どうも、芽むしりa.k.a電柱理論です。ブログタイトルは「石をつかんで潜め」。どれか一つだけでも覚えて帰ってください。
今年は市内のホテルで『M-1グランプリ』を視聴しました。子供が出来てからというもの、賞レースリアルタイム出来ない問題に対して、ネットカフェに行ったりするなどの対策を取っていたのですが、今年は、新型コロナウィルスによる経済活動の喚起の政策のためのホテルの宿泊料金を補助するクーポンがあったので、それを使用したのですが、結論からいうと、これが大正解でした。
これまでは、まあ、ホテルに泊まるまではしないでも良いかなと思っていたのですが、来年以降もやっちゃいそう。
お昼の3時にチェックイン、それからすぐに部屋のテレビをつけて、敗者復活戦を見る。敗者復活戦が終わってからは、コンビニに行き、お酒とスナックを買う。それからレストランに行き、ディナーを食べながら、twitterで敗者復活戦の感想とフォローしている人たちが、敗者復活戦で誰に投票したのかをチェックする。30分程度で急ぎながら食事を終え、本戦が始まるまでに部屋に戻り、長いオープニングの間に、今年買ったばかりのMacBook Airを開き、すべてのスタンバイを終える。
大会が終わると、宇宙最速と嘯いた感想をドロップし、他の人の感想をサーチ、しばらくしてお風呂に入って落ち着く。お風呂から上がってから、また感想を読み、少しの夜更かしをして、翌朝は平日よりも遅く起きる。
最高でした。敗者復活戦から本戦までの一時間弱は、忙しなかったけれど、それすら楽しかった。
我が家では、月に一度、育児から離れることが出来る日を設定して、その時はそうじゃない方が留守番をするというシステムを導入して、互いの調子を整えている。今回は、それを使用しました。何人たりとも、この運用を批判することは出来ない。自分が個として尊重されることが、他者を個として尊重されることの第一歩なわけですから。
さて、毎年恒例になりつつあるネタ評スタートです。なお、今回の評で、バカという言葉が出てきますが、それは、落語でいうところの与太郎の意味合いでのバカですのでご了承よろしくお願いします。
(予選ラウンド)
1組目 モグライダー「さそり座の女」
昨年のウエストランドと同様に、東京のライブに足繁く通っている、または過去形の人たちの思いが乗っかった枠。それくらい、ずっと、何で売れないんだと言われつづけてきたモグライダー。せりあがってくる途中のともしげが既に死んだ顔をしていて心配になりましたが、大会の幕開けとして最高のネタでした。
明らかにバカそうな男が、「美川憲一さんって気の毒ですよね」と、突飛なことを言いだす。理由を問うと、『さそり座の女』の歌い出しの「いいえ、私はさそり座の女」で「いいえ」って言っているということは、歌う直前に当てずっぽうで星座と性別を聞いてきた輩がいるからだと、もっともらしい話を続ける。それから、美川は星座と性別を当ててもらえなかったから、「そうよ、私は」と気持ち良く歌いたかったのに、「いいえ、私はさそり座の女」と落ち込んじゃっている、聞いてきた輩も良かれと思って聞いたのに外してしまい落ち込んでいるので、「この二人をウィンウィンにしてあげたい」「だから、美川さんが歌い出す前に『さそり座の女』である可能性をぜーんぶ消してあげればいいんですよ」と、ともしげの本当の主張が発表される。
結局ここまで聞いても良く分からないので実践ということで、芝が口でイントロを再現、そのイントロの間にともしげが美川に星座と性別を尋ねるも、正解に辿りつかず、芝が「いいえ、私は」と歌い始めた時の、観客がこのネタのシステムを理解したということを証明する、どっという笑いはとても気持ちよかった。
そこから、同じことが反復されるのだけれども、男か女かという最後に一回だけ聞けばいい問いを何回も聞く効率の悪さが、美川さんと毎回騒ぐ時間のロス、全てを放棄して祈りはじめるという、ともしげのニンが滲み出たバカのお陰で全く飽きさせなかった。
芝もそれにひとつひとつ助言をしていくというのは、古典落語にある、与太郎にご隠居が物を教えて、その失敗を笑うという昔からある構造だからそもそも強く、反復するネタがありふれているが、こんなに笑えるのはなかなかない。
