M-1グランプリ2023の感想です。こんなブログは、考察でもなんでもなく、お屠蘇気分でセレナーデで読んでもらうものですからね。気持ちに余裕がある人が考えすぎだろって思いながら、読むものですよ。たかが漫才の大会の、たかが一視聴者の感想。それでは、張り切ってまいりましょう。
1組目 令和ロマン「少女漫画の謎」
少女漫画で、遅刻しそうな女の子が走って登校中に曲がり角でぶつかった男の子は、実は転校生だったというあるあるにおいて、女の子と男の子は同じ学校に向かっているはずなのに、進行方向が異なる二人が曲がり角でクロスし、ぶつかるんだったら「学校はどこ!?」となるというくるまが指摘した謎を考察していくというネタ。
まず、びっくりしたのは、ほんとつい最近まで、くるまがバカキャラで進行していくネタを主としていたはずだけれども、そうではなくなっていたことだった。くるまのバカキャラは、令和ロマンのYouTubeチャンネルなどで確認できる、漫才分析の緻密さに由来するパブリックイメージと乖離が生じ始めていて、無理なんじゃないかというような気がしていたので、それを捨てて、イメージのある考察を軸としたネタに切り替えていたことは大英断だなと思うと同時に、さらに、その転換後のネタが、すでに仕上がっていることにも驚いた。
「考察」は、この一年で、コンテンツの楽しみ方のひとつに留まらず、それ自体がコンテンツとなったと言って良いほどに、その行為の意味が変質したわけだが、くるまが少女漫画の謎に考察していくというテーマは物凄く良く出来ているということに気づく。
まず、何かを考察していくなかで熱を帯びていく様子が、くるまのニンに合っているというだけでなく、もはや古いとすら言っていい題材が考察を持って再解釈されることで、一気に瑞々しい話題のようにみえてくる。題材が時事ネタではなく、手法が時事ネタになっているのはとても珍しい。
最初からフルスロットルでネタは進むが、合間合間にテンポを緩めて、笑い待ちのような時間も作っていて、配置を計算している様子が窺える。個人的にはこの緩急の緩の部分「すしざんまい」「旅館」のくだりはハマらなかったのだけれど、ボケの質としてそこまで高くないところでもくるまはずっと動いているので、見ている側を飽きさせない。
ただ、ツッコミもそこまで機能している感じがしなかったので、高得点はとても意外だった。
好きなくだりは「直角に曲がる人いないね」からの「ちょっと待って女の子が日体大って可能性無い?」という東京の大学に通っていた人ならではの視点からのその後の展開、女の子は近道のために裏門に向かっていて男の子は正門に向かっているから進んでいる方向が違うというもっともらしい答えを見つけそうになってからの「だめだこれ、あんま面白くない」と、「どうでもいい正解を愛するよりも、面白そうなフェイクを愛せよ」という考察エンタメに対する芯を喰った批評、ケムリの直角行動の下手さ。
2組目 シシガシラ(敗者復活枠)「言ってはいけない」
登場して挨拶をした直後に、浜中が脇田に「今ちゃんとお辞儀してました?」と言い、改めて深々とお辞儀をさせてから、頭頂部を指差して「いや、禿げてんじゃないかよ」からの「てっぺんだけハゲてるやつに言えよ~」というツカミはクリティカルだった。
そこからは、脇田が行ってきた合コンに来た看護師やキャビンアテンダントに対して「看護婦」「フライトアテンダント」と言ったことで、時代にそぐわないと責め立てれるが、端々に「それじゃただのハゲですよ」「ハゲはハゲなりにもっとやることがあるんだから」とも言われて、「ハゲは言っていいの~」とツッコむ。そこから脇田が何を言っても、コンプラの袋小路に追い詰めらていくが、自信の属性だけはコンプラの網をすり抜ける。
間違いなく、新たなハゲネタ、フォーマット、メタな視点、世間の風潮の切り取り方など総合的に見て名作ではあるので、要所要所ではウケてはいたものの、散発的なものに留まり、うねりに繋げることはできなかった。
あの場でウケきれなかった理由は、皮肉なことにハゲをいじってはいけないという空気が世間的にすでに出来上がりつつあることで、ハゲだけはひどくいじってもいいというこの漫才の前提が崩れているということにある。看護師を看護婦と、キャビンアテンダントをスチュワーデスと、海原ともこ審査員を後輩だからといって司会が呼び捨てにしてはいけないように、ハゲもハゲと言ってはいけない時代であるという認識が観客の中に出来上がっているために、脇田の主張が「確かに」と受け止められ、罪悪感が生じたのではないだろうか。名作はタイムレスではあるものの、タイムリーではないということだ。
