石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

重要な夢の競演のお知らせ。

どうも、こんばんは。
それはともかく、アイドルファンは重要なお知らせという言葉を、お笑いファンは夢の共演という言葉に苦い思い出を持つといいますが、当ブログより重要な夢の競演のお知らせがあります。
「俺だって日藝中退したかった」というブログをしばらく書いていたのですが、特に、コラムの執筆依頼が来ることもなく、売れる気配がないので、本にして売ることにしました。いわゆる、同人誌ですね。

ラインナップは


(1)君は『Qさま!!』での吉木りさを目撃したか。
(2)「2013年のラジオたち、これからすごいことになるぜ」
(3)中国人の罠にひっかかった話と、お金の話。
(4)『泣くな、はらちゃん』は一話が100点
(5)深夜に届いたラブレター
(6)ここは忙しいけど、迎えに行くぜ。
(7)妻の名は希望
(8)『超落語!立川談笑落語全集』は悪書である。
(9)頭をデザインする番組『考えるカラス
(10)伊集院光の「同窓会に行った話」
(11)コサキンが『ウチくる!?』DEワァオ!
(12)3本の漫才
(13)アルピーだって決勝行きたかった。
(14)『ダイノジ大谷のANNR』〜ぼくがブロガーになった理由〜
(15)お笑い界のPerfumeを見に行ったら、ももクロに会えた。
(16)種市死ね
(17)いつも心に加藤浩次を。
(18)ボクらの想像力の時代
(19)テレビを体感する番組『リアル脱出ゲームTV』
(20)政見放送かと思ったら、長井秀和の漫談でした。
(21)僕達は「恋するフォーチュンクッキー」が名曲だということと、指原莉乃のアイドルとしての正しさを混同すべきではない。
(22)くりぃむしちゅー上田の天下取り宣言
(23)『安堂ロイド』は電波豚ブーブくんの夢を見るか
(24)古美門研介の捲土重来を期せよ。
(25)グランジ遠山の、見る前に跳べの精神
(26)深夜ラジオ流行語大賞13&ベストラジオ13
(27)死にたい死にたいって言いながら生きていくからな、ずっと。
(28)異形のコント師日本エレキテル連合
(29)それぞれの「実存のゼロ地点」
(30)小説を応用するために、筒井康隆『創作の極意と掟』を読もう。
(31)JAPANESE PARTYバスツアー日誌『愛の渦』
(32)三四郎の、オルタナ漫才絶対頑張ります!
(33)スポットライトの中に立っていてね。
(34)「愛は愛でいつかどこかにたどり着くさ」


以上の34本です。
全部で10万字くらいあります。元記事は、ブログの中にありますが、かなりの加筆修正を加えました。自分でいうのもなんですが、かなり読み応えはあると思います。ほとんどが、上記のタイトルで、このブログに散らばっているので、気になる方は、読んでみてください。もし面白いと感じてもらえれば、今回の本は満足してもらえると思います。2011年から2014年上半期までのテレビラジオの感想と、年齢分の業を詰め込みました。
よろしくお願いします。


☆『俺だって日藝中退したかった』通信販売の流れ

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(1)下記サイトをご確認ください。送料の分、直接購入より高くなっています。また、送り主にも住所が分からないようになっております。

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切実な選挙への省察

 選挙が終わりましたね。

 当日は仕事だったので、期日前投票に行ってきました。期日前投票の「前」は「ぜん」です。前戯と一緒だと覚えましょう。

 どこに投票したかと言いますと、地元では、オール沖縄サイドのイハ洋一、比例は日本共産党です。自民党の古謝げんたは、SNSを見ても、自主的な政策が見えなかったことなどからという理由は後付けで、もちろん自民党だからです。選挙の告示前に、YouTubeで、古謝げんたのCMが流れていた。それは、自民党とも選挙とも言わず、単に「古謝げんた」の広告でしかなく、要は選挙前に少しでも名前を売っておこうというものという効果を有するのだけれど、公職選挙法的には問題がないのかもしれないが、なんとなく、卑怯な手口だなと思う。

 比例については、最後の最後まで立憲民主党日本共産党で悩んで、日本共産党に入れました。立憲民主党は、政策は悪くないし何よりホームページが見やすいのが良いと思うけれども、なんというか悪い人間がちらほらいるのが気になったからで、毎度のことながら日本共産党に票を投じました。ただ、この選択はかなり、個人的には白票や棄権に近いものでもあるという自覚がある。

 なぜなら、現時点で僕の人生は、日本共産党が守るようなものではないからだ。収入はパートに出ている配偶者からお金をもらうこともしない程度には出来るものだし、iDeCoにも入っているし、配偶者には僕の姓になってもらったし、最近好きなAV女優(今はセクシー女優)は、白桃はなで、乳首攻めに特化したさもあり監督のAV(今はセクシービデオ)をチェックする程度には性の対象は女性だからだ。正直なことを言えば、一番、現状維持で満足できるものであるから、最近考えるのは、程度の差こそあれ普通に自民党支持者になっていただろう。しかし、そうでないから、まあ、僕の一票で、抑圧されている、生きづらいと考えている人間のためになるんだったら、そうしようという気持ちが全くないと思うと嘘になってしまうし、それがなければ、選挙に行かないでも良いという考えのまま生きていくことになる。それだけではないが、そういった傲慢さが全くないという訳ではない。