それは、反復することでも少しずつゴールに向かって行っているというもので、だからこそ、反復に意味があるからで、それがかなり新しく思えるからだ。このネタは、反復ネタを推し進めたネタだと思う。
余談だが、『ラップスタァ誕生』『フリースタイルティーチャー』『流派R』を欠かさず見ているという音楽情報が偏った妻に教えてもらったから真偽のほどは不明だが、最近は、バズりやすくするために、イントロを無くしているらしいと教えてくれた。だとしたら、目先のウケのために、こういう風に、何十年も先にネタになるくらい愛される曲となる可能性を一つ潰すとしたら悲しい話である。
好きなくだりは、「乙女座ですか」という問いがイントロのメロディに引っ張られてしまうところと、イントロが始まった瞬間からともしげが祈ってからの「なんでここまで来て運だけでいけるって思うんだよ。頑張れねえ奴が神社行ったってしょうがねぇだろ」。
2組目 ランジャタイ「風猫」
2番目に出てきた時点で爆笑しました。
風が強くて一歩も外に出られない日という話題から、風に飛ばされてきた猫が耳から国崎の体に入っていき、国崎を操作するというネタになるなんて、ランジャタイを知っていても想像はつかないだろう。
風猫というのは公式のタイトルだけれども、とてつもなく良い。落語のタイトルの付け方のセンス。落語のタイトルは、基本的に、誰がどのネタをやったかを楽屋の落語家に伝えるためだけのメモ書きが由来となっており、例えば、「芝の浜で財布を拾った」から「芝浜」、鼠が蔵に穴を開けるシーンがあるから「鼠穴」だったり、町の餅屋で働いていた娘が店と揉め事が起きたので、娘が人気芸者の妹のところに駆け込んだことから始まる「総出餅」などがあるが、そういった情緒がある。「総出餅」は嘘。
風に飛ばされてきた猫を名前までつけて飼うことにして家に戻り、可愛がっていたら耳から入られた時の笑顔から困惑の顔への変化とその感情が乗っかった「にゃんちゃん」からの裏切られたことへの怒りの「頭入ったこいつー」の言い方、引き戸を開ける音、風にあおられて顔が揺れる音といった口で再現する音も上手いし、ムーンウォークも出来る。これら国崎の芸の巧みさが奇天列な世界観を、現実世界に具現化させている。発想は突飛なのだけど、地に足が着いている。ランジャタイの漫才が落語に通ずるとすれば、ここだ。ダブル将棋ロボでネタが終り、座ったままの国崎がそのままスムーズにお辞儀に移行したところなんかは、ほんの一瞬でも、ずっと座っていたんじゃないかと思わせるくらいだ。
風猫に操られて、将棋を指す動きをさせられ「将棋ロボだー」というボケって前後の繋がりが全く無いナンセンスな笑いなのだけれど、ここでかなり大きな笑いが起きているのはさすがに痺れる。
他にも、何度も繰り返し見ていて気がついた、猫が国崎の頭に入り込み、コクピットをいじった時、「頭のコクピットに・・・」と国崎自身が言って頭を押さえていたところなんかは、国崎が自分の頭の中にコクピットがあるということを自覚しているという意味で改めてめちゃくちゃ笑ってしまった。こういう想像の余地がある笑いがあるもランジャタイの凄いところで、勢いだけなんだなんてと舐めちゃいけない。普通の人が奇天列な世界観に迷い込んだのではなく、もともと奇天列な人間に降りかかった奇天列なトラブル。これはまさにギャグ漫画の世界観だ。混沌ではなく、秩序がある、その秩序の法則がわからないだけだ。
にゃんちゃんの尻尾が耳から出てきたので国崎が引っ張って出そうとするけれども、にゃんちゃんはレバーを掴んで耐えているという特殊な状況なのに、伊藤が、「にゃんちゃん出ておいで、にゃーんちゃん」とまるで車の下にもぐりこんだ猫でも呼ぶかのような、日常的なセリフが挟みこまれるところは、その言葉が持つ意味そのものが変容する。それが脳を揺すってきてたまらない。誰の街にも、伊藤みたいな見た目をした猫好きのおばさんはいる。
今回、ランジャタイが出ていた中での唯一のミスと言ってもいいのが、伊藤が風に飛ばされてきて国崎の顔に貼りついた猫を「新種?」と言ったことだ。この時点で、伊藤はこの猫、風猫のことは、単なる飛ばされてきた猫であり、頭から入っていくという不思議な猫だということは知る由もないので、新種って言ってしまうと、そこに矛盾が生じてしまう。あくまで普通の猫だとして扱わないといけない。あとは一ミリのミスも無かったです。
