重要な夢の競演のお知らせ。

どうも、こんばんは。
それはともかく、アイドルファンは重要なお知らせという言葉を、お笑いファンは夢の共演という言葉に苦い思い出を持つといいますが、当ブログより重要な夢の競演のお知らせがあります。
「俺だって日藝中退したかった」というブログをしばらく書いていたのですが、特に、芸能人の悪口を書くコラムの執筆依頼が来ることもなく、売れる気配がないので、本にして売ることにしました。いわゆる、同人誌ですね。

ラインナップは


(1)君は『Qさま!!』での吉木りさを目撃したか。
(2)「2013年のラジオたち、これからすごいことになるぜ」
(3)中国人の罠にひっかかった話と、お金の話。
(4)『泣くな、はらちゃん』は一話が100点
(5)深夜に届いたラブレター
(6)ここは忙しいけど、迎えに行くぜ。
(7)妻の名は希望
(8)『超落語!立川談笑落語全集』は悪書である。
(9)頭をデザインする番組『考えるカラス
(10)伊集院光の「同窓会に行った話」
(11)コサキンが『ウチくる!?』DEワァオ!
(12)3本の漫才
(13)アルピーだって決勝行きたかった。
(14)『ダイノジ大谷のANNR』〜ぼくがブロガーになった理由〜
(15)お笑い界のPerfumeを見に行ったら、ももクロに会えた。
(16)種市死ね
(17)いつも心に加藤浩次を。
(18)ボクらの想像力の時代
(19)テレビを体感する番組『リアル脱出ゲームTV』
(20)政見放送かと思ったら、長井秀和の漫談でした。
(21)僕達は「恋するフォーチュンクッキー」が名曲だということと、指原莉乃のアイドルとしての正しさを混同すべきではない。
(22)くりぃむしちゅー上田の天下取り宣言
(23)『安堂ロイド』は電波豚ブーブくんの夢を見るか
(24)古美門研介の捲土重来を期せよ。
(25)グランジ遠山の、見る前に跳べの精神
(26)深夜ラジオ流行語大賞13&ベストラジオ13
(27)死にたい死にたいって言いながら生きていくからな、ずっと。
(28)異形のコント師日本エレキテル連合
(29)それぞれの「実存のゼロ地点」
(30)小説を応用するために、筒井康隆『創作の極意と掟』を読もう。
(31)JAPANESE PARTYバスツアー日誌『愛の渦』
(32)三四郎の、オルタナ漫才絶対頑張ります!
(33)スポットライトの中に立っていてね。
(34)「愛は愛でいつかどこかにたどり着くさ」


以上の34本です。
全部で10万字くらいあります。元記事は、ブログの中にありますが、かなりの加筆修正を加えました。自分でいうのもなんですが、そこそこの読み応えはあると思います。ほとんどが、上記のタイトルで、このブログに散らばっているので、気になる方は、読んでみてください。もし面白いと感じてもらえれば、今回の本は満足してもらえると思います。2011年から2014年上半期までのテレビラジオの感想と、年齢分の業を詰め込みました。
よろしくお願いします。

よければ買ってくれ〜〜。


☆『俺だって日藝中退したかった』通信販売の流れ

①直接購入

(1)以下の必要事項を記入しmugen.channel.boxアットgmail.comまで送信して下さい。

名前:
住所:(クロネコヤマトの各事業所止というサービスもあるので、そちらを利用されたい方は、最寄の事業所の住所をご記載ください)
購入冊数:(1冊:820円)


(2)注文メールを確認後、不備がない方には、お支払い合計金額と支払い口座番号をご返信します。遅くても翌日には案内のメールをお送りしますので、届かない場合は、こちら側のメールが上手く送信出来ていないか、Gmailが弾かれている可能性もあります。
お手数ですが、再度の注文のメールをお送りするか、PCからのメールも受信できるように設定をしなおしてください。
1週間以内に入金して頂けると助かります。過ぎてしまう場合は、その旨を添えててもらうか、再度のメールを送信してもらえるとまたまた助かります。

