石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

天津木村が沖縄に来た解放感からすごいエロ詩吟を吟じるライブレポ

「天津木村が沖縄に来た解放感からすごいエロ詩吟を吟じるライブ」見てきました。60分という風俗では中間の、ライブにしては短いという時間であったのだけれども、楽しめました。
よしもと沖縄花月は、もともと、三越デパートがあったビルの一階にあり、劇場に入ったのは初めてになる。席のキャパシティーは、だいたい300くらい。パイプ椅子なので、座り心地は普通だった。少なくとも座布団だけの新宿タイニィアリスよりはマシだ。
天津木村がどのくらい解放的だったかというと、漫湖公園漫談から始まって中盤には泡盛を飲んでしまう始末くらい解放区だった。
出演していたのは、天津木村の他に、とろサーモン村田、囲碁将棋根建、ウリズン桜やぁすぅ、ありんくりん比嘉の五人。後半二人は、沖縄NSCの若手。特にウリズン桜は、天津木村に飲みに連れて行ってもらったこともあるとのこと。
このウリズン桜のやぁすぅは、体型は中国カンフー映画に出てきそうな、動きが俊敏なデブで、結わえたちょんまげを解くと、尊師みたいになるという様相でありながら、なかなかどうして女友達が多いとのことで、重宝されているらしいという情報を聞いて、面白くなかったら必要以上に叩いてやろうと決めました。
ありんくりんの比嘉は、琉球王朝時代の海人のような顔と体型で、沖縄方言を自在に操るという、それもう、ひねりとか無いじゃねえじゃねえかという若手。
とろサーモン村田は、エロ詩吟ライブの常連で、囲碁将棋根建は天津木村のガチの詩吟ライブに参加しているけれども、ウリズン桜やぁすぅとありんくりん比嘉と同じくエロ詩吟は初参加とのこと。
初めに、「ゴーヤーで料理を作っていたら、いぼいぼを股間をすっとかすめる」という天津木村曰く置きに行ったご当地エロ詩吟から始まり幾つかの新作を披露する。
その後には、とろサーモン村田らも、天津木村に宿題を出されていたようで、各々のエロ詩吟を披露する。
初めに、サモアの太ったヤクザことウリズン桜のやぁすぅは「口でしてもらってあまりにも上手いから見ようとしたらお腹が邪魔で見えなかった」という、飲み会での悪ふざけと芸の境スレスレのエロ詩吟で特攻をかます。
次いで、ありんくりん比嘉は「アメ女とすると自分のオスプレイで物足りない顔をされる」という、翁長知事も触れられない戦後沖縄の闇の側面を切り取ったエロ詩吟を披露する。
ちなみに「アメ女」とは、アメリカ軍人とばっかり付き合う女のことを指すのだけれど、沖縄の芸人は「アメ女」を大富豪でのジョーカーのように、ここぞという場面で切るワードと思っている節があるのは、悪い癖だと思う。とは言うものの、自分も「高校にアメ女がいて、たまたま風でめくれた見えたパンツのデザインが星条旗で、いや、身も心もやないか!って思った」と一応ひとネタ持っていたりするので強くは出られなかったりする。
そんな二人のエロ詩吟からは、女をカこうという様子もなく、爪痕だけを残そうとするようでもなかったので、好感度は少し上がった。
とろサーモン村田、囲碁将棋根建も負けじと、「河川敷で青カンしてたら、ホームレスによいしょよいしょと言われた話」「TENGAを使っていたら、ズボズボという音が親に聞かれていた」というエロ詩吟を吟じる。
その流れから、天津木村ととろサーモン村田が、このズボズボという音を再現するというくだりがあったのですが、爆笑すると同時に、ほんのうっすら引きました。
その後は、企画のエロ詩吟トーナメントにうつる。
絵本、ファッション雑誌、名言本、日経新聞などからランダムに拾った言葉を組み込んだエロ詩吟をトーナメント戦で争って優勝を決めるというものだったのだけれども、ありんくりん比嘉の持ちネタ「比嘉オネア」で、ライフラインの「50:50」を模した「ハブティーハブティー」を選んだら、ハブが全ての答えを食べてしまうという部分が仕上がりすぎて長すぎたからか、トーナメントではなく、それぞれ一発勝負という駆け足になってしまったのだけれども、それでも笑わせてもらった。
最後に最近やっているという「ないと思います」詩吟を吟じてお開きとなった。
それは「車の中でセックスしていたら〜足や手がハンドルやアクセルにあたって〜目的地につく〜〜!ないと思います!」でした。
ライブを終えて、囲碁将棋根建のいじりを余すことなく快音で返す姿は格好良かったのだけれども、それよりも、とろサーモン村田が面白すぎた。
エロ詩吟というそもそもが軸がぶれているナックルボールみたいなものを立て直したり、さらに揺さぶりをかけて、盛り上げたり支えたりする様は流石だった。
天津木村、ソラシド本坊の横に立って輝くとろサーモン村田こそが真の月見草だと実感した。
初めてのよしもと沖縄花月体験は大満足の結果に終わった。
誰か知っている人に会うのは恥ずかしかったから、開演前は、初めてピンサロに来た人くらい下を向き、終演後は初めて行ったピンサロで好みじゃない人に当たって罪悪感や後悔含めた色々な感情から足早で店を出る人くらいのスピードと自殺志願者が線路に飛び込むスピードの間くらいの速度で帰ろうとしたら、ロビーに、完全な中学生までの同級生で芸人やってる人がいた。
そいつが芸人をやっていることを一方的に知っていたので、おう!と手をあげて声をかけたら、キョトンとされた。
名乗ると、ああ!となって、痩せたなー!と言われた。「最後に会ったのが金髪メッシュで参加していた成人式なので、そりゃ無理もないな」と思いつつ、少し話をした。
何で来たの、天津木村さん好きなの、と驚かれたりもした。まあ、とぼやかした感じの回答になってしまったり相変わらずの会話下手を露呈してしまったのだけれども、その彼は「また来てなー」と言ってくれた。
おう、じゃあなーと手を振ったけれど、心の中では、「またも何もすでに来月だけで、あと四回来る予定あるぞ」と思いながら、ビルを出た。
あと、あんな狭い舞台でポケットミュージカルが出来るのか、というかポケットミュージカルって何だ、とも思った。

