石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

キングオブコント2019感想

台風で停電になってしまって、どうしたものかと思っていたのですが、実家で見てきました。父親はことあるごとに「好きずきだな」と言っていて、そらせやろとなりました。
キングオブコント2019』の感想と総評です。


うるとらブギーズ「催眠」
台風で停電になってしまって、実家に帰って親と見るという最悪な環境もあったと思うのですが、コントの初動で乗りきれなかったということもあり、実はそんなに高得点にピンとこないネタでした。最初、マイクトラブルかと思わせるハテナマークを観客に浮かべさせつつの、樫本の「喋っている人と一緒に喋ってしまう」というネタばらしが出てくるのだけれど、それが超能力なのか何なのかがひっかかってしまって、そこにもいまいち乗りきれなかった。もし超能力だとしたら、一回多く言うっていうことの整合性が取れないので、やっぱり何でそういう人なのかが分からないのが気になってしまった。数回見て良く感じてきたんですがやっぱりそれは拭いきれなかった。
ただ、「樫本」というチョイスされた苗字の絶妙さ、「樫本」を演じる八木の表情の演じ分け方など、絶妙に上手い。コントにおける役名ってあんまり意味がないような気もするんですけど、だからこそ、それがビタっとハマるとめちゃくちゃ気持ちいいんだと思いました。
好きなくだりは「樫本さんで遊ぶのやめてくださーい」

ネルソンズ「野球部」
きちんと笑いをとりたいところで取っていたという印象で、伝わりやすいところから変化球のようなボケまで散りばめられて積み重ねてはいるし、和田まんじゅうは面白いんだけど、やはりハナコと比べて和田ひとりの仕事が多すぎて、ユニゾンしている感じが弱いからか、いまいち爆発しきれませんでした。 
親友を売るのが「部室掃除させるぞ」「グランド整備させるぞ」という軽いものであるというのが面白い。ところも好きです。
好きなくだりは、「ちなみに俺は許してもらえたから」と、和田がキャパオーバーになって「ほんとはバスケがしたいんです」。

空気階段「タクシー」
もう、空気階段へは冷静な判断が不可能なので、決勝が決まった瞬間にもぐらとかたまりがお互いの体を叩きあうという映像を見ることが出来ただけで、感動してしまっていた。
噂には聞いていた「タクシー」のネタは、やっぱり面白くて、空気階段だった。
前半でコント的なことをして、点数を稼ぎ、中盤で本当にやりたいことのフリ、後半に展開させるという構成で、よくよく考えれば前半はそんなにいらないし、もぐらもキャラを作らずにただ変な人ってだけのほうがいいのだけれども、これがないと決勝にいけなかったと思うともどかしくもあるのだけれども、「3人いる」という怖がらせオチでもいいのに、さらにもうひと展開を加えて、「これからもコントは続く」という感じのものでとても良い。
写真を貰うさいに、一旦駄目だったけれど、日付をまたいでいたから、写真をもらえたというくだりも、いったんそこをかますところなんて好きなんですけど、評価が分かれるところなんかなーと思います。
とはいえ、点数は伸びず、そんな点数を見た後のかたまりの表情が切なくて、そんな顔すんなよかたまり~と思っていたのですが、決勝後はそんなに落ち込んでいないみたいでほんとうに良かったです。
かたまり、「お笑いのある世界に産まれてよかったです」って俺もそう思うよ。
好きなくだりは「トランペットトランペットへちまへちまへちま」。

ビスケットブラザーズ「知らない街にて」
「ずっと上ばかり見て歩いていたら全く知らない街についてしまった」男と、「ずっと下ばかり見て歩いていたら全く知らない街についてしまった」女が出会うという、意味不明系のボケが流れるように続いたと思うと、そこから、一気にその理由が解明される。それが『君の名は』を思わせるとても悲しいものであるという面白さ。そこから、昔よくあった小劇団テイストのネタの進化版というようなパートに入るという三段階の面白さがある。一人が男ではなく、女だと分かった瞬間から、きちんと女に見えるのが不思議。
オチも綺麗ですし、その前の「前を向いて歩かないと」というのも冒頭にかかっていて素敵。
好きなくだりは「あほかおまえ、当たり前や!」と、「サン」「デー」「マン」「デー」「チューズ」「デイ」「ウェンズ」「デイ」「サーズ」「デイ」「フライ」「デイ」「サタ」「デイ」

ジャルジャル「野球部」
一定の距離があると喋っている言葉が周波数の関係で、日本語から英語に聞こえてしまうというネタ。設楽さんも「思いついて作ってみても意外とちいさくまとまってしまう感じになりそうだけれど、ジャルジャルのテクニックで成立させている」と言っていたように、様々な角度のボケが詰め込まれていてとても満足感のあるコント。
途中、後藤が、逆に英語で話したら遠くでは日本語に聞こえるという逆転現象が起きるんじゃないかと提案し、その通り、日本語に聞こえるんだけど、それはむちゃくちゃな日本語だったという時の、全くリアリティの無い設定なのにそりゃそうなるよな感は凄かった。好きなくだりは「ワサビがツーン」と「ふざけてるよな」

・どぶろっく「農夫と神」
どぶろっくだから下ネタが来るんだろうとは思っていたけれど、まさにそれを上回るものが来ました。そら笑うて。
好きなくだりは「ついでに大きなイチモツをください」

かが屋「喫茶店
少し暗めの照明、真っ赤な花束を持って茫然とした顔で席に座っている客の男(賀屋)とそれを気まずそうな顔で見つめている店員(加賀)という一枚の画で、コントが始まった!と興奮した。そして「蛍の光」が流れる。そこで一瞬にして、プロポーズが失敗したということを理解させられる。ここまで一言のセリフもなし。そして、そこから回想シーンに入り、客が来店した時間まで遡り、何故、店員すらも気まずくなっているのかという今こういう状況が生まれているのかと言うことが判明する。
もちろん、「ごめんね」と彼女の言葉をサウンドで使うことなく、想像させるところとかのかが屋の手練手管は綺麗としか言いようがなく、オチまで含めて、誰ひとり悪くない、かが屋らしい良いコントでした。
店員がなぜ、あそこまで一人の客に肩入れをしてしまったのかと考えると、あのマスターはきっと、やっと開くことが出来た自分の喫茶店で一組のカップルが結婚しようとしているというドラマが起きようとしているということに舞い上がってしまったんだなと思うんですよね、で、嬉しくなっちゃって善意からケーキをあげたり応援したり、帰るのを止めようとしたりしたけれど、結局閉店まで女性は来なかったので責任を感じているとか、想像が膨らむ余地もある。
このコントで、時系列シャッフルという物語をつくるうえでのテクニックがあるということを知った若い子がいたとして、同じく、僕たちが『木更津キャッツアイ』を、『レザボアドッグス』を、『ドラえもんがいっぱい』を初めて見た時のように混乱しながらも眠れなくなるくらい興奮しているということを考えると、かが屋の未来だけでなく、もっと先の創作物のタネが巻かれたと考えるととても嬉しい。
かが屋のコントはデザインされ尽くされているものだと思っていて、そういえば、デザインって省略することだって何かで見たようなと検索していたら、MAZDAのサイトに<日本の美意識とは、これ見よがしに主張するものではなく、繊細なバランスの上に成り立っているものです。そのため、次世代デザインでは「引き算の美学」、すなわち引くこと、省略することによって生まれる「余白の豊潤」を大切にし、要素を削ぎ落としたシンプルなフォルム、そして研ぎ澄まされた繊細な光の表現でクルマに命を吹き込むことに挑戦していきます。>という文言を見つけ、これまさに、かが屋じゃん!となりました。
好きなくだりは、「賀屋が持っていた花束の絶妙なサイズ」