ネタ後も、敗者コメントも含めて見事に真剣にふざけ通していて面白かった。オール巨人パネルだけじゃなくて、猫ににゃんちゃんって名づけることでウッチャンナンッチャンのナンちゃんもうっすらと連れていってる。隠れ南原。
好きなくだりは、伊藤が言った一回目の「ン猫ッ」の「ン」と「ッ」、「将棋ロボだー」からの「かわいそぅ、相手もいないのに、かわいそうっ」と、にゃんちゃんがエレベーターでお腹に行って紐を引っ張ったら腕が引っ込んだところ、スリラー、二匹の猫が出会った瞬間の国崎の顔。
3組目 ゆにばーす「ディベート」
三年ぶり三回目の決勝進出のゆにばーす。
登場するなり、はらが観客に拍手を促し、場を盛り上げ、「せーの」と声をかけてから観客の拍手を、ぱんっぱぱぱんっと手締めでまとめてからの、トーンの低い「悩みあんだよ」という、華も人気もある、はらでなければ出来ない美しいツカミ。
出てくるテーマが危ういもので、あえてかけているのか、なんというか、寄席やライブという悪所での漫才を見ているようでちょっとワクワクしました。M-1で、ゆにばーすだけ、敗退コメント含めて危ういワードをいくつか入れ込んでいて、あれを聞いた瞬間ざらつくような感情になるんだけど、やっぱり、僕は大好きです。悪所としての寄席の匂いがするワード、興奮する。素人が思うこれテレビで言っていいんか?炎上しないか?って感情なんてクソよ。
好きなくだりは、ツカミ、男女の友情の存在の話題での「じゃあ、うちらってどうなんの」からの「俺、爆裂不利やんけ」、「しばいたろか」からの「触って無い触ってない、触ってないですよ」。
4組目 (敗者復活)ハライチ「運動」
正直にいうと、良くも悪くも、敗者復活から勝ち上がるとしたらハライチの可能性が高いだろうなと思っていた。それでも、ハライチが敗者復活枠としてファイナリストになったという時は、その思い入れもあり、興奮した。
岩井が「大人になると運動しないから、体なまりますよね」と言うと、澤部が同意し「運動始めようと思いまして、登山をやろうかなと思いましてね」と返す。澤部がそう言い終わる前に、岩井は「無理よ登山は。年とって出来ないから登山は」と否定し始め、澤部は登山を始めたいという話を続けるも、横で岩井も否定を続ける。頭ごなしに否定する岩井に、澤部もいら立ちを隠せずにトーンが上がっていく。今度は岩井が「俺は普通にね、ジムに通おうと思っている」と言うと、澤部が「ジムぅっ。一番無いですよね。」と岩井を否定し始める。しばらく澤部を無視して、ジムに入って運動する話をしていたが、急に「うるせえぁなああぁっ」とブチギレて、マイクから離れ、地団駄を踏み、怒り続ける。
これ、岩井の澤部否定だけなのか、尻すぼみになるんじゃないかと、ダレを予想し始めた直後の転調。このネタは、『ハライチのターン』での「オートママニュアル論争」「ダブルチーズバーガー論争」の楽しさを落としこめたものだった。
とはいえ、フォーマットで推し進めるこのネタは、他と比べると、ワードで笑いたいなど賞レースに毒された欲求までは満たしてもらえなかった。だから、思う様に点数が伸びなかったというのは、そこまで予想外という結果ではなかった。運動の話から、巨大ロボは段階を踏まないと、発想として途切れすぎているので、少しブレーキがかかってしまう。
何より、これまでの澤部を軸とした笑いのネタではなく、これまでのハライチの漫才のパブリックイメージそのものをフリとして、岩井で笑いを取ったということは、ここ数年の岩井の個としての活動が、岩井という人間を周知してきた結果だということでもあるので、これをこの場でかけられたことは、例え負けたとしてもハライチに取って絶対的に良いことであると思わせる漫才だった。この数年のハライチは、賞レースに相応しいフォーマットを作りあげていたし、それを練り上げたら、もしかしたら優勝出来たかもしれないが、岩井が地団駄を踏むような今回のネタは、『M-1グランプリ』への最後っ屁みたいでカッコいい。
敗退コメントでは、澤部は「楽しい15年間でしたよ、ありがとうございました」、岩井は「M-1グランプリありがとう、楽しかった!」。岩井はそういった後、照れくさそうに笑っていたのは、もしかしたら、本人はボケのつもりで言い始めたけれど、口から出た瞬間、本音になったからで、まさにM-1をきっかけに若くして世に出たハライチのM-1ラストイヤーを締めくくるものでした。お見事でした!