又吉直樹著『火花』を読んだ。

東京60WATSが、新しいアルバム『サヨナラトーキョー』をリリースした。2010年に活動休止を宣言したので、5年の期間を空けての活動再開となる。タイトル曲の「さよなら東京」は、東京60WATSらしいメロディにのって、時の流れと、別れと、いつかの再開を歌う。
ホームページに、リリース前日には、フロントマンの大川たけしのコメントがあった。「それからひとまわり年を取って、金もコネも無くなり、締め切りには追われず、感受性は薄れ、生活は生活として成り立たせ、東京に一歩距離を置き、相変わらず斜に構えながらも前を見据えつつ生み出した音楽。」。
活動再開するというのに、「さよなら東京」と言ってしまう、世を拗ねた感じが、東京60WATSの魅力だったと思いだした。
お笑いコンビ・ピースの又吉直樹が書いた『火花』を読んだ。漫才コンビ・スパークスの徳永と、同じく漫才コンビ・あほんだらの神谷の関係を描いている。徳永は地方の祭りの営業で神谷と出会う。あほんだらの漫才を見て、神谷を師匠と仰ぐ。そして、徳永は神谷から、「俺の伝記を書いてほしい」と頼まれる。そこから、二人は、頻繁に連絡を取り、一緒の時間を過ごすようになる。
徳永が神谷と過ごした日々が描かれる中で、作中には東京のいろいろな地名が出てくる。高円寺や渋谷、吉祥寺、特に高校の頃の同級生が住んでいて、何度か旅行の拠点としていた永福町などは、その時の駅の近くや街の空気を思い出して、その記憶をなぞりながら読んだ。
そしてその友人が言うには、永福町にはAVの撮影スタジオがあったらしい。永福町の福はそういうことだったようです。
作中に、鹿谷というピン芸人のエピソードが登場する。スパークスと、あほんだらがそれぞれ観客投票の結果が四位と六位に終わった、ネタライブで、鹿谷は一位をとる。その時の鹿谷のネタは良く出来ていたとか、爆笑をさらったとかそういうものではなく、ネタを書いたフリップをめくろうとすると、糊がつきすぎていて上手くめくれず、それに本当にいらついてしまう鹿谷の事故と人間性がウけたというものだった。
その鹿谷という芸人は、そういう意味で芸人に向いていないが、そのために<大物MCに最高の玩具であることを瞬時に発見され>、テレビの世界へと飛び込み、活躍していく。
 そんな鹿谷は、<その場の全員に馬鹿にされる才能><一時も目を離せない強烈な愛嬌>を持っていると書かれている。
お笑いというのは、不思議なジャンルで、向いていないことも強力な武器となる。的を射ていない0点が、100点になることもあれば、普通のことを言っても100点となるように、全ての点数が100点になることがある。低い点数しか出せなくても、馬鹿にされる才能や強烈な愛嬌で、一気にひっくり返ることが多々ある。
この鹿谷のエピソードは印象深く、少し頁をめくるのを止めてしまった。そして、もしかしたら、才能のあるなしというものの多くは、誇大妄想か被害妄想のどちらかしかでなくて、本当はただ向いている向いていないを見極めるだけで解決する問題なのかもしれない、と思ってしまった。
徳永は、相方の結婚を機にコンビを解消し、芸人を辞めることになる。その結末自体は、現実に多くの芸人の引退や解散を見聞きしていたことなので、ともすれば凡庸で、見慣れたドラマだ。徳永はスパークスとしての最後の漫才を終えたライブのシーンのあとに、こう書かれる。
<必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全くでないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。>
又吉は、漫才師に限らず、芸人というのは職業ではなく、人生への向き合い方だとしている。だからこそ、続けている、辞めた、売れている、売れていない、そして、向いている、向いていないに関わらず、同士とする。そうした考えがあるからこそ、読者は、徳永の長く続けることができなかった、けれども、得難い様な強く輝く瞬間をいくつも、そして確かに経験したであろう漫才師としての人生は幸せだったであろうと思ったし、これからの人生も幸せであるようにと心で祈る。
逆を言えば、乱暴なことに無自覚な観客はそうすることしか出来ない。芸人が職業か生き様かというのは、一瞬でもそこに賭けた人にしか、答えられないし、答えてはいけないはずだ。
お笑いに救われたとかそういった大仰なことじゃなくていい。笑うことで、嫌なことを一瞬でも忘れることが出来たという経験を持った人全ての人に読んでほしい小説だった。