例えば、一冊ご購入の方は、820円と送料80円の計1,000円のお支払となります。

(3)入金確認後、『俺だって日藝中退したかった』をスマートレター(郵便)にて発送します。

②BOOTHでの購入

(1)下記サイトをご確認ください。送料の分、直接購入より高くなっています。

memushiri.booth.pm



ツイッターやっています。
https://twitter.com/memushiri

慶安太平記あれこれ

 「講談って、でかい本屋行っても、入門書すらないんですよ。落語は何冊もあるし、同じくらい馴染みのない能とか狂言もある。それとかは、コーナーがあったりすることもあるのに、講談は本が一冊もないんですよね」
これは、少し前に、神田松之丞を勧めまくっていたときに、いかに講談が死んだジャンルであるかを説明するときのマクラとして使っていた言葉なのだけれども、今では、僕は人に好きなものを知られたくないので神田松之丞を勧める人にはそれなりに理解してくれる人にしか話していなかったのだけれど、そのくらいそれを話すような相手は大体、それが不要になったくらいには、『ENGEIグランドスラム』『ダウンタウンなう』に出演したり、爆笑問題伊集院光両方のファンに嫌われたりと、認知された2018年だったと思う。
 いつか、講談の入門になりそうな本でも探そうかな、なんて思っていながらも、ダラダラしているうちにその神田松之丞が入門書を上梓した。
 『神田松之丞 講談入門』は、当初は、講談を網羅できるような本にする予定だったが、途中でそれだと情報過多になってしまい、間口を狭めてしまうことになるということから、自身の持ちネタを中心としたものにして作ったと話している。ということは、これは、講談の入門でありながら、神田松之丞の講談の入門にもなっているということで、例えば神田松之丞を舞台で見たあとに、この本をめくって、そのネタの項目を調べて、話の前後や内容を確認する、もっといえば、これは見たな、あれは見ていないな、といって、神田松之丞を追っかけるための地図としても、機能する一冊になっている。スタンプラリーのように、チェックしていけるわけだ。
 それ以外にも、今後の展望、いずれは「伯」の名前が欲しいという話などとかを話していて、とても興味深かった。まだまだ神田松之丞幻想は続きそうである。
初めて、神田松之丞を見たのは、東京の神田にある、神田連雀亭というところでなのだが、そのときは「雷電爲右エ門」のネタの「谷風の初相撲」をかけていたのだが、数年の時を経て、本で確認したら、その時の記憶もよみがえってきた。

 というわけで、講談に、神田松之丞に興味があって、勉強したいという人にとってはマストな本になっていると思います。
 神田松之丞がリリースしたCD『松之丞ひとり~名演集~』には、連続物である「慶安太平記」のなかから、「箱根の惨劇」と「宇都谷峠」の二席が収録されているが、これはドラマでいえば、3話と7話だけをやっているようなものであって、単体でも面白いのだけれども、もちろん出来ることなら全部を知った方がいい。『神田松之丞 講談入門』にももちろん、解説が収録されていたので、項目を読み、概要を抑えたうえで、あらためてCDを聞きなおした。
 この「慶安太平記」というのは、日本史の教科書では、1行しか書かれていない「由井正雪の乱」についての話で、軍学者である由井正雪が、幕府転覆を図るも、失敗してしまい、最終的には自刃するというものだが、講談の「慶安太平記」は、今の言葉で言えば、ダークヒーローとでも言うべき由比小雪が、仲間を集めていくのだがそれは、さしづめ、『るろうに剣心』の京都編で、志々雄真実が十本刀を集めていくような感じだろうか、そんな少年漫画のような面白さで、現代でも充分に伝わるものだろう。
 南条範夫の『慶安太平記』も読んでみたが、そちらは、由井正雪の視点だが、謀略あり、裏切りあり、エロありと、こちらはジョージ秋山の『銭ゲバ』のようでもあって、ピカレスク要素が多かった。
 立川談志の『慶安太平記』も購入して聞いたが、こちらは、講談の『慶安太平記』とは全く異なって、なるほど~~となった。
 今度松之丞が、『慶安太平記』の通し公演をやるようで、行ける人は本当にうらやましい。

『M-1グランプリ2018』で立川志らくは何をどのように審査したのか。

 『M-1グランプリ2018』を見ました。第一回大会からずっと見続けて来て、初めてリアルタイムで見ることが出来ませんでした。というのも、シソンヌのライブ『モノクロ』を見に行っていたからです。だから、よく聞く情報を遮断するという行為自体が初めてでしたが、無事に何も情報を得ないまま帰宅して、録画を再生することが出来ました。危なかったのは、会場で、絶対にネタバレをペラペラ喋る奴がいるなと思っていたので、開演の前後ギリギリまでラジオ聞いていたんだけど、同行した奥さんが言うには、僕の隣でやっぱり「ミキが敗者復活で言ったらしいよ」とネタバレを話している人がいたらしいのですが、それを始めとして避することが出来ました。冨樫漫画を読んでいて良かったです。
 大会としては、芸風がバラけていて、いわゆる多牌ってやつで、誰が優勝してもおかしくない空気がビンビンで、それこそ、初期の大会のようでした。加えて審査員も、いろんな背景があって、文脈フェチにはたまんなかったです。そこも味わって良いんですか、みたいな。そして、その期待を裏切らない、めちゃくちゃ好きな大会になりました。
 立川志らくが、審査員になるという発表を聞いたときは、もちろん立川談志が審査員に来て、むちゃくちゃな空気にしていたことを思い出させたのですが嬉しく思いました。
 妻がシソンヌのライブに行く前に、「志らくに漫才の審査なんて出来るのかね」と軽口を言ってきたので、「まず、志らくは若手のころに深夜番組で漫才とかコントをやっていて、若者の人気を得ているんだよ。これは『雨ン中の、らくだ』に詳しいんだけど。で、立川流は寄席こそ出られないものの、ぜんぜん舞台で漫才師とも共演しているのよ。これがベースね。で、漫才と落語という演目の違いはあれど、立川流には二つ目、真打と昇進するためには明確な基準があって、志らくももちろんその審査を乗り越えて真打になった。それから、弟子をとって、何人も真打にしてきている。てことは、志らくは、審査というものが身近にあるんだよ。それだけで言えば、志らくは、恐らく今回の審査員のなかで一番、審査してきたし、されてきたと思うんだけど、それを理解したうえで、同じ質問言えるかな。」ときちんと論破しました。そのくらい、嬉しかったです。
 ただ、ひとつ気になったことがありまして、立川志らくの審査がめちゃくちゃ叩かれているということです。ネタの後の寸評を聞いて、ああ、ぶれていないなあ、ちゃんと演芸としての目線で審査しているなあとか思っていたのですが、叩かれている!
そのことに衝撃を受けて、モヤモヤしながらも寝て、でも、朝起きたら、「志らくの審査批判はちょっと落語への敬意や流れを踏まえてなさすぎだと思う。」と暴れてしまいました。
 ただ自分でも自信が無くなってきて、上沼恵美子のミキへの98点みたいな判断をしているんじゃないかなと心配になってきたので、M-1での寸評を書き起こしてみました。   
 そこから、志らくは何を基準に審査をしたのか、考えて行きたいと思います。
点数については、数字のマジックがある気がするので、今回はあくまで寸評だけを見ていきたいと思います。
どこをM-1の感想の縦軸にしてるんだっていう話ですが、まず、一覧をご覧ください。

