石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

生涯ベストとなった『ジョジョ・ラビット』レコメンド

 まあそうなるだろうなとは思っていたが、空気階段の単独ライブが延期になったということが正式に発表された。同じく遠征で見に来る予定で会った友人も、行くのが難しくなったということもあって中止でも良いかなと覚悟はしていたのだが、実際そうなると、思いのほか、ダメージを受けてしまい、あ、もう無理だ、と口走ってしまった。
 もう、限界が近い。全員のコンディションが悪くなってきている。
 SNSを手放して粛々と、日々の生活をつつましく過ごすべきであり、例えば、日記を書くとか、ブログを始めるとか、絵を描くとかしないと、自分を保てなくなってくる。なんとか、同人誌の告知であるということを言い訳に毎日ブログを書いているのだが、これはコロナの関係で、ということでは出来なかった。日常とは違うことをしているからということになるからであるのだが、しかし確かに、気の支えとなっている。読んでくれている人は、何も考えなくウケてくれていればそれで幸いです。

 

 

 

 『ジョジョ・ラビット』を少し前に観てきました。見ようと思ったきっかけは『パラサイト 半地下の家族』の感想をサーチしているときに良く見かけたからであり、ヒトラーをイマジナリーフレンドにしている少年が主人公という程度の情報以外は遮断した状態で観てきたのだが、まさか、生涯ベストの映画を更新するとは思わなかったほどに、素晴らしい映画だった。
 登場人物をはじめ、見せ方、描き方、展開の仕方、逆説、笑わせかたなどがとにかく良く、冒頭を始め、変なとこで泣きまくった。映画のいろいろな場面で、これまでぼくが触れてきたカルチャーを想起させ、それは恐らく映画として新しいことはしていないと思うのだが、しかし、思い出す者がどれもぼくにとって重要なマスターピースだからこそ、ぼくという文脈に『ジョジョ・ラビット』はがっちりと噛み合い、そのために、生涯ベストだと思えたのかもしれない。映画を見終わった後は、これを生涯ベストだと思わせてくれるように、ぼくを作ってきてくれた全てのものに感謝を述べたいとさえ思った。鑑賞後しばらくたって改めて考えてみても、ぼくの心の映画ベストテンのうち、5本ほど入っている、タイムリープものをごぼう抜きにして、一位に鎮座している。
 まず、何より、この映画を好きな人のほぼ全員が口をそろえて言うであろう、スカーレット・ヨハンソンの良さだろう。デブの友達のヨーキーも最高なのだが、スカヨハの全てが最高なのである。なんと、ぼくと同い年。
スカヨハは、主人公の少年であるジョジョの母親を演じている。ジョジョヒトラーをイマジナリーフレンドにしていることからもわかるように、ヒトラーの思想に傾倒しているのだが、スカヨハは、それに困りこそすれ、見守るのみとする。現代の価値観から言えば、それが正しくないということを、ジョジョをいくらでも袋叩きに出来るのだが、そうせずに、10歳のこどもに、それは人として間違っているということを優しく諭す、そういう眼差しがこの映画には溢れていた。現代社会ですら、誰かから配給された正しさを武器に、それがまだ手に渡っていない人たちを袋叩きにするのだが、そういったことは、この映画にはしていない。それこそが、啓蒙というものではないのか。
 親子で自転車に乗っているシーンは、まるで友部正人の『愛について』のようであった。この歌がエンディングでもいいくらいだ。
全てのカルチャーと大仰に言わなくても、『ジョーカー』が上映されていた頃、『万引き家族』がセットで語られていたが、そこに特に奇妙な一致がいくつかあった『パラサイト 半地下の家族』も加わったのだが、この四つのゴールがぼくのなかでは『ジョジョ・ラビット』だった。『ジョジョ・ラビット』以外は、ハスって、構造が、格差が、などと講釈を垂れ、よく出来てはいるけどね、という感じを出していたが、『ジョジョ・ラビット』に関してはそんな気持ちを貫かれたのである。
ラストのラストが何より素晴らしかった。あそこからあのフリを、あんなに自然に、フェイントをかけつつオトすなんてと、気付いた瞬間に、ぶわーっと鳥肌が立って、泣き笑いをしていた。
 とても素晴らしい映画でした。