここ最近、熊本博之「辺野古入門」、デボラカメロン「はじめてのフェミニズム」を読んだのだけれど、そうすることで見えてくるのは、差別というのは基本的に同じ構造を持っているということだ。抑圧をして分断。この繰り返し。王ロバの「友好生物党の罠だー!!」は真理だったわけだが、この構図を持っていた方言札を想起させる、問題の企画はやっぱり、ダメだろうなと思います。

松本人志の休業が「松本人志幻想解体」の契機となるかもしれないとワクワクしてしまっていることへの省察

 「爆笑ヒットパレード」にて、爆笑問題太田光が、「松っちゃん元気ぃ~?松っちゃん!一緒にお笑いやろうよ!」と言っててひっくり返って笑ったのですが、爆笑問題を追い続けて、自らの史観を持つ者として、「これは美談などではなく、自らを『自分たちのお笑い』から締め出した人間への皮肉として痛烈すぎるな」と思った。そして、この窮地に対して、太田光を「すべらない話」に読んだりして、成田悠介やひろゆきみたいに、太田光の過剰な人間愛を漂白剤に活用されたら嫌だなとまで思っていたけれど、松本人志が休業を宣言したことで、その可能性が低なって安堵している。

 松本人志の休業は、当人にとっては限りなく悪手であることに加えて、会社との足並みの揃っていなさも漏れ出て、あれあれ、空気を掌握する天才という称号にどことなく翳りが出始めている。正直なことを言うと、幻想が解けていく瞬間に立ち会えているという興奮が止まらない。

 松本人志は天下を取ったと言うことについては誰も異論はないだろう。ここにおける、天下というのは、お笑い以外の文化においてもその影響を無視できない存在となること、巨大な資本や伝統が動くことと定義する。この出演者が思う個別の定義がなかったから、令和ロマンの「娯楽語り」での「誰が5年後に天下を取るか」がふわふわして、実際にはお笑いファンに好かれる、テレビで幅を効かせるくらいの話で止まっていたわけだが、それはさておき、そういう意味では、松本人志の天下は終わっているとも言えるし、紅白歌合戦の司会をして、アルコ&ピースの平子がずっとふざけて言っていた居合い切りをさせたという意味においても、現在は有吉弘行が天下を取っていると言っていいだろう。

 さて、他の文化が松本人志を無視できないという状態は終わっているわけだが、お笑い界においては権威として君臨していることもまた否定できない。それらの証明については割愛するが、権威というのは、幻想をもって補完されるものに他ならないが、僕が見たいのは、松本人志に対しての幻想は、休業によって耐えられるのかということ、ただただこの一点に尽きる。具体的に言えば、「松本人志のコメントはいまだに衰えがないどころか、切れ味は変わっていない」や、「新たなお笑いの真剣勝負の場を設けている」「賞レースに出場する若手は、松本人志に審査されたがっているか」というよく聞く言説は、本当なのかということだ。

 松本の近年の功績は、速射的に繰り出される誰も思いつかなそうなコメントと、「IPPON」や「FREEZE 」「ドキュメンタル」などのお笑いの力量が数値化、可視化されるようなコロッセウムのような場を作るということが主に挙げられるだろう。個人的には、コメントの飛距離は凄いものの、打率は相当低く「水曜日のダウンタウン」でいえば、1、2ヶ月に1回あればよく、提供する場についても、すでに存在しているものを権威でもって付加価値をつけているものでその笑いについてはむしろ原始的な睨めっこや、飲み会での下ネタありのボケ合戦であって、その実は新しいものではないと思っている。そして、賞レースの出場者が減るのか、変わらないのか、どうかなども含めて、人々は松っちゃんロスになるかという問いは、ある意味では壮絶な社会実験とも言える。特に「水曜日のダウンタウン」について、藤井健太郎が手をこまねいてこの現状を見ているわけはないし、その面白さを担保するために、コメンテーターも強めな布陣を組むかもしれない。そうなった時に、松っちゃんいなくなっても面白さが変わってなくないとなることだ。これが幻想の崩壊の一助となるのであれば皮肉なことだが、昨年の番組としての第二黄金期と、「大脱出」を見ていたら、その可能性は低くはない。

 きっと悪いことばかりだけではなく、あまりに松本人志の疑惑に直結するような構図がすでに避難されていたキングオブコントは、大きな刷新のチャンスを得たとも言える。これは悪いことではないはず。何かがきっと変わる様を、目に焼き付けたい!と騒ぎ立てたい気持ちを抑えられないのは視聴者の特権である。

 今は、荒れろ!荒れろ!というワクワクが大きいのは事実である。

 さて、女性を貨幣として扱うようなホモソーシャルについて、その構造が気になっている方のみにお伝えしますが、これらを勉強したい方は、まず上野千鶴子「女嫌い ニッポンのミソジニー」と、「呪術廻戦」での禪院家とその末路をチェックしてください。

M-1グランプリ2023感想「論争なき楽しい漫才の面白い大会」

 M-1グランプリ2023の感想です。こんなブログは、考察でもなんでもなく、お屠蘇気分でセレナーデで読んでもらうものですからね。気持ちに余裕がある人が考えすぎだろって思いながら、読むものですよ。たかが漫才の大会の、たかが一視聴者の感想。それでは、張り切ってまいりましょう。

 

1組目 令和ロマン「少女漫画の謎」

 少女漫画で、遅刻しそうな女の子が走って登校中に曲がり角でぶつかった男の子は、実は転校生だったというあるあるにおいて、女の子と男の子は同じ学校に向かっているはずなのに、進行方向が異なる二人が曲がり角でクロスし、ぶつかるんだったら「学校はどこ!?」となるというくるまが指摘した謎を考察していくというネタ。

 まず、びっくりしたのは、ほんとつい最近まで、くるまがバカキャラで進行していくネタを主としていたはずだけれども、そうではなくなっていたことだった。くるまのバカキャラは、令和ロマンのYouTubeチャンネルなどで確認できる、漫才分析の緻密さに由来するパブリックイメージと乖離が生じ始めていて、無理なんじゃないかというような気がしていたので、それを捨てて、イメージのある考察を軸としたネタに切り替えていたことは大英断だなと思うと同時に、さらに、その転換後のネタが、すでに仕上がっていることにも驚いた。

 「考察」は、この一年で、コンテンツの楽しみ方のひとつに留まらず、それ自体がコンテンツとなったと言って良いほどに、その行為の意味が変質したわけだが、くるまが少女漫画の謎に考察していくというテーマは物凄く良く出来ているということに気づく。

 まず、何かを考察していくなかで熱を帯びていく様子が、くるまのニンに合っているというだけでなく、もはや古いとすら言っていい題材が考察を持って再解釈されることで、一気に瑞々しい話題のようにみえてくる。題材が時事ネタではなく、手法が時事ネタになっているのはとても珍しい。 

 最初からフルスロットルでネタは進むが、合間合間にテンポを緩めて、笑い待ちのような時間も作っていて、配置を計算している様子が窺える。個人的にはこの緩急の緩の部分「すしざんまい」「旅館」のくだりはハマらなかったのだけれど、ボケの質としてそこまで高くないところでもくるまはずっと動いているので、見ている側を飽きさせない。

 ただ、ツッコミもそこまで機能している感じがしなかったので、高得点はとても意外だった。

 好きなくだりは「直角に曲がる人いないね」からの「ちょっと待って女の子が日体大って可能性無い?」という東京の大学に通っていた人ならではの視点からのその後の展開、女の子は近道のために裏門に向かっていて男の子は正門に向かっているから進んでいる方向が違うというもっともらしい答えを見つけそうになってからの「だめだこれ、あんま面白くない」と、「どうでもいい正解を愛するよりも、面白そうなフェイクを愛せよ」という考察エンタメに対する芯を喰った批評、ケムリの直角行動の下手さ。