 

■見取り図
「最初聞いているうちはなんか新しさがないから、あ、これはほんとに50点くらいつけようと思ったんですけど、だけど、あの、マルコ牧師で70点くらいまで跳ね上がって、須田えり子で85点まで跳ね上がった。」

 

スーパーマラドーナ
(指名なし)

 

かまいたち
「いやあ、あのぅ、ものすごくうまいし、えぇそれから、おもしろいし、上手さを感じすぎてしまったんで、本当に面白い凄い漫才師、ここら辺(審査員席)にいらっしゃいますけども。上手いとか感じないですよね。もうとにかく、うわ、おもしれえ、すごい、上手さの前には、あのー、魅力ってのが現れたらば、太刀打ちできないんですよ。だからすごい上手いと思ってしまった。えぇ。発想からいったら、さっきの猟奇的なやつのほうが、発想としては凄いと思ってしまった。同じ点にしてしまったのですけれどもね。」

 

ジャルジャル
「実は私ずっと見てて、一つも笑えなかったんですよ。だけどもものすごい面白かった。だから、これがプロの芸人を笑わせる、あの芸なのかな、というふうに関心して。で、プロがあんまりゲラゲラ笑うようなのっていうのはそんな面白くないんです、本当は。頭の中めっちゃくちゃ面白かったんです。最初はふざけてるだけで、くだらねえなって思ってたんだけど、だんだんこのノリはね、昔のあのコント55号を思い出す感じにもなってきて。とんだ漫才に、私は惹かれましたね」

 

ギャロップ
「おそらく広い劇場とかでのんびり見てると面白いんだろうけど、テレビサイズで、ひときわこっち(舞台)と、モニター見てたんだけど、禿げ方があんまり面白くないんですよね。遠くで見てると面白いけど、モニターで見てると、大して、どこにでもいるハゲだなあっていう感じで、あんまり面白くない」

 

■ゆにばーす
「出てきた感じとか、それから見た目とか、声の雰囲気とか、ものすごく面白い感じがするんだけれども、それほどでもなかったのかなと。まあでも、はらさんのほうは、ほっといてもきっとテレビで売れるんじゃないですか。そのかわり、でも漫才は別れちゃ駄目ですよ、絶対に。」

 

■ミキ
「恐らく今日やった漫才のなかでは一番素晴らしいし、今後30年40年、漫才師として生きているのは、恐らくこのお二人だろうと、思います。ただもっとなんか凄い新しいモノをどーんとこういう、なんか、欲しいですね。なんか心が揺れるくらい、うわーっ、すごい、この発想は我々には到底及びもつかないっていうような。ものすごい新しいものがあったらば、10点くらい上乗せしましたけれども。」

 

■トム・ブラウン
「なんなんですか、あんたたちは。意味も全く分かんないんだけど、衝撃を受けましたね。だから、もしかしたらこんな変な奴等が好きなのかもしれない。だから、今ものすごいがっくりしているのはもうネタが聞けないっていうことですよ。二本目いったいどんなのが来るのか。だからM-1では敗退したけど、わたしはあなたたちを追っかけますよ。」

 

霜降り明星
「一番あのー現代的で、ほどがいい、あの漫才なんでしょうね。だから会場もひっくり返ってウけてて。であとは、うるさ型の人が、たとえばあのお笑いに関係ない、尖がった芸能界の人や文化人が、彼らに食いつくかどうかっていう勝負でしょうね。大衆は彼らをものすごく支持すると思います。」