個人的に、漫才を始め演芸というのは、あらゆるものから自由であり、解き放たれるべきものだと考えている。賞レースの功罪の罪の部分としてよく言われる、勝ちやすい型にはめられてしまうみたいなのがあるが、自由というのは、そういった制約を経て得るものである。そうなると、今後は漫才師として自由であるハライチが見られることになる。そう思うと、やっぱりワクワクせずにはいられない。
好きなくだりは、怒られ慣れてないから澤部への噛みつきと、『ハライチのターン』(2021年12月23日放送分)での振り返りトーク。
5組目 真空ジェシカ「1日市長」
決勝当日が近くなったころ、「吉住」のネタが仕上がっているという噂が流れてきた時は心配になったが、堂々とした姿を世間に見せつけていて嬉しかったです。真空は早くて来年だなと思っていた自分が恥ずかしい。
真空ジェシカには、「グラデーション転校」というネタがあって、それは「転校生が初めて教室入る時は、アウェーなので、転校生が教室に入る前に、そのクラスに友達がたくさんいる隣のクラスのやつが先に入ってくる、そっから徐々に関係性の薄い人が入っていって、最後に転校生が入ってくる。」というもので、「ニ期下のウッチャン」などめちゃくちゃおもしろいくだりがあるのだけれども、このネタの弱点として、ひとつひとつのボケの強度は上がるが、場面展開としては停滞するし、どうしてもボケとボケの間の脈絡が断ちきれるので、笑いが散発的になってしまうという欠点がある。大喜利ライブのダイジェストを見ているようなイメージだろうか。
今年は真空ジェシカの配信ライブを、今年一番かっこよかったライブタイトル「曽根崎心中」を始め、出来る限り見ていたが、「宝探し」のネタをよくかけていた。こちらは、宝探しのために遺跡に行って探検するというネタで、ストーリーが展開していくので、笑いが繋がりやすく、重ねて笑っているなあという気持ちになりやすい。
「1日市長」は、「グラデーション転校」のように笑いを早めに起こし、それから「宝探し」のようにストーリーを展開させていく。そのことで、異なるネタの良いところを取り入れている構造となっている。
しかも、冒頭の「1日市長」から派生するボケの「10日副市長」「2ヶ月会計」「5秒秘書」を並べて、それに「罪人と書いてつみんちゅ」というボケを入れるために全員の苗字を沖縄の苗字にして、そしてそこにガクがつっこんでいる間に、5秒秘書が帰るというくだりも自然に出来て、ポリフォニックな笑いにもなっているのでめちゃくちゃ良いスタートを切る。
そこから市長が出てきて、PR活動のために市内を巡回していくが、そこからどんどんボケまくる。ひいき目かもしれないけれど、やっぱりボケのひとつひとつの強度が凄い。
「お詫びして定時制入ります。」や「冗談は縦置き」など、1文字変えるだけで全く意味が変わるというボケも凄まじく好きだし、真空ジェシカが得意とする、2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)的な笑いである「立て読みしたら、たすけてになっている」というのを、「ヘルプミー」の手信号としている。その前に、二進法を片手で表すということをフリにしているんだけれども、それが単体で、すでにきっちり重いボケとなっているから、点数稼ぎの伏線回収という厭らしさがない。1日市長に「初日なんで気楽にやっていきましょう」という、ツッコミで気付かされるタイプの笑いもあるのが気持ちいい。
別の一日市長が近くを通っているからと、川北がガクを隠した後、ガクが「ミッキーみたいなことですか」と言うと、川北はくっくっくと笑って「ミッキーはひとりじゃないですか」と言い、ガクも「あ、そうですよね」と返す。そこで終わっても良いのに、「ハツ笑いだ」「つまらない一年だった」なんかも、その前で終わっても良いのに、追ってボケてくる。弱点があるとすれば、グルーヴ感がまだまだ生まれにくいというところか。