 

2組目 シシガシラ(敗者復活枠)「言ってはいけない

 登場して挨拶をした直後に、浜中が脇田に「今ちゃんとお辞儀してました?」と言い、改めて深々とお辞儀をさせてから、頭頂部を指差して「いや、禿げてんじゃないかよ」からの「てっぺんだけハゲてるやつに言えよ~」というツカミはクリティカルだった。

 そこからは、脇田が行ってきた合コンに来た看護師やキャビンアテンダントに対して「看護婦」「フライトアテンダント」と言ったことで、時代にそぐわないと責め立てれるが、端々に「それじゃただのハゲですよ」「ハゲはハゲなりにもっとやることがあるんだから」とも言われて、「ハゲは言っていいの~」とツッコむ。そこから脇田が何を言っても、コンプラの袋小路に追い詰めらていくが、自信の属性だけはコンプラの網をすり抜ける。

 間違いなく、新たなハゲネタ、フォーマット、メタな視点、世間の風潮の切り取り方など総合的に見て名作ではあるので、要所要所ではウケてはいたものの、散発的なものに留まり、うねりに繋げることはできなかった。

 あの場でウケきれなかった理由は、皮肉なことにハゲをいじってはいけないという空気が世間的にすでに出来上がりつつあることで、ハゲだけはひどくいじってもいいというこの漫才の前提が崩れているということにある。看護師を看護婦と、キャビンアテンダントをスチュワーデスと、海原ともこ審査員を後輩だからといって司会が呼び捨てにしてはいけないように、ハゲもハゲと言ってはいけない時代であるという認識が観客の中に出来上がっているために、脇田の主張が「確かに」と受け止められ、罪悪感が生じたのではないだろうか。名作はタイムレスではあるものの、タイムリーではないということだ。

 やはり、そういう意味でも敗者復活戦で披露した「カラオケ」は秀逸だった。禿頭の脇田が、カラオケで歌うのは歌詞が染みる歌だといい、最初にMONGOL800の「あなたに」を挙げ、そこから朗々と歌い上げると、浜中が「ちょっと良いですか、髪の毛のことを思って歌ってます?あなたに逢いたくての、あなたにって髪の毛ですか?」とタネを撒く。脇田が歌うと、その曲が、禿頭の人が髪の毛を思っている歌に聞こえるようになるというシステムを観客に植え付ける。続く2曲目は米津玄師の「レモン」でシステムを応用させ、3曲目は山崎まさよし「One more time one more chance」にてシステムを一般化する見事な序破急構造だ。最後の「一個しかないだろ」と漫才が締められる時に、脇田がキョロキョロと客席を見るという仕草はお見事だった。

 直接的に悪意を向けるのではなく、何かを挟んだ嘲笑の構図だったからこそ、笑いが起きやすくなった理由なのかもしれない。

 脇田は脇田で、曲を知らないという浜中に「おじさんだから覚えていない」「脳死んでんのかよ」などと、実はひどいことを言っていて、うっすらと反撃していいように持っていっている。一方的にいじめているような構図に見える決勝のネタとはここが異なる。塙が審査コメントで「なんか途中から企業の社長と社員の忘年会っていう目で見てたら自分のなかで超おかしくなって」というのは、技術の話ではなくて、二人の関係性の話のはずで、ここに何かしらのヒントがあるような気がする。脇田が禿頭をいじられた時の悲壮感を少なくする前提の共有が足りなかった。脇田のルックは、バットマンのペンギンだが、2022年に公開された「THE BATMAN」には、ペンギンが出てくるが、バットマンにそれはもうめちゃくちゃにやられるわけだけれど、そのやられようの酷さにめちゃくちゃ笑ってしまったが、脇田は「THE BATMAN」のペンギンになった時、とんでもないことになりますよ。

 敗者復活戦のネタの方で笑ったのもまた事実であるのだけれども、悪口が刺さらないと言われたウエストランドが更なる悪口を持って優勝したように、最下位という苦渋を舐めたマヂカルラブリーがアングルを暖めネタを叩き優勝したように、今回は名作をもって名刺とし、シシガシラは自分達の説明書をばら撒いたとも見ることができる。フィナステリドの服用をはじめ、ミノキシジルを塗りはじめたようなものだ。平場で準備していたネタが悉く面白すぎたことも踏まえると、来年以降に、ハゲネタなんてという空気をフリにして、光り輝く未来も十分にある話だ。捲土重来を期す。あと、浜中の髪の毛もなんか怪しいなと思っていたら、治療して踏ん張っているという情報をフォロワーからいただきました。おおきに。

 せっかくなので、敗者復活戦の話もします。今年から一新された敗者復活戦のシステムは総評として敗者復活戦がとても見やすくなっていたし、テンポも良く、ネタを披露する組が多くてもストレスを感じなかったし、同じようなネタを見せ続けられているという気にもならなかったので概ね大成功といえるだろう。これは、準決勝までの審査が概ね機能しているということでもある。その仕組みについては、ざっくりとタイムラインの雰囲気でしか把握していなかったので、実際に見てこういうことかと、本番で理解することが出来た。自由民主党の安倍派が長年続けていたキックバックという言葉でぼやかしている裏金の錬金スキームも、色々と図解を見たりしているが、実際にやってみたらちょっと勘違いしている部分もあるのかもしれない。 

 新たに導入された敗者復活戦のシステムは、テンポが良すぎて、番組開始数分で敗退してしまう漫才コンビがいることはちょっと可哀想だったし、ずっと1対1という印象が続くので、復活する漫才師が選ばれてステージに向かう瞬間の、その場で破った全組の情念を背負っている感じが薄まっていたのは物足りなかった。あと、気持ちの面で寂しかったのは、見てるんだか見てないんだかの「相葉マナブ」の時間あたりで、投票した画面のスクショが並ぶTwitterのタイムラインが喪われてしまったことだ。あの投票画面スクショとその直後の、お風呂入ってくる、ご飯食べるなどのツイート、あれがあってこその敗者復活戦というのが染み付いているので、どうにも寂しかった。本当に面白いと思っている人に全ベットする人、行きそうな人に入れる現実的な人、普段の推しへ入れる人など様々だが、あの日本各地で散り散りバラバラとなっている我々の生活が重なる瞬間で満ちるタイムラインが大好きだった。我々から生活を奪わないでくれ。インボイス制度じゃないんだから。

 よって、今回から、心の投票スクショをしていきます。ちなみに、自分は毎回、希望枠、期待枠、日の目を浴びてくれ枠にすることが多かった。来年忘れてたら声掛けしてください。結果として、トム・ブラウン、ママタルト、そして20世紀に投票スクショしました。

 ここが入ったら荒れるぞという希望枠としてのトム・ブラウンは、スナックで「ロンリーチャップリン」を女性の肩を抱きながら歌っているのを注意するために首の骨を折って弓を打ち付け、その後自害、その死体に事前に宙に放っていた弓矢が刺さることでリズムが生まれる」というネタ。文句なしで腹抱えて笑いました。ボケの破壊力もさることながら、「あとお前死ぬ必要ないよ」「クロロホルム無駄だから」などの、確かに、と思わせて、笑わせる布川のツッコミもきちんと機能していて、ちゃんと漫才としての体裁を整えているところは、とても品がある。フースーヤを見ろ。下品すぎる。しっかり好きだけどさ。