 

■和牛
「ゾンビにそれから殺すってワードが出てきて、非常に最初は嫌な感じがしたんだけども、全体でものすごく品があるんですよね。品があるから、ゾンビって言おうが殺すって言おうが、どんなことをしても、楽しく聞けるっていう。それはやっぱり、お二方が持ってる才能でしょうね。」

 

 どうでしょうか。
 書き起こして一読してみると、改めて、これはやっぱり、落語家が漫才師を審査するということに一定の線を引いて踏み込み過ぎず、かといって落語家という目線から一切ぶれていないと改めて思っています。ほぼ我を出していない。
 そして気付いたのは、立川談志の名前を、冒頭に「(過去に同じ舞台で)50点をつけてピリつかせた」という話以外出していないということ。もっといえば、「業の肯定」や「イリュージョン」という言葉を使わずに、審査の点数の説明をしている。
いくらでも流れ的に「談志がいうところの」とか使えるのに、使っていない。これだけで、タレントの立川志らくとして来ているわけではないということが存分に伝わってくる。むしろ、立川談志の審査こそが、お墨付きをもらえるか、否定されるかの一か八かのギャンブル性が強いようなものだったので、立川談志よりも真摯に向き合っているとも言えます。
 これらの中から、ワードをさらにピックアップしていきたいと思います。
 まず、かまいたちへの「上手さを感じすぎてしまった」。
 落語には、桂文楽古今亭志ん生論争みたいなのがあって、それは何かと言うと、寸分違わず同じ芸を見せる文楽と、ネタの出来の当たり外れが激しい志ん生、どちらが好みかというものだ。間違いなく上手いのは文楽なのだけれど、ホームランの本数が多いのは志ん生なんじゃないか、好みはどっちだという話である。
 漫才でいえば「台本が見えてしまう」「練習量が見えてしまう」というところであろうか。台本があって、さらに何度も何度も練習をしているのに、互いが初めて話をしているていで、漫才は進んでいく。観客もその嘘を共有し笑う。これは冷静に考えるとものすごく矛盾をはらんでいる構造で、だからこそ、絶妙なバランスで成り立っている演芸である。
 かまいたちの漫才、漫才中にパワーバランスも入れ替わり、構成も見事で、ブラックマヨネーズの漫才により緻密な計算が加えられたようなもので、ものすごく面白いんだけれども、だからこそ、先述したバランスが崩れてしまったように志らくには思えたのではないだろうか。 
続いて、霜降り明星への「尖がった芸能界の人や文化人が、彼らに食いつくかどうかっていう勝負」。
 立川談志ビートたけし爆笑問題ダウンタウン、は、実際、そういったうるさ型に注目されて、天下を取ってきた。それは志らくの若いころも同じで、だからこそ、天下を取るためには、そういった連中に語られてなんぼであって、この評価軸は絶対に必要であるこということを理解している。
 何故、霜降り明星にこう言ったのか。
 それは、志らくは、霜降り明星について「大衆という評価軸ではすでに満点を取っている」「大衆だけを相手にするならそのままで何の問題も無い」と思っているからではないだろうか。
 志らくが、霜降り明星に入れた点数は93点と、ジャルジャル、トム・ブラウンに次いで三番目ではあるものの、これはほぼ絶賛といっても良いのではないだろうか。
だから、この言葉は十年二十年後の霜降り明星に対しての「芸の重さも手に入れても損はないぞ」というアドバイスだ。あとあとから効いてくるやつ。
 ちなみに、学者は学者でも茂木健一郎はうるさ型ではなく、ただうるさいだけなので、あれに評価されても何の意味もないです。国税局に目をつけられて終り。 
続いて、トム・ブラウンへの「こんな変な奴等が好きなのかもしれない」。
落語の世界では「フラ」という言葉がある。これは、「言葉や理屈では説明出来ない面白さ」という意味で、説明できないということを説明する言葉で、「あの芸人はフラがある」などと使われる。
 今回のメンバーで一番未知数であったトム・ブラウンは、それをまとっていた。幻想と言い換えてもいい、絶対に面白い漫才をするという空気。
 「サザエさんの中島を五人集めて中島MAXを作る」というそれこそイリュージョンなでめちゃくちゃゃな、トム・ブラウンの漫才、実は「平成ヒットメドレー」とかツッコミが面白いワードを入れてそこで笑いを取っていたり、「誰か分からない女が来たと思ったら(これがボケになっている)、それが花沢さんで、花沢さんが呼んだから中島が五人そろって中島MAXが出来た」とか、よく見たら構成もテクニックも上手いのだけれども、ナンセンスさや90年代ギャグ漫画からそのまま出てきたような佇まいがそれをかき消して、その上手さが上手くかき消されている。一回見ただけでは、上手いという評価をくだす人はそんなにいないだろう。これが計算なのかは分からないが、これが志らくのいう、上手さを感じさせない漫才の一つとも言える。
 それが、同じくらいぶっとんだ発想をしているランジャタイ(大好き)、金属バット、Aマッソなどよりも先に決勝に行けた理由だろう。
 ギャロップというか林への「禿げ方があんまり面白くないんですよね」については、やっぱり、他の面白いハゲと比べると林は禿げ方で負けちゃってますよ。桂枝雀やら、笑福亭鶴瓶やら、海原はるかやら、ブラマヨ小杉やら。林は白髪もあるし、頭の形もボコボコだし。ダイアンのラジオで、林にはめちゃくちゃ笑っていましたが、動画で見たら、少し「こんなにおじさんだったっけ」となってしまいましたもん。そういった悲壮感が林の持ち味だと思うのですが、こと今回のネタに関しては、それがただ積み重ねられるだけで終わってしまったので、ハゲが武器にならなかったのかな、と思いました。
振り返ってみても、僕は志らくからは、「イロモノを上から審査する」という目線は一切感じられず、他の審査員と同じくらい漫才というジャンルと若手漫才師への敬意に溢れていた審査だと思っている。そのなかで「大衆に向けた伝統芸能」という相反する落語の価値観に基づいて、審査をしている。「全体でものすごく品がある」とかは、落語家の価値観だ。
 審査員が持っている基準は、大別すると「大衆、伝統、技術、発想、ニン」の五つのパラメーターになっていて、それぞれが何に多めにゲージを振り分けているかを考えるという遊びを提唱したいと思う。
 これまで紹介した寸評から推理すると、志らくは、「発想とニンを重視し、技術や大衆はそこまで重視していない」という見たてが出来る。オール巨人は技術を重視しているだろうからそこと志らくの違いはやっぱり、漫才と落語の違いだな~とか、上沼は大衆のゲージが大きいけどやっぱり審査員の中でその役割を持っている人は外せない、などとぶつぶつと考えていけば、きっと審査員席全体でのバランスはものすごく良いものになっていると思う。
 「今後30年40年、漫才師として生きている」「尖がった芸能界の人や文化人が、彼らに食いつくかどうかっていう勝負」という言葉のとおり、志らくオール巨人よりも先の未来を見ているような気がしないでもない。生涯、漫才師たりえるコンビかどうか。
 これらの理由で、僕は志らく師匠の審査はとてもよかったと思います。
 ガッテンしていただけましたでしょうか。