やはり、そういう意味でも敗者復活戦で披露した「カラオケ」は秀逸だった。禿頭の脇田が、カラオケで歌うのは歌詞が染みる歌だといい、最初にMONGOL800の「あなたに」を挙げ、そこから朗々と歌い上げると、浜中が「ちょっと良いですか、髪の毛のことを思って歌ってます?あなたに逢いたくての、あなたにって髪の毛ですか?」とタネを撒く。脇田が歌うと、その曲が、禿頭の人が髪の毛を思っている歌に聞こえるようになるというシステムを観客に植え付ける。続く2曲目は米津玄師の「レモン」でシステムを応用させ、3曲目は山崎まさよし「One more time one more chance」にてシステムを一般化する見事な序破急構造だ。最後の「一個しかないだろ」と漫才が締められる時に、脇田がキョロキョロと客席を見るという仕草はお見事だった。
直接的に悪意を向けるのではなく、何かを挟んだ嘲笑の構図だったからこそ、笑いが起きやすくなった理由なのかもしれない。
脇田は脇田で、曲を知らないという浜中に「おじさんだから覚えていない」「脳死んでんのかよ」などと、実はひどいことを言っていて、うっすらと反撃していいように持っていっている。一方的にいじめているような構図に見える決勝のネタとはここが異なる。塙が審査コメントで「なんか途中から企業の社長と社員の忘年会っていう目で見てたら自分のなかで超おかしくなって」というのは、技術の話ではなくて、二人の関係性の話のはずで、ここに何かしらのヒントがあるような気がする。脇田が禿頭をいじられた時の悲壮感を少なくする前提の共有が足りなかった。脇田のルックは、バットマンのペンギンだが、2022年に公開された「THE BATMAN」には、ペンギンが出てくるが、バットマンにそれはもうめちゃくちゃにやられるわけだけれど、そのやられようの酷さにめちゃくちゃ笑ってしまったが、脇田は「THE BATMAN」のペンギンになった時、とんでもないことになりますよ。
敗者復活戦のネタの方で笑ったのもまた事実であるのだけれども、悪口が刺さらないと言われたウエストランドが更なる悪口を持って優勝したように、最下位という苦渋を舐めたマヂカルラブリーがアングルを暖めネタを叩き優勝したように、今回は名作をもって名刺とし、シシガシラは自分達の説明書をばら撒いたとも見ることができる。フィナステリドの服用をはじめ、ミノキシジルを塗りはじめたようなものだ。平場で準備していたネタが悉く面白すぎたことも踏まえると、来年以降に、ハゲネタなんてという空気をフリにして、光り輝く未来も十分にある話だ。捲土重来を期す。あと、浜中の髪の毛もなんか怪しいなと思っていたら、治療して踏ん張っているという情報をフォロワーからいただきました。おおきに。
せっかくなので、敗者復活戦の話もします。今年から一新された敗者復活戦のシステムは総評として敗者復活戦がとても見やすくなっていたし、テンポも良く、ネタを披露する組が多くてもストレスを感じなかったし、同じようなネタを見せ続けられているという気にもならなかったので概ね大成功といえるだろう。これは、準決勝までの審査が概ね機能しているということでもある。その仕組みについては、ざっくりとタイムラインの雰囲気でしか把握していなかったので、実際に見てこういうことかと、本番で理解することが出来た。自由民主党の安倍派が長年続けていたキックバックという言葉でぼやかしている裏金の錬金スキームも、色々と図解を見たりしているが、実際にやってみたらちょっと勘違いしている部分もあるのかもしれない。
新たに導入された敗者復活戦のシステムは、テンポが良すぎて、番組開始数分で敗退してしまう漫才コンビがいることはちょっと可哀想だったし、ずっと1対1という印象が続くので、復活する漫才師が選ばれてステージに向かう瞬間の、その場で破った全組の情念を背負っている感じが薄まっていたのは物足りなかった。あと、気持ちの面で寂しかったのは、見てるんだか見てないんだかの「相葉マナブ」の時間あたりで、投票した画面のスクショが並ぶTwitterのタイムラインが喪われてしまったことだ。あの投票画面スクショとその直後の、お風呂入ってくる、ご飯食べるなどのツイート、あれがあってこその敗者復活戦というのが染み付いているので、どうにも寂しかった。本当に面白いと思っている人に全ベットする人、行きそうな人に入れる現実的な人、普段の推しへ入れる人など様々だが、あの日本各地で散り散りバラバラとなっている我々の生活が重なる瞬間で満ちるタイムラインが大好きだった。我々から生活を奪わないでくれ。インボイス制度じゃないんだから。