ツカミの「言うとしたら僕~」とのあとに、川北が悔しがるというムーブをしていて、初めてそれを見た気がして、そこで初めて、あれって川北は言われて悔しかったんだと気付かされたんだけど、そういう見せ方の変化もいい。
真空ジェシカは、基本的に、考えボケなので、早くつっこまれるよりは、ちょっとこちらも考える時間がほしい。そう言う意味では、ガクのというツッコミ前の「あー」は、貯めとなっているので、めちゃくちゃ必要というか、マッチングしている。「ハンドサインでヘルプミー」で強くつっこめることも証明している。
新しいタイプのボケをしていることが伝わったのか、初めて組みにしては絶賛されていた。そしてそれを受け手の「センスが合って良かったです。」という川北の返しは、可愛げがなくて最高でした。
好きなくだりは「まぁ冗談は縦置き」「あ、横置きでも良いですけど」、饅頭屋のおばあちゃんの「二進法のニは片手でこう表せますよ」と「ハンドサインでヘルプミーってやってた」。よく分からなかったくだりは「キムタクのハンバーガーの持ち方」からの「虫みたいでカッコいいんだよなぁ」。
6組目オズワルド「友達」
順当な優勝候補。であると同時にそのプレッシャーは測り知れないものであろうし、今年優勝すれば、ちょっと今後は難しいんじゃないかと勝手に心配していた
畠中が「あのー、こないだほんっとまいっちゃったんだけどさぁ、友達と渋谷のハチ公前で待ち合わせしてたんだけどさ、待っても待っても全然友達来なくて、ニ時間くらい待った時に気付いたんだけど、俺友達なんていなかったんだよね」と言い、伊藤が狼狽してネタが始まる。このツカミから始まった「友達が欲しいから、伊藤の友達を譲ってほしい」という、前後のセンテンスの論理が微妙に噛み合わない変人の畠中と、そんな人に対して無理やりにでも常識の範囲に抑え込もうとして徐々に苛立ちを隠せなくなっていく伊藤の会話、最後まで聞いた結果、全く生産性が無かったという、まさにオズワルドの真髄ともいえるネタでした。素人目に見ても、練りに練ったんだろうなということが分かる。それくらい、台本は完成されている。好きなくだりも多い。
ただ、これは後出しジャンケンになってしまうが、何度も見返してみると、ちょっとネタが走っているような気もしてきた。畠中のボケを聞いて伊藤のツッコミを聞く間に、自分で考えるための時間がもうコンマ数秒ほしくなってきた。これが、ちょっと後々、尾を引いてしまったのではないか。
好きなくだりは、伊藤が「俺友達ゼロの人ってよく分かんないからさ」とフッたあとに畠中が伊藤の友達を欲しがって「もちろんあれだよ君の中で一番いらない奴でいいから」からの「あ~、こぉれがゼロかぁ~」、「あげらんないよ友達は」「だったら、俺のお気に入りのズボンと交換しない」からの「あんま舐めんなよ、おまえ。なんで俺が自分の友達とサイズの合わないズボン交換しなきゃいけないんだよ」と、「双子の友達とかいない?」「双子はダブってるからあげるとかないから」と、小林の悪いところを羅列してからの「小林いらねえなぁ」。
7組目 ロングコートダディ「ワニ」
ロングコートダディはしれっと数年前から敗者復活の常連で、生粋のコント師である彼らは、様々なフォーマットの漫才を試していたという印象がある。今年は『キングオブコント』の決勝の舞台には立てなかったが、『M-1グランプリ』のファイナリストとなった。
そんな中で披露した「ワニ」は、技化し、システム合戦、フォーマット合戦となった『M-1グランプリ』のなかで、彼らの柔和なイメージが滲み出ていた、ファニーでファンタジー要素のある素晴らしい漫才コントだった。
ただそんなネタにも、ハードなボケが入っていて、初めて聞くとぽかんとする「やわらかハード」というキャッチコピーはあながち間違いではないと思わされる。
ロングコートダディのネタのハードな部分とは何か。