 もしかしたら、沖縄は自民党のポコチンを舐めるようにしていくことに舵をきったら、ガンガンお金ももらえて、実は楽になるかもしれない。だけれども、そこへの嫌悪感と、現状維持を求めるが故に、毎回オール沖縄サイドに票を投じる。しかし、オール沖縄についてよく分かっていないというのも事実だ。島ん人ぬ宝みたいに言ってしまったけれど、もちろん、オール沖縄に対しては、あまりにも情緒的な政治であるという、地元から泥目線で見ていると、そう感じる。後進を育てるという気持ちが全く感じられない。自民党の凄いところは、適宜、若い人間を連れてくるところであり、このままでいけば、古謝げんたはいつかどこかのタイミングで勝つだろう。

 日本共産党も山添拓などがいるが、そのような人を連れてくるという努力が、オール沖縄はその努力が足りていないように見える。このままジリ貧になっていく可能性があり、そこについての危機感があるのだろうか。

 秘密投票の原則に反したことをベラベラと喋っているのにはそれなりの理由がある。

 それは、選挙への考えをここらで一旦、見つめ直さないと、ジリ貧になる前に投票に行かなくなる可能性を潰すためである。つまりは逆張りしていくことで見えるものを探っていこうと思う、

 まず投票所に行った時に、周りを見るだろうか。結構、家族で来ている人たちは多い。いわゆる、「ウチ外(ウチじゃ何故か、投票行って外食すんだ)状態」だ。楽しそうにしていて、それこそ子供が「誰に入れたの」と聞いて、「言わないよ」なんて言っていたりする。僕は、このやりとりの積み重ねは、正しいが、親が子へ選挙について説明することの放棄ではないかとも思う。どこに入れたかまではともかく、争点であったり、公約を見て、どこに入れるか考えたかまでは言うことこそが、親から子へ民主主義を継承することにならないか。

 他に、選挙で見るものといえば、びっくりするくらい軽率な人たちが多いということである。ここでいう軽率というのは、例えば、入れる相手の名刺を他人の目に入るように持っていたり、大声で連れ合いと、誰に入れれば良いんだっけと言っている人を見たことはないだろうか。軽率だなーと思ってしまうのだけれど、もしかしたら選挙ってそんなものなのかもしれないと言う気落ちになってくる。

 僕は、SNSでの「選挙に行こう」と一斉に言うムーブメントには正直乗り切れていない。そもそも選挙に行くし、この言葉の裏に、自民党公明党日本維新の会には入れるなよと言うのが隠れているからだ。選挙に行こう!と言っている人に、はい、自民党に入れに行きます!というとめちゃくちゃ怒られそうだ。それはそれで健全な選挙ではないだろう。もしかしたら公職選挙法に引っ掛かるのであれば、それは公職選挙法がもはや老害さん化していることになる。

 だが、それは切実さの裏返しということでもある。

 がしかし、切実さはマイノリティのものであり、軽率さはマジョリティのものであるからこそ、数では絶対に勝てない。

 選挙を切実に考えすぎていたんじゃないか。

 生稲晃子今井絵理子の当選を持って、日本の選挙が大衆の軽率さに支えられていることが自明の理になった以上、これに対抗するスタンスを考えなければならないんじゃないか。それには先に言ったように、数で勝てない切実さではなく、何も考えていないと同義の軽率さではなく、伝わることを考えた軽やかさだと何となく思っているのだけれど、それについては答えは出ていないので、今日はこの辺で。

ニシダ更正プログラムの感想

 ラランドニシダ更正プログラムを見ました。ラランドのYouTubeチャンネルに突如としてドロップされた動画、ラランドの動向を全く追っていないにも関わらず、何か強烈な匂いを感じて、視聴しました。一時間程度のこの動画は「ニシダの怠慢に対して、我慢の限界を迎えたサーヤとマネージャーが、身内ではなく、他の仕事で関わった人たちがニシダに対してどう思っているかをニシダに見せたい」ということで、ラジオやテレビのスタッフや、構成作家にニシダに言っていないことを聞いていき、それをニシダに見せるというもので、見る人にとってはなかなかヘビーなものになっただろうことは想像に難くない。

 しかし個人的にはあんまり刺さらなかった。それは社会人として十年以上働いてきているので、そこらへんの悩みなどは既に超えてきているものだし、多かれ少なかれニシダ的な人を切ってきたし、自分の心の中にニシダがいたとしてもどんどん葬ってきたので、明らかに自分は証言者側の立場になっているということに一抹の寂しさを感じつつも、どうにも他人事にしか映らなかった。厳密に言えば、自分の実生活での仕事場での立ち位置や、すべきこと、気をつけることなどから見ると、提示されたものが距離感が半端であり、どうしても自分のこととは思えない。もう少し歳を重ねれば、そういう時期もあったけど、それはこういうことをすればさあ、という感じで向き合えるけれども、まだそこにはいないので、その方向から見ることは出来なかった。

 加えて誤用のほうの穿った見方をすれば、登場人物誰一人、損をしていない。サーヤとマネージャーは自分達の窮状を訴えることが出来、ニシダは改心する場を与えられ、南海キャンディーズの山里は優しい先輩であることを見せることが出来たうえに貸しを作っている。

 そんな中で、やっぱり特筆すべきは、見たことないノブロックの証言パートだけは、ガチだった。一部の視聴者やラジオリスナーは、ノブロックのことを、エンタメ紹介ガッハッハおじさんとして軽く舐めているということがあると思うが、ここに登場してコメントしていたのは、完全に、業界でやり手であり、敏腕辣腕のビジネスマンの元テレビ東京のプロデューサーの佐久間宣行氏であった。

