石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

ドキュメンタリーラジオ『空気階段の踊り場』は、クズとマザコンのドンフライ高山戦。「もぐらご祝儀泥棒事件」から「かたまり号泣プロポーズ事件」まで。 

 2018年10月12日放送の『空気階段の踊り場』で、パーソナリティーである空気階段の水川かたまりが、収録中に嗚咽を漏らして号泣してしまうという事件が起こった。
 ことの発端はかたまりが禁煙しているという話の中で、かたまりが「お金を貯めないといけない」という言葉をぽろっとこぼしてしまったことからはじまる。その発言を、相方の鈴木もぐらが逃がさず、それはどういうことだと追求していくと、かたまりの口から「家がない」「1人のためにやりたいことだから」「同棲してたんです」と情報が小出しにされる。その結果、かたまりが、少し前に同棲していた彼女と別れることになってしまったので、家を探さないといけない状態にあるということが発覚する。
 深夜ラジオを聞き始めてからもう20年近く経とうとしているが、彼女と別れたこと、ましてやその元彼女のことを「本当に好きだったんです、信じられないくらいに好きで」「全部を変えてくれた女性なんです」という放送をはじめて聞いた。
 その二人が別れる経緯は、色恋だけではなく、賞レースの決勝に進めなかったという、より切実した若手芸人のリアルも絡んでいた。そのことを話すうちに、感情のダムが決壊してしまったのか、かたまりは泣きだしてしまう。もぐらはそれを見て「泣くなよ!28だろ、もう!」と発破をかける。それに対してのかたまりの「泣いてないですよ。今まではこの一ヶ月間は泣いてなかったんだよ。」という返しはペーソスが詰まった笑いそのものだ。
 この二時間十五分後に、番組のエンディングの収録が再開し、かたまりが元彼女にあてて書いた手紙をSuperflyの『愛をこめて花束を』をBGMに読み上げる。
 その手紙は「最初は全然タイプじゃなかったんですけど」という言葉から始まり、二人の思い出を挟みつつ、「二度と泣かせたりしません」と決意を込め、最後は「世界で一番大好きです。だから、僕のお嫁さんになってください」としめられたものだった。
 全く癒えていない傷をさらけ出しながらも、手紙に高い構成力とアクロバティックなオチをつけるという生粋のコント師としての高いポテンシャルと、抱えもっている深い業を見せる。その後、もぐらが最後に「来週はチャンピオンライブ一時間スペシャルのためお休みです、残念!」と発表して脱力させるオチが番組としてついて、深夜ラジオとして成立させている。それだけでなく、かたまりの話から、「別れたことを翌日にはもぐらに報告した」「もぐらは(かたまりの)彼女に会ったことがある」と、仲の良さがうかがえるエピソードが端々から漏れている二人の関係性が、この件の悲壮感を薄めているところが良い。 
 これらが絶妙なバランスで支え合っているからこそ、『空気階段の踊り場』がドキュメンタリーラジオたりえるのである。
 放送中に泣いてしまったということもなかなかのニュースなので、その噂を聞きつけて、タイムフリー機能などを利用して本放送を聴取した人達も、この人間ドラマを楽しんだことだろう。この「かたまり号泣プロポーズ事件」だけでも充分に楽しめる放送であったが、実は、その前に行われていた「もぐらご祝儀裁判」から物語は始まっていたのである。この放送には、「かたまり号泣プロポーズ事件」の伏線が張られていたのである。
 その鈴木もぐらを被告とした「もぐらご祝儀裁判」では、彼女と別れて番組の収録中に涙を見せたかたまりは、検察官となって嬉々としてもぐらの罪を攻めてていたからである。これもひとつのフリとなっていたからこそ、かたまりの涙でリスナーは爆笑出来た。つまりは、この涙を楽しむためには、『HUNTER×HUNTER』の「王位継承戦編」と同じくらい流れを把握していないといけなかったのだ。
 紹介が遅れたが、水川かたまりの相方である鈴木もぐらはクズである。ご存知の方も多いと思うが、ギャンブルと風俗でこさえた借金が六百万円近くあり、大家さんに「お前は人間のクズだ」と言われて土下座をさせられたこともあれば、ミルクティーを飲んで歯が欠けた事もある。
 30年近くずっと素人童貞だった鈴木もぐらに彼女が出来、その後妊娠が発覚、結婚となった。これらは全て番組が始まってからの話であり、杉並区役所にもぐらが婚姻届を提出したところの音声も流れた。その回の放送では、もぐらが妻の苗字を名乗ることもしれっと発表された。かたまりも、そのことをリスナーと一緒に聞かされる。
かたまりは当然のごとく、「新しい苗字は?」「なんで妻の氏を名乗ろうと思ったの?」と追求するも、もぐらは「その考えが古いわ!」と一蹴して、その理由と新しい苗字を明かそうとしない。
 もぐらは、さも進歩的なことをしているように言っていたが、「子供の性別は子供自身が自分自身に決めさせたい」ときちんと配慮と思慮を重ねて言っていた神田松之丞の妻とは違って、苗字を変えることによる借金対策だと睨んでいる。古くは5代目・古今亭志ん生が借金取りから逃げるため、『ナニワ金融道』に載っていた、苗字に濁点を加えて別の苗字に変えてから、もう一人分の限度額いっぱいお金を借りるという手口と一緒のやつだ。
 これはただの悪口ですけど、この松之丞のエピソードを紹介するときに「うちの師匠、齢七十五の、凄い長いこと日本で生きているうちの師匠に言える?」というオチまで言わない人ってあんまり信頼出来ないですよね。政治利用って感じで。
 話を2018年10月5日放送の『空気階段の踊り場』の「もぐらご祝儀裁判」へと戻す。この裁判は、鈴木もぐらの妻であるともみちゃんから番組宛てに「南海キャンディーズの山里以外からのお祝儀の情報が自分にまで届かない。どうか何らかの方法で私にまで辿り着くようにしてほしい」という告発メールが送られたことを発端としている。
 二人だと喧嘩になるからということで、元巨匠の岡野も傍聴人として参加したこの裁判での、もぐらの罪状は「作家さんにもらったご祝儀でラーメンを食いたいと騒ぎ出して、ともみちゃんはこれは赤ちゃんのために使いたいから駄目だって言ったら、お前はふてくされて、だったら俺は家にもう帰らないと、いやこれは赤ちゃんのために使うからと言ったら、いや違う、俺はクズだから、クズっていうキャラでやってるから、作家さんも俺がろくな使い方をしないことを望んでいるっていうふうな主張をして夜中の高円寺で騒ぎだした、あきれ果てたともみちゃんがそんなに言うんだったらもういいって言って、そのご祝儀をもぐらに渡した」という横領罪。
