石をつかんで潜め(Nip the Buds)

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バナナマンの2015年の夏の単独ライブ「LIFE is RESEARCH」感想

バナナマンの2015年の夏の単独ライブ「LIFE is RESEARCH」を見てきました。さらっと書きましたが、当選を報せるメールが来てから開演まで、不意に車に轢かれたりしないかとか、急に刺されても致命傷にならないように洋服の中に赤マルジャンプを忍ばせるなどしてみたり、隣人が飼っているタランチュラをうっかり逃がしたりしていないか確認したりして、生きることにサバイブすること必死でした。結論から言えば、一度でいいから見てみたいというものだったバナナマンの夏の単独ライブは、出来ることなら毎年の恒例にしていきたいと強く思うほどに素晴らしいものでした。
今年の年始あたりから急に仕事が増えて、やたらと残業するようになってしまっていた。残業代もフルで出るわけではない、星野源の「化物」と「ワークソング」、「地獄でなぜ悪い」をヘビーローテーションで聞きながら仕事を片付けていた。
当選しただけでもありがたいのに、二列目の真ん中という席だったので、八百万の神様がいるというこの国において、新しくサービス残業の神様を割り振られた若手の神様はいるのだなと思わされた。
主な内容は年末か年始に発売されるDVDを確認してほしいのですが、何で笑っているのか言葉に出来ないような不思議なコントばっかりで、バナナマンしか作り出せない世界の数々でした。
バナナマンを見ているという現実に食らいつくのにも必死だった。ちょっと油断すると、物凄い技術のホログラムを見ているような感覚に陥りそうだった。
かろうじて、日村さんの演技は、芸人よりはコメディアンだと言われていたけど、もうそこも通り越してカートゥーンの域に到達していたことだけは掴めていた。
色々なコントが卸される夏の単独ライブには、赤えんぴつというフォークデュオのコントがほぼ毎回登場する。そのコントは2001年の単独ライブ「激ミルク」で初登場したということなので、14年続いている。
毎年、赤えんぴつが登場して、トークをして喧嘩をして仲直りして歌を歌うというお決まりの流れがあって、常に変わり続けていくバナナマンが感じている面白いが提示される単独ライブのなかで、変わらずに出てくる赤えんぴつのコントは、一つのポイントでもある。と、そんな風に、冷静にかまえていたけれども、実際に赤えんぴつを見てみると、そのイメージは一転した。
キャラクターがクレイジーなコントではあるのだけれど、間近で見る二人の目は本当に狂っているようで少しだけゾクッとした。まさに見ない日はないほどにメディアに出ているバナナマンというポップでメジャーな人達が、蓋をしている1年分の狂気がこのコントで一気に放出させているような気がした。
凄いものを見た、という感覚は今回の単独ライブで一番だった。
俳優座劇場の収容人数は300人程度で、大きいとはいえない。むしろ今のバナナマンという存在から言えば小さすぎるとすら思っていたし、実際に少しだけ不満はあった。でも、俳優座劇場というその舞台を体感してみると、すごくちょうどよく、設楽さんがこの場所を選び続けるのが分かったような気がした。そのこだわりに一喜一憂するのもファンの一興だ。格好つけました、一憂は嫌だ。
ファンの幸せについて考える。一番、幸せなファンというのは、好きな人が場を持ち続けていることだ。好きな時に、行ける場所。場とは、やりたいことを純度が高いまま出せるとこであり、魅力が出せるところということに尽きる。バナナマン爆笑問題で言えばライブやラジオのようにその人達の魅力を100出せるような場所。その場への参加を求めて、日本全国からファンが集まる。
ぼんやりと、バナナマンの単独ライブは『Cutie funny(2013)』から二周目に入ったような気がしていた。Cutieとfunnyがバナナマンの魅力を紹介するに足りる言葉なのは偶然か意図的かは分らないけれど、ただ爆笑させるだけじゃなかったバナナマンが、より高い段階へ登り始めたようなコントを見せてくれる二周目。
登場するキャラクター達の少しだけ変わった日常のようなコントは、その時々のバナナマンが演じるのがベストなのだろう。
バナナマンはこれからも少しずつ変わりながらも、ずっと変わらない場を提供し続ける。
そこに参加するために、また今日から善行を積む日々です。