 今まで見たことない、ノブロックにちょっと痺れてしまった。あまりにも見抜きすぎていて、それを引き摺り出しただけでもこの動画を見る価値があったと思っている。

 セックスすることをファックするというでお馴染みの売れっ子構成作家の白武ときおの「失敗してもいい場でしか会わない」「みんなで沈んで行こうよっていう面白がり方をする現場だったら良いですよ。そうじゃない現場がほとんどだと思うので、そういう場所には一切名前を出さない」と共通していた「youtubeとかには出てもらったりしている。勝負の番組というか、『あちこちオードリー』の最初の方の、まだ番組をしっかりさせる時とか、『トークサバイバー』とか自分的に勝負だなと思っているものには、基本サーヤだけ」を初めとして、「気持ちの持っていき方がすごい下手で、すぐいっぱいいっぱいになっちゃうんだよね。いっぱいいっぱいになると、安いボケとか、あとは自分が怪我しないようにするとか逆張りとか、冷静な判断がすごい出来なくなって、ちゃんとした趣旨を守れない」「アウェーの場所に圧倒的に弱い」「局面が不利になるとアップアップしちゃうというのがあって、メンタルが弱いんだよね」というリアルな指摘をバシバシ出してくる。ひいては、「五年後くらい、三十の半ばとかになった時に、もう一段ロケットがあったほうが芸人っていけるから。コンビって両方から作れると色んな企画が降ってくる」「ワントップでメインボケがしっかりしたままでいけないといけなくなると、いつか何かあるよ」とラランドの未来についても見据えた話をする。ただのエンタメ紹介ガッハッハ娘のお弁当作りおじさんではない姿がそこにはあった。

 「本当はサーヤはふざけた方がいいから。ニシダが回し出来るようになれば、サーヤがもっとふざけられて、ラランドとして受けられる仕事がどんどん増える」「本当はサーヤがちゃんとしない方がラランドは良いんだよね。サーヤを自由にボケて良い立場に、ニシダがしてあげられると、ラランドはもっと上にいける」という評価については、ラランドの、漫才と平場での役割が乖離しているという問題点の指摘にもなっている。

 ラランドの漫才は、サーヤの軽さが楽しく、お手軽な漫才ではあるものの、このボケの人、めっちゃふざけているけれど、普段はちゃんとした人なんでしょ、しっかりした人なんでしょということが付きまとい、サーヤとニシダそれぞれの、漫才と平場での役割やパブリックなイメージに乖離が生じている、いわゆる、藝柄(ニン)に合っていないという状態に陥っている。この捩れが故に、お手軽な漫才で止まってしまっていると個人的には思う。この乖離を埋めるためには、個々の人間性とコンビの関係性を見直し、ネタに落とし込むという、漫才のフォーマットをガラッと変えなければいけないのだけれど、この再構築の作業はあまりに労力を要するので、今のままではそれは難しいだろう。ただし、ニシダがちゃんとしてサーヤに仕事的な余裕ができることで取り組める可能性は出てくる。

 ニシダの一番の不幸は、早く世に出てしまったところにあるのかもしれない。

 そもそも、芸人なんて笑って楽して過ごしていきたいという怠惰な人間の集まりだと思っているので、そういう連中が10年程度かけて、一般的な人間であれば新卒から数年で取得するような社会的な信用を取得していくはずなのに、早く知られて仕事を振られるようになってしまったがために、そのプロセスを本来であればライブなどで経るはずが、大人数が関わるようなメディア仕事で経なければならないという、すっ飛ばしが生じている。仕事の場にいる人たちが、少なくとも敵ではないということは、ライブなどで知っていくしかない。

 「幽☆遊☆白書」でいうところの、ゲームマスター天沼みたいに「なんだ、みんな一緒なんだ」と気づくしかないし、「が故に、自分は自分のやり方で頑張り生きていくしかないので、自らの弱点を洗い出して潰していくしか、自らの立ち位置を構築していくしかない」と続けていくしかない。少なくとも、自分はそうマインドセットしてきた。マインドセットって初めて聞いたけど、マインドをセットしてきた訳だから、マインドセットしてきたんでしょう。マインドセッターですよ。昨年度末に、上長から事前の調べが甘いので、それをする癖が出来るようになったら伸びると言われたので、それを強く意識していますし、本当にそんなことの積み重ねでしかない。どうも、レモンジャムの面々はそのステップを飛ばそうとしていないかと思ってしまう。

 そもそもが芸人というのが、生来の怠け者であるという認識にあるので、ニシダを急いで更正させる必要なんてあるのだろうか。

 例えば、オードリーの若林は、20代のことを振り返るときに二度と戻りたくないとし、そのエピソードの一つとして、当時の恋人の誕生日にお金がなくて恥ずかしい思いをしたことを話すが、冷静に考えて正論を押し付けるのであれば、恋人の誕生日なんて、言ってみれば何ヶ月も日程が決まっているのであり、少し前からそこに目掛けて、バイトを増やせばいいだけの話である。それをしなかったのは単にめんどくさいの方が勝ったからだろう。これは良い悪いの話ではな く、芸人、というか、そういった性質の人は少なくないという話である。