 トム・ブラウンがこのネタを、ウケを取りに行く形でリズムネタをやろうというところから逆算して、史上最悪のリズムネタを産み出した可能性が捨てきれないのがたまらない。「水曜日のダウンタウン」でみちおをキレさせる寸前までいった牧野ステテコも、首の骨を折られ、クロロホルムを嗅がされ、弓矢で射抜かれていた可能性もまた捨てきれない。

 期待枠は、ママタルト。今年のママタルトの「キャンプ」のネタは、好きなくだりが多くて、とても良かった。

 「車で2時間、バスで2時間」「俺ら移動下手じゃない」からの手で移動経路を説明して、「何その世界で一つだけの花のような」、ハンモックと体の隙間に財布が挟まり、それを取るために肥満がハンモックを降りると自然とパチンコのギミックになってしまい財布が遠くまで飛んでいったというくだりはめちゃくちゃ笑ったし、爆発力があり、ネタの構成が気持ちの良い波状形になっていた。最後は、肥満にしかできない時事ネタを取り入れて落とす。お見事だし、これまでよりもさらに見やすくなってると感じさせるネタだった。ただ何度も繰り返して見てみると、キャンプというよりは山に行ってるだけなので、キャンプファイヤーやテントの組み立てなどのキャンプ感が少ないことも気になってくるが、何より題材が、大会の季節にマッチしていない。また、考えオチの割合も多い気がするので、ママタルトには、もう少しバカに振り切ってほしい。ママタルトに必要なのは、恐らくこのレベルの齟齬の調整だけだと思う。観客の笑い方からも機運を感じたので、来年に期待しよう。

 今年の敗者復活戦でのめっけもん、日の目を浴びてくれ枠は、20世紀だ。

 破防法が適用される、もしくは破防法で取り締まる側方のような風態の男の口を、すらっとした男がまじまじと覗き込み、「歯っみっがっき、じょーずだね」とリズムに乗せて言うと、「いやあー」と照れるというツカミからぐっときた。エロスすら感じる。

 20世紀のネタの設定は、大衆居酒屋をオープンするも、初日に街を怪人が破壊、最悪やとなっているところに、怪人が店に入ってきて、注文し、食事をして、お店を気に入り、ボトルキープまでしてしまう。ただただ、バカバカしいネタなのだが、ただ笑うだけではない良さがあった。

 ネタのバカバカしさを下支えしているのは、二人のどちらも異なるベクトルで高かった表現力だ。ツッコミのしげの、暴力的なツッコミや後半の「いやー」という叫びもいいが、やはり、ボケの木本の細かな所作が光る。「ごちそうさまでした」の時に手をバッテンとする感じや、お会計を終えた後の「ごちそうさまでした」を腰を引きながらいう感じが、なんとも様になっている。何より、あの頃のコバケンにルックが似ていて、愛嬌と同じくらい得難い艶かしさを纏っていた。ちなみに、自分がこのことに最初に気がついたと思ったら、信頼しているフォロワーが1年前にツイートをしていて、恐れ入谷の鬼子母神でした。早くまた飲みましょう。元々、コントの方に力を入れていたようで、『キングオブコント』の方でも期待したい。

 シシガシラの好きなくだりはツカミ、「これおんなじ人がジャッジしてる?」というアップデートに関して誰もが思ったことのある疑問、どんどん網目が細かくなっていくルールの中をハゲだけがスーッとすり抜けていくところ。

 

3組目 さや香「ホストファミリー」

 国際交流のためにブラジルからのホームステイを受け入れることになったものの、緊張してきたので「だから今黙って引っ越そうと思ってるんですよ」という石井を、新山が止めるネタ。まあ、お見事としか言いようがない。新山が最初にホームステイを飛ぼうとしているという仕掛けから、二転三転する展開の中で二人の理屈が衝突することで生まれる摩擦熱は間違いなく1番だったし、所作も美しく、言うことがない。これぞ本寸法。

 コンビニのバイトに例えが反対であったあたりは上手く騙されてとても楽しかったが、最後にエンゾがおっさんであることが明かされるくだりは、ちょっとミスリードの仕方がずるい。例えば、「熱くて謙虚で勇敢な男なんや」を「熱くて謙虚で勇敢な若者なんや」にし、そこから「俺がエンゾを受け入れるわ」と新山が熱く語った後に、石井が「あ、エンゾは若者ちゃうで。55のおっさんやで」ということで、新山が勝手に勘違いしていたということが際立つのでどうでしょうか。さや香には、台本を解体していくような漫才が見たいと去年は思っていたけど、この道で突っ切ってほしい。

 好きなくだりは「ホームステイは飛んだらあかんねーん」、「お前眼ぇ怖すぎんねん」、「気づけ、エンゾ!やばいぞ、こいつー」と舞台を飛び跳ねるブラジルに呼びかけるところ、「素敵なご縁があるぞでエンゾ」

 

4組目 カベポスター「子供の頃のおまじない」

 確かに、お前の言うとおり、カベポスターのキャッチコピー「草食系ロジカルモンスター」って、永見から滲み出る暴力性に大会サイドはまだ気づいていない感じするよな。

 すいません、そんな話はしてませんでした。永見が通っていた小学校には、願い事が叶うというおまじないがあり、それは「夜の学校でとある写真を撮ってそれを現像して裏面に願い事を書いて、とある場所に供えたら叶う」というもので、永見はそれを実践し、願い事を叶えたことがあると言うので、詳しく話を聞いてみると、校長と音楽の教員が不倫をしている証拠を写真で押さえて、それをもとに強請っていたことが明かされていくネタ。

 ストーリー運びはシームレスだし、構成もしっかりしているのだけれど、ドラマティックではないからか、そのためかドカンとくる山が無かった印象だった。

 好きなくだりは「お前も校長が叶えられる範囲しか書いてないよな」、愛のサインを見た永見少年が「ずっゼリ!」と叫んでからの「学校の前にあらかじめ停めていたタクシーにすぐ飛び乗って」からの「なんで逃走経路確保してんの」

 

5組目 マユリカ「倦怠期」

 結婚したいけど倦怠期が怖いという中谷のために、倦怠期の夫婦をやってみるネタ。

 まず、一個だけ言いたいのは、マユリカは倦怠期を勘違いしているということ。快活CLUBの公式チャンネルの「夫婦のピンチ!!出番だ、快活CLUB」っていう、鍵付き個室に泊まって自分の時間を確保しようっていうためとはいえ、夫婦をそこまでギスギスさせなくてもいいだろうっていう動画があるんですけど、倦怠期って、別に終始ピリピリしているとかそういうことではないです。そのことを差し引いても、面白く華があった。坂本のローと、中谷のハイがガッチリ噛み合っていて、ネタを見たというよりは漫才を見たという満足感がある。中盤の、存在しない名前大喜利でちょっとブレーキがかかった感はあるものの、後半グッとまた面白くなって、「ズッキンズッキンプッチン不倫です、ポンピーン」でひっくり返って笑って、綺麗にオチていった。何より、本来ならずっとうるさい中谷の声が、耳障りに感じない。、あの声質でそうなるのは奇跡だと思う。

 好きなくだりは「ズッキンズッキンプッチン不倫です、ポンピーン」という全く予想していなかった角度からのボケ、

 

6組目 ヤーレンズ「引越しの挨拶」

 引っ越しをして挨拶をしにいった大家さんが変な人だったら、というネタ。ヤーレンズが好きだったというわけでは無いので、コントに入るまでは普通に見ていたのだが、大家さんが登場して一発目の、プルルルガチャからの「なんだあたしの右手か」から姿勢を正したが、姿勢を正して損をしたと思わせるくらいにくだらない漫才だった。

