石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

粗品のギミック主義作家としての才能を発揮させる場を作ってくれよという話

 今回の粗品の俎上に上げられた発言って、ジャニーズ事務所のグループに対してのものだということまでは把握していて、加えて、言ってることは、そんなに間違ってはいないけれども、少なくとも切り取られると面白くないものだったという認識なのですが、どうでしょうか。この粗品の毎度のやつが何故、間違ってなくても不快なのかは、大喜利の初手で思いついて消されるものだからっていうことで自分の中では答えが出てますが。
 そもそもジャニーズ事務所におけるトップの性加害が明るみに出た時に、日本のメディアはほぼダンマリを決め込むことで宿痾とすることに決めたんだな、だったら、令和5年度を持って、受容した視聴者も悪いみたいな空気は絶対に辞めてほしいなとも思いますし、そんなんだから粗品一人にいじられたくらいでお釣りくるだろとかまでは思っていないですけど、それはそれとして、2023年8月11日深夜放送の『霜降り明星オールナイトニッポン』を聴きました。
 風邪をひいていて、頭がぼんやりとする中で聞いたということを差し引いても、崎山蒼志の複雑な新曲を聞いたくらいの、ちょっと分かんねぇな、分かんねえなっていうか絶賛は出来ないなってのが感想です。「むげん・(with 諭吉佳作/men)」はなんか凄いことやってるんだけど、フルで聴けないみたいな。あのと粗品の番組に崎山蒼志が出てて、コードがエモいって言われても分かんないし、一緒に見ていた妻もそれに同意していて、知らんけどゴッホのひまわりを水墨画で描いているみたいなことかって言ったらそうかもしれないって言って、大体こういう構造をスライドさせて本質に近づけるんだよとか思ったものの、やっぱりよく分からなかった。
 笑わなかったとかではなくて、番組の仕掛け自体は凄いかもしれないけれども、さらにもう一個の枠組みを超えられなかったみたいなことだろうか。仕掛けが物語を組み込みきれなかった。
 霜降り明星って、天才同士のコンビであることは間違い無いんですけど、それは『まんが道』の満賀道雄才野茂っていうよりは、どちらかといえば、コンビを解消してだいぶ経ってからの藤子A不二雄と藤子F不二雄のような、『呪術廻戦』でいうところの、乙骨優太と秤金次の2年コンビのような天才同士って感じがしますよね。
 スタートから映画化される出自を持った底なしの呪力と模倣というカッコいい術式を持ったスター性半端ない乙骨先輩と、ザラついた呪力とアニメ化の時にいろんな人が困るんじゃねーのっていう一巻丸々使ってもようけ分からんかった術式を使う秤先輩。
 粗品って、R-1グランプリ優勝特番で、当時は、ぐらんぷりですか、それで見せたように、作家としては、ものすごいギミック主義としての側面を見せつけて話題になったわけですけど、今のテレビでそういった方面の能力を発揮できているのかは、ちょっと疑問に思わざるを得ない。他にも、ギミック主義であることを確定させるような何かがあったんですけど、忘れてしまいました。
 対して、せいやの才能は分かりやすくて華があって企画に落とし込みやすいから、「水曜日のダウンタウン」での、誰もしたことないモノマネグランプリで大金星を飾ったり、イエモネアで僕の腹を千切れさせたりしたみたいに、お笑いの能力を存分に試される場が与えられ、そこで成果を出すという、シンプル主人公ロードを邁進することになっている。あれを見ちゃうと、今の粗品の芸人としての活動は、心底楽しんでいるのかなって比べてしまう。
 そうなると、最悪なのは、五条悟と夏油傑ルートになって崎山蒼志の「燈」エンドじゃねえかってなるんですけど、「僕の善意が壊れてしまう前に」ってそういうことかってならないための1番の方法って、粗品を暇にさせないことだと思うんですよね。
 ギミック主義としての作家としての場をどんどん作ることで、粗品の可処分時間を奪いまくる。面倒臭いことをさせまくる。事務と調整をやらせまくる。その先にあるのは、第二のバカリズムであり、第二の「ブラッシュアップライフ」のような気がします。
 てんで検討外れかもしれないけれど、ほんと、テレビ局関係者、作家さん、粗品のそういう方面を見せてくれる機会のお膳立てを、ご検討のほどよろしくお願います。