鼠穴とグロテスクさに、少し泣く。

 先日、自転車で140キロ走ってきた。自転車をこいでいる時は、足が爆発しそうになっている半面、上半身と頭は元気なので、割と暇な気持ちになるので、海を見つつ、「俺は、落語や落語家が好きというよりは、古典落語が好きなだけだから、落語家になってもすぐに言いわけして廃業しただろうな」とか考えていた。
その間、僕に置いて行かれた妻は、落語会に行ってきたとのこと。僕の影響で落語会には行ったことあるのだが、一人で行ったのは初めてで、それはとても嬉しかった。何をやっていたのか聞くと、「鼠穴」だという。
 ふと思い立って、『笑う超人』の特典映像の立川談志の「鼠穴」を二人で見ることにした。
 そこで、立川談志が言っていたセリフに思わず泣いてしまった。
 長くなるけれど引用したいと思います。
「私がやっているのは非常識、常識が無くなって非常識が出てくる、その非常識のもっと奥にある人間の芯てえ、業(ごう)みたいなのが出てくる。全く説明のつきようがないもの。これをやっていいものは、藝術家とスポーツマンだけだ。殴りっこってのはいけないんですよ。ぶん殴るなんてのは。だけど、ボクシングというのを借りれば殴りっこもいいと。気障にいうと、常識という非常に狭い部分でしかつながらない、お互い様。うん、わずかなもんだ。だからつながってないところで、いる人たち。例えばダウン症の子供なんかつれている母親とかこう見てると、我々の知る、親子なんていう絆では桁が違うという、太いものでつながれてるな、というのをひしひしと感じます。では、それらグロテスクなものも含めて、人間の中に入れとくもの、それが無くなったから次から次へと出てくるグロテスクな犯罪。あれはみんなが望んでるんです。あれを出ることによって、やだね、と言って自分のあれを添えるんです。だからそのグロテスクなものを藝術は出してくる、映画でいうと、フェリーニみたいに、どっちかというと常人とつながらない、唖であるとか小人であるとか背虫であるとかという常人と同じサイクルというか感情でつなぎあう方法をもてない人達の了見、ああ、この了見な。これがあるかでないかで芸人決まるんだ。爆笑問題にはそれがあると思ったから、行けってわたしは言ったんだ。」
 この映像は、最初見たときは本当にすごかったと感じたのだけれど、久々に見てみたら、ここ最近寝る前に聞いていた30代から50代の立川談志と比べると、やはり老いや勢いの衰えを感じてしまったのだけれども、この部分には震えてしまった。