 ニシダがちゃんとしていて、それって芸人のコンビとして面白いかって話で、これで二人ともちゃんとそれぞれの仕事をこなしてたら、あまりに洒落臭くなんねえか、与太郎が出る落語やんないですみたいな話じゃねえか、ということにもなるので、そういう意味でこのプログラムは失敗した方が絶対に面白い。レモンジャムにとっては切実な問題なのかもしれないが、そもそも、インタビューを見る限りでは、ニシダに、ちゃんとしてほしい以外の芸人像を描いている以上のことが伝わってこないがまあそれは別の話だろう。

 さて、個人的な話に移るが、先日、「子供やないねんから」案件があった。職場の後輩に子供が生まれ、職場以外でも遊び、コロナ禍においても飲みに行くくらいには関係性が良好な友人とも言える人なので、同じくらいの関係性の人たち3人に、些少ながらのお祝儀を集めることを提案した。人の五倍、パワーハラスメントにならないように気をつけることを心がけているので、「そのメンバーには、後輩というあなたより弱い立場はいるんじゃないですか、些少っていくらですか、一万円とかだったら、それはもうパワハラですよね、断れない立場にいるんですから。そもそも、子供が生まれたときに渡すお金をお祝儀ということから見直さないといけないのではないんじゃないでしょうか。反出生主義者の皆さんに配慮しないといけませんよね」とか正論言う僕への配慮が欠けたアップデーターの顔が脳内でチラついたので、金額を3000円を一口とし、僕に直接渡さなくてもいいように「ご自身で渡したい方はその旨、一報ください」と付け加えることで、僕に渡さなくても、「こいつあんなに関係性あるのにお金をケチってるな」と思われないで済む予防線まで貼って、さらに締切を設定し、メールを送った。それでも、お祝儀をあげるメンバーに後輩を入れたことのみを持ってパワハラとか言われたら、もう普通に俺はペットボトルを投げるよ。

 それから、次の日に、一人からはお祝儀を預かったものの、後輩二人からは特にメールへの返信もなかった。一週間後に、リマインドのメールを送信。すると、もう一人からは返信が届き、その日で受け取ることができた。問題はもう一人で、リマインドのメールには「来週持っていきます」と返事が来たので、一週間待っていたのだけれど、特に連絡がなかった。そこでもう一週間だけ待って、その週にも連絡が無かったので、三人でのお祝儀として渡してきた。

 その渡した二日後に、お祝儀をもらえていなかった後輩から、もう渡しましたか、という連絡が来たので、もう渡したことだけを伝えて、話は終わった。

 これ、僕は、もう一回、渡す前に連絡すべきだったのかずっと悩んでいる。遠くはない少し別の場所で働いているとはいえ、ちょっとこっちを待たせすぎだなと思ったので、連絡をしなかったのだけれど、音頭を取ったのであれば、その責任を果たすべきなのが軽やかな上手いやり方だったなと思う。さらに言語化すれば、それをすることで、この後輩に、期待するし、期待をすれば裏切られたときに根に持つことになるしというそれを考えることが面倒くさくなったと言うのもある。おそらく、少し前ならもう一度メールを送ったりしていたけれど、その代わりに、何かしらの嫌味や説教のようなことも言ってような気もする。

 今は個人的に、他者に甘えないということを意識して心がけているので、そういう選択をしたのだけれど、それが当たっていたのか間違っていたのかは分からずにいる。僕は先生でもないし、相手は子供でもないので、そこまでする必要はない、と判断した。南海キャンディースの山里のように、視聴者の視線を意識して負け顔を見せつつ、自分の弱さを曝け出していて、うまく宥めて、みたいなことが出来る先輩にはなれない。

  がしかし、うっすらと、ああこうやって、関係性を希薄にする努力をすることで、縁が切れていくんだろうなと考えてもいた。

 ここで、ニシダ更正プログラムに話を戻すと、「勝負の場に呼ばない」と言うのは、悪い考えではないな、とも受け取れると言うことに気がついた。ある種、芸人や番組プロデューサー、構成作家といった、実力でのみ生きていく世界においてでも切り捨てることはせず、泥舟が沈でもよし、という縁を切ることをしないというのは、ほんと、お笑いの世界というのは、どこまでも歪な優しさを持った世界だなと噛み締めたと同時に、自らの考えを恥ずかしく思えた。

 佐久間の「やっぱリスクを取らないといけない場所は、今のところあんまり向いていないから、俺は出来れば伸び伸やらせようって。リスクがない場所で。競走馬じゃあない。放牧、みたいなスタイルだったら上手くいく。」という言葉はなるほどなあという感じだ。

   ニシダが更正しないほうが、お笑いファンとしては十年後に楽しめる可能性が高いのでどっちでも良いのだけれど、ノブロックガチ仕様については、かなり良いものを見れた感があった。

自らの加害性に自覚的になる、つまりは差別主義者として生きていかざるを得ないことへの省察

 

 友人から、NHKが公開している動画を教えてもらい見てみた。それは、小学生女子が、エレベーターで、大人の男に襲われるというものであった。啓発のための動画なので、すんでのところで女児は助かったわけだが、一般男性が見てもゾッとする作りになっているだけあって、 

 と同時に、自分の中で、エレベーターで誰かと二人きりになることが恐怖になるという認識が全く欠如してることに気付かされた。夜道はもちろん分かるし、何だったら、目の前を女性等が歩いていたら、立ち止まるなどするようにはしていた。エレベーターでそれをしなかったのは、エレベーターの中は電気がついており、何より、内部には防犯カメラがついているというのは当たり前のものとして思っているので、そこで他者を襲うということは考えがつかなかった。