よって、今回から、心の投票スクショをしていきます。ちなみに、自分は毎回、希望枠、期待枠、日の目を浴びてくれ枠にすることが多かった。来年忘れてたら声掛けしてください。結果として、トム・ブラウン、ママタルト、そして20世紀に投票スクショしました。
ここが入ったら荒れるぞという希望枠としてのトム・ブラウンは、スナックで「ロンリーチャップリン」を女性の肩を抱きながら歌っているのを注意するために首の骨を折って弓を打ち付け、その後自害、その死体に事前に宙に放っていた弓矢が刺さることでリズムが生まれる」というネタ。文句なしで腹抱えて笑いました。ボケの破壊力もさることながら、「あとお前死ぬ必要ないよ」「クロロホルム無駄だから」などの、確かに、と思わせて、笑わせる布川のツッコミもきちんと機能していて、ちゃんと漫才としての体裁を整えているところは、とても品がある。フースーヤを見ろ。下品すぎる。しっかり好きだけどさ。
トム・ブラウンがこのネタを、ウケを取りに行く形でリズムネタをやろうというところから逆算して、史上最悪のリズムネタを産み出した可能性が捨てきれないのがたまらない。「水曜日のダウンタウン」でみちおをキレさせる寸前までいった牧野ステテコも、首の骨を折られ、クロロホルムを嗅がされ、弓矢で射抜かれていた可能性もまた捨てきれない。
期待枠は、ママタルト。今年のママタルトの「キャンプ」のネタは、好きなくだりが多くて、とても良かった。
「車で2時間、バスで2時間」「俺ら移動下手じゃない」からの手で移動経路を説明して、「何その世界で一つだけの花のような」、ハンモックと体の隙間に財布が挟まり、それを取るために肥満がハンモックを降りると自然とパチンコのギミックになってしまい財布が遠くまで飛んでいったというくだりはめちゃくちゃ笑ったし、爆発力があり、ネタの構成が気持ちの良い波状形になっていた。最後は、肥満にしかできない時事ネタを取り入れて落とす。お見事だし、これまでよりもさらに見やすくなってると感じさせるネタだった。ただ何度も繰り返して見てみると、キャンプというよりは山に行ってるだけなので、キャンプファイヤーやテントの組み立てなどのキャンプ感が少ないことも気になってくるが、何より題材が、大会の季節にマッチしていない。また、考えオチの割合も多い気がするので、ママタルトには、もう少しバカに振り切ってほしい。ママタルトに必要なのは、恐らくこのレベルの齟齬の調整だけだと思う。観客の笑い方からも機運を感じたので、来年に期待しよう。
今年の敗者復活戦でのめっけもん、日の目を浴びてくれ枠は、20世紀だ。
破防法が適用される、もしくは破防法で取り締まる側方のような風態の男の口を、すらっとした男がまじまじと覗き込み、「歯っみっがっき、じょーずだね」とリズムに乗せて言うと、「いやあー」と照れるというツカミからぐっときた。エロスすら感じる。
20世紀のネタの設定は、大衆居酒屋をオープンするも、初日に街を怪人が破壊、最悪やとなっているところに、怪人が店に入ってきて、注文し、食事をして、お店を気に入り、ボトルキープまでしてしまう。ただただ、バカバカしいネタなのだが、ただ笑うだけではない良さがあった。
ネタのバカバカしさを下支えしているのは、二人のどちらも異なるベクトルで高かった表現力だ。ツッコミのしげの、暴力的なツッコミや後半の「いやー」という叫びもいいが、やはり、ボケの木本の細かな所作が光る。「ごちそうさまでした」の時に手をバッテンとする感じや、お会計を終えた後の「ごちそうさまでした」を腰を引きながらいう感じが、なんとも様になっている。何より、あの頃のコバケンにルックが似ていて、愛嬌と同じくらい得難い艶かしさを纏っていた。ちなみに、自分がこのことに最初に気がついたと思ったら、信頼しているフォロワーが1年前にツイートをしていて、恐れ入谷の鬼子母神でした。早くまた飲みましょう。元々、コントの方に力を入れていたようで、『キングオブコント』の方でも期待したい。
シシガシラの好きなくだりはツカミ、「これおんなじ人がジャッジしてる?」というアップデートに関して誰もが思ったことのある疑問、どんどん網目が細かくなっていくルールの中をハゲだけがスーッとすり抜けていくところ。
3組目 さや香「ホストファミリー」