 もぐらは「『(ご祝儀は)俺の金だ』とは言っていない、『家の金だ』と言った」というやや苦しめの弁明をしながらも、「俺のキャラだから面白く使う」という発言を認めたりしながら裁判は進み、もぐらの吸っているタバコの銘柄にまで飛び火する。このタバコは、「かたまり号泣プロポーズ事件」への第一の伏線にもなっている。
放送内の裁判はもぐらが罪を認めて謝罪、判決として「タバコをやめる」が言い渡されるが、ラジオクラウドで配信されているアフタートークでは、第二審が始まった。その第二審は特にひどかった。
 第二審では、第一審で追及し忘れた、もぐらがともみちゃんに言った「芸人のルールでは、ご祝儀を返さなくてもいい」ということが俎上にあがるが、ここでもぐらが「かたまりが、ご祝儀の報告がされているかどうか」をともみちゃんに確認したことがそもそも悪い、「俺はそれに本当に怒っている」と暴れ出す。まるで一定のダメージを喰らったら、形態が変化して攻撃の手数を増やしてくるゲームのボスだ。
 ともすれば、ガチの喧嘩に発展しそうにもなりそうであったが、それでも、「ラーメンラーメン!」や「こいつ(かたまり)は俺(もぐら)が幸せになるのが嫌いなんですよ!」、「俺を見下して、俺のちょっと上で生きていたいんだよ一生。俺(もぐら)が棺桶に入って燃やされる時にちょっと上から見てたいんだよ。あ、こいつ、俺のちょっと下のまま死んでいって骨になっていったな」っていうもぐらの言葉が面白すぎて、絶妙なラインの上をキープする。
 そしてなぜか、「かたまりがもぐらの幸せをかきまぜるためにご祝儀泥棒をでっち上げた罪」でかたまりが被告となって糾弾されてしまう。
 まさにどう転ぶか分からない、むき出しの殴り合いである。
 かたまりは第二審で「心から祝福したい気持ちはあります。友人ですし、相方であると同時に」「ずっとさぁ、面白いことやっていこうぜって言ってさぁ、お前が面白く見えるように、どうやったら面白く見えるようにって考えてさ、そのコントとかも書いてさ、ある程度順調に階段登ってきたじゃん俺たち。もう少し頑張れば売れるってところまで来てるじゃん」「クズだとかマザコンだとかそんな余計な要素はいらないんだよ、俺達に。シンプルにおもしれー二人で売れて行くっていうのが一番良いじゃん。そうなりたいんだよ、俺だって」と、さらりと『べしゃり暮らし』のような言葉もこぼす。この、かたまりの上手く誤魔化せずに本音を漏らしてしまうというところも、「かたまり号泣プロポーズ事件」への第二の伏線となっている。
 最終的にはかたまりが「火種をまいてしまった」ということを謝罪し、「二人で頑張って売れて行こう」と言って握手をして、クズとマザコンのドンフライ高山戦のような裁判は「タバコ禁止」「空気階段は協力して頑張る」という結末をもって結審となった。
 そして、リスナーが二週間待たされた2018年10月26日放送の『空気階段の踊り場』にて「かたまり号泣プロポーズ事件」のその後についてのトークがあった。もぐらもリスナーと一緒で、その後どうなったのかを、はじめてこの場で聞く。
 先々週の放送前に、元彼女に「放送を聞いてほしい」というLINEをしたかたまり。返事は無かったものの、既読になったことは確認しかたまりは、その日のライブの前に花屋で12本のバラを買う。バラはその本数によって意味が変わってくるらしく、12本のバラは、「僕のお嫁さんになってください」を意味するという。
バラの花束を劇場に持ち込むと、芸人仲間から冷やかされてしまう、ということで、コインロッカーに預けてから、劇場に入っていったというかたまりが、なんともいじらしい。
 ライブを終えた後、放送が始まるまで時間をつぶす。その間の緊張感たるや、想像するだにこちらも吐きそうになってしまう。しばらくして放送が終ったを見計らって、かたまりは元彼女の家に行き、ドアのチャイムを押す。出てきた元彼女に「今喋ったのが(放送で話したこと)が俺の気持ちです」とだけ伝える。元彼女はかたまりの気持ちを理解しつつも、「結婚できない、ごめんなさい」と言いドアを閉める。そうして、かたまりは、自分がふられてしまったということを報告した。
番組のエンディングでは、まさかの元彼女からの手紙をもぐらが読み上げるという展開に。ドキュメンタリーがすぎる。元彼女に「かたまりへ手紙を書いてください」と言ったスタッフは、『FAKE』で佐村河内に「曲作ってみませんか」と仕掛けた森達也と同じ仕事をしている。
 もぐらが手紙を読んでいる間も、読み終わった後も、かたまりは泣いていて、「うぅ~~~」としか発せなくなってしまっていた。そんなかたまりを「もう泣かないって言ったじゃない」「泣くなってもう!泣くなよ!」というのが、なんとも「おにいちゃん」をしている。ご祝儀泥棒のくせに、こういう面を見せるからもぐらはずるい。
 そうして、「かたまり号泣プロポーズ事件」は幕を閉じた。
 『空気階段の踊り場』はもともとドキュメンタリー色が強い番組だ。まだ知名度も少ない若手芸人が、ラジオのネタ番組で年間チャンピォンとなり、番組を獲得したところから始まっているという経緯からしてそうで、ずっと若手芸人の悲喜こもごもが詰まっている。
 小さいことでいえば、もぐらが吉本の養成所に入るためのお金を貸してくれたが風俗店のオーナーがいるのだが、その人にお礼がしたいが連絡を取れない、と情報を持っているリスナーを呼び掛けたりしたこともあった。もぐらはその人のフルネームを知らないという。何故かというと、風俗業界は、経営者は偽名を使うという慣習があるからということで、そうなると携帯電話などの連絡先が分からなくなると探し様がなくなってしまうらしい。もぐらといい、やたらと本名が隠される番組である。
 なので、たまたま、ここ一、二カ月でそのドキュメンタリー性が連続して現れたというわけではないのである。他にももぐらの母、もぐらの妹みーちゃん、かたまりの母のもえちゃんなど濃いキャラクターも登場するのでそれは各自リスナーとなって把握していってほしい。
 ただ、忘れてはいけないのは、空気階段は、前述したように、『マイナビ Laughter Night』の年間チャンピォンを二連覇しているように、ネタのクオリティは折り紙つきだ。あの伊集院光がオススメしていた「携帯の電波を発信する機械を腹にぶち込まれているおじさん」をはじめ、「建物探訪に来た渡辺篤史が、家主の奥さんと犬、最後には家主を殺して犯す」ネタ、「浮気男がクローゼットに隠れたら異世界に飛ばされて、全ての女性の顔が鈴木もぐらに見えてしまう呪いをかけられる」というネタなど、設定からしてぶっとんでいて面白いネタをいくつも持っている。つまり、爆売れする準備はすでに出来ているというコンビなのである。
 とまあ、これまでの事件をここまできちんと書いてきたた理由は一つ、ファンとして、リスナーとして、ただ、今を空気階段の爆売れ前夜として記録しておきたいからだけである。