 2006年の年末に出演してその五年後に亡くなってしまう立川談志が、30周年を迎えた爆笑問題に今年向けられたビデオメッセージのようでもあるし、何度もこの部分を見ていたはずなのに、最近考えていたことの答えを教えてもらったんだろうと、頭の中の時間軸がぐちゃぐちゃになってしまった。

町田コーを読むとそういう文章を書きたくなるよね。

アメトーーク』の「カメラかじってる芸人」を見ました。2013年に放送したものだったのですが、今も面白かったです。

いまさらですが、小藪無双をリアルタイムで見逃していたことを後悔するほどに笑いました。

小藪の撮るべきものは半径5Mの世界である、技術や道具はそれからという至極まっとうな主張で、改めてカメラが欲しくなりました。

このTVショーをサナトリウムで見ながらぶつぶつ呟いてたらふと気付いたのですが、そのつぶやきが小藪とかなり合致していて、あ、小藪とニンが近いんだなと、嬉しくなりました。イキりを逃さない。設楽さんも逃がさない精神の持ち主ですが、それよりも理詰めで、おっとろしいもんで、そこに強いシンパシーを感じる。

つい先日も、武田砂鉄がナンシー関の本の帯に「ナンシー関に賞味期限はない」みたいなことを書いているのを見かけて、あほか、人間が人間のことを書く以上、ましてや、タレントっつー俗物の権化、大衆の鏡を批評するという仕事をして、それがウけていたんだぞ、そらそんな文章に賞味期限があるわけないやんけ、ほなあれか、きみは、司馬遼太郎の小説の帯に「司馬遼太郎に賞味期限はない」って書くかいな、それ見た人は、そらせやろ、なんやこいつ、平成も終るというのに映画泥棒をいじったCMを作って、クリエイター気取っている広告代理店が、飲み会で十把一絡げの後輩の就職活動中の女子に向けた「まあ、どんなに大きな会社に入っても何をするかっていうのが一番大事だから。本当に出来る人は、入社式の時点で、会社を辞めるためにはどうすればいいか考えているもんだよ。そんなことよりセックスしない?」っていうアドバイスくらい何も言っていないのと同じやんか、そんなことも気付かんと今更こんなあたりきなことをこれ見よがしにドヤ顔で帯にしてだっさ、ああ、それより、高崎山の猿のことが気になってしょうがないなあ、猿ですら餌のレベルが下がったという理由で、ストライキをするというのに、日本人はデモをしてもストライキをしやがらない、みんなで税金納めるの辞めて、仕事行くのを辞めればええんや、そんなことより、最近TUTAYAから成人コーナーが消えて、なんかそれってご時世だからしゃあないですやんって感じにしても、今までTUTAYAが培ってきた文化を打っ棄って、梯子を急にはずすなんて、殺生やでご無体やでと思ったくらいですし。

つーわけで買ってきました。

ガンガン写真を撮りたいと思います。

ミニにタコ!!

 

 

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面倒臭いの迷路

僕は自分が面倒臭い人間であることに自覚があるきちんとした面倒臭い人間である。

どれくらい面倒臭いかというと、今僕は、ヒゲを伸ばしているのだけど、こないだまでヒゲを伸ばすというからには、頬や口髭とあごひげがつながる部分を剃るのはおかしいのではないかと思って、一時期一切カミソリをいれないというヒゲの伸ばし方をしていたくらいのものだ。

男がヒゲを伸ばすと少なからず、社会人失格という目で見られたり、幸いにもそんなことはまだないが、上司に、剃るように言われたりすることもあるという。ヒゲどうしたんだ?などと言われたことはあるので、それを嫌味とカウントするのかは難しいところではあるものの、剃るように強制されたことはないので、まあ良しとしている。

ただ、そういうことをいう上司たちも、女性に、髪を染めるな、とは言わないだろう。僕は男性がヒゲを伸ばすことは、女性の染髪と同じおしゃれの一つで、同等のものだと思うのだけれど、世の中はそうではないらしいということはなんとなく分かっている。

よくこういったことを考えている。これがダメなら、あれが良いのはおかしいとぶつぶつ言っている。

不倫をした芸能人が叩かれると、不倫をしてることが羨ましいからだと、紋切り型のことをいう奴がいるが、欲望に沿った行動をしている人間を叩くことの原動力が嫉妬だけというなら、飲酒運転をした吉澤ひとみを叩いた人に対しても、嫉妬で叩いてるというべきなのだけれど、そういったことはないので、じゃあ、嫉妬じゃねえじゃねえかとなる。