国際交流のためにブラジルからのホームステイを受け入れることになったものの、緊張してきたので「だから今黙って引っ越そうと思ってるんですよ」という石井を、新山が止めるネタ。まあ、お見事としか言いようがない。新山が最初にホームステイを飛ぼうとしているという仕掛けから、二転三転する展開の中で二人の理屈が衝突することで生まれる摩擦熱は間違いなく1番だったし、所作も美しく、言うことがない。これぞ本寸法。
コンビニのバイトに例えが反対であったあたりは上手く騙されてとても楽しかったが、最後にエンゾがおっさんであることが明かされるくだりは、ちょっとミスリードの仕方がずるい。例えば、「熱くて謙虚で勇敢な男なんや」を「熱くて謙虚で勇敢な若者なんや」にし、そこから「俺がエンゾを受け入れるわ」と新山が熱く語った後に、石井が「あ、エンゾは若者ちゃうで。55のおっさんやで」ということで、新山が勝手に勘違いしていたということが際立つのでどうでしょうか。さや香には、台本を解体していくような漫才が見たいと去年は思っていたけど、この道で突っ切ってほしい。
好きなくだりは「ホームステイは飛んだらあかんねーん」、「お前眼ぇ怖すぎんねん」、「気づけ、エンゾ!やばいぞ、こいつー」と舞台を飛び跳ねるブラジルに呼びかけるところ、「素敵なご縁があるぞでエンゾ」
4組目 カベポスター「子供の頃のおまじない」
確かに、お前の言うとおり、カベポスターのキャッチコピー「草食系ロジカルモンスター」って、永見から滲み出る暴力性に大会サイドはまだ気づいていない感じするよな。
すいません、そんな話はしてませんでした。永見が通っていた小学校には、願い事が叶うというおまじないがあり、それは「夜の学校でとある写真を撮ってそれを現像して裏面に願い事を書いて、とある場所に供えたら叶う」というもので、永見はそれを実践し、願い事を叶えたことがあると言うので、詳しく話を聞いてみると、校長と音楽の教員が不倫をしている証拠を写真で押さえて、それをもとに強請っていたことが明かされていくネタ。
ストーリー運びはシームレスだし、構成もしっかりしているのだけれど、ドラマティックではないからか、そのためかドカンとくる山が無かった印象だった。
好きなくだりは「お前も校長が叶えられる範囲しか書いてないよな」、愛のサインを見た永見少年が「ずっゼリ!」と叫んでからの「学校の前にあらかじめ停めていたタクシーにすぐ飛び乗って」からの「なんで逃走経路確保してんの」
5組目 マユリカ「倦怠期」
結婚したいけど倦怠期が怖いという中谷のために、倦怠期の夫婦をやってみるネタ。
まず、一個だけ言いたいのは、マユリカは倦怠期を勘違いしているということ。快活CLUBの公式チャンネルの「夫婦のピンチ!!出番だ、快活CLUB」っていう、鍵付き個室に泊まって自分の時間を確保しようっていうためとはいえ、夫婦をそこまでギスギスさせなくてもいいだろうっていう動画があるんですけど、倦怠期って、別に終始ピリピリしているとかそういうことではないです。そのことを差し引いても、面白く華があった。坂本のローと、中谷のハイがガッチリ噛み合っていて、ネタを見たというよりは漫才を見たという満足感がある。中盤の、存在しない名前大喜利でちょっとブレーキがかかった感はあるものの、後半グッとまた面白くなって、「ズッキンズッキンプッチン不倫です、ポンピーン」でひっくり返って笑って、綺麗にオチていった。何より、本来ならずっとうるさい中谷の声が、耳障りに感じない。、あの声質でそうなるのは奇跡だと思う。
好きなくだりは「ズッキンズッキンプッチン不倫です、ポンピーン」という全く予想していなかった角度からのボケ、
6組目 ヤーレンズ「引越しの挨拶」
引っ越しをして挨拶をしにいった大家さんが変な人だったら、というネタ。ヤーレンズが好きだったというわけでは無いので、コントに入るまでは普通に見ていたのだが、大家さんが登場して一発目の、プルルルガチャからの「なんだあたしの右手か」から姿勢を正したが、姿勢を正して損をしたと思わせるくらいにくだらない漫才だった。
その後にも、大家さんが変な人、というお題に即したボケが矢継ぎ早に投入されていき、徐々に引き込まれていく。上戸彩は「いいテンポでしたね」といっていたが、もはやビートを刻んでいてるというくらいに、細かくボケてくる。落ち着いて、繰り返し見てもなお、さらに面白い。要は、ヤーレンズの良さに、今更ながら気がついたというわけだ。
