石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

オードリー若林ライブ『LOVEorSICK』

オードリー若林のライブ『LOVEorSICK』を草月ホールで見てきました。ライブをやるやるという話はしていたものの、日程の発表は唐突だった。あまりに急だったので普段なら二の足を踏んでしまっていたのだけれど、その直前に、バナナマン設楽がゲストに出るという情報を得て、衝動的に行くつもりになっていた『名倉の舌』というライブのチケットが取れなかったということもあり、そのやり場を失ったエネルギーに背中を押された形でチケットをゲットした。そのあとに、飛行機とホテルを手配した。そういう話はどうでもいいか。
出演者がSNS等インターネット上でライブの内容をレポートすることはおろか、メモすることも、異常なほどに嫌悪するという話だったので、内容は書けないので、以後は感想のみになります。刺青として残すことは禁止されていないのでそうして、見られなかった人に見せたいなと思ったのですが、いかんせん、すでに背中に大きく美幸と彫っているのでそのスペースがないのでそれもかなわないんです、すいません。牛フンのろしでの対応を検討します。
ラジオでも話していたように、トークライブとは違う形式だった。それが何かとは言えないのだけれど。
またどうでもいい話に戻ると、2010年に下北沢で行われた『正しいスプレー缶のつぶし方』の第一回も見ている。ガス抜きという意味を込められたであろうタイトルを冠したそのトークライブは、それはもう、あ、これはメディアでは言っちゃ駄目だな、という話も聞けたし、たくさん笑ったりと、自分がお笑いが好きだということを許されたような素敵な夜だった。そういえば、あのとき、隣にいた、高校生くらいのさえない感じの男の子がいたのを思い出した。まだ、オードリーのことが好きだといいな。そして、5年後、場所は違えど、その時と同じように、最前列で見た『LOVEorSICK』は、ぎらついた徒手空拳トークではなかったものの、今の若林がどういう状況なのかということの片鱗に触れたり、何を考えたりしているのかについて考えたりして、また、幸せな時間を過ごした。
この五年間で大きく変わったことは、今回がトークライブとはいえない形式で行われたことだろう。この差は、プロレスを観戦することで得たものが上手く働いたのかもしれないし、ただ単に大人になったからかもしれない。
自分も、この5年で色々と変化した。当時は無職だったけれど、今は働いていたりだとか、漫画を読まなくなったり、ラジオは相変わらず聞いていたり、まさか「ピクミン」シリーズにハマったり、10年ぶりにASIAN KUNG-FU GENERATIONを聞きなおして心に刺さってみたり、結婚したり、背中に美幸という入れ墨を入れたりと。これもどうでもいい話か。
立川談志の言葉に「持ったが病(やまい)」というものがある。自身の業の深さを自嘲するするときに使っている。
若林もだいぶ緩和されているけれど、今回のライブでも、まだ完治する気配が感じられなかったので、まだまだ必死に食らいついていきたい芸人だと思いなおした。
ライブが終わった後、自意識過剰なので、普段はアンケートを書かないのだけれど、あてられた熱にうなされながら、本当に愚にもつかないことを書いた。それだけならまだしも、「ラジオにネタメールも送ってみます」って締めたのは今思えば本当に恥ずかしい。

その感想の恥の上塗りのつもりで書いた記事なので、検索して目に届くことを祈っています。あと、若林さん、今度からもうちょっと発表を早めてもらうとありがたいです。