 だからこそ、夜道で歩いている時に前を歩いていた女性が走り出しても「いや誰が襲うか!」とはならないが、エレベーターに入ろうとした時に閉まるボタンを連打されるという体験をしたら、乗せろよ!とはムカついたと思う。

 つまりは、男であるということだけで発している自らの加害性に気づけていなかったということになる。

 今の仕事ではチーム制で動いており、正規雇用が僕ということもあって、形式上はそこでは上司ということになっているのだけれど、その部下の一人が、なぜか明確に僕のことを敵視しており、確認などを依頼したりすると、割と強めに反論されたりするなどし、嫌だなあと思っているなどしていたが、ここで何かミスったら、パワハラとなって詰むな、と頭を抱えてしまった。

 また、仕事について説明するときに、僕は理屈から説明するようにしている。それは、その作業をすること、そういった運用になっていることの理由を、土台から説明することで、記憶に留めてほしいということが一番にあるし、何より、自分自身が、ただこれをやってくれと言われるのが大嫌いだからだ。ただ言われたまま、そうして仕事をやったときには全く応用力や自発力が育たない。

 二週間以上前に感染症拡大対策のガイドラインに沿った飲み会をした際に、その場を見ていた人に、笑い話っぽく、嫌味ぽかったと言われ、ふむ、となった。

 その時に説明した業務は、今後も出てくる概念であり、説明するに越したことはないと考えていたから行ったのだけれど、これはチームのうち、僕とは別の専門的な業務を行う人であり、かつ新人だから許容範囲だけれど、そうではなければ、ここまでやる必要はないのかもしれないと思いを改めた。単純な業務を依頼するときには、端的にすることを伝えるのみでいいのかもしれない。その人が自身の成長を望んでいないし、もっと言えば、僕も単純な業務を原則として依頼する立場であるのであれば、僕からの説明を聞いている時間は苦痛でしかないからだ。

 良かれと思っていることこそが、他者への害悪となる例の一つだけれども、これはもう生きていくうえで避けられないことでもある。何をしても、誰かの害である。生きていくということは、撒き散らすことだと定義しても良いのかも知れない。

 例えば、セクシービデオを妻に隠れてコソコソと見たり、非公開リストにセクシー女優をまとめたりしているが、ツイッターなどでセクシービデオのネタを言わないようにしているのも、AV女優をセクシービデオと書いているのは、そうすることによる加害性を自覚するようになったからだ。いまだに、何がセクシービデオだ、欺瞞の言葉じゃねえかとも思っていたりもする。

 僕だけに言えることではなく、例えば、ツイッターなどで、こんな馬鹿なことを言っている奴がいるなどと拡散すること自体が他者にそれらを知らせる行為という意味では加害性を持っているし、正論を述べるアップデーター軍団が正しさを持ってのみ他者を糾弾することで、正しさがもつある種の加害性に無自覚と言えるし、だから僕はアップデーターを信用していない。

 人間は、生きているそれだけで肛門が馬鹿になった動物が糞尿を撒き散らすように、他者に自らの加害性を撒き散らす。絶対、自分より小さな存在を差別する。

 問題はこの撒き散らしを、いかにして抑えるかということを強く意識しなければならない。自らの加害性にどこまで自覚的になれるかというのが、レイシストであり、セクシストであり、ミソジニストであり、ルッキズムに染まっているなどを自覚するということが今後のテーマだなと思っている。

 

 

 

 

来年の今頃、僕はでっかいラジオのねじになる旅へ出ることでしょう(SONYの変なイヤホンことLink Budsを使用した感想)

 

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 信頼しているラジオ聴きが、SONYのLinkBudsというイヤホンを購入し、クソラジオ聴き推奨ガジェットとして、レコメンドしているのを見かけた。存在自体は知っていたので気になっていたが、骨伝導イヤホンや、ノイズキャンセリング機能があるほうが良いかなと保留していたが、そのツイートと、1月から残業が続いていること、2月の残業代が61,293円あったこと、3月もほぼ同じくらいあったこと、今月が誕生日であることを理由に、気付けば、即購入してしまっていた。ちなみに、ラジオ聞きとして信頼する条件は、以下のいずれか一つに該当していなければならない。深夜の馬鹿力を2000年より前から聞いている、深夜ラジオを10年以上聞いていることに加えて深夜ラジオ以外に聞いているラジオが一つ以上ある、週に聞いているラジオが10本以上あってそのうち1つ以上はお笑い芸人がパーソナリティではない、バナナマンの火曜WANTEDを聴いていた、だ。信頼できない語り手の対義語が、信頼出来る聞き手になることが発覚。

 先週は本格的に風邪をひいてしまった。PCR検査も行い、陰性であったので、シンプル風邪ではあったのだが、この年度末に三日も休んでしまうわで散々だった。そのせいで、今週は、ほぼ毎日残業をしていた。それを耐えられたのは、この週末に、Link Budsが届くという一点のみを持ってだった。

 そして、先ほど予定より二日も早く届き、使用してみた。これはとんでもないガジェットです。

 バナナムーンを聴きながら、普通に妻と会話が出来る。そして、カナル式イヤホンより、音が優しくなるので、耳がキンキンしない。この2点だけでもう、ラジオ聴き専用ガジェットです。厳密には同居人いる系のファッキンラジオ聴き専用ガジェット。