オードリー若林ライブ『LOVEorSICK』

オードリー若林のライブ『LOVEorSICK』を草月ホールで見てきました。ライブをやるやるという話はしていたものの、日程の発表は唐突だった。あまりに急だったので普段なら二の足を踏んでしまっていたのだけれど、その直前に、バナナマン設楽がゲストに出るという情報を得て、衝動的に行くつもりになっていた『名倉の舌』というライブのチケットが取れなかったということもあり、そのやり場を失ったエネルギーに背中を押された形でチケットをゲットした。そのあとに、飛行機とホテルを手配した。そういう話はどうでもいいか。
出演者がSNS等インターネット上でライブの内容をレポートすることはおろか、メモすることも、異常なほどに嫌悪するという話だったので、内容は書けないので、以後は感想のみになります。刺青として残すことは禁止されていないのでそうして、見られなかった人に見せたいなと思ったのですが、いかんせん、すでに背中に大きく美幸と彫っているのでそのスペースがないのでそれもかなわないんです、すいません。牛フンのろしでの対応を検討します。
ラジオでも話していたように、トークライブとは違う形式だった。それが何かとは言えないのだけれど。
またどうでもいい話に戻ると、2010年に下北沢で行われた『正しいスプレー缶のつぶし方』の第一回も見ている。ガス抜きという意味を込められたであろうタイトルを冠したそのトークライブは、それはもう、あ、これはメディアでは言っちゃ駄目だな、という話も聞けたし、たくさん笑ったりと、自分がお笑いが好きだということを許されたような素敵な夜だった。そういえば、あのとき、隣にいた、高校生くらいのさえない感じの男の子がいたのを思い出した。まだ、オードリーのことが好きだといいな。そして、5年後、場所は違えど、その時と同じように、最前列で見た『LOVEorSICK』は、ぎらついた徒手空拳トークではなかったものの、今の若林がどういう状況なのかということの片鱗に触れたり、何を考えたりしているのかについて考えたりして、また、幸せな時間を過ごした。
この五年間で大きく変わったことは、今回がトークライブとはいえない形式で行われたことだろう。この差は、プロレスを観戦することで得たものが上手く働いたのかもしれないし、ただ単に大人になったからかもしれない。
自分も、この5年で色々と変化した。当時は無職だったけれど、今は働いていたりだとか、漫画を読まなくなったり、ラジオは相変わらず聞いていたり、まさか「ピクミン」シリーズにハマったり、10年ぶりにASIAN KUNG-FU GENERATIONを聞きなおして心に刺さってみたり、結婚したり、背中に美幸という入れ墨を入れたりと。これもどうでもいい話か。
立川談志の言葉に「持ったが病(やまい)」というものがある。自身の業の深さを自嘲するするときに使っている。
若林もだいぶ緩和されているけれど、今回のライブでも、まだ完治する気配が感じられなかったので、まだまだ必死に食らいついていきたい芸人だと思いなおした。
ライブが終わった後、自意識過剰なので、普段はアンケートを書かないのだけれど、あてられた熱にうなされながら、本当に愚にもつかないことを書いた。それだけならまだしも、「ラジオにネタメールも送ってみます」って締めたのは今思えば本当に恥ずかしい。

その感想の恥の上塗りのつもりで書いた記事なので、検索して目に届くことを祈っています。あと、若林さん、今度からもうちょっと発表を早めてもらうとありがたいです。

伊集院光深夜の馬鹿力1009回記念SPという祭

2015年2月17日、24日放送分の『伊集院光 深夜の馬鹿力』は、番組通算放送1,000回突破記念「僕の好きな、あなたの好きな番組歴代コーナーベスト18」が放送されていた。2月17日は、1,009回目の放送となる。1,009回、せんきゅう回、センキュー、ありが……。
 伊集院光が『ゼルダの伝説ムジュラの仮面』のソフトの封も開けずに取り組んだというランキングは以下の通り。

18位: UP'S音頭で踊ろうよ
17位:ナイナイアルアルコーナー
16位:性のコーナー
15位:集え、若人!深夜の歌声喫茶
14位:リストカッターケンイチ
伊集院チョイス(1):ドブス頂上決戦
13位:ラジオ青春アニメ劇場 燃えろヒカル製作委員会
12位: 輝け! 紅白電波歌合戦
11位:ちびっこなぞなぞコーナー
10位:天才・伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクト
9位:夏休み特別企画「カブトムシの秘密」
8位:栄冠は君に輝く
7位:あそび
6位:空脳アワー
5位:いつまでもたえることなく友達でいようコーナー
伊集院チョイス(2):デビッド・リンチ占い
伊集院チョイス(3):ドキドキ冒険伊集院島ゲーム
4位:渡辺校長の平成ハレンチ学園
3位:つよいロボ
2位:青春時代クソミュージックボックス

