石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

とにかく喰らうドキュメント『まーごめ180キロ』

 「劇場版 まーごめ劇場版まーごめドキュメンタリー『まーごめ180キロ』を見ました。結論から言うと、今年一年、また配信ライブを見てはゲラゲラ笑ったりすることはあれど、一番、余韻に浸るというか、考えてしまうのは、もしかしたらこのライブかもしれないっていうくらいにぶっ刺さって、とにかく喰らった。

 元々、何をやるのか分からなかったので、買うかどうか保留としていたのだが、ママタルトの大鶴肥満が新型コロナに感染し、ライブに出られなくなったことで、その代役に、スカートの澤部渡が立てられたということを知って、これは見ないと駄目だなやつだな、となって見たのだけれど、これがなかなかどうして凄い傑作ライブだった。大鶴肥満が主にマックを喰らいながら、まーごめを、大鶴肥満を、そして、中の人である柏谷明弘を、なぞっていく。

 「まーごめ180キロ」は、大鶴肥満がスタッフにかけた一本の電話から始まる。一本の電話をくれたわけだ。

 「今度、まーごめを撮ってほしくてですね。まーごめを撮ってほしくて。まーごめのドキュメンタリーを撮ってほしいんですよ。はい、いや、このへんでね、すべて、もう、まーごめのすべてについて、お話しできたらなぁと思いまして。伝えたいんですよ、僕はもう。たまたままーごめがあるんじゃなくて、まーごめしか無かったんだっていうことを、伝えたいんですよ。だから、ドキュメンタリーを撮りたいんですよ。」

 そんな大鶴肥満からの電話から始まったドキュメンタリー映像は、2021年の夏から始まる。

 そういって、大鶴肥満は撮影スタッフを連れて、母校である明治大学へと向かう。そしてキャンパスにあるベンチに腰かけ、お笑いサークルに入った当時のことを振り返る。

 「まあね、明治大学入って、僕大学一年生のときはお笑いサークル入ってなかったんですよ。草野球サークル、レッドピジョンに入ってたんですよね。レッピですよ、レッピ。で、ですね。なんでお笑いサークルに入らなかったかっていうと、当時mixiが流行ってたんですよ。mixiで高校時代俺をいじめてた奴から、メッセージが来たんすよ。ていうのも、僕がつぶやきで、うわーお笑いサークル入ろうか野球サークル入ろうか、迷うなーみたいなつぶやきをしたんですよね。そしたらそのいじめてた奴からわざわざメッセージ来て、オメェみてえなつまんねぇ奴はお笑いサークル入ったって無駄だからお前は一生どこのサークルにも入らず、一人でいじけてろみたいなDM来て、野球サークル、レッドピジョンに入っちゃったんですよ。で、入ったらですね、まぁ飲みサーで、グラウンド取るんですけども、ほとんど飲み行こうみたいなサークルでしたし、挙句の果てになんか送別会、3年生を送る会みたいなところで、チェックのシャツをズボン履いて、メタボ部長って書かれたタスキつけて、ヘリウムガス吸うっていうのやらされて、その後に出てきたちょっとカッコいい子が、戦場カメラマンの渡部陽一です、のモノマネが一番ウケて、戦場カメラマンの渡部洋一が一番ウケるんだって思って、辞めました。」

 ここらあたりまでが、YouTubeにて無料で公開された部分だが、このなんとも切なくて悲しいエピソードを話しているあたりから、柏谷明弘が大鶴肥満となり、まーごめを得て、檜原と出会い、ママタルトの大鶴肥満になっていくまでの足跡を辿るガチガチのドキュメンタリーとなっていく。

 ライブでは、大鶴肥満が通っていた小学校、中学校、高校、大学を訪ねては、思い出を語っていくというVTRが流されるのだが、そこで出てくるのは、給食に食べたら吐いてしまうほどに嫌いなきゅうりが出た時に、先生に食べるように言われて、昼休みを過ぎて、授業が始まってもなお、きゅうりと睨めっこをして、頑張って食べたけれども吐いてしまった話、中学生になって告白をしたらそのことが広まった話と基本的には、嫌な話だ。特に高校生では、粕谷を執拗にいじめていた非友達である奴らから受けた嫌がらせの数々を話していく。大学に入り、お笑いサークルに入るも、そこでも、学生お笑いとしてテレビに出られる人たちと、そうでない自分との差にコンプレックスを覚える。家族との話では同居していた祖母のことが嫌いだった話まで飛び出す。

 そんな過去の話と並行して、現在である、マッチングアプリで出会った子との恋愛についての話や家族との話が進行する。

 そして後半に檜原との出会いが話され、ママタルトが始動し、粕谷明弘と、大鶴肥満と、まーごめが融合する。

 肥満から語られる、粕谷明弘の過去などは、かなり嫌なものでそれに対して、恨みつらみを述べている大鶴肥満を見ていると、お笑い芸人仲間とルームシェアをして、ピザを焼く陽気な人というパブリックイメージが、どんどん解体されていくのだが、最終的に融合することで、大鶴肥満が再構築されて「まーごめ180キロ」は終わる。この解体から再構築という流れが、なんとも言えない感情を呼び起こしているのだろう。