ひとつは、堂前が兎に「生まれ変わったら何になりたいか」と尋ねると、兎はワニと答える。きちんと来世でワニになるために、生まれ変わる練習をするために兎が死んだ後の魂をやることになった後、堂前が「天界全体をするわ」と言い、「いける!?」とつっこんだところ、笑ったんだけど、よく考えると、基本的に漫才コントでは、一人は同じ役をやり、トライアンドエラーを繰り返すが、もう一人は様々な役をやっている。実際、ネタ中、堂前は兎の死んだ後の魂役以外の、死んだ魂への最初の案内と、生まれ変わり先を振り分ける役、生まれ変わり先の細かい設定を説明する役をこなしており、きちんと天界全体をしている。それは漫才コントでは別段凄いことでもないのだけれども、それを笑いどころとして作っているって、ちょっと目からウロコなボケだ。そして、天界の窓口が三つに分かれていることに加えて、生まれ変わり後の世界もあり、舞台の上手と下手を使って四つの場面を行き来するので、リズムが単調にならずにすんでいる。
もうひとつは、兎が、申しつけられる生まれ変わり先がしりとりになっていることに気が付き、ワニを待っているところで、「ラコステ」という言葉を聞いて、兎が「あっ、ワニ」と走りだすも「あっ違うわ」と戻るくだり。ロングコートダディが『キングオブコント』でかけた「井上さん」というネタで、井上さんは頭が悪いゆえに効率が悪い仕事しか出来ないのだが、その様に新人バイトが戸惑っていると、「どうしたぁ、段ボール初めてかぁ」と聞くシーンがあるが、それと同じように「ワニを待ちすぎてラコステに反応してしまう」というこのくだりは、「ないない」の世界での「あるある」としてとんでもなく秀逸なもので、そんな心にぐっと踏み込んでくる形のボケを予想出来ないところに挟みこんでくるところが大好きだ。
肉うどんとなって吸われる兎の顔が面白いだけの漫才じゃない。
それはそうと、鉄アレイの天寿とは何なのかと考えると少し怖くなってしまう。
好きなくだりは、「死んだ後の魂やってもらっていい?俺は天界全体をするわ」からの「いける!?」と、「あっ、ワニ」と走りだすも「あっ違うわ」と戻るくだり。
8組目 錦鯉「合コン」
掛け合い全捨てバカ全振り。初見ではちょっとツッコミが激しすぎて、軽く心配になってしまったのですが、二回目以降は、めちゃくちゃ笑ってしまう。もともとあったネタだと思うのですが、長谷川が五十代を迎えたこと、そしてバカが認知されたことで、このネタの主軸である空回りするおじさんの悲哀がより鮮明になり、より笑いやすくなっている、いわゆる体重が乗っかっているものとなっている。
「みんなより、ちょっとお兄さんか」からの「お父さんだよ」というくだりは、やっぱり47だとまだ生々しくて笑いにくい。
合コン相手から冷たくあしらわれたことで、ムキになり、場の主導を掴もうとするというところが、畳みかけになっている構成は、自然でよくできているし、「乾燥したかかと」でドッと沸き、そこで、電気椅子でさらに追い打ちをかける。さらに良いのは、古今東西を始めて、自分に有利な「50歳過ぎたら、体の痛くなる場所」というお題をだすところ。この期に及んで、ゲームには勝とうとしているダサさ。渡辺が「ずりーよ」という補助線も見事。
好きなくだりは、後半の畳みかけ途中の「おめーしかしゃべってねぇ」からの「みんなはさぁ、好きなアルファベットってある?」「俺は6!」での「バカだなほんとにお前はよ、あれ数字っつーんだよバカ」、「50歳過ぎたら、体の痛くなる場所」からの「ひーざ!」。
9組目 インディアンス「怖い動画」