 


(;_;)/~~~


勝手にテーマソング
ミドリカワ書房「馬鹿兄弟」
http://j-lyric.net/artist/a04cb91/l0171c3.html

『オールスター後夜祭’18秋』の「長嶋一茂の家の落書」と「範馬刃牙の家の落書」問題に感動した話。

 無事、二回目が開催された『オールスター後夜祭’18秋』、最高でしたね。

 最高は最高でも、何が最高だったかは人によって分かれる、そんな最高と最高のミルクレープでした。有吉の恫喝パロディ、キャンプとか合宿で泊まった翌朝に見るまだ眠そうな同級生ぽさがマンキンだったパーパーあいなぷぅのメガネ姿など、それは人それぞれだと思います。あと、日が経つにつれて、あいなぷぅ、やっぱそうでもなかったな、と思いはじめています。
 僕が一番「最高かよ」となったのは、「長嶋一茂の家にない落書きは?」という問題から、「範馬刃牙の家にない落書きは?」という問題の流れですね。
長嶋一茂の家の落書きで一番有名な「バカ息子」という選択肢が、一問目とニ問目で、正答から誤答へと反転する。それがあまりにも見事で、あまりにも美しい。
 「範馬刃牙の家にない落書きは?」という問題を良問たらしめている理由は何か。それはこの問題が、半端に知識がある人がひっかかってしまい、ちゃんと知識がある人が正解出来るということで、それはただ、おもしろワードを軸に反転しているというわけではないということを意味する。
 「刃牙」シリーズを御存じない方に説明すると、このシリーズの肝の部分が、主人公である範馬刃牙が、地上最強の生物であり、実の父親である範馬勇次郎との「地上最大の親子喧嘩の話」というものだからである。なので、このバカ息子というのは、笑いのための選択肢ではなく、きちんと、かかっている(意味がある)ものになっている。なのに、「ない落書」。この凄さ。あまりにも計算され尽くされている。
 もっというと、「刃牙」シリーズを、うっすらと「地上最大の親子喧嘩」ということくらいしか知らないと、この「バカ息子」という選択肢に誘導されて、他の「ある落書」を「ない落書」として選んでしまう。きちんと知っている人は、連載の初期に登場する、めちゃくちゃ落書きされた家は、父親との対決がまだ世間的(この漫画の中での世間)に知られていない時であること、あの落書きがは刃牙が強すぎて近所の不良は太刀打ちできないから腹いせでやられているものという理由、この二つから、「バカ息子」という言葉だけが、「ないものである」ということが推理できる。「刃牙」シリーズは教養だからということでこの夏ずっと読んでいた僕は、この考え方で正解へとたどり着くことができました。ということは、この家のコマをビジュアルで覚えているようなマニアじゃなくても正解に到達できるのである。
 通っていた定食屋に置かれていた「刃牙」シリーズをぱらぱらと流し読み、暇つぶし程度に適当に読んでいた頃の大学生の僕だったら、正解出来なかったというわけである。
 同じように、半端な知識を持っているがゆえに間違えるという問題は、「(ともさかの『エスカレーション』を)歌っているのは?」というものがあった。ともさかりえの歌手活動といえば、一部では「さかともえり」名義であるということは常識になっているが、それを逆手に取られて、普通にともさかりえ名義であったというもの。
端な知識があるということを逆手に取られてしまい、間違ってしまうという問題。
 とまあ、このクイズにはそのくらい情報や文脈が詰まっている。だからこそ、美しいのである。
 wikipediaの「ポリリズム」の説明「楽曲中、または演奏中に、複数の異なる拍子が同時進行で用いられている音楽の状態の事である。ポリリズムのポリは「複数の」なので「複数のリズム」を意味する」を何回読んでも意味が分からなかったが、やっと分かりました。  
 こういうことですよね、中田ヤスタカさん!!
 ちなみに僕が知識と完全推理で正解出来たもう一つの問題は、「東大出身じゃないのは?」という問題。選択肢は「草野仁加藤登紀子倉本聰、松島トモコ」というもの。まず、草野、倉本は何となく消去できる。問題は、加藤松島。加藤も妖しいが、松島も、逆に・・・・・という線も捨てきれない。ただ僕は加藤が獄中結婚をしていたということを知っていたので(何で?)、この時代、獄中結婚をしたということは学生運動に関わっていた可能性が高い、ということはインテリ、ということは東大の可能性も高い!という思考の流れがあり、無事正解出来ました。
 逆手、ならぬ毒手について「毒手じゃないのは?」という問題での、正解の選択肢は『ドカベン』の土佐丸高校の犬神了であった。あとで調べてみると、『当たった時は平気でも、時間が経過するごとに痛みが増してくる「死神ボール」なる故意死球を放つなど、まさに筋金入りの殺人野球の申し子であった。』ってキャラで、やはり、きちんと「毒手」にひっかかっている。
 知識がなくても、推理力だけで解ける問題もあった。
 それは、「堀内孝雄が一番笑ったのは?」という問題で、後から考えれば、笑いのセオリーとして、最後に堀内孝雄が笑っていないというVTRを持ってきた方が一番面白い(4段落ち)。そうなると、それを引き立てるためには、3番目で堀内孝雄が一番笑っているほうが、フリオチの効かせとして真っ当、お笑いの教科書3ページ目にのっているやつを理解していれば正解に辿りつける。
 あと、「日本の通貨の単位は円ですが、単位がポンドなのは?」という問題で、その正解が「ステーキ屋さん」で「ポンド」はお金ではなく、肉の重さを表すものであったというもの。「単位とは言ってるが、通貨とは言っていない」ということと「重さの単位でもある」ということに気付き、そこからステーキを連想できると、一つだけ明らかに画像の質が違うものを選べば正解できるというクイズもあった。
 つまり、オールスター後夜祭は、毒手を一般常識としているというような点を除けば、めちゃくちゃ、知識と推理力を駆使すればきちんと正解に到達出来るという良問のオンパレードになっている。うっかりや油断、早とちりという人間の弱さを知り尽くした制作陣の頭脳が、笑いに使われているということに感謝しなければならない。ベトナム戦争などで用いられたブービートラップを思い付いたような人たちはこういう人たちだったのだろう。日本が平和で良かった。9条万歳。改憲反対。
 来年春も楽しみである。 