 しかし、「まーごめ180キロ」がただの切実なカウンセリングで終わらないのは、随所に笑いが挟まれているところだ。

 冒頭のスタッフとの待ち合わせでは、表参道グラウンドというワタナベプロダクションが所有するライブ会場で、マルシアを出待ちしている設定であったり、マクドナルドを見つけたらMr.都市伝説の関暁夫の口調になって陰謀論を唱えたりする。肥満の天然なところが出て、それをスタッフや、舞台にいる真空ジェシカとママタルトの檜原がツッコむ。真空ジェシカは、「ラヴィット」初出演時にこのくらいリラックスしていれば、批判されなかったのでは、と思うが、真空ジェシカが異物でなかったことなど無いし、「ラジオ父ちゃん」でしっかり反省していたところまで含めて、真空ジェシカの好きなところなので、もう少しみんな優しくなってほしいと思う。

 それはさておき、VTRの演出も見事だった。

 カラフルな遊具で遊びながら過去を語らせるという画は、可笑しみに溢れていて、どんどん大鶴肥満を好きになっていく。

 そして、マックを食べているシーンが多く使われているが、マックに行くという映像が、冒頭に一度出てきただけで、いつの間にか、大鶴肥満はマックの商品を手にしているというくだりが何回も出てきて、その度に、めちゃくちゃ笑ってしまった。大鶴肥満がマックのハンバーガーを買っているところは別に面白くはなく、いつの間にか持っているということが面白いということだと思うが、これは、ビートたけしが「誰かが銃で殺されることを表現するときに、発砲シーンをカットして、銃を持った男の後に、倒れている人を映せば、それで良い」という、ビーえいと一緒だ。ビートたけしの数学的な省略方法によるカット割りを用いた映画作り。いや、もしかしたら、黒アンかもしれない。黒澤さんのアングル。

 何より、個人的に興奮したのは、『HUNTER×HUNTER』との親和性の高さだった。

 「制約と誓約」などの小ネタから始まり、話に出てきた従兄弟の名前がコムギだということを受けてスタッフが「HUNTER×HUNTERのですか?」と聞くと嬉しそうに、「HUNTER×HUNTER」の方のコムギの情報を出してツッコむ。 

 こうなると、大鶴肥満がドキュメンタリーの冒頭で、「僕、結局、所詮、僕は、大鶴肥満っていうのは、まーごめの器でしかないんですよ。私は空っぽなんですよ。私は空っぽなんですよ。そこにまーごめというものを注ぎ込むことによって、私が完成するわけなんですよ。私を紹介したって何の意味もない。まーごめを全て紹介すること。一旦ここらで、まーごめとは何なのかというのを、ここで一つはっきり白黒つけようと。まーごめっていうのはこういうことですよっていうのを、分かっていただければなと思います。」と早口で捲し立てるシーンは、『HUNTER×HUNTER』で、ゴンに、「なぜ自分と関わりのない人達を殺せるの?」と問われた幻影旅団の団長が、「なぜだろうな、関係ないからじゃないか?あらためて問われると答え難いものだな。動機の言語化か・・・・・・余り好きじゃないしな。しかし案外・・・やはりというべきか。自分を掴むカギはそこにあるか・・・・・・」と、独りごちるシーンになってくる。しかし、肥満が言っていることは、よくよく聞けば、ある種、哲学的というか、まーごめに限らずギャグの本質にリーチしている。主体がどこにあるのかといった実存の話だ。

 確かに、「まーごめ180キロ」を見ると、大鶴肥満のお笑い芸人としてのアイデンティティが全くないことに気が付く。どの芸人に憧れてとか、そういったところが出てこない。基本的に、粕谷の心には、ずっと、自分はカーストの下位にいる、いつか見返してやるという気持ちがあることしかわからない。もしかしたら、肥満が自身について、「私は空っぽなんですよ」と言っている子との真意はここにあるのかもしれない。

 そんな大鶴肥満と檜原が出会う。檜原については、「刃牙道」での本部以蔵の活躍を見て、タバコをピース缶に変えたというエピソードしか知らなかったが、VTRに出てきた、ママタルトと近しい芸人のインタビューだけで、めちゃくちゃ愛されている陽の人だということが窺える。そして、大学お笑いでもその実力を発揮していた檜原が、大鶴肥満とライブで出会い、その時から、「一緒に帰ろうや」などとぐいぐい来たという。

 ママタルトとして、やっと世に出始めたという現状を知っているので、これまで肥満の暗い話をずっと聞かされていたところに、光が当たり始めたとい、安堵の気持ちが湧いてくる。

 最後のVTRで、肥満は、檜原への思いを語る。

大鶴肥満にとって檜原は本当に光、光ですね。檜原がいるから俺は突き進むことができるんだって思ってます。時々眩しくてね、見ることが出来ないこともあるけれども、ずっと俺の前で輝き続けてほしいなって思ってます。ごめんなさい俺キルアみたいなこと言っちゃいましたね。キルアがゴンに対してみたいな。まあけど、本当にそうですね。」

 「HUNTER×HUNTER」が好きな人間として、ここは、笑うとかじゃなくて、本当に感動してしまうくらいに良かった。

 もう一つ、パロディが本家を凌駕していたのが、配信が延長したことが決まったときの告知ツイートでのコピー「泣きながらビックマックセット食べたことある人は生きていけます」だ。

これは坂元裕二脚本の「カルテット」の「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」のパロディなのだが、この場面においては、あの時に坂本が描きたかったことの本質にかなり肉薄している。

 とにかく、パロディとサンプリングが多用されている「まードキュ」をみて色々と喰らったわけだが、なんでこんなに喰らっているのか自分でも分からない。分からないのだが、ママタルトにの二人に、M-1のファイナリストになって、優勝して、「サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ」で優勝して飛び跳ねた時の3倍以上飛び跳ねてほしいと思わずにはいられなくなっている。