・GAG「彼女とその相方」
お笑いの養成所に通っている彼女(宮戸)が、その相方(坂本)と、彼氏(福井)の家に挨拶に行く。最高でした。「誰も傷つけない笑い」ということがテーマの一つにもなっているようなこのご時世に、そんなことを無視するかのように、女性をブスいじりする、わざとクオリティ低いネタを作って、それを彼氏に直接見せるというネタで、それに対して完全に彼氏が拒否することで、ブスでもないのに、ブスだと言わざるを得ないというお笑いのある種の異常性が描かれている、お笑いが好きなら誰にでも刺さるような展開もあった。かつ、坂本が元力士で、体重が150キロから45キロになっているという異色の経歴をもっているのにそれを売り出さないという
坂本が、やや大きめのジャージを着ていること、髪が長いことの理由にもなっているところとか芸が細かい。

好きなくだりは「全部このパターンなのかー」「いかついオウム返しやな」「お笑いって異常な世界やな」

ゾフィー「不倫謝罪会見」
一番笑ったコントです。不倫謝罪会見で、謝罪していた人が本音を言って暴れだすという設定までは思い付きそうなものではあるのだけれど、そこに謝罪をする人が腹話術師とすることで一気に、コントとしての広がりが出てくる。
腹話術師の不倫謝罪会見という設定でも素晴らしいのに、それに甘んじず、最大限に活かせるように、お笑いについて全盛期の古谷実漫画のようなカット割り、何より上田の顔が面白すぎる。ゾフィーのコントのいいところは、練られた台本だけじゃなくて、上田の表情や動きというムーブの笑いもピカイチな、そして今年は底に加えてカメラワークも活用して完璧な五分間だったと思います。だからこそ、腹話術という明らかに、ふくちゃん(人形)が話していることが、感動的になる。
かつ、時事漫才ならぬ時事コントとして見ることが出来て、やっぱりこういうトゲのあるコントがしれっとファイナリストに入っているということはとても良いことです。
何より、腹話術師という、たまにある「誰が誰と不倫したんだよ」という 明らかにテレビ的に売れていないであろう人まで不倫会見という処刑の場が用意されているということまで背景を考えると、あまりにも風刺がどぎつくて素晴らしい。
好きなくだりは「座れ座れ座れ。興奮して立っちゃう奴は馬鹿だ」

わらふぢなるおバンジージャンプ
面白いコントなんですけど、やっぱりわらふぢなるおが好きすぎて、見ている側としてのハードルを高くしてしまったというのはあります。
藤原の狂気が、もう自分の生き死にに向いているという意味では今までで一番クレイジーなんですけど。
何より、ネタ後のパートで、ちょっと感動したのがあんなに尖っていた藤原が、丸くなって、なるおの「やっちゃった!」をフォローしていたことでした。
好きなくだりは「投げて投げて投げて!」

ここから決勝戦です。

うるとらブギーズ「サッカーの実況」
サッカーの試合の解説中に、おしゃべりをしてしまって大事なところを見逃すというシンプルなコントなんですが、サッカーの試合の長さ分見てもいい、良い意味で5分という尺ではないという上質なコントでした。このおしゃべりも、「外国人の日本代表監督がうなぎを好きな話」「雨の日に乳首が透けていた話」「相手チームの選手の頭文字を上から読んだらオハヨウになる」といったものでとても良い。
こういった、会話として意味のない、当人たちしか面白がっていない話をつくるということは、タランティーノしかり、バナナマンしかり、実はとてもセンスがいるものなのだけれど、上手ければ上手いほど自然にその話が成立しているということになってしまうので、その技術の高さがわからなくなるという矛盾がある。しかも、そこに、二人が本当に楽しそうにきゃっきゃとやっているということを見せる演技力も必要なので、なまなかのスキルでは表現できない。
外国人の日本代表監督がうなぎを好きで、一日二回同じ店に連れていかれたんだけど、好きな食べ物を聞かれたらパスタと答えたって話、まじでどうでも良すぎて最高。
加えて、解説席という、演者のムーブとしての動きが制限される設定のなかでも、サッカーの試合を想像させたりすることで、それをカバーさせ、コントとして動きが少ないと感じさせないことで、飽きさせないようなつくりになっている。
また、サッカー選手の名前もまた、「与野」「加藤」「神林」といういかにも日本代表のサッカー選手にいそうな名前になっていて、細部への妥協の無さがうかがえる両方とも、八木が表情が切り替わる瞬間があるのですが、それが抜群に上手い。
うるとらブギーズのコントは、上手すぎれば上手すぎるほど自然すぎて褒められないというハリネズミのジレンマみたいなところはあるものの、準優勝も納得でした。
好きなくだりは「ゴール」「ゴール」「嘘でーす」

ジャルジャル「空き巣」
 後藤が空き巣に入ったら、家主の福徳とはち合わせてしまったというコント。最初は知り合いと称してやり過ごそうとする後藤はしばらく偶然が重なる形で、誤魔化せそうになるも、どんどんそれがずれていき、最後には・・・・・・という。
怪我をしてしまったので急遽二本とも変更されたネタということで、どんなネタで勝負しようとしていたのか、とても気になります。
好きなくだりは「オチ」

 

※追記

やはり、ギリありえる偶然(江口先生の名前を当てる)から、絶対にありえない偶然(ギャグを当てる)へのグラデーションはジャルジャル すぎるので、普通のオチにしてしまうと、手癖で作ったネタになってしまう。だからこそ、あんなオチに着地したのかな。

 

・どぶろっく「きこりと神様」
そらもう優勝ですわ。
好きなくだりは「見積もり」

・総評
面白さやコントの未来という意味において、これまでの大会に引けを取らないのですが、あまりにも、多層的な構造のコントが全くもって通じなくなってきているというのを感じました。一般的には難しすぎるのかなあと思いつつも、一本調子ではないそういうコントじゃないと決勝まで行けないのに、決勝で点数が伸び悩むという捻じれ現象が生じていて、もっとその作家性を評価してほしいというのは正直言ってあります。これは審査員のお笑い感が何周もしていて結局シンプルで強い笑いに点が集まりやすくなっているということなどもあるのでしょうが、やっぱりコントというのは、笑いだけではないですし、何よりそれは審査員の全員から教えられたことであるはずなのに、そこが通らないのはつらい。爆発力にかけるのも、そこが気になってそのモヤモヤを引きずってしまっていることも無関係じゃないんじゃないでしょうか。
なにより、今回目立った、総合点数のかぶりが、もう五人制の審査員の限界を迎えている気がしました。そこを救い、掬うためにも、最低でも歴代の王者から二人くらいは出すべきだと思っています。
そうじゃないと、やっぱり準決勝を見て終わってもいいかな、となってしまう。