 ちなみに、うちは、妻と3歳になる子がいまして、妻は僕がラジオを流すことに比較的寛容なので、家にいる時でも普通にスピーカーを、家事をするときはネックスピーカーとAVIOTのカナル式イヤホンで聞いているという具合です。一応、それらで事足りてはいるのだけれども、それぞれ都合が悪いことがある。スピーカーは持ち運ばないといけないので家事をしながらだと向いていない、ネックスピーカーは持ち運ばないで良いけれども、スピーカーと同様に、子がテレビを見ていると音がかき消されてしまう、カナル式イヤホンはこれらの不都合はないけれどもやっぱり耳からの情報を完全に遮断してしまうので話しかけられた時に外したりするのは煩わしいし何時間も聞き続けると耳が疲れてくる。週に十何本もラジオを聞いていると、週末の自由な時間にどれだけ聴けるかが鍵となってくる。加えて、最近は子も言葉を覚えるようになっているので、そうなると、大陰唇だとか恥骨だとか、歯医者に行きたくないだとか、個室ビデオが実家だとか、女の人はおしっこがどこから出ているのかわからないらしいとか、そういうトークをするラジオなんて、家ではどんどん流せなくなってくる。また、平日は、朝起きたら、すぐにradikoを起動しラジオを聴くけれども、起きたばかりの耳に、カナル式から流れる音は結構つらかったりするという悩みもあった。

 Link Budsは、これら全ての問題を潰してくれる最高の機械です。

 僕と同じような境遇にいるファッキンラジオ聴きにこそ買ってほしい。そういう人は、外でも家でもかなり重宝するし、外は外で使うイヤホンと分けても良い。

 ちなみに音質は悪いみたいなことを色々なところで書かれていますが、ほんとラジオを聴く分には全く問題ないです。重ねて言いますが、長時間聞くという点ではむしろこのくらいの方が良い。

 あと、スピーク・トゥ・チャットという、話しかけると、音楽が止まるという機能もついているので、話しかけられたら自動で会話に移行出来るのもいい。

 SONYはラランドのサーヤを公式の広告に起用して、意識高い系マルチタスカーにオススメの商品としてプッシュしているけれども、とんでもない、真逆の、たまたま家族が出来たくせに、それを、家族に聞かせられないようなひっどい話をするラジオを聴き続けたいという意識の低いナードな、ラランドのサーヤのCMしゃらくせえな、言うて賞レースで結果出してねえじゃんって思ってしまう気抜け連中にこそリーチしてほしいガジェットですよ。ほんと、そういうこと思わない方がいいですよ!

 これで僕は、家にいる間=ラジオを聴く時間となるので、来年あたりは銀河鉄道に乗って、でっかいラジオのねじになる旅に出ていることでしょう。  

 

R-1グランプリ2022感想「お見送り芸人しんいちのネタと、吉住のバカリズム92点について」

  普段は八時を過ぎてからしか寝ない子供の寝かせつけを巻き、今年はリアルタイムで、「R-1グランプリ」を視聴することが出来ました。

 優勝は、お見送り芸人しんいち。めちゃくちゃ面白かったですね。

 後述するKento fukayaの衝撃もあり、視聴者としても緊張して見ていたことに加えて、歌ネタということで油断してしまうところがあったお見送り芸人しんいちだったけれど、一本目の「ぼくの好きなもの」が最高に好きでした。「アスファルトに咲いている花好き」と「雨上がりの虹好き」というフリからの、「タトゥーだらけの男が一ラウンドで負けてるところ好き」で、ネタのシステムを明かされただけでなく、この一本目の笑いどころで、もしかしたら波長が合うかもしれないと思っているところに、「鬼滅のコスプレいいね伸びないグラビアアイドル好き」がモロに入ってしまって大笑いしました。

 「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる消防士」というネタは「『SASUKE』ファーストステージの池で落ちる」だけだともう全く味のしないフレーズに、「消防士」という言葉を足すだけで、ものすごいネタの奥行きが出る。この場で使われる「消防士」には、火災に立ち向かう仕事への尊敬などではなく、体力もあって金銭的に余裕もあって休みの日は河原でバーベキューをしてオラついているような地元に残っている何となくいけすかない奴が調子に乗って『SASUKE』に出たけど爆速で敗退してるの好きという、芳醇なものへと変質する。もしかしたら、ここには僕の偏見も入っているのかもしれないが概ね間違っていないと思う。

 凡百の芸人は、消防士に到達する前に満足してしまうけれども、ここで消防士を捻り出す。精度が高く、踏み込んでくるあるある。レイザーラモンRGの登場以降、あるあるは、ずらしの視線が主流となったパラダイムシフトが起こったきらいがあるが、あるあるという言葉の源流である、ふかわりょういつもここからや『伊集院光 深夜の馬鹿力」のカルタのコーナーで採用されるネタなどのように、視線は真っ直ぐなんだけれども、嫌なところを見てるなあという拾い方。

「躾しすぎて面白み無くなった犬好き」はまるで自由律俳句のようでとても素晴らしい。一番好きかもしれない。

 かなりセンス良いねえと思うが、やはり、一本の歌ネタだと、悪く言えば平板になってしまい、心に残るのはやっぱり難しい。それを克服したのが、中盤に組み込まれた、ネタの再現だ。後々思い返した時に、とてもじわじわと心に残る良いアクセントになっている。