個人的にそこまでヤーレンズにハマっていなかった要因として、楢原が繰り出すボケは、互換性が高いが故に、ストーリーに関係なく脈略がなくブッ込まれているように見えていたというところがある。しかし、このネタにおいては、楢原のボケが「全力おてんばおばさん」であることが最初に提示され、そこに沿っているので、面白さが伝わってくる。何より、徐々に大家さんが愛おしくなってくる。あと、ボケが原則として、バカバカしいので、普段よりも詰められた間によって、観客は、考えるな感じろモードになってきて、一度ハマったら、もう抜け出せなくなっていた。合間合間に、出井で笑いを取っているところもスパイスとなって、単調になることがうまく避けられている。ただ、好きなくだりが前半にかたまっていたことで、後半は落ち着いた印象もあるので、さらに畳み掛けていたら、後7~8点は上がっていたんじゃないでしょうか。
好きなくだりは、プルルルガチャからの「なんだあたしの右手か」、「競艇ってあなた、公営ギャンブルじゃない」という空確認、出井という苗字を説明するなかで「出入り口の出に」「電話の電」「デデン~」というNetflixの音いじり史上一番面白いボケ、さらにそこからの「Netflixってあなた、サブスクじゃやない」からの「サブちゃん演歌スクール」と繋げえた後の「ちらし寿司」とぼそっということで冒頭にフっていた出前でちらし寿司を取ろうとしていたことを回収する史上稀に見るほどに無駄な伏線回収。
7組目 真空ジェシカ「Z画館」
「最近な休みの日はB画館ばっか行ってて」と言い出す川北に、ガクが「映画館じゃなくて?」と尋ねるも、川北は「映画館高くて、かといってC画館までいくと客層が悪くて内容が入ってこない」と続ける。ガクは困惑し「A画館、B画館、C画館ってこと?」と改めて川北に問うと「そっから?」と驚き、「Z画館から勉強してこい」と言って、ガクにZ画館を教えるというネタ。
正直なことを言えば、真空ジェシカについては、好きなくだりか、めちゃくちゃ好きなくだりかくらいしか書くことがないので、困ってしまう。これまでと比べて何かが変わっているし、予選でいくつもの他のコンビの漫才を続けてみてもなお、そのボケのクオリティが抜きん出ていることしか分からない。
ギャグを繋げていくタイプの漫才で、しかもその手法がバレているにも関わらず、平均90点以上の点数を確保しているのはとんでもなく凄いことのはずだ。
今年、審査員を勇退した立川志らく師匠は、真空ジェシカに高得点をつけていたと思うというツイートをしていたが、とても詳細に理由を伺いたい。
もしかしたら、実は一番尖っているように見えて、一番、自分たちの面白いと思うことと、観客のウケ、審査員の基準とのすり合わせを高い次元でやっているという、孤高の闘いを自分たちとやっているのかもしれない幻想を纏い始めている。心から万雷の拍手を送ってますよ。
来年もまた決勝に進出、さらには優勝したとしても、なんか去年と違うんでしょうね、ボケが面白かったねくらいしか言えないし、そういう意味では批評に負けない強い漫才なので、その時はパスを使わせてください。
好きなくだりは、Z画館に「一番下ってこと?」というガクに対して「下っていうとまたあれなんだけど」という配慮、ガクの質問を右から左に受け流す館長のムービー勝山、Z務署が税務署だったところ、名監督もじり3連続からの「もうラジオネームじゃないか」という笑いの遠近感理論でいうとちょうどいいであろう爆発、Z画館は治安が悪いから映画泥棒が勝つという整合性。
8組目 ダンビラムーチョ「カラオケ」
漫才を8本見てからの初見だと、気持ちが前のめりになちゃっているので、BUMP OF CHICKENの「天体観測」を1コーラス使ってチュートリアルとするには、冗長に感じてしまう。それに加えて、その後に大原が「こういった業態を考えております」「これの何がいいって設備投資にお金がかからないんですよね」と言ってきたことで、そんな話してたっけとなって、気が散ってしまった。見直してみて初めて、導入部分で、大原からの「最近副業を始めようかなと思って、カラオケボックス」というフリがあって驚いた。聞き逃したか、「天体観測」が長くて、そのことを忘れてしまったのかもしれないが、このネタの初動に乗り切れていなかったことがわかった。
冒頭から長々と歌い上げるというのは、よく考えたら面白いという裏笑いが入っているので、爆笑にはならない。中盤以降はもう少し短いパートで笑いを取っていき、盛り上がっていくものの、個人的には、歌ネタの拡大とまでは受け取れなかった。ナイツの塙の、4分間の筋肉の使い方理論でいうと、頭が重いという歪な構成になっていた。あと、フニャオがなんかつらそうに歌っていることが気になった。ずっと自炊した料理の味に納得いっていない顔してたぞ。