インディアンスに関しては技術についてどう進化したということは話せない。そのため、ネタの運び方への印象論となってしまうが、これまでは田淵のボケのために、きむがわざとずれたツッコミをしていたが、そういうことが無くなっているのでノイズがなくネタを見れる。ただ、ボケの切り口は全て同じような印象を与えるものであるので、全体を通すとやっぱり平板なものになってしまう。もっと重めのものや、違和感のあるもの、何だったんだあのくだりはみたいな、違和感を覚えるようなくだりが欲しい。恐怖の館で、写真を撮ったら、SNOWみたいな加工になっていたというくだりで、きむのツッコミを完全に無視して、田淵が無表情で、左右交互を向きながらベロを出して「んベー」「んベー」というというボケがなんか面白かったのだけれど、田淵は実はこういうボケ方も得意なのではないだろうか。
趣味として怖い動画を見るという話が、肝試しになってしまっていたり、単純に冬に肝試しのネタは合わないということもある。そして今ふと思ったのだけれど、インディアンスがサンタクロースのネタをすれば、楽しいネタになり爆発しそうだということだ。そして『M-1グランプリ』が、一年かけてネタを練って、それをかける舞台である以上、意外と冬のネタが無いことに気がついた。ダイアンの「サンタクロースを知らない」ネタくらいか。
好きなくだりは「恐怖心が行方不明やわ」からの「恐怖心のやつ、東京行ったらしいな」と、号外のくだり。
10組目 もも「欲しいもの」
今年は準決勝のライブビューイングが無かったこともあって、めちゃくちゃ悩んだのだけれど、準決勝の配信ライブを見送ることにしました。情報をこれ以上得るのは止めようと。これは毎年悩んでいます。
全くネタを見た事ない大阪の若手がいるということだけで、M-1グランプリが漫才の大会としてピリっと絞まる。何の情報も無いけれど、これまでの歴史が作る幻想をまとっているので、まくってそのまま優勝する可能性もあるぞという緊張感を産み出す。
お互いの顔を、「何々顔やろ」と言い合う、ルック大喜利漫才。
初見はその勢いで笑ってしまうのだけれども、そのシステムが分かると、各々の見た目への偏見は、まだまだヤンキーとオタクのステレオタイプから抜け出せていないことが気になってしまう。もっとエッジの効いたあるあるや、バチっとはまる飛躍が欲しくなってしまう。ぐっと踏み込んだものが無かった。チャンピォンと比較するのは申し訳ないが、ミルクボーイやブラックマヨネーズが、顔を左右に大きく振りながら、会話を追ってしまうのに対して、ももは目を動かすだけで会話を追えてしまうというイメージ。会話のふり幅がまだ少ない。
一つのお題に対して、掘り下げずに、すっと行ってしまうから、会話ではなく、羅列になってしまう。
まもる。に対して、「チャンピォンベルト顔やろ!」と、せめる。に対して「ラウンドワンでギャラリー作る顔やろ!」と、もっと実は褒めているというひねりも欲しい。
そんな感じでまだ粗々ではあるものの、やはりポテンシャルをひめる。な二人。
それはそうと、せめる。が守る顔で、まもる。が攻める顔だろ。
最終決戦 1組目 インディアス「ロケ」
「今よりもっと売れたい」という話題からの入った「ロケ」のネタ。
一本目と二本目の完成度の差は素人目にはつかないほどで、こういうテンポを重視した漫才をやるコンビは沢山いると思うが、一年間で二本も産み出してくるのはインディアンスくらいだろう。出る側としては、インディアンスが決勝の場にいるということ、そして実際に徐々に順位をあげているという事実は、めちゃくちゃ恐怖だろう。
好きなくだりは、サザエさんが「いっせーので」をするところ
最終決戦 2組目 錦鯉「サルの捕獲」
街中に逃げた猿を捕まえたいという長谷川が、捕獲にチャレンジする。
「こんにちわー」からの「覚えろよ」というツカミからかなり二本目であるということを意識して構成されているネタ。
例えば、前半の、「猿を捕まえたら顔を引っかかれる」を3回繰り返すところ、猿と間違えておじいさんの首をつかんで揺すった後に長谷川が放り投げたおじいさんを渡辺がおじいさんの置き方を説明するところは、それぞれ後半の「バナナを使った罠をしかけたら自分でひっかかる」ところと、暴走した長谷川を渡辺が捕まえた後にそっと置くというところの基礎と応用のように配置されている。それでもいやらしさがないのは、バカが突き抜けているから。