そういえば、バイきんぐ西村は一言もしゃべってなかったですね。

ペポカボチャの呪い。あるいは、なぜ「secretive person」が名作なのか。もっと言えば、かが屋論になりうるそんな文章。

 大学生になって初めて一人暮らしを始めることとなり、一枚のDVDをレンタルした。それはBS日テレで放送されていた『epoch TV square』というおぎやはぎバナナマンが出演しているシチュエーションコメディだった。その面白さ、と面白いだけでは説明できない感情に心を動かされ、その出演者であるバナナマンの2002年の夏に行われた単独ライブを収録した『pepokabocha』もレンタルしてきた。
 もう、とにかく一本目のコント「pumpkin」からぐいっと引き込まれた。
 照明が暗めの舞台の中央には、台の上に置かれているカボチャと、それを挟むようにして椅子に座っている二人の男がぼそぼそと話し始める。「何これ」「カボチャ」「うん、いやもう、それは分かってるけどさ。おい、そろそろ電車無くなる時間だぞ。大丈夫か。」「あー」「大丈夫か」「あー、ああ、今日さ、おまえん家に泊まってもいいかな。」「うん、それは別に良いよ」「悪いな」。ローテンションなまま始まったコントは、設楽が「俺の言うことに絶対服従する奴隷を手に入れること」と言いだすことでじんわりと展開していく。
 カボチャ一個で奴隷にしようとする設楽の論理とそれにまんまとはまっていく日村のやりとりに、混乱しないように必死でしがみつこうと前のめりになったまま、10分に及ぶ日常とも非日常ともつかない世界観の会話劇に見入ってしまう。
「pumpkin」が終わった瞬間、まず、めちゃくちゃ面白いけど、今感じている面白いは、コントとしての面白さなのか、だとしたらコントってこんなのもありなのか、と衝撃を受けた。
 その余韻を味わいきる前に、二本目の「オフィスのオバケ」がすぐに始まる。 「pumpkin」が作りだした不穏な空気をまとったままコントは進み、最後にぞくっとさせられるオチが待っている。そこから、設楽が好きなスネークマンショーの影響が色濃く反映された「ブルーフォーブラッフォーガングリフォン」と続き、今見てもなお圧倒的な完成度を誇る名作「secretive person」でライブ全体を通して笑いの量では一番の盛り上がりを迎えたあとは、無邪気さの中にあるペーソスが光る「mountain」、まだまだアングラ感が漂う「赤えんぴつ」、飲み会の帰りのテンションと酔いが醒めた時のテンションの落差と日村のドタバタが映える「puke」、雨の中で傘を差してバスを待っている二人の会話劇からのナンセンスなオチで不思議な感情にさせられる「rain」、最後に「思い出の価値」のいい話できゅっとしめる。
 『pepokabocha』で披露されたコントはどれもバラバラでも、それがどこか、ライブが開かれた夏という季節の負の側面の空気の様な、夏への恨み節のようなものが通底していることや、結成9年目にしてもまだ世に出られていないバナナマンの鬱屈した感情を吐露したような空気が蔓延しているような気にもさせられることで、9本のコントに統一感がもたらされており、それがこの単独ライブの唯一無二のウェルメイドさを生み出している。
 この単独ライブの満足度と完成度の高さは、一本目のコントと最後のコントに共通して登場するカボチャが、他人を奴隷にするためのものから、喧嘩をした恋人どうしを再び結びつけるものという役割が反転するという構成の妙だけからくるものではない。
それはきっと笑いの種類の豊富さによって成り立っているもので、台本の面白さというテキストによる笑いはもちろんのこと、台本からはみ出たアドリブで起ったような笑いや、コメディアンとしての力量を示す演技や身体能力などの動きによる笑いに留まらず、加えて、「secretive person」の爆笑だけではなく、「ブルーフォーブラッフォーガンブリフォン」のにやにや笑い、「puke」はとにかく下品な笑い、「赤えんぴつ」のブラックな笑い、「rain」でのニヒルでシニカルな笑いという様々な種類の笑いがあり、かつ、切なさやいい話まで詰まっていることによるもので、その多方向から攻めてくる「面白い」をベースとした強烈なウェルメイドさに、はじめて見終わったあと、映画じゃん、と打ちのめされてしまった。
 中でも「secretive person」は『pepokabocha』の中でも緻密な台本とバナナマンふたりの演技力、それにパズルがハマっていくような心地よさ、セミの鳴き声で始まりセミの鳴き声で終わるという演出が表現している夏の日のけだるさ、それら全てに裏打ちされた名作となっている。
 日村が友人の設楽と会話していると、設楽の「スウェーデン人軍曹の彼女と結婚するので、結婚式をあげるための教会を探しにハワイに行ってきた」という近況が、会話の中でそれらがひとつひとつ、しかもバラバラに発覚していくというもので、そんな言わない設楽に「言えよ」とつっこんでいくということがメインのコントだ。
今でこそ、ひとつのツッコミや設定で突き進んでいくフォーマットのネタは新しいものではなくなったが、十数年も前に高い位置で完成させていたという事実はあまりに大きい。その上、このネタ自体はこの単独ライブより前に出来ていたというのもまた恐ろしい。
 このコントの肝は「設楽がただ自分のことを言わない奴である」ということなので、そんな設楽の異常性を描きだすためには、いかにこの二人は普段も仲が良い、そこにはれっきとした友情が存在するという関係性が存在するということを観客に示さなければならない。
 その積み上げは、会話の端々に仕掛けられている。例えば、「あー、暇だな」「あー、暇だな」というやりとりがあることで、この二人は、特に予定も無く、とりあえず、無駄に日村の家に設楽が遊びに来たものの、結局することがないので時間をもてあましているということが分かる。また、海外旅行に出かける前の日と、帰ってきた日に遊んでいるという関係性も相当に仲が良くないと発生しないことなので、だからこそ、そんなに仲が良いのに、何も言わないということの面白さが輝きだすし、その関係性は、日村がどれだけ設楽を攻めたててもきつくなりすぎないという効果も生み出している。
 「彼女でもいりゃあなあ」という日村のセリフへの設楽の「彼女ねえ」というやり取りも設楽が嘘を吐いていないというところもポイントが高い。友情関係があるという前提やこれらのやりとりががないと設楽はただの秘密主義者になってしまう。
設楽はただ言わない奴であるという説明を、こうした、細やかなセリフを随所に配置することで対処しているので、説明的なセリフを排除され、それがリアリティを産んでいる。その他にも、興奮している日村を見ている設楽の表情は「何でこんなに怒っているんだ」と言いたそうなものになっているのも芸が細かい。
 『epoch TV square』もそうだが、この体験は、ネタというのは5分ほどの長さで、丁寧なフリにきちんとツッコミが入って、爆笑出来れば出来るほど素晴らしいという『爆笑オンエアバトル』という価値観からの強制的な脱却を意味し、以後の自分のコント感に多大な影響を与えることとなった。
 コントだからといって笑いが起きない時間が長くてもいい、設定を過剰に説明するようなセリフは不要なので極限まで削ることが出来る、そのことで、会話や登場人物の感情の動きにリアリティが付与される。会話に、そのコントには直接関係ないやりとりが挿入されることで、これまでの二人の関係性が見え、コントに時間軸の奥行きが産まれ立体的になる。
 何より、コントのために登場人物がいるのではなく、彼らの日常を切り取ったらそれがコントになったと思わせるというコント観はとてつもなく衝撃的であった。
 これらは今も、呪いにも似ているほどに強力なものとして残っている。

バナナマン単独ライブ2019「s」のライブビューイング感想

バナナマン単独ライブ2019「s」のライブビューイングを見てきました。客の入りはほぼ満員で、バ帽もちらほらと見かけました。普段どこにいるのよ。

毎年毎年、今年は面白くなかったらどうしようという気持ちがあるのですが、また今年もそんな気持ちは簡単に消し飛び、帰りには「いやあ、バナナマンの『今』というどろっと濃いシュガースポットを堪能することが出来たなあ」という気持ちに浸ることになりますが、今年もそうでした。

ライブビューイングの回が収録回ということもあり、今回が記録に残るということなのですが、今年は、この回がバチっと成功したみたいで、エンディングでは、2日目の1本目のコントで日村さんが完全に飛んだ話をしていました。このエンディングが見れるのもライビュならではで、エンディングが始まる瞬間までそのことを忘れていました。