ぐっときたのは、ナイツの塙が、内海桂子のモノマネで「あのねぇ、あたしゃ歌ネタが大好きです」とぶっ込みつつの「寄席で一番今日やった中でウケるのはダンビラムーチョ。ご年配の人にはすごくウケるし、桂子師匠とかこういう歌の藝ってすごく好かれてたので、そういう意味ではご年配の人とか物凄く認める藝だったんかなと思うんですけど」とコメントをしたところだ。もう今は安易に歌ネタを軽んじるお笑いファンは死滅しかけているが、世間一般からの「歌ってるだけじゃねえか」みたいなツッコミを、寄席演芸の視点からの評価をもって「安易な手法ではない」ことを伝ることをもって潰しているところには、これまで立川志らくがやっていた行為を引き受けていたようで、勝手に、頼もしさを感じた。ミーナの件はこれで帳消しでしょう。
好きなくだりは「これの何がいいって設備投資にお金がかからないんですよね」からの「当たり前だろ、一人でターツクターツクターツク言ってるだけなんだから」、GReeeeNの「キセキ」をガイドボーカルモードで歌ってからの「ただの友達ぃ」、DAMチャンネルを元木大介がやることについて「やるわけねえだろ」とツッコんでいたけどそんなにチョイスとしておかしくはないという引っかかっていたところにネタ終わりに大原が巨人ファンだったということがわかって嗜好に引っ張られていたことが分かったところ。
9組目 くらげ「思い出せない」
ワイシャツが思い出せないことを、アロハが色々と名前を出して思い出させようとするネタ。ちなみにワイシャツが杉で、アロハが渡辺。逆だろ。
「美味しかった31アイスクリームのフレーバーの名前を思い出せない」という杉に、渡辺が31アイスクリームの角度をつけたフレーバーの名前を次々と出してくるという最初のくだりは、子と一緒に31アイスクリームによく行くおじさんとして、あるあると笑いました。笑いのフォーマットを提示するアイスの次は、サンリオキャラ、その次は、口紅、最後に数字と重ねていく。
結構好きな漫才であったが、いまいち笑いが大きくならずに、ぐっと踏み込めなかった理由のひとつとして、シシガシラと同じ現象が起きていた可能性がある。それは、多様性という理念の下に、おじさんが31アイスを好きでも別に良いじゃないという許容が生じていたかもしれないということだ。実際、31アイスクリームのフレーバーをほぼ知っていたし、サンリオのキャラクター総選挙のランキングで一喜一憂しているおじさん二人を知っているので、渡辺のようにそれらに詳しいおじさんがいてもおかしくないと思ってしまった。そうなってくると、この漫才の笑いどころを支える、強面のおじさんがそれらに明るいという違和感という前提が崩れてしまう。だから、冒頭で、もっと無骨なおじさんである紹介をして、ギャップがあることをフっていれば、またウケ方も違っただろう。もう、「おじさんなのに」だけではダメな世の中になっているということだ。世間はわりかしアップデートをしているのである。
この漫才で杉が思い出せないものは「アイス→サンリオ→口紅→数字」になるが、これらはそれぞれが「説明→応用→飛躍→ずらし」の役目を持つ「四段構え」の構成となっている。
口紅の飛躍について、ここに向けて、本来であればアイスでホップし、サンリオでステップしなければならないが、そこで足がもつれたので、ちょっと失敗に終わってしまったのではないか。だから、数字を思い出せないというずらしもまた完全には機能しなかった。飛躍というのは、3つ目の口紅のブランドを把握しているということは、おじさんがアイスのフレーバーを知っていることやサンリオキャラを可愛いと思うということとは意味合いが違ってくるために、そこを突破するためには、それなりの勢いを得ていなければならない。フォーマットは凄いけれど、好きなくだりが少なかったことも勢いづけなかった。
ダウンタウンの松本が、真空ジェシカへの審査コメントで述べた「笑いの遠近感理論」で考えるならば、個人的には、31アイスクリームやサンリオキャラはちょうどよく、口紅が好きというのは意味合いが変わってくること馴染みがないために遠くなり、数字だと必然性からズレすぎというところだろうか。同様に、口紅に詳しい人は、この漫才に対して感じる距離感が変わってくるのだろう。固有名詞がたくさん出てくる漫才は、全員にピントを合わせるのが難しいのだが、ここがビッタリ合致すれば、すごい笑いを生み出すはずである。