いずれも後に出てくるほうが面白いから、尻上がり感もあるし、「ライフイズビューティフル」という、しっとりとした終わり方も余韻があって素晴らしい。
猿を追いかけていると、長谷川が「あっ、森の中へ逃げ込んだ」とがっかりしてからの、渡辺の「じゃあ、良いじゃねえかよもう」とツッこむ。ツッコミがツッコミとして機能し、「た、確かに」となっていることが分かるような、間の後に笑いが起きて広がるところ。観客全員が、長谷川に引っ張られてバカになっているということだ。ツッコミもここだけ優しくなっているのもいい。面白いけれども、観客としてはちょっと休めるから後半でより大きく笑える。もしここも、そのまま強いツッコミだったら、もしかしたら、途中で疲れちゃってたかもしれない。
好きなくだりは、長谷川の「業者下手じゃんね」という謎の舐め、「猿を捕まえたら顔を引っかかれる」を3回繰り返すくだり、「あっ、森の中へ逃げ込んだ」からの「じゃあ、良いじゃねえかよもう」。
最終決戦 3組目 オズワルド「割り込みしてきたおじさん」
畠中がラーメン店に並んでいたら、おじさんに割り込みされたネタ。
畠中から言ってきたはずのおじさんへの文句に対して伊藤が悪口を言っていたら、伊藤から、おじさんが可哀想だと言ってきてから「君におじさんの何が分かるの」と畠中に問う。そこから伊藤が「なんにもわからないねぇっ」とつっこみ、そこから「俺はおじさんのためなら死ねる」「そんなバカな!」と続けたところから盛り上がってきたが、逃げ切れなかったか。
前二組の勢いと、バカに焼き尽くされたからなのか、リアルタイムで見た時はどうにも、前半で乗り切れなかった。見返すとやっぱりめちゃくちゃ面白いしオチも綺麗なのだけれど、どうしても一本目と比べると、ちょっと劣ってしまう。一本目よりも畠中の主張に、奇人なりのロジックが薄いのも気になった。ただの変なことを言う人になってしまっている。
好きなくだりは「キミ、さすがにおじさんに悪口言いすぎだから」「いや、お前が最初にそのおじさんムカつくって言ったんだろ」「ほんとうに言ってない」からの「言ってないはチンピラだよぉ~。さすがに発言が刺青過ぎるって」、「キミにおじさんの何が分かるの」からの「なんにもわからないねぇ~」、おじさんを許せない畠中と許したい畠中がカミシモを切ってからの「ちょっと分かりやすくしてくれてる」。
優勝は、錦鯉。凄かった。
昨年で名をあげて、忙しい中、ネタも二本、しかも毛色が違うものをかけてきた。構成も含めて、錦鯉の笑い方を知られていたということに甘えない戦い方だった。まさのりさんのラストイヤーは56歳なんて言葉があるけれど、ラストイヤーに出ても面白いし、優勝しそうなくらい、錦鯉の漫才は、年を重ねれば重ねるほど面白くなるし強くなる。
正直、今年は総評が何も思い浮かばないです。
面白かったー。こういうブログを書くときには、ほんとうに何度もネタを見返すので、笑わなくなることがほとんどなのですが、そのたびに発見があるネタが多い。これが何を表すのかはわかりません。
今後、人間ドラマにかじをきってしまうのかは、それはもう誰も分からない。下手したら、来年10年以内に戻すとかもあるわけですから。
それではまた来年お会いしましょう。
何か思い付いたら、追記します。
世の既婚者または同居人がいる皆さまにお伝えしたいのは、M-1グランプリの日はホテルに泊まるのは超オススメだということです。3時にチェックインして敗者復活戦を見て、本戦までにディナーやコンビニで食事、放送後は感想をサーチして夜ふかしして、朝はゆっくり起きる。寿命が十年伸びます。 pic.twitter.com/gHSz9PPQuw
— 芽むしり(RN電柱理論) (@memushiri) 2021年12月21日