上記のようなランキング結果となった。
2週にわけてきたこの企画も、時間の都合で一位の発表は「1位は皆の心にある」と言い、投げっぱなしジャーマンもいいところで終わってしまったわけだけれども、まさにお祭りで楽しい放送だった。「やっぱり、歌ものは強いな」とか、「これが噂に聞いていたコーナーか」など色々と反芻しながら聞いていた。
やはり、聞き始めた高校生の頃に好きだったコーナーは今好きなコーナーよりも思い入れが違っているし、それらが入っていると感慨深い。あと、好きだった「ドキドキ冒険伊集院島ゲーム」が伊集院チョイスとなっていたのは、普通のランキングで上位に入るより嬉しかった。
何が凄いってまだ、一位になれそうなコーナーがたくさん残っているところだ。
早押しクイズQQQのQのQ、裏伊藤家の食卓、夏のタイムマシーン、だめにんげんだもの・・・・・・など、まさに1位は僕らの心にあるコーナーでいい、それがいいとなる。
また、リスナープレゼントとして、1009回の記念のポストカードがあったのだけれど、その当選者へのサプライズとしてわざわざ600人分のポストカードを持って鹿児島県日置市伊集院町に行って投函して帰ったとも話していた。消印を伊集院にするためにわざわざ鹿児島まで行く。この人は本当に馬鹿だよ。愛してる。
伊集院光深夜の馬鹿力を聞き始めたのが、2000年ごろ、高校を落ちて何もしていない時に、同じくTBSラジオの火曜日でやっていた爆笑問題カーボーイからの流れということになる。今でもラジオを聞いているのはこの二つの番組があったからだろうし、まさか高校生時代よりも多い、週8本も聞いているとは思ってもいなかった。社会人が聞く量じゃねえぞ。
その爆笑問題も来年1000回を迎える。この二つの番組があるからこそ、続けることこそが何よりも強いと信じられる。
そして、自分でも掬うことができなくて散らかっていた思春期の自我に、この二つの番組からは居場所と名前を貰った気がして救われていた。当時はただ、笑ったり考えたりしていただけなのだけれど、今思えばそうなのだろう。そして今の自分の了見の土台となっている。何が出来るわけではないけれど、この二つの番組に恥じないように生きていきたい。


おまけ
SEKAINOOWARIの「DRAGON NIGET」の替え歌が新作も放送されていた。

なとりの焼き鳥缶の蓋で
動脈と妖怪ウォッチとシューシュー切って、血
お尻に山羊ひげが当たっているよ
狛江は急行だから止まらない
(おい!おい!お芋、お芋!)
火事はそれぞれ火元があって、現場検証は仕方ないのかもしれない
美佐代のお店と書かれた赤い錆びついたライターを握りしめている
ポークチョップ、チーズバーガー、ライススティックおいしい
クックパッドに表示してスマホ舐め
おばあちゃん
なんだい
呼んでない
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ。

竹原ピストルのライブに行ってきた話と、お笑い芸人も全国ツアーをやるという概念くんを持つべきだ。

竹原ピストルの『BEST BOUT』ツアーの沖縄講演に行ってきました。
頭から、「オールドルーキー」「LIVE イン 和歌山」「俺のアディダス〜人としての志〜」を連続で、増田俊也著『VTJ前の中井祐樹』の表紙の様な顔で歌い上げる。否が応でも、魂は震える。
「俺のアディダス〜人としての志〜」は、ダウンタウン松本人志へのラブソングだ。竹原ピストルダウンタウン松本の関係は、竹原が野狐禅としてデビューして『HEY!HEY!HEY!』に出演した頃にさかのぼる。明らかに綺麗ではない二人組がダウンタウンにいじられるその姿はまさに異質で、そこで歌ったのが「自殺志願者が
線路に飛び込むスピード」なもんだから、それは一つの事件だった。
その後は、アルバム『BEST BOUT』からの楽曲をメインに二時間歌い上げた。
野狐禅時代の楽曲「カモメ」も聴くことが出来た。
トークでは、「どう見ても10代後半くらいの男に、『どんどんよくなってますよ』と言われた」と言うような話をしていたけど、なかでも「打ち上げでスナックに連れていかれて、やむなく『浅草キッド』を歌ったら、ママに『あんた全然歌わないから下手なんだと思っていたら、まあまあうまいじゃない』」と言われた話は最高だろ。
間を持たせるように、話の合間合間に挟まれるその笑顔は、笑いの神様に愛された芸人達が照れる時にする笑顔と同じキュートさだった。
アンコールでは、観客のリクエストに応えてくれてその『浅草キッド』と、中島みゆきの『ファイト!』を歌ってくれた。
中島みゆきは、中卒だから仕事をもらえないと世を恨んだ女の子に、ファイトと呼びかけた。THE BLUE HEARTS甲本ヒロトは、頑張れって言ってやると歌った。
この二人と同じように竹原ピストルは、頑張れという言葉に説得力を持たせることが出来る男だ。他人が他人へ、頑張れというためには、作品だけじゃなく、生き方も誠実でなければならない。それがあるべき姿でありながら、どれほど難しいことか。
先の二曲をどちらもカバーして、なおかつダウンタウン松本人志をモチーフにした歌を歌って、あざとくならないのは、竹原ピストルくらいなもんだ。
ライブの後もニコニコと物販の場に立ってサインをする姿含めて、格好良すぎた。良いライブだった。
写真撮って貰えば良かったな。