 その後にも、大家さんが変な人、というお題に即したボケが矢継ぎ早に投入されていき、徐々に引き込まれていく。上戸彩は「いいテンポでしたね」といっていたが、もはやビートを刻んでいてるというくらいに、細かくボケてくる。落ち着いて、繰り返し見てもなお、さらに面白い。要は、ヤーレンズの良さに、今更ながら気がついたというわけだ。

 個人的にそこまでヤーレンズにハマっていなかった要因として、楢原が繰り出すボケは、互換性が高いが故に、ストーリーに関係なく脈略がなくブッ込まれているように見えていたというところがある。しかし、このネタにおいては、楢原のボケが「全力おてんばおばさん」であることが最初に提示され、そこに沿っているので、面白さが伝わってくる。何より、徐々に大家さんが愛おしくなってくる。あと、ボケが原則として、バカバカしいので、普段よりも詰められた間によって、観客は、考えるな感じろモードになってきて、一度ハマったら、もう抜け出せなくなっていた。合間合間に、出井で笑いを取っているところもスパイスとなって、単調になることがうまく避けられている。ただ、好きなくだりが前半にかたまっていたことで、後半は落ち着いた印象もあるので、さらに畳み掛けていたら、後7~8点は上がっていたんじゃないでしょうか。

 好きなくだりは、プルルルガチャからの「なんだあたしの右手か」、「競艇ってあなた、公営ギャンブルじゃない」という空確認、出井という苗字を説明するなかで「出入り口の出に」「電話の電」「デデン~」というNetflixの音いじり史上一番面白いボケ、さらにそこからの「Netflixってあなた、サブスクじゃやない」からの「サブちゃん演歌スクール」と繋げえた後の「ちらし寿司」とぼそっということで冒頭にフっていた出前でちらし寿司を取ろうとしていたことを回収する史上稀に見るほどに無駄な伏線回収。

 

7組目 真空ジェシカ「Z画館」

 「最近な休みの日はB画館ばっか行ってて」と言い出す川北に、ガクが「映画館じゃなくて?」と尋ねるも、川北は「映画館高くて、かといってC画館までいくと客層が悪くて内容が入ってこない」と続ける。ガクは困惑し「A画館、B画館、C画館ってこと?」と改めて川北に問うと「そっから?」と驚き、「Z画館から勉強してこい」と言って、ガクにZ画館を教えるというネタ。

 正直なことを言えば、真空ジェシカについては、好きなくだりか、めちゃくちゃ好きなくだりかくらいしか書くことがないので、困ってしまう。これまでと比べて何かが変わっているし、予選でいくつもの他のコンビの漫才を続けてみてもなお、そのボケのクオリティが抜きん出ていることしか分からない。

 ギャグを繋げていくタイプの漫才で、しかもその手法がバレているにも関わらず、平均90点以上の点数を確保しているのはとんでもなく凄いことのはずだ。

 今年、審査員を勇退した立川志らく師匠は、真空ジェシカに高得点をつけていたと思うというツイートをしていたが、とても詳細に理由を伺いたい。

 もしかしたら、実は一番尖っているように見えて、一番、自分たちの面白いと思うことと、観客のウケ、審査員の基準とのすり合わせを高い次元でやっているという、孤高の闘いを自分たちとやっているのかもしれない幻想を纏い始めている。心から万雷の拍手を送ってますよ。

 来年もまた決勝に進出、さらには優勝したとしても、なんか去年と違うんでしょうね、ボケが面白かったねくらいしか言えないし、そういう意味では批評に負けない強い漫才なので、その時はパスを使わせてください。

 好きなくだりは、Z画館に「一番下ってこと?」というガクに対して「下っていうとまたあれなんだけど」という配慮、ガクの質問を右から左に受け流す館長のムービー勝山、Z務署が税務署だったところ、名監督もじり3連続からの「もうラジオネームじゃないか」という笑いの遠近感理論でいうとちょうどいいであろう爆発、Z画館は治安が悪いから映画泥棒が勝つという整合性。 

 

 

8組目 ダンビラムーチョ「カラオケ」

 漫才を8本見てからの初見だと、気持ちが前のめりになちゃっているので、BUMP OF CHICKENの「天体観測」を1コーラス使ってチュートリアルとするには、冗長に感じてしまう。それに加えて、その後に大原が「こういった業態を考えております」「これの何がいいって設備投資にお金がかからないんですよね」と言ってきたことで、そんな話してたっけとなって、気が散ってしまった。見直してみて初めて、導入部分で、大原からの「最近副業を始めようかなと思って、カラオケボックス」というフリがあって驚いた。聞き逃したか、「天体観測」が長くて、そのことを忘れてしまったのかもしれないが、このネタの初動に乗り切れていなかったことがわかった。

 冒頭から長々と歌い上げるというのは、よく考えたら面白いという裏笑いが入っているので、爆笑にはならない。中盤以降はもう少し短いパートで笑いを取っていき、盛り上がっていくものの、個人的には、歌ネタの拡大とまでは受け取れなかった。ナイツの塙の、4分間の筋肉の使い方理論でいうと、頭が重いという歪な構成になっていた。あと、フニャオがなんかつらそうに歌っていることが気になった。ずっと自炊した料理の味に納得いっていない顔してたぞ。

 ぐっときたのは、ナイツの塙が、内海桂子のモノマネで「あのねぇ、あたしゃ歌ネタが大好きです」とぶっ込みつつの「寄席で一番今日やった中でウケるのはダンビラムーチョ。ご年配の人にはすごくウケるし、桂子師匠とかこういう歌の藝ってすごく好かれてたので、そういう意味ではご年配の人とか物凄く認める藝だったんかなと思うんですけど」とコメントをしたところだ。もう今は安易に歌ネタを軽んじるお笑いファンは死滅しかけているが、世間一般からの「歌ってるだけじゃねえか」みたいなツッコミを、寄席演芸の視点からの評価をもって「安易な手法ではない」ことを伝ることをもって潰しているところには、これまで立川志らくがやっていた行為を引き受けていたようで、勝手に、頼もしさを感じた。ミーナの件はこれで帳消しでしょう。

 好きなくだりは「これの何がいいって設備投資にお金がかからないんですよね」からの「当たり前だろ、一人でターツクターツクターツク言ってるだけなんだから」、GReeeeNの「キセキ」をガイドボーカルモードで歌ってからの「ただの友達ぃ」、DAMチャンネルを元木大介がやることについて「やるわけねえだろ」とツッコんでいたけどそんなにチョイスとしておかしくはないという引っかかっていたところにネタ終わりに大原が巨人ファンだったということがわかって嗜好に引っ張られていたことが分かったところ。

 

9組目 くらげ「思い出せない」

 ワイシャツが思い出せないことを、アロハが色々と名前を出して思い出させようとするネタ。ちなみにワイシャツが杉で、アロハが渡辺。逆だろ。

 「美味しかった31アイスクリームのフレーバーの名前を思い出せない」という杉に、渡辺が31アイスクリームの角度をつけたフレーバーの名前を次々と出してくるという最初のくだりは、子と一緒に31アイスクリームによく行くおじさんとして、あるあると笑いました。笑いのフォーマットを提示するアイスの次は、サンリオキャラ、その次は、口紅、最後に数字と重ねていく。