改めるけれど、僕はそんな面倒臭い思考をして日々を暮らしている。

もうこうなると自分以外は全員狂人と思ってしまう脳の病気なので、猿の脳みそを食べ続ける未開の部族の医療を受けるしかない。

ただ最初に話したように、自分の面倒臭さを認識していて、宿痾と思っているので、なるべくなら向き合わずに生きていたい。それはまあ、他の人にも伝わるだろう。

先日、中学からの同級生のLINEをブロックした。LINEのアイコンをとある写真に変えたとき、LINE経由で話しかけられた。それは、こちらとあちらの間でよくやるやりとりの一つであったが、その時は面白いものとして成立していない、つまりはLINEのアイコンを変えたこと、そしてその画像に対しても、特にかかっていないことだったので、つまんねえし、気に入った写真だったからアイコンにしたのに、冷めたわ、となった。ので、ほしたら元に戻すわ、と返した。そのあと、どう返してくるのかと待っていたら、全く何もなかったので、ブロックしたということである。

僕の中でよくある、え?これ俺が悪いの?案件である。

こういったことにぶつかると、僕の脳みそはその迷路から全く抜け出せなくなってしまう。しかし、どう考えても俺は悪くないのに、なぜこんなことになっているのかという、ある意味絶対に答えの出ない問答をしないといけなくなる。

迷路の壁は鏡で出来ている。思考がさまざまなことを巡るのだが、その間、自分の面倒臭さに向き合わなければならなくなる。

これが本当にストレスで、頭を掻きむしりたくなるし、コンビニのおでんを指で突きたくなるし、大声を出して本屋に平積みされているキングコング西野の本を破りたくなるし、全く性的嗜好ではない熟女スパンキングもののAVを借りて暴れ手筒の一つや二つをしたくなる。全く興奮しないポルノでオナニーをしないといけないことほど、自分を傷付けるものはない。フォロワーが数千人もいて、ただスイーツの写真をInstagramにアップして、イイね!を貰っても承認欲求が満たされない、それどころか前よりも、虚しさが募っている、はーリスストカットしよと思ってしまう、女子大生は手首を切る前に、全く興味のないジャンルで手慰みをすることをおすすめする。