ここからは、バカの一つ覚えのお笑いの話。前々からうっすらと思っていたことで、竹原のライブを見て何で「お笑い芸人が全国ツアーをやらないのか」っていう疑問がより強くなった。
たとえば、竹原だったらギターとハーモニカだけでもいいのだけれども、それよりももっと荷物が多いバンドでも地方に足を運んだりするのは割と当たり前になっている。お笑い芸人であれば、漫才ならマイク一本、コントなら衣装と椅子2脚で最低限のネタは出来る。そして、これらはライブハウスにあるものなので、バンドよりも気楽に全国を回れるというものであるべきなのではないだろうか。
今回、竹原ピストルのライブの会場は、椅子ありで100人以上のキャパなんですが、そこで、一人2500円だとして、満員になると25万円の売り上げになる。後ろを立ち見にすれば、30万となる。
ライブハウスの使用料や移動代金を差し引いても、東京でやる一回のライブより儲けが出るんじゃあないだろうか。
そして、グッズを売ったりしたら、もっと色がつく。ここもそうで、何でお笑い芸人はそういったグッズを作らないのかというのも前から思っていた。
Tシャツなどはもちろん、例えばライブを録音したCDや、DVDを作らないのか。
お笑い芸人にも、そういったインディーズバンドのようなDIY精神があっても良いんじゃないのか。
持ちネタが多くて、2時間以上持たせることが出来るコンビは、それをもってふらっと全国回ればいい。ネタ1時間分で、あと1時間トークでも、地方だと2〜3000円とれるし、出せます。
知名度については読みにくいが、ネタ番組に呼ばれるほどの実力や知名度があれば、100名集めることができるんじゃないのか。
あと、ネタが崇高なものであるっていう概念くんも、もういいなって思っていて、いいネタなら何回も見たいし、落語のようにどれをやりますと先に言っていてもいい。
それは地方に限らず、東京でもそうだ。
要は、ラフな単独みたいな概念くんが登場してもいいんじゃないか。
その点で、渋谷コントセンターの形式はすごくいい。新ネタをおろして当たり前という概念くんは、どこかで止めるべきだ。そこに割いてる労力を、外に向かうためのアイディアに向けても良いのじゃないか。
バンドや落語家のお金の稼ぎ方っていうのを参考にすべきだと思います。「そうじゃねえだろvsガクヅケ」のDVD通販とか面白かったですし、個人的にはそういうのが活発になるべきだと思っています。
地方ライブだけじゃなくて、例えば、noteやYouTubeで動画をネットにあげるという若手も若手の芸人って何組いるだろうか。