ただ、くらげは、舞台衣装しか特徴がないようにされているが、フォーマットを生み出すコンビなので、また上がってくるでしょう。よくわかんねぇけど。
31アイスとサンリオキャラが出てくるので、このネタは、うちの子が6歳になったら、一緒に見て腹爆発しようと思っていたけれど、記事を書くためにワンオペ育児中に流しまくっていたら、ベリーベリーストロベリーに反応していたので、5歳になったらもう一回見ようと思います。あと、杉のツッコミを聞いてすぐ「思い出した、おならぷーぷーだ」って言ってました。英才教育、成功しています。
好きなくだりは、フォーマット、サンリオキャラからの「つば九郎だ」「お前それヤクルトスワローズじゃねえか」、毎回「バニラ」「ストロベリー」「シャネル」など王道を入れてくる配置の妙、紹介VTRの「地味で無骨、だから何だ!」という「はい」としか言えない反証も何もないただの叫び。
好きな31アイスクリームは、ベリーベリーストロベリー、ジャモカコーヒー、ナッツトゥーユー。
10組目 モグライダー「にしきのあきら」
ともしげが「にしきのあきらさんってめんどくさい女の人と付き合っていますよね」と言い出し、「空に太陽がある限り」を芝に歌わせ、ともしげがサビにめんどくさい女として入ってきて
そのことを証明するが、芝がにしきのにも反省すべき点はあり、めんどくさい女をケアするネタ。
すでに観客はモグライダーの漫才の楽しみ方が分かっているので、ともしげのミスを待つことになるが、小さなミスは起きても、致命的なミスが起きなかったことで、漫才に乱数が入る余地がなかった。ともしげが好調ということは、モグライダーの漫才は不調ということになる。逆に、あ、このリスクの高い漫才のやり方はガチだったんだと気付かされる。「呪術廻戦」の秤先輩じゃないんだから。
好きなくだりは、「愛してるとても」「どれくらい」「どれくらいだろー」とともしげが差し込まれるところ、ともしげが大阪に行ってしまうところ、栃木のスターが入ってきたところ。
Firstroundが終わり、最終決戦に駒を進めたのは、さや香、ヤーレンズ、令和ロマン。
最終決戦1組目 令和ロマン「ドラマ」
くるまが家で見ていたというドラマを再現したというネタ。First roundが進んでいく中で、やや客席の重さが気になったが、令和ロマンの二本目の「単純な仕事」のくだりで一気にその熱が戻ってきた。以降は、ちょっとウケすぎな気がするくらい、令和ロマンを歓迎するムードに包まれていた。
TBSの日曜劇場でのドラマにありそうなシーンをつないでいく。「家でドラマを見ている」という、おそらくコロナが第2類相のころに作られたネタと思われるが、「三密回避で、ステイホームじゃないですか」「お前まだそこなの」というくだりを入れることで、一気に「今」の話題にする。これが狙っているのか狙っていないのかは分からないが、この時代に即していると、時代と共に踊っているという幻想を纏っているのは、漫才師として強い。
好きなくだりは「あなたはライバル会社のトヨタさん」「まだ、ライバルじゃないよ」、
「トヨタにはこんな人いません」からの「よしもとにはこういう人がいます」という大阪万博の諸問題につながりそうな話。
最終決戦2組目 ヤーレンズ「ラーメン屋」
ラーメン屋が大好きなのでいろんなラーメン屋に行きたい出井が、ハズレのラーメン屋に行ったらというネタ。ラーメン屋に出井が入ったところで、楢原が「amazinggrace」を歌っていて、そのハズレさにグッと心を掴まれたので、すでにヤーレンズのことを好きになっていることを意識する。1本目よりさらにさらに細かく刻んでくるボケが、ことごとくツボに入って、最終決戦では一番好きでした。何より、店主を演じる楢原が完全にゾーンに入っているようで、志村けんのひとみ婆さんばりのフラを纏っていた。何より軽やか。
出井が 最後に、乗せ忘れたネギをもらった時、食べながら「乗せ忘れたネギ!ネギラーメン頼んだんだぞ、俺はいい加減にしろよ」とツッコんで、店を出ようとする。この、出井が乗せ忘れたネギをパクついてるマイムもちょっと面白いこともあるが、全ての漫才を含めて数年前なら、いらねえよで済ませていたところを、肯定ベースでツッコむ。乗せ忘れたネギをもらって食べるということが、そこまで特殊なくだりになっていないことに、ぺこぱの流れを感じつつ、うっすらと感動した。世の中はどんどん優しくなっている。