コントは、6本で、⑴ボスがやられた⑵佐々木へのサプライズ⑶ジョニーの店にて⑷脱出ゲーム⑸赤えんぴつ⑹結婚式でした。タイトルは仮です。

一番好きなのは、3と4でした。

バナナマンの単独の満足度は、会話で笑わせるコントから、動きやノリを軸にしたコントまでと幅広いことで、さすがに昔よりキレッキレの笑いは少なくなっているものの、そのぶん、より「人生の一場面を切り取ったらコントになっていた」という自然な笑いになっていて、かと思えば、その中でも急に、日村さんがラジオでふいに見せるヤバさを出してくる感じのように、怖くなってしまうボケを挟むあたりは、まさに「今」のバナナマンの全てが入っているような気はします。今回のコントを、例えば10年前のバナナマンが演じたとして、このどっしりとしたコントがやれるかというと

もしかしたら全く別物になってしまうんじゃないかという意味でも、やっぱり、この重厚なコントこそがバナナマンの「今」なんだと思います。

でも、⑶ジョニーの店は一人三役を、しかも、それが目まぐるしく場面展開するというもので、今のバナナマンにこれをやられたら、かが屋を筆頭に若手のコント師たちは頭を抱えてしまうんじゃないかというものもありました。

⑷の脱出ゲームは、たまにラジオでもやるラジオコントに近く、無意味なギャグを繋げて本当に深夜のノリがずっと続くようなコントで、でも単純なギャグの連なりだけではなく、意味を捕まえることを放棄してもリズムや気持ち良さで笑ってしまうやつでした。

何より、一番、昔と変わったなあって思ったのは、ラストのコントのオチだった。

妹の結婚式でスピーチをする兄の日村が、同じく参席している小説家の友人の設楽に聞いてもらうというところから始まるこのコントだが、日村は、実は結婚に反対しているから、ぶっ潰したいと言い出す。そのためのスピーチでもあるのだが、日村は散々そうなるようなスピーチを練習するが、結局は、普通に兄として良いスピーチをしてしまい、結婚式は成功する。

最後の最後に、実は設楽は日村の妹と過去に付き合っていたが別れてしまった、でも、妹は設楽のことが忘れられないから、結婚に踏み切れていなかったということが分かる。

設楽統は、伝えることで運命が変わるということを描いてきたが、今回はその伝えたいことを飲み込んで受け入れるということを描いた。それはまるで、映画史上最も切ないエンディングというキャッチコピーがついた『バタフライエフェクト』のように、日村のスピーチのシーン含めてバナナマン史上最も切ないコントになっていた。

バナナマンのコントが大人になっている。そんな気がした。夏ももう終わりに近づいていく。

大竹まことの『俺たちはどう生きるか』感想

大竹まことの『俺たちはどう生きるか』を一気に読んだ。

最初の、風間杜夫の話から引き込まれた。大竹まこと風間杜夫は若い頃、一緒に暮らしていたという。風間杜夫との思い出話から始まり、再び交流が密になったという話が書かれている。

他には、一度、大竹まことツイッターが炎上していたことについても書かれていた。

その時に、ネット上に「大竹まこと老害だ」と書かれているのを見て笑ったことを思い出した。なぜ笑ったのかというと、少なくとも、知っている限りで大竹まことは30年近く老害をやっているのだから、何をいまさら、と笑ってしまったのだ。

大竹まことが書く文は、テレビでの印象と同様に饒舌ではない。むしろ、上手いほうでもないとも言えるかもしれない。しかし、テレビでの印象と同じように、ぼそぼそと溢れるようなその文は、そうであるからこそ、大竹まことというフィルターを、時間をかけて通ってきた一滴一滴が集まったような濃密な言葉たちに感じることが出来る。

そこには古稀を迎え、老いも若さも、すいも甘いも、豊潤も枯れも経てきた、大竹まことが存分に詰まっている。

15年ほど前に、同じようなエッセイ本『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』を書いていたように、抱いてる思い出をひとつひとつ片付けるように文章にしている。

例えば、劇場で壁に寄りかかっている長身の男に亡くなった永六輔の影を見たり、売れない頃よりも前の何者でもなかったころに出会った女の話、シティーボーイズが『スター誕生』に出ていた頃、あと一周で勝ち抜けれるという9周目で敗退したことを振り返っていたりする。それにつづく、「もし、栄冠を勝ちとっていたら、多分、私はここにはいない。ここがいい場所かどうかはわからない。しかし、ここにはいない。」という言葉は、30代の自分でも、噛みしめるべきものだと感じた。

この本には結局、俺たちはどう生きるかという答えはないが、強いていうのであれば

この一文を意識して生きていくしかないのだろう。

『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』との出会いは、とある人から譲ってもらったことだ。その時は、そんな大好きだという本をもらったことは、その人に認められたようでとても嬉しく、今回と同じように、一気に読んだ。

特に、大竹まことマルセ太郎という芸人の通夜に行ったことを書いた「家などいらんが」はその人からも強く勧められた名文で、特に、大竹まことが通夜で出されたゆで豚を食べるシーンの「ゆでで薄くスライスされた半透明のそれに、赤というよりはオレンジに近いコチュジャンをたっぷりつけて口に運ぶ。瞬間、甘さが口に広がるが、数秒ともしないうちにベロの付け根あたりからピシッと辛さが先ほどの甘く感じた部分部分に、まるで杭を打ち込むようにおさえ始める。酒を飲めば今度は逆に辛さが溶ける。本当においしい。」は、本当に美味しそうな描写で、何より通夜の席の話であるというコントラストも含めて、人生の切なさが感じられる文章になっている。

とはいえ、その本をくれた人とも疎遠になってしまった。

一時期は東京に遊びに行った際には毎回お酒を飲むなどしていて本当に楽しかった。だからこそ、調子に乗っていたし、どこか浮かれていたのだろう、疎遠になった理由になるようないくつかの「しくじっていたんだろうな」が頭をよぎる。それと同時に、しくじられていたというわけでもないけれども、それは違うなと思ったことなども思い出す。そうなると、まあ、もともと合わなかったんだろうな、と諦めるしかない。