 2021年の『キングオブコント』のザ・マミィのネタで、後半に唐突に歌い出すという展開があり、それで、芸人側が、唐突に歌い出せば笑いが起きると思っているということ、歌うということに必要性がなくてもそれなりに面白いということになってしまうということに気がついてから、その手法に全く新鮮味を感じなくなってしまったが、ZAZYも取り入れていたように、一定の反応が保証されているのだろう。しかし、お見送り芸人のネタは、歌ネタであるがゆえに、それが自ずと制限されて閉まっている。おそらく、このフックを出すための、再現ネタであると思われるが、これがかなりいい味を出している。お見送り芸人しんいちが、ネタで言ったことを心の底から「好き」「応援している」ということが伝わってくる。

 音楽ネタなので2本目の後半、畳み掛けをBPMを速めるでなく、人物名をガンガン出すということで後半が盛り上がる。しかも、畳み掛けてるなーより、急に人物名言い出したなーという感想の方が勝ることで、盛り上げるための手法と気づかれにくくなっていた。

 この時点で、しんいち優勝してほしいとなっていたけれども、ZAZYのネタも甲乙つけ難い感じで、優勝発表の瞬間はかなりドキドキし、お見送り芸人しんいちの優勝が決まった瞬間は「ええやんええやん、シューシュー!」となりました。 

 優勝直後のコメントで「2017年、ネタめっちゃ飛ばしたブルゾンちえみにありがとうって言いたいです」という藤原史織いじりを入れるという、泣いてもただじゃ転ばない、悪意の肝が据わっている、最後らへんは泣いてなかったんじゃないかという疑念まで持たれる、お見送り芸人しんいち、大好きです、応援してます。

 さて、バカリズムの審査については、もちろん触れなければならない。バラエティ番組への出演だけでなく、ドラマ、映画の脚本に留まらず、単独ライブなどを打ち続ける現役のピン芸人としての矜持を感じる審査でした。頑張ったで賞的に、90点以上をあげることに楔を打ち込むかのようなその点数の付け方には、実際のプレイヤーであるというだけで説得力を持つし、意義があったと思います。

 トップバッターのkento fukayaのネタは「居酒屋での合コン」。フリップというよりも立て看板に近い大きさの紙に書いた絵を使っていくフリップネタの拡張とも言えるこのネタは、思いついても、おそらく誰もやらなかったところに、その革新性があるが、バカリズムがつけた点数は84点。そして審査コメントでは「見せ方もすごい凝ってて面白かったんですけど、やっぱりどうしても、本人以外の、舞台上の本人以外の要素がちょっとあまりにも大きかったかな、というか。どっちかというと音声とかイラストとかが、割合が多かったかな。」と評した。

 元々、フリップネタを、引き算で考え尽くした結果、「トツギーノ」や「地理バカ先生」などの傑作を生み出したバカリズムにとっては全く真逆のアプローチでそこまで評価できなかったのだろう。開示された点数からの、この寸評で、さすがバカリズムとなったのと同時に戦慄が走った。『HUNTER×HUNTER』の天空闘技場編で、ヒソカを倒すために、途轍もない苦労をして覚えた念能力の分身(ダブル)を持って挑むもあっさりと倒されたカストロに、ヒソカが言い放った「キミの敗因は容量(メモリ)の無駄遣い(heart)」と全く同じ戦慄。

 さらに、どんどんファイナリストのネタを見ていくと、「Yes!アキト以外、バカリズムがやっていないかこれ」となって、正気に戻ってしまった。バラエティプログラムのプロデューサーの佐久間宣行は、自身のラジオでもバカリズムの凄さを表現する際に「フォーマットを毎回作ってきて、そしてそれを使い捨てする」という旨のことを言っていて、ただ、具体例が出されてなかったので、ピンと来ていなかったのだけれど、こういうことだったのか、バカリズムピン芸人のネタを審査するという構図になって初めて気付くことが出来た。

 サツマカワRPGの「大会、近いもんな」も、こんなコントもするのかというイメージを一新するような驚きもある良いネタだけれども、同じ言葉を続けるどこかバカリズム的だけれども、ネタの途中で大会が何の大会か言ってしまう。おそらく、バカリズムだったら、何の大会か言わないはずだ。言葉で輪郭だけをなぞるだけに留め、中身をぼやかすことで想像の余地を広くする。

 もちろん、ファイナリストの面々の名誉のために言っておくが、剽窃したという結果ではない。バカリズムが直接、ファイナリストを審査するという構図になって初めて、そのことに気がつかされたことであり、おそらく、あの場では、バカリズムだけが、あれ、これ俺やってるなあとしか思っていなかったのじゃないだろうか。

 そんな、バカリズムからの90点という壁を乗り越えたのは、吉住の91点と、金の国の渡部おにぎりの90点。

 まず、金の国の渡部の「河原でサンドウィッチを食べていたら、トンビに自分ごと攫われた」という、存在しないシチュエーションの中で、起こり得そうなことを積み重ねていくフォーマットは、バカリズムの「アダルトビデオが入っているビデオデッキに男性器を入れたら抜けなくなってしまった」というネタの「ヌケなくて・・・」に近い。そして、今回バカリズムから90点をもらえた二人のうちの一人だが、たとえば、傘のくだりを無くして、もっと悲惨な目に遭わせて落として落としてからの方が、「虹を見つける」というオチの方が映えるなど、もっとブラッシュアップ出来そうという意味でも、やはり、吉住と比べてしまうと見劣りはしてしまう。