言う資格論

 荻上チキの『日本の大問題』を読みました(大学を出ているので)。平易な言葉で勉強になることが沢山書かれていて、良い本でした。

 中でも、「粗雑な分析に引っかからないために」というパートでの、「私はその国の言語を話せない人の分析はあまり参考にしないようにしています。」という一文に、確かにそうだな、と今更ながら思いました。

 言われてみれば当たり前だけれども、ものすごく明確な基準です。

 そして、ここ最近考えていたのは、「言う資格」ってあるよなあ、ということです。最近の僕たちは、言う資格のない人の言葉に踊らされすぎている。

 そんな人たちが文脈も背景も何も知らないまま、土足で入ってくる。そこにイラついては、攻撃的になってしまい、自分たちもそこのフィールドを攻撃する。無間地獄である。

 例えば、舞台に立ったことないのにお笑い評論をする人(僕とか)、楽器の一つも弾けないのに音楽評論をする人、『現代落語論』を読んでいないのに立川談志の「業の肯定」「イリュージョン」を引用する人、「アイドルだって人間だから恋愛するよ」というアイドル、脱税しようとしていたのに社会に物申す脳科学者(課税額の多寡が社会に物申すこと代ではないが、納税を忌避するならば社会に物申すことを放棄しなければならないと思う)、都合のいい時だけ女芸人を利用するジェンダー論者、ラジオの書き起こしを見て放送を聞かないファルコニスタ、総じて、そのことについて言う資格がないといえば、ないのである。

 先日、鳥越俊太郎が「私はキャッシュレス派だから」ということを話していたが、何々派と名乗るからには双方を体験してからでなければ言ってはいけないと思う。

最近はイヤホンを有線のものを使っているのだけれども、それはBluetoothイヤホンもそれなりの年数を使ってきて、充電の手間やペアリングまでの数秒がストレスである、ラジオを聞くだけなのでそこまで音質にこだわる必要がないなどの理由を総合して現在そうなっている。

 僕がBluetoothのイヤホンを使ったことなく、有線派である、というのは、いや、お前はただ使えていないだけだろ、となるのだけれども、鳥越俊太郎はそれをやっている

それは別に問題ないのだけれども、なら、ジャーナリストを名乗るなよな、と思う。

 キャッシュレス社会には、様々な問題点があることくらいは、単に生活をしているだけで思い浮かぶ。例えば、災害がいつ自分の生活圏内で起こるかどうかが全く分からないという昨今、電子マネーは電気が通じていないと何も出来なくなる、またそれを利用することで、お店側に手数料がかかるため、まわりまわってデフレやブラック労働を促進させてしまうという効果が出てくるだろう。また、「〇〇(電子マネー

種類)で」と言葉にするのが凄く面倒というのもある。これは、僕の「心の問題」なのだけれども。

 とまあ、完全にキャッシュレス社会に移行することは日本では危ういことでもあるということを述べるのがジャーナリストとしての責務ではないのか、とも思う。

ただ、鳥越俊太郎は老がい(配慮した表記)である、ということを言いたいわけではなく、その人に、それを言う資格があるのか、ということを考えることは一つのメディアリテラシー足りえるんじゃないだろうか、という提唱をしたいわけである。

 誰もがおしゃべりな時代だからこそ、自分だけでも、こいつはこれを言う資格があるのか、その言葉には飛びつく価値はあるのか、ということを考える。そうすれば本当に聞くべき言葉が浮き出てくるはずである。

 炎上の自家発電から抜け出すためにはそうしなければならない。もちろん、抗う時もないと、いつのまにかそんな奴らに乗っ取られている、ということもあるので判断が難しいところではあるのだけれども。

 ただ、言う資格に囚われすぎるのも、考えものだと思います。

 僕みたいに、朝井リョウがハライチとうしろシティにしょっぱい喧嘩を仕掛けていると噂で聞いては、放送の該当部分を聞いてみないことには判断が出来ないということで、放送をイライラしながら聞いていたら、実はその前の週の放送で無駄につまらない話を聞いてしまったとか、能町みね子が神田松之丞を褒めているけれども、その文章が僕が嫌いな「今まで聞いていなかったくせに自分に都合のいい時ことだけを聞きはじめたやつ、しかもそのことに保険をかけている(「面白いと噂には聞いていたけど手をつけていなかった」的な、アンテナは張っていたんですよ」というやつ。この文章は総じて言い訳で、ゼロ年代の頭に死滅すべきだった文章のテクニック)」というものだという噂を聞いては、本文を読まなければと図書館にいって週刊文春を探しに言ったら無かったという徒労のせいで、後輩との東京03の単独ライブのライブビューイングの待ち合わせに遅刻しかけたりするので