人間が不出来なので、今後も同じような出会いと別れを繰り返していくのだろう。

『ガゼッタ・デロ・オワライーノ』~『オードリーのANN ゲスト:くりぃむしちゅー上田晋也』感想~

俺「へー、闇営業に参加していた芸人たちが謹慎か~。そんなことより、ガゼッタのサイト見よ。今日の特集誰だろ。」

ガゼッタ・デロ・オワライーノ』「今回、本誌は6月16日に『オードリーのANN』にゲスト出演したくりぃむしちゅー上田晋也に注目した。この日の放送は、番組開始から500回目という節目の回であり、そんな記念すべき回に満を持してゲスト出演することになっていた上田晋也であったが、そこにはひとつの課題があった。それは、上田は、番組放送開始の五分前まで、日本テレビの生放送に出演しているという物理的な壁である。そのため、始まる前から、観客からは、上田はラジオに間に合うのかと懸念する声が聞こえており、あわや不穏試合になるのではないかという下馬評まで聞こえてくる始末であった。しかし、そこは、高校生のころ、豊島公会堂にギャグコレクションというライブを見に行ったほどの年季の入ったくりぃむしちゅーファンのオードリーの二人。上田のために、「500回記念にも関わらず、スポンサーからしか花が届いておらずリスナーから花が届いてこない」話をし、そこから上田が花を持ってきてくれるだろうとつなぎ、場をもたせる。そこから春日が、「上田は1時13分には到着するだろう」と大胆な予想を披露。その中で、ハンチング上田というワードも出し、ピッチを温める。しかし、番組開始から17分が経過、予想していた13分を大幅に過ぎてもなおピッチに上がってこない上田に対して、ここぞとばかりにオードリーは攻撃をしかけはじめる。春日の「遅刻だね」というパスを受けた若林が、会見に遅刻したメイウェザーにひっかけた「メイウェザーやってんのかな」「メイウェダーというか」と返すという見事なパス回しを見ることができた。
第一クォーターも終りかけ、観客も上田は来ないのかもしれないと思いはじめた番組開始28分でようやく、上田晋也が登場する。これまでの劣勢をとりかえすように、「どうも、メイウェダーです!」という第一声、オードリーの「花を持ってくる」というやり取りを受けての「枯れた花ねえかって探してたんだよ。日テレの周りを。造花はあったんだよ。」「Goingのスタッフにおばちゃんがいたんだよ。おばちゃんを枯れた花として持っていこう。いや、これ失礼だろってやり取りしてたんだよ」と、前半のオードリーのトークに絡めたゴールに加えて、「お前らの好きなハンチングだけかぶってきたんだよ」と5分もたたないうちに三点を奪取。あくまで、気軽に来たよというスタンスを見せながらも、そのゴール全てがしっかりとオープニングトークにひっかけたものであるという巧みなボールさばきは、今思えばその後の試合の展開を予想させるものであった。
しかし、そこはラジオというメディアにブランクがある上田、大好きなオードリーを前にした『ビバリー昼ズ』での高田文夫のように、かかっているだけではないのか、すぐにへばるのではないかと思わされたが、そんなスタミナへの心配は杞憂へと終わることとなる。間髪いれず、爆笑問題の太田からの「若林、女子のソフトボール選手みたいだよな」という伝言を言うも若林に「それ受けた事ないのに、ずっと言われてるんですよ」というスルーパスまで披露し、その攻撃の手をとどめることはないまま、第二クォーターを駆け抜けていった。上田ひとりのオフェンスが終ると、続いては、オードリーとの攻防が始まる。オードリーもホームである以上意地を見せなければならない。若林は、笑い話を早々に切り上げ、質問を投げかけるというシフトに切り替えていく。しかしその奇襲に対しても、若林からのお笑い雑誌の記者ばりの質問攻めもきちんと根っからの番長気質で受け止め、「単独ライブを毎月やっていた話」「『ガハハキング』で四週目で番組が終るということを知っていたけれど、スタッフに『あいつらせっかく四週勝ち抜いて良い感じだったっていうのにっていうプラスのイメージだけ残りますよ』と言われて、こりゃ幸いだと思った」という、笑えて熱い話でここでも得点を重ねていく。
第二クォーターのハイライトは、オードリーが上田司会の番組に出たさいのやりとり「春日ですから」「なんぼのもんじゃい!」という思い出エピソードを話した後の「でも、ほんとになんぼのもんじゃだからねえ」だろう。あの往年の名プレー「マックミランだからねぇ」を観客は思い出したことだろう。
ここまでを追えて、やはり、豊島公会堂が産んだレジェンドを前にしてさすがのオードリーはやや防戦気味であるが、まだまだ疲れも見えないオードリーは、第三クォーターが始まると同時に、先手を打って上田から司会の極意を聞き出そうとするも、『相棒』しか見てないから、『しゃべくり007』に8.6秒バズーカーがゲストで出てきたけど全く知らなかったので、あたふたしながら上手く誤魔化した話と、相方の有田に腹立った話へと続けるという流れるようなコンボ攻撃をカウンターで喰らわせ、反撃を一切許さない。
体勢を崩しかけながらも若林は続けざまに、くりぃむしちゅーの楽屋から笑い声聞こえてくる問題に切り込んでいく。すると、上田から、今日の楽屋での「モノマネ芸人の人ってなんで自らやりたがるのかねぇ」っていう話の内容を引き出し、くりぃむしちゅーのANNリスナーを喜ばせるというナイスアシスタントに成功。そのアシストに気が乗ったのか、上田は、有田が「上田が総理大臣になったら俺を官房長官にしてほしい」と話しかけてきたので、そこから上田が新聞記者、有田が官房長官という楽屋コントが始まり、気がつくと二時間半やっていたら、収録を再開させるために楽屋に呼びに来たスタッフに「こっちの話終わってないからちょっと待て」と言ったという、鉄板トークまで披露する。
特筆すべきは、第三クォーターの終盤あたりに、若林はライター気質を武器に深いところに攻めつづけていた中でのダメ押しの「上田の強めのツッコミに怒った人はいるのか」という攻撃だ。完全に乗りきっていた上田は、そんな若林のトラップにひっかかり、「直接言われたことは無いけれども、マネージャーとか番組終ってプロデューサーとかが、ちょっとあの人に対してのあたりがきつかったみたいだね。なんか怒ってたよみたいなことは聞いたことある」「俺な、あのたまーにな後輩の芸人とかでもいるんだけども。俺があの、一番嫌いだと言っても過言じゃないのが、本番中ね失礼なことを言いました、若林さんあんただってブサイクじゃないですかって例えば後輩芸人が言いました、で、余計な御世話だよーお前なんか言われたくねえよーってわーっと盛り上がって、本番終わりました、はい、収録オッケーでーすってなって謝りに来る後輩いるだろぉ、あのさっきは失礼なこと言ってどうも失礼なこと言ってもうしわけありませんでしたって、ああいう後輩がいっちばん嫌いなのよ。俺許せないの。そういう後輩は。俺は確かに先輩に失礼なことを言うけども、先輩が怒っても絶対に謝らないってことだけは決めてんのね。だから多少、この人表情変わったなって思ったことはある!えー、今年、橋幸夫さんがちょっとカチンと来てたかな。」「俺ずるいと思うんだよ。俺は何を言われてもいいわ。例えば後輩からすると先輩に失礼なこと言って笑いをとろう。笑いとりました。で本番終わりました。失礼なこと言いましてすいません。お前さそこで常識的な良い奴っていう評価までもらおうとすんのかいって思うわけ。」「先輩をいじって笑いをとるっていうのはこいつ失礼な奴だって思われてもいいっていう覚悟をせんかいって俺は思うのね」「俺は別に失礼なやつとか無礼なやつとかあいつは性格が悪いって思われても良い。ただ先輩に今も失礼なことを言ってもここは、すいません!ここは笑いをとりにいきますわ!を、俺はそこだけをとりに行きたいから。」と笑いを交えながらも、芸人が司会をやるうえでの上田なりの矜持を披露する。しかし、笑いを第一義に考えている上田はそこでは終らせずに、きちんと「若手の頃に共演した出川哲郎に本番で失礼なことを言った後、楽屋に謝りにもいかなかったので、7~8年前まで嫌われていた」というオチへとつなげる。「地獄に落ちる覚悟はしてんのよ。そういう意味での常識がないっていうことでね」はまさに上田が好きなプロレスラーのイズムであろう。しかしそんな油断をしていた上田の隙を狙って放ったオードリーの「よし、今日謝ろう、終わったら」華麗なカウンターに送られた観客の拍手の中、第三クォーターは終了した。上田の言葉を借りるとすれば「天竺くらい遠く」あってほしかった第四クォーターだがこちらも、若林と上田の司会業トークで盛り上がりを見せていたが、唐突に訪れた試合終了のホイッスルが鳴り、上田は惜しまれつつも闖入者のようにピッチを追いかえされてしまった。
番組も終り、いつものエンディングテーマが流れる中、くりぃむしちゅーのエンディングテーマの銀杏BOYZの「夢で逢えたら」が流れる様子は、まるで歴史がクロスする、ユニフォーム交換のようで胸にこみあげるものがあった。
上田ほどのレジェンドとの試合に、オードリーであれば、単なるパス回しでも成立したであろうに、朝からハンチング帽子を用意するほどに用意周到であった上田は完全にパンプアップした状態で1時間30分を駆け抜けていったこの試合は、体感時間ではその何分の一にも感じられるほどの濃密なゲームであった。
本誌がこの日の上田晋也にくだした点数は、年内のくりぃむしちゅーのANN復活を期待して97点をつけたい。また上田に食らいつき奮闘したオードリーにも95点を差し上げたいと思う。」