 吉住のネタも見事でしたね。 上司のミスにも関わらず、自分のせいにされて怒られていたことを笑って話す社員が、同僚から「聖人ですか?」と言われると、そんなことないよ「だって、わたし、芸能人の不倫とか気が触れるくらいブチギレちゃうもん。」と返し、そこで芸能人が不倫したニュースが流れてくるというコント。正式なタイトルは「正義感暴れ」というらしい。そこから、芸能人の不倫に、気が触れるくらいブチギレちゃう人というコント。これを人力舎所属の吉住がテレビでかける意味よ。そして、そのコントの本質を「ただ馬鹿にしているだけ」と喝破したバカリズムの凄さ。

 芸能人の不倫に気が触れるくらいブチギレちゃう人に、同僚が「不倫は当事者間の問題だから」と嗜めるも、「もしかして、あかりちゃんはあんまりテレビとか見ない人?あーそうなんだ、あたしは結構見るんだよね。だから当事者なんだ」、そしてかつ、不倫に関する、まとめ動画をYouTubeにアップ、その収益で、アフリカに学校を作るということをしていることが分かる。その行為は、善か悪かの判断が容易につかない。

 まるで、スピノザの「自然界にはそれ自体に善いものとか、それ自体で悪いものは存在しない。すべては組み合わせ次第である」という言葉を想起させる。このコントの一番いいところは、そのただ在るということを肯定しているところにある。

 これを、個人的に「他者の合理性が描かれているコント」と呼んでいる。「他者の合理性」とは、『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』にて岸正彦は、不良少年が反抗的文化に染まっていくことで学校を辞めることなどに繋がるといった「自分の意志で不利になるような道に進んでしまう」ことを調査したP.ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を紹介し、「私たちにはあまり縁のない人びとの、一見すると不合理な行為選択の背後にある合理性やもっともな理由」のことを表現したという言葉である。そして、岸は「完全に合理的な行為などというものはありません。他者の合理性をどれだけうまく理解し記述したとしても、おそらくそこには必ず不合理なものや理解できないものが残るにちがいありません。」と述べる。この残った、不合理なものや理解できないものこそが、コントにおいては大きくて強く、そして心に踏み込んでくる笑いに転換される。

 これらで笑いを生み出すためには、単に不合理で理解出来ないものではダメで、少しの説得力や理解の糸口がなければならない。ここで言えば、確かに、視聴者として娯楽を享受しているという意味では当事者ではあるという理屈は分からないことはないけれども、かといって、スキャンダルをそこまで憎むということは全く分からないという流れが必要になる。

 そして、吉住は、いつしか、『THEW』でかけた「銀行強盗」のネタで言えば、勤めている銀行に強盗が入っている最中に支店長への想いに気がついた銀行員が今すぐに告白しようとしているくだりで、同僚のさとみに「銀行強盗に入られているから」と止められてからの「落ち着きなよ、さとみ。私たちには生きて帰れる保証なんてどこにもないんだよ。悔い残して死んじゃやじゃん」だ。このセリフで、銀行強盗に入られている途中に告白をしようとするという、一見、全く理解出来ないような行為に、説得力が生まれてしまい、価値観がぐるっとひっくり返ってしまう。コントの設定で突飛なものを用いることは出来るが、こういう生きたセリフ、当人にとってはボケようとしているわけではないセリフを使った笑いどころを挟めるコント師は少ない。まさに『呪術廻戦』でいうところの黒閃。威力は平均で通常の2.5乗であり、黒閃を経験した者とそうでない者とでは呪力の核心との距離に天と地ほどの差があるで、お馴染みの黒閃。吉住はすでにコント師として成っている。

 理屈として分かってしまう分、かえって、分かり合えないことが際立つというパラドックスが生まれる。そしてそこに狂気を感じる。逆に、バカリズムのネタを見ていて、「狂ってるなー」とは思わない。たとえば、女性に裸を見せてもらうために理屈を重ねていくという「見よ、勇者は帰りぬ」というネタがあるが、このネタは分かるロジックが積み立てられるので、いつの間にか、遠くに来てしまっているとは感じるが、狂気のスイッチが入った音を感じない。「バカだなー」やナンセンスさなどの方を感じる。もちろん、どっちが良いとか悪いとかではなく、好みの問題である。特に「見よ、勇者は帰りぬ」が狂気の方に傾いてしまうと、下ネタである分、生々しくて笑えなくなってしまうからである。全ては組み合わせだ。

 吉住のネタにあって、バカリズムにはないものは、この狂気と題材の時事ネタ性だと思う。この二つを持って、吉住はバカリズムからの最高得点をもぎ取ったと思う。

 単純な勘なので、余談でしかないけれど、バカリズムから一人コントで94点以上を最初にもぎ取るのは、さらに狂った吉住か、土屋だと思う。自転車のレース中、田原俊彦になってしまうというネタを、2021年のR-1グランプリで披露していたが、あのコントの醍醐味こそが、バカリズムのコントに通じるものがあるんじゃないかと思っているからである。

 来年以降も、審査員バカリズムは鎮座してほしい。そうすることで、R-1グランプリは、親殺しならぬ、バカリズム殺し期という新たな時代が到来するはずだ。

 

 

 

 今月は誕生月だけれども、体調は崩してシンプル風邪をひくし(PCR検査結果は陰性)、一月からめちゃくちゃ忙しかったし、その仕事でもボツを喰らいまくるなど、かなり自己肯定感が低くなっているので、誕生月プレゼントとして、リツイート、お気に入りよろしくお願いします。