無力さを知るべきタイミングは、『うしおととら』原理主義者に他の藤田和日郎作品の素晴らしさを伝えることが出来ないときだけで十分。


 まだまだボーっと「KOC(キングオブコント)」のことを考えている。
 コロコロ変わるシステムについて。
 『R1ぐらんぷり』は、始まった時からあまりにも大会としてどうかしている状態であったがゆえにガラパゴス化してしまい、アキラ100%やハリウッドザコシショウ濱田祐太郎など、通常であれば掬いとられることのない才能が花開く場所となった。『M1グランプリ』が、賞レースとして完成されているがゆえに、傾向を見て、対策を講じることが出来る場所であるからこそ、手数と技術に特化した競技となっているという側面がある。
 それらを考えると、『KOC』はシステムがころころと変わるからこそ、エントリーする人たちは面白いコントを作ることしかすることが出来ないために、コントの肝である作家性やアジなどが守られているのではないかという仮説を立ててみたけど、屁理屈ですかね。


 かもめんたる岩崎う大が、こだまの『夫のちんぽがはいらない』を評して、「一生懸命は気高く、でも一生懸命の形は一つではないから我々は今日も生きていけるのではないでしょうか。」とツイートをしていた。
 他者に向けられた批評の言葉というのは、それが良いことにせよ、乱暴なことにせよ、その人自身が何を大切にしているのかということが強く反映されているということは往々にしてよくあることだ。
 この「一生懸命は気高く、でも一生懸命の形は一つではないから我々は今日も生きていけるのではないでしょうか。」という大の言葉はまさに「業の肯定」であり、う大が生み出す作品であるかもめんたるのコント、劇団かもめんたるの芝居、漫画『マイデリケートゾーン』に登場する人物たちを表すものそのものであり、そう思うう大の視線が根底に流れているからこそ、それらはかなり陰湿な世界観でありながらも、一つの感情に収まらない作品となっている。 
 何が言いたいかっていうと、今度の劇団かもめんたるの物販で僕の代わりに、誰かDVDを代わりに買ってきてくれないですか、です。


 『王様はロバ~はったり帝国の逆襲』で、宇宙から大きななまこのような形態の謎の生物が飛来してくるという回がある。この生物は最初は一匹だけで村におりたつが、その翌日には、一気に増殖してしまう。それを見た村人たちは、どう対応するかで揉め始める。とりあえずどうするかを決めるために、多数決を取るのだが、この生き物は侵略者であるという「侵略者党」のほうが多かったという結果になる。すると、友好生物党が「お前ら竹槍で突こうとして光線でも出されたらどうするんだ!」と仕掛けると、「そんなもん出るかーっ!!」「いや・・・出るかも」「出るわけねぇよ」と迷いだす。すかさず友好生物党の一人が「じゃあ出ると思う人と出ないと思う人別れてくださーい」と声をかける。すると、侵略者党は光線出る派と、出ない派に分かれて、友好生物党が一番多いという結果になる。
 侵略者党がぞろぞろと、光線が出る派と出ない派に別れているときに、その策略に気がついた一人が、「バカヤローッ別れるな!!これは友好生物党の罠だーっ!!!」と叫ぶのだが、90年代ギャグ漫画の中でも屈指の名シーンだろう、と思う。叫んでいる顔もそうだが、セリフだけを切り取った時の意味の分からなさ、でも、前後を読むときちんと筋が通っている、言葉としての気持ちよさ。これぞまさに「イリュージョン」である。
 ただし、うかうかとしていられないと思う。
 平穏な状態に波風を起こされて、勝手に二元論の土俵にあげられてしまうことを拒否しなければならない。改憲か護憲かや、サマータイム導入について考えてみましょうだの、スカトられ(スカトロの受動態で、うんこを食べられること)汚れブロガーらを始めとした炎上商法が提示してくるニ択を提示してくるのは、基本的には友好生物党の罠なのである、ということを心にとどめなければならない。
 すいません、田房永子や、普段聞いていない癖にジェンダーに絡んだ発言をしたら「問わず語りの松之丞」に言及した能町みね子みたいな、笑いを自分の思想に都合のいいように利用するという、ギャグに唾をかけるみたいなことをしてしまいました。
お詫びとして最後にダジャレを言います。
 玉城デニーの玉金デケー。
 ブログが削除されたら、公職選挙法で逮捕されたと思ってください。

 

 ラジフェスのための飛行機と宿を予約しました。

 

 

同人誌をBOOTHでの販売始めました。

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質問箱です。質問、コメントから、ブログのお題までご自由にどうぞ。

芽むしり(RN電柱理論)の質問箱です | Peing -質問箱-

一定のダメージを与えると、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叫んで、冷凍チキンを大量に投げてくるタイプのボス

 先日、BOOKOFFと、地方によくある「何でも買い取ります!」という巨大な中古ショップに行ってきたのだけれども、漫画がかなり少なくなっているということに気がついた。
 探していたのは、『キン肉マン』や『ジャングルの王者 ターちゃん』などなのだけれど、少し前なら100円コーナーに当時の単行本がかなり置かれていて、そのあたり

のいわゆる黄金期と称される、90年代のジャンプで人気だった漫画ならすぐに見つかったはずなのだけれど、そのあたりのタイトルが根こそぎ無くなっていた。在庫的には最近のものが多くて、まさに、売れるものしか置いていないというようだった。ある種の文化の保存場所になっているとおもったのだけれども、いつまでもそういうわけにはいかないらしい。
 有名タイトルは、いつでも古本屋で買えると思っていていくつか処分したものもあるのだけれど、売れないからか、場所をとるわりには儲けにつながらないからか、そもそもメルカリなどが発達したからなのかは分からないけれども、その考えが永遠ではないということだ。
 これで漫画喫茶がつぶれたりしたら、昔の漫画を読むための方法がほぼ無くなってしまうということになる。
 祖父が死んで、数年経つ。元教員で、俳句を趣味にしていたりと文化的な人間だったと思う。その割には、叔母が終っているのだけれど。そんな祖父の書斎だった部屋は、今では物置と化している。その奥にある鉄製の本棚には、俳句や教育関係の本が並べられている。その棚と同じものがもう一つあったのだが、それはバラバラになった状態で捨て置かれていたので、少し前に譲り受けた。これがかなりの大容量だし、木製のものとは違って、いくら本を収納しても板が曲がるなどのこともないので、大変気にいっている。そこに、花沢健吾福満しげゆき古谷実作品を並べては悦に入っていた。まさにゼロ年代の残滓と呼ぶべきラインナップである。
なので、未だ現役で祖父の蔵書が並んでいるもう一つの棚も欲しくて、どうやって盗むかなどと考えていたのだけれど、親に聞いたら、普通にもらえたので、先日、自宅へと運んだ。ほこりもかぶって、錆びてもいたので、洗ってから、錆び止めの効用もあるペンキなどを塗ったりして、二日かけて、部屋に設置した。
 あと数年は本の置き場に困らなくてすみそうである。
 