ガゼッタ・デロ・オワライーノ』の上田晋也特集を読み終わった俺がひとツッコミ「いや、趣味の例えにモンシロチョウ集めって、巣鴨でタピオカジュース売るくらいピンとこねえな!」

俗物ウィキペディア日誌#4

5月26日

 『ゴッドタン』の「お笑いを存分に語れるBAR」を見る。面白かった。ネタについて話していたので、楽しかったのだが、バラエティでの返しやライブでの伝説、あの大喜利の答えは凄かったみたいなものも見たい。全然一週では足りない企画であった。

出てきたネタは、空気階段「クローゼット」、かが屋「お母さんへのサプライズ」、東京03「小芝居」、ファイヤーサンダー「KPPTDF」、バナナマン「secretive person」「LOSER」、バカリズム「おっぱい」「マジシャン」あたり。えらいもんで、ほとんど見たことあった。ファイヤーサンダーは、あ、このネタファイヤーサンダーだったのか、と思った。無人島のネタもそう思って、どちらも良いネタだなと思っていたのだけれど、人と結びついていなかった。

東京03角田の「ドアの開け方が面白い」という指摘は、いとうせいこうからきたろうへの転び方が上手いという指摘に通じる。

劇団かもめんたるの「尾も白くなる冬」を見る。

 
5月27日

ミスタードーナッツで、俗物日誌#3を書いた。少し手薄な感じがしたので、次回からは長めに書く。

 


5月28日

劇団かもめんたるの記事をスクラップ&ビルドすることにして取り掛かる。

 
5月29日

相沢直さんの「医学部平凡日記」の5月4周目の記事を読む。医学部ってこんなに勉強しているのかと、新鮮に驚く。加えてテレビなどの仕事についても書かれている。

これが六年分貯まれば、かなり凄いことになるのではないか。

医学部の忙しさから文章に残すことは、他の人には困難であったろおうが、文章に残すということがきちんとルーティンになっている相沢さんだから出来るのだろう。

劇団かもめんたるの記事を書くために、ヴォネガットの「スローターハウス5」を読む。

こんまり批判でもないが、太田光に憧れて買った本が数年の時を経て、別のことにつながるのだから、本を買うということは面白い。

 
5月30日

妻が帰宅後映画を見に行ったので、夜は一人で子供を見ていたのでラジオを聞いていた。

 
5月31日

 空気階段の踊り場を聞く。

「ウチのガヤ」に出演した水川かたまりが、両親から仕送りをもらっていてその合計が1200万円になるということが話題になっていたらしい。

もぐらは、仕送りに対して、親からの借金なので、俺のことを批判できない、岡野陽一さんがブースにいた時、借金の総額は3000万円だったと話していた。

仕送りをもらうことができなかったもぐらからしたらそうなる気持ちはわかるし、むしろ格差社会に横たわっている問題である。

う〜ん、深い!

 
6月1日

ここから3日ほどワンオペ育児。昼に佐久間ノブロックANN0を聞く。

伊集院光「とらじおと」に出た翌週の回(190519)は、人生のっかかりラジオであった。

「とらじおと」にゲスト出演したノブロックが伊集院愛を語る。そして、ANN0のゲストに来てくれるという約束を取り付けてきたらしい。もともと伊集院は全く同じ時間帯を担当していたこともあるので、実現したらものすごいドラマとなる。

4月から始まっているにもかかわらず、すでに一年で爆散してもお釣りがくる、あれは何だったんだと言われることのないラジオとなっていて、まじでドリームエンタメラジオとなっている。

昼から溜まっていたアルピーdcgを6週分ほど聞く。イノシシをモグラにする話などをしていた。

夜、オードリーANNのゲストにくりぃむ上田が来ることが決定したことを知る。最高!!!!

 
6月2日

 親子二人生活2日目。夜特に起きることもなかったのでこちらもきちんと寝ることが出来た。

そういえばと思い、夏の東京旅行のホテルを探し、予約する。少しだけ、同人誌を進める。考えが足りないのかいまいち、進まない。それでも言いたいことは明確にあるので、姿形を変えながら一歩ずつ進むしかない。

しかし、育児をすると本当に本を読む時間が取れない。

 
6月3日

親子二人生活3日目。

昨日と同様に、家事をしながらラジオを聞きまくった。今日はハライチのターン!。五条勝の話で爆笑しているハライチの二人に釣られてめちゃくちゃ笑ってしまった。

夜10時過ぎに妻帰宅。

何事もなくて本当によかった。

 
6月4日

せこせこと「スローターハウス5」を読み進める。トラルファマドール星人が絡んでくるところ以外は面白く感じられない。

アルピーdcgをリアタイしたかったが、明日の朝早く起きて筋トレをすると決めたので、泣く泣く11時ごろに就寝。

 
6月5日

朝起床し、南海山里と蒼井優の結婚発表。それはそれとして筋トレをすることに成功。子供が産まれてから中断していたので、今日から再開するという強い意志を持つ。仕事中、特に筋トレによる弊害は感じられなかった。

筋トレしながら、アルピーdcgを聞く。前の週のノブロックANN0の加地pゲスト回を受けてのアンサー回。

20分以上全く触れずにラジオを進めたあとの「気ぃ使ってる?」は最高。「デブのラジオにガリが来た」「モンゴル嘘800の

小さなコアの歌」などのパンチラインが出て、たまらなかった。正直、もう十分楽しんだの、加地メタルジャケット事件は平子っちの勝ちである。

帰宅してからはabemaにて山里蒼井の結婚記者会見を見た。

 
6月6日

帰宅して、前の日の水曜日のダウンタウンを見る。

とあることをきっかけに、同人誌の二冊目を出すことを改めて絶対やってやるという気持ちになった。

 
6月7日

朝起きてハライチのターン!。ケロッピトーク。ここ最近のハライチのターンは、本当に自分の波長にあっていて良い。

「chelmikoのANN0」を聞く。鈴木真海子が「お笑い、好きだと思う……」と言っていたが、大学お笑いまで見ているガチガチのガチであった。スカートの澤部とお笑いのライブ会場で会って、「ではまた次のお笑いライブで!」となるのは、俺らかよ!となった。後半は失速したのは否めないものの、総じて面白かった。RNしまいにゃポコチンことトンツカタン森本や四千頭身後藤もメールを送ってきたりしていた。

 
6月8日

小銭が欲しいので、アナのマイルについて調べる。

最近は、LCCと比べてもたまにANAのほうが安いか、値段はちょっとだけ高いが時間的に便利で、乗る機会が割と増えてきた。夏の東京もANAなのでマイルを貯めようと思ったからだ。

 
6月9日

 ベストラジオ19のための上半期まとめをUPする。

その記事にも書いたが、今年は本当にラジオが面白い。どのくらいかというと、たとえ高校生の時にradiko premiumに加入していたとしても今のほうが聞いているくらいだ。