 結構好きな漫才であったが、いまいち笑いが大きくならずに、ぐっと踏み込めなかった理由のひとつとして、シシガシラと同じ現象が起きていた可能性がある。それは、多様性という理念の下に、おじさんが31アイスを好きでも別に良いじゃないという許容が生じていたかもしれないということだ。実際、31アイスクリームのフレーバーをほぼ知っていたし、サンリオのキャラクター総選挙のランキングで一喜一憂しているおじさん二人を知っているので、渡辺のようにそれらに詳しいおじさんがいてもおかしくないと思ってしまった。そうなってくると、この漫才の笑いどころを支える、強面のおじさんがそれらに明るいという違和感という前提が崩れてしまう。だから、冒頭で、もっと無骨なおじさんである紹介をして、ギャップがあることをフっていれば、またウケ方も違っただろう。もう、「おじさんなのに」だけではダメな世の中になっているということだ。世間はわりかしアップデートをしているのである。

 この漫才で杉が思い出せないものは「アイス→サンリオ→口紅→数字」になるが、これらはそれぞれが「説明→応用→飛躍→ずらし」の役目を持つ「四段構え」の構成となっている。

 口紅の飛躍について、ここに向けて、本来であればアイスでホップし、サンリオでステップしなければならないが、そこで足がもつれたので、ちょっと失敗に終わってしまったのではないか。だから、数字を思い出せないというずらしもまた完全には機能しなかった。飛躍というのは、3つ目の口紅のブランドを把握しているということは、おじさんがアイスのフレーバーを知っていることやサンリオキャラを可愛いと思うということとは意味合いが違ってくるために、そこを突破するためには、それなりの勢いを得ていなければならない。フォーマットは凄いけれど、好きなくだりが少なかったことも勢いづけなかった。

 ダウンタウンの松本が、真空ジェシカへの審査コメントで述べた「笑いの遠近感理論」で考えるならば、個人的には、31アイスクリームやサンリオキャラはちょうどよく、口紅が好きというのは意味合いが変わってくること馴染みがないために遠くなり、数字だと必然性からズレすぎというところだろうか。同様に、口紅に詳しい人は、この漫才に対して感じる距離感が変わってくるのだろう。固有名詞がたくさん出てくる漫才は、全員にピントを合わせるのが難しいのだが、ここがビッタリ合致すれば、すごい笑いを生み出すはずである。

 ただ、くらげは、舞台衣装しか特徴がないようにされているが、フォーマットを生み出すコンビなので、また上がってくるでしょう。よくわかんねぇけど。

 31アイスとサンリオキャラが出てくるので、このネタは、うちの子が6歳になったら、一緒に見て腹爆発しようと思っていたけれど、記事を書くためにワンオペ育児中に流しまくっていたら、ベリーベリーストロベリーに反応していたので、5歳になったらもう一回見ようと思います。あと、杉のツッコミを聞いてすぐ「思い出した、おならぷーぷーだ」って言ってました。英才教育、成功しています。

 好きなくだりは、フォーマット、サンリオキャラからの「つば九郎だ」「お前それヤクルトスワローズじゃねえか」、毎回「バニラ」「ストロベリー」「シャネル」など王道を入れてくる配置の妙、紹介VTRの「地味で無骨、だから何だ!」という「はい」としか言えない反証も何もないただの叫び。

 好きな31アイスクリームは、ベリーベリーストロベリー、ジャモカコーヒー、ナッツトゥーユー。

 

10組目 モグライダー「にしきのあきら」

 ともしげが「にしきのあきらさんってめんどくさい女の人と付き合っていますよね」と言い出し、「空に太陽がある限り」を芝に歌わせ、ともしげがサビにめんどくさい女として入ってきて

そのことを証明するが、芝がにしきのにも反省すべき点はあり、めんどくさい女をケアするネタ。

 すでに観客はモグライダーの漫才の楽しみ方が分かっているので、ともしげのミスを待つことになるが、小さなミスは起きても、致命的なミスが起きなかったことで、漫才に乱数が入る余地がなかった。ともしげが好調ということは、モグライダーの漫才は不調ということになる。逆に、あ、このリスクの高い漫才のやり方はガチだったんだと気付かされる。「呪術廻戦」の秤先輩じゃないんだから。

 好きなくだりは、「愛してるとても」「どれくらい」「どれくらいだろー」とともしげが差し込まれるところ、ともしげが大阪に行ってしまうところ、栃木のスターが入ってきたところ。

 

 

 Firstroundが終わり、最終決戦に駒を進めたのは、さや香ヤーレンズ、令和ロマン。

 

最終決戦1組目 令和ロマン「ドラマ」

 くるまが家で見ていたというドラマを再現したというネタ。First roundが進んでいく中で、やや客席の重さが気になったが、令和ロマンの二本目の「単純な仕事」のくだりで一気にその熱が戻ってきた。以降は、ちょっとウケすぎな気がするくらい、令和ロマンを歓迎するムードに包まれていた。

 TBSの日曜劇場でのドラマにありそうなシーンをつないでいく。「家でドラマを見ている」という、おそらくコロナが第2類相のころに作られたネタと思われるが、「三密回避で、ステイホームじゃないですか」「お前まだそこなの」というくだりを入れることで、一気に「今」の話題にする。これが狙っているのか狙っていないのかは分からないが、この時代に即していると、時代と共に踊っているという幻想を纏っているのは、漫才師として強い。

 好きなくだりは「あなたはライバル会社のトヨタさん」「まだ、ライバルじゃないよ」、

トヨタにはこんな人いません」からの「よしもとにはこういう人がいます」という大阪万博の諸問題につながりそうな話。

 

最終決戦2組目 ヤーレンズ「ラーメン屋」

 ラーメン屋が大好きなのでいろんなラーメン屋に行きたい出井が、ハズレのラーメン屋に行ったらというネタ。ラーメン屋に出井が入ったところで、楢原が「amazinggrace」を歌っていて、そのハズレさにグッと心を掴まれたので、すでにヤーレンズのことを好きになっていることを意識する。1本目よりさらにさらに細かく刻んでくるボケが、ことごとくツボに入って、最終決戦では一番好きでした。何より、店主を演じる楢原が完全にゾーンに入っているようで、志村けんのひとみ婆さんばりのフラを纏っていた。何より軽やか。

 出井が 最後に、乗せ忘れたネギをもらった時、食べながら「乗せ忘れたネギ!ネギラーメン頼んだんだぞ、俺はいい加減にしろよ」とツッコんで、店を出ようとする。この、出井が乗せ忘れたネギをパクついてるマイムもちょっと面白いこともあるが、全ての漫才を含めて数年前なら、いらねえよで済ませていたところを、肯定ベースでツッコむ。乗せ忘れたネギをもらって食べるということが、そこまで特殊なくだりになっていないことに、ぺこぱの流れを感じつつ、うっすらと感動した。世の中はどんどん優しくなっている。

 単に外れのラーメン屋というだけでなく、「元駐車場の場所で営業している『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』みたいなラーメン屋」という縦軸に沿っているので、ストーリーもある。展開、展開と言われるが、この漫才に展開はそこまでないが、満足度は高いので、結局は展開というのはそこまで関係なくて、満足度のことなのかもしれない。

 好きなくだりは、「ツッツ浦々」「ムッシュムラムラみたいに言うなよ」、「椅子持ってきますね」「椅子なかったんかい」、「はい喜びそー」「喜んでないんかい」、かっこいい湯切り、言い終わる前に切る電話。

 

最終決戦3組目 さや香「見せ算」

 資本主義の名の下に経済格差が広がっているがそこに対抗するために数学を学ばなければならないが、令和の時代に四則演算では足りないので、新山が一つ「見せ算」を作って五則演算にするというネタ。なんだそれ。「見せ算」は、数字と数字を見せ合わせてどう思うかというもの。なんだそれ。 