 オチです。
 物置と化している書斎に、僕が生まれたばかりの頃の写真が収められたアルバムがあったので眺めていたら、最後のページに、誰にやってもらったのか姓名判断の結果が書かれていた紙を見つけた。
 そこには、「成功するには、何事であれ適当な妥協であるが偏屈ながら適度にまわりに調和させて自分を生かす。短所、強情な性格のため周囲とのトラブルがたえない点があげられる。」とあり、「尖っているのは『決められたこと』だったのかよ」となってしまいました。

 妥協して生きろよ!そんなんだから、ツイッターでつぶやけなくなってんだよ!

『キングオブコント2018』感想

キングオブコント2018』見ました。以下、感想。細かい点数などのデータなどは他で見てください。

 

■10位 やさしいズ「時限爆弾」


 会社員が、復讐のためにビルの中に爆弾を仕掛けたところに、清掃員が登場するというネタ。どこまでも噛み合わないやりとりが面白かったです。
「話を聞け!」「聞いてるから泣いてるのよ」という流れは、二人の温度差が美しいくらいに表現されていますね。
 タイ演じる清掃員のキャラ設定や、発する言葉のチョイスが、「工業高校卒業のフリーター」の生活圏内をギリギリ越えていないところとかが絶妙でした。「ツンデレ?少女マンガで見た~」というセリフは彼女や姉妹が買った少女マンガを暇つぶしに読んでいるという背景まで想起させてくる。「まじセグウェイ」で一回転するところとかも、キャラの範囲を逸脱せずに、キャラで遊んでいるという感じで凄く良かったです。ちょっと越えたのは、「下北沢いらず」くらいでしょうか。
これはちょっとこのネタとは直接的に関係ない話ですが、ラストの展開で、少し前なら「実は、爆弾を仕掛けていたということを知っていた」というものが来たのかなと思うと、一周してすれ違ったまま終わるというこのネタから、コントのブームの変遷を感じられて良かったです。
 初見の時は緊張からか間とかが上手くいっていないと感じる部分も多かったんですけれど、この文章を書くために何度も見ているのですが、そのたびに味が出てくる良いコントです。

 

■8位 GAG「バイト先の居酒屋」


 高校生が友達を連れて、バイト先の居酒屋に給料を取りに行くという話。
GAGのネタって、じわじわと面白いんですけど、昨年もそうだったんですが、面白い!以外の感想が出てこないですね・・・・・・。
トークのオチでお馴染の「空調の音が聞こえた」が、コントのネタに取り入れられるてたのは笑いました。
 福井の芝居口調、説明口調のツッコミにハマり始めてます。

 

■8位 だーりんず「居酒屋でのお会計」


 悪くないネタだとは思うのですが、ウケもいまいちで全体的にぼやけてしまったような気がします。ハメどころで上手くハマらなかったと言いますか。
 会社の後輩から追加の注文があり、店員が注文を受けに行くところから「残金発表すな!」「楽しまんでええねん」「船盛りキャンペーン産まれとるやないか」の流れはかなり面白いんですが。そこにいたるまでのコントの前半部分をきゅっとして、承にまでの道のりをもっと短くしていたら、このくだりも際立ったんじゃないかなと思います。

 

■7位 マヂカルラブリー「傘」

 「コンビニから出て傘を取ろうとするけど、どの傘が自分の傘なのか分からなくなって迷っているところに、おじさんに絡まれる」という「ここじゃなくない?」という場面でループするというネタ。
 ループモノはともすれば、展開の中でダれてしまったり飽きが来てしまうことがあるので危険な時が多いのだけれど、そんなこともなく走りきったコント。
おじさんもループしているということに気がついたところの、「信じたくなくて逆に強く当たっちゃった」の前後の流れ、最高でした。
 ところで、上沼恵美子ってループものを理解できなそうですね。

 

■6位 ザ・ギース「サイコメトラー
 

 最初にファイナリストであるという情報が漏えいしたザ・ギースが予選の最後の登場。あまりにも計算されつくされたコントですね。明転板付きで、高佐がライターを探しているところからすでに始まっていたということや、サイコメトリーという素材は一緒でも前半と後半でボケの意味合いが変わってくること含めて、完成度だけでいえばキングオブコントの歴史の中でも上位に入れたいところです。
 わざわざ犯人である刑事が、サイコメトラーを呼び出すという理由も自然に回収していましたし、刑事が殺人現場でタバコを吸おうするというよくよく考えれば不自然な場面があるのですが、そこは高校生が来た時にタバコを隠していたりしているというのも芸が細かすぎますね。
でも6位か~。

 

■5位 ロビンフット「結婚の報告」


 38歳の息子が、67歳の父親に結婚を報告するというコント。
年齢は聞いておらず干支しか聞いていないということなので、12を足していけばいいという先回りしてニヤニヤしてしまうところと、それを超えてくる展開もあって、作り自体はオーソドックスなコントだと思うんですけど、シンプルに気持ち良く笑いました。恐らく、ここらでストレート寄りのコントを見たいなという気持ちが生まれていた時にバシッと来たという順番の妙もあったとは思います。
 おぐの悲壮感溢れるルックスながらも人のよさそうな感じが、バツ一の女性校長を初婚の相手にするということと、お父さんの計算の速さに「12を足すだけ」「お父さんの2個上だから」とやたらとリアリティを持たせているところは、よくよく考えると地味に面白いですし、良い調味料になっていますね。
 ちなみに弟の妻がアメリカ人なのですが、このコントでゲラゲラ笑っていたそうです。なんでだよ。

 