 
6月10日

またANAのマイルについて調べる。

食費なども全てクレジットカードで買ってそれをマイルに換算して等という修羅の道に入って始めて、数年に一回片道分がもらえるという計算になりそうである。正しいのかもよくわからないが。

 
6月11日

現行のカードと、生活費は全てクレカにすることで決定し、妻にもその旨を伝えた。

 
6月12日

爆笑問題カーボーイ

OPトークから空気階段ゲストパートまで最高であった。

山里の結婚から松之丞へのアンサーまで、笑いをふんだんに交えながらも、そこには大衆という存在がくだす評価の曖昧さ危うさへの指摘にもなっていた。何よりDT松本の炎上した発言で落とすという、大事件もあった。これはいろんな意味で、乗り越えたと言っても過言ではない。

空気階段は、タイタンライブのEDに出られないからということで急遽のゲスト出演。もぐらもかたまりも色々と仕込んでいてこちらも最高だった。越崎マジックに感謝。

カーボーイを聞いて芸人を目指したというかたまり。入江のニュースをヤミ中に聞いたという話や、「カラス」を持ってきてピカソ話を朗読するもぐらなどとても良かった。ウーチャカウーチャカで、引きこもっていた時にカーボーイに救われたというかたまりが「ラジオ聞くかパワプロするかだった。キャッチャー田中裕二、ピッチャー太田光とかに名前をつけて選手を作っていた」という感動的な話をしていたら、おれはピッチャーだけどね、と言い放つなどウーチャカ力(りょく)を発揮していた。

太田は踊り場リスナーなので、ラジオでのコアな話を振って、ビバリー昼ズにオードリーがゲストに迎えた高田文夫同様にかかっていて最高だった。

 日記を見ながら書いているのだが、この日はめちゃくちゃ職場の悪口を書いていて引いた。

すこし前に劇団かもめんたるの記事は書き終えた。

令和元年のタイタンライブ

 平成も残すところあと一カ月と一日と数時間、明後日には新元号が発表されるという平成31年3月30日、暢気に『ENGEIグランドスラム』を見ていた。見終わったあと、爆笑問題太田光が『ENGEIグランドスラム』の放送中に転倒したという情報を見かけた。ちょうど放送のネットが途切れた時間帯に、太田が生クリームで滑って頭を強打しているような映像が流れてしまったということまではつかめたものの、映像もインターネットにあげられた簡素なものを見てしまったものだから、無事であるという情報が聞けるまで気が気ではなかった。その後、『日曜サンデー』などの翌日の仕事は休むが、『爆笑問題カーボーイ』には復帰できるということを知って本当に安堵した。
 爆笑問題の活動は、平成という元号とともにあったというのは、爆笑問題二人も言っていることであり、平成30年の8月には30周年記念の単独ライブを成功させた。そんな爆笑問題が、平成最後のネタ番組に出てトリを務めたあと、はしゃいで生クリームで頭を強く打って、結果、舞台上で死んでしまったというのであれば、永劫語られる伝説にはなるものの、お笑いよりも爆笑問題が好きな身としては、耐えられなかったので、本当に無事でよかったと思っている。

 復帰一発目の『爆笑問題カーボーイ』は、太田が転倒してから病院に運ばれて入院するまでの顛末のトークが話されていて、それまで緊張していた分、めちゃくちゃ面白い放送となっていてゲラゲラと笑わされ、令和の爆笑問題がさらなる活躍出来ることを本気で祈ったりもした。同じ時間には、ななまがりが『水曜日のダウンタウン』に拉致られて、新元号を予想しているのだから、世界は笑いに満ちている。
 そんな中で、令和初のタイタンライブを見てきました。何と言っても、今回のタイタンライブの目玉は、空気階段、シソンヌに加えて、神田松之丞がゲストを迎えていることで、これらのゲストのお陰で、ライブのほうはもちろんのこと、シネマライブのチケット自体も全国各地でほぼ完売となるという凄い状態になっていた。
 そんな状態で始まった、タイタンシネマライブ。トップバッターを勤めたのは、猿が死んでしまったので、ダニエルズ。宝くじにまつわる人間の愚かさを描いたコントで、今まではあさひだけが望月を攻めるというコントが多かったのだが、このネタは二人のやりとりが生きていてとても良いコントであった。もうひと展開あれば、もっと良いコントになると思った。続く脳みそ夫は、「パスタだってJKするっつーの!」の「ペペロンチー子」コント。
 三番目に登場したのは、ゲストの空気階段エピグラフは、直木三十五の『わが落魄の記』より、『神様から、こゝへ生れて出ろと、云はれたのだから、「仕方がねえや」と、覚悟をしたが、その時から、貧乏には慣れてゐる。』。ネタは、「EXILEのオーディション」。EXILEのオーディションに来たもぐら扮するデブでヒゲの男は、すぐにかたまり演じる審査員に追い出されそうになるが、実はもぐら扮する男は、テレパシーの持ち主で、というコント。このネタは過去に見た事があったけれども、そこからさらにひと展開加わっていて、ブラッシュアップされていました。途中もぐらが変な動きをするところがあり、ネタを書いているかたまりが、もぐらにこうさせたら面白いと思っているというのが感じられてとてもほほえましかった。何より、EDトークに参加できない空気階段のために、爆笑問題カーボーイにゲスト出演していたのだが、その回がめちゃくちゃ面白かった。越崎マジックである。