人生は有限なので、ん?と思うことが多くなった人間関係は切っていけば良いのだなとここ最近はとみにそう思う。

ナイツのライブビューイング前に書くブログではないな。

それでは、また来世。

まんじゅう大帝国トークライブ『おしゃべり大外交#4』


 まんじゅう大帝国のライブ『おしゃべり大外交』を見てきました。
 ラジフェス初日の観覧を終えて、カプセルホテルで少しだけ休んだものの、体バッキバキの状態で数年ぶりのオールナイトライブということで、いろいろと心配でしたが老体に鞭打った甲斐がありました。
 夜11時過ぎの、新大久保というディープな街をすり抜けてネイキッドロフトへと向かう。ネイキッドロフトといえば、あの、あの、お笑い評論家であり、おわライターでもあるラリー遠田さんの主催する「お笑いトークラリー」が開かれている会場であり、言ってみれば、お笑いの聖地なわけで、震えが止まらない。しかし、新大久保、焼き肉店が多くて、美味しそうでした。
 嘘と無駄はこのくらいにして、トークライブを出来るだけ振り返ろうと思います。
 第一部は前回の同ライブが開催された8月から今日までを、まんじゅう大帝国二人だけのトークで、振り返る。割と激動だったようで、8月はM1グランプリが始まったのだけれども、まさかの一回戦敗退という地獄の夏の幕開け。しかし、そこから『ENGEIトライアウト』に出演、そこで勝ち上がって『ENGEIグランドスラム』への出場券を獲得するという高低差、からの、トークライブの日の朝に放送された竹内の「ウルトラマン」出演と目白押しだった。
 全組ウけていたというトライアウトで、自分達が勝ち上がれたのは、お客の投票数が一人二票というなかで、一番面白かった人にそれぞれ入れた後、「二票目どうしようかなー、そういえば、変なやついたな~」と思ったみんなが、自分達に入れてくれたからだろうと分析。
 そんなこんなで迎えた、グランドスラム当日の話は、裏話たっぷりで聴きごたえがあった。誰も知り合いがいないから知っている人の楽屋がいいだろうということで爆笑問題の楽屋にいたのだけどそれで緊張してしまったから逆に本番ではそんなに緊張しなかったとか、楽屋挨拶に行ったけど全く会えなくて、全然挨拶出来なかったとか、「タ行で『雪の華』を歌う」という友近のネタに使う歌詞のカンペを見つけて「これ、いるか!?」となったとか、せり上がりの瞬間まで、とにかく色々話してくれました。
 田中が再現した太田さんがやたらとおじいちゃんだったり、田中(裕)が田原俊彦ぽかったところだけ気になりました。
 他にも、『ウルトラマンR/B』で竹内がザラブ星人として、まんじゅうのネタみたいなストーリーを話して、田中はそれを同居人とゲラゲラ笑いながら見たという話をしていました。
 そんなこんなで一時間ほどで第一部終了。思えば、平場のまんじゅうはほぼ初だったのだけれど、激動の二カ月をゆるやかにトークしていて楽しかったです。
 竹内のカラオケの音源を聞かされるという休憩を挟んではじまった第二部は、一組目のゲストのパーパーが登場。
 前半のトークは、なんか一歩間違えたら炎上しそうな気もしないようなセンシティブな内容の話だったので、割愛。俺はそういう配慮が出来る男。
パーパーといえば、仲が悪いということでお馴染なのだけれど、その弊害の話をしていた。
 このライブの日の昼は、とある大学の学祭での営業だったが、そこでネタを外してしまったとのこと。それで観客の心が離れてしまったのか、ステージ上に観客をあげてゲームをするために、呼びかけるも、誰ひとり手を上げないという状況になってしまい、星野はあたふたしてしまったが、あいなぷぅからの助けがなかったというもので、これはちょっと仲良くしないとなと思ったという。その帰りの新幹線では前に星野、後ろにあいなぷぅという座席の位置で、一年ぶりに、東京駅で降りるときに「今日の夜(のトークライブ)、がんばりましょう」と話しかけようと、意を決して、駅について後ろを見たら、あいなぷぅはすでにいなかったと。それに対してあいなぷぅは「私は前から、(新幹線に乗る時は)品川でおりていた」といって、それすら把握していないってこのコンビ間の溝、マリアナ海溝ばりに深いな、と思いました。
 パーパーのネタ作りの話が聞けなかったのだけが残念です。ちなみにまんじゅう大帝国のネタ作りについては、竹内が田中の家に行くが、田中は寝ているので、田中と同居している芸人と大きな声で喋って起こすようにしているという話しか聞けなかったが、そのことの話の中で田中が言った「芸人って、起きるまで寝てるじゃない?」が、何とも落語っぽくて良かった。
 第三部は元卯月の木場がゲスト。木場は田中の同居人の一人。もともと仲良くなったのは、竹内と木場の間が先とのことで「(でも田中と同居しているんだから)不思議なもんだよね」と話していた。その他には、かが屋の賀屋、バーニーズの細田官房長官が同居しているという。
 竹内と木場が話すようになったのは、楽屋でよくシャドーピッチングをしているらしい竹内に、最初、野球が好きな木場が「野球やってたの?どこのポジション?え、ピッチャー!?」と話していて、どんな投げ方していたのって聞いたら、急に竹内が「身長が5Mあったから、上からボールを落としていた」と言いだして、「俺、普通に野球やっているのか知りたかったのに!?」となったが、そこから仲良くなったと。
そこからあるライブのあと、会場だった新宿バティオス(だっけか)の外で、竹内と木場が何やら楽しそうに話している。気になって近付いて聞いてみたら、「元気ですか?」「元気ですよ」「元気があれば何でも出来るらしいですよ」と話していて、田中はその会話を聞いているうちに「馬場が二人いるぅぅぅ」と気付いたという。
またしても、落語の与太郎同志の会話の匂いがするエピソード。談志師匠、これが江戸の風なんですね(地面に向かって叫ぶ)!
 木場は、たまに見かける、心のドアの鍵がぶっ壊れているタイプの人で、やたら明るいのに、何か闇を感じるという、前の方で見るには恐怖を感じるくらいに完全にオープンな人だったのだが、卯月が解散して、暇になった今は、よりウェルカムな状態らしく、誘われたらどこにでもいくし、何でもやってしまうと。先日も山梨でのアイドルのライブに行って、帰りの算段がなかったのだけれど、たまたま先輩芸人が車で来ていたので、運転するんで一緒に帰らせてくださいとお願いして、それで帰ってこられたということもあったという。
 その中で、木場が地蔵中毒という劇団の主宰と知り合って、その劇に参加したという話をしていた。その主催の大谷皿屋敷がクレイジーだという話をしていたら、まんじゅう田中の落語での知り合いとのこと。まんじゅうの二人は、大谷のやばい話を聞くたびに、「元気なんだなー」という和やかな気持ちになるらしい。
 大谷も田中が優勝、竹内が準優勝した学生落語の大会「てんしき杯」で優勝しているのだけれど、「いろんな夫婦がいますよね。キンタマを万力で潰して、いててて、もうやめてもうやめて、リアス式海岸みたいになってるから!」というマクラから「火焔太鼓」に入るというぶっとんだものをしていたという。
 その「てんしき杯」でもずっとこんな調子で馬鹿みたいにウケていたという。田中曰く「あいつなんだかおもしれーなー、あげちゃえ、あげちゃえってなっていたら、いつのまにか決勝戦にいた」とのこと。その決勝戦の相手は、上方で女性で上手いという真逆の落語だったのだけれど、明らかに笑いの量で大谷が勝っていたため、審査員すらも「大谷に入れないのはちょっと・・・・・・」という会場の空気に飲まれさせてしまった末の優勝だったと笑いながら話す。

 最後は、ゲームコーナーをして終了。

 オールナイトトークライブ帰りの、体は疲れているけど脳がバキバキに起きている状態で、まだ暗くて少し寒い早朝の駅で立っていると、東京だなあ、と思います。