 音だけ聞くと完全に漫才になっているけれど、全く訳がわからないけれど、漫才の技術のみで強引に漫才にしている。音声を消して見ると、ものすごい面白い漫才をしているように見える。

 好きなくだりは、「見せ算」のシュールさに必死で着いていっていた観客が「2見せ5」で数字がスマホを落としたあたりから心が離れた瞬間、「漫才にとって重要なことって立ち位置じゃないんですよ。掛け合い」「どこが掛け合いやねん」、「誰が使うねん、もうええわ」ということで「本当に、もうええわ」となってホッとした桂枝雀いうところの緊張と緩和の実践、10回くらい連続で聞いたらこれは落語の壺算くらいの名作になるのではと洗脳されそうになるところ。

 

 最終決戦の投票は、令和ロマン4票、ヤーレンズ3票、さや香0票で、優勝は令和ロマン。

 松井ケムリさん、高比良くるまさん、タイタンライブでお待ちしております。あと、屋号を魔人無骨に戻してもらっても僕らは全然かまいません。あと、辰年天井の令和6年から始まっている新NISA、さらに験担ぎのために、SBI証券から大和証券へ乗り換えたほうがいいんですかね。

 今年も楽しかった。2年連続でホテルに泊まったりなんかしちゃったりして、育児から解放されて、漁港の市場でお寿司とマグロの刺身を、デパートでケーキを買ってから、コンビニに寄って、水やお菓子を買ったりしつつも、少し早めにホテルのロビーについて、「すいません、ちょっと早く着いたんですけど」みたいな顔して2時55分にはチェックインして、3時には部屋に駆け込んで、テレビ朝日系列にチャンネルを合わせ、荷物を下ろしながら、敗者復活戦を見始める。いつもはある夕方の休憩時間が無かったので、本戦のオープニングが始まる少し前から急いでコンビニに行って、コーヒーを調達する。その忙しなさ、嫌いでは無かったです。そこにきて、最終審査での令和ロマンとヤーレンズの拮抗。最後の最後までどっちに転ぶか分からない展開にいたく興奮しました。

 でもなんか、楽しくて面白かっただけだったな、という引っかかりも残った。発表されたファイナリストを見た瞬間に、ファニーさが基準にあるのかなと思ったが、その直感に沿って続けるなら、概ね外してはなかったなと思う。8時間も漫才を見させられたわけだけれど、脳みそがクッタクタになったみたいな疲労感が無かったのは、良い意味でも悪い意味でも、スナック感覚

 大衆の倫理観の隙を突き、茶化すネタが無かったことが、そう思わせるのかもしれない。平たく言えば、論争なき大会だった。年に一度、M-1グランプリで、笑いの、つまりは大衆の許容の閾値を観測し、世間の感覚を把握し微調整しているところがあったので、あーそーかーっとなった。その論争を鳥瞰する中で、やや小馬鹿にしつつも、愛していたといえる。

 このままだと、本当に競技として完成されちゃうけどそれで良いのってなっちゃいますし、そうなるならまあ、賞レース感想を勇退せざるを得ません。

 勇退と言えば、立川志らく師匠だ。志らく師の審査は、2018年の1回目の登壇から『M-1グランプリ』でかけられる現代漫才を、立川流の基準を持って評価することで伝統に接続させ、その革新性が寄席演芸と地続きであることを示すだけでなく、ヨネダ2000やトム・ブラウン、ランジャタイの、いわゆる理屈の外のドガチャカな漫才から秩序と品を見出し、賞賛することで、そのケイオスさに箔をつけるという、他の審査員には出来ないことをやってくれていたということは記録しておきたい。本当にお疲れ様でした。神田伯山に、自分で勇退って言うのはどうなのかを強かにいじられてください。

 ニュートン!リンゴが落ちたところでお時間です(松尾アトム前派出所)

暮れの元2023「光の跡」

 お世話になっております。

 2023年も終わりますね。

 今年を振り返るとするならば、とにかく仕事を頑張ったということでした。後半はそれしかない。ただ、そのほかの生活も充実していた。なので今も元気です。全然、出世とか昇任したい人間なので、ここは踏ん張りどころだと思ってましたし、何より忘年会で、動き回って、迷惑をかけた人たちや上長に挨拶しまくるというムーヴが僕は出来るんですけど、その中で、まあまあ、頑張りが伝わっているなという情報を得られたので、一安心しているところです。来年も生活を軸にしたい。たかがお笑い、たかがラジオ、たかがエンタメの精神を強めたい。

 来年はマジで本を読みたいし、ちょっといろんな意味で活動的になりたい。

 あと皆さんにお勧めしたいのは、ブログをやった方がいいですよということです。今、SNSアカウント6個くらいやってますけど、ブログがあるということの精神的な安心感は凄いですから、全部一気に辞めたっていいという心の担保がある。箇条書きでもいい、即時的でもいい、考えたことを文章に落とし込む。最初は誰も見ていないんだって思われるくらいがちょうどいい。誰かの土俵で思考するということは、思考ではないということを伝えたい。他者に向けてお笑いのことを書いている人、もう5人くらいしかいないじゃないですか。幽霊族じゃないんだから。自分の史観で物事を記録すべきですよ。

 他の言いたいことはブログの各記事にてばら撒いているので各自それぞれを拾って、僕に対して適当な解釈をして、誤読をしまくってください。

 仕事の納会のくじで宝くじ三千円分をもらったので、明日全てのアカウントが消えていたらそういうことだと察してください。それでは、皆さま良いお年を。

M-1グランプリ2023 宇宙最速感想

 今年のM-1グランプリは、どこか不穏な空気を纏っていた気がしていて、最悪、誰かの大炎上があるのではないかという気持ちでいたのですが、蓋を開けてみればそんなことはなくて良かったです。ただ、なんか製作陣が爪痕を残そうとしている感じがなんかうっすら嫌でしたね。

 敗者復活戦から本戦までぶっ続けで8時間弱の放送、古くからの予選審査員の卒業などもあるが、特に立川志らくが審査員から外れたことはかなり興を削がれてしまった。立川志らく師匠の審査は、登壇の1回目から、M-1グランプリでかけられる現代漫才を、立川流の基準を持って伝統に接続させることで、その革新性が寄席演芸と地続きであることを示すだけでなく、ヨネダ2000やトム・ブラウン、ランジャタイの、いわゆる理屈の外のドガチャカな漫才を評価していたことも忘れられない。本当にお疲れ様でした。どうにかステイできなかったのか。

 さて、Bブロックが終わったあたりでめちゃくちゃ疲れてしまった敗者復活戦を振り返ると、ママタルトの楽しい漫才が仕上がりかけていたところや、圧巻のトム・ブラウン、シシガシラの、全員が差別の共犯になってしまうという意味ですごく新しいネタ、フースーヤ霜降り明星せいやが二人で漫才をしているようなネタ、ダイタクの父親のネタ、スタミナパンの馬鹿さ、今後大喜利ワードを並べるならここまで意味不明なことを言ってもらわないと困るくらい基準を上げまくってしまっている罪作りなななまがりなど、面白かったが、初めて見たコンビでは、一番、20世紀が記憶に残った。とにかく、表現力がすごかったし、あの頃のコバケンに似た左がカッコ良すぎた。あと、なんかよくわかんないけど、バッテリィズには幸せになってほしい。