そういうことはしていくべきだ、そういう時代だ。

ピクミンとしんぼる

昨年末から、『ピクミン3』というゲームにはまっている。はまっているというレベルではなく、一時は生活が破綻するくらいのめり込んでいた。『ピクミン』というゲームは、音楽がヒットしていたのでその時に概要は認識しているという程度のものだった。その『ピクミン3』のゲームを買ったのは、体験版をインターネット経由でダウンロードしたからで、少しプレイしてみたら、なるほど面白そうだな、と思ったのでソフトを購入したというのが出会いだ。今後も人生の一部になるであろうはずなので、出会いと呼んでも間違っていない。   
そして、そこからゲームを始めるわけだけれど、基本的な操作方法を覚えながら、ストーリーを進めていく。気がつけば始めたその日は6時間くらい経っていた。次の日も同じくらいプレイする。結局、仕事がある日は帰ってきてから四時間ほどやって休みの日はその倍くらい時間を費やすという始末でした。こんなになってしまったのは大学に進学してAVを借りられる環境になった時以来です。大江健三郎風に言えば、ピクミンをむしっては、チャッピーを撃つ毎日だった。
ピクミン3』は、人口爆発や住民たちの計画性のなさから来た食糧難を解決するために、新たな食料を求めて旅に出たコッパイ星人のアルフ・ブリトニー・チャーリーが主人公となる。様々な惑星を調べているうちに、自分達の星でも育成に適した農作物がありそうな星を見つける。PNF-404と名付け、そこに降り立とうとした三人だったが、宇宙船の不具合により、三人それぞれ違った場所に放り出されてしまう。そこでピクミンと接触することになる。そこから、食料集め、合流、そしてコッパイ星への帰還を目指すというゲームだ。もちろん、その他の要素も絡んでくる。
 まさか、ここまで生活を持っていかれるとは思わなかったこのゲームの魅力をどう伝えればいいのかと考えていたのだけれど、「絶妙」という言葉に尽きる。操作性が絶妙、ゲーム性が絶妙、ルールが絶妙、バランスが絶妙、世界観が絶妙、ピクミンの可愛さが絶妙、1回のターンの長さが絶妙という具合だ。特に、このターンの長さが曲者で、ゲームの設定上、日の出から日没までにしか活動ができないため、日が沈んでしまうと、一日が終了ということになるのだが、その時間が、おおよそ30分くらいなのである。だから、時計を見ながらもう一日出来るかなとか思いながらプレイしていると、3時間くらい経っていて、そのころにはストーリー的に止めたくないというところに差し掛かっていたりしてまた、3時間くらいやってしまうという循環になってしまう。それくらい絶妙だ。
ピクミン3』は簡単にいえば、一日の間に、ピクミンを駆使していかにしてその星の原生生物を倒しながら、食料をコッパイ星へ持ち帰るために集めるという内容なのだ。
ピクミン3』は、ステージを進めるごとに新種のピクミンに出会っていく。それぞれのピクミンにはその個体特有の特徴がある。その特徴を使って、新しい場所に行けたりする。そして、上手いのが、一度ボスを倒したエリアに、新しいピクミンを連れていったりすると、その時は取れなかった食料を取れたりするところだ。
この悩まないといけないけれども悩み過ぎない謎と、そこが解けた時の痒いところに手が届いた感の気持ち良さ。繰り返すけれども、謎と答えの距離が本当に絶妙なのだ。
何より、このゲームの中毒性を表すのが、ラストのボスを倒して無事クリアした後、正確にはクリアするちょっと前から、次のもう一週目をやることを考えていて、もっとサクサクと進めて、クリアまでにかかった日数を縮められるぞとか、取りこぼしていた食料を回収できるぞとわくわくしていたことだ。クリアの余韻も束の間、二周に取りかかり、一週目よりもかなり上手くできたことに、最初とは違う喜びがあった。
少しずつピクミンを増やしつつ、敵に立ち向かう。謎を解きながら、いかに要領よく目的を達成するかというこのゲームはまさに仕事だ。その人類が最も忌み嫌っているものと同じだった。仕事はタチが悪いことに、やりがいや達成感というのが存在する。快楽というのは水で薄めた痛みのようなものというマルキド・サドの言葉じゃないけれど、仕事というのは基本的に毒であるはずなのに、一滴の快感の種にもなっている。
 そして、今はミッションモードというミニゲームを繰り返しやっている。このミッションモードは、10分程度の制限時間内にステージに散らばっているお宝を集めるという至極単純なミニゲームなんですけれど、これまたゲーム設定が絶妙すぎて、同じステージをこれまた何十回も繰り返してしまう。そもそも全部集められていない点数でも金メダルの称号を貰えている時点で、ゲームバランス設定の妙が何かもうやべえんだろ。もっと怖いのは、これを何回も繰り返しているので、操作技術も上がっているので、また、ストーリーモードをやって二周目の記録を塗り替えたいという気持ちになっているところです。これじゃあ、一生1にも2にも手を出せない。
 この『ピクミン』シリーズが大好きと公言しているのが、ダウンタウン松本人志だ。『ピクミン』については、かつて放送されていた『放送室』で、『ピクミン2』を始めたという話をしていた。そこでは、ピクミンを一匹も死なせたくないと思ってしまうので、「自分は優しすぎるから向いていない」と言っていた。
