石をつかんで潜め(Nip the Buds)

ex俺だって日藝中退したかった

改めて前提を共有しなければならないという話

 仕事で業務を引き継ぐ時や説明する時に心がけているのが、何故これをしているのかという前提を話すことからするということである。だから、そうされないとめちゃくちゃイラついてしまうという点もあるが、間違ってはいないと思う。そうしなければ、業務が、穴を掘ってその穴を埋めさせるということを繰り返す拷問と一緒で、前提を理解することで、業務の効率も上がるし、仕事を終えた時に出る脳汁が、パズルを解いた時のものに近いものが出るようになるんじゃないかと信じている。

 新型コロナの感染拡大防止対策についても、同じなんじゃないかと最近考えているのは、いまだにウレタンマスクや布マスクをしていたりする人を見かけるのって、単純に、これらが感染拡大防止対策に効果的ではないという前提が抜けているからなんじゃないか。

 SNSをやっていれば、そんなバカなと思う人もいるかもしれないが、これらの情報を知ったのは、SNS以外で、この情報を見た記憶があまりない。そうなると、SNSをしていないと、最低でも不織布マスク以上であるほうが、大変望ましいというその前提を共有できていないということになり、感染拡大防止対策の足並みが揃わないわけである。そう思うと、職場や周りにいるウレタンマスク及び布マスクをしている人は単純に、その知識にリーチしていないというだけに過ぎないのであって、決してバカにしたりすべき対象ではないということが見えてくる。

 ワクチンの接種についても同様に、ワクチンというものがどういうものか、副反応というのは原則として避けられないものであるという前提がないから、陰謀論などが跋扈するのではないか。

 マスクに関してだけ言うと、日本は最初に布マスクを2枚配ったことはそういう意味でも失策だったと思う。結果として、マスクをしていれば良いというアリバイのための金科玉条を作ってしまった。もちろん、変なマスクに留まらず、そもそもマスクをしていない姿をこの二年間放送し続けていたメディアの存在も大きいと思うし、ウレタンマスクが花粉症対策として普及されたものであるならば、そういう意味では、ほぼ日本特有の事象であるが、きっぱりとウレタンマスクは不織布マスクと比べて新型コロナの感染拡大防止対策には効果が薄くなるということを徹底して広めなければいけないはずである。

 そういった前提に立つと、やはり政府等がすべきことは、いったん、「マスクは不織布以上」ということを盛大に言い続けるべきだと思う。東日本大震災の時のぽぽぽぽーんくらい、周知し続ける。正直、現金の給付よりも不織布マスクを一世帯に二ヶ月分配るということが、実は効果的なんじゃないのかとも少し思っている。国民レベルでは国が、生活圏レベルでは課長などの上司を通すことでしか、これは変わらない。本当に、しつこいくらいに周知すべきだと思うけれどどうだろうか。どれだけTwitterでRTされても、届かない人には届かない。全員がTwitterをしているという前提に立ってはいけないものだ。

 ワクチンについても、ここには、他者の合理性というものが大きく横たわっているうえに、そもそもが自由意志である以上、強制すべきものではないことはわかるが、ちょっと本当にワクチンという存在の前提ってきちんと共有されているとは思えない。

 政府は、ワクチンを打っても休めないから打てないという相談に乗るべきであり、そういう会社を公表すべきだったり、Twitterで政治批評をしている弁護士は、そういうのは全然余裕で裁判で勝てますよみたいなことを言うべきではないのか。

 正しい知識を持っておらず過剰にワクチンに対して恐怖し忌避していたこと、ウレタンマスクや布マスクをしていたこと自体は、別に恥ずかしいことではないということのケアも合わせてやるということが本当に必要なのではないのかということを思ったりしている。

 これ、どうすりゃ良いんだ?