■4位 さらば青春の光「予備校」


 今年をラストイヤーと公言しているさらば青春の光

 ネタが始まってから、熱血な人が実は講師ではないという「起」から、「二回目のピラミッドを書く」という「承(つかみ)」までのタイミングも早くて、その後も爆発ポイントもあって、全体的に丁寧に積み重ねていってコントとしてのグルーヴが最高で、今大会で一番笑ったネタです。発想だけじゃなく、動きでも笑わせるというコントで、本当にさらば青春の光の集大成みたいなコントでした。コントの中には、学歴社会の現実や、職業差別など、うっすらと残酷さが漂っていましたが、それを「鼓舞する人」という言葉で、回避させたのはさすがですね。
 例年の五組が決勝に残るパターンであれば、優勝もあったんだろうなあと思いますが、まあ、そこはなー・・・・・・という感じです。それを言えば、5位のロビンフットも二本目でしっかり点を取ってきそうなコントをしそうでしたし、何ともいえないですね。
ラストイヤーと言いつつ、ネタが貯まったらしれっと戻ってきても全然大丈夫ですからね。

 

■3位 チョコレートプラネット「監禁」「意識高い系棟梁」


 一本目は、バナナマン設楽さんの「こういう一つの、要は言ってんのに聞かないっていう。この突き進むネタだったら相当完成、凄いと思います。何だかわかんなくてもずっと笑っちゃう」という評につきると思います。
うっすら知っていたネタだったのですが、笑いました。
 コントを見るときは、リアリティを追求して見てしまうという悪い癖(それはもうバナナマンのコントのせい)があるので、普通だったら、「なんで、話聞かないんだよ!」となるんですが、そんな指摘を力技でねじ伏せて5分を走りきったコントでした。ただ、間が詰め詰めな気がしたので、本当は6~7分で見た方が一番面白いのかもしれません。
 ただ「群馬」と「鈴木たけし」は詰めが甘いな、と思ってちょっと冷めてしまったので、本当にコントにおけるリアリティって奥深すぎます。
二本目のネタの点数の伸びなさは、やっぱり一本目と比べられてしまったということも大きいのかなと思います。
 先日、ジャンプの編集部にカメラをしかけるという番組を見ていて、編集者が「ファンタジーはひとつで良い」という指摘を新人漫画家にしていましたが、この二本目のコントもそんな感じになって笑いどころがぼやけてしまったのかなと思います。
 あと単純に過去にやった、「ポテトチップスの袋を開ける業者」と似ているコントですし、そのときの小道具のほうがインパクトは大きかったですからね。
審査員がワードについていけないという指摘は表層的すぎやしないですかね、とは思います。

 

■2位 わらふぢなるお「バイトの新人のいしわたくん」「超能力者」


 我らがわらふぢなるおが、KOCで準優勝したという事実。興奮してきたね。
一本目は「バイトの新人」。空質問を繰り返すわらふぢの溢れんばかりの「真正」さと、いらつきながらもそれを的確に処理していくなるおのツッコミが堪能できる、わらふぢなるおの真骨頂のネタの一つ。真骨頂っていうか、僕がこのわらふぢなるおのこのタイプのネタが好きすぎるってだけなんですけど。このネタは『マイナビ Laughter Night』で聞いたときも爆笑していたのですが、ラストのオチがラジオでは出来ない怖いやつで、良かったです。
 二本目のネタ、こちらも、チョコプラ同様、期待を越えてこなかったというか、もっと畳みかけるネタを見たかった気持がスかされてしまった気はします。これは単独ライブの中盤あたりにもっと長尺でだらだら見たいタイプのコントな気がしました。
先日、メールの受信箱に、地方会館でやる営業ライブのメールが入っていたのですが、二つの違う場所でのその営業ライブどちらにも、わらふぢなるおが出演することが分かりまして、嬉しかったです。
 わらふぢなるおがバイトをしているのか、お笑いだけで食っていけているのか、それだけが気になっています。

 

■1位 ハナコ「ペット」「海辺での学生カップル」


 飼い主とペットの日常を描いたコント。
 さまぁ~ず大竹が「ほんとの犬だったんじゃないかなっていうくらい」って評したくらいに、誰もボケていない、コントのために動いていないコントだったんですけれど、そんなコントは一つのゴールであり、最強の一本目でした。
 一か所位爆発ポイントがあれば、本当に文句なしだったんですけど、それを作ると、嘘が入ってしまってこの絶妙なバランスが崩れてしまう可能性もあるので、このコントはこれで良いのかな、とも思います。
 これらの理由から、このコントは厳密にいえば、「擬人化」ではないと思います。
 二本目も、海辺でのカップルのいちゃつきというイメージしやすいシチュエーションから、女が全力疾走をして全然捕まらないという承までが早くて、しかもそこからどんどん転回していく。
 全体的にイリュージョンにも寄っている印象を与えるネタで、それが一本目とはガラッと毛色が変わるものだったので、他の二組と比べて、失速した感もなかった。そこも優勝の後押しとなったかなと思います。
 二本に共通しているのは、菊田の使い方が最高で、菊田が必要なところからしかコントに登場しないので、これだけで、余分なくだりが生まれる可能性がぐっと減ってシャープなコントになる。この判断は出来そうでなかなか出来ない。
 早速みんなに名前を覚えられた菊田ですが、そんな「めちゃ楽ポジション」の彼の使い方が絶妙でしたね。それでいて、三人の中で唯一ネタは作っていないらしいのだけれども、テレビにハマっちゃいそうなのが彼というところとかも、良い。ドッキリとか見えるもんな~。
 昔から、トリオでも、完全に二人しか出てこないコントとかやっても良いのになあと思っていたのですが、それに近い、トリオコントでの新しい三人の使い方の形って気はしました。

 