 敗者復活戦のシステムについて、当初のリリースをちゃんと読まないで、タイムラインの雰囲気で分かったつもりになっていたけれど、見てみたら、思っていたのとちょっと違っていた。もしかしたら、安倍派のキックバックという名の裏金製造スキームもやってみたら違うのかもしれない。そんな新しくなった敗者復活戦は、スピーディーに進みすぎて、これまでの敗者復活戦とはかなり印象が異なっていた。これまでの方式に対して、さして悪いものであるなどとも思っていないのではあるものの、結局は人気投票になっているという批判などを吸い上げつつ、屋外での寒さ対策なども取り入れるという持続可能なものにアップデートするという意味では100点だと思うが、しかし見ていて思っていたのは、やはり、一試合目で即敗退する1組目などはちょっと可哀想だし、20組全員を背負っているという感じがなかったことによる情念が薄まっているのが個人的には物足りなかった。しかし、そのウケと審査が意外にずれていたりとかなり驚かされつつも、概ね納得の結果ではあったので、楽しかったし、まあまあ今後はこれでいくのだろうという感じであった。 

 余談ではありますが、これまでのシステムだったら、20世紀、ママタルト、トム・ブラウンに投票してそれをスクショしてから、お風呂に入って、相葉マナブを見たり見てなかったりしていましたね。

 

1組目 令和ロマン 

 結成5年で決勝へ。初めてラフターナイトで聞いてその完成度とまとまり具合に驚いてから5年くらい経つということ。

 あんまりニンに合っていなかった、くるまのバカキャラを捨てて、理論的な方向へと進む。くるまがこのタイプのネタって多分初めて見たんだけど、それなのにここまでその方向を完成させているの凄すぎる。詰め込みまくっていて途中まですごいぶち上がっていったものの、後半入口でちょっと間伸びしてしまった。ただ、この漫才において、ちょっと間が合わなかったというだけではあるものの、それなら、突っ切って欲しかった。最後立ち直したこともトップバッターなのに高得点に繋がったのだろう。

 

2組目 敗者復活 シシガシラ

 シシガシラの名作ということでそれ自体は知らなかったのだけど、やはり、今言ってはいけない言葉の代表として、看護婦、スチュワーデスという言葉や、順位をつけないなど、それ自体は、とても古いので、どうにかして、フォーマットはそのままに、そこら辺の知識は進めてて欲しかった。

 

3組目 さや香

 もうお見事すぎましたね。指摘する点が何もない。褒めるしかない。エンゾ側からしたら、ほぼ是枝映画みたいな設定になっているところも味わい深いし、目バキバキは面白かったんだけど、去年よりも漫才の展開に矛盾がないんだけど、狂気は去年の方があったかもしれない。ここを越えると、緻密な計算が見えてしまう気がする。これをどう取るかで、もう好みの問題。

 

4組目 カベポスター

 漫才の技術はさらに上がっていて、聞かせるんだけども、やはり昨年の漫才の構造の巧みさと発想と比較してしまった。

 

5組目 マユリカ

 やっていることはそんなに凝った漫才ではなく、王道なんだけど、中谷が面白いので、ちょっとそれが変わった漫才に見える。大喜利的なワードも外さないし、ボケ数も多くはないけど、満足感がある。ちょっと熱が冷めてきた会場をリセットするかのような陽の漫才はさすがだった。どこかダイアン味を感じるんだけど、キャラが認知されたら、もっと漫才が伝わるんじゃないでしょうか。準決勝でいつか見た漫才も面白かったと記憶してます。

 倦怠期ってああいうことではないんですけど、まあそれは、不倫をしているということで回収されたということにします。

 ところでマユリカの左は、ずっと不機嫌そうでしたけど、どっかから今日、連れてこられたんですか?

 

6組目 ヤーレンズ

 ヤーレンズ、令和ロマンとちょっとネタの作りがかぶるかなって思ったんだけど、令和ロマンがちょっと感じが変わっていたことと、ヤーレンズが詰め詰めになっていたことで、そんなことなく全く別物の漫才に聞こえて良かった。中盤確かに、疲れちゃったんだけど、好きなくだりを選ばせたら全員が違うやつを出しそうなくらい、ミートカーソルが広い素晴らしいネタ。

 しかし、詰め詰めになっても聞きにくくなかったりしたのは技術のなせる技だろうな。

 

7組目 真空ジェシカ

 相変わらずどこが進化しているのか分からないけれども、去年よりも面白くなっていることだけはわかる。フリとボケの配置が見事だし、ワードの精度も高い。高いんだけれど、必ずしも審査員を置いていこうという嫌な感じもしない。

 一番、観客、審査員、自分達が面白いと思うことの、三者の感性の妥結点を一番考えているのは真空ジェシカなのではないかという気になっています。

 

8組目 ダンビラムーチョ

 ネタの導入がまずかったというか、ネタのシステムの説明が全くされてなかったような気がしたのは僕だけでしょうか。天体観測が長かったというよりも、あ、そういうことなのね、とネタが始まってしばらくして気がつくという感じ。塙が寄席では受けるという基準を持ち出してきてぐっときました。これまでなら歌ネタって下に見られがちなんだけど、審査員のそういった言葉が防御シールドになるのはとてもいいですね。

 

9組目 くらげ

 ミルクボーイっぽいとは言われていたけれど、ダイヤモンドを連想しました。おそらく、ただの羅列に思わせない努力はめちゃくちゃやっている。よく見るとバカだからも っとゲラゲラ笑えるような漫才のはずなんだけれど、あんまりハマっていなかった。

 このネタは、子供が6歳になった頃に見せて、腹爆発させてやろうと思ってます。

 

10組目 モグライダー

 前回出場時の歌いじりネタを少しシステムを変えてきたのだけれど、いかんせん、モグライダーの良さであるともしげのシステムエラーがあまり起こらずに、ミスをちょうどいいくらいに重ねて、ともしげが感じるストレスが一気に解放されるカタルシスが起きなかったのが、爆発しない1番の要因だったと思う。つまりは、ともしげが調子いいからこそ、モグライダーの漫才が不調になるという。ここは、芝が博徒のようなやり方をしているので、こういうことは全然あり得るので止むを得ない。

 

 

ファイナルラウンド

 ちょっとまとめきれませんが、個人的にはヤーレンズでした。やっとヤーレンズの面白さを、ファイナルラウンド二本目で掴んだ気がします。ずっと面白いというか、くすぐりを続けられてじんわり面白いのかなというところに、中盤の最後あたりから、ぐっと大きな笑いが入ってくる。それもあまりいやらしくないというか、志村けんのひとみ婆さんみたいなラーメン屋店主が言いそうなことになってきてると思うと、ボケが脈絡のない嘘ではなくなるので、笑ってしまう。

 そういう意味では、令和ロマンの面白いところを置いておく、それこそダイジェストな作りよりは、ヤーレンズのシームレスさを評価したいなという気持ちが働いた。

 さや香の漫才については、あちゃーという気持ちに、漫才の最初になってしまったものの、これはこれでという気になってきてます。

 令和ロマン、そもそもラフターナイトでネタ聞いて、なんだこの完成度はって思って調べたら、一年目とかで度肝抜かれたから、元々超エリートなのは間違い無いんだけど、そこから地味なキャラ変などの紆余曲折を経て、まるで受験をするようにM-1優勝まで成し遂げたのは、時代の変遷を感じますよ。

 

 さーて、毎年のやつ置いておきますね。

 賞レースの感想は最低5営業日必要。

 それではまた。

THE W2023感想(アファーマティブアクションから練兵場へ)