単に外れのラーメン屋というだけでなく、「元駐車場の場所で営業している『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』みたいなラーメン屋」という縦軸に沿っているので、ストーリーもある。展開、展開と言われるが、この漫才に展開はそこまでないが、満足度は高いので、結局は展開というのはそこまで関係なくて、満足度のことなのかもしれない。
好きなくだりは、「ツッツ浦々」「ムッシュムラムラみたいに言うなよ」、「椅子持ってきますね」「椅子なかったんかい」、「はい喜びそー」「喜んでないんかい」、かっこいい湯切り、言い終わる前に切る電話。
最終決戦3組目 さや香「見せ算」
資本主義の名の下に経済格差が広がっているがそこに対抗するために数学を学ばなければならないが、令和の時代に四則演算では足りないので、新山が一つ「見せ算」を作って五則演算にするというネタ。なんだそれ。「見せ算」は、数字と数字を見せ合わせてどう思うかというもの。なんだそれ。
音だけ聞くと完全に漫才になっているけれど、全く訳がわからないけれど、漫才の技術のみで強引に漫才にしている。音声を消して見ると、ものすごい面白い漫才をしているように見える。
好きなくだりは、「見せ算」のシュールさに必死で着いていっていた観客が「2見せ5」で数字がスマホを落としたあたりから心が離れた瞬間、「漫才にとって重要なことって立ち位置じゃないんですよ。掛け合い」「どこが掛け合いやねん」、「誰が使うねん、もうええわ」ということで「本当に、もうええわ」となってホッとした桂枝雀いうところの緊張と緩和の実践、10回くらい連続で聞いたらこれは落語の壺算くらいの名作になるのではと洗脳されそうになるところ。
最終決戦の投票は、令和ロマン4票、ヤーレンズ3票、さや香0票で、優勝は令和ロマン。
松井ケムリさん、高比良くるまさん、タイタンライブでお待ちしております。あと、屋号を魔人無骨に戻してもらっても僕らは全然かまいません。あと、辰年天井の令和6年から始まっている新NISA、さらに験担ぎのために、SBI証券から大和証券へ乗り換えたほうがいいんですかね。
今年も楽しかった。2年連続でホテルに泊まったりなんかしちゃったりして、育児から解放されて、漁港の市場でお寿司とマグロの刺身を、デパートでケーキを買ってから、コンビニに寄って、水やお菓子を買ったりしつつも、少し早めにホテルのロビーについて、「すいません、ちょっと早く着いたんですけど」みたいな顔して2時55分にはチェックインして、3時には部屋に駆け込んで、テレビ朝日系列にチャンネルを合わせ、荷物を下ろしながら、敗者復活戦を見始める。いつもはある夕方の休憩時間が無かったので、本戦のオープニングが始まる少し前から急いでコンビニに行って、コーヒーを調達する。その忙しなさ、嫌いでは無かったです。そこにきて、最終審査での令和ロマンとヤーレンズの拮抗。最後の最後までどっちに転ぶか分からない展開にいたく興奮しました。
でもなんか、楽しくて面白かっただけだったな、という引っかかりも残った。発表されたファイナリストを見た瞬間に、ファニーさが基準にあるのかなと思ったが、その直感に沿って続けるなら、概ね外してはなかったなと思う。8時間も漫才を見させられたわけだけれど、脳みそがクッタクタになったみたいな疲労感が無かったのは、良い意味でも悪い意味でも、スナック感覚。
大衆の倫理観の隙を突き、茶化すネタが無かったことが、そう思わせるのかもしれない。平たく言えば、論争なき大会だった。年に一度、M-1グランプリで、笑いの、つまりは大衆の許容の閾値を観測し、世間の感覚を把握し微調整しているところがあったので、あーそーかーっとなった。その論争を鳥瞰する中で、やや小馬鹿にしつつも、愛していたといえる。
このままだと、本当に競技として完成されちゃうけどそれで良いのってなっちゃいますし、そうなるならまあ、賞レース感想を勇退せざるを得ません。
勇退と言えば、立川志らく師匠だ。志らく師の審査は、2018年の1回目の登壇から『M-1グランプリ』でかけられる現代漫才を、立川流の基準を持って評価することで伝統に接続させ、その革新性が寄席演芸と地続きであることを示すだけでなく、ヨネダ2000やトム・ブラウン、ランジャタイの、いわゆる理屈の外のドガチャカな漫才から秩序と品を見出し、賞賛することで、そのケイオスさに箔をつけるという、他の審査員には出来ないことをやってくれていたということは記録しておきたい。本当にお疲れ様でした。神田伯山に、自分で勇退って言うのはどうなのかを強かにいじられてください。
ニュートン!リンゴが落ちたところでお時間です(松尾アトム前派出所)