ピクミンは、敵に立ち向かって死んでしまうことがある。ピクミンを減らしながらも何とか倒したその敵の死骸をピクミンの巣に持ち帰ることによって新しいピクミンが生れる。結果的にはピクミンの数は増えているのだけれでも、松本はそれでも嫌だというのである。ピクミンは少しプレイするだけで、あの愛くるしい見た目で、一所懸命に動く姿に一気に感情移入してしまうので、この松本の気持ちはよくわかる。
 その後の『人志松本の○○な話』の「好きなものの話」で『ピクミン』について取り上げていた。そのころには大好きになっていたようで、松本は「これがすごくよく出来てるんですよ。言わば会社経営と似ているんですよ。吉本興業の社長みたいなもんなんですよ、プレイヤーが。白ピクミンと紫ピクミンはすごい貴重なので、そんな簡単に生まれてこない。言わばこれさんま、紳助みたいなもんですよ。さんま、紳助を守るために、赤ピクミンカラテカの入江とかくまだまさしみたいなもんがいっぱい死んでいくんですよ」と熱弁する。
 この『ピクミン』の制作を指揮した宮本茂は、『ドンキーコング』『マリオ』『ゼルダの伝説』、これらのシリーズを手掛けた人物であり、その宮本と松本は2011年に放送された『松本人志の大文化祭』で対談をしている。
 松本が「ピクミンは庭で蟻を見ていて思いついたっていうのは本当なんですか」と尋ねると、宮本は「あれは蟻を見ていて思いついたんじゃなくて、創っているものを整理していくうちにこれは蟻として創るのが一番良いって。蟻っていうのは子供の頃の経験なんですね。今でも見ますからね。だからそれは分かりやすく庭の蟻って言うんですけど、別にうちの庭を取材しながらこれを創ろうって思ったわけじゃなくって。たくさんのものが動いているのを遊びにしようとって思っているうちに、大体たくさんのものでね、何か創ろうと思うと、たくさんのものがどこかに攻めていくとか、どこかずっと先の方に遠征していくとか、ステージをクリアするとかってなると、目的が決めにくいですよね。大勢のモノが行くけど、どこ行ったらいいと思う、って誰かに聞いてもなかなか的確な答えって出てこないですよね。それで蟻を見ていると、家に帰ってくるんですよ。ゴールは家ですよね。これ、遊びの創り方として分かりやすいじゃないですか。そしたらゴールにするんなら自分が連れていくより、勝手に帰ってくるのを見た方がいいなあって。蟻にはその仲間を追いかける習性があって、この仕組みでたくさんのモノが動いているゲームをまとめられへんかなと思った時点でモノが動いているゲームをまとめられへんかなと思った時点で仕上がりなんですけども、けど説明するのに難しいから、『実は家の蟻がいてな』と答えている」と話していた。
「素晴らしい人生を教えてくれるゲームですよね」と松本が『ピクミン』を絶賛すると、
宮本は「ピクミンっていうのは自分の社会的なモラルの度合っていうのを図られますよね。ずるいところってあるじゃないですか、偽善とか。みんなどっかにあると思うんですよ。どっかで線を引いている。自然に生きている人っていない。本当の善意で生きている人っていないんで。それを図られてしまうんで作る方はもっと痛いんですよ。」と説明する。
 松本人志監督作品の二作目にあたる『しんぼる』はカラフルなパジャマを着た男が目を覚ますと、まっ白い部屋にいることに気付く。その部屋には、幼児のペニスを模したスイッチがあり、それを押すと、箸や花瓶を始めとしたいろいろなものがランダムで部屋の中に出現する。
それらの関連性のないものを組み合わせて男は部屋を脱出しようとする。それとは別に、メキシコの一人の覆面レスラーの一日、試合に向かうまでのドラマが並行して進んでいくというのが概要の映画である。先日、数年ぶりに見直してみた。当時は、うーむ、という程度の感想だったのだけれども、一度見ている分、フラットな感情で見ることができたということもあるのだろうけれども、それにしても面白かった。そして改めて、これは松本人志版の『ピクミン』だといえる。
『東京ポッド許可局』の「しんぼる論」ではプチ鹿島が、松本がゲーム好きだということに触れ、「ゲーム好きの人の発想なのかな、色んなアイテムが出てきて脱出につなげて色々組み合わせて、この部屋から出るっていう。たまたま任天堂に働いている友達がいるんですよ。その人、お笑いも好きだから聞いてみたわけ。密室のシーンってあれ、ゲーム好きの発想だと思うんですよって言ったら、そうなんですよ、あのシーンは私たちから見てもすごく心地よかったんですよ。」という話をしていた。これまでのことからも『ピクミン』を始めとした宮本茂のゲームの影響下にあること、映画の前半部分はそれらが持つ謎解きからカタルシスを目指していたことまで予想出来る。
そこから派生した後半は、『ピクミン』を離れて、松本の発想の濃度が濃くなってはいくが、ここでも、見せ方の粗さが目立って、ここから映像表現としての弱さがあらわになっていく。色々と理由はあると思うけれど、これは、松本ら制作陣の迷いであり、一番は、想定している観客が分らないということだ。それが大衆なのか、お笑い好きなのか、それともずっとダウンタウンが好きだった人なのかを決めかねているために、どこか吹っ切れられていない部分がある。そしてそれが「逃げ」という致命的な評価につながっている。それでも、どの映画のなかでも、映画の真骨頂といえるような画を作っていることは確かだ。『大日本人』で、大佐藤が原付で坂道を登っている画は、まさにその10年で見たどの映画で一番凄味があった。それは揺るぎない事実のはずだ。その貯金は『R100』で使い切ってしまったわけだけれど。
 是非、これらを踏まえてもういちど『しんぼる』を見てみてはいかがだろうか。