 『THEW 2023』観ました。気になったネタの感想です。

 まいあんつのネタについて、全く笑わなかったのだけれど、それは、もともと、猿ぐつわという意味であったギャグは、ストーリーにメリハリを付与するためのものであるため、ギャグの羅列は、そもそも無理がある。とある芸人が、とある作家にFUJIWARAの原西の「背骨を引っこ抜いたら立ってられへん」を引き合いに「君のギャグはフリがないから伝わらない」と指摘されて、ぐうの音も出なくなっているところを見たが、まさに、ギャグの羅列には、その問題に直面する。加えて、ギャグをしているということが、意味のないものになってしまう。意味のある流れに意味のないものが配置されるからギャグなのだ。だから、俯瞰すると、あんなに動いているのに平坦に見えてくるし、ちょっと油断するとテンションについていけなくなって一気に冷めてしまう。

 また、ギャグの動きについて、舞台衣装であった、魔法にかかる前の家事をするための洋服のフォルムのせいで、その身体性が損なわれ、なんかどういう動きをしているのか分かりづら苦なってしまう。敵がゆったりした服を着ていたら、武器を隠していると思わなければならないし、ジュディ・オングがギャグをやったら、ビラビラを邪魔に感じてしまうだろう。あと、呼吸が荒れていたのは平場では面白くなるが、ネタの場でのあれは悲壮感が出てしまう。

 ただし、設定において、シンデレラが魔女に間違えた魔法をかけられて、無理にギャグが出てしまうという設定は、自発的にやっているよりも、やらされているという体の方が面白いと思うので、そこは考えれられていたりするので、あとは、見せ方やストーリー、緩急の問題などの話になってくる。

 ここまで書いて、自分が、まいあんつをシンプルにギャガーとして見ていることに気がついた。というのも、数年前なら、割と手放しで評価していた可能性があるからである。女性がギャグを

しているだけで、話題になったんじゃないか。もう、女性がひょうきんなことをするだけで評価される時代は、死んだとして良いのでしょうか。

 ただ、国民投票というシステムがある以上、ネタを終わった後に、さらにギャグを披露するのはマジで卑怯です。こんなことは絶対に許されない。

 ついで、はるかぜに告ぐは、1年目のコンビなのでこういうことを言ってもいいと思うけれども、おばあちゃんの形見が傘ということから岸和田いじりなど、ネタの題材やワードの使い方などから明確な金属バットフォロワーのコンビに見えるが、それだけでなく、ルックは尼神インターのようにキャラの対比が明確、フォーマットは、どこかミルクボーイやブラックマヨネーズを思わせる、会話の要所要所で、予想の斜め上の情報が小出しにされてそこを起点に会話が転がっていくスタイルで、知らんやっつらの知らん会話を盗み聞きしているという愉悦がある。これだけ見たら、鵺の赤ちゃんのような存在しないシルバニアファミリーの新作みたいな、今のところ足りないのは技術だけというコンビだった。

 今大会でのめっけもんは、エルフだった。一本目のコント「居場所」が素晴らしかった。

 久々に実家に帰省したギャルの姉が、引きこもっている妹を心配し、部屋をこっそりと覗いていると、実は配信者として活動し、それなりの評価を得ているということがわかるという展開から、配信に乱入し、。「家族が寄り添ってやらな」や「実質外出てるー」といった、ギャルのポジティブシンキングを、コントに落とし込んでいることに、新しいコントのスタイルを見たように感動した。そのアイコンの活用は、漫才の方が自由なはずなのに、その意義が十二分に発揮しているのはコントの方だったことはとても興味深い。

 ラストに、実は父親も配信を見ていたという「パパー」ってオチ、それ自体も奥行きがあってお見事だし、今週のワンピースでドラゴンがルフィのことを思っていたことがわかってコンビニで震えたくらいには、親の愛を感じる良いものだし、例えば、このコントを男性がやっても成立はするとは思うけれども、この「パパー」のトーンのなんとも言えない、ウェルメイドな良さは出せないんじゃないだろうか。

 「お茶って一個1万円するの」という姉のセリフが、設定として姉が実は妹がライバル視している1位の配信者であったということがバラされた時にウソになってしまうし、「パパも怒らんで良いって」というセリフも、本当は知っていたのかその場で知って順応したのか不明になるというノイズとなってしまったりと、脚本に穴があることは否めないが、それでもやはり良いコントだと思う。あと、配信にコメントしていた矢部くんが「やんす」を使うという無駄なパワプロくん設定はなんだったんだ。

 これらのネタだけでなく、梵天はもっとぐちゃぐちゃな漫才をしてそこから削ぎ落とし、ニンが乗ったら一気に化けそうだし、あぁ~しらきの「角刈りは蛇に懐かれる」で腹爆発したし、ぼる塾の四人体制は、なるほど、と思うくらいにはフォーメーションが完璧だったし叩きがいがあるネタだったし、本当に、大会としての価値は高まっている。

 差別を受けている人たちの現状を是正するための改善措置を積極的に取ることをアファーマティブアクションと呼び、『THEW』はその基に生まれた賞レースであり、その観点から、見た場合、その良い点として、恋愛ネタ、女芸人が「女性」をやらされているネタがほぼ淘汰されていたことは、とても良いことだと思う。スパイクの1本目や、紅しょうがの2本目、ハイツ友の会、変ホ長調など、女性の生活から見えてきたものであったり、女性が気付きやすい視点からくる発想を膨らませたものであったり、ジェンダーによる縛りからの解放された結果が、当初に望んでいた通り、ほぼ芽吹いてきたと言って良いのじゃないでしょうか。

 まだまだ他の賞レースと比べてネタが弱いことが、審査員コメントの刺さらなさ、どこか無理している感じからも伝わってくるが、大会としての次なる目標は、ここで結果を残した芸人が、他の賞レースの決勝に進出するに設定しても良いくらいに、今年は、そのネタの幅が広く、ネタの見えせ場として豊潤な土壌といってもいいくらいには、楽しい大会だった。ここを練兵場とした女芸人が他の賞レースや別のメディアで跳ねていく、それこそがアファーマティブアクションでしょう。

 もちろん、大会として問題があるわけでなく、ただ、番組側が、それをどこまで意識しているのか、ネットフリックスのリスペクト講習みたいなやつを全員が受けているのか、カウンターとしての賞レースでもあるという自覚を持っているのか怪しいところがある。

 ニューヨークの屋敷が、小綺麗な格好をしている吉住を見て、「フェミニストみたい」という発言をして批判を受けているが、これも、犯罪者を作らないような体制作りに務める義務もあるという理屈に基づけば、無駄にニューヨークを呼び込んだ番組側にも責任はあり、歴代のチャンピオンを多数連れてくるということで安っぽくなっているところに、とりあえずな売れっ子の、さらば青春の光の森田や、鬼越トマホークらを入れとこうみたいな保険をかけている方も悪く、安易な視聴率主義が透けており、基準スレスレのふるさと納税で儲けた自治体のビカビカの祭りみたいに、理念もへったくれもねえなとか思ってしまう。

 他には、元自衛官のやすこへのキャッチコピーに「アーミー(軍隊)」を使ったら憲法の解釈的に問題があるだろうとか、リークが本当なら、M-1に女性審査員2枠を先にやられてるんじゃねえよとか、なんかキングオブコントのスタッフって、THEWの観客も女性が多いことについて、なんで俺たちだけ叩かれてるんだと反省してなさそうという偏見など色々あるけど、とか言わないの~って感じになってきたので、姫ちゃんTHEW待望論という逆逆指名で締めさせていただきます。

 出たらひっくり返って笑うと思う。

 ニュートン!リンゴが落ちたところでお時間です!(松尾アトム前派出所)