 続く四組目は、野沢雅子のモノマネを習得することで一時は、野沢の真似をする田島だけでなく、見浦が鳥山明の真似をするために鳥山明の自画像のロボットの手造りマスクをかぶるというところまでアイデンティティを失ってしまったことで、漫才師としてのアイデンティティを獲得した漫才コンビアイデンティティは、事務所ライブで飽きられていると本人たちも言っていたように今日も今日とて野沢雅子漫才だったのだけれども、今回は、『バナナムーンGOLD』にゲスト出演時に、ちらっと話していた、野沢雅子の楽屋に挨拶に行った話をベースにした漫才をしていた。もう一度、挨拶に行ったらというコント漫才で、田島が野沢雅子に失礼なことをして見浦がそれをツッコむというもので、普通に笑っていたのだけれども、後半に、野沢雅子に扮した田島が客席に背中を向け、野沢雅子本人になって、見浦を攻めだして、何だこの叙述トリックみたいな漫才は!と驚かされてしまいました。こんな仕掛けをしているのであれば、安易に一発屋として消費もされず、反社会組織の忘年会に行かずにすむだろうとほっと胸をなでおろしました。
 この後は、タイタンメンバーのまんじゅう大帝国の「ゆるキャラ」と、日本エレキテル連合「朝礼」が続く。まんじゅう大帝国は、軽く二人の関係性が変わってきていて、お!っとなり単独やM-1に向けた作戦かなと思わされた。後半のひっくり返りをもっと早めにやってもよかったかなと思った。そして、日本エレキテル連合。普段から、ボケもツッコミもないコントが好きなのだけれども、今回のエレキテル連合に関しては、登場人物がただ懸命に生きて大声を出しているだけの領域に入っていて、そら恐ろしさを感じてしまった。
 続くゲスト三組目のシソンヌのコントは、『同居人の』というネタで、これは凄いコントだった。ネタ自体の面白さもさることながら、見ている途中で、先日起きてしまった、悲惨な事件とリンクしていることに気付いたからである。このネタ自体は、2017年に行われた単独ライブでかけられたネタなので、それはこちらの勝手な思い込みとなるのだが、どうしても連想せずにはいられなかった。
 じろうが帰宅すると、ソファに座っている忍を見つけると舌打ちをし、「まだいたのかよ」「朝言ったよな、俺帰ってきてまだいたら、もう、ぶん殴るぞ」と強く当たる。そこから数分、じろうが忍を責めていく。その中で、じろうと忍は親友でルームシェアをしていたのだが、忍はじろうに何も言わずに仕事を辞めて、そしてしばらくして全く喋れなくなったという状態にあることが分かってくる。その時のクッションで忍を叩き続けるじろうの「俺たち、こんな関係じゃなかったろ」というセリフは胸にくるものがあった。
 「今日は泊まっていって良いよ。でも明日の朝、俺が起きてきて、お前がまだいたら、もう弁護士に相談するわ」と言って、じろうは自分の部屋へと戻っていく。そして、も度てきたじろうが一言「俺の部屋に、うんこあるんだけど」と言い、怒りだすかと思いきや、「俺が今どういう気持か分かるか。嬉しいんだよ。」と喜びをあらわにする。
 このコントのスイッチに至るまでのじろうの演技が、本当に凄く、だからこそ、このコントのくだらなさが光ってくるわけだ。あとは、ひたすら、手を変え品を変えて、うんこなのだけれども、よくよく考えてみると、このネタは、コントの中の「この一年二カ月、何聞いても返さない、何の感情表現もしない。そんなお前がやっと自分から俺に何か伝えようとしたんだぞ。その手段がたまたまうんこだったってだけだろ。」というセリフの通り、コミュニケーションは言語を解さないでも可能である、という救いに溢れている。
 シソンヌが、タイタンライブでこのネタをかけた真意を知ることはできないが、この日のタイタンライブでかけた意味があるネタとなっていた。
 シソンヌの後にウエストランドの漫才を挟み、いよいよ神田松之丞の出番となる。
 神田松之丞のタイタンライブエピグラフは、南条範夫の『慶安太平記』の、「どこかこの世ならぬ超然として尊貴の風姿である。その精神も肉体も、最も世俗的な野望に取りつかれていたこの男が、その外貌において、全く正反対のものを示し得たのは、彼が常にそれを意識的に習練し、後天的にカリスマ的性格を完成し得ていたからであろう。」という部分だった。
 神田松之丞が袖からのそりのそりと歩いて釈台に向かっている間、どーせマクラにタイタンライブの楽屋の弁当はどーのこーのと愚痴を入れてくるのだろうとかまえていたら、そんな助走もなく、すぐさま講談に入ったのは、とても格好良くて、ずりぃなぁとやられてしまった。
 そんな松之丞がかけたのは『中村仲蔵』。松之丞が上梓した『神田松之丞 講談入門』によると、「家柄もなく、下回りから這い上がって名題に昇進した初代中村仲蔵。『仮名手本忠臣蔵』の晴れ舞台で、当時は端役だった「五段目」の斧定九郎の役を振られる。柳島の妙見様に願をかけ、「これまでに定九郎を作る」と意気込むが、妙案が浮かばない。満願の日、雨宿りに入った蕎麦屋で、濡れそぼった貧乏旗本に出会い、「これだ!」と喜ぶ。さっそく侍の姿を移した衣装で本番の舞台に立つが、なぜか客席から喝采が聞こえてこない……。」というあらすじの講談である。
 まあ、やはり、とんでもなく良いモノをみたな、という気持ちでいっぱいになった。当時の芝居は、家柄が絶対であり、血もなく、そして才能も無いのではないかと苦悩しながら、それでも工夫でのし上がっていく仲蔵の生きざまは、現代においてはウェットすぎるほどにブルージーであるが、それだけではなく、講談という伝統芸能の世界に身を投じた神田松之丞はどこかダブって見える。『神田松之丞 講談入門』によれば、本来、「中村仲蔵」は師匠も妻も出てくるが、松之丞は、仲蔵本人の問題とするために、その二人を登場させていないという改変をしているという。
 それは、いわゆる藝柄(ニン)が乗っかっているってやつで、今後もこの神田松之丞の「中村仲蔵」のネタはどんどん進化するんだろう。かつ、逆にそこから放たれた瞬間から神田伯山の物語が始まるのだと思った。
 今回のライブビューイングという形式で松之丞を見て始めて気がついたことだが、松之丞の太った能面みたいな顔が作るその陰影は、怪談におけるロウソクの炎のように不安定で、その揺らぎは登場人物の表情や心情を表すように千変万化し、それは表情を変えるだけでは作れない、凄みや情念などを生み出していた。これは落語でも浪曲でも能でも狂言でも歌舞伎でも、その他の伝統芸能で、効果的に使えるものではないと考えると、顔すらも講談に愛されているのかと思わずにはいられない。
 改めて、本来の時間を10分もオーバーした「中村仲蔵」は、今の松之丞でしか見られないものであったろう、そして、今後、松之丞が白山襲名以降、名人への道をひた走るなかで、あの時見たあれ、と記憶に刻まれるものとなった。基本的に仕掛けるのが下手で、まれにラジオ関係でしくじることが多いけれども、講談でその好感度を取り戻すという、問題を起こしてもギャラクシー賞で取り返す『水曜日のダウンタウン』方式で今後も爆走していくことだろう。
 その後のBOOMER&プリンプリンは「ゆうひが丘の総理大臣(令和ver.)」で、中村雅俊に扮したプリンプリンのうな加藤を筆頭に、お馴染のコントを披露していて、その内容はいつもどおりなので割愛するが、神田松之丞とは違う意味で大仕事を成し遂げていた。
タイタンライブにおけるBOOMER&プリンプリンは爆笑問題の前の空気清浄機でありフリスクであると常々言っていた。それは、タイタンライブは、よほどの大物が出演してくれない限り、基本的には爆笑問題がトリを務めるのだが、ゲストもタイタンメンバーも、お客の懐の深さを信頼してくれているのか、暴れるようなネタをしてくれる。その結果、舞台は混沌としてしまうのだが、爆笑問題の前にネタをやるBOOMER&プリンプリンがベッタベタなコントをしてくれて、場をフラットにしてくれる。そのために、観客は一旦気持ちをリセットして、爆笑問題の漫才を見ることが出来るという、信頼関係が築かれているという前提がある。
 そして、普段よりネタの尺もタイトにしていたお陰で、松之丞がオーバーした時間分を取り戻し、エンディングのトークゾーンを増やすという快挙も成し遂げていた。
先述したとおり、松之丞の「中村仲蔵」によって、観客は緊張感とその前のめりになったことの反動でぐったりしてしまっていたが、その観客の心の隙間に、BOOMER&プリンプリンのコントがじんわりと、冬に飲むモスバーガーのクラムチャウダーくらい染み込んでいくのが分かった。
 そんなBOOMER&プリンプリンの場の空気を暖めたままリセットするという仕事は、この日に限ってはフリスクを超えて、もはや事故物件の直後にひとり住んだ人がいるから、法律的には次に契約する人に、ここで自殺があったということはもう告知する必要はなくなったくらいのものであった。
 さて、爆笑問題である。ここ二カ月で起きた事件のせいか、BOOMER&プリンプリンのおかげか分からないが、南海キャンディーズの山里と蒼井優の結婚、元KAT-TUN田口淳之介の逮捕、丸山穂高議員の「戦争しなきゃ」発言、原田龍二の不倫騒動をネタにした漫才は、とても面白く、間に挟まれる、爆笑問題二人のネタから逸れてこぼれるようにしたやり取りなど含めて最高でした。
駆け足気味のエンディングトークも最高でした!