TVウォッチャー福永の誕生「時間がある人しか出れないTV」

ナインティナインの岡村が出演しているTBSの深夜番組『時間がある人しか出れないTV』は時間がある人が、時間がかかることに挑戦するという番組だ。
この日の企画は「真のワイプの女王決定戦」というものだった。ワイプとは、バラエティ番組などでVTRが流れている時に、画面の隅に小さくあるスタジオ部分の出演者の顔を映している小さな枠組みのことであり、そのワイプに顔が映った状態でコメントが放送された回数を数えるという調査方法だ。2015年1月1月5日から18日までの12時から13時までの昼帯、19時から番組終了までの夜帯&深夜帯の民放五局で放送された全188番組が調査対象となる。
 ここで、企画にまつわるゲストとして矢口真理が登場する。「どうですか、最近は」と岡村に聞かれた矢口は、「時間ありますよ。このお話いただいた時に、VTRで調べる要員だと思っていたんですよ」と薄くひと笑いを頂く。事故を起こす前、矢口がワイプの女王だという話になると、矢口は「有吉さんにあだ名で、ワイプモンスターって言われたんですよ。そこから、ワイプっていう仕事がちゃんとあるだって思った時に、もっと気合い入れて頑張ろうって思った。絶対集中を切らさないぞ。」と語る。矢口がこの話をしているのは何回も聞いているが、矢口が元アイドルで、『MUSIC STATION』を始めとした音楽番組が出自ということを考えると、いかにセールスランキングや懐メロ音楽特集VTRなどで、大げさに口ずさむなどしてワイプで目立つかということを叩きこまれ、身につけていったということは容易に想像できるので、このエピソードは審議対象だ。有吉という名前を出して、その行為に箔をつけているという気がしてならない。そんな誤魔化しは冷めるだけで、走馬灯をワイプ越しで見ていきますくらいの気概を欲しているのよ、こっちは。
 集計を担当するのは、人力舎所属の若手芸人、フルパワーズの二人だ。フルパワーズの二人は、同番組での「年末年始最もウケた人を調べよう」という企画で初登場しほぼ監禁状態の中、仕事をやりきった。その後のスタジオでの結果発表の後に、フルパワーズはどっきりの形ですぐに今回の企画のために、またすぐ監禁されたわけだがこれが大正解だった。このどっきりに対して、福永の「友達といっぱい遊ぶはずだったのに」でウケていたが、それ以外にも大内の「関ジャニ∞のえげつないほどのチームワーク。太刀打ちできないって思いました。全員ボケれて全員ツッコめる。特殊訓練受けているんじゃないか」や、福永の『爆笑ヒットパレード』での岡村の2笑いに対して、岡村が異議を唱えるも「まごうことなき2笑い」「楽しそうにはやっていたが、基準には満たしていなかった」と切り捨てる。他には「年末年始の疲れからか、口にヘルペス出来ている人結構いるんですよ。それをいじると何故か異様にウケるんですよ。それをいじると国民のツボか?ってくらいウケるんですよ。」「みんなヘルペスって言いたいし聞きたいし」という、笑いの教科書の脚注にしか加えられないような手法も見つけていたりと、なかなかの仕事をしていた。これらの企画を抜きにしても、大内喬史、福永雄一というフルネームからするライター臭がすごい。
番組で、大内は「太った関西人」、福永は「気持ち悪い顔」と紹介されているように、このフルパワーズの二人、くりぃむしちゅーがまだ改名する前、コンビ名が海砂利水魚だった頃、伊集院光が二人を「人を一人殺してそうな方と、人を二人殺してそうな方」と言っていた以来の犯罪者顔なのだけれど、その二人が監禁されてTVを見続けさせられるという画面にぴったりとハマっている。特に福永はシャープな顔をしているため、耳にイヤホンをさし、TV画面を凝視するさまは、さながら『時計じかけのオレンジ』でのルドヴィコ療法を受けているアレックスだ。
 ビジュアルだけじゃなく、福永はTVウォッチャーとしての才能も開花し始める。最近、バラエティによく出ている小島瑠璃子に対して、「小島瑠璃子さんって第二の矢口真理さんって言われていて、結構伸びると思っていたんですけど、今のところゼロなんですよ。出てはいるんですけど、小島瑠璃子さんって表情が凄い豊かでコメントはあまりしない。感動のVTRで泣いていたりとか、表情のグラディエーションが凄くて見あきないリアクションはしていた。」と話す。
 調査三日目、TVウォッチャーの福永はその小島瑠璃子が別の番組では多彩なワードで12ワイプポイントを獲得したことについて、「番組によって使い分けているというか、衝撃映像系の番組は演者が多いので、コメントしても目立たないので顔で顔でっていう感じなんですけど、ここは人数が少なかったのでワードワードで一気に稼いでいますね」と評していた。小島瑠璃子がどこまで考えているのかはわからないが、芯を喰った視点だ。アルコ&ピースの酒井にLINEのアカウントを聞かれた時に即座に「え〜、わかんないんです〜」と答えるくらいクレバーな小島のことなので、そこまで考えている線が濃厚だ。
 そんなこんなの調査の結果、ランキングが完成した。
 10位から4位までは、いとうあさこ鈴木奈々ハリセンボン近藤春菜、YOU、大久保佳代子、SHELLY、大島優子となっている。
もう一人、小島瑠璃子と並んでスタジオでも本命となっていた、鈴木奈々ハリセンボン近藤春菜と並んだ8位タイとそこまで伸びなかった。鈴木奈々は「本当に普通の今年基本言わない。すごいすごい、嬉しい嬉しいと繰り返す系」「ただ動きが凄いんです。途中からガッと立ち上がってワイプから完全顔切れている」というスタイルであることを発見する。ハリセンボン近藤は、他のランクインされている女性タレントと比べて、「笑いを取りに行くワイプ」「マンリキでボケてくる」「8位という位置ではあるが、一個一個のウェイトがでかい」と毛色が違うと指摘する。
 番外編として、峰竜太のワイプについて、「ワイプで老人褒めまくり」事件が紹介されていた。福永が気付いたのは、その名の通り、峰竜太がワイプで老人を凄く褒めるというもので「『アド街ック天国』の街角オシャレコレクションみたいので、最初パッパッパッて女の子がいっぱい出るじゃないですか。最初若い子ばっかだと、峰さんが、なんか若い子ばっかだなって調子だけど、途中からご老人に切り替わったら瞬間に、来たよ、来た来た来た、カワイイー!ってめっちゃテンション上げ始めてた」という瞬間を話す。それに対しての「峰竜太さんの生き方が垣間見えた」「本当に奇麗だと思っている感じはしなかったですね。褒めているとき目が死んでいたんで。」という福永のワードもなかなかどうして切れ味がいい。
 そして、三位から二位は、指原莉乃、おのののかで、一位であり真のワイプ女王はベッキーという調査結果となった。結局ベッキーが一位という、身も蓋もない感じにがっかりしてしまったわけだが、それ以外はまさに現在のバラエティを切り取ったような鯖よりも足が早そうな、だからこそ素晴らしいランキングだった。ちなみにおのののかは、年越し番組で「顔が綺麗な金玉に似ていると言われた」と言っていたがそれは残念ながらウケてはいなかった。あと、岡村の「テレビに魂売った人じゃないと出来ない」というワイプ仕事へのコメントについての言葉も残しておきたい。
 バラエティに出ている女性タレントといえば、「頭がいいと言われる問題」というのがある。その裏に、「バラエティに出ている女性タレント頭いいと評することによって、自分の審美眼褒めてほしいだけ説」や「反学歴のための錦の御旗になっている説」もあるにはあるが、それは文科系男子大学お笑い学部ラテ学科の卒業論文の機会に譲るとして、このワイプ仕事もまたそれを測る材料となると思うが、この中で一番頭がいいのは誰だろうか。
 個人的には、バイきんぐ小峠と付き合うために、バカのフリをしながらも、きちんと外堀を埋めていっている坂口杏里推していきたい。座付きの構成作家ではなく、軍師がついているとしか思えない。本気で好きだとしても、ママタレントを目指すためだとしても、何故小峠なのかというところが、限りなく心をざわつかせてしまう。本当は頭がいいのか、ただただ、優秀な軍師がついているだけなのか見極める能力がないことが悔しい。