■総評


 全体的な印象として、ほぼ全てのファイナリストのネタが5分という時間を完璧に使っていたなあと思わされたということと、展開に嘘がないということです。逆に言えば、決勝にあがるためには、このネタ時間に合わせた構成力が必須で、面白いネタを作ってそれからブラッシュアップしていくという作業をしていかなければならないんだな、と思わされました。
 設定だけに頼る大喜利的なアプローチのネタに固執すると、それだけで一点突破するのは難しくなるんじゃないかなという気はしました。カットしていく勇気が必要なんだな、と思います。
 「大喜利のお題を二個用意して、前半と後半に分けて使う」「少しでも無駄なところは削っていく」ってところが、今大会のムーブだったっていうところでしょうか。
その位、ハイレベルなことが行われている大会で、そんな中でどのネタがハマったとか、この展開で跳ねたなんて有無は、もう脳でしか意識していないレベルの「この笑いが欲しい」というマスの埋め合いのようなものだったという気がします。それくらい、幅も広かったです。だーりんずも、ロビンフットのネタもわりとオーソドックスなつくりのネタなんですけど、笑いの量の違いは、何かが重なって上回ったとしか説明できない気がしますし。
 ハナコの優勝は、芸歴が短いということが、良い方に働いたんじゃないかなと思います。経験によるこねくり回しなどがない分、純粋さが通ってしまったという、コロチキパターンです。ネタだけでいえば、わらふぢなるおやチョコレートプラネットを始め、下手をすれば、セミファイナリストのほとんどが、ハナコの二本と同等かそれ以上のネタは持っていることは間違いないわけですけど、そこはやっぱり賞レースですから、他のネタとの相性などを乗り越えて、二本目を一本目にやっていたら、決勝戦にあがれたかどうかも分からないわけですから。
 あとは、全体的に優しいコントが多かったですね。これも、例年の炎上枠みたいなのからくる反省のためなのか、それがあるとしたら、それは芸人か審査員どちら側が意識的にやったことなのかどうかは調べることはできませんが、そんな印象も受けました。総じてハートウォーミングでしたね。誰も傷つけないお笑い論なんてありえないと思っているのですが(なぜなら、誰も傷つけないお笑いだけになったら、俺が傷つくから)、お笑いというのは、基本的にはみんなを幸せにするものなので、そこも何も異論はないです。

 あと、例年より番組のテンポが良いような気がしました。視聴率上がっていると良いですね。
 散々批判されていたファイナリストをシークレットにするというのも、意味こそ分かんない(視聴率をあげるためだとしたら、どうつながるのかなど)けれども、そこまで、ライブに行けて、準決勝追うことが出来て、みたいな人たちほどぶちギレている印象ありますが、地方にいて普段からファイナリストを、蓋をあけてみれば、まあ別に先に知っていても知らなくてもどっちでも良かったなとも思いました。
 弊害といえば、空気階段わらふぢなるおのシークレットが似すぎて、ついに空気階段がファイナリストに!!とぬかよろこびしてしまったくらいです。あと、決勝にあがるのが三組っていうのも、ほかの賞レースでは普通なので、別に良いのかなと思います。
 ネタ前の煽りVが結構無臭で、ファイナリストを当日までシークレットにするならば、そこは普段の密着とかそういう映像をもうちょっと多めに見たかったです。借金返済とかみたいなアングルが欲しかったです。それだけが残念でした。本当に、それだけです。いや、まじで。それだけです。それだけですって!
 宇多田ヒカルNintendoDSのCMで「これ面白いよ~、なんだかんだ言って~」と誰も何も言っていないのに言っていましたが、KOCもそんな感じになっていますね。

 

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本当に地元での生活を楽しんでいる人間が「俺は地元の生活を楽しんでいる」という一文を、ブログのオチに使うわけがない。

 夏の密航から帰ってきて、毎日をソビエトにいたころのウォーズマンのように粛々と過ごしている。この夏に変わったことといえば、『キン肉マン』を読み終えたので、この例えが体に入った状態で使えるようになったということぐらいだ。
少し前に、仕事からの帰り道に、高校の頃の同級生を見かけた。同じ部活をしていて、それが少人数だったので、高校生活を一緒に密に過ごした間柄だった。バイクに乗っての帰宅だったので、視界に入ってすぐに通りすぎてしまったので、声をかけることが出来なかった。その同級生とは、県外にいることは知っていたが、13年以上会っていないにもかかわらず、よく気付けたと思う。携帯電話の番号が変わっていなかったからか、LINEに「ともだち」として登録されていたので、確認のために電話をしてみると繋がった。
 そこで、やっぱりそれは当人で、少し前に地元に帰ってきて、美容師をしているという。
 しばらくやりとりをして、髪を切りに来てくれと言われたので、行ってきた。そこで久しぶりに会うということになったので、変な緊張があったが、蓋を開けてみれば、何の問題もなく、散髪してもらっている間ずっととりとめのないことを喋っていた。気心の知れた人に髪を切ってもらうということのメリットは、無用な会話をしなくてもいいということがあるが、何よりも、普段は自意識が邪魔して絶対に言えないような「バナナマンの設楽さんみたいな髪型にしてほしい」という注文が出来たことだ。タブレット端末で、「バナナマン 設楽」で検索して、あらゆる設楽統が出てきたときは、少し感動すら覚えた。
 その時に、飲みに行こうという話を切り出したのだけれど、今はお酒を飲んでいないということで、こちらも、ならファミレスで良いかとなって、時間を合わせて改めて行ってきて、そこでも三時間くらい喋り倒してきた。喋っている内容は、キャッシュレス生活や、車社会にモノ申す、など、普段思っているようなことばっかりだったが、とても楽しかった。
 今考えれば、何であんなに高校時代は部活動というものに入りこめていたのか分からない。最近は、残業が全くないせいか、10分の軽い作業でもいらいらしてしまうというのに、ミルコ・クロコップと呼ばれていた警察官を辞めて教師になったという顧問のもとで、お金にもならないことを二年間以上毎日していたというのは正気の沙汰ではない。まさに、バラクーダのもとで修業をしていたウォーズマンである。

 筋肉に関する研究で、マッスルメモリーというものがある。これは、筋トレなどをして筋肉を増強させる、しばらく筋トレを辞めて、何年か後に再開したら、その時の状態にまで簡単に持っていけるというものである。
 ただ、この時、培われた人間関係というフリが、十数年の時を経て、好きな芸人の髪型に近付けてもらえるというオチになるという一点においても、やっていて良かったんだなという気持ちにはなって、人間性を取り戻している。
 やっていることは、ほぼ、超人オリンピックに参加してキン肉マンたち正義超人と交流を持ち始めたことで感情が芽生え始めたウォーズマンである。

 

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